とっちーの「終わりなき旅」

出歩くことが好きで、趣味のマラソン、登山、スキーなどの話を中心にきままな呟きを載せられたらいいな。

2019金沢マラソンツアー:3日目ひがし茶屋街散策

2019-10-31 22:05:03 | 観光
金沢のお勧め観光スポットでは、兼六園と共に1、2位を争うといえばひがし茶屋街だ。2年前は行けなかったので、今回はまず行こうと思った。ひがし茶屋街は、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されており、保存地区内の建築物140のうち約3分の2が伝統的建造物であり、茶屋町創設時から明治初期に建築された茶屋様式の町家が多く残っている。

ナビの案内に従ってひがし茶屋街の駐車場を探していくと、狭い路地の道に入り、訳が分からなくなってしまったが、近くにいた人に教えてもらい、川沿いの観光駐車場に何とかたどり着く。観光案内所のようなところで地図を貰おうと茶屋街に入っていく。地元の人に聞くと、ひがし茶屋休憩館で貰えるという事で、中に入ると、数人の女性がぞろぞろと出てきた。いろいろ話を聞くと、女性たちは観光ボランティアガイドで、茶屋街を無料で案内してくれるという。

まずはひがし茶屋休憩館の案内からだ。この休憩館は、もともとは明治時代初期に建造された町屋で、空き家になっていた建物を江戸時代の町屋様式に改修し、2004年5月に休憩所としてオープンしたという。


二階にも部屋があるが、階段がない。狭い場所を有効に使うため、必要な時に梯子をかけて二階に上がるようになっているという。


観光ボランティアガイドは、「まいどさん」と呼ばれている。これから、ひがし茶屋街界隈を親切に案内してくれる。


京都の祇園と並び、江戸時代から明治初期に花街として栄えた茶屋建築の街並みは、一番の記念撮影スポットだ。


ご多分にもれず、このあたりでも結婚式の前撮りが行われていた。赤い着物姿の花嫁さんが艶やかだ。




ひがし茶屋街を歩いていると、建物の玄関先に奇妙なものがぶら下げられているのが目に付く。よく見るとトウモロコシだ。このトウモロコシは「門守(かどもり)」と言われる金沢の風習のひとつだという。昔からトウモロコシは「雷除け」とされていたようだが、それが「魔よけ」となり、豆(まめ=実)が多いほど「まめまめしく健康に働け」、毛(もう)が多いほど「儲けが多い」とされて 縁起物になったということだ。


建物の格子の断面は台形になっていて、外側が太く、内側が細くなっている。これは、室内により多くの光を採り入れる工夫だ。昼間は建物の中が見えづらく、反対に家の中から外は見えやすい。プライバシーを守る構造である。こんな話も、「まいどさん」から教えてもらう。


ひがし茶屋街でも特にお勧めなお店が「箔座 ひかり藏」だ。店の入口には大きく「金箔」と書かれた看板があり、「世界に誇る伝統の技を守り、中尊寺金色堂や西本願寺をはじめ国宝、重要文化財などの修復に使われる金沢伝統箔「縁付」をつくり続ける「箔座」の直営店です。」との案内がある。


店の中に入ると、金箔を張り巡らした曼荼羅が飾られていてびっくりする。


そして、一番の目玉は、店の奥にある「黄金の蔵」だ。外壁は最上級の漆喰の壁に塗り直し、箔座が開発した純金とプラチナの合金箔「純金プラチナ箔 永遠色」を一枚ずつ丁寧に置いて仕上げている。どのくらい金箔が持つのか実験するために、あえて雨ざらしで屋外に建ててあるそうだ。


内壁は、本来の壁の土に沖縄の泥藍を合わせ、網目模様の表情を持たせた壁に24Kの純金箔で日昇をイメージしたグラデーションをつくり出しているという。まさに金の輝きが凄い。


ひがし茶屋街の奥にひっそりと佇むのは「東山菅原神社」だ。学問の神様と呼ばれる菅原道真を祀り、芸妓たちの守り神、ひがし茶屋街の鎮守社として創建された。


東山菅原神社の反対側にあるのは、金沢五社のひとつである「宇多須神社」だ。


1599年(慶長4年)に、2代目藩主前田利家が金沢城の鬼門であるこの場所に鬼門鎮護の神社として建てた。江戸時代には、前田利家を祀っていたという。


折角来たので、拝殿にお参りしようと拝殿に近づくと、縁の下に怪しい人影が見える。なんでこんな場所に人がいるのか気になって近づいてみると、忍者の人形だった。神社の境内に忍者の人形が置かれているのが何故なのか調べてみたら、北陸大学の学生のアイデアで置かれたようである。同大学初の学生ベンチャー「サムライ金沢株式会社」が金沢の武家文化を発信しようと企画したものだという。この日は、一体の忍者しか見ることはできなかったが、本当は三体あるらしい。こんなことなら、もっとよく境内を見て回ればよかった。


園長寺。由来によれば三代目前田利常が卯辰山周辺に鷹狩りを行った際、小休憩所として利用したと伝えられている。その縁により利常の位牌を守り現在も安置。剣梅鉢の袈裟使用などが許されている。六角造りの一切経蔵には一切経が大切に保管されているそうだ。


一通りひがし茶屋街を回ると、まだ時間があったので、川に向こうにある主計町(かずえまち)茶屋街まで足を延ばす。浅野川沿いに昔ながらの風情ある料理屋や茶屋が立ち並び、かつては旦那衆が人目を避けて茶屋街に通ったとされる、昼間でも薄暗い石段が続く「暗がり坂」や、作家・五木寛之が命名した「あかり坂」は、趣のある風景に出会える場所だ。主計町の名称は、加賀藩士・富田主計(とだかずえ)の屋敷があったことに由来する。




坂下には主計町事務所と記された建物がある。この建物は芸妓さんたちのお稽古場である。タイミングの良ければ、建物の2階から鼓や三味線の音色が聞こえてくるそうだ。


中の橋。藩政時代に個人が架けた橋で、渡るたびに一文を徴収したことから、「一文橋」とも呼ばれていた。主計町は、金沢市内では東山と並び重要伝統的建造物群保存地区に指定されており、かつての面影を残す平屋とともに、趣ある橋の景観を楽しめる。また、作家・泉鏡花の作品「化鳥」、「照葉狂言」の舞台となったことでも知られる。


主計町茶屋街も一回りして、駐車場に戻るが、最後に金沢らしい食べ物を食べていこうと、金箔入りソフトクリームを買ってみる。金が入っているだけあって、値段も普通のソフトクリームの倍以上もする。金自体は味もなく食べても無害だ。見た目が凄いのもあるが、ソフトクリーム自体も金沢の山中で育てられた滋養たっぷりの烏骨鶏の卵を使っているので他のソフトクリームよりも一味も二味も違う美味しさだ。


金沢の二つの茶屋街を回り、十分堪能できたという事で、そのまま帰路に着く。帰りは、北陸道経由で順調に帰る。今回も、金沢をマラソンと観光で目いっぱい楽しむことが出来て、記憶に残るマラソンツアーになった。

2019金沢マラソンツアー:2日目マラソン

2019-10-30 21:36:21 | マラソン
マラソン当日だ。スタート会場は、金沢城公園のしいのき迎賓館周辺となり、ホテルから歩いて向かう。幸い天気は曇りで、傘もささずに会場に向かう。荷物を預けて、スタート前の記念写真を撮る、


8:20。ランナー整列締切となり、スタート前の列に並び、スタートを待つ。8:40。スタートの号砲がなったが、自分のエリアはかなり後方なので、スタートラインには、なかなかたどり着けない。


石川四高記念文化交流館の横に来ても、ぞろぞろ歩く状態だ。


号砲が鳴って13分ほどで、やっとスタート地点まで来た。


スタート地点では、マラソン界のレジェンド君原健二氏、女優の浜辺美波などが手を振って応援してくれている。


やっとコースに入ると、金沢城の城壁前で消防団員が纏を持って応援してくれている。


加賀友禅を纏った艶やかな女性たちの応援も嬉しい。


金沢城と兼六園を結ぶ橋の上にも応援の人たちの姿が見える。


完走祈願の幟も嬉しい。


ずらっと並んだたくさんの太鼓の音がお腹に響いてくる。


3キロほどで金沢駅前を通過する。2年前走った時は、金沢駅には来なかったので、コースが変わったらしい。でも、金沢駅の鼓門の前を通過するなんて、心憎いコース変更だ。


近江町市場前を通過する。金沢の名所前をほとんど通過するようなコースである。


5:30のペースランナーの前後を走っていく。


前日泊ったアパホテルの前も通過する。


犀川大橋を通過。


この大会の最高地点(標高67m)を通過すると、あとはほとんどフラットなコースだ。


野田トンネルの中に入っていく。


山側環状線の道路を進んでいく。見通しが良く、先のトンネルまでランナーでびっしり埋まっている。


二つ目のトンネルが見えてきた。


14.5キロのエイドでやっと食べ物が出てきた。スギヨのカニカマとちくわだ。




豪快な太鼓の演奏。


中心街を抜け、昔の街並みが残った地域に入る。道が細く、クランクがいくつもあるが、応援の人たちとの距離感が近い。


20キロ地点近くになると、金沢百万石和菓子スポットだ。まずは、フルーツらくがん。


銘菓くるみ。


ビーバー。あの米プロバスケットボールNBA の八村塁選手が、大好きだというお菓子だ。


そして、どら焼きやカステラ。まだまだいろいろあったが、とても全部は食べきれない。


和菓子を堪能した後、少し進むと今度は、あったかいラーメンだ。この頃から雨がポツポツ降り始め寒くなってきたので、ラーメンはありがたかった。


その後は、徐々に雨が酷くなり、とても写真を撮って走る状態ではなくなってしまった。当日の朝の天気予報は、雨から曇りに変わっていて午後から晴れる予報になっていたのだが、見事に外れて予想外の大雨になってしまっていた。スタート時寒くてゴミ袋を着ていた人の多くは、走り出してから捨ててしまい、雨に打たれて相当寒かったようだ。私は、カッパを持参し、ランニングザックの中に入れて走っていたので、雨が酷くなってからカッパを着こみ問題はなかった。1時間ほどで雨は小降りになったが、カメラが濡れて全く動作しなくなってしまった。

雨が大降りになっても、途切れることなく沿道の応援は全く変わらない。傘をさしたり、カッパを着ながらも熱心に応援してくれる金沢の人たちは、とても素晴らしかった。2年前に初参加した時も、応援が素晴らしかった事が、もう一度来たいと思った一番の理由だ。また、その後のエイドでは、金沢のスイーツが一堂に会したエイドや金沢カレーのエイドもあり、エイドではいろんな味を楽しめた。

石川県西部緑地公園陸上競技場がフィニッシュ地点だ。最後は、スマホのカメラでゴールを撮る。フィニッシュ地点手前では、タレントの猫ひろしやおのののかとハイタッチする。


そして、フィニッシュ。スタートして5時間28分ほどだった。もう、このくらいのタイムじゃないと走れない。


その後は、仲間たちと合流しシャトルバスで金沢駅まで戻り、駅からは歩いてホテルに戻る。駅からのウォーキングが、マラソン後のリハビリになる。おかげで大したダメージもなく、打ち上げのビールと食事も美味しかった。この日も、1泊して翌日金沢を観光して帰る予定だ。

「2019金沢マラソンツアー:3日目ひがし茶屋街散策」に続く。

2019金沢マラソンツアー:1日目受付

2019-10-29 18:12:06 | 観光
2017年の金沢マラソンに参加して、応援やエイド、コースの雰囲気がすごく良かったので、今年も申し込みしたら、運よく抽選に当たり、26~28日にかけて金沢まで車で行ってきた。

朝から出発したのだが、東名高速道路で事故があって渋滞に嵌り、2時間近くも時間をロスしたため金沢に着いたのは午後3時過ぎになってしまった。ホテルに車を置いて受付会場となる金沢駅まで歩いて向かう。金沢の玄関口である金沢駅は、その正面に金沢のシンボルともいえる「鼓門」が構えている。「鼓門」のモチーフとなったのは金沢で昔から盛んだった能の鼓だ。


大会受付は、金沢駅地下1階にある石川県立音楽堂交流ホールだ。本人チェックのあとゼッケンや参加Tシャツなどを貰い、スポンサーブースなどを見て回る。アシックスのブース前で、参加前の記念写真を撮る。


17:30。会場を出て、駅前に出るともう暗くなっていた。ライトアップされた「鼓門」がいい感じだ。


今回の参加記念Tシャツの前側。色は青で、なかなかデザインもよく着心地もよい。


参加記念Tシャツの背中側。


その後は、夕食を済ませてホテルに戻る。翌日の天気予報は朝から雨模様で、ゴールする頃晴れるとの事で、天気を気にしながら眠りについた。

「2019金沢マラソンツアー:2日目マラソン」に続く。

2019入道ヶ岳

2019-10-21 18:43:08 | 山登り
10月は、紅葉を楽しむ為、いろいろ山に行く計画をしていたのだが、ことごとく週末になるとやってくる台風により全部流れてしまっていた。かなりフラストレーションがたまり、日帰りでもいいから山に行きたいなあと思って、久しぶりに晴れそうな20日の日曜日に山に行くことにした。

色々調べて、鈴鹿セブンマウンテンの雨乞岳に行くことにして、鈴鹿スカイラインに向かう。ところが入り口に来たところで、多くの車が路肩に止まっていてゲートが閉じられていた。どうやら、前日に三重県周辺に降った大雨で、土砂崩れなどがあって通行止めになっていたようだ。ここまで来て引き返すのも悔しいので、同じく鈴鹿セブンマウンテンの一つ、入道ヶ岳に行くことにして、急遽そちらの登山口に向かう。

入道ヶ岳(にゅうどうがたけ)は、三重県鈴鹿市にある標高906 mの山だ。鈴鹿セブンマウンテンおよび近畿百名山の1つに数えられている。その中では最も登りやすい山だとされている。鈴鹿セブンマウンテンの山は、過去には御在所岳、藤原岳、鎌ヶ岳には登っているので、これで4座目となる。

まずは、椿大神社の第3駐車場に車を止め、椿大神社に向かう。この神社の読み方は、“つばきおおかみやしろ”と読むらしい。“つばきだいじんじゃ”等と入力すると検索結果に出てこないから注意が必要だ。


境内の入り口には、社の地図があるが、結構立派な神社だ。三重県では伊勢神宮・二見興玉神社に次いで3番目に参拝者数の多いそうで、猿田彦大本宮とも呼ばれ、猿田彦大神を祀る神社の総本社とされているそうだ。そして、これから行く入道ヶ岳は、椿大神社の御神体で山頂に鳥居、山頂から北西約300mに奥の宮に祠が祭ってあるという。


まずは、本殿に向かい、登山の無事を祈願してから登山口に向かう。


しばらくは舗装道路が続く。キャンプ場にも車を止めることが出来るようで、多少歩く距離を短くしたい人は、キャンプ場まで車で行くことが出来るようだ。


キャンプ場の駐車場。この先から登山道になり、北尾根コース、二本松尾根コース、井戸谷コースの3つのコースを選択できる。


あまり下調べもしてなかったので、そのまま道なりに進み、井戸谷コースを進む。要所要所に番号が振ってあり、道はわかりやすい。


大規模な土砂崩れの中の道を進む。


その後、沢沿いの道となり、小さな滝をいくつも見ながら沢筋を登る。


鎖場やロープ場もあって、そこそこ歩き甲斐がある。


№4ポイントを通過。山頂までは№6まであった。


急に視界が開け、笹原が広がっている。


振り返ると、伊勢平野と伊勢湾が良く見える。


山頂までは、もう一息だが、この笹原の登りは結構キツイ。


もう一度振り返ると、伊勢平野の眺めがさらに素晴らしかった。下から登ってくる登山者の姿も豆粒のように見える。


山頂への分岐で北の頭という案内が見えたので、どんな場所か気になって少し寄り道してみる。北尾根コースから登ると、ここに着くらしい。


北の頭からは、鈴鹿セブンマウンテンの鎌ヶ岳(中央)、御在所岳(右)が良く見える。特に鎌ヶ岳は“鈴鹿のマッターホルン”と言われるだけあって、ひと際目立ちカッコいい山だ。


北の頭から反対方向を眺めると、入道ヶ岳山頂だ。平らな広い山頂に大きな鳥居が建っているのが見える。


北の頭から引き返し、入道ヶ岳山頂に向かう。


10:11。入道ヶ岳山頂906mに到着する。ここからの景色は素晴らしい。


大きな木がなく広い笹原は、暖かい日ならのんびりと寝転んで昼寝もできそうだ。ススキの原も広がっており、癒される山頂だ。ただ、この日は晴れてはいたものの、風が多少あり肌寒くなってきたので、少し休憩してから下山する。


下山は、二本松尾根コースに向かう。このコースは、ビギナー向けで小学生などが良く遠足でこのルートを登るそうだ。


二本松尾根コースで下山すると、しばらくはアセビの群落が見事だ。1962年(昭和37年)2月14日に、三重県指定の天然記念物に指定されているそうだ。




登山道の途中には避難小屋もある。


二本松尾根コースの終点。河原の先はキャンプ場だ。


反対から見たところ。二本松尾根コースの入り口だ。


再び椿大神社の境内に入る。もうお昼近くとなり、かなりの参拝客で賑わっていた。さすが、三重県では人気の神社だという事がわかる。賑わう参道を通って第3駐車場に戻る。第3駐車場は、入道ヶ岳登山者専用の駐車場で無料だ。


11:55。駐車場は、まだ多数の車で埋まっている。朝早くから登り始めたので登山者は少なかったが、今頃は、山頂は大賑わいだろう。


ほぼ3時間半で、鈴鹿セブンマウンテンの入道ヶ岳を無事制覇。残り3座も季節のいい時に早めに登ってみたくなった。

参考1.入道ヶ岳のコースマップ


参考2.入道ヶ岳の高低図とコースタイム

2019栗駒山ツアー:3日目平泉観光

2019-10-03 18:11:42 | 観光
8:30。ホテルを出て、すぐ隣にある毛越寺まで歩いていくことにする。平泉の世界遺産巡りの散策である。平泉には-仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群-として、以下の史跡で構成されている。中尊寺、毛越寺、観自在王院跡、無量光院跡、金鶏山。


毛越寺に行く途中には、観自在王院跡があり、広大な庭園を見ながら歩いていく。観自在王院は、奥州藤原氏二代基衡の妻が造営した寺院の遺跡だ。大小二棟の阿弥陀堂跡の前面に舞鶴池を中心にした浄土庭園が広がり、境内の背後には金鶏山が位置している。近世までに往時の堂塔をすべて失い、庭園も荒廃して後には水田化したが、遺跡発掘調査の成果に基づいて伽藍遺構と庭園の修復・整備が行われ、今日の姿になったそうだ。


しばらく進むと毛越寺の入り口だ。まだ、朝早いので人は少ない。


入り口から少し行くと右側に、松尾芭蕉の有名な句「夏草や兵共が夢の跡」の句碑がある。左の小さい碑が松尾芭蕉の真筆だという。ただ、かすれて文字は良く見えない。




こちらは、毛越寺の一番の見どころである浄土庭園だ。浄土庭園とは仏堂と苑池とが一体として配された庭園である。日本最古の作庭書「作庭記」の思想や技法を今に伝える貴重な庭園だという。


遣水。遣水とは、寝殿造りの庭園などで、外から水を引き入れてつくった流れだ。日本庭園の技法の一つで、平安時代の遺構としては唯一のものとして毛越寺に復元された。




毎年5月の第4日曜日には、「毛越寺曲水の宴」という行事が行われる。遣水の周りを舞台にして平安時代の宴を再現したもので、男性は狩衣、女性は袿や十二単などの衣裳を身につけ水辺に座り、遣水に盃を浮かべその流れに合わせて和歌を詠む優雅な遊びだ。


最後の本堂に寄る。毛越寺の中心となるお堂で、本尊は薬師如来。特に健康祈願・當病平癒にご利益があるそうだ。


毛越寺からホテルの方に戻り、反対方向に向かうと金鶏山登山口に着く。


登山口のすぐ脇には、源義経公妻子の墓がある。掲示板には、「源頼朝の威圧に依って藤原泰衡が高館に義経公を襲った。義経公は北の方と幼児を殺害し、自害したと伝えられる。時は平安時代の文治五年(西紀一一八九)閏四月三十日、三十一歳で最期を遂げられた。このお墓は、高館で悲しくも露と消えた妻子の墓と伝えられているが、元は千手院境内で、ここから約三百米程の西北金鶏山の山麓にあったが、ここに墓石を遷し供養を怠らない。」と記されている。


金鶏山山頂はそれほど高くないが、登山口からは7~8分かかる。急坂を喘ぎながら登っていくと草むらの中でカモシカがこちらを眺めていた。


金鶏山山頂に到着する。中尊寺と毛越寺の中間に位置する円錐型の小さな山だが、山頂には埋納した経塚(写真)があり「平泉を守るため黄金の鶏を埋めた」などの伝説があり、世界文化遺産登録では仏国土(浄土)を表す信仰の山として捉えられている。


金鶏山を下山してホテルに戻り、車を回収して中尊寺に向かう。参道(月見坂)はのっけから急坂だ。


月見坂を登る途中の中程右手に東物見台が見えて来る。その反対がわに小さなお堂があり、それが弁慶の木造が祀られている弁慶堂だ。


中尊寺と言ったら金色堂である。やはり最初に金色堂を見たいという事で拝観料を払って中に入る。みんな写真を撮っているのでこれがそうなのかと思ったが全然金色じゃない。この建物は、金色堂を保護するための金色堂覆堂だ。鉄筋コンクリート製の頑丈なもので、金色堂は更に覆堂内のガラスケースにて保護され、温度・湿度も調整・保存されているのだ。残念ながら金色堂は撮影禁止となっており写真を載せることが出来ないが、その金色の輝きはしっかり目に焼き付けてきた。たしかに野ざらしじゃ汚れてしまうし、盗難の危険もある。そして、金色堂の内部にある須弥壇には、藤原清衡、藤原基衡、藤原秀衡と3代のミイラ化した遺体と、藤原泰衡の首級が納められているそうだ。


金色堂の近くには、松尾芭蕉句碑「五月雨の 降残してや 光堂」がある。松尾芭蕉も金色堂を見に来たんだ。


松尾芭蕉の像。


最後に中尊寺本堂に寄っていく。


中尊寺の本堂は山内にある多数の寺院の中心となる建物だ。現在の建物は1337年に火事により焼失したものを明治42年に再建したものだという。ご本尊は阿弥陀如来で、本尊の両脇にある灯籠は「不滅の法灯」といわれ、宗祖伝教大師最澄が点して以来消えたことがない天台宗の象徴的な灯で、総本山延暦寺から分けたもの。


こうして、平泉の世界遺産を一通り見終わって一関駅に向かい帰路に着いた。今回初めて行ったところばかりだったが、栗駒山の紅葉は最高だったし、登米の明治村や平泉の世界遺産も行けて東北の旅を満喫することができた。

2019栗駒山ツアー:2日目厳美渓&毘沙門堂

2019-10-02 19:05:54 | 観光
栗駒山から下山し、この日の宿泊地となる平泉まで向かうが、その途中で厳美渓による。厳美渓(げんびけい)は、岩手県一関市にある磐井川中流の渓谷で、栗駒山を水源とする。全長は2キロあり、国の名勝及び天然記念物に指定されている。


奇岩、怪岩、深淵、甌穴に滝と、ダイナミックな景観が続いている。




景色もさることながら、厳美渓で一番面白いのは「空飛ぶだんご」だ。渓谷の休憩所と対岸のお店との間がワイヤーロープで繋がれており、籠に代金を入れ合図の板を叩くと、対岸の店の人がワイヤーを引っ張り、だんごと茶を提供してくれるというものである。まずは、籠の中にお金を入れ、合図の板をたたくと、お店の人がワイヤーを引っ張り始めた。


お店の方でだんごとお茶を籠に入れると、一気に籠が滑り降りてくる。


手元に届いたところで、だんごとお茶を受け取る。


厳美渓名物「郭公だんご」だ。ひと箱400円で3本入っている。


こちらは、休憩所でだんごが滑り降りてくるところを見守る人々。


「郭公だんご」を食べ終わり、厳美渓の周りを散策する。吊橋があって対岸にも渡れる。


この先の橋の向こう側で「空飛ぶだんご」が販売されている。


平泉に入ったところで、興味を引く建物があったので立ち寄る。「達谷窟毘沙門堂」といい、延暦20年(801年)、征夷大将軍・坂上田村麿公によって創建された御堂で、京都の清水寺をまねた懸崖造りで、窟堂としては日本一の規模だという。まずは、石造りの一之鳥居を潜る。


二之鳥居を潜る。


三之鳥居を潜る。


そして、これが岩壁の下にめり込んでいるかのような毘沙門堂だ。


毘沙門堂の中では、“最強の御札”として名高い護符「牛玉寳印」がいただける。貼れば「悪鬼を払い、福を招く」と言われているそうだ。


毘沙門堂の奥には、岩壁に刻まれた磨崖仏の岩面大仏がある。後三年の役の犠牲者を敵味方なく供養するために源義家が彫り付けたものと伝えられているそうだ。




大仏は、大日如来あるいは阿弥陀如来といわれ、高さ16.5m、顔の長さ3.6m、肩幅9.9mにもなる巨大な仏像だったが、1896年(明治29年)に胸から下が崩落して顔のみが残っているだけだ。そのため現在は、岩面大仏と呼ばれている。


毘沙門堂の金堂。


毘沙門堂を見学し終えると、いい時間となり、平泉の毛越寺近くのホテルに到着し宿泊する。

「2019栗駒山ツアー:3日目平泉観光」に続く。

2019栗駒山ツアー:2日目栗駒山登山

2019-10-01 18:35:21 | 山登り
8時前、ホテルの駐車場から栗駒山山頂を見ると、かなり赤く色づいているようだ。これは期待が持てそうだと、喜び勇んで車を走らせた。


10分ほど車を走らせると、係員に車を止めさせられ臨時駐車場まで誘導される。本当は、もっと上のイワカガミ平まで行けるのだが、午前6時で既に満車となっていたそうで、後続の車は全て臨時駐車場に止めさせられることになった。臨時駐車場からはシャトルバスでイワカガミ平まで運んでくれる。


8:16。イワカガミ平から東栗駒コースで登っていくことにした。前半は水で掘られた大きな岩や段差がある視界の良くない低木帯から始まるが、沢を遡行し、東栗駒山の稜線に出ると視界が開け、後半は雄大な栗駒山の山容を眺めながら気持ちよい稜線歩きを楽しめるコースだ。


はしごやロープの険しい道が続く。




次第に赤や黄色に色付いた木々が出てくる。




9:28。沢に出た。渡渉のコースになると聞いていたが、この時はほとんど水が流れていなかった。


大きな岩の上を登っていく。本当ならこの辺りにも水が流れていたのかもしれない。


稜線に出ると、大きな栗駒山が目の前に飛び込んできた。


見渡す限り、素晴らしい紅葉の絨毯が敷き詰められている。まさに“神の絨毯”と呼ばれるだけあって、こんな景色は今まで見たことがない。


東栗駒山山頂から見た景色。


さらに大きな岩山を越えていく。


赤が鮮やかで、見ごたえがある紅葉だ。


栗駒山山頂へと続く登山道は、アリの行列のように人の列が続いている。




山頂直下まで来ると渋滞である。


11:08。栗駒山山頂1627mに到着する。山頂周辺は凄い賑わいだ。


宿で会った人から栗駒山山頂から少し下ったところにある天狗平まで行くともっと素晴らしい紅葉が見られると聞いていたので、天狗平方面まで進む。逆方向からも大勢の登山者がやってくる。


こちらのコースは、火山活動が作り上げた特異な地形があり、噴火口跡の昭和湖、西に鳥海山と北に焼石連峰などを望む展望の良い稜線歩きができる。


どこまで行っても飽きることのない景色だ。やはり栗駒山の紅葉は日本一と言われるのは嘘じゃない。こんなにも鮮やかで美しいとは思いもよらなかった。




天狗岩まで行って戻り、栗駒山山頂からは中央コースで下山する。


中央コースは、道幅が広く石畳等でしっかり整備されていて危険箇所が少ないため、登山初心者、低年齢の児童、小学校の集団登山や行楽客にもよく利用されるという。雄大な斜面の中に敷き詰められた神の絨毯の上を歩いていく気分だ。


途中でも景色に見とれて休憩している人が多い。


石畳の上を歩くのは膝に応えるから、本当は土の上を歩くほうがいい。


13:16。イワカガミ平に到着する。駐車場はまだ、バスやマイカーで一杯だ。


すぐにシャトルバスが来たので、乗り込んで臨時駐車場に向かう。


ずっと前から行きたかった栗駒山の紅葉登山。前評判通り、一度見たら忘れられないという素晴らしい紅葉だった。ブナやミズナラ、カエデなどの落葉広葉樹林が多く山全体が色づくと、赤、オレンジ、黄色、緑の美しいグラデーションが見渡す限りに広がる様は圧巻だった。

参考1.栗駒山のコースマップ


参考2.栗駒山の高低図とコースタイム


「2019栗駒山ツアー:2日目厳美渓&毘沙門堂」に続く。