とっちーの「終わりなき旅」

出歩くことが好きで、趣味のマラソン、登山、スキーなどの話を中心にきままな呟きを載せられたらいいな。

森高千里「この街」TOUR 2019 @裾野市民文化センター

2019-04-28 10:34:05 | コンサート


本当に久しぶりに、コンサートに行ってきた。誰のかというと、森高千里だ。ずっと前から行きたかったけど、全国ツアーはなんと21年ぶりというから、地方に住んでいるとこんなチャンスを逃すともういける機会はない。コンサート情報のメールを見ていたら、森高の名前が目の前に飛び込んできて、会場は裾野市。これなら行けるとためらわずにチケット申し込みを済ませて無事ゲットし、この日を待ちわびていた。

暖かい日が続いていたのに、当日の浜松の天気は、風が強く寒い。高速道路を下りて裾野市に入ると地面は濡れていて結構雨が降っていたらしい。雲がまだ残っていたものの富士山も見え、雨上がりのいい天気になっていた。森高は、晴れ女というが、自分も晴れ男を自任しているので、幸先いいスタートとなった。

会場に着くと、駐車場はほぼ満車。何とか臨時駐車場には止めることができ、ぎりぎりで席に着く。定刻の17:30。BGMが止まり、スポットライトがステージを照らすと、M字の階段の最上部から森高千里が登場した。一気に会場のボルテージが上がり、みんな総立ちだ。曲は、デビュー曲の「NEW SEASON」。DVDなどで最近の映像も見ていたが、相変わらず、膝上15センチのミニスカがよく似合うカッコよくて、チャーミングで素敵な女性だ。今年で50歳になるというが、その年齢を感じさせない姿にくぎ付けとなった。

今回のツアーは、21年ぶりという事もあり、初めてコンサートに来るファンのためにも、誰でも知っている曲ばかりを集めたベスト盤のライブになるという事だった。やっぱりこの曲は、生で聞きたいという曲が期待通りに次から次へと出てきた。嬉しくて、ほとんど席に座る時間もなかったくらいだ。

「ロックンロール県庁所在地」は、やはりギターを抱えて登場。この曲で、県庁所在地を覚えた人も数多くいるはずだ。「勉強の歌」では、みんなから“勉強”、“勉強”という掛け声が上がっていた。小学生にもうけそうな詩を、さらっと歌あげているところが個性的で、単なるアイドル歌手でないところが森高の魅力でもある。

そして、93年ANAの沖縄キャンペーンソングにもなった「私の夏」。このCMと曲を聴いて沖縄に行きたくなったことを今でもよく覚えている。MCのあと、「風に吹かれて」「ストレス」と続く。「ストレス」はお約束のウエイトレス姿にステージ上であっという間に変身。衣装を曲に合わせて変えているのが素晴らしい。しかも、ステージの奥に引っ込まずに休む間もなくステージ上で衣装替えとは凄い。

「17才」は、森高ワールド全開のアレンジで当時の振り付けもそのままで、会場はノリノリになっていた。南沙織の「17才」も好きだけど、森高千里の「17才」も忘れ難い名曲といっていいだろう。そして、森高と言えばだれもが知っている「私がオバさんになっても」が始まった。誰にもオバさんとは言わせない強烈な主張が込められているかのような歌いっぷりに、誰もが納得したのではないだろうか。会場には、スポーツ報知の記事が張り出され、“森高千里オバさんにならない 50歳ひざ上15センチミニスカ”という見出しがしっかり出ていた。


「雨」をしっとり歌い上げた後は、「ララサンシャイン」で観客たちに元気を与えてくれた。「渡良瀬橋」の間奏に入るリコーダーの音色は、いつまでも耳に残る。彼女は、音楽的センスが秀でていて、どんな楽器も見事に演奏できるというのがまた素晴らしい。全く楽器を弾ける人は尊敬に値する。

「気分爽快」では、開始前に振り付けの案内があって、観客全員で手を振り振りしながら曲を盛り上げた。この曲を聴くと、生ビールを飲みたくなるんだなあ。

「テリヤキバーガー」が終わると、予定の曲が全部終了したという事で初めてステージの奥に消えた。もちろんこれで終わりというわけではない。“千里コール”が鳴り響く中、アンコールに応えたのは、「この街」だ。ツアータイトルにもなっている曲だから、これを聞かなければ終われない。曲間のセリフは、地元ネタでファンサービスだ。全国ツアーともなると、事前に地元ネタを仕入れに、観光地を回ったり美味しいものを食べに行くのがアーティストにとっても楽しみなんだろう。観光地で会ったファンが偶然にも会場に来ていたり、ケータリングで食べた豆腐を作った豆腐屋さんが会場にも来ていたりと、森高は大いに喜んでいた。

「この街」のあと、もう1回のアンコールに応えてくれ、最後の曲「コンサートの夜」でホントにコンサートは終わった。全19曲を、ほとんど休みなく歌い続け、あっという間に2時間ほどのコンサートが終わってしまった。長いコンサートだと3時間くらいになることもあり2時間では短いような気がするが、聞きたい曲をすべて網羅した密度の高いコンサートであった。

【セットリスト】
01.NEW SEASON
02.ミーハー
MC
03.ロックンロール県庁所在地
04.勉強の歌
05.私の夏
MC
06.風に吹かれて
07.ストレス
08.17才
MC
09.私がオバさんになっても
10.雨
11.ララ サンシャイン
MC
12.渡良瀬橋
13.二人は恋人
14.臭いものにはフタをしろ!
MC バンドメンバー紹介
15.気分爽快
16.GET SMILE
17.テリヤキバーガー
アンコール MC
18.この街
ダブルアンコール
19.コンサートの夜

2019賤ケ岳登山&MIHO MUSEUM

2019-04-23 22:59:24 | 観光
天女の羽衣伝説マラソンの翌日、旧国民宿舎余呉荘の近くの登山口から賤ケ岳(しずがたけ)に登る。


賤ケ岳は、天女の羽衣伝説マラソンの翌日には何度か登っていたが、今回は久しぶりだ。マラソンで疲れた足のリハビリがてら山歩きをするのは、意外といいものだ。


30分ほどで山頂に到着する。賤ヶ岳は滋賀県長浜市にある標高421 mの山で、琵琶湖と余呉湖の間にあり、山域の周辺は琵琶湖国定公園に指定されている。こちら側に見えるのが琵琶湖だ。


そして反対側に見えるのが余呉湖。前日は、この余呉湖の周りを何周も走っていたのだ。


賤ケ岳といえば、歴史通の人ならすぐわかるはずだが、“賤ヶ岳の戦い”が有名だ。天正11年4月(旧暦なので新暦では6月となる)、賤ヶ岳付近で起きた羽柴秀吉と柴田勝家の戦いである。この戦いは織田勢力を二分する激しいものとなり、これに勝利した秀吉は亡き織田信長が築き上げた権力と体制を継承し天下人への第一歩がひらかれた。山頂には、当時の合戦図が建っている。ただ、実際の合戦は、余呉湖周辺で行われたため、山頂で戦が行われたわけではないようだ。


因みに、“賤ヶ岳の七本槍”と呼ばれる秀吉方で功名をあげた7人の武将は脇坂安治、片桐且元、平野長泰、福島正則、加藤清正、糟屋武則、加藤嘉明である。そして、滋賀には、賤ヶ岳の七英雄を名前の由来とした銘酒「七本鎗」がある。

賤ケ岳を下山してから余呉湖観光館に寄ると、たまたま観光ガイドの人がいて“賤ケ岳の戦い”のお話を詳しく聞かせてもらうことができた。後はそのまま帰ってもよかったのだが、Hさんから“MIHO MUSEUM”に行きたいという話が出て、はてそんな名前は聞いたことがなく、どんな場所ですかと聞いてみたのだが、「簡単に説明することはできないが、とにかく行ってみれば凄い場所だというのがわかる」という話を信じて、帰り道とは反対方向に向かって車を走らせた。

余呉湖から西へ90キロほど走り、滋賀県の設楽の山の中に着いた。MIHO MUSEUMまでは、まだ1キロほど手前だったが、臨時駐車場に誘導されてしまう。臨時駐車場に着くと、既に駐車場は、8割方埋まっていた。全く何もない山の中に、車がこれほど止まっていたのにはびっくりだ。関西周辺では人気の場所なのだろう。しばらくすると、MIHO MUSEUM行きの大型シャトルバスが到着し、それに乗ることになった。次から次へと車が入ってくるのでバスはすぐに満員になってしまった。

MIHO MUSEUMは、神慈秀明会という宗教団体の美術品コレクションを展示するために建設された美術館だという。宗教が関わっていると聞くと怪しげな雰囲気を感じてしまうが、実際中に入ってみた感じは、そんなことはなく安心して美術鑑賞をできる場所だった。

駐車場から歩いて行くと、まずレセプション棟がある。そこで、美術館のチケットを購入するのだが、美術館まではさらに500mくらいあり、お年寄りなどは歩いていくのが大変だ。しかし、美術館へと続く桜並木にまず、圧倒された。


お花見はもう終わりかと思っていたのが、こんな山奥で平成最後のお花見ができて大満足である。大勢の人が、カメラを出して写真撮りまくりである。




桜に囲まれた道を抜けるとトンネルがある。トンネルの内部はなんとステンレスで覆われており、照明の淡い光が反射して幻想的な空間を演出している。それにしても贅沢な構造物だ。かなりの建設費用が掛かっているのだろう。


トンネルを抜けると美術館まで橋がかかっている。このトンネルや橋のデザインは、桃源郷をイメージして設計されているそうだ。


ガラスの屋根で覆われた建物が美術館の入り口だ。ここからが有料なので、桜並木だけを見るのは無料というわけだ。この美術館の建物は、自然の景観を損ねないよう、主要な施設はほとんど地下に隠れているということでどんな形なのかははっきりイメージできないのだが、設計者は、世界的に有名な超大物建築家 I・M・ペイ(イオ・ミン・ペイ)だという。ルーブル美術館のピラミッドを設計した人、と聞けばそのすごさが分かる。


1階のエントランスホールから見える窓からの景色は、まるで屏風絵をみているかのような見事さだ。ついつい景色に見とれてしまった。


さて、館内は、紀元前エジプトやインダス、メソポタミア、中国などの美術品が膨大に展示されている。すべて写真撮影禁止となっているので、公開することはできないが、歴史図鑑で見たことあるような貴重品が数多くあり、滋賀の山奥の宗教団体の施設になぜこんなものが保有されているのかと複雑な気分にもなった。

唯一写真を撮れたのは、南館の通路から下を覗くと床に展示されていた「ディオニュソス・モザイク」だ。このモザイクは、中央の 「ディオニュソス」 (ギリシア神話の酒神バッカス) がナクソス島でアリアドネを発見する場面を描いた部分と、周辺の幾何学文様、ギリシャ・ローマ世界の神々や、神話的世界を描いて構成されているという。


美術館内は広く、さすがにマラソンと山登りの疲れが出て、ゆっくり回るのもエラくなってきて、そこそこにして美術館を出る。帰り道、トンネルから枝垂れ桜を眺めるのがまた一段といい。


最後も、しっかりお花見をしてMIHO MUSEUMを出る。


MIHO MUSEUMはHさんの言う通り、簡単には説明できないけど確かにすごい場所だった。展示されている作品が世界中の貴重な作品ばかりで、どれだけの財力を持って集めたのだろうかという驚きが大きかった。ただ、帰りはどっと疲れて眠くなり、運転を交代してもらう羽目になってしまった。

2019天女の羽衣伝説マラソン

2019-04-22 22:45:57 | マラソン
今年も滋賀県の余呉湖を10周する「天女の羽衣伝説マラソン」に参加してきた。2011年から参加しているから今回で9回目だ。1周7キロほどの余呉湖を10回も回るとなると、後半の余力は残っていなかった。今年は特にきつく感じ、カメラで写真を撮る余裕もほとんどなかったが、最後の10周目だけでもと思いコースの様子を写真に撮って回った。

10周目のタスキをかけて、余呉川沿いの道を走りだす。桜は大分散ってしまってはいるが、菜の花はきれいに咲いている。


1昨年、台風になぎ倒されてしまった天女の衣かけ柳。昨年よりは大分、枝が伸びてきている。


余呉湖の西側にある施設の枝垂れ桜。これは見事に満開だ。


コースの半分くらいの地点。葉が出てきてはいるが、風が吹くと葉桜が舞い、いい雰囲気だった。




東岸の方は、桜がかなり散ってしまっている。


幟旗とテントがたっているところがゴールだ。今年も、制限時間内にゴールすることができ、通算90周となった。


後夜祭では、3回目の参加者に恒例のTシャツプレゼントがあり、Tシャツを着た全員で記念写真を撮る。今年の色もいい感じだ。


一緒に行った仲間たちとも記念写真を撮り、後夜祭を楽しんだ。


二次会の抽選で当たったのは、近江牛ビーフカレー。この大会は、常連が集まり同窓会みたいな雰囲気が楽しい。来年完走できれば、永久欠番とビッグなプレゼントもあるというから、まだまだ、ランを続けていかなければという気持ちが高まった。

2019兜岳・鎧岳

2019-04-08 19:01:48 | 山登り
奈良県の曽爾村は、曽爾高原のススキが有名で、倶留尊山とセットで何年か前に行ったことがあり、その後も住塚山・国見山に登ったこともあり、何度か来ていたのだが、車の運転中に見えたとんがりコーンのような山がずっと気になっていた。調べてみると、とんがりコーンのような山は鎧岳といい、その隣にある兜岳とセットで登る人が多いことが分かった。以来、2回ほどこの山に登ろうと計画したのだが、悪天候で流れてしまい、今回3度目の正直で登ることができた。

車を止めたところから見えた鎧岳(右)と兜岳(左)。改めて眺めてみても、鎧岳の姿に圧倒される。


今回のメンバーは全部で5人。まずは兜岳から登ることにして、車道を歩き始める。沿道の桜が満開で、春のポカポカ陽気の気持ち良い歩きはじめとなった。


東海自然歩道の標識がある入り口を通り過ぎてしまったので、急いで戻る。


その後、再び車道に入るが、通行止めの看板が出てくる。路肩決壊という事だったが、人間は通れそうなのでそのまま進む。


ガードレールの下に見えたのは、長走の滝(高さ30m)。この緩やかな滝には、井上木曽に射られた大蛇が怒って今井の方面へ長く縦に走ったという伝説が残っているそうだ。


ここが道路決壊の場所。激しく崩れガードレールが宙に浮いている。


当初は、兜岳の登山口に直行するつもりだったが、途中に済浄坊の滝の案内版があり、みんな行ってみたいというので少し寄り道していく。この滝は、住塚山・国見山の帰りに寄ったことがあるので自分は知っていたが、他の人は初めてのようだったので付き合うことにした。滝つぼの水は、エネラルドグリーンに輝き美しかったが、以前見た時より水量が少なく、豪快さが見られなかったことが残念だった。


済浄坊の滝(高さ27m、幅6m)は昔、この滝に済浄坊という仏寺があって、修験者がこの滝で行水して身を清め、水煙大不動明王の霊を仰いだと言われている。


済浄坊の滝からもと来た道を戻り、兜岳の登山道に入る。登山道には倒木が多く、岩肌が剥き出しになるほど根こそぎ倒れている樹木もあった。


兜岳は、麓で見たときは女性的でなだらかなイメージがあったが、実際登ってみるとかなり険しい登山道だ。ロープがなければ登れないような道がずっと続き、四つ足で這いつくばるように登っていく。




11:45。兜岳山頂920mに到着する。兜岳(別称女岳)は、鎧岳のすぐ西側にあり、鍬形の兜のような山容から名付けられたという。


山頂からは、倶留曽山(左端のピーク)とススキの原で有名な曽爾高原が見える。


鎧岳を横から眺めると、横に長く全く違う山にしか見えない。


兜岳からいったん下って鎧岳に登り返す。鎧岳の登りは兜岳の登りに比べればらくちんなものだ。正面から見たイメージと実際登ってみた感じではだいぶ違っていた。13:40。鎧岳山頂894mに到着する。鎧岳(別称雄岳)は、あたかも天を摩す鎧を着たような雄々しい岩山であることから名付けられているそうだ。


山頂より少し下ったところには進入禁止の看板がある。この先には、正面から見た山容の通りの垂直の絶壁が控えているのだろう。少し、進入禁止の先まで歩いて行ってみたが、かなり厳しい下り坂が見えていたので、君子危うきには近寄らずとばかりに、早々に引き返した。


鎧岳からは、ひたすら下っていく。危険な道もほとんどなく、思ったよりあっけない登山だった。後は車道を進むだけだ。


麓までだいぶ下ったところから鎧岳を振り返る。ここから見るとやはり凄い山だというのが良くわかる。


桜越しに眺める鎧岳はなかなか絵になる。


もう少し下ったところからは、鎧岳の全体の輪郭が良く見える。


鎧岳は、曽爾村のシンボルといってもいいだろう。


一面、スイセン畑となっている場所にはビックリ。


駐車場に戻って振り返り、もう一度鎧岳を眺める。この地域を守るために立っている衛兵のような存在なのかもしれない。


その後、曽爾村のお亀の湯に寄ってさっぱりして帰る。お亀の湯の名前の由来は曽爾高原の「亀山」と、美人伝説にあるひょうたん型の「お亀池」から名づけられた。泉質はナトリウムー炭酸水素塩温泉で、お肌が「ぬるぬる、しっとりする」する美人の湯だ。露天風呂からは「鎧岳」「兜岳」が良く見える。

参考1.兜岳・鎧岳のコースマップ


参考2.兜岳・鎧岳の高低図

2019南房総みちくさウルトラマラソンツアー:3日目鋸山観光

2019-04-03 07:04:41 | 観光
民宿の前から見えた野島崎灯台と日の出。前日と打って変わりいい天気となった。


あまりにもいい天気となったので、朝食前の散歩という事で全員で野島崎灯台の周りまで行くことになった。灯台前の浜からは打ち寄せる波と岩礁の景観が素晴らしい。


野島崎は、房総半島の最南端という事で、朝日も見えれば夕日も見えるという絶景ポイントでもある。


野島崎灯台は、「白鳥の灯台」とも呼ばれ、日本最初の洋式8灯台のひとつだという。白亜の灯台は美しく、「房総半島最南端の碑」も入れて記念写真だ。


民宿に戻り朝食を済ませて帰ることにした。


1時間ほどで鋸山ロープウェイ乗り場に着く。9時始発のロープウェイに乗って鋸山山頂に向かう。


鋸山山頂部は、日本寺の境内となっており、石段が至る所にあって足腰に自信がないと気軽には上り下りができない。


まず向かったのが、百尺観音。世界戦争戦死病没殉難者供養と交通犠牲者供養のために発願され、昭和35年から6年の歳月をかけて昭和41年にかつての石切場跡に彫刻して完成した巨大な磨崖仏で、高さ100尺(約30m)というのが、その名の由来である。航海、航空、陸上交通の安全を守る本尊として崇められている。


回りは石切り場だったという事もあり、垂直に切り立った石の壁で覆われている。まさに見上げるばかりの高さだ、


次に向かったのは、断崖が垂直に切り立つ「地獄のぞき」だ。


下を覗き込むと、地獄に吸い寄せられそうな高さを感じる。


地獄覗きの上から手を振ると、自分の影が岩肌に映っていた。


地獄覗きからは東京湾の玄関口となる浦賀水道もよく見える。一日あたり700隻もの船が往来している世界有数の海上交通路である。後方には大きな富士山もばっちり見える。


反対側の崖の上からも仲間の一人が、断崖の上にいる我々を撮ってくれた。


そして、こちらが鋸山山頂329.4mだ。山は凝灰岩から成り、建築などの資材として適している。そのため古くは房州石と呼ばれ、良質石材の産地として、江戸時代から盛んに採石が行われた。その結果、露出した山肌の岩が鋸の歯状に見えることからこの名で呼ばれるようになったという。


鋸山山頂と日本寺大仏を結ぶ日本寺境内のメインルートに配された羅漢群(石仏群)。西国観音、百躰観音など、山頂から大仏広場までのいたるところに石仏を見かける。これが「東海千五百羅漢」と呼ばれる江戸時代後期に奉納された石仏群。




鋸山の南斜面にある日本寺は、聖武天皇の勅詔をうけ、西暦725年高僧行基菩薩によって開かれた関東最古の勅願所だ。10万坪余りの境内には、日本一の大仏(薬師瑠璃光如来)が鎮座している。「薬師瑠璃光如来」は総高31.05m・御丈21.3mという事で、鎌倉高徳院の阿弥陀如来は総高13.35m・御丈11.312m、奈良東大寺の盧舎那大仏は総高18.18m・御丈14.85mなので、鎌倉の大仏の2倍以上にもなる。まさにスケールが違う大きさだ。




お願い地蔵尊。大仏広場に安置され、様々な願いを込められた小さなお地蔵様に取り囲まれている。


清めスポットだという不動滝。わずかな水がちょろちょろと滴り落ちている。


日本寺は鋸山の山頂からはかなり下ったところにある。山頂のロープウェイ駅からは大分下ってきてしまったので戻るのも一苦労だ。なんとか山頂駅に着き、乗り場にあったポスターを見ていたら東京湾フェリーのポスターが目を惹いた。房総半島に入るとき、アクアラインの大渋滞に嵌ったのが頭にあり、帰りはフェリーで行くのもどうだろうかと、みんなで相談した結果、フェリー乗り場がすぐ近くにあることと、出航時間もギリギリ間に合うというとの事で、鋸山ロープウェイ乗り場のすぐ近くにある金谷港に向かう。

フェリー乗り場には、順調に着くことができ無事乗船する。このフェリーは東京湾フェリーといい、東京湾を横断して、神奈川県横須賀市久里浜と千葉県富津市金谷までを結ぶ航路だ。帰りは、フェリーの中で休憩できるので運転手もありがたい。その後の帰路も大した渋滞もなく帰ることができた。房総半島に行く場合は、東京湾フェリーに乗るのがお勧めかもしれない。

2019南房総みちくさウルトラマラソンツアー:2日目マラソン後半

2019-04-02 18:51:09 | マラソン
波打ち際には黒いものが一杯見えたので、鳥かなあと思ったのだが、近づいてみるとサーファーたちだった。この辺りの海岸も、サーフィンの好スポットのようだ。


鴨川市シーワールド前を通過する。名前だけはよく知っていたが、ここにあったんだと納得。


前川海岸のエイドでは、レモネードやマドレーヌが提供された。エイドごとに特徴あるものが出されるので、立ち寄るのがどこも楽しみだ。


そして、エイドの前ではココナッツガールのフラ&ポリネシアンショーが行われていた。大人のショーは色っぽいが、少女のフラは可愛らしい。




再び海岸線沿いを走る。


浜茶屋太海のエイドでは、揚げたてのおさしみ唐揚が提供された。


揚げたてだからあつあつでめちゃ美味しい。たまらず目の前で売っていたビールを買って、おつまみ代わりにする。


波打ち際では、漁師たちが何やら海藻みたいなものを一生懸命採っている。


何かと聞くと、“ヒジキ”だという。見慣れたヒジキとは見かけが違うのですぐにわからなかった。収穫したヒジキは、水に浸してから、何時間も茹でるそうだ。やがて緑色に変わるが、さらに茹でて乾燥させると、見覚えのある黒いヒジキになるそうだ。


線路沿いの菜の花と花桃を見ながら走る。


鴨川オーシャンパークでは、昆布ご飯のおにぎりと漬物だ。


その後、しばらく走っていると急激に空が暗くなり、一気に雨が降り出した。カッパを着ていても嫌になるほどの土砂降りだ。慌てて屋根のある建物の下で5分ほど雨宿りする。しばらくすると小雨になったので再び走り出す。カッパを持っていないランナーは、びしょぬれになって震えている人もいた。ウルトラは、どんな天気になっても対応できるような装備を準備しておかなければならない。

道の駅和田浦WA・O!では、鯨の一口カツが出ていた。今時鯨とは貴重な食材だ。


雨は止んだものの、雲は厚く垂れこめ、あいかわらず肌寒い。


和田白渚海岸。白い波しぶきが上がり美しい海岸が続いている。ここも、絶好のサーフポイントとして知られているそうだ。


道の駅ローズマリー公園では、レンコン、赤ダイコン、みょうが、菜の花、シイタケを具にした野菜寿司がでていた。ひとつひとつ握るのも大変なことだ。


南千倉児童遊園では、寒天ゼリーや蒸しパン、そして、沖縄名物サーターアンダギーまで出ていたのはびっくりだ。




またもや海岸線近くを走る。ごつごつした岩の大地が広がっている。


道の駅ちくら潮風王国では、桜おにぎりなどが出ていたが、さすがにもう食べられないので、口当たりのいいブルーベリーヨーグルトをいただく。


残り5キロくらいとなり、遠くに灯台らしきものが見え始めていた。


南房総の千倉には多くの花畑があり、春になると色とりどりの花を観賞したり摘んだりすることができる。コース沿いにもきれいな花畑があり見る者を楽しませてくれる。特に海を見ながら花摘みができるというのはなかなかいい。




そして、最後のエイドは、イチゴがのっかったアイスクリームだ。まさか、マラソンのエイドでアイスが出るなんて大感激だ。気温が低い日だったが、アイスだけは食べることができる。ベンチに腰を下ろして、全部食べ終わると気分一新だ。後はひたすらゴールを目指す。


野島崎灯台の遊歩道に入る。残り1キロもない。


房総半島最南端の碑を横目に眺めて進む。


灯台が見えた。ゴールはあのあたりか?


灯台の周りをぐるっと回り、公園の広場の中にゴールがあった。11時間台で無事ゴールして南房総みちくさウルトラマラソンを無事完走することができた。


ゴール後にもらった完走証明証。ここに書いてあるように、フラットで楽なコースだと聞いて確かにこの大会を選んだ。でも前半は、結構アップダウンがあって全然フラットじゃなかった。しかも、灯台が見えてもなかなかゴールにたどり着けないもどかしさ。見事、主催者の目論見にしてやられたと、完走証をみて笑いが込み上げてきた。


その後、宿に向かう。最終的に全員無事完走できたとのことでホッとする。

「2019南房総みちくさウルトラマラソンツアー:3日目鋸山観光」に続く。

2019南房総みちくさウルトラマラソンツアー:2日目マラソン前半

2019-04-01 18:46:08 | マラソン
2日目の朝は3時半に起床する。急いでマラソンの支度をして朝食をパクつく。ホテルのロビーで受付を済ませると、まわりはランナーでごった返していた。とりあえず、スタート前の記念写真を撮る。


スタート10分前。ホテル三日月の玄関先で開会の挨拶があった。


ジャスト5時。いよいよ南房総みちくさウルトラマラソンのスタートだ。我々のメンバーは、全員75キロにエントリーする。100キロに出るとエイドを楽しめないし、14時間の制限時間はきつすぎるからだ。ただし、75キロも14時間以内なので、完走はまずできるだろうと踏んでいる。


ホテル三日月の看板横を通り過ぎる。


5:40。八幡岬に到着する。お万の方(家康の側室/水戸光圀の祖母)と呼ばれている養珠夫人の像の前で記念撮影。


前方に見える崖は、「お万の布さら」と呼ばれている崖。小さく見えるのは、大正6年(1917年)に建設された勝浦灯台だ。


辺りも明るくなり1時間ほど走ると、なんだか見覚えのある建物が見えてきた。それは、スタート地点の勝浦ホテル三日月だった。


細い道に入ると、トンネルに入っていく。ほかにもいくつか手掘りのトンネルもあり、いったいどんなところに向かうのだろうかと思った。


行きついたところは、鵜原理想郷と呼ばれるリアス式海岸が続く明神岬だ。大正初期にここを別荘地とする計画があり、「理想郷」と呼ばれるようになったといい、天才歌人与謝野晶子らも愛した場所だという。岬の先端にある手弱女平(ておやめだいら)まで行く。岩がむき出しになっているので滑らないように気を付ける。


手弱女平の鐘を鳴らして折り返す。


海側の崖は、断崖絶壁となっており、なかなかの景観だ。


手弱女平からしばらく行くとエイドがあり、なにやらランナーでごったがえしている。


お餅にきな粉をかけたものを、一皿ずつ地元の方が出してくれていた。珍しいお餅で、鮑訪腸というそうだ。


鮑腸餅は、小麦粉をそのまま練ったものとヨモギを入れて練ったものを重ねてのばし、短冊形に切った後にゆでてつくる。できあがった姿がアワビの腸に似ていることから、この名がついた。鵜原地域伝統の練り菓子だという。


海岸沿いをしばらく走る。


次のエイドでも、ヒジキ入りの卵焼き、きゅうりの漬物、イチゴ牛乳寒天など、おいしそうな食べ物が一杯だ。


おせんころがしの入り口のエイドでは、淹れたてのコーヒーがふるまわれた。寒い日だったので暖かいコーヒーがありがたい。


おせんころがしとは、勝浦市の南西にある断層崖のことだ。昔,孝女おせんが嵐の夜に母の薬を求めて出かけたところ,誤って小道を踏みはずし,海に転げ落ちて死んだという伝説が地名の由来だ。かつては交通の難所として知られたという。


鴨川ホテル三日月のエイドでは、揚げたてのフライドチキンが配られた。


鴨川は観光地という事で、ホテルやお店が目立つ。


鴨川市の内浦から小湊へ抜ける『実入トンネル』には、全長233メートルにわたって、トンネルの壁に海中の魚たちの絵や鴨川市の海の絵が描かれている。通称トンネル水族館だ。


天津神明宮の入り口で、仲間のメンバーと出会う。


天津神明宮は800年以上の歴史を誇る鴨川市の由緒正しい神社で、千葉県の中でも非常にご利益の高いパワースポットとして人気が高まっている神社だという。


パワースポットの神社内のエイドでふるまわれていたのは、みのりファームさん提供の卵かけご飯(TKG)だ。サラダもあって、腰かけてゆっくり食べたいエイドだ。


みのりファームさんの卵は、黄味の色が鮮やかでふっくらとしており、弾力もある。たまごかけご飯にすると見た目にも食欲をそそり、しかも美味しい。


次のエイドも卵料理だ。一つ一つ卵を割ってフライパンでオムレツを作ってくれている。


ケチャップをつけてさっそくオムレツをいただく。


30キロ地点で折り返しだ。気合を込めてコーンを回っていく。


「2019南房総みちくさウルトラマラソンツアー:2日目マラソン後半」に続く。