とっちーの「終わりなき旅」

出歩くことが好きで、趣味のマラソン、登山、スキーなどの話を中心にきままな呟きを載せられたらいいな。

2022沖永良部島うとぅるしゃマラソンツアー:4日目観光

2022-11-29 19:20:23 | 観光
沖永良部島の主な観光スポットは行ったが、まだ行ってない場所を探して、島をぐるぐると回る。朝一で向かったのは、ウジジ浜公園だ。波によって削られた様々な形状の石灰岩が配置されている様は天然のオブジェだ。奇岩群は見る角度によって動物や植物のようにも見え、ここから拝む朝日が素晴らしいと言うが、少し遅かった。しかし、海面に映る光の帯が太陽に続く道のように見える。


1890年(明治23年)9月22日、カナダ帆船「リージCトゥループ号」が長崎からの帰路時に台風に遭遇しウジジ浜沖で大破したが、島民の必死の救助活動で乗組員22名中10名が救助された。この事故より2年後、カナダ政府から島民宛てに救助と看護に対する謝礼が贈られ、浜にはこれを記念した帆船型モニュメントが設置されている。


次に「ジョッキヌホー(瀬利覚の川)」という湧水地に向かう。沖永良部島は、島全体が隆起珊瑚礁で生成されており、水資源の確保が困難な環境のなか、集落の中心に位置するこの湧水は生命の源として集落民の生活を支えてきた。現在も昔と変わらずに集落のシンボルとして崇拝を受け、農業用水、洗濯、野菜洗い、子供たちの遊び場など地域コミュニティの場となっているという。


水の流れ出している方に向かうと、ちょうど地元の人が洗濯の真っ最中だった。


更に奥には、水神様が祀られ、水路の中を覗くと水がこんこんと流れ出していた。


次に行ったのは、住吉高倉。マラソンのエイドもあったところだ。これも9本柱の高倉(穀物倉庫)で町の文化財になっている。少しお腹がすいてきたので、マラソンのスタッフから朝一でもらったバナナを食べる。


住吉高倉の裏手にあるのが、住吉暗川(クラゴー)の入り口だ。


暗川とは,地下河川を伴う石灰岩洞穴のことだ。暗川が鍾乳洞や単なる石灰岩洞穴と根本的に異なる点は,水を得る水源地として利用されるだけでなく,地域の人々の社交の場としても利用され、そこを中心とした地域コミュニティが形成されていることだという。急坂を下っていくと、大きく口を広げた洞窟が見えてくる。


最深部まで下りていくと、きれいな水が流れている。




次の場所に移動する途中で、西郷隆盛上陸の地にもう一度寄っていく。


ワンジョビーチにも再び寄る。観光案内板を見ながら次はどこにしようかなどとも相談する。


マラソンの時は、浜までには行かなかったが、砂浜に下りてワンジョビーチからの海の眺めを楽しむ。白い砂浜と珊瑚礁の間に見える海の色が忘れられない。




マラソンコースから外れていたので、まだ行ってない後蘭孫八城跡に寄っていく。後蘭孫八は15世紀の島主、世之主に仕えた四天王の一人で、平家の落人の子孫という伝説もあり、優れた築城家としても知られている。


石灰岩の大きな塊の中を進んでいく。


大きなガジュマルの巨木の中を通っていく。この場所が醸しだす雰囲気は、島のパワースポットだと呼ばれていることもうなずける。


後蘭孫八の墓。


駐車場の前にみかん園があり、そこの人が我々にみかんをくれた。話を聞くと、後蘭孫八の子孫だといい、名字は“平”だという。やはり平家の子孫でもあるようだ。ほとんど誰も来ないような所に大勢の人間がきたのでわざわざ声をかけてくれたようだ。縁は不思議なものである。


旅の最後に寄ったのは、フーチャだ。ここもマラソンのコースで通ったりしたのだが、フーチャをじっくりは見ていなかった。フーチャとは『潮吹き上げ洞窟』を意味する島の呼び名で、海岸線付近の断崖には隆起サンゴ礁が荒波で浸食されてできた縦穴型の洞窟が口を広げている。


季節風や台風のときには20~70mも潮が吹き上がることもあるそうだが、干潮時なのでそれほどの吹き上がりはなかった。


洞窟の上の通路には、柵など何もなく自然のままになっている。洞窟を覗き込むと吸い込まれそうな気になってしまう。


海底の深さの違いによるのだろうか、場所によって海の青さが違って見える。


運がいいことに、ちょうどウミガメが泳いでいるのを発見する。フーチャ付近の海中にはアオウミガメが食用として好む海藻が多く生えており、遊泳中のウミガメを見ることが多いスポットだという。


3泊4日の島旅もこれで終わり。空港は、フーチャからすぐだ。レンタカーを返却して無事帰路についた。長いようであっという間に終わった沖永良部島ツアーは忘れられない思い出になった。

2022沖永良部島うとぅるしゃマラソンツアー:3日目観光

2022-11-28 07:33:27 | 観光
ケイビングは午前中で終わり、タラソおきのえらぶ近くのレストランで昼食を済ませる。その後、マラソンの時ワープして行けなかった田皆岬まで行ってみる。田皆岬は、沖永良部島の北西端にある美しい岬で、奄美群島でも特に美しい場所で、サンゴ礁が隆起した高さ51mの断崖絶壁が凄い。


東シナ海に突き出した崖から、コバルトブルーの海の景観を見下ろす。


方位盤を見ると、沖永良部島と周辺の島々との位置関係が良くわかる。


展望台から北東方向には、徳之島らしき島影も見える。


灯台方向に向かって歩いていく。


もう一度断崖から海を覗いてみる。白い波しぶきが岩を洗う荒々しい風景は圧巻だ。


駐車場からは、大山のレーダードームが見える。


まだ時間に余裕があったので、越山公園の登り口にある和泊町歴史民俗資料館に寄っていく。和泊町の文化財などが展示されている資料館には、歴史や民俗、文化などの情報が集められている。屋外にある建物は、9本柱の高倉だ。高倉は水害やネズミ等の被害から穀物を守るための建物で、稲作の盛んだった昭和40年代まで各集落に多く見られたという。


奄美諸島から沖縄には四本柱、六本柱の高倉が多いが、九本柱の高倉はたいへん珍しいそうだ。


NHK大河ドラマ「西郷どん」の沖永良部島ロケで使われたサタ車(さとうきびを絞るための道具)も展示されている。


その後、この日の夕方の便で帰る2名の仲間をえらぶゆりの島空港に送り届ける。残ったメンバーで3泊目の宿となる“47ホステル”というゲストハウスに宿泊する。


「2022沖永良部島うとぅるしゃマラソンツアー:4日目観光」に続く。

2022沖永良部島うとぅるしゃマラソンツアー:3日目ケイビング・リムストーンケイブ

2022-11-27 11:17:49 | いろいろ
マラソンの翌日は、ケイビング(自然の洞窟・鍾乳洞を探検すること)ツアーに出かける。沖永良部島は大小約200から300の洞窟・鍾乳洞があり、愛好家のあいだで洞窟の聖地といわれているそうだ。沖永良部で一番面白そうなアクティビティをさがしたところ、ケイビングしかないと思いついた。

ツアーに申し込み、担当ガイドがホテルまで迎えに来てくれる。着いた場所は、ごく普通の農道の一角。何もないところに降ろされ、車の近くで、ヘルメット、ヘッドランプ、ウェットスーツ、つなぎ、膝あて、運動靴に着替え、完全装備になったところで洞窟探検の準備が整った。


ガイドの案内で山道を歩いていく。


看板も何もない場所から急に草むらの中に入っていく。


知る人ぞ知る入り口なのだろう。森の中をしばらく歩く。


突然、真っ暗い洞窟の入り口が現れた。ガイドがいなければ、とても入っていきたいとは思えない洞窟の入り口だ。


初心者の我々が、まず入洞できるのは、リムストーンケイブのコースだ。緩い傾斜を少しずつ少しずつ水が流れると、たくさんの水たまりを形成することがある。その様相は棚田の様で、棚田の畦に当たるところをリムストーン、リムストーンに囲まれてできた水たまりをリムストーンプールというそうだ。今回は、そのリムストーンが見られる初心者向きのコースだ。

まずは、洞窟の狭い空間を、ヘッドライトをつけて一人ずつ通り抜けていく。


広い空間に出ると、鍾乳石が垂れ下がった場所に出る。ガイドの説明で鍾乳石の成り立ちなどを聞く。白い部分はまだ新しい部分で、泥が付くと取れないそうで、触らないよう注意があった。


この景色だけで、既に圧倒されてしまう。


このエイリアンの口のような鍾乳石をバックに記念撮影。


いよいよ、胸の上まで水に浸かる場所を一人一人通り抜ける。


水の中にライトを入れ、光を当てる方向に寄って、雰囲気が変わることを見せてもらう。


次の広場に向かうと、水が轟轟と流れている。


空間の間が狭く、屈んで行かないと通れない場所もある。


大昔、人がここで生活していたという場所だ。道具らしい遺跡が残っているそうだ。


沖永良部島が、かつては海の底だったという事をしめす貝の化石。


水晶みたいな鍾乳石?


既に水の中には、ジャボジャボ入っているので、皆慣れたものだ。水に浸かったところでも記念撮影。


後半のクライマックスは、流れる水に乗っかってリムストーンプールに着水する。


プールはそれほど深くないものの、滑り落ちる時は緊張する。


みんな滑り終わったところで、少し休憩。ガイドたちは、今回のコースで最も売り物にしている絶景を演出するため、奥の方で作業中。我々は、作業風景を見ないよう奥を見ないようにしている。


準備が整ったという事で、揃ってから洞窟の奥に広がる絶景を眺める。


これが、リムストーンケイブの最大のウリであるライトアップされたリムストーンプールの絶景だ。プールの中に灯された照明により水の色の具合が微妙に違っているのが美しい。光がない洞窟だから、光が入ることによって今まで見た事もない風景が広がっているのは凄い。


ライトアップされたリムストーンプールをバックに最後の記念撮影。


あとは各自でもおもいおもいに写真を撮る。


最初はどうなる事かと思ったが、ちょっとした冒険ツアーを楽しむことが出来、あっという間に終わってしまった感がある。出口は入口とは違う場所から出てケイビングが終わった。沖永良部島には、このような洞窟が数多くあり、他にもガイド付きで探検できるコースがあるという。機会があれば、他の洞窟にも行ってみたいという気になった。

「2022沖永良部島うとぅるしゃマラソンツアー:3日目観光」に続く。

2022沖永良部島うとぅるしゃマラソンツアー:2日目後夜祭

2022-11-26 19:50:29 | いろいろ
大会が終わり、夜はフローラルホテル裏にあるフローラル館にて後夜祭が行われた。参加者同士で飲食歓談をしてしばらくすると、町長からの挨拶があり、舞台では郷土舞踊が始まった。


次は女子中生のヒップホップダンス。


衣装替えして、再び女子中生が登場。動きが派手でカッコいい。若いっていいなぁと踊りを堪能させてもらった。


今度は、小学生と大人のグループによる太鼓演奏。小学生の子供たちが一生懸命太鼓を打ち鳴らす姿に感動した。


三線による沖縄民謡。


最後は、男性のバンドグループによるBEGENの名曲演奏。お馴染みの曲だけに、たまらず踊り出す人が続出。




我々のグループもみんな総出で踊り出した。




最後の最後は、会場の人たち全員で踊りながら輪を作る。


マラソンだけでなく、後夜祭も楽しく過ごし、沖永良部島の人々のおもてなしに感激する。第1回ながら素晴らしい大会だった。行った事のない人には、是非お勧めしたい大会だ。

「2022沖永良部島うとぅるしゃマラソンツアー:3日目ケイビング・リムストーンケイブ」に続く。

2022沖永良部島うとぅるしゃマラソンツアー:2日目マラソン後半

2022-11-25 18:49:07 | マラソン
ソテツジャングルを抜けると、すぐにワンジョビーチのエイドに到着する。まだ32キロ地点だ。


ここのエイドでは、暑かったので早速かき氷をいただく。その後、スープなどを飲んでゆっくりする。


遠浅の海がきれいだ。


ワンジョビーチからは、沖永良部の二つある山の一つである越山に徐々にのぼっていく。暑さと登り道にだんだん走るのがイヤになってきた。


越山遊歩道入り口からは、完全な山道となる。


越山の山頂に到着する。展望台には、蝉の幼虫が付いた大きな巻貝の下に子供達が遊んでいるようなデザインのモニュメントがある。なんだか不思議なモニュメントだ。


展望台からは東シナ海や和泊町を一望することができる。


上城公民館のエイドでは、サーターアンダギーなどがあり、エネルギーを補給する。


ここから、沖永良部島で最も標高の高い大山に登っていく。大山には、航空自衛隊沖永良部島分屯基地があり、レーダードームの前を通り抜ける。


大山を下っていくと、昇竜洞に出る。昇竜洞は鹿児島県天然記念物に指定されている鍾乳洞だ。普通は入場料を取るのだが、この日はランナーだけ無料で中に入ることができる。


階段を下りていくと、鍾乳洞の入り口だ。


ここまで来ると、ランナーではなく完全に観光客気分だ。


通路には人感センサーがあり、人間が近づくと明かりが付いたり、案内音声が流される。


ライトアップが施され、色が刻々と変化していく。


洞窟内には昇竜神社がある。


昇竜洞は鍾乳石の発達が素晴らしく特にフローストーン(鍾乳洞の壁や床面を覆うシート状の石)は全国最大級だという。




全長3,500mのうち公開されている600mの出口が見えてきた。


昇竜洞を出たところにもエイドがあり、のんびりしてくつろいでしまっていた。


エイドを出ると、もう時間的に完走は難しく、一緒に居た仲間たちの中では、完全にワープすることで気持ちが固まっていた。コースマップを見ると、近道を通ると10キロ以上ワープして本コースに戻れることがわかっていた。


とりあえず、住吉高倉の50キロのエイドまで行き、田皆岬には向かわずワープする。


まだ明るいうちにゴール地点に行けそうなので、気持ちが楽になった。


ゴールのメントマリ公園に着いたのは、16時50分頃。ゴールテープを切るのは遠慮して脇に逸れてゴールする。完走できなかったのは残念だったが、沖永良部島の観光スポットをほとんど網羅したコースに大満足。エイドも充実していてスタッフの応援やおもてなしの気持ちが素晴らしかった。

参考1.コースの高低図&タイム


参考2.コースマップ


「2022沖永良部島うとぅるしゃマラソンツアー:2日目後夜祭」に続く。

2022沖永良部島うとぅるしゃマラソンツアー:2日目マラソン前半

2022-11-24 17:12:24 | マラソン
マラソンのスタートは、午前6時。20分前におきえらぶフローラルホテル前にあるメントマリ公園に向かう。


スタート5分前、参加者全員で記念写真。参加者は、全部で45人。ボランティアスタッフは70人との事で、選手よりはるかに多い。因みに、「うとぅるしゃ」は、沖永良部島の方言で「ものすごい」などの意味だという。


スタートは一人ずつ順番に、チップをセンサーにタッチしてから走り出す。


幾分空が白み始めたころ、ランナーが公園の中を走りだしていく。


すぐに赤鳥居の中を駆け上がり、はみやま神社に参拝してから道路に出ていく。


雲が赤みを帯び、すばらしい日の出になってきた。


最初のエイド。甘酒が出て美味しかった。


沖永良部島唯一の高校である沖永良部高校の前を通る。エイサー部があるなんて、南の島らしい。


タラソおきのえらぶのエイドを過ぎ、浜の方に向かう。


東屋の前で海を眺めてから、コースに戻る。


タラソ沖永良部は、海水を用いた「海洋療法」と呼ばれることもあるタラソテラピーを受ける事のできる施設らしい。沖永良部島唯一の風車が目立つ。


海岸沿いを走ると、奇岩がいくつも見える。これは間違いなくゴジラだ。


和泊町に入ると西郷南洲記念館がある。西郷隆盛は島津久光公の怒りにふれ、薩摩藩の重罪人として沖永良部島に流刑となった。1年6ヵ月あまりを過ごしたこの地での過酷な牢生活を経て、「敬天愛人」の思想を悟ったと言われている。西郷南洲記念館には西郷が過ごした格子牢が当時の場所に再現されており、記念館の館長が中に入らせてくれた。


痩せこけてはいるが凛とたたずむ西郷隆盛の像と一緒に記念写真を撮ってもらう。


南洲神社。沖永良部島は、西郷隆盛が遠島刑を受けた地としても知られているが、この神社は西郷隆盛を祀っており、西郷隆盛と愛犬のツンの銅像がある。


国頭小学校の校庭に大きく枝葉を広げたこのガジュマルは、1898年に同校の第一回卒業生たちにより植樹され、樹齢は120年を超えるという。


地域住民や子どもたちに大切に手入れされながら共生してきた歴史が評価され、新日本銘木百選にも選ばれたことから、「日本一のガジュマル」の呼び名で親しまれている。和泊町指定天然記念物でもある。


国頭岬からの海岸の様子。


島の反対側のコースに入ると、フーチャという場所に出る。


フーチャとは『潮吹き上げ洞窟』を意味する島の呼び名で、海岸線付近の断崖には隆起サンゴ礁が荒波で浸食されてできた縦穴型の洞窟が口を広げている。季節風や台風のときには20~70mも潮が吹き上がることもあり、洞窟を覗き込むと吸い込まれそうな深い青色の海が渦を巻く迫力ある光景に出会えるそうだ。


沖永良部島北海岸特有の切り立った断崖絶壁と、無数の棘のような岩場が広がる。独特の荒涼感ある地形が特徴的だ。


西郷隆盛上陸の地に着いた。


西郷さんはこの辺りから上陸したのだろうか。


西郷さんは、この辺りから馬を断り、歩いて4キロほど先にある牢屋まで歩いたという。


ソテツジャングル。自生ソテツの群生地で遊歩道が約600mある。


入口と出口が異なり、県道620号線沿いの入り口から進むと、出口となるワンジョビーチそばまで一本道のジャングルロードが続いている。


「2022沖永良部島うとぅるしゃマラソンツアー:2日目マラソン後半」に続く。

2022沖永良部島うとぅるしゃマラソンツアー:1日目

2022-11-23 17:10:53 | 観光
沖永良部島と聞いてもまったくどこに有るかも知らなかったが、第1回のウルトラマラソンが開催されるとの情報を得て、走れるかどうかも自信は無かったが、とりあえずエントリーしたところ、我も我もと8人もメンバーが集まり3泊4日のツアーに出かけてきた。

沖永良部島は、鹿児島県の奄美大島、徳之島よりも南で、与論島よりは北になるが、沖縄本島にも近い。文化も沖縄に近いようだ。アクセスは、鹿児島空港か那覇空港からの飛行機便があり、我々は、那覇空港から沖永良部空港行の飛行機に乗った。


那覇からは50分ほどのフライトだ。機上からは、平べったく高い山はほとんど見られない島が見えてきた。


半分くらいは山になっているが、住宅地と田園地帯も広範囲に広がっている。島の人口は13000人ほどらしい。


15時過ぎ、えらぶゆりの島空港(沖永良部空港)に到着する。青い空が広がり、快晴だ。しかも気温が高い。出かけたときは長袖でジャケットを羽織っていたが、ここでは半袖で十分だ。


空港からは、宿泊予定の“おきえらぶフローラルホテル”のマイクロバスに乗ってホテルに向かう。ホテルの玄関前でマラソンの受付を済ます。沖永良部島の形は、ナイキのロゴマークに似ているとのことで、ナイキの形をまねて記念写真を撮る。


ホテルのすぐ裏に、赤い鳥居が並んでいるのが見え、まるで京都の伏見稲荷を彷彿させる鳥居に興味を抱き、さっそく階段を上ってみる。


鳥居をすべて登り切ると海が一望できる。


丘の上には、はみやま神社が鎮座している。せっかくなので、旅の無事を祈っていく。


公道に出ると、日本語とは思えないような標語の看板があった。「ぬみんきゃぬんな ぬゆんきゃぬむな」とある。後で調べたら「飲むなら乗るな 乗るなら飲むな」と言う意味だった。酒に×がついているからそんな意味だろうとは思ったが、内地の人間はまずわからないだろうな。


近くを散歩してホテルに戻る頃には、日が沈んできた。


翌日は、マラソン本番だ。

「2022沖永良部島うとぅるしゃマラソンツアー:2日目マラソン前半」に続く。


2022談山神社

2022-11-14 18:52:29 | 観光
竜門岳登山口から談山神社(たんざんじんじゃ)に向かう。距離にして10キロほどだ。談山神社は、奈良県桜井市多武峰にある神社で、桜と紅葉の名所として知られるとの情報を得て、帰りに立ち寄ってみる事にした。

談山神社の境内案内図を見ると、本殿の裏手には二つの山があることがわかる。


まずは、入り口で入山料を払う。


入口の鳥居をくぐり石段(140段)を登っていく途中には、夫婦杉と呼ばれる巨木が立っている。ただし、この石段は、紅葉や桜の見頃以外の時期(シーズンオフ)は閉鎖されてるそうで、近くまで行けてラッキーだったようだ。


談山神社のランドマークである十三重塔をまず見に行く。紅葉を入れて撮ると絵になる場所だ。


現在の塔は室町再建で高さ17m。古塔の中では現存唯一の遺構である木造十三重は、藤原鎌足の墓塔といわれている。


十三重塔を見てから本殿に向かう。談山神社は、藤原鎌足の遺骨を摂津国阿威山からこの地に改葬し、鎌足の長男定慧が木造十三重塔(重要文化財)を建てたことに始まる。弟の藤原不比等が神殿を建立し、父の像を安置したとされる。かつては妙楽寺という寺と一体だったが、明治初めの神仏分離令後、神社だけが残ったという。


本殿の欄干から境内を見下ろすと、見事な紅葉の森が広がっている。


本殿を出て、十三重塔の裏手に向かうと、大きなイチョウの木が。鮮やかな黄色だ。


その奥には、裏山に登る道があり、折角だから山に登ろうという事になった。分岐には、談山(かたらいやま)と御破裂山(ごはれつやま)の道標があり、まず、談山に行くことにした。


談山は標高566m。西暦645年5月、蘇我入鹿暗殺をするクーデター(乙巳の変)のおよそ1ヶ月前、この辺りで中大兄皇子と中臣鎌子(藤原鎌足)が、「大化の改新」について密談をしたといわれているそうだ。


御相談所というが、密談した場所なのだ。古くからこの辺りは「談所の森」とも呼ばれているといい、談山神社の社号は、この談山(かたらいやま)にちなんで付けられたということだ。


談山から御破裂山に行く途中で、ハート型の葉が溝の中にうまくはまっていたので撮影。


御破裂山は、古来より「天下に異変が生じる時、御破裂山が鳴動して知らせる」という伝承がある山だという、山頂は、藤原鎌足の墓所と説明されている。


二つの山を登り終え、再び談山神社の境内に戻り、神廟拝所の前を通る。この建物も重要文化財だ。


祓戸社前の紅葉も素晴らしい。


一通り談山神社を堪能して参道を歩き、お土産などを買って帰路についた。初めて行った場所だったが、談山の由来から大化の改新という歴史的な出来事の発端になった場所という事も知り、歴史ロマンもかきたてられた面白い山旅となった。

2022竜門岳

2022-11-13 22:37:48 | 山登り
奈良県の宇陀市と吉野郡吉野町の市町境にある竜門岳に登ってきた。龍門岳あるいは龍門ガ岳(龍門ヶ岳)と表記されることもあり、日本三百名山の一つに数えられている山だ。

山頂南側の吉野山口神社から、さらに山の中を進みバイオトイレのある駐車場に車を止める。駐車場は3~4台程度しか止められない狭い駐車場だが、2台しか止まっていなかったので、ギリギリ止めることが出来て良かった。登山口の入り口で、スタート前の記念撮影。今回は、5人のパーティだ。


最初は、簡易舗装の道を進んで行く。200mほど進むと龍門寺跡という看板の所に出た。


龍門寺は、奈良時代に建てられたといわれる寺院で、当時は金堂や三重塔、宿坊などの伽藍が立ち並んでいたといわれているが、現在は全ての伽藍は姿を消し草に埋もれているが、所々に往時の痕跡があり、静かな空気が流れている。


さらに100mほど進むと竜門の滝だ。


登山道から沢の方に下っていく。滝は二段ほどに分かれているので、下まで下りて滝の全景を見る。江戸時代には、松尾芭蕉が龍門の滝を訪れて下記の句を詠んでいるという。
「龍門の 花や上戸の 土産(つと)にせん」「酒飲みに 語らんかかる 滝の花」。


下段の滝は、落差6mくらい。


上段の滝の滝壺近くまで行ってみる。


こちらは、落差20mほどの立派な滝だ。


竜門の滝からさらに進むと、龍門寺塔跡がある。


白鳳時代に建てられたという三重塔跡だ。


歴史的な文化遺産の跡を過ぎ、林道から沢を渡り、本格的な尾根道の登山道に入る。

登山道に入ってしばらくすると、厳しい急登となる。最初が楽すぎてなめてしまいがちだが、後半は驚くほど険しい登りで簡単な山ではなかった。それでも小1時間ほどで山頂に到着する。竜門岳904mの山頂は、木立に囲まれ展望はなく、高皇産霊神を祀る祠があり、一等三角点「竜門岳」が設置されている。


祠の前は、日が当たり暖かいので、日向ぼっこをしながらのランチ休憩だ。


当初は、山頂に着いたら、そのままピストンで下山する予定だったが、反対方向から上がってきた登山者が、祠の裏側に下ると展望がいい場所があるという話を聞き、そこまで下ってみた。鉄塔が建ちならぶ芝生の広場からは、西方が開けており、葛城山、金剛山などが一望できた。


しばらく展望を楽しんだ後、竜門岳山頂に戻り、そこから一気に登山口駐車場に下山した。下りは早いもので、1時間ほどで着いてしまった。時間は、まだ13時30分で時間が十分あるので、奈良県では桜と紅葉の名所で知られる談山神社に向かった。

参考1.竜門岳の高低図&コースタイム


参考2.竜門岳のコースマップ


「2022談山神社」に続く。

2022富山マラソンツアー:3日目砺波チューリップ公園&越中五箇山観光

2022-11-10 21:51:27 | 観光
マラソンの翌日は、富山周辺を観光していく。富山と言ったら、チューリップが有名だ。今の時期だと花は見られないのだが、砺波にあるチューリップ公園に行ってみた。まずは、チューリップ公園の隣にある「チューリップ四季彩館」に寄っていく。


チューリップ四季彩館の周りの木々もきれいに紅葉している。


チューリップ四季彩館は、春の花チューリップが一年中みられる世界唯一の施設だという。四季折々の花々とチューリップを一緒に楽しめる「ワンダーガーデン」には、360度チューリップで包まれる「チューリップパレス」がある。


チューリップパレスの中に入ると、文字通り360度チューリップに包まれる。秋でもチューリップが見られるなんて不思議だ。温度管理をして咲かせることが出来るのだろう。


パレットガーデンにも、色鮮やかなチューリップが咲いている。


パレットガーデンは、鏡で周囲を覆っているので、不思議な風景が醸し出される。


万華鏡を覗くと、チューリップが無限に見えている。


「アンダーファーム」では、チューリップの成長過程や歴史が学べる。特に、チューリップの原生地から、砺波での栽培が盛んになるまでをイラストや資料で勉強できたのは面白かった。

チューリップ四季彩館を出て、チューリップ公園に向かう。遊具などのある場所を抜けると、五連揚水水車が回っていた。観光用に作られたものだというが、五連の水車は日本で唯一とのことで、存在感があり、まるで蒸気機関車が動いているかのようだった。




池の間を通ると、大きな鯉が一杯寄ってきた。


公園の中央にあるチューリップタワーに登って公園の中を見下ろす。円形花壇では、来年の春に向けてチューリップの球根の植え付けを行っていた。


この辺りの花壇も既にチューリップの植え付けが終わっているようだ。


チューリップタワーからは立山連峰が良く見える。真ん中に見えるのは剱岳だろうか。


チューリップ公園を出て高速に乗り、五箇山インターを出ると越中五箇山相倉集落に向かう。平成7年12月に,岐阜県の白川郷と合わせて,「白川郷,五箇山の合掌造り集落」として世界遺産に登録された場所だ。駐車場から、山を少し上ると集落の全景が良く見える場所があるというので、まず山を登っていく。ほとんどの観光客が、まず、最初にこの展望スポットまで歩く。




全景を見たあと、集落の中を散策していく。相倉地区は、富山県の西南端で岐阜県境の山あいに残る庶民の山村生活の姿を今に伝える合掌造りの集落である。近世には五箇山地方では米がとれなかったので,煙硝,養蚕,紙漉きが生業であり、合掌造り民家はこれらの生業に適した構造であるという。


入口にあるのが、展示館「勇助」だ。合掌造りの家は、全て人の名前のような屋号が付いている。


2階に上がると、カイコの一生のパネルがあり、勉強になった。


養蚕に励む女性の人形もあり、大変な仕事だという事が窺い知れる。


2階の窓側に子供がいるなぁと思って近くまで行くと、人形だった。


さらに、急な階段を上がり3階まで行く。3階にもカイコの棚が置いてあった。


3階も結構広く、床は隙隙となっていて、下の階が見える。1階の囲炉裏から温まった空気が2階、3階まで上がってくるようになっているようだ。


勇助を出て、周りの集落を散策する。相倉合掌集落には、20棟の合掌造り家屋が現存している。五箇山に唯一残る合掌造りの原型である原始合掌、大小様々な合掌造り家屋、茅葺きのお寺など、見どころがたくさんある。


相倉合掌集落を見てから、帰路についた。3日間ともいい天気に恵まれ、富山マラソンと周辺の観光を楽しむことが出来た。