とっちーの「終わりなき旅」

出歩くことが好きで、趣味のマラソン、登山、スキーなどの話を中心にきままな呟きを載せられたらいいな。

「生活と住まいを考える」

2009-07-11 10:36:27 | 社会人大学
社会人大学4日目は、現武蔵野美術大学教授、企業デザインアドバイザーである柏木博(かしわぎ ひろし)氏の講演であった。題目は「生活と住まいを考える」ということで、物と人間との係わり合いについての話だった。

柏木氏の住まいには、時折鳥がきて巣を作っていくことがあるそうだ。通常鳥は、巣から雛が孵ると同じ巣を使うことはないそうである。都会周辺では、藁や枯れ枝のほかにビニール紐を組み合わせた巣ができているが、山奥では枯れ枝にコケがついた土を集めた巣と素材の組み合わせが異なる。昔から生き物は、あり合せの素材を集めて家を作ってきている。あり合せの素材を集めることで、居心地がいい場所を作るというのが生き物の本能らしい。ただ、鳥と人間との違いは、装飾をするかしないかの違いにあるという。鳥の巣は、あくまでも実用本位で一度使えばおしまいだが、人間の家は長く使い続けるため装飾を施し、居心地の良さを更に増そうとする点だ。その上で、物とのかかわりが人間には大きくなってくる。

そんな話の中で、囚人の生活の中でも物のかかわりが重要であるという話は興味深かった。制限された生活の中、ほとんど自分のものがない場所であるが、差し入れがダンボールできた場合、ダンボールを捨てる囚人はほとんどいないそうである。ダンボールを切って、棚にしたり、台にしたりして何もない場所に自分だけの専用の空間を作り出そうとするのである。そうした僅かな物との係わりを作ることで居心地を良くしたいと考えるのは人間ならではの話だ。

また、人間の記憶というものは、物との記憶に繋がっているのが大きいという。町が開発等で見覚えのある建物がどんどんなくなっていくと、人の記憶が薄れ老人のボケが始まるともいう。物を通しての関係は記憶に結びつきやすいのである。人が亡くなった時、形見を分けるが、これもその人が生きてきた痕跡であり忘れないで欲しいという願いがあるからであろう。物があることでその人の暮らしが見えてくるのである。

病院に入ると、病院特有のにおいを感じることが多い。消毒薬などの臭いに由来するのかも知れないのだが、柏木氏の話しによるとその臭いは、人間が発している臭いだというのだ。人間は恐怖や不安が重なるとある臭いを発するらしい。つまり病院は不安感が増幅される場所であるから、特有の臭いがするのだという。あえて、言えばあのような臭いがしない病院こそ、いい病院であるともいえる。安心して生活できれば臭いはしないわけである。つまり、居心地がいい住まいは病も遠ざけてくれると言うことだ。

さらに、宗教の話でも、なるほどと言える話があった。宗教を心から信仰している人たちの生活は質素だが、清潔や美しさを大事にしている。また、神との対話をする際には必ず身を清めるという行為が存在する。それに引き換え、オウム真理教は物欲にまみれ、美しさや清潔さとは程遠い実態であった。柏木氏はその当時、これは宗教ではないと批判したそうだが、まさにその通りであった。

他にもいろいろ話があったが、最後に面白い四文字熟語を教えてもらったので紹介する。

『玩物喪志(がんぶつそうし)』
 §意 味:珍奇なものや、目先の楽しみに熱中して、大切な志を失うこと。
 §解 説:訓読では「物を玩(もてあそ)べば、志を喪(うしな)う」と読む。【故事】武士が他国からの珍しい贈り物に心を奪われ、国政をおろそかにしていることを周の召公がいさめたという故事による。

柏木氏は『玩物草子(がんぶつそうし)』という本を出しているそうである。『玩物喪志』をもじった名前であるが、物を玩ばず生活の中に係わりを持たせ使いこなそうという反面教師的な意味合いがあるのだろうと感じた。