とっちーの「終わりなき旅」

出歩くことが好きで、趣味のマラソン、登山、スキーなどの話を中心にきままな呟きを載せられたらいいな。

2013三ノ沢岳(さんのさわだけ)登山:後半

2013-09-30 22:48:03 | 山登り
三ノ沢岳に向かうに従ってどんどん紅葉が見頃になってきていた。




山頂周辺の斜面には、花崗岩がいたるところに飛び出していて、紅葉した木々と共に印象的な景観を醸し出していた。まるで、屋久島の宮之浦岳を思わすような景観である。


後方を振り返ると、ハイマツの間を後続の仲間たちが歩いてくる様子が見える。宝剣岳の荒々しい山容もはっきり見える。


すこし広くなった場所で、ケルンを見つける。このケルンは、遭難慰霊碑で「神よ護り給え、白き高みへ憧れる若者を」と記されていた。


花崗岩の巨石の間をいくつも通り抜ける。


ついに2846 mの三ノ沢岳山頂に到着する。あまり登山者には知られていない山のようで、山頂は我々のパーティで独り占めだった。この前後でも、出会った登山者は数名程度だ。


山頂からは、八ヶ岳、南アルプス、富士山以外にも北アルプスも一望だ。槍ヶ岳、穂高連峰がこんなにもくっきり見える。


笠の頭のような三角の山は笠ヶ岳だ。


私も御嶽山をバックにして、ソロで記念写真を撮る。


岩の先端に立つよっぴーさん。どこまでも青い空と白い雲と連なる山並みがいい感じだ。


頂上から少し下がったところにまるでテーブルのような大きな岩があり、そこで昼食となった。あだち。さんとkazukawaさんが食材や道具をいろいろ準備してきてくれたので、もうおまかせで出来上がるのを待っていた。今回も豪華な昼食となり、お腹いっぱいとなる。


出来上がった食事をみんなで頂く。木曽駒ケ岳、宝剣岳の景色を見ながらの贅沢な昼食だ。


少し向きを変えれば、北アルプスが背景となる。ここは、三ノ沢岳では最高のビューポイントとなる休憩場所だ。


昼食を終え、引き返すことにした。元来た道を折り返す。


午後になっても、相変わらず天気が良くて雲一つない。


急な道は終わり、だいぶ歩くのが楽になった。もう少しで、宝剣岳への分岐だ。


分岐に出たところで、宝剣岳を眺めながら遊んでみる。

どうでしょうか。宝剣岳をこんなふうに摘んでみました。


なんということか、モコさんは宝剣岳にパンチをしてます。


分岐でちょっと遊びすぎてしまったようだ。極楽平からぐんぐん下って千畳敷ロープウェイ駅まで下る。下りロープウェイもかなり待たされそうだったので、足の速いN山さんが先に下りてロープウェイ乗車の整理券をもらっているはずだった。


30分ほどで千畳敷ロープウェイ駅に到着する。N山さんが全員の整理券を手にしてくれていたので助かったのだが、貰った時点で2時間半待ちだったそうだ。1時間後に我々が到着しても更に1時間半待ちだったので、展望喫茶でまたもや宴会だ。この時期の、千畳敷はすごい混雑である。


三ノ沢岳は、木曽駒ケ岳、宝剣岳、空木岳などの有名な山から少し外れた位置にあるので、訪れる登山者は少ないが、静かな山旅をするにはもってこいの山だ。夏は、多くの高山植物が咲き乱れるそうで、山頂部には巨石が重なり合い、見晴らしの良い展望地となっていることから隠れた名山と言えるだろう。好天気に恵まれたこともあって、今年一番の山旅になった。

参考1:今回のコース


参考2:高低図

2013三ノ沢岳(さんのさわだけ)登山:前半

2013-09-29 23:45:57 | 山登り
昨日の夜立ちで、中央アルプスの主稜線上にある宝剣岳から南西方向に延びた尾根上にある標高2,846 mの三ノ沢岳に登ってきた。

中央高速道路駒ヶ根ICから10分ほどで、菅の台バスセンターに深夜0時前後に到着する。ここで3時間半程仮眠して、バス、ロープウェイを乗り継いで千畳敷まで行くことになる。今回の登山のメンバーは浜松組が5名、豊橋組が4名、神戸組が2名となり総勢11名の大パーティとなった。毎年9月下旬から10月上旬にかけての駒ケ岳ロープウェイの混雑度は大変なもので、今回もその混雑を予想し、5時過ぎの始発のバスに乗るため、午前4時前からバス乗り場と乗車券売り場の行列に全員で並んだ。当初の予想通りあっという間に行列は長くなり、早めに列に付いたおかげで始発のバスに無事乗車することができた。




40分ほどバスに乗り、降りたところはロープウェイしらび平駅だ。ロープウェイの乗車口に並ぶと、上から静かにロープウェイが降りてきた。


山肌がモルゲンロートで赤く染まっていた。


数分ほどでロープウェイ千畳敷駅が見えてきた。千畳敷駅は2611.5mの標高があり、日本最高所のロープウェイ駅だ。


ロープウェイ駅から東側を眺めると、上がってきたばかりの太陽と美しい稜線が連なる南アルプスの山並みが一望である。稜線の向こうには富士山も見える。朝から、びっくりするほど美しい青空となっていた。


左から八ヶ岳連峰、甲斐駒ケ岳、仙丈岳、北岳、間ノ岳、富士山、塩見岳などの山々がくっきり見える。これほど山が綺麗に見えたのは、今年の登山では初めてだ。


千畳敷カールは、紅葉が始まっていた。まだ、黄色が多いがあと一週間ほどすれば、赤色も混じり最高の紅葉が見られることであろう。


宝剣岳をバックに写真を撮る。


登山前に、神社で安全登山の祈願をする。


極楽平方面に向けて登りだす。千畳敷駅が小さくなってきた。


ナナカマドの実は赤いが、葉っぱが赤くなるのはこれからだ。


紅葉が始まってきた場所も見られる。


歩き始めて20分くらいなので、まだまだ足取りは軽い。


右側には宝剣岳が見える。


高度が増すほど、紅葉が進んできている。


1時間ほどで、極楽平に到着だ。後方には御嶽山が見えている。


前方には宝剣岳が見える。鋭く尖った山頂には、人影も見えている。


宝剣岳と三ノ沢岳の分岐前で休憩する。後方に見えるのが、端正な三角錐の山容の三ノ沢岳だ。


御嶽山の右側には乗鞍岳も見えてきた。


中央にある巨石が、なんだか人の横顔のように見える。


三ノ沢岳の分岐からぐんぐん下っていく。


空木岳へと続く稜線。細かく谷が連なり、荒々しい風景だ。


進行方向には、三ノ沢岳が大きくなってきた。千畳敷周辺より一段と紅葉が進んでいるようだ。


ハイマツ帯の間を登山者が進む。


三ノ沢岳への道のりは近いように見えたが、アップダウンがいくつもあり意外と侮れない登山道が続いた。

「2013三ノ沢岳(さんのさわだけ)登山:後半」に続く。

彼岸花が満開に

2013-09-28 16:04:17 | 
今週はずっと天気がよく、今朝も秋晴れのいい天気だった。
いつの間にか、畑の道路際には彼岸花が咲き出し、秋めいてきた。
彼岸花は、曼珠沙華(マンジュシャゲ、またはマンジュシャカ)と呼ばれ
梵語「赤い花・天上の花」の意味でおめでたい兆しとするケースもあれば、
不吉な花として忌み嫌われるケースもあるという。


花と葉が同時に出ることがないので、一風変わった植物であることは間違いない。
しかし、一斉に赤い花が咲きだし、一面を埋め尽くすようになると秋を感じさせる。
畑仕事をするには、いい季節になってきた。




先週、畑の草を一通り刈り耕耘機で耕しておいたのだが、今日も耕耘機でもう一度耕した。
なんとか、草だらけの畑とはサヨナラすることができ、冬野菜を植えることにした。
二畝ほどスペースを作り、大根の種まきとブロッコリーの苗を植える。




また、二株買ってきたパセリの苗も畑の片隅に植えたところだ。


あとニンジンとスナックエンドウの種を買ってきたのだが、さすがに疲れて次の機会に撒くことにした。
それにしても、草で荒れ果てていた畑がキレイになると気持ちがいい。


東京マラソン、今年も落選

2013-09-27 21:30:08 | 呟き
昨日、東京マラソンのエントリー抽選結果のメールが届いた。結果は、予想通り落選だった。今回も、フルマラソン2万9400人の枠に、30万2442人の申し込みがあり、倍率10.3倍の狭き門となっていたそうだ。

すでに2回出場できたので、それほど残念ではないが、一緒に申し込んだ妻もまた外れてしまったので、がっかりしていたようだ。一般でエントリーすると当選確率は低いが、10万円払ってチャリティランナーで申し込めば確実に参加できるらしいが、そこまでして参加したいとは思わない。また、東京マラソン財団公式クラブ「ONE TOKYO」プレミアムメンバーに入っていると、当選確率は高く先行エントリーができる。しかし、これも年会費を数千円納めないとプレミアムメンバーになれないので、年会費を払うのがもったいない。東京マラソンは、運試しで申し込み、当たればラッキーと思うくらいで十分だ。

10月中旬には、京都マラソンの抽選結果の発表がある。できれば、こちらにはまだ出場していないので、なんとか当たってほしいと願っている。

海賊とよばれた男 /百田直樹著

2013-09-26 22:29:20 | 読書
海賊とよばれた男 上
クリエーター情報なし
講談社


海賊とよばれた男 下
クリエーター情報なし
講談社


やっと読むことができた。超ベストセラー作家百田直樹の話題作「海賊とよばれた男」を図書館から借りることができ、上下巻を一気に読み終えた。

この作品は、小説という形をとっているが、すべて実在した人物がおり、描かれた出来事は全て事実というから驚きだ。主人公の国岡鐵造は出光興産創業者の出光佐三氏がモデルになっており、まさしく出光佐三氏の伝記小説といってもいい。上下巻で合わせて700ページ近い作品だが、最初から最後まで全く飽きることなくぐいぐいと読み進むことができた。

国岡鐵造は、父親から「一生懸命働くこと」「質素であること」「人のために尽くすこと」の三つを厳しく教え込まれたという。その教えは、生涯変わることはなかった。創業した国岡商店においては、店員(社員ではなく店員と呼ぶ)すべてが店主(社長ではなく店主)の家族であり、全員を信用しているからタイムカードや定年はなく、どんな店員でも解雇することはなかったという。その理念は、大企業になっても変わらず、店が傾きそうになった時でも自分の資産を削っても店員には給料を払い、店員が出兵している時でさえ、家族に給料を払い続けたというから驚きだ。過去にも現在にも、こんな経営者がいただろうか?労働組合もない会社ながら、店員は店主を親のように慕い、店主のためならばと身を粉に働いたというから、よほど人間的魅力にあふれた人物だったのだろう。国岡商店には、いろんな圧力や困難が降りかかってくるが、その都度、国岡鐵造の確たる信念のもと、重大な決定がなされ、幾多の困難に打ち勝っていく様は、痛快で気持ちがいい。こんな指導者が、一企業としてではなく、日本の政治の中心にいたら日本のこれからの行く末も大きく希望が持てただろうと思うのだが、政界にはそんな人物が見当たらないのが、残念なところだ。

後半では、世界をあっと言わせた「日章丸事件」を題材にとった話がメインとなる。世界一の埋蔵量を誇る油田をメジャーのひとつアングロ・イラニアン社(現BP)に支配されていたイランは、国有化を宣言したため、国際的に孤立し、経済封鎖で追いつめられる。日本が発展するためには、安くて良質の石油を調達しなければならないと考えた国岡鐵造は、イランから石油を調達するため一隻の日本のタンカー「日章丸」を極秘裏に神戸港から出港させた。イランで無事石油を調達した「日章丸」は、妨害しようとするイギリスの軍艦を見事に振り切り無事日本に帰ってきたというから、凄い話だ。これは実話だが、正直言ってそんな事件があったことなど全く知らなかった。この「日章丸事件」によって、日本の海外からの石油の調達の道が開けたといってもいい。まさに、日本経済復興の足掛かりを国岡鐵造が作ったのである。このあたりは、読み始めたら止まらない。理念を持った人物には、運命も味方するものである。すべての出来事が奇跡のような具合にうまく運んでいく様子は、我々読者にも大きな感動を与えてくれた。

小説に書かれた出来事は、事実とは言うが、ある程度は美化された部分もあるかもしれない。しかし、それにもまして日本のためにと私利私欲を捨てて一大石油会社を作り上げた国岡鐵造という人物の偉大さ、素晴らしさを多くの人に知ってもらいたいと思いこの「海賊とよばれた男」を書き上げた百田直樹の思いも大いに伝わってきた。本屋大賞をとった作品でもあり、ベストセラーとなったのも十分納得できた作品だった。

「半沢直樹」の最終回視聴率は、40%超え

2013-09-25 23:12:47 | ドラマ
22日夜に放送されたドラマ「半沢直樹」最終回の平均視聴率が関東地区で42.2%、関西地区で45.5%だったそうだ。最終回は40%超えが予想されていたが、当然のごとくクリアしたのだから凄いものだ。初回からは、見ていなかったのだが、反響の凄さから中盤から見るようになり、最終回もしっかり見てしまった。

後半の大和田常務(香川照之)に「100倍返し」をして、土下座を迫るシーンはかなり迫力があった。半沢直樹(堺雅人)の眼光の鋭さと、大和田常務(香川照之)がヒクヒク体を震わせながら土下座していく状況は、まさに息を飲むシーンだ。この二人の役者の迫真の演技は、このドラマがヒットした最大の要因だろう。そして、悪役はとにかく憎らしいほど悪い奴らで、半沢がその仕打ちを「倍返し」で返す様が爽快なことから多くの男性に受けたという。先日の同窓会でも、男性陣はみんな見ていたようで、このドラマの話で盛り上がっていたし、現役銀行員の同級生は、共感する内容が多いと言っていた。

このドラマは、池井戸潤の「オレたちバブル入行組」「オレたち花のバブル組」が原作である。池井戸潤は、「空飛ぶタイヤ」「下町ロケット」など読み応えのある作品が多く、好きな作家ではあったが、「オレたちバブル入行組」「オレたち花のバブル組」というタイトルが軽めの小説のように思えて、読んでなかった。「ロスジェネの逆襲」はドラマが始まる前に読んでいたのだが、半沢直樹シリーズの3作目とは思ってもみなかった。ここまでヒットする作品と判っていれば、シリーズ第1作から読んでおけばよかったと今思っている。

さて、ドラマの最終回では、今までの功績とは裏腹に半沢は、中野渡頭取(北大路欣也)から子会社である東京セントラル証券への出向を言い渡されて終わる。一見すると左遷としか思えない人事だが、これは次に繋がる伏線だ。間違いなく続編が作られるであろう。原作も第3作の「ロスジェネの逆襲」に続いている。そして、第4作も現在雑誌に連載中というから、このシリーズは当分続くこと間違いなしだ。

半沢直樹が、何故子会社への出向を言い渡されたかについては、いろんな憶測が飛び交っているそうだ。悪い風にとらえると、出る杭は打たれるという考え方と、上司に対する土下座強要などの振る舞いに問題があるという指摘。いいようにとらえると、半沢直樹を出世させて出向させることで頭取のお目付け役としての目的を与えているという指摘がある。はたしてどれが真相かは、次回シリーズで明らかになるのではないかと思っている。

話は変わるが、今日の「あまちゃん」では、ついに鈴鹿ひろ美(薬師丸ひろ子)が「潮騒のメモリー」を歌った。音痴でどうしようもないという設定だったが、さすが大女優と思わせる歌声でホッとした。やっぱり、薬師丸ひろ子の声はいい。最終回間近になって、彼女の生歌を聞けたのが一番良かった。

2013チャレンジマラニックin遠山郷「マラニック当日:後半」

2013-09-24 00:07:33 | マラソン
山道をぐんぐん上がって、下栗の里「はんば亭」エイドに到着する。ランナーはまだ来ないので、ここから「天空の里ビューポイント」まで歩いて行ってみる。片道20分ほどの山道である。下栗の里は、南アルプスを望む飯田市上村の東面傾斜面にある標高800m~1,000mの地区であり、最大傾斜38度の傾斜面に点在する耕地や家屋は、遠山郷を代表する景観を作りあげている。平成21年には「にほんの里100選」にも選ばれ、景観の美しさ、自然と暮らしの調和した姿がオーストリア・チロル地方に似ていることから「日本のチロル」と呼ばれているそうだ。地元住民の手造りで開設・整備された道を進んでいくと里を俯瞰できる「天空の里ビューポイント」に到着する。ビューポイントからの景色は、まさに絶景だ。紅葉の時期は、さらに美しい光景が広がり天空の里を俯瞰するにふさわしい場所である。


ビューポイントをバックにビデオ撮影隊のメンバーを撮る。


再びエイドに戻り、駐車場の前から南アルプスの山並みを撮る。本当に気持ち良い青空だ。


その後、ランナーが続々と入ってきた。
















ほとんどのランナーがはんば亭エイドを通過したので、次の「熊谷邸」エイドに向かう。ここのエイドは、「おもてなしの達人」として遠山郷では名高い熊谷治郎さんの私設エイドだ。マラニック開催時には、親戚一同も総動員でランナーのお世話をしてくれるため、毎回このエイドに立ち寄ることを一番の楽しみにしているランナーが多い。飾り付けや衣装も手作り感満載で頭が下がる「お・も・て・な・し」だ。






エイドの内容はというと、ご覧のように何でもありの状況だ。ここで一旦腰を下ろしたら20~30分は経ってしまうだろう。




熊谷さんの孫だという若い女性もエイドを手伝っていて、ランナーには大人気だった。




熊谷邸からは、南アルプスの聖岳や兎岳がよく見える。このあたりは大ぼつという地域だそうだ。熊谷邸から山を見ようという事で「大ぼつ岳見会」という集まりがあり、何かにつけて飲んだり食べたりする会が行われているという。




熊谷邸から山を下り、さらにランナーは長い道のりを走っていくことになるが、我々は一気にゴール地点の「かぐらの湯」に向かう。あとは、ゴールに入ってくるランナーを待ち受けることにした。道にはコスモスの花が咲き始め、もう秋の装いであった。


やがて「かぐらの湯」入り口に、続々とランナーが入ってきた。ゴールを直前にしてみんな表情は晴れやかだ。
















ここが本当のゴール。月桂冠をかぶって一人ひとり記念撮影だ。


当初50キロと聞いていたコースだが、土砂崩れのためコース変更があったりして実際は57~58キロくらいあったそうだ。ランナーの皆さんお疲れ様でした。以上、これでおしまい。

2013チャレンジマラニックin遠山郷「マラニック当日:前半」

2013-09-23 09:57:55 | マラソン
マラニック当日は、秋晴れのいい天気となり絶好のマラニック日和となった。山間部だけあって明け方は冷え込んでいたが、日が昇れば暑くなりそうだ。私は、今回も足底の故障のためマラニックはDNSとする。ビデオ撮影チームの車に便乗し、カメラマンとして応援に回ることにした。

開会式は、飯田市長の挨拶で始まった。


来賓の挨拶などの後、参加者全員の集合写真を撮る。遠山郷のゆるキャラ「とおやま丸くん」も一緒だ。


午前6時半。元気よくランナーたちが「かぐらの湯」前をスタートする。






朝の空気は気持ちよく、後方の山々も朝日が当たってきれいだ。




ランナーを見送り、木澤小学校のエイドに先回りする。木澤小は、郷愁を誘うレトロな木造校舎だ。


エイドや応援のスタッフも準備万端でランナーを待ち構える。






校舎入り口で佇むネコちゃん。


一山越えてきたランナーたちが、続々とエイドに入ってきた。






















エイドでは、ソバが大人気である。


しばらく平坦な道が続く。


平坦な道はすぐ終わり、ぐんぐん高度があがっていく。






かなり山の懐に入ってきたようだ。まだまだ余裕の人もいれば、キツそうな人もいる。


2013チャレンジマラニックin遠山郷「マラニック当日:後半」に続く。

2013チャレンジマラニックin遠山郷「前夜祭」

2013-09-22 22:47:39 | 観光
今年も遠山郷マラニックが開催された。今年で第7回となるが、参加者のほとんどがリピーターである。私もそのリピーターの一人として今年も遠山郷に出かけていた。マラニックの前日は、夕方から前夜祭があり、いつものマラニック仲間と参加する。

例年、引っ越しのサカイのCMでお馴染みの木澤小学校で前夜祭が行われていたのだが、今回は、マラニック途中でマレットゴルフをやらされる天仁の杜のホールが会場になった。木澤小学校と比べると会場は新しくて広い。エントリー総数は130名ほどだそうだが、約半分程度のランナーが参加していた。




大会関係者の挨拶などがあって、ランナー同士の懇談で盛り上がっていたが、後半どういうわけか静岡県出身者が集められ、みんなで「ふじの山」を歌うことになった。富士山が世界遺産に登録されたという事で久しぶりに合唱に参加するが、にわか仕込みのメンバーでは、どうも声がそろってなかったようだ。


その後、静岡県チームに対抗して長野県チームの郷土の歌が元気よく轟き、どうも勝敗は長野県チームに軍配が上がったようだ。


こちらは、遠山郷マラニックに参加する者の心得だ。
一. ランナー同士、地元民との交流を楽しむべし。
二. 遠山の自然を満喫すべし。
三. 出されたものは残さず食べるべし。


以上、マラニックの心得を守るべく、参加者はランナーや地元民との交流を楽しみ、出されたものは残さず食べ、翌日のマラニックでは十分自然を満喫したことだろう。






2013チャレンジマラニックin遠山郷「マラニック当日:前半」に続く。

「元気よく機嫌よく老い迎え」沖藤典子さん

2013-09-20 23:06:55 | 社会人大学
今年最後の社会人大学が昨日終わった。講師は、ノンフィクション作家の沖藤典子さんだ。プロフィールを下記に挙げておく。

ノンフィクション作家。1938年北海道生まれ。
北海道大学文学部卒業。1961年(株)日本リサーチセンター調査研究部入社、15年の勤務の後、夫の転勤や父親の介護などで、退職。1979年、介護や高齢社会が抱える問題、家族や女性の社会進出をテーマに書いた「女が職場を去る日」(新潮社)を発表。ベストセラーとなる。以後、執筆活動に入り、女性の生き方や家族の問題、シニア世代の研究、介護問題、次世代育成支援研究などに深い関心を寄せ、旺盛な活動、執筆を続けている。国・県・市の審議委員等を歴任。

講演は、これから高齢期を迎える人たちの心構えはどうすべきかという話だった。
その心構えとは、「自立、参加、ケア、自己実現、尊厳」という5原則である。

まず自立というと、女性は経済的自立、男性は生活的自立が必要だ。女性は生活力はあるが、経済的には十分でない人が多く、一人でも生きて行けるだけの経済的な余裕が必要だという。また、男性は定年後も「男らしさ神話」から抜け出せない人が多く、困ったときはすすんで人に頼るということをしたほうがいいという。いわゆる成熟した依存は必要なのだ。

参加というのは、社会的なつながりを持つことだ。このつながりは、役割、主体性、居場所を持つことを推進する。老後の大敵は、退屈と孤独である。必要なものは「キョウヨウ」と「キョウイク」だという。教養でもなく教育でもない。今日の用事と今日行くという事だ。

ケアとしては、老後はくよくよしない、楽天的に物事を考えるといった事柄だ。とにかくニコニコと笑うことが大事だという。いつも笑っているお年寄りはみんなから好かれるものだ。また、老後に貯めたいものは、まず貯金だが、ほかには貯筋と友貯がある。つまり筋トレと友人をたくさん作ることだ。筋肉を作ることは認知症予防になる。そしてメシを一緒に食べることのできる友達が多いほうがいい。

自己実現は、年をとってからでもできる。年をとったからこそ冒険もできる。人間以外の動物は生殖とともに命は終わるが、唯一人間だけは命が終わらない。このことは、進化の上で重要な役目を持っているという。年をとることは素晴らしいともいえるのである。

そして、尊厳とは「その人が望む場所で老いを生き、生を終える」ことだ。住み慣れた地域や家で生を終えることが、人間にとっては一番いいことかもしれない。

以上、高齢者のための国連5原則の話を中心に話された。まだまだ自分は高齢者と呼ばれる年齢のつもりでいないので、他人事のような感じで聞いていたが、今のうちからそんな心構えで生きていきたいものだとは思った。