とっちーの「終わりなき旅」

出歩くことが好きで、趣味のマラソン、登山、スキーなどの話を中心にきままな呟きを載せられたらいいな。

変な夢を見た

2012-05-31 19:24:45 | 呟き
今週は、ビジネスホテルに宿泊中である。
今日の明け方、仕事から戻って一眠りしていた時だった。
ふと気付くと、体が動かない。
なんとか動かそうとするが、まったく自由が利かず金縛り状態となった。
声を上げようにも、まともに出すことが出来ない。
必死になって、手を布団から出し、左右に振ると何やら人の手に触れたような感触があった。
やばい!何かの霊に取り付かれたのかと恐ろしくなり、しばらくもがいていた。
しかし、そのうちハッと目が覚めた。
なんだ、夢だったのかと思い、辺りを見回すと古ぼけた障子と暗い和室の部屋にいた。
ひょっとして、この部屋は曰くつきの部屋だったのかと思い、
別の部屋に変えてもらわないと続けて泊まるわけにはいけないと思案していた。
そんな事を考えていたところ、また目が覚めた。
何と、二重に夢を見ていたらしい。
改めて、周りを見回すと、ごくありふれたビジネスホテルの洋室だった。
あ~!よかった。現実の世界に無事戻ったようだ。
寝不足で、よほど疲れていたのかもしれない。

昨日の雨は酷かった

2012-05-30 07:29:50 | 呟き
仕事で、火曜日から二泊の予定で藤枝市に来ているのだが、
午後から酷い雨になってしまった。
稲妻が轟き、雷があっちこっちに落ちていた。
屋外での作業の為、こんな酷い雨では何もできない。

同僚が傘を差して外にいたら、雷が落ちて手が痺れたという。
危うく大事故になるところだった。
おかげで、この日の作業は中止して、一日延期することになった。

結局、もう一泊することになり金曜日まで帰れなくなってしまった。
今後の仕事の進捗に影響がでそうで、頭がいたい。

今年も皇海山の登山は無理かも

2012-05-29 00:46:05 | 山登り
一昨年辺りから、日本百名山の一つである皇海山(すかいさん)の登山を何度か計画しているのだが、
毎回、道路事情により登山を断念せざる状況になっていた。
そして、今年も三度目の挑戦のつもりで、日程を決めて計画していたのだが
またもや、中止しなければならないことがわかった。

群馬県沼田市のHP(http://www.city.numata.gunma.jp/sukai/index.html)によると
登山口に繋がる栗原川林道が、未だ通行できないことが下記のように記載されている。

【根利側】路肩崩落及び土砂崩れの復旧工事を行うため今シーズンは通行できません。
【追貝側】工事による通行制限のため9月30日までは全面通行止となります。それ以降の状況につきましては決まり次第お知らせいたします。

というわけで、期待できるとすれば追貝側が10月から通行できるかによる。
うまく紅葉の時期に合わせて開通してくれれば、何とかなるかもしれないが
その前に、台風などがくるとまたもや通行止になってしまうかもしれない。
日本の中でも、行きたくても行けない山って、あるものだ。

ハタケニラが繁殖中

2012-05-28 19:01:01 | 


毎年この時期になると、茎が40~60センチほどで直径1センチほどの白い花をつける草が畑の中に異常に生えてくる。一見、きれいな花でたくさん咲いている様は、なかなかいいじゃないかと思っていたが、ところ構わず咲き乱れているのでやはり気になってしまう。昔から、妻がこの草を嫌っていて、花が咲く前に取らないといけないと盛んに気にしていた。

この草は、ユリ科の外来生物「ハタケニラ」といい、葉にニラ臭があることから名前がついているが、農業関係者の間では強力な雑草として忌み嫌われているという。とにかく繁殖力が非常に強く、一端侵入を許すと駆除は困難になる。その主な原因は、地下茎に大量の鱗茎を形成することにあり、鱗茎1つ1つから容易に再生し数を増やすため、雑草として処理する際にはこれを全て回収しなければならない(地上部を刈り取っても意味が無いという)。また、この鱗茎は1粒が小さくポロポロとこぼれやすいので除去の際に飛び散りやすく、下手に除去しようとすると大繁殖を許してしまうことになるというのだ。

しばらく前、このハタケニラが畑の半分くらいに咲き出していたので、あわてて刈り取ったのだが、地下茎を全て取り除くことはとても不可能なので、そのままになってしまっている。一部は、掘り起こして地下茎を出来るだけ取除いたのだが、それでもかなり地中に残っているはずである。今日も、畑を見に行ったのだが、別の場所にハタケニラの花がニョキニョキと咲き出していた。今後も、ハタケニラとの戦いが続きそうだ。

2012佐久間水窪スーパーマラニック

2012-05-27 22:38:02 | マラソン
しんしんさんの呼びかけによる「佐久間水窪スーパーマラニック」に参加してきた。遠州一の名山竜頭山の登山を含み、佐久間・水窪周辺をまる一日かけて楽しもうという60キロほどのマラニックである。1週間前100キロを走った後なので、果たしてまともに走れるか心配だったが、意外と後遺症もなく、なんとか無事に走ってくることが出来た。

午前7時前にJR飯田線の中部天竜駅前に到着する。今回の参加者は、サポートの人を含めて14名だ。中部天竜駅前で集合写真を撮ってスタートする。


快晴の爽やかな天気の下で、気持ちよく走り始める。


まずは、JR線の橋梁脇の歩道を走る。橋梁の下には天竜川の流れがある。


佐久間町を抜け、橋を渡ると152号線である。左に曲がり、竜頭山の登山口である平和まで向かう。


後ろを振り向くと、空には雲一つなく青い空が広がっていた。


平和の登山口から、グングン山を登っていく。新緑が眩しいくらい鮮やかである。今回の最大の難所である。登山口からは標高差1000m以上あり、急な道が嫌になるくらい続いている。


山頂近くの展望台に10時過ぎに到着する。ここまでは平らな場所がなく、上り始めてから初めてまともに休憩できる場所だ。遠くの山々がクッキリと見えている。


ほぼ同じくらいに到着した仲間達と記念撮影だ。


展望台を少し下り、本来の頂上に向かう。


10:10。竜頭山1351mの頂上に到着する。遠州地方では、最も高い山である。


頂上から下ったほうずき平でエイドが開かれていた。冷たい水や果物、お菓子、パン、おにぎり等いろいろ用意していてくれたので、大変助かった。ここまでくるまで、ほとんど食べていなかったので、お腹がペコペコで、食べ物がいくらでもお腹に入った。そして、みんなが出発しそうになった頃、参加していたヒロボーさんが、おもむろに袋から何かを取り出した。ひょっとしてアレかなと思ったら、案の定お得意のオカリナが出てきた。数曲オカリナの演奏を聞いた後、天竜スパー林道を走り、山住神社を目指す。


上り坂が続き、遅れをとっていたが、山住神社前のエイドでなんとか先行組に追いつき、鹿の像の前で写真を撮る。


山住神社からは、10キロほど一気に下る。標高差も1000mある。これもきつい下りだ。途中に「山住の水」という名水の湧き水があり、乾いた喉を潤す。


さらに、どんどん下っていくと「布滝」という滝があるのだが、雨がしばらく降っていないのでほとんど水がない。カラ滝の前で一応写真を撮る。


水窪の町まで下る。人通りがほとんどなく、通るのは車だけだ。


城西駅近くの茶店で一休みだ。


ここから、再び山道を上っていく。横吹という集落があり、その先には、しんしんさんの実家があったそうだ。


横吹から山を上り下りして西渡の集落に下山後、JR中部天竜駅目指して走り出す。残り約5キロだが、かなり疲れてきて歩いたり走ったりの繰り返しが続く。電源開発の変電所横を通過すると、朝走った天竜川橋梁が見えてきた。ここまでこれば、あと僅かだ。


駐車場の下から上にあがると、ゴールが見えてきた。


16:48無事ゴール。制限時間17:30までには余裕を残してのゴールだった。


その後、まだゴールしていない人たちを待ち、全員ゴールしたのを見届けて帰ってきた。5月のこの時期は、それなりに暑かったが、山の風が爽やかで、走るにはいい一日であった。北遠地方を良く知ってほしいという、しんしんさんの思いをしっかり受けとめ楽しませてもらった。

また、参加者した皆さん全員無事ゴールでき、おつかれさまでした。

『人生の楽園』~旧街道の歩き方~

2012-05-26 19:53:44 | テレビ
ラン仲間の情報で、テレビ朝日系で放送されているドキュメンタリー番組『人生の楽園』(じんせいのらくえん)を見た。この日の放送は、旧東海道品川宿に2011年、古書店「街道文庫」を開業した田中義巳さんが主人公だった。田中義巳さんは、「東京から京都までの旧東海道を1週間かけて走る」「太平洋岸から日本海岸まで5日間で日本横断を走り抜ける」といった超長距離を旅するように走ること、あるいは走って旅する「ジャーニーラン」を企画していた人である。私は、この人の企画に参加したことはなかったのだが、このように旅をしながら走るという事に憧れを抱いていたので、どんな人なのか興味があってテレビ放送を見た。

田中さんは、現在はジャーニーランから街道歩きの方に軸足を移しているようだ。走るよりも歩いた方が全部見ることができるというのは同感である。私も、かつては旅というと車やバス、飛行機等で点と点を結ぶだけの事で終わることが多かったが、最近では、乗り物を使わず自分の足で走って回ることで新たな視点を見つけ出すことができていた。だが、やはり究極の旅は、歩くことが一番である。早く移動することより、ゆっくりでもいろんなところに目を向け、興味を深め長い時間を楽しむということが最高の贅沢のように思えてくる。今回のテーマである旧街道を歩くというのは、まさに『人生の楽園』の王道とでもいうべき生き方だと共感してやまない。

テレビでは、募ったメンバー8人と塩の道(千国街道)を歩く様子が放送されていた。松本駅から大町市まで1泊2日で40キロ歩き、道標、道祖神、美しい安曇野の風景などに触れ、街道歩きを楽しんでいた。宿に着いてもそれで終わらず、夕食後には勉強会を開催し、さらに街道の知識を深めるなど知識の吸収に貪欲である。メンバーの中には、顔見知りの人が何人もいて、みんな相変わらず元気だなあと感心しつつテレビ放送を楽しんだ。まだ、しばらくは現役で仕事を続けなければならないが、退職後は、こんな生き方をするのも悪くないなと思いを強くした。

社会人大学始まる・「幕末明治・静岡の群像」日比野秀男氏

2012-05-25 21:44:01 | 社会人大学
今年も、社会人大学が始まった。
まず第1回目の講師は、常葉学園大学造形学部長の日比野秀男氏で「幕末明治・静岡の群像」という題目で講演が行なわれた。
ただ、前の日から静岡市内で泊り込みの出張の仕事があり、この日も静岡での仕事の合間をぬって講演を聞きに行ったのだが、
疲れと寝不足でまともに聞けていなかったのが残念だ。
終わってからも、急いで新東名高速道路で仕事先に戻るというハードなスケジュールだった。

うとうとしながらの状態で聞いた内容をすこし挙げてみる。
今回の講演は、静岡県にも幕末から明治にかけて活躍した偉人がいたという話だ。

それは、幕末の幕臣、明治時代の政治家、思想家としても知られる山岡 鉄舟(やまおか てっしゅう)である。
山岡鉄舟は、明治維新のハイライトといわれる江戸城無血開城の立役者で、
西郷隆盛と勝海舟のトップ会談を実現させ、江戸を戦火から救ったことで有名だ。
また、剣・禅・書の達人として明治維新後の多くの人材に影響を与え、中でも明治天皇の教育係として十年間仕え、
日本の近代化(特に、精神教育や文化)に多大な影響を与えたともいわれている。

特に書は、人から頼まれれば断らずに書いたので各地で鉄舟の書が散見されており、
一説には生涯に100万枚書したとも言われているという。
また、有名な木村屋のあんパンを好んでおり、毎日食べていたともいわれ、木村屋の看板も鉄舟の揮毫によるものだという。
他には、浜松市内にある臨済宗方広寺派の大本山である奥山方広寺の再建に尽力を尽くした話や、
清水次郎長との親交があったという話を興味深く聞くことができた。

6月6日は「金星の太陽面通過」

2012-05-24 21:40:12 | サイエンス
先日の金環日食は、けっこう多くの人が見たようで大いに盛り上がった。
そして、続けてだが6月6日には、「金星の太陽面通過」という現象が見られるそうだ。
金星の太陽面経過とは、太陽の上を金星の丸い影が動いていく現象で、
地球-金星-太陽が一直線に並び、金星が太陽の手前を通過するために起きる。
地球からの距離が月よりも金星が遠いため、太陽には小さな丸となって見える。
時間は午前7時過ぎから、午後2時前くらいの間で太陽上を移動する。

この現象は、金環日食よりもレアな現象で、今、世界に生きている人々にとって、おそらく人生最後のチャンスだという。
次回は105年後の2117年12月11日まで起こらないということだ。
先日の日食観測グラスがそのまま使えるので、購入した人はまだ捨てないで「金星の太陽面通過」を観測して欲しい。
私も、この日は、しっかり準備して観測写真を撮りたいものだ。

因みに、2004年6月8日にあった「金星の太陽面通過」の様子は、こんな感じだったそうだ。


(国立天文台のHPより)

野辺山高原周辺を観光する

2012-05-23 00:12:18 | 観光
八ヶ岳野辺山高原ウルトラマラソンの前後の日は、少し観光しながら回った。

第1日目に寄ったのは、清里高原の清泉寮だ。昭和3年に米国人宣教師ポール・ラッシュが建設したもので、農場、ファームショップ、やまねミュージアム、八ヶ岳ふれあいセンター、ポール・ラッシュ記念センターといった施設のほか、宿泊施設も備えている。広大な高原からは、八ヶ岳や富士山、南アルプスが一望である。

清泉寮といえば、ソフトクリームが有名だ。清里に行ったら、ここのソフトクリームを食べなければ行った意味がないくらいの美味しいソフトクリームである。シーズン中は長蛇の列だが、スタッフもテキパキと処理してくれるので、待ち時間は意外に長くはない。こちらが、ソフトクリームの売店である。


売店から見える、南アルプスの展望。


こちらは、八ヶ岳連峰。


清里高原から、野辺山高原に移動する。八ヶ岳の手前には、広大な高原野菜の畑が広がっている。これだけ広い畑だから大型機械での大規模農業が可能になっているようだ。


松原湖畔にある松原諏訪方神社には国の重要文化財として「野ざらしの鐘」がある。これは武田信玄が信濃攻めの際、落合新善光寺からの略奪品といわれている。この鐘を屋根の下に置くと、火事の難に遭うというところから、野ざらしにされ、以来「野ざらしの鐘」と称されているそうだ。


松原湖は、888年の八ヶ岳連峰・天狗岳爆発により、丘陵地の窪地を流れる大月川が泥流によりせき止められて氾濫して生成された自然湖である。この日は、穏やかな湖面に、八ヶ岳連峰が映っていた。


3日目は、松原湖の上にある「八峰(やっほー)の湯」に寄る。前日のマラソンの時には、42キロのエイドがあった場所だ。八ヶ岳をバックに記念撮影する。


「八峰の湯」前からは、左から赤岳、横岳、硫黄岳、天狗岳、稲子岳等が見える。


とにかくこの3日間は、八ヶ岳の展望を充分満喫できた。

金環日食に感動する!

2012-05-22 22:47:52 | サイエンス
八ヶ岳野辺山高原ウルトラマラソンの翌朝は、金環日食の日であった。
早くから、新聞やテレビで予告されていたこともあって日食観測用グラスをしっかり用意して民宿に泊まっていた。
マラソンを完走できたこともあって、翌朝は早々と目が覚めた。
嬉しいことに、カーテンを開けると太陽が眩しく輝いていた。
天気予報では、曇りで晴れ間が見えるかどうかはっきりしない様子だったが、
うまい具合に外れて、絶好の観測日和となっていたのだ。

早速、観測グラスで太陽を観測してみると、朝6時半くらいから太陽の上部が僅かに欠け始めていた。
民宿の窓から見えるのだが、やはり外に出てしっかり見てみたくなり、
仲間達と連れ立って、周囲を散歩しながらリング状になるまで待つことにした。
結局、民宿近くの松原湖(長野県小海町)のほとりで観測することになった。

観測グラスで見ると、欠けていく様子が実に良くわかる。
結局、民宿に泊まった仲間全員が松原湖に集まってきた。
みんなでワーワー言いながら、太陽を眺めている様は面白い。
これほど、同じ目的で大勢の人間が行動するのはめったにないことである。

やがて、7時30分を少し過ぎた頃、太陽の中にすっぽり月が入り、金色のリングが出来上がっていた。
全員が歓声を上げる。
こんな天体ショーを見たのは生まれて初めてのことだ。
広範囲で金環日食が見られるのは実に912年ぶりというから、ほとんどの人が初めて見る光景だったに違いない。
完全な金環状態は僅かな時間であったが、しっかり目に焼き付けることが出来た。
ただ、コンパクトデジカメはうまく撮影する事が出来ず、まともに撮れた写真が一枚もない。
三脚、一眼レフ、専用フィルターなど、しっかり用意しておくべきだった。
まあ、新聞やテレビではプロの撮った写真が公開されているので、それで充分だ。

金環日食を見ていて、一つ気付いたことは、気温がかなり低下していたことだ。
やはり、太陽の光は温かい。
月の影で光が遮られ、地球に降り注ぐ熱も低下していたことが良くわかった。
太陽の恵みが如何に大きいことも、改めて体感出来た気がする。

さて、次の金環日食は、北海道で2030年6月1日、中部地方で2041年10月25日に観測できるという。
長生きしてれば、もう一度見られるかな。