とっちーの「終わりなき旅」

出歩くことが好きで、趣味のマラソン、登山、スキーなどの話を中心にきままな呟きを載せられたらいいな。

2021第7回熊野古道ジャーニーマラニック:中辺路編その3-3日目(発心門王子~熊野本宮大社)

2021-06-30 22:26:12 | 熊野古道
船玉神社から、わざわざ赤城越をして湯の峰温泉まで行ったのは、約1800年前に発見されたという日本最古の温泉が湯の峰温泉(ゆのみねおんせん)と言われていたからだ。熊野へ詣でる前に、人々はここを湯垢離場(ゆごりば)として身を清め、長旅の疲れを癒したとされる由緒ある温泉だから、どうしてもみんなに泊まって欲しかった。


湯の峰温泉の宿から少し歩くと、谷合いに湧き出る天然の岩風呂「つぼ湯」がある。1日に7度も色が変化すると言われている風呂だ。平成16年7月には、世界遺産としては唯一の入浴できる温泉として登録されている。




また、「つぼ湯」は、餓鬼病となった小栗判官がこの湯に浸かり、死の淵から息を吹き返したという有名な伝説が「小栗判官照手姫物語」として、今でも歌舞伎の世界で語りつがれている。


さて、我々は、湯の峰温泉からバスで発心門王子に向かう。前日、赤城越の分岐で途切れた続きを始めるためだ。30分ほどで、発心門王子に到着して、船玉神社から上がってきたところの鳥居まで歩く。


発心門王子から熊野本宮大社までの古道は、熊野古道中辺路のクライマックスである。熊野本宮大社の神域の入口とされる別格の「発心門王子」から、中辺路の完踏を目指してスタートする。


まずは、舗装された歩きやすい道を進む。


道案内の八咫烏の指示に従って熊野古道を進む。


水呑王子は古い歴史のある王子社のひとつで、平安末期の藤原宗忠参詣記(中右記)に「内水飲王子 新王子」と記載があり、もとは「内水飲」といわれていた。中辺路町高原の熊野道に古くから参詣人の宿になっている場所の「水飲」という場所と区別する為に、それよりも本宮に近いこの地を「内水飲」と呼んだといわれている。江戸時代になって「水呑王子」と表記されるようになったという。


水吞王子だけあって、近くにある湧水を飲んで行く。


次の伏拝王子に向かって進む。


世界遺産に登録された熊野古道小辺路が通る果無山脈。天空の里ともいわれる果無集落もあり、次回に行くであろう未踏の地に思いをはせる。


伏拝王子跡。長く厳しい参詣道を歩いてきた参詣者が、熊野本宮大社(旧社地大斎原)を、はじめて望むことができたため、遠く望んで伏し拝んだとされる場所。


伏拝王子前にはきれいなトイレと休憩所がある。


三軒茶屋跡前にある九鬼ケ口関所。ここは、小辺路と中辺路の分岐点だ。次回予定している小辺路ルートを下ってくると、ここに出るようだ。


熊野本宮大社は、もうわずかだ。シダの生い茂る道を進んで行く。


祓殿王子跡。本宮大社への最後の王子社で、大社と近接する大樹の陰にあり、石造の小祠が祀られている。この王子は、長かった道中の汚れ穢れを払い、身を浄めて本宮大社に参拝するための禊場であった。


本宮大社の裏鳥居から境内に入る。


本宮大社に無事到着。発心門王子から約2時間。7.1キロの道のりだった。


その後、路線バス、高速バス、JRを乗り継いで帰路についた。残りは、小辺路と紀伊路のみとなった。

参考1.3日目の高低図&コースタイム


参考2.3日目のコースマップ

2021第7回熊野古道ジャーニーマラニック:中辺路編その3-2日目(滝尻王子~船玉神社~湯の峰温泉)

2021-06-29 19:35:15 | 熊野古道
2日目は4時半に起床し、5時から朝食だ。熊野古道シリーズでは、この日が最長の距離を走ることになり、予想走行時間も12時間をみているため、早めのスタートとなった。朝食を済ませ、宿の前で写真を撮り、5時半スタートする。


滝尻王子入り口前でも記念写真。一般的に、中辺路を歩く人は、ここからスタートすることが多いという。


滝尻王子の境内から、中辺路のコースに入っていく。


不寝王子跡。江戸時代の「紀南郷導記」で、ネジあるいはネズ王子と呼ばれる小社の跡があると記され、のちに「不寝」の文字があてられたらしい。


うっすらと霧がかかる森の中を進む。


高原地区に出ると、雲海の上に山々が浮かんでいる。


高原熊野神社は高原地区の産土神で、熊野古道・中辺路(なかへち)沿いにあり、不寝王子と大門王子との間に位置する。高原王子と呼ばれることもあるが、平安時代から鎌倉時代にかけてこの神社は存在せず、熊野九十九王子のうちには入っていない。


霧が晴れてきて、山々の姿がはっきりしてきた。次回、小辺路ルートで通過するであろう果無山脈も見えている。




石畳の道を登っていく。


大門王子跡。高原集落から十丈峠へ向かう山道にあり、かつて付近に熊野本宮の大鳥居があったのが名の由来。


大阪本王子跡。


大阪本王子跡から一旦、熊野古道を外れ、道の駅「熊野古道中辺路」で休憩する。再び、熊野古道に入り、しばらく進むと牛馬童子像に出会う。場所は、箸折峠近く。高さ50cm程度の小さな石像で、文字通り、牛と馬の2頭の背中の上に跨った像である。一説には、延喜22年(922年)に熊野行幸を行った花山法皇の旅姿を模して明治時代に作られたとされる。この石像のある箸折峠の由来は、花山法皇が食事のため休憩をした時に、近くの萱を折って箸代わりにしたからといわれている。


さらに進むと、近露王子だ。


熊野詣の宿場として賑わった近露の里の中に鎮座して、産土神としても祀られていたという近露王子(ちかつゆおうじ)は、王子社の中でも最も早く現れた王子のひとつ。近くを流れる日置川は近露王子におまいりする前に潔斎をした清流で、川岸には後鳥羽上皇の御所もあったといわれている。


楠山坂からは、乙女が横たわっているように見える「乙女の寝顔」と呼ばれる山(半作嶺:はんさみね)の稜線がみえる。




継桜王子。社殿に向かう石段を挟んで杉の巨木が立ち並んでいる。推定樹齢は800年だという。熊野古道「中辺路」沿いではこれほど大きな杉は他にはないそうだ。


継桜王子の隣にある“とがの木茶屋”で昼食休憩する。


民家の入り口にあった“安倍晴明の腰かけ岩”。陰陽師で有名な安倍晴明がここの岩に腰かけて休んだと言われている。


草鞋峠(わらじとうげ)。案内板には「この付近の山道は、蛭降(ひるふり)峠百八丁といわれ、山ビルに悩まされたところ」と書かれていた。ただ、今はそれほど多くはないという情報もあったので、軽く見ていたが、やはり今もヒルは生息しており、以後、メンバーの足本には、ヒルが何匹もくっついていた。被害にあった人もいて、この辺りを通過する際は、ヒルに十分注意する必要がある。


岩神峠と三越峠の間を流れる湯川川の谷間に位置するのが湯川王子。往時には参詣の途上の宿泊地として機能し、皇族などもこの地に宿泊することが多かった王子だという。


三越峠。ここは昔、関所があったらしく、入り口は門のような造りになっている。門を通り抜け下っていく。


音無川沿いの道は、気持ち良い遊歩道だ。


船玉神社手前で、赤城越の分岐があり、発心門王子方面には行かず、湯の峰温泉方面に向かう。

鍋割地蔵。この地には一遍上人にまつわる伝説がある。弟子が先に赤木越の峠で上人を待ちながらご飯を炊いていると、ご飯が炊きあがらないうちに鍋の水がなくなっているのに気づき、慌てて水を汲みに行って帰ってきたら、鍋が割れて米も黒焦げになっていた。そこに後から発った一遍上人が追いつき、これも如来が与えたもうた試練かと、何も食べずに再び歩き始めた。このことからこの辺りは鍋割と呼ばれるようになり、お地蔵さんも鍋割地蔵とよばれるようになったようだ。


柿原茶屋跡に到着。廃屋があり、昭和の時代くらいまでは営業していたのかもしれない。


その後、岩盤がむき出しになった急勾配の坂道が続く。別名「地獄坂」というらしく、最後の最後になってキツイ下りだった。階段になった道を下っていくと、突然アスファルトの車道が見え、やっと湯の峰温泉に着くことができた。


距離にして35キロ、時間は11時間20分とほぼ半日動き詰めのキツイ行程だったが、無事湯の峰温泉にたどり着くことができた。ただ、さすがに疲労困憊で、風呂から出るとしばらく起き上がることもできなかった。

参考1.2日目の高低図


参考2.2日目のコースタイム


参考3.2日目のコースマップ


「2021第7回熊野古道ジャーニーマラニック:中辺路編その3-3日目(発心門王子~熊野本宮大社)」に続く。

2021第7回熊野古道ジャーニーマラニック:中辺路編その3-1日目(紀伊田辺~滝尻王子)

2021-06-28 22:57:25 | 熊野古道
今回は、中辺路編の最終回だ。大阪から特急くろしおに乗って紀伊田辺駅に到着する。大辺路編のスタートもここからだったので2回目となる。


駅からしばらく進むと、道分け石がある。「左 くまの道」と書かれ、その下に小さく「すくハ 大へち」とある。「すくハ」は「真っ直ぐ進むと」という意味で、ここが中辺路ルートと大辺路ルートの分岐点になる。中辺路方面からは「右きみい寺」と案内している。


今回は、中辺路方面に向かう。しばらくすると会津川にかかる大師橋が見えてくる。


大師橋を渡り切ると真正面にあるのが、高山寺だ。高山寺は弘法大師が開創したと伝わる名刹で、墓地には合気道の開祖・植芝盛平や世界的な博物学者・南方熊楠が眠っている。


秋津橋を渡る。


秋津王子跡。藤原定家の熊野御幸記に秋津王子の名が初めて登場する。秋津にあったことは確かだが、このあたり一帯は低地で会津川の氾濫により、元の場所は消滅して確定できないそうだ。


田辺市中万呂(なかまろ)に鎮座する須佐神社。須佐之男命(すさのおのみこと)を主祭神としている。


梅の畑に囲まれた見晴らしの良い場所にある三栖王子跡。




この先から、熊野古道が明瞭でなくなってくる。ここ最近歩いている人がいないようで、草が生い茂り、しばらく付近をうろうろして道を探しながら進む。


みかん畑を歩いていくと、南方熊楠山中裸像撮影場所という看板が出てきた。南方熊楠が裸姿で撮影した場所というのがここというわけだ。残念ながら、写真にある松の木はもうないようだ。


八上王子は西行法師(1118~1190)が歌を詠んだことでも知られ、西行の生涯を描いた『西行物語絵巻』にも、西行が八上王子の社殿の瑞垣に歌を書き付ける場面が描かれている。


稲葉根王子に到着する。


稲葉根王子の境内で、しばらく休憩する。


口熊野古木モニュメント。この大古木は樟であり、明治22年(1889年)、この地方に未曾有の大水害があり、富田川の水源地帯では山崩れが多く、川をせき止め、その堰が切れて鉄砲水となって被害が拡大した。その際、上流から流されて川底に埋没していたものが、平成9年(1997年)に姿を現し、平成11年(1999年)に開催した南紀熊野体験博・中辺路いやしの広場のモニュメントとなったと云う。


一瀬王子跡。かつての熊野詣では富田川対岸の稲葉根王子で馬を捨て、最初に川を渡るのが一ノ瀬であったといわれている。水垢離場として重んじられ、熊野に入るためのみそぎの場所であったという。


鮎川王子跡。


すぐ隣には、鮎川王子が合祀されている住吉神社がある。


能越(のごし)橋の袂に藤原定家の歌碑がある。


富田川沿いの地道を進む。


富田川の流れに癒される。


吊り橋の北都橋を渡る。


橋の上から見た富田川の流れ。


熊野詣にまつわる物語でもっとも有名なのが、道成寺の安珍清姫の物語だ。そのヒロイン清姫は、熊野古道「中辺路」が通る現和歌山県田辺市中辺路町の真砂(まなご)という集落が出身地だとされる。


真砂の富田川のほとり、茅葺きのお休み処「清姫茶屋」の近くに清姫の墓と伝わる石塔が残されていて、石塔の横には「清姫之墓」と刻まれた石碑があり、それには「煩悩の焔も消えて今ここに眠りまします清姫の魂」とのご詠歌が刻まれている。


滝尻バス停から橋を渡ると見えてくるのが滝尻王子だ。1日目は、この滝尻王子がゴールとする。


滝尻王子のすぐ隣にあるのが、この日の宿となる“古道の杜あんちゃん”。翌日は、すぐにスタート地点にたてるので大変便利な場所にある宿だ。


参考1.1日目の高低図


参考2.1日目のコースタイム


参考3.1日目のコースマップ


「2021第7回熊野古道ジャーニーマラニック:中辺路編その3-2日目(滝尻王子~船玉神社~湯の峰温泉)」に続く。

2021九重山・祖母山登山ツアー:3日目

2021-06-17 21:14:00 | 山登り
祖母山は、当初、宮崎県側の北谷登山口から登る予定でいたのだが、いろんな情報を調べていたら登山口に向かう道路が通行止めになっている事がわかり、急遽、大分県側の神原(こうばる)登山口から登る事になった。

休暇村南阿蘇から神原登山口までは、車で1時間ほどと、北谷登山口とも同じくらいで、取り立てて問題はない。残念ながら朝から雨だったが、ナビに従って登山口に着いた。1合目駐車場は、舗装されており、トイレも併設されたきれいな駐車場だ。既に数台の車が止まっており、我々も雨具を着て出発する。


登山口には、入山者カウンターがあり、手動で人数を入力する。


トレッキングコースの看板を見ると、渓谷の両側にコースがあるのがわかる。


まずは、渓谷沿いのコースで行くことにした。


渓谷沿いにはいくつも滝があり、見ごたえのある渓流が続いている。




木馬道の跡辺りで、沢を渡渉する。


岩と岩の間に架けられた丸太橋は、なかなかスリルがある。慎重に一人ずつ渡る。


その後も、大岩の間を通り抜け、反対側の岸に着くと、5合目避難小屋がある。


5合目避難小屋からは、いよいよ本格的な登山道となる。


岩の隙間に咲いていたタツナミソウ。「立浪草」の意で、花が咲くようすが、泡立って寄せてくる波を思わせるのでついたという。


延々と続く急登を上がって行くと、やっと国観峠(くにみとうげ)に着いた。広い平地となっており、一息つける。北谷登山口からの合流点でもある。


ベニバナサラサドウダンのトンネルの中に入っていく。


山頂までの道は、粘土質でやたらに滑りやすく、慎重に歩き、空がやっと見えてきたと思うと祖母山山頂1756mだった。


我々が着いたときには、誰もおらず、気兼ねなく山頂記念写真を撮る。


山頂周辺には、九重山ほどではないが、ミヤマキリシマが咲いていた。


山頂で、昼食とするつもりだったが、虫があまりにも多くて、閉口する。しかたなく9合目避難小屋迄下りて、そこで昼食休憩とした。

あとは元来た道を戻り、5合目避難小屋まで一気に下る。


5合目避難小屋からは、渓谷沿いのもう一つのルートで下山して行く。雨に濡れた木道は、結構滑りやすい。


14:30頃、全員無事下山する。あとは、1時間半ほどかけて熊本空港までむかい、帰路についた。今回の登山ツアーは、晴れた日がなく、ずっと曇りか雨という梅雨満喫の登山だったが、さほど大雨に降られることはなく、ほぼ予定通りの登山が出来たのは幸いだった。

参考1.3日目のコースマップ


参考2.3日目の高低図&コースタイム

2021九重山・祖母山登山ツアー:2日目

2021-06-16 23:08:39 | 山登り
2日目の朝。法華院温泉山荘前には、坊がつる湿原が広がっている。朝食前の散歩で坊がつる湿原を散策しに行く。


湿原の中の池を渡る。


法華院温泉山荘の玄関。


この日も、雨交じりの天気になりそうなので雨具を着て出発する。


前日下山してきた法華院温泉山荘の裏手の道を登っていく。


振り返って平治岳方向を眺めると、ちょうど雲が晴れ、山頂が見えていた。山頂周辺は、一面ピンクのミヤマキリシマに覆われているのが見える。天気が良ければ、朝早く平治岳に登ってみたかったのだが、天気が悪そうなので断念したのだった。


再び北千里浜に戻ってきた。


硫黄岳の荒々しい景色を眺めながら、険しい岩場を登っていく。


久住分かれを経て、久住山山頂1786.5mに到着する。久住山は九重山の主峰だ。


久住山から、一旦戻り、中岳方面に向かう。このあたりのミヤマキリシマもきれいだ。


北千里浜の奥に聳える三俣山の山頂周辺にもミヤマキリシマが群生して咲いているのが見える。


天狗ヶ城、中岳方面に登り返す。


御池を回り込んで、中岳に向かう。晴れていれば、エメラルドグリーンに輝く御池だ。西側にある火口跡の空池には全く水がないのだが、空池よりも標高が高い位置にある御池には、涸れることのない水がたたえられているのが不思議だ。


白いガスの中に御池が見えて幻想的だ。


中岳1791mに到着する。九重山の最高峰だ。


続けて、隣のピークとなる天狗ヶ城1780mにも登頂する。


天狗ヶ城からも三俣山方面が良く見える。


久住分かれを経て、久住山避難小屋に到着する。ここで、弁当を食べて昼食休憩する。


帰りは西千里浜を経て牧ノ戸峠に向かう。


この辺りも白いガスに包まれているが、一面ミヤマキリシマが群生している。


沓掛山のピークが見えてきた。


鎖の階段を上ると沓掛山だ。


沓掛山1503mの山頂。


牧ノ戸峠の駐車場が見えてきた。


13時少し前に牧ノ戸峠に到着する。ソフトクリームなどを茶屋で食べてから、次の目的地である南阿蘇方面に向かう。やまなみハイウェイの途中で、突如現れる大量のトピアリーには、誰しも車を止めて見ていきたくなる。


千羽鶴鹿公園という名前の公園で、鶴や鹿のほかいろんなテーマのトピアリーが並んでいて見て回ると面白い。


休暇村南阿蘇に宿泊して、3日目は祖母山に登る予定だ。

参考1.2日目のコースマップ


参考2.2日目の高低図&コースタイム


「2021九重山・祖母山登山ツアー:3日目」に続く。

2021九重山・祖母山登山ツアー:1日目

2021-06-15 23:19:40 | 山登り
6年ぶりに九州の百名山、九重山と祖母山に行くことになった。特に九重山と言えば、ミヤマキリシマの大群落で知られている山だ。今回も、ミヤマキリシマを見たくてこの時期に行くことになった。

朝一番の飛行機で熊本空港に到着して、九重山の登山口の一つである牧ノ戸峠に向かう。牧ノ戸峠の駐車場に着いたのは12時過ぎだった。九州は、ちょうど梅雨のまっさ中で、今回の山行の間は、ずっと雨模様の予報になっている。例年であれば、ミヤマキリシマの時期は、駐車場が満車になってしまうというが、コロナ禍により、空きスペースが目立つ。


私以外は、全員初めての九重山で、ミヤマキリシマの群落を見るのを楽しみにしていた。


牧ノ戸峠から、しばらくは舗装された道を進む。


まず、最初のピーク、沓掛山が見えてきた。所々にピンクのミヤマキリシマが見える。


標高が上がるにしたがって、斜面全体にミヤマキリシマが咲いているのが良く見える。


辺り一面がピンクと緑で覆われている。みんなこんな景色は見た事がないとビックリしている。




扇ヶ鼻と久住山の分岐に到着する。


さらにミヤマキリシマの群落が目立ってきた。


星生山へと続く登山道に入る。風が強くなり、帽子が飛ばされそうだ。


星生山周辺のミヤマキリシマの群落は、思っていた以上に素晴らしい。平治岳とか大船山が凄いと聞いていたが、星生山も見どころ一杯だ。これで天気が良ければ、最高だったが、梅雨時なので、十分満足だ。


星生山山頂迄あと少し。


星生山1762mに到着する。残念ながら、ガスで一面真白となり、展望が効かなくなっていた。


しばらくするとガスが晴れ、硫黄山の荒々しい景色が見えてきた。


下山時に通過予定の西千里浜も見えた。


星生山から久住分かれ方面に下る。


星生山は、キツイ登りだったが、下りも同様にキツイ。




大きな岩や小さな岩の塊の中を下る。


久住分かれの避難小屋とトイレが見えてきた。


避難小屋から少し上ると久住分かれだ。


久住分かれから法華院山荘へ向けて、さらに岩場を下る。黄色のペンキがやけに目立つ。


北千里浜が見えてきた。


硫黄山の荒々しい景色をバックに記念撮影。


北千里浜からさらに下っていくと、この日の宿である法華院温泉山荘が見えてきた。


標高1300mの坊ガツルという場所に位置するこの山荘は、九州最高所の秘湯と知られている。温泉に入ってからの夕食は、登山の疲れを癒してくれる。2日目は、九重山の主峰・久住山と最高峰・中岳などを登って下山する予定だ。

参考1.1日目のコースマップ


参考2.1日目の高低図&コースタイム


「2021九重山・祖母山登山ツアー:2日目」に続く。

2021毛無山~十二ヶ岳~鬼ヶ岳縦走

2021-06-01 23:16:55 | 山登り
昨年の今頃、このプランを計画していたのだが、雨で中止となり、先日1年越しで行くことになった。このコースは、岩場やロープ、鎖が連続してあり、なかなかスリルがあって面白いコースなので、天気がいい日に行けることになって楽しみだった。

まずは文化洞トンネルを出て、坂を下ったところにある西浜小学校の登山者用駐車場に車を止める。小学校の駐車場の一部が、登山者用の駐車場になっているなんて珍しい。駐車場を出ると、毛無山・十二ヶ岳登山口の案内看板に従って坂を上っていく。


ほどなくして、文化洞トンネル手前の空き地にある十二ヶ岳登山道入り口看板前に到着する。


トンネルの上にある登山道を歩く。松林の中の急登がしばらく続き、傾斜が緩くなってからは適度なアップダウンを繰り返すと最初のピークである毛無山山頂1500mに到着する。ここからは河口湖の西岸などが良く見える。


毛無山からは稜線を歩くルートで、12個の小ピークが連続し、それぞれのピークには一ヶ岳、二ヶ岳、三ヶ岳の順に最高峰である十二ヶ岳と名が付く。まずは、一ヶ岳を通過。


ロープの急斜面を下る。


上りもロープが頼りだ。


三ヶ岳を通過。


西湖の深緑色の湖面が広がっている。富士山の山頂は、雲がかかっていてよく見えない。


長いロープの下りがまたもや出てくる。


五ヶ岳を通過。


八ヶ岳も通過。


何度目かの岩場の上りだ。


十一ヶ岳に到着する。ここまで来るだけで、かなりのアップダウンがあり、どこにもロープが張られていた。だが、本当の核心部は、これからだ。


十一ヶ岳の下りから核心部が始まる。めちゃくちゃ長いロープが設置された急傾斜の斜面は落石が起きやすく、十分注意が必要だ。一人ずつロープが終わるまで順番待ちする。




十一ヶ岳を下っていく途中で十二ヶ岳の急斜面を登っていく人の姿が見えた。あんな断崖絶壁のような斜面を上って行けるのだろうかという不安がよぎる。


この斜面を下り切ったところが、十二ヶ岳とのコルで、両側は切れ落ちていてアルミ製の吊り橋が架けられている。この吊り橋を渡るのが一番の恐怖だ。


一人ずつ慎重に渡ると、橋の対岸は鎖場となっていて、鎖を頼りによじ登る。


その後も、何度も急傾斜の斜面に設置されたロープや鎖を使い、もういい加減に嫌になってきたころ、核心部が終わり、十二ヶ岳山頂1683mに到着する。ちょうど富士山の雲が取れ、山頂が姿を現してきていた。


十二ヶ岳山頂からは、富士山と西湖が一望でき、絶好の撮影スポットだ。


さらに金山に向けて縦走を続ける。この間にも、急斜面にロープが設置されている。斜面の長さは10mくらいで、きつい所で70度くらいはありそうだ。


金山山頂1686mに到着する。ここから節刀ヶ岳まで行くつもりだったが、時間に余裕がなくなってきていたので、そのまま鬼ヶ岳方面に向かう。


振り返って十二ヶ岳を眺める。三角錐状のピラミダルな山だ。


鬼ヶ岳山頂1738mに到着する。


山頂には鬼の角のような一本岩が突き立っており、これが鬼ヶ岳のシンボルと言える。


鬼ヶ岳からは、雪頭ヶ岳1710mを経由して根場いやしの里に下山して行く。


雪頭ヶ岳の頂上の草原からは。まるでさえぎるもののない富士山の展望を見ることができたはずだが、午後からは雲がかかって良く見えなくなってしまった。


その後の下山道は、ロープや鎖はなく、歩きやすい道が続き、根場いやしの里まで無事下山できた。


根場には、あらかじめもう1台の車を駐車させておいたので、西湖湖畔を歩くことなく登山口駐車場までは車で移動し、いずみの湯で汗を流してから帰路についた。久しぶりに、ロープや鎖場のあるアスレチックな登山を楽しむことが出来て、メンバー全員大いに楽しめたようで良かった。

参考1.今回のコースマップ


参考2.今回の高低図&コースタイム