社会人大学5回目は、元・NHKディレクターでジャーナリストの中田整一氏の講演であった。「2.26事件」や「太平洋戦争」などの現代史を中心にしたドキュメンタリー番組を担当した人であり、今回は、中田氏が近年編集した「真珠湾攻撃総隊長の回想 淵田美津雄自叙伝」の話であった。
中田氏は、真珠湾攻撃総隊長だった淵田美津雄が生前したためていた自叙伝を発掘して、真珠湾攻撃66年目にしてその真相を本にして初公開したのである。この淵田美津雄という人の話はラジオの深夜番組でも紹介され、大きな反響を呼んだということだ。
さて、今まで歴史の舞台には表立って登場しなかった淵田美津雄という人はどんな人であったのだろうか。簡単に紹介してみよう。
○真珠湾攻撃隊、360機を率いてハワイ上空からトラトラトラを打電した男
○ミッドウェー海戦時、艦上で病に倒れ沈没する空母から九死に一生を得た男
○海戦史上名高いレイテ湾突入作戦を、連合艦隊参謀として構想した男
○航空参謀として原爆投下の前日まで広島に滞在し、7日に爆心地に入った男
○敗戦に抵抗した厚木基地を解放し、そこにマッカーサーを出迎えた男
○降伏調印式を戦艦「ミズーリ」号で、屈辱のうえに目撃した男
その後、淵田美津雄海軍大佐は終戦6年後、突然、キリスト教に回心し、平和の伝道者として憎しみの連鎖を断つよう、アメリカ中を回り人々に訴えたのだ。「戦争と平和」、「奇襲攻撃とキリスト教伝道」と、人生を二度生きた男として、その生き様は興味深い。
海軍でも名文家の誉れが高かった淵田美津雄海軍大佐の文章は、臨場感あふれ読み応えもあり、歴史的資料の価値も高いそうである。中田氏の講演では、淵田美津雄海軍大佐の自叙伝の発掘から、本として刊行するまでの話だった。戦後日本の歴史の中でも、このような人物がいたとは初耳であり感動する話だ。機会があったら「真珠湾攻撃総隊長の回想 淵田美津雄自叙伝」を読んでみたいと思った。
中田氏は、真珠湾攻撃総隊長だった淵田美津雄が生前したためていた自叙伝を発掘して、真珠湾攻撃66年目にしてその真相を本にして初公開したのである。この淵田美津雄という人の話はラジオの深夜番組でも紹介され、大きな反響を呼んだということだ。
さて、今まで歴史の舞台には表立って登場しなかった淵田美津雄という人はどんな人であったのだろうか。簡単に紹介してみよう。
○真珠湾攻撃隊、360機を率いてハワイ上空からトラトラトラを打電した男
○ミッドウェー海戦時、艦上で病に倒れ沈没する空母から九死に一生を得た男
○海戦史上名高いレイテ湾突入作戦を、連合艦隊参謀として構想した男
○航空参謀として原爆投下の前日まで広島に滞在し、7日に爆心地に入った男
○敗戦に抵抗した厚木基地を解放し、そこにマッカーサーを出迎えた男
○降伏調印式を戦艦「ミズーリ」号で、屈辱のうえに目撃した男
その後、淵田美津雄海軍大佐は終戦6年後、突然、キリスト教に回心し、平和の伝道者として憎しみの連鎖を断つよう、アメリカ中を回り人々に訴えたのだ。「戦争と平和」、「奇襲攻撃とキリスト教伝道」と、人生を二度生きた男として、その生き様は興味深い。
海軍でも名文家の誉れが高かった淵田美津雄海軍大佐の文章は、臨場感あふれ読み応えもあり、歴史的資料の価値も高いそうである。中田氏の講演では、淵田美津雄海軍大佐の自叙伝の発掘から、本として刊行するまでの話だった。戦後日本の歴史の中でも、このような人物がいたとは初耳であり感動する話だ。機会があったら「真珠湾攻撃総隊長の回想 淵田美津雄自叙伝」を読んでみたいと思った。
ここに戻って来たくて 新しい方から せっせこせっせこ 歩いてきました、
この記事ちらっと拝見してて コメントしたかったのですが ちょっとPCをお休みしてる時間が長かったので 久し振りにPCを開いてみると それなりに忙しくって なかなか戻ってこれませんでした。
この社会人大学
本当に様々な視点と講師で 大変面白いですね、といっても 面白そうに とっちーさんが書いて下さるから こちらはおもしろがられるのですけど。
淵田美津雄さんて 御名前も全く知りませんでした。
激動の大戦を軍部の参謀として数々の場面に登場し 終戦の後は 改宗して 平和の伝道師としてアメリカをまわる 180度変換したその一生と心の変化は大変興味深いです。
歴史の表舞台には立っていないけど、凄い人物がいたという事を知りました。なかなか社会人大学勉強になります。
社会人大学とは関係ないですが、新田次郎の小説で「アラスカ物語」って知ってますか?明治中期、飢餓に苦しむエスキモーのため、新天地ビーバー村を築いた日本人・フランク安田の波乱に富んだ愛と冒険の物語で実話だそうです。この人も、日本のモーゼと呼ばれたほどの凄い人でした。
新田次郎 何かお薦めがありますか?
と 聞いて下さいましたが 私 それで思い出そうとしても もう全然覚えてなかったので ショックでした。
孤高の人ですら内容を殆ど覚えてないのです、どれが良いのか判断するにはすべてをまた読み直さなくてはならないレベルだったので お恥ずかしい限りです。
でね、ついでに ここで書いちゃいますが
新田次郎さんの奥さまの藤原ていさんが書いた
「流れる星は生きている」
これ 日記「映画 剣岳・点の記」で新田次郎の話が出たとき マイミクさんが勧めてくれたのです。
私未読だったので 良いチャンスなので読んでみました。
既にお読みになってるかもしれませんが
敗戦後 若い母親(藤原てい)が 夫(新田次郎)が捕虜として連れ去られた後 乳飲み子と幼い子供二人を連れて満州から引き上げてくる話で 勿論全部実話ですが その苛酷なこと峻烈なこと まさに地獄です。
で その後書きに 夫の新田次郎について
「捕虜生活がどれほどみじめであったか・・彼は滅多にその話をしない・・その傷はどれほど深かったことか。彼は今小説を書いているが 自分の引き上げの記録らしい物はたった一度書いただけ。彼の夥しい作品の中には、その片鱗さえも書き込まれてはいない。」
と 書かれていて これ 大変興味深く感じました。
新田次郎は厳しい山に立ち向かう人達を書きましたが(他にも歴史小説などいろいろ有りますが) 真の苦しみを味わった捕虜生活の事は書かず 代わりに 山の小説を書いたのかと 小説が書かれたその背景にも思いを馳せることになりました。
て ミ○シィ日記に書こうかな て ちょっと思っているのですが。
日記書かないんですよね わたし 中々。
長くなって済みません。
この藤原ていさんは、「社会人大学」でも講師で来てもらったことがあるようです。
新田次郎さんは この本には殆ど出てきません、出るのは 小説の始まりに少しと あとがきだけです。
(このあとがきが 短いですけどとても良いです、母として妻として人として 考えさせられるあとがきでした)
乳飲み子と二歳と七歳の子供三人を連れて 着の身着のまま 飢餓と汚濁の中 大陸を歩いて引き揚げる 母子の話です。
人として限界を超えた 肉体や飢えや惨めさや疲労の末に アメリカ軍に拾われます。
新田次郎の奥さんということで、ご主人の内輪話を書いたのかと思いましたが、本人の話がメインだったのですね。
それにしても夫婦共々文才があったんですね。