とっちーの「終わりなき旅」

出歩くことが好きで、趣味のマラソン、登山、スキーなどの話を中心にきままな呟きを載せられたらいいな。

2013豊橋ハーフマラソン

2013-03-31 21:20:32 | マラソン
今年も、kazukawaさんに誘われて豊橋ハーフマラソンに参加してきた。第1回から連続参加しており、今回で4回目となった。第1回の時は、天気が良く桜も満開でいいコンデションで走った覚えがあったが、その後は、いつも雨に降られていたような気がする。今日も、朝から曇り空で雨が降りそうな雲行きだった。

朝早くから、会場に着いていたのでスタートするまでが長かった。10時前になって、コースに整列するが、もう何度も参加しているので、スタート時の緊張感はほとんどない。号砲が鳴って、先頭が飛び出していくのを横目に眺めながら、自分たちの前が動き始めるのを待っていた。

やっと列が動き出すものの、陸上競技場のゲートに出るまでに一渋滞する。


大きな桜の木の下を通過し、ゲートをくぐるとおもむろに走り始めた。


豊橋市役所庁舎を前に見ながら走る。


市内通りの路面電車横を走って行く。


桜並木は、豊橋でも満開になっていた。


中学生、高校生の応援を受けて走って行く。




牛川遊歩公園の桜並木も見頃となっている。


石巻山のピラミダルな山容も見えてきた。


さらに走って行くうちに、雨がポツリポツリと頭を濡らし始めた。やがて堤防沿いの道を入ると雨が激しく降り始め風も強くなってきた。こんなに雨が降る天気予報じゃなかったのにと、予報を恨みながらも走って行く。午前中の雨は大丈夫と思い込んでいたので、合羽やウインドブレーカーも全く用意してなかった。次第に体も冷えてきて、ひたすらゴールに着きたい一心でその後はカメラも封印して走った。

結局、ネットタイムで2時間12分となり、ハーフの2時間切りは今年になって1度もできてない。去年までは、2時間以内には走れていたのだが、もうまったくスピードが出なくなってしまった。そのかわり、ゴール後のダメージは少なく、いろいろやる元気はある。やはり歳を重ねると、ゆっくり長く走るほうがいいみたいだ。さて、来週からは、マラニックやウルトラマラソンがメインとなるので、それに気持ちを切り替えていくことにしよう。

参考1:今回のコースマップ


参考2:大会中の温度変化(スタート時は23℃もあったが、後半急激に雨と風で気温が低下した)

2013天竜桜ウォークコースを走る

2013-03-30 21:35:32 | マラソン
遠州鉄道の駅のチラシで、天竜の桜の名所を歩こうという企画があることを知り、お花見に行くなら今日しかないと思い、夫婦で朝早くから出かけた。距離は12キロ程度とのことだったので、少し余分に走って15キロくらいにすれば午前中で帰ってこれるという計算だった。午後は、畑仕事を予定していた。

コースは、《スタート》遠鉄電車『西鹿島駅』~鳥羽山公園~二俣城址~船明ダム運動公園~天竜山の市~《ゴール》天竜浜名湖鉄道『天竜二俣駅』である。まず、遠州鉄道西鹿島駅でコースマップを貰い、コースを確認する。天気も良く、お花見には最適な日となったおかげで、大勢のウォーカーが集まってきていた。ただ、我々はマラニック仕様で西鹿島駅をスタートする。


二俣線のガード下を通ると、椎ヶ脇神社の石段が見える。遠州山辺の道マラニックでは、この石段を下りてくるのだが、神社には行かずに通り過ぎる。


鹿島橋の歩道を走り、天竜川を渡る。


橋を渡りきると、すぐに右折する。すぐに田代家という旧家があり、少し中を見学していく。天正8年徳川家康より御朱印を与えられた旧家で天竜川水運の中心的役割を果たしていたそうだ。田代家は鹿島五ケ村(北鹿島村、西鹿島村、瀬崎村、佐崎野村、川口村)の草分けで江戸時代には北鹿島村の名主と渡船場船越頭を勤める一方、天竜川筏の受け継ぎ問屋も経営していた旧家である。この近くを何度も通っていたが、こんな旧家があったことは知らなかった。ボランティアの管理人がいて、そんな歴史を紹介してくれた。


昔の鳥羽山トンネルを抜ける。


トンネルを抜けると鳥羽山公園への上り坂となり、急坂を喘ぎながら上る。鳥羽山公園も桜の名所だが、まだ七分咲き程度だった。山頂からは天竜川の流れがよく見える。




鳥羽山公園を下り、天竜川堰堤を走る。


二俣城跡入口。


竹林を抜ける。


二俣城本丸跡の石垣だ。二俣城(ふたまたじょう)は、遠江国豊田郡二俣にあった山城である。天竜川と二俣川に挟まれた天嶮に恵まれた中世城郭として名高く、武田信玄・勝頼親子と徳川家康がこの城を巡って激しい攻防を繰り広げた。また、家康の嫡男信康が悲劇の切腹をとげた城として知られる。


大園トンネルを抜ける。


塩見渡橋手前を右折して、船明ダム運動公園に向かう。船明ダムは、まさに満開の桜並木が連なっている。






船明ダムでタイヤキを買っていると、偶然イケさんの奥さんに出会う。少しランニングをした後、「お花見しながらおでんを食べていかない」と誘われた。おでんの支度が出来るまで時間があったので、時間を約束してから時間つぶしにしばらく走る。

「月」まで3キロ地点を通過。


伊砂橋が見えてきた。


伊砂橋を渡りきると、もと来た道を戻り船明ダム運動公園へ向かう。公園に戻ると、ちょうどいい時間となり、お花見が始まった。我々は、何も持っていなかったのだが、イケさんの奥さんや友達たちが持ってきてくれたおでんやおにぎり、果物、ビールなどいろいろご馳走になってしまった。予期しない歓待を受け、嬉しかった。




午後には帰らないといけなかったので、食べるだけ食べて先に失礼する。秋葉街道の桜並木も満開である。


光明小学校前を通過する。


民家の庭に咲いたモクレンの花が見事だ。
 

二俣川沿いの桜並木の下を走る。




秋野不矩美術館前を通過する。


南北朝時代に開山されたという栄林寺前を通過する。


枝垂れ桜はいつ見ても美しい。まさに春爛漫である。


毘沙門天王が祀られている毘沙門堂。毘沙門堂は、栄林寺の一堂宇で、記録によると「本尊の毘沙門天王は行基菩薩の作品と伝えられ、文禄4年(1595)2月に信者の寄進で堂宇が建立された」とある。


毘沙門堂を過ぎ、広い道に出ると、天浜線天竜二俣駅である。


遠鉄レール&ウォークのゴールは、天竜二俣駅である。しかし、ここで電車に乗っても乗り換えになり面倒なのでスタート時の西鹿島駅まで走った。寄り道したり、西鹿島駅まで余分に走ったので結局21キロくらい走ったことになる。お花見しながらの半日程度のマラニックでちょうどいい練習になった。

帰ってからは、久々に畑仕事となり今日は二回も汗をかいてしまった。

参考:今回のコースマップ

マルチデバイス時代での回線の見直し

2013-03-29 21:36:43 | インターネット
1Gbpsの高速ネット接続回線、NTT西日本の「フレッツ光ネクスト スーパーハイスピードタイプ隼」につないで、数か月が経った。替えてからの実感は、紛れもなく早い。動画などは、途切れることなくサクサクと動く。特に感じるのは、アップロードの場合だ。100Mbpsの時、ダウンロードは、まあまあ我慢できたが、アップロードの場合は高画質の写真データの時間がかかりすぎていた。しかし、1Gbpsになってからは、ダウンロードと遜色ない速度でサクサクとアップしていく。ネット接続のイライラ感は全くない。おかげで、自分以外のパソコンを使うと、あまりの遅さにイライラしかねないだろう。

さて、最近はスマートフォンやタブレット端末といったデバイスの利用も増え、家庭内でもこれらのマルチデバイスを使いこなすことも多い。ただ、これらのデバイスは、3GやLTEといったモバイル回線で接続できるので、家の中でもモバイル回線を使って利用してしまうことが多い。しかし、家庭内で1Gbpsの高速ネット接続回線を使っているとなると、NTT西日本の場合には、ホームゲートウェイ装置の上部に挿してある300Mbps対応のWi-Fiカードを使わない手はない。300MbpsのWi-Fiを利用すれば、75MbpsのLTEよりもはるかに高速な通信速度が得られるというわけだ。

屋外や外出先では、モバイル回線でネット接続するしかないが、家庭内で300Mbps対応のWi-Fiカードを使っているなら、Wi-Fiを介してネット回線を利用するのがベストという事だ。この事実は、今まで気にしたことがなかったが、たまたまこんな情報を知ることができ、目から鱗が落ちたようだ。家の中では、スマホもWi-Fiで接続することにするつもりだ。

2013年の社会人大学の募集案内が届いた

2013-03-28 19:36:56 | 社会人大学


今年はどんな先生の話を聞けるのかと気になっていた社会人大学の案内が先日届いた。
今年で創立50周年を迎えるということから、100名の講師をお願いしようという構想もあったそうだが、
あまりにも大変なことだし、100人も呼んでしまったら「社会人大学が終わってしまう」
と考え直して、例年通りの開講になったそうだ。
たしかに100人も呼ぶのは、とてつもなく大変だし、受講する方としても、全て参加するのはとても無理だろう。
今後も続けられるよう、局長はじめ事務局に負担がかかりすぎない程度で活動してほしいものである。

さて、今年のテーマは、「文化を学ぼう」だという。
《書く、読む、見るの文化が衰えていく、それを食い止めようと過去の世代の文化の再現に努力している人たちがいる。》

このテーマに因んだ講師陣は下記の通りだ。

1回:元宝塚歌劇団月組主演 古代都 「清く、正しく、美しく」
2回:食生活アドバイザー 宗像信子 「健康寿命を延ばす食事力」
3回:伽藍洞店主 渡辺誠弥 「笑う門に福」
4回:ヴァイオリン奏者 大谷康子 「さわやかに夏を」
5回:永井画廊代表 永井龍之介 「美術を身近に」
6回:評論家・拓殖大学国際学部教授 呉善花 「韓国人と日本人~その本質を探る~」
7回:落語家 古今亭志ん輔 「泣き笑い」
8回:静岡文化芸術大学学長 熊倉功夫 「日本人のマナー」
9回:東京医科歯科大学名誉教授 藤田紘一郎 「125歳まで元気に生きる 病まない ボケない 老いない 腸健康法」
10回:ノンフィクション作家 沖藤典子 「元気よく機嫌よく老い迎え」

お馴染みの大谷康子さんをはじめ、昨年に引き続き古今亭志ん輔さん、藤田紘一郎さんは、事務局長のお気に入りの講師陣である。熊倉功夫さんも一昨年来ていたはずだ。また、新たな講師として登場した韓国籍の呉善花さんや元宝塚ジェンヌの古代都さんもどんな話が聞けるのか期待が高まる。早速申し込みをしようと思っている。

ところで、パンフレット写真の二人、北イタリアでの大道芸だというが、棒一本で宙に浮いているような女性に驚いた。仕掛けを見つけようと20分ほど周りを歩いたそうだが微動だにもしなかったというから恐れ入る。

2013伊豆大島ウルトラランニングツアー 3日目

2013-03-27 00:10:27 | 山登り
最終日は、高速ジェット船の出港が14時過ぎと時間があったので、午前中に三原山に登ることにした。1日目、2日目とも三原山展望台付近には行っていたが、肝心の山頂には行ってなかったので改めて山頂に行くことにしたのだ。仲間が多いほうがいいので、小笠山RCのK藤さんとN山さん夫婦を誘う。

午前8時過ぎに、二泊ともお世話になった民宿を出る。


三原山行のバスが出る元町港まで歩く。


30分ほどバスに揺られ三原山展望台に到着する。展望台から、山頂への遊歩道を歩いていく。まず最初に出てくるのが、1986年11月19日三原山山頂火口から溢れ出た溶岩の先端部分である。ゴツゴツ、トゲトゲした溶岩で遊歩道が覆われていた。


新たに作られた遊歩道から溶岩流の流れを見ながら先に進む。


振り返ると展望台がはるか遠くになっていた。カルデラの広さがよく判る。


溶岩流の跡もはっきり見える。


大きな岩は、溶岩流の上をいかだのように浮いてここまでやってきたという。


三原神社だ。明治、大正、そして1986年の全島民避難の大噴火時でも、なぜか溶岩流はこの神殿を直前で避け両側に流れを変えている。無傷で残っているのが不思議だ。これも御神火のおかげだとも言われている。


ゴジラ岩。


高校の山岳部員のような団体が先を歩いていた。


火口一周のお鉢巡りに入る。


60階建てのビルがすっぽり入ってしまうという巨大な火口が見えてきた。


火口の前で記念写真。


溶岩は、面白い造形をいろいろ作っている。羊の頭や狼の顔のようにも見える。




これは、噴火の兆候を直ちに感知するよう設置されている観測機器。


ホルニトというガスや溶岩が噴き出て塚になったもの。ホルニトの下には幅10m、長さ15m、高さ6mの空洞がある。




お鉢の上部まで上がると、火口の様子がさらによく見えてきた。




いたるところから蒸気が噴出している。




東側には、広大な裏砂漠が広がっている。国土地理院の地図において日本で唯一「砂漠」と表記されている場所で、一面火山噴出物のスコリアで覆われた黒い大地だ。日本どころか、地球とは思えない、どこか違う惑星に降り立ったような壮大な場所である。ここでは、映画やCM等で数多くのロケが行なわれているそうだ。




1986年11月21日の割れ目噴火の火口。




お鉢巡りを済ませ、展望台に戻っていく。


ほぼ2時間ほどの山歩きだったが、ウルトラマラソン後のいいリハビリになったウォーキングだった。大島に来たら、ぜひ三原山には上るべきだ。生きている火山の作る様々な景色を見ることができ、地球が今もなお活発に活動していることを感じさせられた。

三原山からバスで岡田港に行き、ジェット船で無事熱海に到着する。熱海駅前では足湯につかる観光客で賑わっていた。


また、バス停前のサクラは満開で、熱海は見ごろを迎えていた。今月いっぱいでサクラも見納めになりそうだ。


2013伊豆大島ウルトラランニングツアー 2日目(後半)

2013-03-26 00:02:58 | マラソン
いよいよ厳しい上り坂に入っていく。坂道からは、緑豊かな森とキラキラ光る海がまぶしい。


前を見れば、確かに上り坂が続いている。


坂の途中のエイド。


35キロの看板。やはりエイドでいろいろ食べていかないと、この先お腹が持ちそうにない。


黒い地肌は、裏砂漠の一部。三原山の東側には日本で唯一砂漠という地名がついている「裏砂漠」がある。マラソンのコースからは良く見えないが、過去には裏砂漠の中まで行くコースもあったそうだ。


40キロ地点を通過。


島内の大島桜の最古で最大のもの。樹齢は800年以上と言われ、江戸時代には沖を通る船の目印となっていたそうだ。主幹は折れて幹の基部だけが残り、その周囲から伸びた枝先が地につき、そこから根を張って大きな株状をなしている。コースから少し寄り道して見物していく。




大島には、キョンという小型のシカが生息している。大島には元々生息していなく、人為的に移入されたシカであり、大島の豊富な植物のおかげで大量に繁殖してしまったそうだ。木の葉や果実、花などの自然植生や農作物への食害を起こすため、特定外来生物に指定され、島のいたるところにこのような罠が仕掛けられてる。近くで覗いてみたが、幸いなことに罠にはかかっていなかった。


あいかわらず緩やかだが、上り坂が続いている。


45キロ地点。ついにウルトラの世界に突入だ。


50キロ近くまで来ると広大な牧場になっている。何故か牧場内には沖縄与那国島で古くから農耕、運搬などで活躍してきた与那国馬が放牧されていた。性質はおとなしく、どっしりしていて、つぶらな瞳が可愛い馬だ。三原山登山のための乗馬馬として活躍しているとのことだ。


やっと50キロ地点に到着する。ここからは、三原山の姿をじっくり展望できる。




51.3キロの三原山歌の茶屋で折り返すと、一気に下り坂となる。真正面には大島空港が見えている。


55キロ地点。「ぶっ飛ばせジェットコースターのように」とは、いささか乱暴だ。そんなにぶっ飛ばしたら膝が爆発してしまう。


ジェットコースター並ではないが、下りの勢いをかって58キロのつばき小学校の折り返しを通過。58キロコースのランナーがゴールするのを尻目に、2周目と向かう。60キロの看板には笑える。まったくもって物好きなものだ。


菜の花畑もあった。


雲が多くなり、肌寒くなってきた。


小刻みにアップダウンが続いている。


第3関門の大島公園を通過した時は、関門時間までかなり余裕があったのだが、次の第4関門の時間が11時間40分と聞き、焦りだす。事前に後半の関門時間がかなり厳しいという話を聞いていたのだが、実際に走ってみるまではあまり気になっていなかった。疲れてきて頭が回らなくなっていたが、何度も計算しなおしても関門に間に合いそうにないことが分かってきた。それでも、わずかな希望を元に下り坂を利用して、エイドも何ケ所かパスして第4関門の波浮港見晴台エイド(86キロ)まで頑張って走った。しかし残念ながら関門時間を数分過ぎてしまいタイムアウトだった。スタッフにゼッケンを外してゴールまで走っていいかと尋ねたが、それも許されなかった。自分では、最後まで走って行く体力はあったつもりだが、残念な結果だった。

あとで関門時間の配分を計算してみたが、第4関門と第5関門が異常に厳しいことが分かった。単純に100キロを14時間のペースで走ったと仮定すると、86キロでは12時間2分(関門時間11時間40分)、第5関門の91.8キロでは12時間51分(関門時間12時間30分)となり、前半の緩さに比べ後半が厳しすぎる設定だった。警察の要請によるものらしいが、もうちょっと何とかならないものだろうか。フルや58キロのランナーは余裕でゴールできるのに、100キロのハードルは高かった。顔見知りのランナーの数多くが58キロにエントリーしていた理由がよくわかった。

しかし、余裕がある時間でバスに収容されたため、妻や娘とも明るいうちに会うことができ、ダメージが少ない状態で宿に戻ることができた。温泉に入って夕食を食べたら爆睡だった。

完走メダルを見せてもらったが、ガラス製でどっしりとした素晴らしいメダルだ。特に100キロは金色の文字で、フルより一回り大きい。やっぱり欲しかったなあ!


2013伊豆大島ウルトラランニングツアー 3日目に続く。

参考1:100キロ2周目とフルのコースマップ。


参考2:100キロ高低図


2013伊豆大島ウルトラランニングツアー 2日目(前半)

2013-03-25 19:20:21 | マラソン
大会当日になった。風が強いと言われる大島にしては、あまり風がなく気象条件は悪くなさそうだった。民宿を4時15分くらいに出てスタート地点のつばき小学校へ歩いて向かった。

スタート地点のつばき小学校グランドから、5時ちょうどに100キロと58キロのランナーが同時にスタートする。




薄明るくなった椿並木の道を走って行く。


1時間ほどで、海岸に出る。前方の島影は伊豆半島の山並みだ。


しばらくは、海岸沿いの遊歩道を走る。




海が間近で、潮風を感じながら走る。




山の方向を見ると、明るくなり太陽が顔を出そうとしていた。


7時。灯台のあるエイドに到着する。


明るくなり、三原山がくっきり見えてきた。いずれあの辺りまで行くのかと思うと、まだまだ先が長いと痛感する。


大きく育った大島桜と椿の花が一緒に眺められる。


22キロ付近にある地層大切断面だ。道路を広げる工事で偶然見つかったという。約2万年分の噴火の積み重ねでできた巨大バウムクーヘンのような地層は、まさに世界遺産に匹敵する貴重な風景である。火山学者が歓喜の声を上げたというから、一度は見ておきたい場所だ。




この場所からは、伊豆諸島の新島、式根島、三宅島などが見えるらしいが、この日は三角の利島だけは確認できた。


28キロ付近の波浮港の見晴台に到着する。


波浮港といえば、都はるみの「アンコ椿は恋の花」が頭に浮かんでくる。「三日おくれの便りをのせて船が行く行く波浮港……」である。見晴台の横には「アンコ椿は恋の花」の歌碑がしっかり立っていた。


波浮港見晴台から下り、しばらくすると30キロの表示がでてきた。「人生山あり谷ありここからが本当の山場」という文字に気が引き締まる。


特徴のある岩が見えてきた。その姿が筆の穂先に似ていることから筆島と呼ばれている岩だ。筆島は火山の火道で固まった溶岩だと考えられているそうだ。海中から高さ約30m程あり、後ろの断崖絶壁とあわせてダイナミックな景観である。




沿道には、かまぼこ型のコンクリート製のドームがあった。これは、三原山が噴火した時に飛んできた溶岩を避けるための溶岩シェルターだ。大島には、こんなシェルターが至る所で見られる。


さて、これからグングンと山を上っていくことになる。
2013伊豆大島ウルトラランニングツアー 2日目(後半)に続く。

参考:100キロ1周目と58キロのコースマップ。

2013伊豆大島ウルトラランニングツアー 1日目

2013-03-24 22:27:12 | 観光
伊豆大島へは、熱海から行くのが一番便利なようだ。新幹線の熱海駅から熱海港までは、タクシーで5分から10分くらいである。熱海港に到着すると、黄色や青、緑、紫などのカラフルな色で塗り分けられた高速ジェット船が待っていた。高速ジェット船とは、ジェットエンジンで海水を吹き出し、空気のかわりに海水から揚力(浮き上がる力)を得て飛ぶ「海のジェット機」のような船の事である。


乗船受付が始まり、いざジェット船に乗り込む。熱海から伊豆大島までは、直行便で45分、伊東経由だと1時間少々かかる。今回乗船した船は、伊東経由だったので1時間ちょっとかかったが、それでもあっという間に大島に到着である。高速というだけあって、乗船中は船外に出ることはできず、ずっとシートベルトをしたままだった。のんびり船旅という感じではなく、海の新幹線に乗っていたようなものだ。


伊豆大島の岡田港に到着する。大島には元町港というもう一つのジェット船到着港があるのだが、その時の気象条件で到着港が変わるそうだ。今の時期は、岡田港が多いらしい。岡田港の真正面には雄大な富士山が見えていた。


大島に着いたのは、お昼前で時間があったので観光バスで、大島の名所を回ることにした。あんこさんと巡る大島半日観光コースだ。大島と言ったら椿である。今まさに椿まつり開催中で、いたるところに椿まつりの幟やポスターが張られていた。バスも、まずは椿トンネルの中をゆっくり走って行く。


まず最初に寄ったのが、大島公園の椿園。ここは、7ha(東京ドームの1.5倍)の広い園内に園芸品種約450種3,700本、自生種のヤブツバキ約5,000本が花咲く、国内最大規模の椿園だ。入り口では、あんこさんの踊りが始まっていた。


園内に入っていくと、椿と共に、大島桜も満開となっていた。大島桜は、伊豆七島や房総半島などに自生する潮風に強い桜である。桜餅の桜の葉には、この桜が使われ、ソメイヨシノの母種になる桜だ。桜と椿が同時に見られるというのも珍しいことだ。


椿園というだけあって、多種多様な椿の花を見ることができる。








こちらは、椿の花が落ちた様子。京都などで紅葉の落ち葉が芝生の上に敷き詰めらた様子を見ることがあるが、椿の花がこれだけ落ちているのも見事である。


あんこさんたちと一緒に記念写真を撮る。都はるみの名曲「あんこ椿は恋の花」でも有名な「あんこ」とは、もともとは目上の女性に対する敬称で、お姉さんが訛ったものだ(姉っこ、姉こ、・・・、あんこ)。特徴は、絣の着物に前垂れ、頭に豆絞りの手ぬぐい。前垂れは前掛けとは言わず、着物を締める帯の代わりをしたためあんこ衣装には帯がない。以前は特別な衣装ではなく、普段着または作業着として使われていたが現在では、お姉さんと言うよりもこの衣装を着た女性の通称として使用しているという事だ。右端の若いあんこさんが、バスに同乗してくれた。


大島温泉ホテルで昼食をしたあと、活火山の三原山を見物しに行く。


展望台からは、27年前に溶岩流が流れた跡が黒い筋となってはっきり確認できる。




展望台前の茶店では、溶岩のかけらを無料でもらえる。とはいえ、三原山に登ればいくらでも持ってくることができるのだが…。


最後に、リス村を見物する。リス村の村長さんは、リス村の椿を自分で全て植えたそうで椿の事は何でもわかる椿博士である。我々観光客の歓迎として、太鼓をまず打ち鳴らしてくれた。


その後園内の椿の解説をしながら、案内してくれた。


こちらは、リス村の中ではとっておきの絶景ポイントだ。芝生広場におかれたチェアーでくつろぎながら、森と海と富士山を眺めることができるなんて、凄い癒し空間である。


絶景ポイントを見たあとは、リス村の目玉であるリスの餌付け体験だ。手の上にエサのひまわりの種をのせるとリス達が寄ってきて、楽しく餌付け体験ができる。観光客が常に餌をあげているので、まるまると太ったリスばかりだが、餌を出すと、すぐに寄ってくるので可愛らしい。




餌付け体験をしたあとは、名物「リスまんじゅう」を買って食べる。「あしたば」と「椿油」入りの焼き立て饅頭は美味い。


観光バスを降りて元町に向かい、民宿に荷物を置いてから、ウルトラランニングの受付会場に向かう。会場では、顔見知りのランナーたちに何人も出会う。やがて、開会式が始まり大島村村長のあいさつが始まった。司会は、顔なじみのカメリアさんだった。


来賓の挨拶などがあったのち、御神火太鼓が始まった。大島の人々は古くから三原山に畏敬の念を抱いている。火口から噴出す炎は神の火「御神火」として崇められ、このイメージを日本の伝統芸能の一つである和太鼓の集団演奏という形式で表現したものが「御神火太鼓」だという。


民宿に戻ると、小笠山RCのM子さんたちとも一緒になり、夕食を済ます。


さて、翌日はウルトラランニング当日となる。きついコースと聞いているだけに、不安を抱えながら早々に就寝した。

2013伊豆大島ウルトラランニングツアー 2日目(前半)に続く。

大島に到着

2013-03-22 20:17:13 | 観光
今日無事に伊豆大島に到着。
天気は快晴と、絶好の日和だが、風が強い。
明日のコースも、きつそうで完走できるか心配だが、行けるところまでは行ってみるつもりだ。
詳細は、後日アップするつもりだが、今日はさわりだけ…。

椿園は数多くの椿が満開。


大島桜も満開。


三原山、黒い筋は溶岩流の跡だ。


三原山展望台からの富士山。こんな方向から見る富士山は初めてだ。