とっちーの「終わりなき旅」

出歩くことが好きで、趣味のマラソン、登山、スキーなどの話を中心にきままな呟きを載せられたらいいな。

「吉田拓郎ライブ2012」inパシフィコ横浜

2012-10-31 19:27:58 | コンサート
1975年8月2日~3日にかけて静岡県掛川市のつま恋多目的ホールに5万人以上を動員して行われたオールナイトライブから、30年の時を経て2006年に再びつま恋で開催されたライブで我々の世代に再び感動と興奮をもたらした吉田拓郎。そして、その3年後の2009年に「生涯最後のコンサート」として全国ツアーを計画しながら、4公演を終了後、慢性気管支炎を患ったとしてその後予定された公演を全てキャンセルして現在に至っていた。

3年前、この「生涯最後のコンサート」を見ずにしてはおけないとばかりにチケットを必死に入手しようと頑張ったが、あまりの競争率の高さにあきらめざるをえなかった。結局、ほとんどの公演が中止になりチケットをとっても見ることはできなかったのだが、もうこれで生拓郎を見ることができないのかと非常に悲しい思いをしていたのだ。

しかし、ことし首都圏4箇所のみではあるが、ライブを行なうとの情報が入り、これが本当に最後のコンサートになるかもしれないとの思いから、頑張ってチケットを入手したのだ。ゲットできたのは、パシフィコ横浜国立大ホールでの3公演目だった。最終公演は、11月6日のNHKホールとなる。

開演まで1時間以上あったが、もうドキドキワクワクしながら会場に向かった。ホールの控え室のような部屋の窓の明かりが見え、何人ものファンがその方向を見ていた。突然、みんなが声を上げたので、その方向を見ると、何と生拓郎が手を振っていたのである。もう、びっくりだ。これは幸先いいと思いながら、入場者の列に並んだ。かなりの列が後方まで延びていた。


行列の途中で、海側にお洒落な塔が見えた。「ぷかりさん橋」という場所で、「シーバス」や横浜港一周のクルーズなどの船が発着する、みなとみらいの海の玄関である。なかなかロケーションがいい場所である。


さて、やっとホール内に入ると、お祝いの生花が飾られていた。フジテレビとNHKからである。NHKのSONGSとあるからには、きっといずれテレビで放送されることは間違いないようだ。DVDもNHKホールでの公演が収録されるらしい。


開演までまだ時間があり、場内はグッズを購入するファンでごった返していた。これも、長い行列となっていた。私も折角なので行列に加わり、ブックカバー&ペンケースセットを購入する。




そして、席に着くといよいよ公演の始まりである。スポットライトが当たり、拓郎が登場だ。しかし、彼は急にスポットライトから外れて暗い場所に隠れてしまう。照明との打ち合わせとは違う場所にわざと立ったらしい。その後、スポットライトの中に入り、いたずら心であえて照明を困らせたような話をした。いかにも拓郎らしい出だしである。最初から意表をつく登場だったが、最初の曲も何と「エマニエル夫人」のテーマソングだった。先日なくなったシルビア・クリステルへの哀悼であった。

続いて、本当のオープニングは「ロンリー・ストリートキャフェ」を弾き語りだ。いよいよライブが始まると思うと感極まる想いだった。そして、2曲目は早くも「落陽」である。えっ、もうやっちゃうのという感じだ。この時点で観客は総立ちになった。もっと後半で聞きたかった曲だが、嬉しいことには違いない。

その後も、MCを交えながら休憩なしで進行していった。3年前の大阪公演間近で急に体調不良でキャンセルした話や、観客も年をとって乾いた拍手になってきたなあと、相変わらず毒舌は快調である。しかし、歌っている声は張りがあって拓郎健在を感じさせたが、MCになると声が枯れているような感じがした。やはり今までの公演の疲れがでているのかなあと少し気になった。

中盤で「ふゆがきた」という曲を歌ったが、自分の曲の中で一番気が乗らない曲だそうだ。一番やる気がない曲を今からやると堂々と公言するあたりも拓郎たる所以であろう。この曲をさらっと流し、その後の曲を目一杯気持ちをこめて歌いたいという気分転換の曲なのだそうだ。

「落陽」以降は、思ったより知った曲が少なくいささか拍子抜けする選曲が多かった。「伽草子」「流星」「全部だきしめて」「春だったね 」あたりを聞いて再び会場が盛り上がったが、もう最後の時が来ていた。

アンコールは、「リンゴ」と「外は白い雪の夜」の2曲だ。どちらもいい曲だったが、アンコールの曲にしては盛り上がりに欠ける。拓郎も今年で66歳という。やはり、年齢的にはきついのかもしれない。6年前のつま恋のような興奮はもう無理なのかなとある意味納得した。でも、1曲、1曲ごとの張りのある歌声はまったく健在である。なんとか体調を回復させて、これだけの舞台に立ってくれただけでも嬉しいことである。最後の公演も成功するといいなと思ってパシフィコ横浜を後にした。

みなとみらい駅に帰り道を急ぐ人たち。


最後に見た「コスモクロック21」。やっぱりきれいだなあ。

みなとみらい「コスモクロック21」からのパノラマ

2012-10-30 22:33:32 | 観光
昨日は、午後から横浜に行っていた。
横浜みなとみらいにあるパシフィコ横浜国立大ホールで行なわれる「吉田拓郎ライブ2012」に行くためだった。
昨年も夜景観光に行ってきたばかりだが、横浜の夜景は何度見ても素晴らしい。

ライブ開演時間まで余裕があったので、近くにある横浜コスモワールドの大観覧車「コスモクロック21」に乗ってみる事にした。
「コスモクロック21」は世界最大の時計機能を持った大観覧車であり、全高112.5m、定員480名。約15分で一周する。
昼は360度の雄大なパノラマ、夜は宝石をちりばめたような美しい夜景を満喫できる横浜のシンボルである。

観覧車に乗り込み徐々に高度を増していくと、横浜ランドマークタワー越しに夕焼けがきれいに見えてきた。飛行機の航跡も輝いている。


反対側に目を転じると、横浜ベイブリッジの上には満月が輝いていた。


正面には、パシフィコ横浜とヨコハマグランドインターコンチネンタルホテルの個性的な建築物が見える。


ビルとビルの間から富士山のシルエットが浮かんでいた。


少しずつ日が暮れてきて、ホテル群やコスモワールドのアトラクション施設に明かりが灯ってきた。


庭園のイルミネーションもキラキラしてきた。


約15分の展望が終り、コスモクロックを見上げてみる。やっぱりでかいし、色が刻々と変化していくのが面白い。




もう一度横浜ランドマークタワー方面を見ると、黒いシルエットの中にビルの明かりが灯り、どこかで見たような見覚えのある風景だなあと頭に浮かんできた。そういえば昔、こんな景色のジグソーパズルを完成させたことがあったっけ。


そんなことをしてる間に、ライブ開演の時間まであと1時間となり、パシフィコ横浜に向かった。人の波が、どんどんパシフィコ横浜に向かっているのが分かる。いよいよ「吉田拓郎ライブ2012」が始まると思うと、ますます気が高ぶってきた。

浜名湖100キロウルトラ フォトアルバム完成

2012-10-29 23:55:05 | 浜名湖100キロウルトラ
やっと、全ての写真の整理が終りフォトアルバムが完成しました。
下記のリンクにて、大会の様子を見ることができます。
ただし、閲覧できるのは事前にパスワードを送ってある大会関係者、参加ランナーのみです。
ダウンロードも出来ますが、参加ランナーには、近日中にスナップ写真数枚と完走証が呼びかけ人から送られる予定です。


2012浜名湖ウルトラ「ウェルカムパーティ」
http://webryalbum.biglobe.ne.jp/myalbum/1004026009952b2f7ebf910fc42ffab118c63f430/62820116532190531


2012浜名湖ウルトラ「スタッフ編」
http://webryalbum.biglobe.ne.jp/myalbum/1004026009952b2f7ebf910fc42ffab118c63f430/336027014293190531


2012浜名湖ウルトラ「ランナー編1~30」
http://webryalbum.biglobe.ne.jp/myalbum/1004026009952b2f7ebf910fc42ffab118c63f430/022117013173890531


2012浜名湖ウルトラ「ランナー編31~60」
http://webryalbum.biglobe.ne.jp/myalbum/1004026009952b2f7ebf910fc42ffab118c63f430/15820113616211531


2012浜名湖ウルトラ「ランナー編61~90」
http://webryalbum.biglobe.ne.jp/myalbum/1004026009952b2f7ebf910fc42ffab118c63f430/072027010726211531


2012浜名湖ウルトラ「ランナー編91~118」
http://webryalbum.biglobe.ne.jp/myalbum/1004026009952b2f7ebf910fc42ffab118c63f430/88430115536211531


2012島田大井川マラソン

2012-10-28 21:06:33 | マラソン
昨年に引き続き、島田大井川マラソンに今年も参加してきた。この大会は、いつも天気が悪いようなイメージがある。今回も午後から雨との天気予報で雨具を用意して大会に臨んだ。参加人数も9000人くらいとの事で、昨年よりも更に人数が増えた感じである。今回も後方位置から、スタート地点に向かった。


号砲がなっても、なかなか進まず8分くらいかかってスタートゲートを通過する、スタート地点にマラソンランナーの千葉真子ちゃんがいたので、ハイタッチするためにどうも渋滞していたようだ。


まずは、島田市内の繁華街を通り抜けていく。前方には、白鳥の頭を被った女性ランナーが走っていく。


数キロ走ると「大井川川越遺跡」を通過する。昔、大井川を渡る為に、旅人が川札を買った「川会所」をはじめ川越し人足が集合していた「番宿」や「札場」など当事の町並みが復元されている場所だ。


「大井川川越遺跡」を通り抜けると、いよいよ大井川の河川敷に入る。坂を上っていくランナーのウェアがカラフルである。


河川敷の道路に入り、東海道線の鉄橋の下を走る。


マラソンコース「リバティ」に入ると長い往復コースになる。ここからは、単調で同じような景色が延々と続く。唯一の見所といえば、ギネスブックにも認定された世界一の木造歩道橋「蓬莱(ほうらい)橋」である。この下を通過して、もう一度戻ってこなければならない。


黙々と走っていくと、ひょんなところで千葉ちゃんを見つけた。まさかこんなところで応援しているとは思っても見なかったが、急いでハイタッチさせてもらった。


なんとか20キロの折り返しに到着する。ここまでは、まあまあのペースだったが、その後は日ごろの練習不足がたたり、じょじょにペースが落ちていった。


33キロの大エイドステーション。フルマラソンでは、これほどの大規模なエイドは少ない。チキンラーメンやら、スープ、スイーツ、お粥、饅頭、おでんなど数多くの食べ物が出ている。贅沢な内容だが、ここだけに偏りすぎていて、他のエイドの給食は貧弱だ。昨年もここまでたどり着くまでにガス欠で貧しい思いをしていたのが思い出される。ただ、今回はその前でも私設エイドが幾つかでていたので、少しずつだが食料にありつくことが出来、ありがたかった。




33キロ大エイドステーションを過ぎると、大粒の雨となり、以後雨具をずっと着て走る。雨風でかなり寒くなり、もう写真を撮る気力もない。ひたすらゴールに早く着きたかった。やっと、ゴールゲートが見えてホッとする。今回も、5時間を切ることが出来なかった。もう3時間台、4時間台はとても無理そうである。やはり、ウルトラマラソンのようなペースが自分にはあっているようだ。

今日の収穫

2012-10-27 21:28:30 | 


久しぶりに予定もなく天気がよかったので畑に行った。
まだ残っていたサトイモ、ショウガ、ラッカセイを掘り起こすと何もなくなった。
その跡を耕運機で全部耕すと、まっさらな畑が一面に広がった。
何か植えればいいのだが、そんな時間もなく暗くなってきたのでとりあえず引き上げた。
この時期は、何を植えるのがいいのだろうか?
空きスペースがかなりあるので何か植えたい気もするのだが、
日が短いので仕事帰りに畑仕事をする余裕もない。
しばらくは、そのままにしておくしかない。

浜名湖ウルトラ打ち上げ

2012-10-26 23:51:40 | 呟き
今日は、浜名湖100キロウルトラの打ち上げだった。
前半は、反省会と会計報告があり、各エイドスタッフからの意見を聞いた。
また、参加ランナーからのアンケート結果や、ハガキ、メールなどを読ませていただいた。
ほとんどの人が、いい大会だったと喜んでくれた様子が分かり、大いに胸をなでおろしたところだ。
また、最終の会計報告もあり、無事承認された。
その後は、場所を替えて慰労会となり、先ほど帰ってきたところだ。
来年も、みんなが喜んでくれるようないい大会を開ければいいと思っている。

福島県警戒地域 悲しき黄色

2012-10-25 22:14:25 | 呟き
今朝の毎日新聞1面に、福島第一原発事故で警戒地域となっている大熊町の航空写真が載っていた。
眼下にはあふれるような「黄色」が広がっているが、たわわに実った稲穂の黄色ではなく
外来種で繁殖力の強いセイタカアワダチソウの黄色だ。
例年ならコメ収穫の時期であるが、セイタカアワダチソウは田畑だけでなく、津波が押し寄せた海岸近くにも大発生している。
立入りが制限されているので、まさに大地は荒れ放題の様相だ。
タイトルに「実りの秋 悲しき黄色」とあったが、まさにそのとおりである。
写真を見て悲しくなった。

下記サイトでは動画で紹介されている。
http://www.47news.jp/movie/general_national/post_7712/

完走証のフォーマット決まる

2012-10-24 23:11:21 | 浜名湖100キロウルトラ
浜名湖100キロの完走証の作成をヒロボーさんから頼まれていたのだが、
完走証に載せる写真の整理がなかなか進まず、完走証の作成が遅れていた。
しかし、先日ランナーごとの写真の整理がやっと出来て、完走証に手をつけることが出来た。
さっそく、ヒロボーさんに見本を送って承認が取れたので、
これから個人個人の完走証の作成に入ることにした。

112名の参加ランナーのうち16時間以内で完走できたのは、6割ちょっとだ。
残りは時間外完走と未完走となる。
今回の大会では、参加者全員に証書を贈ることになっている。
完走者には、完走証を出すのは当然だが、時間外完走者と未完走者にも
それぞれ時間外完走証、未完走証を出す予定である。
それぞれ文面は違うが、ゴール写真等を載せた証書を作成するので参加ランナーの方々には、
いましばらくお待ちいただきたい。
11月初旬くらいには発送できるようにしたいと思っている。

また、大会中のスナップ写真もオンラインアルバムにて、
参加者全員が見られるようにする予定であり、順次アップしていくつもりだ。
これも11月初旬を目安に公開予定である。

歌舞伎鑑賞会「通し狂言 塩原多助一代記」

2012-10-23 22:38:18 | 社会人大学


社会人大学の野外講座として、今年は歌舞伎鑑賞会に参加した。バレエ、文楽、歌舞伎と3回あったが、日程の都合がついたのは歌舞伎だった。歌舞伎を見るのは、今回で3回目である。長い話だったが、涙なくして見られないシーンが多くついつい話にのめりこんでしまっていた。

「塩原多助一代記」はもともと幕末から明治に人気を博した噺家(はなしか)・三遊亭円朝が人情噺として高座で取り上げたものだ。歌舞伎では五代目尾上菊五郎が一八九二(明治二十五)年に歌舞伎座で初演した。戦前は六代目菊五郎、初代中村吉右衛門らが多助を演じたが、戦後は一九六〇(昭和三十五)年に二世尾上松緑が演じたきり、途絶えていたという。今回、五十二年ぶりに復活した演目であったということだ。

公演の詳細は下記の通り

《国立劇場十月歌舞伎公演》

通し狂言塩原多助一代記(しおばらたすけいちだいき) 六幕十一場
                  
   序  幕         上州数坂峠谷間の場   
   二幕目  第一場   下新田塩原宅門前の場
         第二場   同 奥座敷の場
         第三場   沼田在田圃道の場
         第四場   同 庚申塚の場
   三幕目  第一場   横堀村地蔵堂の場
         第二場   同 裏手の場
   四幕目         神田佐久間町山口屋店先の場
   五幕目         昌平橋内戸田家中塩原宅の場
   大 詰  第一場   本所四ッ目茶店の場
         第二場   相生町炭屋店の場

(出演)
 坂 東 三津五郎
 中 村 橋 之 助
 中 村 錦 之 助
 片 岡 孝 太 郎
 中 村 松   江
 坂 東 巳 之 助
 中 村 玉 太 郎
 上 村 吉   弥
 河原崎 権 十 郎
 坂 東 秀   調
 市 村 萬 次 郎
 市 川 團   蔵
 中 村 東   蔵

坂東三津五郎が、東京・国立大劇場で上演中の十月歌舞伎公演「通し狂言 塩原多助一代記」で主人公の多助と悪党・道連れ小平の二役を早替わりで演じている。多助は江戸時代に実在した人物(塩原屋太助)で多くの苦難を乗り越え江戸屈指の炭商人となった。立志伝中の人物として昔は芝居や講談でよく取り上げられたが、戦後は忘れられ、歌舞伎としては五十二年ぶりの復活。三津五郎は「古くさい物語と思われがちですが、多助は近代的でユニークな発想の持ち主。全身全霊で命を吹き込み、現代によみがえらせたい」と意気込む。 (東京新聞より)


この作品は、落語家が人情噺として取り上げた題材だけに、かなり長い話である。それを歌舞伎で演じるわけなので、ところどころ話が飛んでいる。幕間で借りたイヤホンガイドで話が飛んでいる部分の説明があったので、なんとか話は理解できた。イヤホンガイドがないと、話の繋がりが分からない。歌舞伎では、イヤホンガイドは必須である。

このお話で特に泣けるのが、二つのシーンだ。一つは、多助出奔の際に、愛馬・青と別れる件である。多助の袖をくわえて別れを惜しむなど青の演技がいい。青は二人の人間が馬の前足と後足になって演じているのだが、ピッタリ息のあった動きを見せていた。

またもう一つは、昌平橋内戸田家中塩原宅の場である。子供の頃、両親と別れ別れになった多助が、炭を運んだ屋敷で偶然に母お清(東蔵)と再会する。そして、多助とお清の話を聞いていた父角右衛門が、ふすまの奥で多助とは顔を合わさず、あえて非情に振る舞うシーンが泣かせる。父角右衛門は、義理を通すためにあえて息子とは顔を合わせないのだ。昔の武士は、情に流されず筋を通すという日本人の気概のようなものに感動した。姿を現さない父の前で必死に耐える多助と、息子に会いたいのにぐっと堪える父の姿は、涙なくしていられない。

しかし、最後は豪商の娘お花が多助にほれ込んで女房になり、昔助けた炭商人から千両もの炭を運び込まれ、江戸屈指の炭商人になって大団円という幕切れであった。最初は、いろんな困難に合うが、本人の努力で困難を乗り越え、やがては大成功を収めるという立志伝であり、見ている側としても安心してみていられる話だ。ハラハラドキドキしたあとは、じっくり泣かされ、最後はお約束のめでたしめでたしである。日本の古典話、たまにはじっくり見て感動するのもいいものだ。

2012高妻山

2012-10-22 21:08:30 | 山登り
先週末の初日は、久々の登山だった。日本百名山の一つである高妻山(2353m)に行ってきた。平成9年に登って以来2度目の登山になる。今回は、山友のkazukawaさんの日本百名山最後の山となる記念登山である。山友達を募って、全部で11名のパーティとなった。

金曜の夜、家をでて深夜高速を飛ばし、深夜1時頃戸隠牧場の駐車場で仮眠をする。車の中は温かいが、車外に出るとぐっと冷え込んでいた。気温は3度くらいだ。吐く息も白い。しかし、見上げると満点の星がきらめいていた。まるで、星座板を見ているように、いくらでも星座が判別できるくらいの星空である。これで、翌日の好天は約束されたようなものだった。

寝袋に包まって数時間眠るが、あまりの冷え込みに目が覚めてしまう。氷点下くらいに気温が下がっていたのかもしれない。止むを得ず、ヒーターをかけ4時半くらいに起床する。

今回は、多人数で現地集合という事だったので、他の仲間と合流し戸隠牧場の登山口入口に集まる。みんな、防寒対策バッチリで、冬山に向かういでたちである。芝生には真っ白く霜が下り、後方の戸隠連峰には朝日が当たり赤く輝いている。


戸隠牧場内を進み、高妻山登山口へと向かう。青い空の下には、紅葉に染まる山並み、そして、霜が降りた草地の白のコントラストが眩しい。


牧場の柵越しに朝日が上ってきた。


草紅葉にも霜が降りている。


地面に日が当たり、白く水蒸気が上がってきた。幻想的な風景だ。


動物の侵入防止柵を抜け、いよいよ高妻山の登山道に入っていく。


しばらく進むと沢沿いのガレた登山道になって行く。


1時間ほど歩くと、やや直線で長い鎖場の滑滝にでる。沢が流れ、湿った岩場なので、滑らないよう慎重に鎖を持って滝を乗り越える。


この辺りから、眩しいような紅葉がいくらでも見えてくる。


斜面全体に紅葉が進んでいる。まさに、紅葉狩りの最盛期だ。


やがて不動滝のある帯岩にぶつかる。湿った岩場をトラバースする。足場が切ってあり、鎖もあるので思ったより怖くはないが慎重に進む。


後ろを振り返れば、戸隠牧場がよく見える。


最後の水場であるという「氷清水」は、残念ながら枯れていて一滴も水が流れていなかった。「氷清水」を過ぎると上部が開け、青い空が広がっていた。


ひとふんばりすると避難小屋の建つ一不動の鞍部にでる。ここは、戸隠山からの縦走路の合流地点になる。別行動で、4名の健脚メンバー(スーパー爺さんと3名のスーパー山ガール)が、戸隠牧場から戸隠山を経て高妻山に向かっているはずなので、伝言の目印テープを標識に貼って先に進んだ。


真正面には、信越五岳の一つ「飯綱山」が鎮座している。


ここから北の五地蔵山までは、二釈迦、三文殊、四普賢と菩薩が置かれている。その途中の木々の間から、鋭角に尖った端正な形の「高妻山」が初めてその姿を現す。戸隠連峰中の最高峰でありながら、ここまで来ないと姿が見えない。しかも三角形に鋭くとがった最上部のみで全容は見えないから、秘峰感はいやがうえにも増してくる。別名「戸隠富士」ともいわれ、富士山よりも鋭い鋒であり、日本百名山中3つの最長行程山のうちのひとつであるそうだ。


紅葉の中を更に進む。


先に見えるピークは、五地蔵山である。


五地蔵山で、小休止だ。後方に見えるのが高妻山だが、まだまだ遠い。


大分標高が上がり、回りの山々もよく見える。こちらは、信越五岳の一つであり、新潟の名山でもある「妙高山」だ。


同じく信越五岳の一つである「黒姫山」。


こちらも、信越五岳の一つである「戸隠山」だ。ギザギザに尖った尾根が特徴的である。


高妻山の向こうには、北アルプスの白馬連峰が見えている。


高妻山までの道程は、更に長い。五地蔵からさらに、六弥勒、七観音、八薬師、九勢至と続いていく。まずは、長い下りとなる。せっかく苦労して上がってきただけに、下るのがもったいないくらいだ。


道筋の日陰には、明け方の冷え込みで大きな霜柱が出来ていた。


この辺りも、紅葉の赤がきれい過ぎるくらいだ。


アップダウンのある苦しい行程で、とくに八薬師のあとの八丁ダルミからやっと九勢至に到着する。高妻山のピークは見えているが、まだまだきつい行程が続く。


見下ろした斜面は、まるでモザイク模様のような紅葉で彩られている。


胸突く急登で手と足の両使いとなり、ようやく山頂部の一角におどりでると十阿弥陀である。ここには、手水鉢、青銅鏡が置かれている。


最後の一踏ん張りで、岩場を進むと、左側の最上部に人が立っているのが見えてきた。めざす山頂である。


歩き出して約4時間半くらいでやっと高妻山山頂に到着する。5分から15分くらい待つ間に、戸隠山経由でやってきたスーパー健脚チームも無事到着する。思いもよらぬ速さに、一同唖然とするが、全員揃ったところで、kazukawaさんの百名山達成記念祝賀会となる。まあ、よくも百の名山を全部登りきったものである。


みんなから送られたプレゼントを広げて喜ぶkazukawaさん。


山頂でしばらく休憩をして、全員揃って下山する。あとは、もと来た道を戻るだけだが、下山も長い工程だ。飽きるほど長い道程ではあったが、午後3時過ぎには、無事戸隠牧場に戻った。その後は、白馬村にある「さおりさん」のペンションにみんな向かったが、私だけは翌日東京に行かねばならず一人寂しく車を飛ばし自宅に帰った。ペンションでも、さらに祝賀会が開かれkazukawaさんはじめみんなで楽しんだようだ。

何はともあれ、今回の高妻山は、好天気に恵まれ、紅葉が美しく、素晴らしいメンバーに恵まれ、kazukawaさんの思い出に残る登山になったに違いない。Kazukawaさん、百名山達成おめでとうございました。