終戦記念日 に想う

2023年08月16日 17時27分02秒 | 国を憂う
昨日は終戦から78年目の記念日、メディアもいろいろ特集報道をしてた。明るい話じゃないからどれを読んでも、聞いても重い気分になるのは日本人に共通なんでしょうね。
「記念日」という言い方がまず気になる。何を記念(明るいイメージの単語)してるの? 「終戦記念日」じゃなく「平和祈念日」の方がいいんじゃないの? と考えるんです。「終戦記念日」としてるんでは永遠に暗い日として迎えることになるのでは。
そしてこの日に行われる「戦没者追悼式典」 これもいつまで続けるのかな? どうなったら辞めるのかもそろそろ明確にしてもいいのではと考えるのです。続ければいいという事じゃない。ましてや政府主催の行事だからね。
「国に命を捧げた、捧げさせられた」人達の死を傷む という点で一般の死亡とは異なる。かといって「皆様の死があって今の平和が・・・」なんて言わされる、考えさせられるのはちょっと違うだろう。 むしろ「侵略戦争を仕掛けた事」「それによって大勢の国民、他国民を死に追いやった事」を「歴史の事実」として認め、間違った判断には「あれは間違いだった」と国として宣言することが大事なのと違いますか。
では「日本国として非を認めてる」だろうか? 皆さんはここをどう捉えてますか? 僕は「認めてない」と捉えてます。歴代の政府は話す相手を見て「言を微妙に変えて」きたんじゃないですか。で、結局は「あの時日本国は間違ったんです」が国内の統一見解にならず あるいは「せず」にここまで78年間やり繰りしてきた国なんだと思います。
この点の統一見解(確固たる歴史観)がないままで「記念日行事」、「追悼式」を継続してるのです。こんないい加減を通してる国なんだと見ます。
「魂の入ってない、ただの見せかけの行事」じゃないですか? 国民を操る道具でしかない。
僕が気になるのはこういう日本人ってアイデンティティー(僕は日本人ですと言う根拠だね)が存在するのだろうか、愛国心なんて育つのだろうか、さらに公人としての社会性、協調性、道徳観なんて育つのだろうか。ウクライナのような状況になった時今の国民はどう動くのだろうか?
もう78年も過ぎた。 将来の日本のためにそろそろ「国として総括し、確固たる歴史観として先の戦争を定義する」ことが必要なのではないかな。さもないと先に進めないし、いつまでもこの中途半端に引きずられて国を運営することになるのでは。

ここからは推測。 「日本は間違った戦争を仕掛けた国だ」を認めさせない「大きな力」が国内のどこかにあるんですよ。その力が行政(自民党が正しいかな)をも操ってるのと違うかな。
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