スランプと称してジャズ以外のボーカルもの、拓郎などを聴いていたら、嫁から「最近、懐かしモードじゃない?」と指摘された。
嫁は全くおらの聴く音楽に興味が無く、部屋にどんな音楽かかっていても音量以外は無頓着である。
しかし時々鋭いことを言う。例えば(以前にも書いたかもしれませんが)坂田明の「ひまわり」をかけていたら「あらムード音楽、珍しいわね」と言う。
「ひまわり」は一見ジャズ仕立てだがアドリブを排し、怒濤の人坂田がひたすらメロディを吹く作品であり、ジャズ作品ではない。何がジャズかどうかを議論するとややこしくなりますが、嫁は「ひまわり」を看破したのである。
どんなにゆるくてもジャズは”らしい”けど拓郎などを聴いて”郷愁にひたる”のは”らしくない”というのである。
現在進行形の音楽を愛好するのが”おららしい”姿なのでしょうか?
だから「なごり雪」をメインにするような懐メロフォーク大会は苦手で、過去に頼らず今も新曲を弾き語る岡林が好きなんだろうな。(贔屓目かもしれないが拓郎は普遍性があり、今も触発する部分があると思うのですが・・・)
ジャズという音楽は前進し続ける瞬間とらえたもので(ある意味落ち着かない音楽ですね)、いつもフレッシュなのかな。(その分、時代を代表するような世間が認知するするようなことにはならないのでしょうね。)
嫁は全くおらの聴く音楽に興味が無く、部屋にどんな音楽かかっていても音量以外は無頓着である。
しかし時々鋭いことを言う。例えば(以前にも書いたかもしれませんが)坂田明の「ひまわり」をかけていたら「あらムード音楽、珍しいわね」と言う。
「ひまわり」は一見ジャズ仕立てだがアドリブを排し、怒濤の人坂田がひたすらメロディを吹く作品であり、ジャズ作品ではない。何がジャズかどうかを議論するとややこしくなりますが、嫁は「ひまわり」を看破したのである。
どんなにゆるくてもジャズは”らしい”けど拓郎などを聴いて”郷愁にひたる”のは”らしくない”というのである。
現在進行形の音楽を愛好するのが”おららしい”姿なのでしょうか?
だから「なごり雪」をメインにするような懐メロフォーク大会は苦手で、過去に頼らず今も新曲を弾き語る岡林が好きなんだろうな。(贔屓目かもしれないが拓郎は普遍性があり、今も触発する部分があると思うのですが・・・)
ジャズという音楽は前進し続ける瞬間とらえたもので(ある意味落ち着かない音楽ですね)、いつもフレッシュなのかな。(その分、時代を代表するような世間が認知するするようなことにはならないのでしょうね。)