リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

唄を忘れたカナリアは?

2012-11-20 21:21:30 | 不定期=中途半端
 こんばんは。しばらく役に立たないブログ、寒波とはいえ手がかじかむほどではない東京地方、私の仕事がいまいちの進行状態、11月中にせめてあと1回、連休があればいいのですが(、ない)。 といって私も長年生きてますので、計算済みではあります。
 本題は比喩ではなく、単純に、あなたならどうしますか? という話。
 歌詞:西条八十、大正7年。大正デモークラシーですね。
 
 明治時代だったらカナリアをどうしちゃったか、って?
 明治時代にカナリアを飼ううちはただの貴族、成金貴族ですから、表現者の身分足りうる家長等は自分じゃエサなんかやっていません。世話は女中や女中同然の妻がやるもんですな。
 「カナリアが唄わなくなった? そんなものいらん。捨ててきてしまえ!」
 権力者などそういうものです。ていうか、私も同じようなもので。ボロになった服は捨てます。部屋(タンス)、狭いんで。 服と生き物は違う、というその違いは、何か、ま、ちょっと考えてください。
 
 で、ともかく、私も長生きしてますからそういうことがわかる。
 社会科学者は、そういう年寄りのモノローグを、理論化する必要はないですが、かならず頭にとめておくべきですね。
 
 で、なにをいいたいかって、今の日本は(いまだ)相当良い国だ、というわけで。ペットにさえ十全な心配りができる。ゴミ箱の中で浮浪児が死ぬ国とはえらい違いだ(中国のことです)。
 そんな日本を断固変えたい資本家のイヌ共。
 世の中うまくできておりまして、自民党でも社会党でもできないことが民主党にでき(ex.何倍もの増税)、さてこんどは民主党にも自民党にもできないことが第三極とかいう党でできる。ま、そんな党自体はちっこく存在していればよくて、手を下すのはだれでもいい。共産党も小さいからといって自己卑下することはない。
 どうせ誰が勝ってもやるというわけですが、趣味的には安部はやめてほしいね。オカマのようで。(ご存知のようにオカマ嫌いの差別主義者。ニューハーフさんには中立) ともかく、この12月の選挙は誰が当選しようが、日本の右翼化を主導する(=民主制が誇るべき人民の平準制から、下層階級への収奪、そして軍備拡張と権力者の意思貫徹)。
 
 そんな過程はまだるっこしくもバカみたいですが、ま、人間のやることはそんなもんですな。ていうか、それが上部構造というものですな。
 ここんとこロシアの勉強をしてますが、さすがに1党独裁国で(注意:正確ではないですよ)、日本より少しだけスムーズのようですが、それも少しだけですね。
  
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