リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

なぜ詩人はみな若いか

2013-05-06 21:38:39 | 断片
 こんばんは。今日は連休最終日、あと自分の仕事のノルマも1課題だからその前に湯上りの休息をと、youtube、アリスの「陽はまた昇る」。う~ん、右翼的なはずだけどいい歌じゃん。谷村だから右翼なはずないやね、うん、感動。
 1 はさだまさしとして、(2はとばして)3はアリスでもいいな、と思いながら、youtubeの同ページにあった、さだまさし「防人の歌」、これも右翼的だけどわたし好きなはずだよね、と思って開けたのが間違い。歌えない。
 愕然的動揺。
 うーーん、うなるのみ。
 「愛は死にますか 心は死にますか 私の大切な故郷もみんな 逝ってしまいますか、、、」
 う~ん、わかったよ、お前はえらかった。

 まあ私もこういう言葉に反応できるだけ幸せというものです。そうでない人生を知らずに済んで。
    権力者の金魚の糞や裏切り者や。

 ともかくも、話は変るようで同じなのですが、松井やらイチローやら、あるいはダンスやらバレーやらの選手やら、ってたとえば草刈某とかの話で、そういうのも詩人と同じ事情なんじゃないかと。 何を言いたいかって、そういう努力は40歳までだ、ということですが。
 思うに、そういうのって、肉体がどうとかっていうんじゃないのでは? 
 
 20代、30代、人はなんとか自分を表現しようとしていく。それは、いわば、「叫び」ともいっていい、大声であれ、小声であれ。野球の選手は至らぬ体をなんとか自分の理想にもってゆこうと努力を続ける。
 しかし、40歳を過ぎると事情が少し異なる。人は、自分のうちに積み重ねたものを、人に「話そうと」 していく。それは同じようでも違う。とくに、体育会系は如実に違う。
 肉体力は落ちていくのに、自分の体は最盛期を知っている。一方で自分は知っているものがたくさんある、最盛期の経験知のいかに浅かったことか。
 あるいは、人は、恋をしていなくとも、昔の経験で恋について語ることができる。貧乏でなくとも貧乏について語ることができる。頭に残っている何かを、しかしもう想い出でしかない何かを語ることができるはず。そして、それをする。しかし、すでにそれはもう叫びではない。「説教」。

 みんな、それぞれに何かしら自分だけでできることを覚えて、大人になってしまう。 
 こうして、人間は青春の歌を歌えなくなる。 
 イチローは偉い。語ってはいけないと知っている。まだできるはずと肉体をどこかへ持っていこうとし、それができる。さだまさしはさほど偉くない。40過ぎたらただの歌うたい。
 
 
 さて、勉強しなきゃ。
 いや、ちゃんと予定はクリアしてるんだけど、なにしろ嘘つくのやだから志が低くて。たとえてみれば、「休日1日につき、数学の問題集2ページ、20題をやるぞ! ほかしないけど」 とかのレベルで。それを15題やって「あとは同じさ」で閉じてしまう。
    おれ、生涯で数学問題集をそんなにやったこと1日たりともないし。なに、どうやったって結果同じさ。
    同じでないことも知ってるけどね。
 
 
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