リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

日本ファッショ体制

2017-04-01 16:42:29 | 上部構造論
 こんにちは。4月ですね、寒いですが。
 おかげさまで4ヶ月ぶりに今日からフリー、まだ頭はクリアされてませんが。
 この2ヶ月の働き先はいまいちでした、いじめられっこがいて。まあ仕事の発想が悪くて一緒に仕事すると尻拭きが回ってきそうでいじめるほうの気も分からないではないですが、言い方ってもんがあるよね、って感じで。感じ悪。職場は明るく仲が良いのがいちばん。
 
 さて、世間のニュースはやはり暗く、子どもが何人も死んで。しかも体育(クラブ)まで死んで。とんでもねえや。年寄りなら暗くないが。
 おまけに教育勅語授業やら柔剣道授業やら。子供はおもちゃじゃねえぞ。ただのペットと思ってやがる。
 そんな大人たちはどんどん死んでよい。
 
 主題に移る前の本日のお役立ち。明日の花見の評価。
 家人にいわれて気づきましたが、そもそも東京近辺ほど、花見がどこでもできる地域は全国にないのではないか、ということで、東京地方の話題ですが。まあソメイヨシノだしね。
 で、明日は雨上がりのうえ、寒い。つまり座れば冷たく立ってても寒い。今日買い物に行きましたが、空はどんより3分咲き。残念ですが、明日も地元の公園以外へ無理する必要はない。
 そんなこといっても俺らは平日は仕事だ、と。
 そこはだいじょぶ。桜は地面で見てもきれい。地面は花吹雪。来週の土日には若葉も彩りを添えて、良い花見日和となるでしょう、晴れてさえいれば。23区は晴れてなくても、どっか晴れてますよ。
 
 ということで、ここんとこ感想記事が多かったので、本日は、多少こだわりのファシズム論争のくだらなさについて。
 歴史学の本なんてくだらないので読まなかったのですが、アメリカンファシズムの流れでちょっと手を出してあまりのことに呆れ果て。そんなにバカだったんですね、って感じ。
 説明するのもくだらなくていやなのですが、伊藤隆という右翼がいて、彼の主張をマルクス主義デマゴーグが無意味に批難するのですが、あまりに無意味なので、あたかも結果両成敗で、じゃあ仕切り直しましょう、ってことで、現在は若人の没価値な論議が席巻している、という筋道です。没価値というのは何の意義もない行動のことです。
 
 この伊藤隆という人はべらべらごまかすのでしょうがない人間だと思いますが、ただ言ってることは当たり前のことで、右翼も自称左翼もみんなで(世間がファシズムという)総動員体制を主体的に作っていった、と主張したわけですな。そりゃそうだ。
 しかしそこで、自称左翼も手を貸したという(事実の)主張にデマゴーグが怒った、というわけです。ファシズム的状態は天皇の力を借りた軍部・資本家のせいだ、というわけですな。
 で、若人はそんなのどうでもいいから、現実の動きだけ研究しましょうや、今はそういう時代ですぜ、てなわけで幕が引かれたわけです。
 
 困ったやつらだ。誰が唯物史観の主張者なのだろう。
 唯物史観というのは、中学生の教科書的に言えば、個人のイデオロギーに束縛されず、経済的土台によって歴史が動く、というもんですぜ、細かいところは無視すれば。何が右翼だ、何が左翼だ。
 誰もがその方向に行動するから、実際歴史もそう動く。
 きまってんじゃん。
 その「誰も」のことを左翼が歴史学者のくせにほっておくから右翼なんかに指摘されちゃうんじゃん。
 それを「ありがとう」とも言わずに非難・否定するなど、ほんとにバカを暴露している。
 おかげで若人は、それが唯物史観だと思って白けている、というわけだ。
 
 3、4回くらい前、トランプのことで言ったとおり、ファシズムというのは、資本主義過剰生産の行き詰まりによる労働者反乱を抑圧し、過剰生産を国家主導で打開すべく支配権力者がしかけた経済(-社会)規制体制のことです。それは決して「ファシスト」が導き出すものではない。そんな唯物史観があってたまるか。自称左翼には今でもトランプ等のことをファシストだなどというやつがいるが、そんな言葉を口に出すこと自体、そもそも彼らはマルクス主義者ではないのだ。私はマルクス主義者ではないが。
 ファシズムで必要なのは、それまでの「自由な」資本家活動を国家的に規制できる制度を作り上げる巨大な運動体制であり、それは自己利害しか主張できない軍部・資本家の力でなどでは到達できない地点なのです。これには国家的ゲバルトが必要なのであり、その通りに共産主義者は壊滅された。この壊滅運動で見せつけた国家的暴力を基礎に、被支配者部門では、残ったイデオローグが、後進資本主義国たる共同体的価値を基礎に、被支配者の自由を主張し、国家部門では、同じ共同体的価値を基礎に、食うや食わずの自己の人民とこれからの延命的経済体制のバランスを苦慮し、軍事部門では、漁夫の利で国家軍備の増強と自分の栄華を手に入れようと勝手気ままな自己運動をして、自己破産した、という事態なのです。
 イデオローグは、右翼は国家本位体制を主張する。これに「天皇」の名が付こうがどうだろうが無意味です。左翼は革命なき社会主義を主張する。これに「国家」の名が付こうがどうだろうが何も変わりません。
 それぞれ言いたいことを言っているだけ。言うのはただだ、が、それを国家が許しているのは国家に都合がよいという理由だ、というわけです。なぜ? それで勝手し放題の独占資本主義が国家的コントロールの元にひれ伏せば、その過程はどうでもいいのです。
 この事態の先進国的状態が、経済学者がご存知の国家独占資本主義です。
 が、経済学者はご存じないように、戦前の後進国ではそれ以前の状態だったわけです。しかして、ファッショ体制。
 ま、流れですけどね。
 
 こんなの当たり前じゃねえの。こっちも、なんか書いてて二度書きの気がしてきた。
 まったく歴史学者たるや。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 日の出時が一番寒い | トップ | 世知 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

上部構造論」カテゴリの最新記事