こんばんは。東京地方、ようやく涼しさが定着したようです。世の中に涼しい季節と暖かい季節があるのは、年寄りには幸せの源ですね。
なんて思うと、世の中に暑い季節と寒い季節があるというのも、(いくばくかの金さえあれば)10歳以下には幸せの源。
どっちが偉いかって、やっぱ年寄りは死ぬしかないですね。
さて、昨日は休日出勤でダンボール運び。どうもダンボールから離れられませんが。
わたしなんざご想像のとおりの非力ですが、案外これが得意で。力のある同僚たちは、終わってからどこそこの筋肉が痛いなどというのですが、なんのことやら(筋力はどうでも体力がないので疲れはしますが)。それもこれも剣道的自主運動のおかげかと。負荷などないも同然の自主運動ですが、怠け者なりにね。
というわけで本日の役に立つブログ、どうせガタイの劣悪なあなた。
力の発揮は腰ですぜ。要は腕や足の力がどうでもそれで体重分はこなせますということですね(体重数十キロの運搬力なり打撃力なりは保証されているという意味)。そっから先は、スピードやら、力の集中度やら、周辺の質量の相乗やら(相手の体重や、剣道なら刀の重さや)の問題。
と義務を果たしておいて、安心して役に立たない話題。
ふっと頭をよぎった生き方のテーゼ。「連帯を求めて孤立を恐れず」
こんな哀しい単語連しかよぎらないのも、残念な定めとも感じますが。
ま、ともかく、このテーゼ自体、当たり前ですね。当たり前でない人は今日来たあなただけ。別にあなたを排除しようというわけではなく、これはアナーキストの基本だということで。
しかし、アナーキストのあなた、「だよね」、って同意して発言できるのはあなたがた若い人だけ。世の中そんなもんやおまへんで。
これを初めていった谷川雁、37歳、37でなんもわかるもんか。
連帯には2通りの意味があるねん。(孤立はシンプルに孤立だからね、ごまかさんどいてよ。吉本喜劇から昨日首になった奴が今日は孤立かって、そんなわきゃねえぞ。いかに吉本だって、仲間はみんな人間だろ。おそらく。)
まずは、普通の若者が思う孤立的「連帯」。
「わしゃこっちがいいと思うねん。まちがってっかもしれんけど。でもわし、生きて生きて、こっちを選ぶ。おみゃあとは分かれるけど、道は違うが同じことだな。またどっかで会おうぜ」
何語だ。
しかし、哀しいかな、40歳過ぎの世界はまったく違う様相を呈してるんですね、これが。
「敵はぶっ殺さないと示しがつかない。まあ、はたで見てるみんなが軟弱ならいっぺんに評判が落ちるので殺しはしないが、それにしてもまともに生きていけると思うなよ。」
こういうのは関西系言葉だとどう書くのか。
ともかく世の中そういうものです。
にもかかわらず「連帯」のごときものは存在する。これが歴史の不思議。
しかし、あるいはしかも、その現在的な根拠は、若者の世の中知らずの他者との同一生的信念ではなく、利害関係的戦術にある。「けんかしちゃあかん、あんな野郎共でも、とりあえず役に立つ。」
わかるかなあ、わこうど、あなた。
世の中そんなもんですたい。
しかし、さらに面倒なことに、歴史はそういうものではない。「戦術的現在」などなにほどのものか。歴史とは、こざかしい戦術で左右できるものではない。
本質的には違う賞賛がすくい取った若者の分裂が、つまり、K派やC派やS派や、今は亡きB派の左翼たちが、本質的には同じ利害の中で手を結ぶ日が来る、
これが本来の
【連帯を求めて孤立を恐れず】という文言なのです。 (か、どうかは知らないが、谷川雁は、マルキストにいわせりゃアナーキストだそうだからね、わたしもそう見てあげよう、というだけですが)
裏切られ続けるしかないアナーキストが信ずるのは、左翼たちの外交的微笑ではなく、この歴史の真理のみ。
というわけで、この文章をご覧の社会科学関係者に今教えてあげているのは、そうした、賞賛と利害の違いです。
世間は心のように動くわけではない。
しかし心があるから動く。
そのうえ、何十百千人もが犯罪者となり被害者となり。そして何十万人が裏切り者になり。残った者は傍観者200人中の私。
ではあってもそのスローガンに変わりようがない。
連帯を求めて孤立を恐れず。
恐れて何ができようか。
って、うなづいた若い君、3行前に4通りの人々の種類をあげたけど、比率は10対1対1000対2人だよ。そして君が「1000」に入らない気は私にはしない。君の頭がよければよいだけ。もちろん君のことなど知らないけどね。
要は、自分で試してみない限り、うなづいてはいけない、ということだ。
最後に、ネット検索すればすぐわかるように、このテーゼを2番目に言った奴の言はまだわかりやすい。
『連帯を求めて孤立を恐れず。力及ばずして倒れることを辞さないが、力尽くさずして挫けることを拒否する』
正しくて正しすぎるが、どうだろうか、そう言った君。あ、先輩かね、ま、同じことだ。君に疑っているわたしの心はわかるだろうか。
なんて思うと、世の中に暑い季節と寒い季節があるというのも、(いくばくかの金さえあれば)10歳以下には幸せの源。
どっちが偉いかって、やっぱ年寄りは死ぬしかないですね。
さて、昨日は休日出勤でダンボール運び。どうもダンボールから離れられませんが。
わたしなんざご想像のとおりの非力ですが、案外これが得意で。力のある同僚たちは、終わってからどこそこの筋肉が痛いなどというのですが、なんのことやら(筋力はどうでも体力がないので疲れはしますが)。それもこれも剣道的自主運動のおかげかと。負荷などないも同然の自主運動ですが、怠け者なりにね。
というわけで本日の役に立つブログ、どうせガタイの劣悪なあなた。
力の発揮は腰ですぜ。要は腕や足の力がどうでもそれで体重分はこなせますということですね(体重数十キロの運搬力なり打撃力なりは保証されているという意味)。そっから先は、スピードやら、力の集中度やら、周辺の質量の相乗やら(相手の体重や、剣道なら刀の重さや)の問題。
と義務を果たしておいて、安心して役に立たない話題。
ふっと頭をよぎった生き方のテーゼ。「連帯を求めて孤立を恐れず」
こんな哀しい単語連しかよぎらないのも、残念な定めとも感じますが。
ま、ともかく、このテーゼ自体、当たり前ですね。当たり前でない人は今日来たあなただけ。別にあなたを排除しようというわけではなく、これはアナーキストの基本だということで。
しかし、アナーキストのあなた、「だよね」、って同意して発言できるのはあなたがた若い人だけ。世の中そんなもんやおまへんで。
これを初めていった谷川雁、37歳、37でなんもわかるもんか。
連帯には2通りの意味があるねん。(孤立はシンプルに孤立だからね、ごまかさんどいてよ。吉本喜劇から昨日首になった奴が今日は孤立かって、そんなわきゃねえぞ。いかに吉本だって、仲間はみんな人間だろ。おそらく。)
まずは、普通の若者が思う孤立的「連帯」。
「わしゃこっちがいいと思うねん。まちがってっかもしれんけど。でもわし、生きて生きて、こっちを選ぶ。おみゃあとは分かれるけど、道は違うが同じことだな。またどっかで会おうぜ」
何語だ。
しかし、哀しいかな、40歳過ぎの世界はまったく違う様相を呈してるんですね、これが。
「敵はぶっ殺さないと示しがつかない。まあ、はたで見てるみんなが軟弱ならいっぺんに評判が落ちるので殺しはしないが、それにしてもまともに生きていけると思うなよ。」
こういうのは関西系言葉だとどう書くのか。
ともかく世の中そういうものです。
にもかかわらず「連帯」のごときものは存在する。これが歴史の不思議。
しかし、あるいはしかも、その現在的な根拠は、若者の世の中知らずの他者との同一生的信念ではなく、利害関係的戦術にある。「けんかしちゃあかん、あんな野郎共でも、とりあえず役に立つ。」
わかるかなあ、わこうど、あなた。
世の中そんなもんですたい。
しかし、さらに面倒なことに、歴史はそういうものではない。「戦術的現在」などなにほどのものか。歴史とは、こざかしい戦術で左右できるものではない。
本質的には違う賞賛がすくい取った若者の分裂が、つまり、K派やC派やS派や、今は亡きB派の左翼たちが、本質的には同じ利害の中で手を結ぶ日が来る、
これが本来の
【連帯を求めて孤立を恐れず】という文言なのです。 (か、どうかは知らないが、谷川雁は、マルキストにいわせりゃアナーキストだそうだからね、わたしもそう見てあげよう、というだけですが)
裏切られ続けるしかないアナーキストが信ずるのは、左翼たちの外交的微笑ではなく、この歴史の真理のみ。
というわけで、この文章をご覧の社会科学関係者に今教えてあげているのは、そうした、賞賛と利害の違いです。
世間は心のように動くわけではない。
しかし心があるから動く。
そのうえ、何十百千人もが犯罪者となり被害者となり。そして何十万人が裏切り者になり。残った者は傍観者200人中の私。
ではあってもそのスローガンに変わりようがない。
連帯を求めて孤立を恐れず。
恐れて何ができようか。
って、うなづいた若い君、3行前に4通りの人々の種類をあげたけど、比率は10対1対1000対2人だよ。そして君が「1000」に入らない気は私にはしない。君の頭がよければよいだけ。もちろん君のことなど知らないけどね。
要は、自分で試してみない限り、うなづいてはいけない、ということだ。
最後に、ネット検索すればすぐわかるように、このテーゼを2番目に言った奴の言はまだわかりやすい。
『連帯を求めて孤立を恐れず。力及ばずして倒れることを辞さないが、力尽くさずして挫けることを拒否する』
正しくて正しすぎるが、どうだろうか、そう言った君。あ、先輩かね、ま、同じことだ。君に疑っているわたしの心はわかるだろうか。
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