おはようございます。昨日のP.S. カテゴリー違いですのでご注意。
昨日、AI短歌なるものをただのキャッチフレーズだとけなしたので、言いっぱなしも何だから直してやろう、と思いました。
(再掲)AI短歌なるもの
「同棲」なんて名前をつける前からあなたは私の中で住み着いていた
まずこのコンピューターはどんな感情を歌いたいのか。
なにも歌っていないからむりやり想像ですが、「あなた」の自分への影響の多さだろう。
平易に言えば、
1「別れるなんていや」
か
2「あなたは冷たく同棲なんていうけど、なんでそんなこというの?」
か。
ここで添削ですから、彼の舞台設定を使わなければなりません。
1の場合は、ポイントは「同棲」解消です。したがって言葉で解消させて、それ自体に冷たさをにじませよう。
もう1週間も居るやと呟くあなた 違うわ5年間よと心が言う
そもそも作意がくだらないから、添削も難しい。
2の場合は、ポイントは「同棲」という言葉だから、この言葉に感情を与える。
私の中に住んでいたあなたは友に「今日から同棲」と笑う
この場合「笑う」に軽侮の念を込めようとした。
そもそも短詩に使う「感情」はその感情を体現する環境体が使用されなければならないのです。短いんだからしょうがない。環境体って、感情を投影される自然物や、感情が沸き上がる環境状況です。
それがない概念操作は、調子頼りの「キャッチフレーズ」にすぎません。
短詩としての俳句なら、山頭火
「うしろすがたのしぐれてゆくか」これが環境状況。
「世界中の無数のあたしと世界中の無数のあなたはどこにもいない」
これがキャッチフレーズです。谷川俊太郎(ネットで一番手近のもの)。おわかりでしょう、何の感情もない。
いや、きのう年寄りと同窓会で「みんな何してんの」という話題で。まあこういう遊びもしなきゃね。
(p.s. 知らない方に。俊太郎も若い時はそこそこ感情をもってたんですよ。もちろん私はひどい違和感を受けてましたが。「二十億光年の云々」、十分詩です。ただ人間の対応感情は変わらなくとも、対応する状況はいくらでも変わる。それに惑わされるのもにんげんというもの。哀しかないですか?)
昨日、AI短歌なるものをただのキャッチフレーズだとけなしたので、言いっぱなしも何だから直してやろう、と思いました。
(再掲)AI短歌なるもの
「同棲」なんて名前をつける前からあなたは私の中で住み着いていた
まずこのコンピューターはどんな感情を歌いたいのか。
なにも歌っていないからむりやり想像ですが、「あなた」の自分への影響の多さだろう。
平易に言えば、
1「別れるなんていや」
か
2「あなたは冷たく同棲なんていうけど、なんでそんなこというの?」
か。
ここで添削ですから、彼の舞台設定を使わなければなりません。
1の場合は、ポイントは「同棲」解消です。したがって言葉で解消させて、それ自体に冷たさをにじませよう。
もう1週間も居るやと呟くあなた 違うわ5年間よと心が言う
そもそも作意がくだらないから、添削も難しい。
2の場合は、ポイントは「同棲」という言葉だから、この言葉に感情を与える。
私の中に住んでいたあなたは友に「今日から同棲」と笑う
この場合「笑う」に軽侮の念を込めようとした。
そもそも短詩に使う「感情」はその感情を体現する環境体が使用されなければならないのです。短いんだからしょうがない。環境体って、感情を投影される自然物や、感情が沸き上がる環境状況です。
それがない概念操作は、調子頼りの「キャッチフレーズ」にすぎません。
短詩としての俳句なら、山頭火
「うしろすがたのしぐれてゆくか」これが環境状況。
「世界中の無数のあたしと世界中の無数のあなたはどこにもいない」
これがキャッチフレーズです。谷川俊太郎(ネットで一番手近のもの)。おわかりでしょう、何の感情もない。
いや、きのう年寄りと同窓会で「みんな何してんの」という話題で。まあこういう遊びもしなきゃね。
(p.s. 知らない方に。俊太郎も若い時はそこそこ感情をもってたんですよ。もちろん私はひどい違和感を受けてましたが。「二十億光年の云々」、十分詩です。ただ人間の対応感情は変わらなくとも、対応する状況はいくらでも変わる。それに惑わされるのもにんげんというもの。哀しかないですか?)
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