リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

哲学者の二重の夢

2024-08-03 17:28:15 | 社会学の基礎概念
 こんにちは。お暑うございます。外で勤労されている方はくれぐれも無理なさらず。結局誰も得しない三方損。仕事が遅れるように見えても、結局のところあとで誰も困らない方法です。
 ほんとめげたくなりますが、去年のようではなく、一昨年のように涼しくならないとも限りません(東京地方)、と自分に言い聞かせて。
 
 パリは涼しい、ってね。
 オリンピックも出だし面白い試合ばっかりだった。
 女子サッカーのシュートとか、谷川、北川と胸のすくラインを飛んで。
 阿部詩氏は負けちゃって号泣してたけど、それも人間という一過程。これが大事なのだよ。兄ちゃんだってそう生きてきたさ。わたしゃ倫理教師じゃけんね。教師じゃないけど。
 けど、ここんとこいまいちな展開ですね。体操やら終わると、もういまいち。いつもそうな気もしてきた。
 昨日は飲み屋で柔道見てましたが、男女の重いやつ。なんだかねえ、お疲れさまというしかない。重い人は柔道いらないじゃん。
 今日は早川氏が負けちゃった。あんな魔術みたいな女子卓球で勝ちも負けもないと思うぞ。
 思うに、負けて悲しむより1回戦目勝って喜ぶほうが健全じゃないかしら。
 
 などなど。
 コラム記事。
「「馬鹿げているわ!」女子トライアスロンの出場選手が“セーヌ川汚染”に注目発言!「私はヤクルトを飲んだ」と珍対策も明かす【パリ五輪】」(THE DIGEST)
 ベルギー女子代表選手、下水が大挙して流れ込んだセーヌの水飲んじゃったってさ。
 そりゃヤクルト頼みが正しい。珍対策ではありません。
 (p.s. 後日。選手入院したもよう(ヤクルトとは別の同国選手と判明)。大腸菌中毒のもよう。菌が特定できれば抗生物質を。しかし、できないんじゃん? 種類多すぎて)

 ところでオリンピックで見ないテレビも見るところ、
 サントリー天然水のCM、『大自然を味方に』篇 、かわいい。
 ジャガイモのようなガキが長野県白馬村の山道を駆け回るの。
 いいなあ、、俳優は「地元の子ども」だって。地元っぽい。
 柔道女子の金のさ、角田夏実氏、八千代市(千葉県)の人々が応援してたけど、あの顔はやはり白馬とか新潟(糸魚川)・長野系だよねえ、取り残され縄文人的な。動いた人たちは酒田以北へ。文献はありません。熊襲の末裔(まつえい)の直感ね。
(p.s. 登坂絵莉:富山県高岡市出身、顔のつくり似てるしょ?
    北アルプスから富山の石川県境まで、アイヌ地名が残ってるんだよ)
 
 話を変えます。
「「冷やし中華」に「〇〇」をかけると『なしでは冷やし中華食べられない』セブンイレブン近畿エリアでは当たり前「今まで人生損してた」6割が知らなかった」( gooいまトピライフ)
「コンビニで冷やし中華を買うと、、、東海地方などではマヨネーズをかけて食べられることがあるそうです。」
 そうです。ポイントは、マヨネーズ。
 そうだろ、愛知だよな、と思って、念のためネット検索。
『三国一 西口店【新宿区】|東京うどん日和 - テーブルマーク』なるサイトに
「今や一般的なメニューとなっているサラダうどん。 40年ほど前に、こちらのお店の先代が考えたのが始まりだ。ヘルシーな食が重要視され始めた時代、試行錯誤の末に ...」
 なんて書いてある。ウソ。
 なぜウソか。47年前、池袋駅東口地下の立ち食いエリア(今のチェリーロードが狭い道で、脇に立ち食い広場があった)のソバ屋で食ったから。うどんと生野菜とマヨネーズ汁。立ち食い天うどんと同じ値段。きっぱり「サラダうどん」というメニューだった。何十万人の年寄りが知ってる事実。
 いや、サラダうどんは名古屋のソウルフードだと思っているのですが。

 ところで、米の値段が上がってるのは外人がたくさん来て安いコメがなくなってんだってさ。わたしとこも、2等米だか3等米だか、かけらの多いブランド米、いくら特売日を待っても2000円じゃ買えなくなってしまって困ったけど、まあ飲食店繁盛ならご同慶。
 と思えば「小麦粉」のラーメン屋の倒産が過去最多、って。原料の値上がりだと。
 これははっきし言って味で勝負しようというのが無茶というもの。わたしゃ町中華のほうが好き。

 さて、今日はそんな飲み屋(というと怒られる、小料理屋)の世間話だけれど、いちおう変わったことも書かなければこのブログの存在意義がない。
 というわけで、話は『群盲象を撫でる』
 タイパの関係で「ひばりデンタルケアクリニック」様のブログから引用。こちらには他意はございません。感謝だけ。https://www.hibari-dcc.com/blog_/2019/09/25
 それは「意味としては断片的な情報で全てを理解したと間違った考えを持ってしまう、とのこと。始めの「群盲(ぐんもう)」とは、複数の盲人との意味。後半の「象を撫でる」とは、象の事を評する、との意味になるとの事。複数人の盲目の人が象に触り、一部触った情報のみで象のすべてを知ったかのように語る、という意味になるのだそうです。一部の情報のみで判断するべきでない、といった教訓」。以上、なんかの教科書で見たことありません?
 さて、この話は本当か、というわけで。
 他意があるのは加藤茂の『ひとは自我の色眼鏡で世界を見る』。この話を引いて、さも人を馬鹿にして見せるから、てやんでえ、これだから哲学者は、何も知らねえ、と思うところ。
 この話は社会で生きるということを知らない人間が、どっかに落ちてるだろうと熱望する真理へのあこがれで作った話です。人間が生きるということは実はどこにも落ちてはいない。だから当然、人間が生活する世の真理とは全くかぶさるところのない話です。目の不自由な人は哲学者など何一つ恐れることはない。ただ「バ~カ」といっておけばいい。われわれ生活者の真理は象の鼻が杵のように振られて自分に悪さをするかしないかということであって、動物園で象を見学する小学生の網膜画像が真理なのではない。あるいは象の足が杵のように彼の腹の上に落ちてくるかこないかが世の中の真理なのであって、動物園で象を見学する小学生の網膜画像が真理なのではない。
 もちろんこの哲学者氏は現象学を知っているから「トータルの像」なんか手に入らないと思っていよう。その結果、世界は夢だと。
 そりゃあなた、初めから哲学者の夢。「哲学的真理」なるものへの憧れと、白昼夢の二重の夢。
 世界は生活世界なのだ。シュッツを読んだだろうが。いや、「でしょうが」。
 概念は世界に一つではない。カテゴリーも世界に一つではない。なぜそんな当然の事実を悲しむんだ?
 人にはそれぞれの生活上の真理がある。それぞれの真理が社会全体になるとどう動くか。この歴史的現象の規定性をとらえることが社会科学としての真理なのだ。

 ところでこのかん、すぐ腕やら足やらがかゆくなるのは、蚊やダニだけじゃなくて、汗のせいな気がする。

(p.s. カテゴリー、その他から社会学に変えました。社会学は人間科学の帝王だからね。)
(p.s. しつこく追伸。昨日睡眠が少なくて、脳が中途半端。
 で、「最高だと思う関東の海水浴場ランキング!」なるgooの特集が目に入り、変。
 だいたい設問がいい加減だ、から私みたいのがひっかかる。 
 子供連れには、1位、伊豆今井浜。もっと小さい子には、2位、伊豆外浦。友達と行くなら伊豆九十浜(子連れはセイフガードに注意)。要するに、島を除けば伊豆下田近辺がいちばん。なぜ30位までで載ってない? 波荒やら下水浜やら。ほんとに行ったことあんのかねえ、、、)

 
 
コメント
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