リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

 社会的「偉人」という観念過程

2013-10-05 20:47:01 | その他
 こんばんは。今日など東京地方、とてもちょうどよい気候で。これでなにもできないんじゃ言い訳のしようもない、とはいえ、ほんと中高年化するといろんな言い訳があるもんで。
 どうも何かあるとそのテーマにとらわれちゃってね。一段落してもボーっとしてやがる。他のテーマに移れない。 酒飲んで(飯食って)風呂入って、ようやく白紙に。困ったもんさあ。
 
 さて本日は変な題だね。
 2,3日前、小泉がいまさらのように原発廃止を。ラーメン屋で読売新聞読んださ。
 問題は、その趣旨。
 さすがのプロパガンダ。私がいつも言うように、”正しいことと宣伝すべきことは訳が違う”と。彼氏いわく。
 ”ほんとうはとりあえず原発の世話にならざるを得ないのだが、『将来的に原発ゼロ』というスローガンではなにもできはしない。ここは、『原発廃止』だ。”
 だとさ。
 危ない奴を首相から下ろしてよかった。
 ま、そういうことでさあ。
    あぶないあぶない。おっしゃるとおりさ。
    今の自民党は保守官僚が教えてやってもなにもできねえで助かるけどね。何だね、解雇特区たあ。その案、引っ込めたってさ。一点突破の全面展開。失敗した自民党の代わりにお教えするが、若き左翼よ、どんな前提をつけてもいい、どんなかけらでもいい、世の中、現実に存在した者勝ち(させた者勝ち)なんだぜ。
 
 これは余談。原発の話ね。
 もっとも私は原発本質賛成派だから、たとえ正しかろうが、こういうのを聞くと悲しい。
    砂漠の民衆はどうすればいいのか、、、
 
 さて、そんなことは悲しもうが怒ろうが、原発は存続するからいいのだが、いや日本はどうでも世界的に存続するから考える気にもならないというわけだが、小泉が偉人というわけではないが、後世に伝えられる偉人というのは、そんなバカでも、かくのごとき適性は有している、ということで、ちょっと確認しておきましょう、こういう誰一人知らないことを教えるのが好き。
 
 「偉人て、なに?」って、そりゃ評論家が「偉い」って書くことで自分のおまんまが食えるようになるその対象のことさあ。当該人の実力程度を問わず。
 
 で、偉人は何を元に決められるか。
 
 その1 偉人とは頭の良し悪しではない。
 その2 同様に、頭をどれだけめぐらかせるかという、思考の深さの問題でもない。
 その3 社会的偉人は、必ず権力過程に関与するのが存在要件である。
 その4 社会的偉人は、他の権力関与者以上に、当該国家人民の自由の将来を把握している。
 その5 社会的偉人は、当該国家人民の自由の将来を拡大する方向で賛成の手を挙げる。
 その6 社会的偉人は、その思考能力、言語能力、その他の能力の保持如何に関わらず、あらゆる自己の努力により、99%の歴史的事例において自己の能力を超えて、人民の自由を拡大する方向性を、声高に、また権力の放射範囲内で最大限に、表現する。
 
 やさしくいうと、「たいていの社会的偉人はバカで犯罪者だが、その当時の自分が共同性を有する人民の期待に応えて歴史を人民が潜在的に望む方向に進める。」
 
 お判りか。
 誰だってわかるやね。
 でもいわれなきゃ気づかないというわけさ。
   これ読んだ人、だれか気づいてた?
   気づいてっこないやね。
     偉人てさあ、たとえば、坂本竜馬とか大久保利通とか伊藤なんとかとかのことさあ。いやさ、小泉も、首相時代の悪政の実績によって、平成史家の間ではそのうちそうなるさ。もっとも、人民はあいつが何したか知らない(新聞の片隅の記事なんて読んでない。都合の悪いことは最左翼の新聞(朝日新聞のことさあ)も取り上げない)ということはあるけどね。
     
 ま、いいたいことは、その過程はあなたの会社で社長が「次の契約を決める」、あるいは「迫られた企業合併に合意する」といった、通常、日常の過程にすぎないんだ。ということです。だれも大学教授や評論稼業家のように何ヶ月も悩むわけではない。やりたいことと、客観可能性が合致すれば、わずか1週間の揺れで済む話だ。
 なにが「偉人」だよお。 まあ、いいんだけど。それでも、ほんのちょっとだけが違う。 
 社会は、平凡に過ぎていきます、たとえ明治維新期だろうと。 
 誰が偉人でもない、平平凡凡の時間経過。 
 何が違うって、偉人は潜在的に命を掛けている。
 それを命を掛けていない後世の評論家が見ると偉人になる。
 
 でも今日の役に立つブログ、ポイントは、人民の潜在的期待を表現すれば、どんなばかでも、偉人になるということでね。
 それは右翼だからできないとか左翼だからできるということではない。
 小泉は右翼だからそんなやつのいうことをきいちゃあ人民の自由は究極的に疎外されるのだ、とか、そのはずだ、とかいったってしょうがないことなのだ。彼は庶民の期待を身に付け、庶民は彼の言に自分の期待がこもっていることを確認する。
 
 そこでさ、自民党一般など、幸いなるかな根性ナシで、何もできゃしないのさ。
 いやさ、右翼でも左翼でも同じこと。 
 「そんなこと教えてもらっても殺されちゃうからできない」という判断であれば、それは君は偉人ではない、という、しごく単純な話をしました。
 
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