北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

故郷への狂おしいほどの懐かしさ

2012-04-20 23:48:24 | Weblog
 月に一、二度エッセイを載せていただいている釧路新聞の『巷論』欄。

 四月最初の投稿は、「『僕等がいた』を見に行こう」というタイトルで、釧路っ子は皆で映画『僕等がいた』を見に行こうではないか、という主張です。

 人気だった前篇に引き続いて、いよいよ明日21日からは『僕等がいた』の後篇が始まります。

 釧路を舞台にした前篇は、釧路では上映回数を減らしながらこの週末ならばまだ観られるとのことですが、後篇が始まれば話題はそちらに移るので、そろそろ銀幕では観られなくなる日も近いことでしょう。

 市役所の中でも、私があちこちで騒ぎ立てるものだから辟易して見に行った人も多いかもしれませんが、行った人たちは案外気に入っていて、「いやあ、行って良かった!はまりました」という声が多いのです。

 せっかく釧路を宣伝してくれるこうした機会を外からの応援と捕えて感謝し、釧路が皆で盛り上げなくては映画制作関係者に対しても失礼だし、もったいない限り。

 この週末を最後のチャンスとして、ぜひ観に行ってほしいというのは、私からの檄文です。



    ※     ※     ※     ※     ※



 この文章が今朝の釧路新聞に掲載されるや否や、某協会の役員の方が用事のついでに秘書課を訪ねて来てくださって、「おお小松さん、今朝の記事を見たよ。余所からの方は発想が違うね」と賛辞を寄せてくださいました。

 そして、「私も釧路に住んで長いものだから、釧路にいない人の気持ちってなかなか分からなくなるんですよ」とのこと。

「釧路を出た方が懐かしがってこの映画を観ているようで、懐かしいという声がよく聞かれますよ」と私。
「そうでしょうねえ。釧路を離れた人がそんなに釧路を懐かしがっているというのが私も最近分かりましたよ」

「ははあ、何かありましたか?」
「先日卒業した高校の同窓会があって、釧路の外に出た人に釧路に集まってもらって会おう、という話になったんですよ。そこで、この辺りで美味しい料理を食べて夜は阿寒湖畔の良いホテルでもてなそう、などと計画を立てたんです」

「ええ、どうでした」
「それが、釧路へ来る人たちから文句が出ました。『今更おいしい料理だとか、温泉で一泊なんていいよ。それよりも、学生のときに通った道やその周辺を見学させてほしい』って言うんですよ」

「なるほど」
「皆、釧路へ来たときは、『ああ、ここはこうだった』とか『あれ~、あのお店が無くなっていた』と言っては懐かしがっていました。実は故郷が遠くにいる人をもてなす、というのはそうしたノスタルジーにひたることなんだなあ、と良くわかったんです。だから今日のあなたの文章には共感できるところが多かったですよ」


 故郷を離れた者にとって、故郷の風景はいつも思い出の中にあります。

 もしかしたらそれが変わってしまった姿を見るのは思い出を壊してしまうのかもしれません。

 しかしそれでも思い出の中の故郷はいつもそこへ戻りたくなるような狂おしい思いを胸に呼び起こすのです。


 皆さんの戻りたくなるあの頃の故郷はどこですか?


 【今日の釧路新聞『巷論』欄】
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マリモは神様からの贈り物

2012-04-19 23:17:36 | Weblog
 阿寒湖畔でマリモを研究している若菜さんに、改めて阿寒湖のマリモについて分かってきたことを教えてもらいました。

 マリモというのは淡水性の緑藻の一種で、実は日本や北半球の世界の湖に結構存在しています。

 しかし球状になって群落を形成しているのは、阿寒湖とアイスランドのミーバトン湖だけ。

 同じ植物でも球状になったり、ならなかったりするわけでそこが阿寒湖の不思議なわけです。

 若菜さんは元々阿寒町の職員として、今は合併後の釧路市職員として阿寒湖畔でマリモの研究を進めていて、ここ十年来の研究でようやくマリモが球状になる要因がわかってきたと言います。

 阿寒湖の特徴はまずその多様な地形。10万年ほど前は古阿寒湖とも呼ぶべき大きなカルデラ湖だった阿寒湖ですが、その後周辺に火山が誕生して、そのために外輪山が決壊し一度は水位が大幅に低下したのだそう。


 【阿寒湖の多様な地形】


 その後さらに今の雌阿寒岳や雄阿寒岳が誕生したことで再びせき止められて今の湖の形になりましたが、水位が低下していた間に湖に流れ込む河川の谷筋が削られて、今の湖底には深い谷ができました。

 その後の長い間の土砂の流入などで遠浅な地形もできて、これがマリモが転がるのに実に都合の良い地形となりました。


 次に湖底の地質も多様です。遠浅な砂泥や溶岩と砂礫、さらには泥だけといった様々な様相を示します。

 湖底の地質が溶岩になるとマリモは岩に張り付いて球状にはなりません。マリモが球状になるのは遠浅な砂泥という条件のところに限られているのです。


    ※     ※     ※     ※     ※


 さらには風の要素が重要になります。

 阿寒湖では夏の間に東西の雄阿寒岳、雌阿寒岳に挟まれて南風が卓越して吹くようになります。その結果、湖面を長く吹く南風は、湖の北側の遠浅な湖岸に適度に吹いてマリモを適度に転がすことで球状化が促進されるのだそう。

 風向きがバラバラだったとしたら、マリモを転がすような方向や力が得られなかったろう、というのが若菜さんの分析です。


 また最近の研究でようやく、湖に流れ込む、あるいは湖底から湧き出る水の水質の違いが分かってきました。

 実はヨーロッパでも、マリモが生息するのはかつて海だった湖ということが分かってきて、塩類が重要な要因になっていることが予想されます。

 阿寒湖でも調べると塩類が湧き出ているところがあって、これがまたマリモを育てる要因になっていることが分かりました。


 マリモは植物なので光が極めて重要になります。湖底のマリモに光が当たるということは水深が極めて重要というわけ。

 今の阿寒湖はそうしたマリモが球状になるために極めて最適な条件がすべてそろっているわけで、実に稀有な偶然の塊なのだそうです。



 【神様からの贈り物


    ※     ※     ※     ※     ※



 マリモは日本では1897年に札幌農学校(現北海道大学)の川上瀧彌氏が阿寒湖で発見し、「マリモ(毬藻)」という和名をつけましたが、世界の歴史では、カール・フォン・リンネがスウェーデンのダンネモーラ湖で1753年に発見して学名をつけています。

 しかしその後保全の方法が分からずに、ヨーロッパの湖からは社会の工業化と水質の悪化によって次々にその姿を消し、球状マリモが群落で残るのはアイスランドのミーバトン湖とここ阿寒湖だけになりました。

 しかも今やそのミーバトン湖でも急速に球状マリモはその数を減らしているそうで危機感を抱いているそう。

 その原因は水中の濁りが広がっていて水中への光の量が不足しているのではないか、とのこと。

 ちょっとした微妙な環境の変化がマリモの生育には大きく影響します。


 阿寒湖は国立公園でもあり、球状マリモの群落は特別天然記念物として厳正に保全されていますが、我々は常に環境の変化には敏感でなくてはいけません。


 球状のマリモがいかに偶然の組み合わせで、神様からの贈り物であるかを改めて味わいたいものです。


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災害被害想定の意味

2012-04-18 23:45:01 | Weblog
 東京都における東京湾北部地震の新想定が発表されました。

 これまでの想定を上回って、最大震度が7になったうえに震度6強の範囲も広がって、都内がより強い揺れに見舞われるというショッキングな予測が出されたのです。

 より詳細に見てゆくと、地震が発生する季節や時間帯などによって被害想定の数字はいくつか示されていますが、『冬の夕方18時にM7.3の首都直下地震が発生した』とすれば、死者は9,641人とされ、一番被害が大きかったこの数字をマスコミが大きく取り上げています。


 【東京都の北部地震による消失棟数分布】


 ところでこの場合の死者がでる原因は約5,400人が揺れによる建物の全壊で、約4,100人が地震による火災とされています。

 いまどき地震で建物が全壊するというのは、地方都市の方が却って理解できかねますが、東京の場合は環状6号線と環状7号線の間に広がる木造密集地帯がその大きな原因になります。

 ここは、関東大震災で家が焼け出された多くの都民が、都市計画がないままに当時郊外だった地域を無秩序に市街化して生活を始めた地区の名残で今日に至っていて、多くの都市防災上の問題を抱えた地域とされています。

 例えば、現在の建築基準法では幅4m以上の道路に接していなければ家を建てられず、道路がそれ以下で狭ければ家の敷地を削ってでも道路幅を確保して家を建てなくてはなりません。

 ところがこの木造密集地帯では、この法律が却って邪魔をして、「それなら家を建て替えるのをあきらめる」という方向に考えが進み、いまだに木造モルタル二階建ての耐震基準も満たしていない住宅が建て替えられずに残ってしまっているのです。

 建物自体は明らかに地震にも火災にも弱く、おまけに道路が狭くて消防自動車や救急車などが入ってゆく道路も脆弱。

 これではとても災害が防げないのですが、それでも家賃が安くて良い、という人や家を建て替えるお金のない家主たちが日々を暮しています。

 面白いのは、住人達は道路が狭いために車を持つ人が少ないながら、近隣で買い物をする需要は旺盛なために、昔ながらの商店街が非常に活気あふれる地区が多いこと。


 【日本一長い戸越銀座の商店街】


 都内でも有名な木造密集地区の京島や東向島、十条などといった地区を自転車で走っていると、道路は車が走らないから地区全体が静かで、家の中のラジオが聞こえ、犬や猫の鳴き声が聞こえるような、とても閑静な住宅街である種の昭和レトロな幸せすら感じるくらいです。

 しかしながら、この安寧が一たび大災害を受けると脆いことは明明白白。そしてそれでいながら、この地区の防災度を高めるような街づくりがもう何十年もできて来なかったという現実が重くのしかかります。


 【東向島の路地】

 
    ※     ※     ※     ※     ※


 パターナリズムという単語があります。

 語源となったラテン語の"pater(パーテル)"とは、英語のfatherの語源で、父親という意味。

 そこから来るパターナリズムとは、父親的温情主義とも訳されて、『強い立場にある者が、弱い立場にある者の利益になるようにと、弱い者の意志に反してでも行動に介入・干渉すること』をいいます。

 上記の木造密集地域に照らして言うと、『危険なのはわかっているのだから、私権や財産権を制限してでも移住や建て替えを強制して安全な町に作り替えてそこに住まわせる』ということになります。

 しかし、現代の行政によるまちづくりはそこへ踏み出すだけの力はとてもありません。

 都市計画決定という形で世間的な合意を獲得しているはずの道路整備ですら、用地交渉が不調になった場合、最終手段である土地収用法の手続きで強制的に取得するには多くの資料作成や裁判手続きなどに二年程度の時間を要するのが現実です。

 たった一区画の土地を取得するのですらそのような状況なので、これを多くの地権者、その上の家の取得者、さらにはそこに住む住人という多くの関係者全員の合意を取り付けるのは考えただけでも途方に暮れてしまいます。

 従って、災害が来て一番困るはずの住人たちが納得しないような事業を行うことはとても不可能というわけです。

 
    ※     ※     ※     ※     ※


 災害の被害想定を示すことで、住人の行動様式は変化が起きるでしょうか。

 自分たちの安寧が隣人を危険にさらしているというこの相互の関係性に気持ちが向いてもらえないものでしょうか。

 公共性とはどこまで強制力を持てるのでしょうか。

 いくらあるべき理想の姿を説明しても、ごくわずかでも理解しない人がいると物事が進まない悲しさをおおくのまちづくり担当者は味わってきたことでしょう。

 災害の被害想定が大きくなったことをただ恐れるだけではなく、そこから自らが、地域が、市民一人一人が変わるきっかけにすることに本当の意味があるように思います。


 【東向島の路地2】
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自分ができること、できないこと

2012-04-17 23:45:17 | Weblog
 ある占いによると、昭和33年生まれの私は「六白金星」ということになっていて、今年は「調整運」なのだそう。

 解説には「今年は自分の能力や限界を悟るべき周期であり、忍耐力を養う良い機会。仕事などはやや渋滞続きの気配あり。来年は実りがある強運の年なので、この強運の波に乗るためには、自分の足りない部分を補い、レベルアップを見据えた準備に最適なタイミングである」とありました。

 占いというのは、信じようと思う人がやるのだから、つい信じたくなる要素が満載。

 だから当たっていることは覚えていやすくて、はずれたことは忘れてしまう心理傾向があって、それ故当たっているように思うんだそう。

 まあ良い方向に自分を鼓舞するために使う分には罪もありませんが、自分の運命を全て他人の言葉に委ねるというのは、自分で判断や決断をしない分、「楽チンな人生に向かっている」のだ、と思うような自覚だけは欲しいところです。


 【おみくじにも頼りすぎないこと】


    ※     ※     ※     ※     ※


 論語に登場する孔子様は今から2千5百年ほど前に生きた人ですが、この方は迷信が跳梁跋扈するこんな時代にあっても自分をきちんと律していました。

   子、怪力乱神を語らず (論語 述而第七 20)

 先生は、怪異とちからわざと不倫と神秘とは、口にされなかった。


 同時にすぐその後でこうも述べています。

   子、四つを以て教う。文、行、忠、信(同上 24)

 先生は四つのことを教えられた。読書と実践と誠実と信義である。


 自分ができることはこの「文行忠信」の四つだと教えられたけれど、自分の力では及ばない不思議な世界のことは口にしなかった、というのですから、立派な実践家であったに違いありません。

 
 幕末の幕府方にいた傑物勝海舟も、福沢諭吉に「元幕臣が新政府で名利を得るとは何事か」と非難されたときに、「行蔵は我に存す、毀誉は他人の主張」と答えたと言われています。

 行蔵の行は「自ら世に出て活躍すること」で、蔵とは「隠れて世に出ないこと」

「俺がどんな人生を歩もうと、それは自分の思うところであって、誰が何を言おうとそれは他人のことだから」という、自己の人生に対する強い割り切りが示されています。

 占いを信じる、信じないもありますが、要は自分で選んだ選択には自分で責任を負う、という覚悟の問題です。

 
 さて、六白金星の今年の運勢を信じようと信じまいと、日々の勉強の積み重ねが必要なことに変わりはなさそうですね。精進、精進と。

 
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コミュニティハウス冬月荘の役割

2012-04-16 23:45:18 | Weblog
 道内某市から知人の市会議員が、釧路の行政を勉強したいとして訪ねて来ました。

 釧路が課題最先端で伝えられるテーマとして、今回は『市民後見人制度』と生活保護からの脱却を図る『自立支援プログラム』を紹介。

 机上の説明を終えてからは私も一緒に『コミュニティハウス冬月荘』を案内しました。

 冬月荘は企業の社員寮をNPO法人地域生活支援ネットワークサロンが買い取って、再利用しているもので、活動を始めてから五年が経過しています。

 こちらの活動としては、生活保護家庭の子供たちへの学習支援がよく知られていますが、実は学習支援はほんの一面でその本質は、子供たちの安心できる居場所づくりと多様な大人たちとのつながりの場なのだ、と言います。

 福祉や支援も、制度が先にあって支援をする人と受ける人、それらをつなぐ場がなかなか結びつかないのも現実。

 冬月荘では、先に課題を解決する場としてできたのではなく、まず場を作って、そこで起きることを解決してゆく過程で様々なことが見えてきたといいます。




 
 ここ冬月荘のコンセプトは二つ。

 一つ目は「福祉のユニバーサル化」ですが、これはしばしば福祉政策が対象者を縦割りにしているのを、あらゆる地域の課題を対象にする場としました。

 そのことで、高齢者には高齢者福祉、障碍者にはしょうがい者福祉という、対象者と福祉サービスのセットという縦割りを超え、対象者を限定せずに多様で異質な人たちの集団ができあがります。

 特養老人ホームには自立が難しいお年寄りばかりが集められますが、ここには障害も多様で大人から子供まで多様な人たちが集うのです。

 もう一つのコンセプトは「循環型地域福祉の実現」ということで、これは福祉を「支援する側」と「支援される側」という分け方ではなく、誰もが互いにあるときは支援したり、あるときは支援されたりという両方の役割を果たす場としました。

 このことで、『支援が循環する』ということが果たされるのです。

 
    ※     ※     ※     ※     ※


 ここ冬月荘には、集う場として通ってくる人たちもいれば、一時避難として住み込んでいる人もいます。

 世の中にはさまざまな事情があって救いの手の差し伸べ方もさまざまだということが分かります。

 今日来た議員さんたちも、自分たちの市の福祉行政を再度見つめ直すきっかけになったようです。


 課題先進都市は課題解決先進都市として情報発信を続けてゆきたいものです。


 
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子供には神話が重なる ~ 大国主命の物語

2012-04-15 23:45:56 | Weblog
 札幌の自宅は小学校の近くにあるので、通勤の途中でよく小学生の子供たちとすれ違いました。

 毎日同じ頃に同じ道を通ると、すれ違う子供たちも決まってきます。

 子供たちとすれ違うときは、心の中で見守ってあげるのも地域の大人の務めかしら、と思い、ちらちらと様子を見るのが常でした。

 大概の子供たちは元気なもので笑いながら通学の道を歩いていましたが、中には神経質そうに、なにか不安でもあるかのように早足で学校へ向かう子供もいたりします。

 しかしこちらも声をかけるわけにはいきません。

 心の中では、(君が何を不安に思っているか知らないけれど、今の悩みは大きくなってみれば大したことはないとわかるよ)と思うけれど、子供の時の不安って大人が思う以上のものがあったはず。

 不安げで寂しげな子供の顔は見たくありません。

 どうすることもできませんでしたが、その子を笑顔に変えてあげるには何ができたことでしょう。今も答えは出なくて、ちょっと胸が詰まる記憶になっています。



    ※     ※     ※     ※     ※



 通学の子供たちの姿は様々で、なかには数人のグループで歩きながら、一番後ろの子がみんなのランドセルや荷物を持たされているようなときもありました。

 おそらくジャンケンで負けたか何か、背負いきれないランドセルや袋を持たされて歩く姿は滑稽ですが、一歩間違えるとイジメじゃないのか、と不安な気持ちも。

 子供たちに悪気はないのでしょうが、大人はいろいろな心配をするものです。


    ※     ※     ※     ※     ※


 
 一人の子供がたくさんの荷物を持たされている姿を見ると、私は古事記の中の、大国主命と因幡の白ウサギの話をつい連想します。

 古事記の大国主命による国づくりの段では、大国主命(=オオアナムチ)には八十神(やそがみ)と呼ばれる大勢の兄弟がいたことになっています。

 この兄弟たちがこぞって、因幡の八上神(ヤガミヒメ)に求婚をしようと言い出し、そこへ向かうことになったのですが、大国主命は他の兄弟神からのけものにされていて、従者のように大きな袋をかつがせられ、一番後ろをとぼとぼと歩いていました。

 そこで皮を剥がれた白ウサギに出会います。

 白ウサギは先を歩いていた八十神に「傷には塩水につかると良い」とからかわれて、却って苦しんでいたのですが、大国主命は、川の真水で体を洗いガマの穂で身を包むように優しく教えると、ウサギの傷は癒えて、そこで「ヤガミヒメはあなたを選ぶでしょう」という予言を受けたのでした。

 実際、ヤガミヒメは大国主命を選んだのですが、その結果逆に兄弟神たちに恨まれてひどい目にあい、おまけにヤガミヒメとも結婚できずに、スサノオの支配する根の堅州国に逃げ込む羽目になります。

 大国主命は結局そこで、スサノオの娘であるスセリビメを奪って行き幸せになるのですが、このくだりは古事記でも良いですが、大正時代に芥川龍之介が『老いたる素戔嗚尊』という小説でドラマチックに描いています。
 
 調べてみたら今やこの小説はネットでも読めようです。是非ご一読を。

《『老いたる素戔嗚尊』芥川龍之介》 http://bit.ly/HKRajQ


    ※     ※     ※     ※     ※



 さて話がずれました。言いたかったことは、みんなの荷物を持たされても、そういう役回りをじっと果たすことで幸せになるものだ、ということを祖先の神話は教えてくれているということでした。

 イジメにならない程度の友達同士の付き合いのなかから、良い思い出を作ってほしいものです。心の中で(ガンバレ)を叫んでいる私です。


 ところで、地域の防犯活動として「83運動」というのがあるのをご存知でしょうか。

 朝8時と夕方の3時は子供たちの通学時間ですが、この時間帯に地域の人たちは掃除など、家の外に出る用事を作って子供たちを見守ろう、という運動です。

 「子は宝」

 地域で子供たちを見守ってあげようではありませんか。

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列島強靭化論 ~ 藤井聡先生講演会

2012-04-14 23:45:14 | Weblog
 「まちとくらし市民防災フォーラム2」に参加しました。

 今日のテーマは地域強靭化計画で、講師は今この「地域強靭化」というキーワードで、日本を強くしようという主張を続ける、京都大学の藤井聡教授。




 藤井先生は、「人も国も経済も、タフでなくては生き延びられません。だから国も経済もタフになるために『強靭化』ということを考えなくてはいけないんです」と言い、文春文庫から「列島強靭化論」という本を著しました。



【列島強靭化論】 http://bit.ly/HTTVsN


 藤井先生は、「まず日本列島は、国土そのものがぜい弱です。関東から関西にかけての太平洋側は地震多発地帯であり、周期的に巨大地震が発生しているのは明らか。今回の大津波で、その危険性も明らかになったのだから、しっかりとそれらに対する備えとして『強靭化』を図らなくてはならないし、そのためには国としてちゃんと公共事業としての投資をすべき」と言います。

 加えて、「強靭化のために公共投資をちゃんとすれば、経済が上向きになってデフレ対策にもなる。これで経済環境も強靭化が図れる。今政府がやろうとしている、緊縮財政+増税という政策は国を弱くしたくてたまらないのではないか、と目を疑うばかりです」と舌鋒鋭く、現政権の政策に真っ向から反対を唱えます。

 藤井先生は今や国会での公述人としても招かれてこの列島強靭化論を展開されていて、全国から引っ張りだこ。

 国土政策としても経済政策としてもこの主張は今の政策とぶつかりますが、厳しい内容のことを言っている割には、奈良県御出身ということで関西弁でまくしたてられるとなんだか会場は笑いに誘われてしまいます。

 関西弁はきついことを言うのには便利ですね。




    ※     ※     ※     ※     ※



 返す刀でTPPにも真っ向から反対と主張します。

「人間の体には、外部から異物が入ってきたらそれをやっつける免疫機能というのが備わっています。体内に入っても良いものと入ってきてはいけないものを区別して、だめなものはやっつけるという機能です」

「国の経済で言うと、まさに関税自主権というのは外からやってくる危険なものを排除するための免疫的な機能なのです。体の免疫機能が働かなくなった病気がエイズです。日本経済をエイズにしたいのでしょうか」

「TPPで関税をゼロにする関係を結ぶというのは、まさにこの免疫機能を失わせるもので、こちらに有利なもので攻めたとしても、不利なものが入ってくることを止められなくなるのだから、それでやられてしまう」

「このことでもうTPPには参加すべきではない、ということを証明し終わっていますよ」


    ※     ※     ※     ※     ※


「いろいろなインフラは今や費用便益効果(B/C)が一定の値を超えないと作らないというルールが一般化していますが、これは地方都市にとっては卑怯なルールと言えます」

「それは便益として計測する元に人口という要素が入っているからで、当然大都市の事業は便益が高くなり過疎の都市では便益が低くなってしまうから」

「だから高速道路も大都市から順番に作られていますが、高速道路ができると経済は伸びるんです。都市はつなぐと一体となって発展するし、そういう大きな国土計画は道州制では実現できません」

「地域は地域のあるべき姿をちゃんと見据えて、中央に堂々と語ってください」


    ※     ※     ※     ※     ※


 民間の投資が動かないときには、公共が代わって投資をすることで民間投資を誘発するというのが、国家の財政機能です。

 仕事を作ればお金が回って雇用が上向き、経済が回る。

 国の借金を増やしたくない、と言うけれど、増税をしたら皆お金を使わなくなるので、結局税金も増えない。逆に投資をするから経済が拡大して税金も増える、と藤井先生は言います。

 どこか元気のない地方に、「元気出せ!」と活を入れられた気持です。藤井先生の本もちゃんと読んで、地方からの声を大きくしたいもの。

 とても面白い講演でした。フォーラムを開いてくださった関係者の皆さんと、藤井先生に改めて感謝します。
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北海道分県論は古くて新しいテーマ

2012-04-13 23:45:16 | Weblog
 「地域主権を考える」という大上段に振りかぶったような勉強会に参加しました。

 技術士という資格を持った人たちによる自主的な勉強会の場ですが、一人一人が普段考えているまちづくりや地域の在り方について自由闊達に意見をかわそうというのです。

 この勉強会、普段は札幌で行われているのですが、道東からはなかなか参加できないということで座長が釧路へ来た際に集まる、という形で釧路での開催となったのでした。

 冒頭に話題提供として、何度となく沸き起こっては忘れられてゆく『北海道分権論』について、昔の論文を読み起こして現代的感覚で語り合う時間が取れました。

 今では内地の県を束ねて道州制にしてより効率的な行政を行おう、という風潮が強くなりつつあります。

 たとえば東北六県をまとめて東北州にして一人の州知事で地域行政を行おうというのです。

 しかし、かつてこれに正反対の意見を出していたのが『北海道分権論』です。



    ※     ※     ※     ※     ※



 北海道分権論とは、要は『北海道は大きすぎるからいくつかの地域に分けてそれぞれが自由競争で切磋琢磨するような環境を作るべきだ』という主張です。

 よく北海道の面積78千平方キロメートル(北方領土除く)は、九州と四国を足したのと同じくらいと言われます。

 つまり九州に7人、四国に四人の知事がいて切磋琢磨したが自分たちの県を都道府県間競争の勝ち組に導きたいと頑張っています。

 九州では新幹線を誘致しよう、というようなテーマで九州が一丸となれば、7人の知事さんたちが日替わりで国に対して要請や要望を繰り返し、地域の盛り上がりを伝える力になります。

 それに対して北海道では一人の知事が一度来ておしまい、ということになり、同じような盛り上がりであったとしても、外に出る姿に派手さはありません。

 ひとりの知事という効率的な行政スタイルは、逆に地域の思いを中央に伝えるエネルギーにはなっていないともいえるのです。

 
    ※     ※     ※     ※     ※


 
 私も北海道が一つの行政体になっていることで損をしていると感じるのが、地域の呼ばれ方の問題です。

 例えば、釧路へ来た方でも函館へ行ったことがある人でも、皆さん「自分は北海道へ入ったことがある」という思い出を抱くでしょう。

 方や九州はどうかというと、「私は福岡には行ったことがあるけど、熊本はないのよね」とか、「長崎には行ったけど、宮崎には行ったことがない」という会話に出てくる都道府県は北海道に比べると実に小さなエリアを代表する呼称になっています。

 そういう意味で、私が今住んでいる地域を端的に言い芦原推移方は何か、と言われれば「道東」、「阿寒・釧路地区」、「釧路地方」などいろいろな言い方があることに気づきますが、どれもが帯に短かくタスキに長く、適切にエリアイメージを伝えきれていない恨みが残ります。

 道東と道南がライバル関係で切磋琢磨したり、連携を図って観光客の移動でタッグを組む、などといういろいろなくみあわせもこれまた魅力になるかもしれません。

 大きいことのメリットデメリット、もし分けた場合のメリット・デメリットはなにか。

 頭の体操としては面白いテーマではありませんか?
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道の駅スタンプラリー事始め

2012-04-12 23:45:09 | Weblog
 札幌での会議に先立って、北海道開発局の友人に挨拶へ行ってきました。

 この4月の人事異動の動きの中で、本州へ行っていた友人のIさんが札幌へと戻ってきたのです。

 平成5年当時私とIさんが札幌の開発局にいて、当時の課長から、この頃制度が動き出した「道の駅」について担当をせよ、という指示を受けたのでした。

 道の駅は、駐車場、24時間使えるトイレ、地域情報案内機能などを備えた施設で、地方自治体が維持管理をする施設のこと。

 ドライブ旅行における休憩機能を自治体がサポートすると同時に、せっかく立ち寄ってくれるついでにそれぞれの道の駅の才覚で物販や飲食などで経済的メリットも受けられるようにしようというのが狙いでした。

 狙いは良いのですが、制度が始まったころはあえて道の駅を建設するというよりは、もう既に使われていて必要な機能を満たしたところが申請をしてそれを認める、ということがほとんどでした。

 今や全道で114カ所を数えるほどになりましたが、最初に申請があったのはこの広い北海道でたったの11カ所で、それもずいぶん点在していました。

 これでは自治体経営ドライブインがぽつぽつあるというだけのことですが、それを「道の駅」としてブランド化することで連携するメリットをサポートしよう、とIさんと私でアイディアを出したのが「道の駅スタンプラリー」でした。

 今や「道の駅めぐり」は、ゴールデンウィークに始まる北海道の春の行楽シーズンの皮切りといっても過言ではありません。

 旅の月間誌も「道の駅特集」は人気の企画のようで、それだけ各道の駅が切磋琢磨して特徴を出しているということでしょう。

 スタンプラリーを始めた時に一番良かったと思ったのは、各道の駅のスタンプの様式ルールをまず定めたことでした。

 大きさを約10センチ×10センチに収まるようにして、道の駅のマークと各道の駅の名前をいれる、という単純なルール
でしたが、最初の11カ所の自治体がそれを理解してくれたことで、追随する道の駅も皆それに従ってくれて、スタンプ帳が作りやすくなりました。

 物事は最初が肝心、という良い例だと思っています。



  【道の駅のマークは、漢字の「道」に
   インフォメーションの「i」を人に
   見立てて組み合わせたものでした】


    ※     ※     ※     ※     ※



 また、当時は自治体や国の負担でスタンプ帳を無料で配布していましたが、ひとりで何冊ももってゆくなどモラルに反する事例が目立ってきたことから10年ほど経ったところで欲しい人だけに有料で配布する形に切り替えました。

 これも毎年続けたことで一定の認知を受けていたことから有料化も受け入れられたもので、ほっとしたものです。


「しかし最近はどうやらマンネリ化でスタンプ帳の出る数や応募者数が減っているみたいですよ」とはIさんの弁。

 なるほど、好調の時ほど次をどうしようか、と考えておくべき時期です。

 スマホやGPSの登場など新しいツールを上手に取り込んだり、宝探し的要素を付加するなど、新たな魅力をいかに付加するかが、北海道でのドライブをより楽しいものにする一つの鍵になるに違いありません。

 広い北海道では早く目的地に行くために高速道路のに乗ってしまえば途中の市町村を通ることもなく、ただ通過されてしまうだけになりがちです。

 だからこそ、道の駅をはじめとした地域の魅力発信の機能が大切になってきます。

 道の駅スタンプラリーの新しい魅力とはいったいどんなことになるでしょう?

 さてそれでは今年も安全に、道の駅スタンプラリーをお楽しみください。
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フェイスブック病にご注意

2012-04-11 23:49:54 | Weblog
 明日札幌で開かれる会議のために、夕方のHACで札幌へ飛ぼうと釧路空港へ。

 ところが空港へ近づくにつれて霧がいよいよ濃くなってきて、なんだかいやな予感が…。

 空港で飛行機を待つ内に館内放送で、「北海道エアシステムの札幌行きは濃霧のために着陸できず丘珠空港へ引き返したため、釧路空港発札幌行きは欠航となり…」

 とほほ、せっかく搭乗率を上げられるチャンスだったのに残念です。

 仕方なく一便後のANA便で新千歳空港経由で札幌入りできましたが、対外の濃霧をものともしない機械誘導装置CATⅢbの力を見せつけられました。


      ※     ※     ※     ※     ※


 友人から「フェイスブックでの友達申請をしますのでよろしくお願いします」と会っているときに言われました。

「もちろんOKですが、フェイスブックも『フェイスブック病』にかからないように気をつけないといけませんね」と私。
「え…え、どういうことですか?」

 最近気になっているのがフェイスブックが気になって仕方がないという傾向のこと。

 家でパソコンをつけてフェイスブックを開いていると、誰かが「いいね!」やコメントをくれたサインとして地球マークに赤い白抜き文字で数字が出ます。

 そうすると一応、誰がくれたかを確認しておかなくては行けないような気になって、ついそれをクリックして誰から来たのかを見てしまいます。

 「いいね!」が誰から来たのかを一度知ってしまうと、今度はその人からの投稿やコメントに「いいね!」を返さないと申し訳ないような気がしてしまいます。

 なのでできるだけフェイスブックへのアクセスは時間をおくようにしているのですが、すると今度は「いいね!」をくれた人が大勢に紛れてしまって、やはりなんだか後ろめたさがつきまといます。

 友達の数が増えると言うことは、こちらからの情報が伝わるのと同時に相手の情報も入ってくるということで次第に情報の大波に洗われてしまって収拾がつかなくなることも考えられます。

 「ありがとう」という気持ちと「申し訳ない」という気持ちのループがお互いの心にブレーキをかけさせないという心理もあるかもしれません。


 私はまだ携帯電話をスマートホンに替えていないのですが、おそらくスマートホンにしていたら、一日中アクセスをしているかもしれません。

 フェイスブック病やインターネット依存症に陥っている方は案外多いのではないでしょうか。



  【これが曲者】

      ※     ※     ※     ※     ※


 『ネット断食』という単語がよく聞かれるようになりました。ときどきインターネットから離れてみよう、ということです。

 いろいろな情報が得られることの便利と繋がっていることの安心という快楽も、度を過ぎると依存症気味になっていないでしょうか。

 自分自身を時々は客観視する視点を持っておくことが必要かもしれません。

 
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