北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

がんばれ黒松内

2014-04-30 23:33:35 | Weblog

 八雲町の銀婚湯からの帰り道で、地元のチーズなどお土産を買おうと道の駅などに立ち寄りました。

 ちょうどお昼時に着いたのは道の駅「くろまつない」。


【ハイセンスな道の駅「くろまつない」】

 ここは建物のデザインセンスも良いし、中には地元の食材を使ったパン工房とピザ工房があって、我々が言った時もお客さんが列になって並んでいました。

 建物の中の一角に、チーズやワイン、ハムなどの地元の産物が置いてあったのですが、残念ながらチーズは品切れ。

 お店の名前が「toitvertⅡ(トワ・ヴェール・ドゥ)」というからには、本店か一号店の「トワ・ヴェール」があるのかな、と思ってお店の方に訊いてみると、「駅のある市街地の方に工場と販売所を併設した施設がありますよ」とのこと。

 それじゃあそちらに行ってみよう、ということでイラスト地図で当たりをつけて車を移動しましたが、私の車のカーナビには位置が登録されていなくて、また途中にも看板が見えなくてなかなか見つかりません(笑)

 携帯電話の地図アプリが一番役に立って、これで場所を特定しましたが、案内をしてきて欲しいと思っているのかなあ、と苦笑いです。

 ところが建物が見えるところまで来ると、緑の芝生と広い畑の中にぽーんと立っているのはさながら中世のお城のようで、 ロケーションと建物のデザインがとても素晴らしくて、思わず「おお」と声が出るほど。

 建物は正式には「黒松内町特産物手づくり加工センター」で中にはチーズやハムを手作りで加工する施設が入っていて、その二階が軽食と製品の販売コーナーになっているもの。
 通称として「トワ・ヴェール(緑の屋根)」と呼んでいるのですね。


【ヨーロッパのお城のようなトワヴェール】

 
     ◆     

 

 ドライブをしながら妻と会話をしていて、黒松内という町に対する妻の印象は、「大学に入った時に介護施設での研修に来たけれど、そのときに巨大やヤブ蚊に刺され、その後がしばらく治らなかった」というものだそう。

 その頃から比べると、ブナの北限という黒松内ならではの唯一のテーマ性の先鋭化や、歌才オートキャンプ場、道の駅そしてこのトワ・ヴェールと、わりとセンスのある町という印象が大分強くなってきました。

 そんな気持ちでこのトワ・ヴェールへ来てみましたが、感想はちょっとずつ惜しい感じ。まだまだ魅力発信ができるはず。


【チーズつくりの工場見学】


【ここで買えば割引が…】

 

 交通量の多い道路からは大分離れて立っているので、立ち寄り型での人寄せはちょっと難しそうですし、工場が見学できて軽食も取れるという割には、軽食のメニューもややバリエーションが足りない印象。

 チーズなどの品揃えは道の駅よりも充実していますし、ここで買えば金額に応じてスタンプを押してくれて割引の特典もついています。

 道の駅の方でワインなどを買ってしまったのが残念でしたが、なかなかそういう細かいアナウンスは伝わらないものです。

 しかし、どこへいっても違うところで作った産物を置いてあるお土産屋さんに比べると、地元の産物に付加価値をつけて売ろうという取り組みの姿が見えて好感がもてます。

 そして好感が持てるだけに、ネットやホームページなども含めた情報発信やコンセプトのさらなる深掘りをもう少ししてくれたらなあ、ととっても惜しく思えてしまいます。

 ここならではのチーズやハムの魅力や他との違い、ブナの林は北限と言う以上に何が魅力なのかをもっと発信できるのではないでしょうか。

 高速道路もかなり函館まで近くなり、将来は新幹線も通るなど高速交通の時代になっている現代に、高速交通からちょっとはずれてわざわざ高速道路を降りて立ち寄らせるための工夫をどうしたらよいでしょう。

 ブナやチーズやワインのさらなる魅力はどこにあるのか。良い素材を活かしたセンスの良い町としての地域活性化の姿を応援してあげたくなります。

 がんばれ黒松内! 

 


【工場見学のムック本があるらしい~もちろんここも載っています】

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銀婚湯~北海道が誇る秘湯のおもてなし

2014-04-29 23:11:40 | Weblog

 昨夜の夜は八雲町上の湯の「銀婚湯」という旅館へ泊まりました。

 連休の中日ということで何とか予約が取れましたが、GW中の他の日は満室だそう。今日秘湯の宿として大人気で、今最も予約の取りにくい宿の一つです。

 秘湯の定義自体は難しいですが、北海道には「日本秘湯を守る会北海道の会」というのがあって、八つのお宿が登録されていますが、ここ銀婚湯はその一つ。

【日本秘湯の会北海道の会とは(8軒の宿あり)】
 http://www.hitou.or.jp/hymbrrsv/hymbr_list.html

 この銀婚湯、その昔は掘立小屋ほどの山湯を、大正時代に川口福太郎氏がここで湯の大量湧出に湯を掘り当てたそうですが、ときあたかも大正天皇の銀婚の佳日にあたるというので、銀婚湯と命名したとのこと。

 今では銀婚式を迎えた夫婦をはじめ、秘湯の湯を求めて多くの方が訪れる人気の湯宿となりました。

 こちらの温泉には源泉井戸が5本あるそうで、送湯管がつまるのをふせぐためにわずかに水を混ぜている以外は基本的に源泉かけ流しの温泉です。

 お宿の方に、お湯の温度調節はどうするのですか、と訊いてみたところ、「お湯の温度は水を入れたりしての調節は一か所だけで、そとの露天風呂などは全部湯量で調節しています」と言われました。

 つまり、熱い源泉は少しだけ浴槽に流入されるようにして、浴槽の広さで冷める温度と入れるお湯の熱量をバランスさせているのだそうです。

 このこだわりが秘湯らしいですね。


    ◆   

 

 さて、こちらには男女別の大浴場があるほかに、広大な敷地内に点在する野趣あふれる野天風呂が5カ所あります。

 途中にも現地にも電気がなくて暗いために夜は利用できないお風呂です。

 昨夜は宿に6時近くともう遅く到着したので内湯しか入ることができず、今日の朝早く起きて再挑戦です。

 外のお風呂までは玄関を出てから5~10分ほど歩かないとつかないために、現地での入浴を短時間にしても往復だけで時間がかかってしまいます。

 しかも全てが一度に一組だけに木製の鍵を渡されて他の人は入れないシステムで、お湯に入り終えたら一度フロントまで戻って係の方に空いているお風呂の鍵を借りて次のお風呂へ向かわなくてはなりません。

 朝5時半に起きて最初に向かったのは一番奥にある"トチニの湯"というところでしたが、早朝の冷え込む中トボトボと歩いてついたのは、木をくりぬいた浴槽で眼前には川が広がるなんとも野趣に富む風情。


【川向うへはつり橋で】


【見よ、この野趣あふれる浴槽を】

 お湯の暖かさも冷えた体に丁度よく、最高の気持ちにさせてくれました。

 こんなお風呂が他にも、「どんぐりの湯」「もみじの湯」「かつらの湯」「杉の湯」とあり、いずれも木の名にちなんだ造形があしらわれています。


【どんぐりの湯】


【かつらの湯】


【杉の湯は奥の小屋の中】

 なかでも「もみじの湯」にはすぐよこに紅葉の大木があり、秋になるとこの紅葉が浴槽に漂う計算がされています。季節ごとに様々な楽しみ方ができる深いおもてなしと言えるでしょう。


【もみじの湯:紅葉の葉が落ちたらきれいでしょうねえ】

 結局、朝3時間をかけて5つの野天風呂全てを貪欲に制覇しましたが、どれも味わい深いお風呂でした。

 よく大きな大浴場の中に、様々な名前の浴槽をたくさん作って変化にとんだお風呂という売りのホテルなどがありますが、こちらはいちいち服を脱いだりまた着たり、そしてまた歩かねばならないという手間のかかる湯めぐり。

 最初は随分面倒くさいシステムだと思いましたが、そうではなくて、これこそが湯へ向かう途中の時間までワクワクさせる楽しみなのだと思い直して、その仕掛けの絶妙さに改めて感心したのでした。

 お料理も美味しくてこれまた大満足。

 北海道の秘湯と言うと、ただひたすら山の中にありそうな気がしますが、そうではなくて、そうしたお湯+ちゃんとしてお宿の組み合わせが良いのです。

 銀婚式ならずとも、仲睦まじいご夫婦ならばぜひ泊まってみてほしいもの。本当にお勧めです。

【銀婚湯】 http://www.ginkonyu.com/
 

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ここにあったか、日本最古の観覧車~函館から松前へ

2014-04-28 23:45:44 | Weblog

 (昨夜はネット環境のないところにいたので今日二日分アップします)

 道南の旅二日目は、函館から松前経由で八雲へ。

 函館市内をうろついているうちに桜が咲いている公園の脇を通りました。地図を見ると「函館公園」とあります。ちょいと桜を目当てに近くの駐車場に車を止めて公園の中を散策してみました。

 函館市立博物館という看板が見えたので喜んで行ってみましたが、今日は休館日。そうか、今日は月曜日なんですね。ちょっとがっかりでした。

 さて、函館公園の中には「こどもの国」という遊園地エリアがあります。見ると「いまどきこんな乗り物に乗って子供は喜ぶのか?」と思うようなレトロな乗り物が今でも現役で稼働しています。

 でも他と比較さえしなければ、目の前にある乗り物はそれだけでワクワクするのかもしれません。

 なかでもここにある観覧車は、「日本で一番古い観覧車」なのだそう。

 操作していたお嬢さんに「一体いつできた観覧車なの?」と訊いてみましたが、残念ながらその子は知らなくて、「すみません、でもとても古い白黒写真が残っていると聞きました」とのこと。

 最新のものを追い求めなくても子供たちは幸せそう。遊んでいる子供たちの心からの笑顔が印象的でした。


【日本最古の観覧車(昭和25年製らしい)


     ◆    ◆    ◆

 


 次に向かったのは松前町の松前城。

 お城の真ん前には松前町の桜開花標準木があって三分咲き。松前城は昨日桜が開花したそうです。

 お城の中のオオヤマザクラはもうほぼ満開でしたし、GWの後半は桜満開の風景が見られることでしょう。

 さて、かつて日本海側の港を舞台に、行く先々で現地の産物を積みこんでは次で売るという徹底した地域間交易で莫大な富を稼いだ北前船と、その恩恵で栄えた松前藩。

 松前城は通称で、本当は福山城といいます。

 三層の楼が作られたのはもう幕末に近いころでしたが、北海道唯一の日本の城郭です。

 白い壁と桜は合いますね。松前の桜はもう見頃です。

 

 

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函館五稜郭は何を守る城郭だったのか

2014-04-27 23:39:09 | Weblog

 今日から明後日にかけて、桜を求めて妻と二人で函館~渡島半島を巡る旅行に行ってきます。

 今日は函館市内を観光して湯の川温泉に宿泊。函館での目的は、五稜郭とその中に復元された函館奉行所観光です。

 実は私も妻も函館には何度も来ていて新五稜郭タワーまで見ているのに、五稜郭そのものはきちんと見ていませんでした。

 そこで今回は、五稜郭と函館奉行所を見て湯の川温泉に泊まろうと出かけてきました。

 桜が咲くにはぎりぎり早いかと思われましたが、五稜郭のお堀の周りの桜の中にはちらほらと咲いているものもあって、なんとか桜が咲くのを見ることができました。

 さて、1854年に造られた五稜郭では、今年が築造百五十ということでこの4月26日から来年の2月末までの期間で『五稜郭築造百五十年祭』の真っ最中。

 ちょうど今日は、観光客のおもてなしとして『箱館戦争抜刀隊』という、箱舘戦争での旧幕府軍と新政府軍の戦闘シーンを再現した寸劇も披露されました。


     ◆   

 さて、かつての函館奉行所は、函館山のふもとで坂の多い元町のあたりに作られましたが、ここは港からほど近く防衛上問題があるというので、この場所を内陸の亀田の地に移し、それを守るために西洋の城砦を参考にした星形五角形の土塁を作ったもので、この五角形から五稜郭という名がつけられました。

 箱館奉行所は函館戦争後に新政府によって解体され公園になってしまったために、一般には五稜郭はお城の一種だと知っていても、何が中にあった城なのかが分かりにくくなっていました。

 そこで函館市では奉行所の復元をしようと計画しました。

 今回復元された箱舘奉行所は、昭和60(1985)年から発掘調査を始め、古写真、文献、古図面などの調査をもとに奉行所復元の計画を立て、平成18(2006)年から工事開始、平成22(2010)年に工事が完成したもの。

 復元されたのはその昔あったものの三分の一ほどですが、最も奉行所らしい太鼓櫓や大広間、表座敷など中心部分を当時の姿に忠実に再現されています。

 建物の中では復元当時の様子がビデオなどで紹介されていて、宮大工や左官、瓦職人、建具職人など様々な伝統職種の技が分かりやすく見られて、非常に印象的でした。


 現代日本は、TPPなど貿易面での新しい開国を模索していますが、準備も整わない中開国をした当時の日本の最先端都市だった函館の姿を勉強してみてはいかがでしょうか。

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北大の花畑の手入れをいたしましょう

2014-04-26 23:45:37 | Weblog

 今日は北大農場での圃場整備ボランティア。

 私が卒業した北大農学部の花卉(かき)・造園教室では、北大農学部の周辺に演習のための圃場をもっています。

 圃場は何カ所もあって、かのポプラ並木のすぐ横にも花木園がありました。

 学生時代はここで花を育てたり庭木を移植してみたりとお世話になった場所。当時は圃場を管理する現業のおじさんたちが雇用されていたのですが、時代の流れとともにそうした人たちがいなくなり、圃場は荒廃してゆきました。

 かつてはユリの交配やチューリップの研究などが行われた由緒正しい北大農学部の農場です。

 それが9年前に、「このままじゃいかん」というOBが奮起して、この場所を再整備するボランティア作業を始めました。

 そのときの教師と学生さん、そしてOBの混成部隊で花木園の手入れを始めたのですが、今日は雪解け後で今年最初の作業日。作業の指導は、教室のOBにして北海道の園芸会をリードする笠康三郎先輩です。

 笠さんは学生時代からこの圃場の管理も熱心に行っており、ここに咲いている植物で知らないものはない、という博覧強記。この方にタダで植物について教えてもらえるのですから幸せです。


    ◆   


 今日は今年第一回目と言うことで、落ち葉掻きや雪で潰れた生け垣の手入れ、そして高木の枝打ちなどを行いました。

 芝生には、小さな青い花が一面に咲いていて絨毯のようでとても綺麗です。一見形の崩れたヒアシンスの様ですが違うようにも見えて、さっそく笠さんに訊いてみました。

 すると、「これはチヨノドクサって言うんですよ。僕が学生の時に隅っこの花壇に一塊を植えてその後は全くいじっていなかったんだけど、蟻がタネを運んだのか、一面にひろがっちゃいましたね(笑)」とのこと。

 "チヨノドクサ"なんて"千代喉草"とか"千代の毒草"と書くような和名のような印象ですが、その名は実はギリシア語のチオン(chion:雪)とドクサ(doxa:輝き)の合わさった学名Chiondoxaそのもののことなんだそう。

 雪解けの頃に真っ先に咲く美しい姿からその名がつけられたそうで、いわゆるカタクリやエゾエンゴサクと同じようなスプリング・エフェメラルと呼ばれる春植物の一つ。

 これらは春一番に花を咲かせすぐに実をつけて春が終わるともう葉っぱだけになって地下茎に栄養を貯めることに専念する性質の植物なのです。

 脇を通る観光客からも、「すみませーん、この青い花はなんて言うんですか?」と質問が飛んできて、そのたびに「チヨノドクサって言うんですよ」と答えてあげるのですが、何人にも訊かれるとちょっと大変です。

 
 圃場の一角には背丈より少し低いくらいのカツラの生け垣があるのですが、そのわきにはひときわ大きい10メートルくらいのカツラの大木もあります。

 笠さんによると、「昔は生け垣しかなかったんだけど、いつしか一本だけ生け垣として管理しなくなったみたいで、先祖返りをして大木になっちゃったんですね」だそうで、植物の生命力をまざまざと見せつけられた思いです。


 久しぶりに昔お世話になった先輩たちにも会えつつ、これからの若い学生さんたちとも話ができました。

 これからの時代を支える学生さんたちに我々の知識や経験を少しでも伝えられた良いですね。

 今日の札幌はとても暑かったのですが、良い汗をかけました。



【ポプラ並木は80m先まで入れます】  

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オリンピック2020の財産を活かす~官民の盛り上がり

2014-04-25 22:51:37 | Weblog

 東京勤めで久しく会っていなかった知人が訪ねてきてくれました。

 今は東京で某コンサルタントの一員として働く彼ですが、面白い話はありますか、という問いに、「オリンピック関連の話題で東京は大いに盛り上がっています」とのこと。

 それはコンサルタントだから設計業務などが増えて余計にそう感じるのでしょうね、と言ったところ、「建設関連だけではありません。日本を大きく変える一つのきっかけがオリンピックだ、というムーブメントを創り上げようと、官民が連携してすごい動きになっています」とのことでした。

 北海道はまだ余り盛り上がっていないという話をしたところ、「このムーブメントを地域の未来に取り込まないのはとってももったいないことです。もっと東京にアンテナを張って、動きを積極的に取り込まないと取り残されますよ」と真顔で非常に心配をされました。

 東京では今何が起きているのでしょう?


      ◆  


「先日三菱総研さんが主催する、『レガシー共創協議会』というものに出席してきたんです」とその知人は言いました。

「レガシー共創協議会ですか?レガシーってLegacy(=遺産)ってことですか?」
「そう、東京でオリンピック・パラリンピックが開催されますね。そのことをきっかけにして、さまざまにある日本社会の課題をオリンピックまでに、そしてオリンピックの後も継続して解決していこう、というムーブメントを皆で一緒に作ろうという集いです」


 随分壮大なプランですが、日本が今抱えている諸課題としては、例えば「安全・安心」「世界中に日本のファンを作る」「課題解決先進国」「全員参加社会」「健康水準の向上」「スポーツ・芸術文化の浸透」などがあげられると言います。

 これらを解決するためには、防災や公共事業、情報化の推進、住まい、医療、金融・投資、自治体のまちづくり、スポーツ・芸術文化の振興など、これまでそれぞれの立場で推進していることをさらに進めることしかないのですが、それを敢えて『(新)東京オリンピックの遺産(=レガシー)』として加速させ、冠をかぶせることで大きなムーブメントのパッケージを作り上げようというのです。

 知人は重ねてこういいました。

「北海道では最近白老にアイヌ民族共生の公園ができると聞きました。少数民族の問題や多民族共生と言うのは今日世界的な課題ですから、それなどもこのレガシーにカウントできるのではないかと思うんです。しかし東京で見ていると、それに地元や北海道が盛り上がって『よーし、やってやろう』という機運が全く感じられないのです」
「確かに、新幹線などに比べるとまだまだという感じですね」

「新幹線よりはずっと世界を相手にできるコンテンツだと思いますがねえ」
「なるほど」


     ◆   


 話はさらに冬季オリンピックにまで飛躍します。

「小松さん、前回の東京オリンピックの8年後に札幌で冬季オリンピックが開催されましたよね。あれが札幌を世界都市にした大きなイベントでした。私の夢にしかすぎませんが、今回の東京オリンピック2020の8年後に冬季オリンピックはどうでしょう。それだけの国家的世界イベントが来れば新幹線は自動的についてくるし、空港や新しいまちづくりにも波及して来るに違いありません」
「国が動かざるを得ないような仕掛けをどんどんしろ、ということですか」

「そうです。日本中が東京オリンピック2020の尻馬にどう乗っかるかと知恵を絞っているその時に、公共事業が大変だ、なんて了見の小さなことを言っているなんて小松さんらしくないですよ」
「ははは。しかし、おっしゃる言葉から、東京の熱波が伝わってきました。まだまだ北海道はそういう生き馬の目を抜くような世界の中での行動が遅いですね」


 東京でもっとも熱い企業や団体の集まりのホットな話題に、知人は北海道の相対的な遅さが我慢ならないようでした。

 そういう仕掛けができるような仕事って面白そうですね。

 東京の人たちからもっと情報を取ってきて北海道の振興に生かしてほしいものです。

 どうやらすごい時期を迎えることになりそうだ、ということだけはわかりました。 


【レガシー共創協議会】
 http://www.mri.co.jp/news/press/teigen/015342.html   

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その部品、いつ換えるの?いまでしょ

2014-04-24 23:53:44 | Weblog

 先日職場で使っていたカラーコピー機が突然動かなくなりました。

 3枚印刷のところを2枚まで印刷して残り1枚でのトラブル。懐かしいけれどマーフィーの法則を思い出しました。

 故障の原因は何かとモニターパネルを見ると、「ベルトユニットを交換してください」という文字が浮かび上がっています。

 ネットでこの機器のマニュアルを見てみると、一定の枚数を印刷すると所定の印刷品質・動作確保および商品の故障防止のため、ベルトユニットを交換しないとそれ以降の印刷動作ができなくなるというわけ。

 メンテナンスの会社に連絡をして数時間後に機器は元に戻りました。

 印刷の品質が落ちたり突然印刷ができなくなることを防ぐための措置なのでしょうが、自動車には年数ごとに行われる車検があります。

 時期で決められた点検ならばいつ使えなくなるかが分かりやすいですが、使用枚数で言われるといつ使えなくなるかがつかめません。

 しかしこうして一定量を使用した段階で部品を必ず交換できるようにしておけば、突然の故障の度合いはかなり減るでしょう。

 除雪機械の場合などは、使用中に壊れると部品が大きく破損し、部品の取り寄せや、古い機械になると部品を作るところから始めるために修理に数カ月もかかることがあります。

 コピー機のように、一定量を使うと必ず部品を交換すると決められると故障は少なくなるだろうな、と思いつつも、使われている部品の数も大変多いために、そのたびに交換する手間は大変だろうし、その一方で、まだ使える部品を捨ててしまうという非効率性も問題になります。

 効率性と使用安定性はなかなか両立しないトレードオフの関係にあるので、その絶妙のバランスが難しいところです。


     ◆   


 さて、これからはこうした故障の将来予測をビッグデータでできないか、ということが話題になっています。

 機械の状態やメンテナンス記録、交換した部品、不具合の様子などを克明に記録して大量のデータ化することで、こういう症状が出てきたら、1か月後にどこが壊れるというような、微細な使用状況の変化と大規模故障との因果関係を探ろうというのです。

 そのためには膨大なデータを集め続けなくてはならず、その手間が大変なことが欠点なのですが、データを自動で集めてくれるセンサーが開発されるかもしれないし、ITによる社会の進化はまだまだ続きます。

 効率的な社会と安定性や安全はどのようにバランスを取るか、模索が続いています。

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ご職業は…?

2014-04-23 23:52:20 | Weblog

 この春に公務員生活を終えた先輩諸氏から続々と挨拶状が届いています。

 怖かった先輩もいれば可愛がってくれた人もいて、十人十色ですが、ハガキを受け取って名前を見れば、顔が浮かんでお世話になった日々を思い出す今日この頃です。

 あっさりと型通りのハガキを送って来る方もいれば、延々とご自身の経験を葉書一杯に綴って、思い出の山にしてくる方もいます。

 そんななか、ある方からは葉書の末尾にこう書き添えられていました。

「何かあったらいかん、という社会的責任から解放されて安心した瞬間に、スピードオーバーで警察のお世話になりました。以前なら翌日にでもすぐに職場の上司に報告をしなくてはならないところですが、今回は『ご職業は?』という質問に対して自信を持って『無職です』と答えました(笑)」

 たしかに、いろいろな制約も当たり前に考えてきましたが、公務員でないということで義務から解放されて、いろいろな自由が手に入るのかもしれません。

 それにしても先輩、自由だからと言ってあまり過激な冒険はお控えください。 

 もう若くはないのですから。

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その一言がでない理由に潜む組織の弱点

2014-04-22 23:11:47 | Weblog

 先日友人と話をしていて、面白い出来事を教えてもらいました。

 それはある資材管理の話で、あるとき定められた時にその資材が足りないことが分かり、社内で問題になったのだそうです。

 そこで同じ失敗をしないようにと改善策を講じて、資材量が皆に分かるように帳票をサーバーで管理して足りなくなればすぐに分かるようにといったことが行われました。

 次の定められた日程の前には、本社から支社に対して、「今度は足りなくなるようなことはないだろうね」という連絡までして、支社の注意を促し、もう大丈夫だろうと考えました。

 そして迎えた次の締めのときに、今度はその資材がある支社でたくさん余ってしまったのだそう。

 実はこの資材、鮮度の問題があって余るのもよろしくなくて、締めのときにはぎりぎりまで少なくしておくのが一番美しい経理処理の仕方なのです。

「前回あまりにも不足したことで注意を促したものだから、ある支社のいくつかの部所で余裕をみすぎたらしくて…」とその友人は渋い顔。

 本社に勤める友人は、「僕自身がその余らせてしまった支社の担当者に直接『今度は足りなくならないだろうね』と電話したんですよ。電話口の向こうでは『大丈夫です』という回答だったので、安心してしまいました」とちょっと悔しそうです。

「支社の担当者の反省の弁は?」と訊いてみると、「それが、その担当者も支社の中で足りなくなることはないと確信を持っていたそうなんですが、心の中で(まさか余ることはないよね…)という部下に対するセリフがのど元まできたんだそうですが、最後のところでその一言が出なかった。担当者も悔やんでいましたけどね」

 よく「報告・連絡・相談」の頭を取って「ホウ・レン・ソウ」と言い、このことを部下から上司に対する情報伝達のあり方だと思っている人は多いのですが、決してそうではないという事例だと思いました。
 

     ◆   


 「ホウ・レン・ソウ」は部下から上司だけではなく、上司から部下にだってあるべき話なのです。

 上司がさらに上司から受けた指示を正しく部下に連絡して、「いついつまでにできるかな」と相談するということは当たり前の話。

 上記の場合も、部下にたった一言「余ったりしていないようね」という一言を相談や連絡の形でしておくべきでした。

 (おかしいな…)とか(まさかこんなことはないよね)という気が付いたり思ったりする人は多いはずですが、それを最後に言葉にしない。

 その一言を口に出させなかった理由があるとすればそこに組織の課題がありそうです。


     ◆   


 そしてもう一つ。

 ともすると上司と部下の関係を持つ組織は「指揮命令」で組織の意志を形にしてゆきますが、その場合の指示は決して無慈悲で意地悪な命令ではいけません。

 そうではなく、一丸となったチームがパフォーマンスを上げて答えを出す目標だと考えると全く違った形に見えてきます。

 組織を活性化させるコツはそうした小さなことの積み重ねの上にあるのではないでしょうか。

 友人の失敗談はとても参考になりました。

 失敗を互いに共有することで成長していきましょう。 

 

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人と共に知恵は消えてゆく~ナレッジマネジメント

2014-04-21 23:45:38 | Weblog

 わが組織では公務員の総人件費改革の名のもとに、7年間にわたって採用者がゼロという年が続きました。

 今年は幸い二名の採用が行われたのですが、これから毎年何名が採用されることになるかは毎年の状況次第で、定まっているものはありません。

 職員が退職してもその分は補充しないという措置によって、総体としての人数を減らすことにはつながり、確かに全体としての人件費を減らすことにはなりましたが、徐々にその弊害が見えてきました。

 新人を採用せずにいた期間が続いた一方で、現職の職員はその間にどんどん歳を重ねて退職に向かっています。

 結果として、今後10年で総勢180名の部門のうち、約50人が定年で退職になると予想されますが、その間に採用になるのはせいぜい20~30人程度でしょうか。

 上記の予想通りなったとして、部門の人数は10年で20名程度減ることになりますが、同時に考えなくてはならないのは、単なる人数の減少問題以上に、現場から経験豊富なベテランがいなくなるという現実です。

 20~30名の新人が入って来るとしても、その陰で50名のベテランが消えてゆく。

 ベテランには半生をかけて培った経験やスキル、ノウハウといった目に見えない財産があります。

 社会全体が高齢化するといっても、ある特定の年齢層のバンド幅で切ってみると、少子化によってそこに入って来る人と出てゆく人には大きな差が生じて、次第に減少してゆくことになります。

 職場の中で技術を継承しているからこそ、部隊全体としての仕事の質が維持されているのですが、技術を伝える側の人数が劇的に減るのが大量採用した時代が消えてゆくこれからの時代です。人数と同時にノウハウや技術が消えるのはなんとか避けなくてはなりません。

 人にはそれぞれが持つ目に見えない知識があり、これを暗黙知と言います。

 これを文字にしたり映像にしたり資料にしたりすることで、見る人が見れば伝わるような知識、つまり「形式知」とか「公開知」と呼ばれるものに転換させていく必要があります。

 こうした考え方を「ナレッジマネジメント」と言いますが、まさにその必要性を強く感じます。

 あと十年は短いのかまだ時間があるとみるのか、これからの取り組み方次第。

 これが少子高齢化の陰で起きている一つの事象なのです。
 

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