北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

歳と共に増す魅力とは

2007-05-31 23:29:59 | Weblog
 夕方から激しい雨。横浜では稲光が天をのたうち回っていました。

 夜には横浜で職場の仲間達の軽い送別会。明日は人事異動発令の日なのです。

 酔った勢いで上司筋のAさんが、思い出話を披露。
「人間誰でも、48歳を過ぎると気が狂ったように同窓会をやるものなんだよね」
(あ、私もそう思います。高校卒業30年というのは一つの節目のような気がします)

「そんなときに、女性に三種類いるんですよ。これがまたお酒と同じなんですよ」
(お、どういうことでしょう?)

「女性には18歳と25歳と48歳という節目があるんだよ。18歳のときに『18歳なりに可愛いなあ~』と思った女性って、25歳のときにはなんだか普通になってたりする。18のときに普通だった子が25のときにすごく綺麗になってたりする。48歳になると、いよいよ綺麗とそうでないがはっきりすると思うんですよ」
「ふむ、ふむ」

「で、それが実はお酒と同じなの。度数の比較的低い18度のお酒って、保存して寝かせても、美味しい時期ってピークを過ぎるのは早いんです。25度のお酒は、寝かせるとかなり美味しさが増してくる。そして48度などという度数の高いお酒は、寝かせれば寝かせるほど美味しさが限りなく増してくるんです。女性もある程度歳を取って美しく可愛い人というのは、どんどん魅力が増すように思うんだ」

 まあ酔った勢いの話とはいえ、なかなか面白いたとえ話です。

 若いときの魅力をさらに年齢を重ねるに連れてさらに増すことができるのか、若さや顔立ちのようなものだけに頼って、自分自身を磨くということをおろそかにすると、地道に積み上げてきた人にいつかは追い越されてしまうのかも知れません。

 決して女性だけの話ではなく、我々男性の話としても教訓的ではないでしょうか。

 年齢を重ねるごとに魅力が増すというのはどういう事か。じっくりと考えてみてはいかが。
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職場の人事異動

2007-05-30 23:58:57 | Weblog
 昼前からうっとうしい雨。そろそろ梅雨を思い出させますねえ。

 うちの職場は、6月1日に定期異動があるのです。内示は先週の金曜日で、内示があった人は今週は引き継ぎと移動の準備におおわらわです。

 わが部隊は、私も含めて8名のところが6名まで変わるという大幅な人間の入れ替えが行われます。これまで何年もこの業務に携わって、相当な経験値を持った人がいなくなるというのはなんとも不安で寂しいものですが、また新しい人による違った考え方と新しい感性に期待しましょう。

 またそのため6月は歓送迎会の嵐。私は東京と横浜の両方に籍があるので、両方から声が掛かり、さらに小さな単位でも別れを惜しみ歓迎の飲み会をすることになると、6月前半の出費は相当なことが予想されます。

 しかしまあこれも致し方ないところ。まずは一献傾けて腹を割って話すところからコミュニケーションが生まれるのです。

 就任2ヶ月の私が古株になるのももうすぐです。

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芦花公園駅の住宅建て替えを見学する

2007-05-29 23:05:09 | Weblog
 今日も涼し目の一日。今日の午後は、京王線沿線の芦花(ろか)公園駅周辺の再開発エリアを視察しました。

 芦花公園駅周辺には都市再生機構の昭和30年代前半に作られた賃貸住宅があるのですが、これを建て替えるに当たっては、周辺の道路が狭いために条件が成立しませんでした。

 そこで、狭い道路に関わる地権者に対して再開発の計画を持ちかけて、事業を立ち上げたのです。

 結果として、周辺の道路が整備されたことで建て替える住宅への容積を従来よりも増やす都市計画とすることができたのです。通常の単純な再開発ではなく、自分自身の事業を種地として、地域の道路網を整備し、全体としての地域の魅力を格上げすることができました。
 まさに地域づくりの醍醐味と言えるでしょう。

 古かった昭和30年代住宅の建て替えにより、新しい住まい方の提案もしています。最近の機構の住宅では、後々の間取りの変更も簡単になるような、維持管理のしやすさにも配慮した作り方をしています。
 配管は床下を巡るような作り方もしています。面白いですね。

    ※    ※    ※    ※  

 近くに、取り壊す寸前の、昭和33年に建てられたという賃貸住宅があったので参考までに見せてもらいました。

 面積は45㎡。「汽車便」と呼ばれるしゃがみ込み型の水洗トイレに、当時は木の風呂桶、人造研ぎ石の流し台があって、流し以外は畳の2LDKの公団住宅です。また、テレビのアンテナの配線なども最初はありませんでした。テレビなんて一般化する前の話ですから当然ですね。

 洗濯機、冷蔵庫のスペースなどもありません。今日の住宅がそういった家庭用電化製品を置くことが前提になっているというのは、住宅環境がなんと向上したことでしょうか。

 当時はこれでもかなり収入のある人でなくては入れなかった高級物件だったといいます。私が生まれた頃の高級住宅を改めて見て、感慨もひとしおです。

 しかし、懐かしいけれどノスタルジーに浸ってこの家に住みたいとは思えません。日本の住宅は豊かになって、もう過去には戻れないのだなあとも思います。時代に合わせて都市も住環境も進歩して行くものです。
 もう「汽車便」ではトイレもしたくはないでしょう。

 なにが進歩でなにが発展かを考えるのはまさに私達なのですね。

 
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負けないで…

2007-05-28 23:59:54 | Weblog
 昨日に比べて随分気温が下がって涼しい一日。天気予報って当たるものですね。半袖では寒いくらいです。

 今日は午後から突然急ぎの宿題が入って、てんやわんやの一日となりました。横浜からの最終電車は、24時03分で、これに乗れば、家に25時20分に到着するということがわかりました。ふー。

    ※    ※    ※    ※

 テレビやラジオもないなかで、資料作成を続け、夜になってその合間にネットを見てびっくり。松岡農水大臣が自殺してなくなったという記事がネット上を飛び交っていました。

 松岡さんはこの間、「政治と金」のダーティなイメージがつきまとって、随分いろいろとあちこちでバッシングを受けていましたがさぞ大変だったのでしょう。

 「辞任していればこんな事はなかったのに」という声を載せている記事もありました。死んでしまえば何を言っても戻りません。
 一体何に負けてしまったのでしょうか。

 「負けないで」と言えば、そう言うタイトルの歌をヒットさせた人気バンドZARDのリードボーカルだった、坂井泉水さんがやはりなくなったという芸能記事もネットを流れていました。

 もともとマスコミに露出しないことで話題にもなっていた彼女ですが、最近は闘病生活に入っていたのですね。かつての華やかな時代を考えると、この世は無常ということを改めて感じました。
 いろんな意味で「負けないで」欲しかったなあ。

 今日は悲しい知らせが飛び交いました。何があっても死んではいけない、「負けても良いから死んでは行けない」ということを改めて肝に銘じたいものです。

 謹んでお二人の冥福をお祈りします。  合掌
 
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本所~向島・京島を自転車で巡る

2007-05-27 23:55:16 | 東京ウォーク
 今日も快晴。気温もじりじりと上がり、絶好の行楽日和。

 今日は初めて自転車で都内巡りです。以前にまち巡りですれ違った人が貸し自転車を使っているのを見て訊いてみたところ、「東京ドームにほど近い地下鉄春日駅のすぐ横に自転車を貸してくれるところがありますよ」と教えてくれたのです。

 インターネットで調べると、文京区の事業として駐輪場と貸し自転車を行っているということが分かり、早速電話で連絡をして使わせてもらうことにしました。これは楽しみ。

 朝八時過ぎに家を出て、電車を乗り継いで春日駅へ。地下鉄春日駅を上がるとすぐまた地下に降りる入り口があり、そこを降りると貸し自転車場というわけです。自転車はママチャリだけではなくて、いわゆるタウン用のクロスバイクも選べます。今日の相棒はジャイアントのクロスバイクを選びました。
 貸し自転車で前3段×後9段の変速機とは豪華です。これで一日500円なら安いものです。

    ※    ※    ※    ※

 さて、今日の目的は都の西北ならぬ、都の東北。まずは隅田川を越えて本所にある横網町公園へと向かいます。蔵前国技館のすぐ裏なのですがね。

 この公園にはかつて陸軍の被服廠(ひふくしょう)というのがありました。大正十二年当時ここは軍から払い下げを受けて、東京市が公園にしようとしていて空き地になっていたそうです。そして大正十二年九月一日午前11時58分を迎えます。そう、関東大震災です。

 突然関東地方を襲ったこの大型地震は、東京からは80km離れた相模湾を震源とするもので、地震そのものによる被害はそれほどでもなかったと言われます。しかし当時の多くの家が木造だったことと、昼食直前で食事の準備をしていたために台所から発火し、その数は百三十カ所にのぼったこと、そしておりからの強風にあおられる形でこの火が各所に飛び火し、いたるところからもうもうたる黒煙と紅蓮の炎が立ち、多発的な火災による大災害となったのです。

 各所から起こった火の手を見て、とりあえず地震の難を逃れた人達は今度は焼け死ぬ恐怖に襲われました。そうする中で誰ともなく「被服廠跡へ行けば助かる」という声が上がりました。被服廠跡は当時2万4千坪あったといい、今で言う避難所として誰もが頭に浮かべた場所でした。

 そして被服廠跡へ周辺の住民が皆荷物を背負いながら次から次と集まり始めます。なんとこの2万4千坪に3万8千人もの人達が集まりました。あろうことか、猛火の烈風は容赦なくこの地を襲い、猛烈な火災はここで上昇気流による大旋風をも巻き起こし、人も荷物もを上空高く巻き上げたと言います。

 そしてわずか数時間の後には、ここまで逃げてきた3万8千人全員が生きながら焼け死んだのでした。関東大震災でも最大の参事と言われる所以です。

 そしてその後がいまでは横網町公園となりました。ここには現在第二次大戦の東京大空襲の被災者と共に東京都の慰霊堂が作られ、訪れる多くの人達にいつ起こるか分からない災害を常に想起するための場所になっているのです。
 
 ですからこの本所被服廠跡地というのは、都市防災を生業とする者にとっては聖地であり、忘れることの出来ない場所というわけ。

 私も早く来たかったのですが、今日やっと訪れることができ、ロウソクと線香を手向けることができました。合い言葉は「備えよ常に」です。

 都市防災の聖地をやっと訪れることができました。 合掌。

    ※    ※    ※    ※

 さて、この関東大震災が実はその後の東京の土地利用に大きな影響を及ぼしました。国は国の威信をかけて復旧と復興に努め震災区画整理を強力に推し進めて今の東京の骨格形成を行いました。

 しかしそのときに、「もう都内は怖いから郊外に行こう」として当時の東京の外に移った人達が形成をしたのが現在の密集地区というわけなのです。

 都内の密集地区の分布を地図で見ると、環状6号線と環状7号線の間に多く見られ、いわゆる「密集ベルト」を形成しています。つまりここが震災当時の郊外だったわけ。いまでは超高級住宅地もありますが。

 そこで今日は、本所の被服廠跡地のつぎに密集地区で知られる向島・京島方面へと向かいました。こういう移動があると自転車がいかに便利かが実によく分かります。徒歩と比べると機動性が段違いです。

 向島の途中には東部鉄道の業平橋駅がありますが、この周辺の操車場には新東京タワーが建設されるということになっています。東京の新しい観光名所ができるのはこういうところなんですね。

    ※    ※    ※    ※

 さて、密集を求めて向島地区の細い道路をわが自転車はぐんぐんと進みます。なんと行っても機動性が違います。しかし道があると思って入ると、住宅に囲まれた行き止まりの道路ということも多いもの。

 太い道路に面した細い路地を見ると、(あそこにはいってゆくとこの世界とは別のパラレルワールドがあるのじゃないかな)という気さえしてきます。

 そうして密集地区の細い街路へ入り込んで行くと、ここでは自動車が来ないので実に静かでのどかな空間に包まれます。聞こえるのは犬の鳴き声と家の中の家人の会話とラジオの声ばかり。じつにほのぼのとさえしてきます。

 住宅は、耐火性の向上した新しい住宅とまだ古い木造住宅とが混在しています。少しずつ道路を広げようとする事業が行われている場所もありましたが、いけるところまでいって中断しています。一人でも賛成してくれなければそこでしばらくはストップというわけです。
 こういうところで事業を行おうとする大変さがよく分かりました。

    ※    ※    ※    ※

 そんなことをずっと見ながら、周辺地区も走り回り、元の春日駅に戻ってきたのは午後4時過ぎ。朝9時半から6時間半の自転車ツアーです。

 東京の自転車巡りは、距離的には短くても、目に映る情報量が圧倒的に多いので、6時間のツアーはほぼ限界です。しかし、徒歩では一日10kmがほぼ限界なのに対して、自転車ツアーならばその3~4倍の距離を走ることができることも分かりました。

 今後東京の北半分のツアーは自転車と決めました。良い場所に良い貸し自転車場を見つけました。今後のまち巡りに強力な援軍です。

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駒場の東大~松涛を歩く

2007-05-26 23:21:15 | 東京ウォーク
 昨日の雨も昨夜のうちに上がり、今日は快晴の一日。

 気持ちがよいので、部屋の掃除とシーツや毛布などの大物の洗濯。気持ちよく洗うだけ洗った後に、干すスペースがないことに気づき、慌てて物干し竿を買いにゆきました。

 伸縮自在のステンレス物干し竿なんて結構高いのかな、と思ってみてみると一本600円たらず。案外安いのでかえってびっくり。これで大物の洗濯でも干すのに困らなくなりました。

    ※    ※    ※    ※

 さて、午後からは週末恒例のまち巡り。今日は渋谷区松涛(しょうとう)あたりをうろつくことにしました。「松涛」とは面白い地名ですがどんな由来なんでしょうね。

 松涛は渋谷に近いので、小田急線からは下北沢で井の頭線に乗り換えればすぐに着く距離です。しかしあまり便利に行けてもつまりません。周辺との関係性を理解した上で巡らないと、全体の土地勘が養われません。そこで下北沢駅で下車すると、そこからは井の頭線沿いに歩くことに。

 下北沢からの目黒区駒場界隈も、渋谷まで至近の距離ながらよく見ると密集地区によく見られる「木賃」と呼ばれる木造賃貸住宅が結構あります。井の頭線なんて、この写真だけ見るとどこの田舎のローカル路線かな、と思うくらいです。これが東京のど真ん中というのも実に面白いですね。

    ※    ※    ※    ※

 道の途中に東京大学の駒場キャンパスがあり、ここに美術博物館があると地図に出ていたので訪れてみました。


 東大キャンパスはさすがに我が国の最高学府としての趣がありました。駒場博物館はその一角にあって、(何を見せてもらえるのかな)と思いながら入ってみると、企画展の真っ最中。タイトルは「創造の広場 イタリア ~永遠に再生する春~」です。

 東大ではこの春からイタリア語がそれまでの第三外国語から第二外国語に格上げになったのだそうで、それも記念しつつ、「日本におけるイタリア2007・春」の一環として、イタリアを紹介する企画を6月17日までの期間開催しているのです。そう言えば、上野でのダビンチの「受胎告知」もその一環でしたね。

 レオナルド・ダ・ビンチのスケッチや、ダンテ、ボッカチオ、ペトラルカ、ガリレオ・ガリレイなど、様々な人物の…。イタリアには面白い人がたくさんいますねえ。一見の価値ありです。

    ※    ※    ※    ※

 さて、東大を離れて松涛地区へ。ここには鍋島松涛公園がありました。そこでまず公園を訪問してみると、ここに松涛の謂われが書かれていました。

 公園の看板にはこう書かれていました。

「鍋島松涛公園  この松涛園は、紀州徳川家の下屋敷跡を購入した鍋島家が明治年間に士族授産のために開いた茶園の名であり、松涛(しょうとう)とは、茶の湯のたぎる音から出た名で、この名の茶を生産していました。
 それがもとになって昭和三年にこのあたりの松涛という地名が生まれました…」

 明治維新は、武士の大量失業という負の側面があったのですが、心ある藩主はそれをなんとかしようといろいろな手を打ちました。静岡のお茶もそういう側面があったと聞きました。
 お茶もそういうことを考えながら味わうとまた違う思いが生まれるかも知れませんよ。

 今は東京では数少ない自然の湧水による池のある素敵な公園でした。一番最初の写真は松涛公園の池の映像です。

    ※    ※    ※    ※

 さて、その後はそのまま渋谷のセンター通りなどを通りながら渋谷駅へ。渋谷も何回も行かないとわかりづらいところですね。

 さて、明日はどこへ行きましょうか。思い切って北の方へ行ってみようかな。   
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芝のプロ

2007-05-25 23:23:47 | Weblog
 大学の後輩達と一杯。

 三ヶ月ぶりの後輩と、二年ぶりの後輩と、25年振りの後輩の三人です。みんな髪が白くなっていて、苦労の後が伺えます。

 その中の一人は、大学を卒業後芝生一筋にやってきて、いまや首都圏はもちろん、日本中で芝で困ったことの相談を受けているとのこと。

 東京ミッドタウンの芝も手がけて、開園直前に最後の芝工事として入り、施工開始からたったの13日目にオープンを迎えたにも関わらず、立派な芝生として仕上がったのだとか。

 普通は土の上で育てた芝生を、厚さ3センチほどの根ごと切って薄い芝ロールにして移植をするのです。しかしそれでは根を切るために活着が悪かったり、土の上に芝生があるために透水性が悪くなったりするという難点がありました。

 この点を彼の会社では、100%生分解するマット上で芝を育成し、それをロールにして移植をして芝生を作るという技術開発を行い、短期間での芝生施行というニーズに応えることができるようになったのだそうです。

 終いには、サッカースタジアムの構想にアドバイスを求められて、札幌ドームのようにホバリングで芝を入れ替えるように計画を変更させたりもしたのだとか。芝に関する絶対の自信が彼を支えているようです。

    ※    ※    ※    ※

 彼の今のテーマはパークゴルフ。北海道が発祥で、芝生の上でゴルフのように玉をホールに入れる運動は、北海道では高齢者を中心に絶大な人気があります。芝生の上を歩くスポーツとして、健康づくりにも大いに貢献しています。

 この北海道から東日本にかけて盛んなパークゴルフを、少しずつ西日本、そして日本中に広めたいのだそうです。芝生のプロを極めると、健康のプロに近づいてゆくようです。
 何事も一芸は極めたいものですね。

 元気な後輩の姿を見て先輩としてさらに頑張ろうという気になりました。

 今日も思い出横町での一杯なのでした。
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豪徳寺を訪ねる

2007-05-24 23:13:28 | Weblog
 今日の午後は、密集のフォーラムです。

 このフォーラムの目的は、最近我が組織が完成させた、密集地区での道路整備事業について報告するのと、密集地区についてあらためていろいろな方の考えを聞こう、という企画です。

 密集と呼ばれる地区には、不燃化率や耐震率などいろいろな規準からいくつかのエリアがあるのですが、基本的には①道路が狭くて緊急車両が入れないこと、②公園のようなオープンスペースが少ないこと、というあたりが共通項です。
 
 またそれ以外にも、木造賃貸住宅であれば、③権利関係が複雑、④高齢化率が高い、⑤しかし地域への愛着があって地域コミュニティは強い、などの特徴もあります。

 つまりメリットもデメリットもあるのですが、やはり基本的な都市構造としては狭い道路や少ない公園というのは防災性に関しては脆弱と言わざるを得ないでしょう。

 阪神淡路大震災で火災発生から大きく類焼した長田地区も、密集地区だったのですが、東京にはそれ以上の密集率の地区がいくつもあるのです。そんな密集地区を抱えていれば、首都直下型地震になれば、東京での死者数は1万五千人と言われており、これをなんとか半減したいというのがいまの考え方だとか。
 
 密集自身は、先にも述べたように、地域コミュニティが強かったり車が通らないので静かだったりというメリットもあるので、メリットを生かしつつも安全性を高めるようなまちづくりが必要だというわけです。

 わが組織はそういうことのスペシャリスト集団として、まちづくりを手伝うのが仕事。お気軽にご用命を。

    ※    ※    ※    ※

 今日の会場は世田谷区役所隣の、国士舘大学でした。そこで帰りがてらに歩いて近くの豪徳寺を回ってみました。

 そう言えば昔、庄司陽子のマンガで「レッツ豪徳寺」というのがありましたけど、読んでいなかったなあ、などと思ううちにもう豪徳寺です。

 ここには15世紀の末に庵が構えられたのですが、それが江戸時代初期の寛永10(1633)年に、世田谷を所領とした彦根の井伊家の当主井伊直孝が井伊家の菩提寺として、伽藍などを建てたのが今日に繋がっているのだそうですよ。

 正式には大渓山(たいけいざん)豪徳寺と言うのですが、「豪徳」とは井伊直孝の戒名の「久昌院殿豪徳天英居士」によるのだそうです。

 井伊家だけに、幕末に桜田門外の変で暗殺された井伊直弼もここに葬られていて、東京都史跡になっていました。

 またここには招き猫のお堂もありました。Wikipediaによると、招き猫の由来には幾つかの説があるのですが、ここ豪徳寺にもそのうちの一つが伝わっているそうです。

【Wikipediaより「招き猫」】
招き猫の由来にはいくつかの説がある。

 ○豪徳寺説
 東京都世田谷区の豪徳寺が発祥の地とする説がある。
 江戸時代に彦根藩第二代藩主・井伊直孝(1590年3月16日- 1659年8月16日)が鷹狩りの帰りに豪徳寺の前を通りかかった。そのときこの寺の和尚の飼い猫が門前で手招きするような仕草をしていたため寺にたちより休憩した。

 すると雷雨が降りはじめた。雨に降られずにすんだことを喜んだ直孝は、後日荒れていた豪徳寺を建て直すために多額の寄進をし、豪徳寺は盛り返したという。

 和尚はこの猫が死ぬと墓を建てて弔った。後世に境内に招猫堂がたてられ、猫が片手をあげている姿をかたどった招福猫児(まねぎねこ)がつくられるようになった。ちなみに、この縁で豪徳寺は井伊家の菩提寺となったといわれる。幕末に桜田門外の変で暗殺された井伊直弼の墓も豪徳寺にある。(以上、Wikipediaより)

 今では開国してアメリカと通商を結ぶということの是非を疑う人はいないでしょうが、歴史の陰にはいろいろな人の物語がありますね。

 豪徳寺。なかなかに趣のあるお寺でした。

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林試の森公園を訪ねる

2007-05-23 23:48:42 | Weblog
 仕事の現地視察で、目黒区の「林試の森公園」を見てきました。

 ここは、国家公務員住宅の横にある公園で、民間人の土地が公園で都市計画決定されていたところです。

 ここでは、都が防災性向上のためにこの民地を買収して公園を建設しようとしたところ、「そもそも国家公務員住宅という公共用地のほうに公園を作ろうとせずに、民地に作ろうとするのはおかしい」と反対が起き訴訟問題に発展していたところです。

 一審は原告勝訴、二審は逆転で都が勝訴して、最高裁で争われていたのですが、その判決が出て、またまた逆転で原告勝訴の決定が下されたのでした。

 面積の広い公園は、地震などの災害時の避難地として指定されていることが多いのですが、その場合は面積があるだけでは駄目で、大きな道路に接しているか、あるいは道路から公園までのアクセス性が良いかどうか、ということも重要なのです。

 この林試の森公園の場合は、太い道路に接していないために、民地を買収してそこへアクセス道路を造ろうとして訴訟になったものです。そういうわけで、公園を商売にしている者にとっては一度は見ておきたい公園というわけです。

    ※    ※    ※    ※

 さて、実際に見てみると、周辺の道路はやはり狭いのと、もともと林業試験場があっただけあって、樹木は素晴らしいということが分かりました。素晴らしい太さのプラタナスや大クスなど、ほれぼれするような樹木がたくさんありました。東京って緑があるところは実に豊かですね。

 林試の森公園。良かったです。

    ※    ※    ※    ※

 ところで、この公園の北側の下目黒地区にも実は密集地帯があるということになっています。(目黒の密集ってどんな感じなんだろう)と、帰りがてらにそのあたりも歩いてみることにしました。

 確かにこのあたりも太い道路が少ないようで、一方通行や、写真のような水路を埋めたような細い道もあるのですが、家には高級外車が二台もあるようなお宅もあって、今にも倒れそうな木造賃貸アパートという密集ではありません。

 道路が細いので通過車両もほとんどなくて、極めて静かで閑静な高級住宅街という印象すらします。「密集地区」と言っても、その成り立ちや現状は様々だと言うことがよく分かりました。

 でも中には、写真のような塀にアパートの郵便受けがついていたりして、なかなかに面白い風景にであうことができます。

 道を歩いていたら昔懐かしい「トオ~♪ フ~♪」というらっぱの音が聞こえました。なんだかへたくそだな、と思ったら、豆腐屋さんが通りかかった子供達に吹かせていたのでした。

 豆腐屋さんのリヤカーも、普段見るようなものよりは一回り小さい規格のものでした。まさに密集地区用の道具が開発されているというわけですね。

 細い路地に豆腐屋さんのらっぱ。

 ノスタルジーただようのどかな風景でした。  
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LEDが日本の省エネに革命を起こすかも

2007-05-22 23:18:56 | Weblog
 仕事関係の知人から、「ちょっと見てみてくださいよ」と言われたのが、LEDを使った照明器具。

 LEDとは、発光ダイオードと呼ばれる電子素子で、「Light Emitting Diode」の頭文字を取って、エル・イー・ディーと呼ばれています。

 LEDの特徴は、消費電力がこれまでの白熱電球や蛍光灯に比べて圧倒的に少なく、しかも長寿命だということです。

 普通の電球や蛍光灯は、おおよそ5千時間が寿命であるのに対して、LEDは4万時間は持つと言いますから、その差は歴然です。最近では市内の交通信号が、電球からLEDを使ったものにどんどん変わっていることに気づいている方も多いことと思います。

 さて、LEDの特徴は、省エネで一個あたりの光は小さいのですが、光があまり拡散せずに非常に指向性が強いと言うこと。

 そのため、数を多く集めて大きな塊にして使うと有効なわけで、交通信号も一つの色に約280個のLEDを用いているそうですよ。

    ※    ※    ※    ※

 さて、省エネで長寿命と良いことばかりのようですが、実はLEDは発する光の指向性が強いために、遠くへの照射は良いとしても、手元や家の照明などに使おうとするとLEDの灯りが強いところとそうでないところのムラが出てしまうというのが難点でした。

 そこを今日お会いしたM社の方は、LEDの光を反射させて、明るさを分散・拡散させるということを思いつき、そうやって工夫してつくったのがこのリフレクターと呼ばれる反射板なのです。

 確かにLEDにこれを装着して電気をつけてみると、蛍光灯のような白色で、しかもちらつかず、明るさにムラのない照明になっています。

 持ってこられたデモ用のパソコンライトは、USB端子からの非常に少ない電力でも、5つのLEDとリフレクターを使って、手元をしっかりと見ることができます。

 同じくデモ用のスタンドの明かりは、大体20~30Wくらいの蛍光灯の明るさに相当すると感じましたが、消費電力はなんとたったの4Wなのだとか!
 

 もう残業のときに、天井の灯りをこうこうとつける必要がなくなるかも知れません。

 つまり、世の中の照明器具がこれに変わると、日本の照明のための電力使用量が1/5になるという、大変な省エネ製品になる可能性があるのです。

 京都議定書で世界に約束した日本の二酸化炭素削減への動きは遅々として進みませんが、こうしたドラスティックな技術革新が起こると、一気にそれも可能になるかも知れませんね。

 環境に関心のある方なら見逃せないはず。

 発光ダイオードというハイテク技術だけでなく、それを反射板で照明として使いやすくするというアイディアは大したものです。さすがは日本人のモノづくりです。

 LEDで省エネに革命が起きるかも知れませんよ。 



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