北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

ごね得は許されますか

2009-09-30 23:33:14 | Weblog
 日本人って美味しいお店や流行があるとすぐに行列を作り、なにか行列があるととにかく並んでみるという傾向があるように思います。

 秩序立っていると言えばそのとおりですが、もし秩序が崩れたらどうなるのだろうか、ということはあまり考えもしません。

 そうした秩序感が異なる国から見ると、日本はこんな風に見えるみたいですよ。


---------- 【ここから引用】 ----------

【中国ブログ】行列なんて無理?「意外にスムーズ」免許更新にて 2009/09/29(火) 12:14
 http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2009&d=0929&f=national_0929_019.shtml


 日本在住の中国人ブロガー、房麗燕さんはこのほど、自動車免許の更新に警察署を訪れた際のあまりの人の多さに閉口したが、「署内の職員の指示に従い、列に並んで手続きを行ったら、半日かかると思っていた手続きが2時間で終わった」と驚きや、行列の「効用」の実感を語った。しかし中国では、意識の違いで同じようにするは難しいのでは、との予想も掲載、話題を呼んでいる。

 房麗燕さんは、日曜日の朝早くから、自動車の免許の更新手続きに行った。「日曜日だから人が多いのは予想していたけど、まさかこれほどまでとは思わなかった。最悪! 手続き終えるのに半日かかりそう」と内心ゲンナリしたと語る。

 しかし、職員の指示通り長い列に並び、静かに、ゆっくりと順番が前に進んでいく様子を「人は多くても秩序が保たれていた。私は指示されるまま、目的別に出来た行列に次々と並んだだけだったが、知らず知らずの間にすべての手続きが終わった。講習の時間も入れて、わずか2時間。はじめに予想したよりもずっと短かった」と振り返り、秩序正しい行動で、心のゆとりを実感したという。

 一方、「もしも誰かが、自分の用事を早く終えるために、指示を聞かず勝手な行動に出れば、どうなっていただろう」と予想、「言うまでもない、私は良く知っている。先を争い、ごちゃごちゃして筋道が通らなくなる“カオス”を」と表現、中国での様子を思い浮かべて次のように分析した。

 「日本人は物事を行うのに、あほらしくなるくらいに先に順序を考え、全員がまじめにその通り行う。誰も他人が考えた順序に何の疑いも抱かず、こうしてさえいれば、うまくいくと信じている。事実、多くの場合、順調に進む」

 「しかし、中国人にとって、これを実行するのはとても難しいことのように思う。中国人はあらゆることに指図を受けたがらない。他人の指示を聞くのは、まるで自分が意志の弱い人間になったように感じるのだ。だから中国人はおのおのが思い思いの事を行う。行列など『他人の後を一歩ずつ進むなんて能がない。利口な人間であれば隙を見て割り込むのだ!』といったところだ。自分の用事をなるべく早く終わらせるために、体力を使って前へ突き進む。あるいは、知り合いを探して、裏から手を回すこともある。目的達成した者は、得意顔で、自分の勝利と成功をひけらかす。成功しなかった者は自分の知恵が足りなかったと反省し、臨機応変に学ぼうとする。そして結果、皆が“臨機応変さ”を競い、社会から秩序が消え失せていった」

 房麗燕さんは最後に、「1人ひとりが自分の利益や時間の概念だけに基づいて行動すれば、社会の混乱は明らかだ。最終的に皆が損害をこうむる」と、中国での慣習に苦言を呈すとともに、「もし用事を済ますのに時間と労力を節約できるのなら、私は当然そっちをとる。世界中の誰もがそう思うだろう」と、秩序を守る習慣を支持した。(編集担当:金田知子)

---------- 【引用ここまで】 ----------

>皆が“臨機応変さ”を競い、社会から秩序が消え失せていった

 これってさらっと言っていますが実は怖いですね。世に言う「モンスターペアレント」など、モンスター○○とつく人が増えているように言われていますが、これも秩序の低下現象と見ることもできそうです。

     ※    ※    ※    ※


 以前ある自治体の市長さんが、「ときどき公共事業の用地買収のときにゴネる人が出てくるんだけれど、職員からすればゴネられてお金を積みますようなことがあると、すぐに納得してくれた人に申し訳ないのでそれはお断りをするんです。しかしそうするとたった一人のために事業が進まないということがあって、現場は大いに悩むんですな」というお話を聞きました。

「そんなときは何か解決方法はあるんですか?」
「それはねえ、結果として少し色を付けてお金を足し増して決着するんですよ」

「それはまさにゴネ得ではありませんか!?」
「いや、もしそれが知られて周りの人が文句を言ってくるようならこう言ってやるんですよ。『皆さんは理解があってまともだから地域のためを思ってすぐに納得してくださいました。それはとてもありがたいことです。しかしそんな地域の中であれだけゴネていられる方というのはもう病気です。病気なんですから多少のお見舞い金が必要です。ねえ、皆さんもお見舞い金が欲しいと思いますか?』ってね。まあこれで大概は治まったものですよ」

 ふーむ、なんと現実的な対応でしょう。しかしよほど地域の信頼を得ている首長さんでない限りは無理だろうな、とも思ったものです。

 自分の中では「ゴネ得は許されない!」と言う正義感も燃えたぎりますが、それを現実に即して治める技というのは一歩上を行く力量でもあるようです。 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

地下鉄のお話

2009-09-29 22:32:56 | Weblog
 東京でのまちづくり勉強会。今日は地下鉄について、営団地下鉄に長く勤められたOさんから話を聞く機会がありました。東京には探せばこんな勉強会がいくらでもあるんです。

 地下鉄は、1863年にロンドンで誕生しました。最初の路線はロンドン市内のメトロポリタン線6kmで、まだ電化される前だったために、蒸気機関車が客車を牽引しました。なかなか無茶ですね。

 機関車はできるだけ煙の排出を少なくする装置が設置されたといいますが、あまり効果は得られず、社内や駅は煙が充満し評判が悪かったそうです。もっとも便利なことは便利だったので利用者は多かったのだとか。

 地下鉄のドアは一部に1.5mのものが使われていますが、通常は幅1.3mのものが使われているそう。この幅は広ければ乗り降りがスムースに行われる反面、幅が広いと開閉に1~2秒余計に時間がかかるんだそう。

乗降のために20数秒を費やして、一駅での停車をほぼ1分でこなして出発をしているわけで、大量輸送機関としての地下鉄はまさに秒単位で時間を節約するすごいノウハウが満載なのでした。

   *   *   *   *   *

 面白かったのは車輪の方式の話でした。東京の地下鉄はご存知の通りJRと同じ鉄輪ですが、札幌の地下鉄はゴムタイヤです。これって何が違うんでしょう?

 私は一度さいたま市大宮の鉄道博物館に行ったことがありますが、そこに鉄道技術を学ぶ展示のコーナーがあって、そこでは同じ重さの運搬具を、5つの運び方で運んでその違いを体験することができる展示がありました。

 実際に自分で押してみる事ができるのですが、やってみるとタイヤで運ぶよりも鉄軌で運ぶほうがはるかに少ない力で動かすことができることが実に良く分かります。
 そういう観点からみると、鉄軌ではなくてゴムタイヤで走らせる方法というのはとても不効率に感じてしまうのです。

 そこでその違いを訊いてみたところ、実は世界中の地下鉄の中でもゴムタイヤ方式を採用している地下鉄はフランスに多いのだそう。おまけにかつてフランスの植民地だったところにもその影響は及んでいるのだとか。

 そしてこれは今日の講師のOさんによると、「フランスはかつて優勢だった飛行機産業も斜陽になり、海外に輸出する技術が先細っているんだそうです。そこで大事なのが有力国内メーカーであるタイヤメーカーのミシュランでありまして、この会社を守るためにゴムタイヤ方式が使われているという陰謀めいた話も漏れ聞きますねえ(笑)」とのこと。

 そういえば、札幌オリンピックのときにできた札幌市営地下鉄。札幌の前の冬季オリンピックはフランスのグルノーブル大会でした。この大会を視察した人たちが、その当時における「これからの地下鉄技術」をどう感じたのか、などと考えるとなかなか興味深い。 


 興味が湧いたのでWikipediaで「札幌地下鉄」をググって見たところ、面白い一節がありました。


---------- 【以下引用】 ----------
『札幌市営地下鉄』で検索

【開業前のエピソード】
 1960年代、急速なモータリゼーションの進行によって、特に積雪期の交通渋滞に悩まされていた札幌市では、市内交通の中心だった市電とバスによる輸送が限界に近づいていた。さらに札幌オリンピックの開催が決定し、選手や観客を輸送するためには市電やバスの輸送力では到底対応しきれないことから、高速・大量輸送が可能な新しい軌道系交通機関建設への機運が高まっていった。

 市は1964年に『札幌市における将来の都市交通計画』に関する調査書を民間に委託して作成させ、翌1965年から札苗実験場(現東区)でゴムタイヤ方式の試験車両による各種試験を開始した。なお、モノレール、鉄車輪とゴムタイヤを併用するパリ方式、あるいはブリュッセルのプレメトロを参考にした路面電車を都心部のみ地下に潜らせる「路下電車」なども検討された。

 札幌市がゴムタイヤ方式に固執した理由は、高速電車と入れ替わりに廃止が予想される市電と同等の利便性を確保するため、高速電車の駅間隔を当初、電停並みの300メートル程度と想定していたことによる。走行実験の開始直後、除雪についての具体策もはっきりしない時期、札幌市の広報誌には、「短い駅間隔での高加減速運転には鉄輪は不向きで、ゴムタイヤこそが最適」との趣旨の記述がある。

---------- 【引用ここまで】 ----------

 実は空気タイヤで走行していると言っても、パンクしたときに車体が下がらないように鉄輪も車体につけながら走っているのだそうで、その重量というのも結構なもの。

 また、鉄輪は車輪に勾配がついていて、そのためカーブの際に車輪の円周の差で上手く曲がれます。ところがタイヤではそれが効かないので、実はカーブではこすれながら無理やり曲がっているのだそう。そこでタイヤが磨耗するのですが、磨耗の粉の量も実は馬鹿にならないんだそうですよ。

 当時としては騒音対策や加速能力などの面でそれが最先端の技術だったのかもしれませんが、技術革新が進み、環境や省エネなどへの要請事項が変わりつつある現在、どういう技術が良いのでしょうか。

 もっとも儲かっていない事業では、投資と回収可能性という経済性のほうが優先されるのでしょうけれど。

 地下鉄が儲かるためには沿線駅周辺での人口が増えるようなまちづくりも欠かせません。これまた巨視的なまちづくりビジョンが必要なのです。 
  
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

孔子様でも気がつくまい

2009-09-28 23:44:49 | Weblog
 検索ソフトのグーグルは最近トップページのイラストにジョークを加えることが良くあります。

 今日のグーグルはこんな感じ。





 おや、この中国の聖人と思しき人は?と思い、検索の単語を何もいれずにクリックするとこちらへ飛んできます。






 そうか今日は孔子様の誕生日というわけです。孔子の誕生日にはこれといって特別な祝い事はないようですが、心新たに「論語」を読むなんてのも良いかもしれません。

   *    *    *    *    *

 孔子は生前は何度か用いられたこともありましたが晩年は弟子の育成に専念したとはいえ、世の中から省みられることなく紀元前479年に73歳でその生涯を終えています。

 生前は無官の単なる一学者でしかなかった孔子ですが、その後紀元前91年に成立した『史記』において司馬遷はその功績は王にも値すると高く評価して『史記』の中に「孔子世家」(世家は諸侯王家の歴史)を著し、またその弟子たちの伝記として「仲尼弟子列伝」を立てました。

 その結果、前漢・後漢の時代を通じて次第にその勢力を拡大し、やがて儒教として中国の国教になりました。

 孔子の時代から下ること千と数百年後、南宋の朱熹はこの儒教をさらに発展・再構築させ、その学問体系は朱子学として日本にも渡り、鎌倉末期から江戸時代、明治の教育勅語へと学び継がれ今日に至っています。

 時の政権に重用されず、うらぶれて没した老人の学説がその後脚光を浴びて、多くの人に親しまれる人生訓になろうとは、同時代の人はとても考えなかったことでしょう。

    ※    ※    ※    ※

 かつて「まぐれ」という本で紹介したナシーム・ニコラス・タレブさんの最近の著書が「ブラック・スワン」。白鳥は白いものしか見ないから【全ての白鳥は白い】という過去の経験は、一羽の黒鳥で覆った、というお話。

 我々人間は、過去に起きたことを後知恵で理屈付けして説明することは簡単ですが、今この瞬間のときに何が起きているかを正しく理解することはできないのだ、とタレブ氏は言います。

 タレブ氏はウィリアム・シャイラーというジャーナリストが、今の歴史では第二次世界大戦中という時代に書いた「ベルリン日記:1934ー1941」を読んで、あることに気がつきました。

「…シャイラーの本に出会って、歴史の仕組みについて直感的に分かったことがある。第二次世界大戦の始まりの頃を生きた人たちは、何か大変なことが起こっていると書き留めていたに違いない、今の人はそう思うかも知れない。でも、まったくそんなことはなかった」

 
 歴史を外的条件から必然的に説明するのは全て後知恵だ。歴史は流れるのではなく、ジャンプするものだ。今の出来事がこれからの未来にどう繋がるかなんて誰にも分かりはしない。タレブ氏はそう言います。

 しかしそういう真理を突きつけられながらもなお、これから何が起きようとしているのかを予想し、頭を巡らす自分がいます。


 さすがに今の出来事が千数百年後の未来にどう繋がるかなんて事までは孔子様でも分からなかったでしょうね。  


 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

広告、増えてません?

2009-09-27 23:43:34 | Weblog
 最近札幌の自宅へ戻ってみて驚いたのは地元地方紙の変わりようでした。

 中でも、【全面広告】として1ページ全部を広告に充てる量が昔よりも格段に増えています。

 今日の朝刊は36ページで、そのうち【全面広告】と書いてあるのが9ページで、【広告のページ】とあるのが1ページありました。

 それ以外の紙面でも、下1/3~1/4は広告が載っているので、全体のうちに広告が占める量はかなりなもの。

 以前はこれほど全面広告が多いという印象がなかっただけにいささか驚きました。マスコミの強大な力をもってしても、地域の景気回復にもって行くことは至難の業のようです。


 最近の新聞業界を騒がせているのはいわゆる「押し紙」問題。

 新聞社は販売部数拡大と発行部数に比例して広告収入が決まるため、部数は多ければ多いほど良いわけです。そのため実際は取っている家庭がないにもかかわらず新聞販売店に対して配達実数以上の部数を「押しつける」形になっているために「押し紙」と呼ばれていると言われています。

 最近は週刊新潮が押し紙に対して厳しい特集記事を掲載していて、これには名指しで指摘された大手新聞社が「『押し紙』はない」と否定しています。

 しかしながらこれまでタブーとされた押し紙問題が表面に出てきた裏に一体何があるのか注目されます。

 一方海外からは、「新聞社が言っている部数が過大だとしたら、これまで払ってきた広告料は取りすぎと言うことになるのではないか」と訴訟問題が起きかねない、という話題も漏れ聞こえてきています。

 過大な広告料を取るのはまずいということになれば、正規のやり方でちゃんと広告料を取るほうが良いわけですしね。

 それにしても新聞を取っても記事として読む分量は減っているわけで、記事という商品を新聞紙という媒体に載せて売っている商売としては、上げ底になってきたと感じるのは私だけでしょうか。皆さんの新聞はいかがですか?


 モンスターペアレント(親)とか、モンスターペイシェント(患者)といった強烈なクレーマーが最近は登場していますが、モンスターリーダー(読者)もいるのでしょうか。

 何か言うたびに批判される立場って大変なのですが。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

北海道の学力向上

2009-09-26 23:04:55 | Weblog


 この度、北海道通信社から北海道教育開発研究会編の「知的フロンティアスピリットの再生~元気を出そう北海道の教育」という本が刊行されました。

 北海道教育開発研究会とは、道内の問題意識を持った教育者の集まりで小中学校の校長先生を主体として教育活動を行っているグループです。

 道内の教育関係者にとって、昨年国が行った学力テストの結果、小中学校とも全国でほぼ最低のレベルだったという結果は衝撃的なものでした。

 しかしそれ以上に憂慮すべきことは、その結果に対して道内から「なんとかしなくてはいけない!」という動きが弱いことでした。

 この本の巻頭で同研究会会長の村瀬さんは、「私たちは北海道教育現状を率直に見つめ直し、新生北海道を創る新しい教育のあり方について真剣に考え、率直な議論の場を創り出したいと願い、本書の発行を企画しました」と熱い思いを語っています。

 この中ではまず第一部として道内各界の方達5人から北海道内の教育に関する意見を聞き、第二部では道内の教育をデータから分析しています。

 第三部では道内でもユニークな実践活動で成果を上げている学校の取り組みを紹介し、第四部では全国の中でも成績上位にランキングされている秋田県での取り組みを視察したレポートという構成になっています。
 
 教育関係者でなくても問題意識のある方には面白く読めるのではないでしょうか。

    ※    ※    ※    ※
 
 第一部のオピニオンリーダーでは、札幌商工会議所の高向巌会頭から、「北海道は新幹線誘致を繰り広げてもなかなかそれが浸透しない」と苦言を呈せられながらも、「発想は豊かだと評価される面もあるのだから、小さくまとまらずにボーイズ・アンド・ガールズ・ビー・アンビシャス」とエールを送られています。

 また札幌国際大学の村山学長からは、「授業での楽しさには『楽しいから分かる』という側面と『分かって楽しい』の両面があるけれど、『分かって楽しい』を果たすのがなかなか難しいようです。教師には『分かるから楽しい』という気持ちが子供達に伝わるように強い意志を持って欲しい」というエールも送られています。

    ※    ※    ※    ※

 (社)日本教育界北海道支部長の昌子さんからは、「教育の問題というとやはり学力と言うことになるのですが、今回の調査には豊かな心と学力との関係を比較している部分がある」という指摘がありました。

 そのなかでは「人の気持ちが分かる、人の役に立つ人間になりたいと思う児童の方が成績が良い」という結果が出ていて、徳性の面での成長がうかがえる子供は学力も高いということがわかるのだそう。

 その一方で、学力で下位に甘んじた道内の子供達は、体力面でも道外の子供達よりポイントが低いことも明らかになっているのだそう。

 より良い教育に向けては、学力と徳育、体育とのバランスも必要といわれることが改めて明らかになりました。

    ※    ※    ※    ※

 私も少し意見を求められていて、道内に危機感が不足しているのはなぜかという問いに対して、道外には他県というライバルがいるからだろう、と感想を述べました。

 北海道は相手が本州全域であったりして対象が茫漠としていますし、これまではハンデを与えられてやや特別扱いされていました。

 今までのそうした気分は、道内ではごく当たり前に感じられているけれど、道外の空気を吸った者にとっては随分のんびりに写ります。道外で他県の人たちが地域間競争に切磋琢磨する意識を感じた人たちはそれを道内に危機感を持って伝える必要があると思うのです。

 また学校というのは一団の職能の単位で、その職能集団が地域と子供達にどのようなマインドで立ち向かうか、ということは非常に大きな意味を持ってくると思います。

 そうした意味では、一人一人の担任の先生だけではなく、学校自体が知識の注入だけではなく、どのように地域の子供達の問題を総合的に対処して行く基地になれるかも問われる時代になったように思います。

 軍隊にたとえると○○方面司令官である学校長の責任もより重くなっているようです。

 しかし地域の人たちも学校に対して「あれも、これもやってほしい」と注文をつけるばかりではなく、では自分たちは地域の子供基地である学校に何ができるかを考え行動を起こすべき段階にも来ているのです。

 
 全国の子供達の学力問題の泥沼は、「これは地域での総力戦なのだ」と早く気づいたところから抜け出すことになりそうです。

 教育関係者だけではなく、一般の道民の関心を引くことこそが最も大切なアクションと言えるでしょう。 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

旭(あさひ)

2009-09-25 23:41:27 | Weblog
 夕方にどっと疲れが出ました。こういうときはリンゴジュースを飲むと元気が出ます。酸味がよいのかな。

 リンゴといえば、夕べ知人と飲んでいて「知ってる? Apple社のマッキントッシュというパソコンのロゴは食べかけのリンゴですが、あのリンゴは旭(あさひ)という品種なんですよ」と教えられました。

 旭と言えば、皮が赤くて中はさわやかな酸っぱさが広がる品種でその昔は大好きなリンゴでした。最近は見なくなったと思ったら、どうも日持ちがしなくてぼけやすいために好まれないのだとか。

 売れないものは廃れるのが資本主義社会の習いでしょうか。ちともったいないのですが。

    ※    ※    ※    ※ 

 調べてみると、もともとの品種名Mcintoshの和名が「旭」なんだそう。会社名にする時にMacintoshにスペルを変えたみたいです。これは知りませんでした。

 ここまで書いていたら「え?さっきのスーパーに売っていたよ」とのこと。なに!明日買いに行ってみようかな。

 旭なんて何年ぶりだろう…。 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小学校の努力

2009-09-24 23:48:23 | Weblog
 知人の小学校の先生を訪ねて授業参観をさせてもらいました。学校の先生は大変だとよく聞きますが、その実態を見せて欲しいと思っていたのです。

 北海道の小中学校生の学力は全国学力テストの結果でも2年連続下位に甘んじているのですが、それを批判するのは簡単でもどうやってそこから脱出出来るか、各学校レベルではいろいろな取り組みを始めているようです。

 授業でより理解を深めるためには先進的なIT機械の導入も積極的に行われています。今日訪ねた小学校では「実物投影機」という機械がクラスに置かれていました。
 この実物投影機は、プリントや模型などを黒板に貼られたスクリーンに大きく投影出来る機械で、スクリーンはホワイトボードも兼ねており投影された映像を下地にカラーマジックで文字を書き込むこともできます。





 案内してくれた先生によると、「先生が、自分の手元にあるプリントと全く同じモノに書き込みをしてくれると理解度がぐっと上がるんですよ」とのこと。

「原理は簡単で、写して投影出来ればよいのでデジカメとプロジェクターの組み合わせでも良いんです。自前で買っている先生だっていました。でも専用機だとピントの合い方やズームの仕方など実に使いやすくなっていて、先生が悩まずに済むんです」

「最近は学校ごとの自由裁量の範囲で、英語の時間も取っています。でも授業はこれがないとできませんね」そう言って見せてくれたのが電子黒板。

 英語の教材といっても小学生対象のものはゲームみたいなもの。電子黒板には教材メーカーが作った英語教材を投影して、黒板をタッチすると画面が進みます。発音も録音してあるものを聞かせてくれるので先生によって授業の質が変わるのも防げるというものです。

 小学校の先生も教科書だけではなく、IT機器をフルに活用出来なければならないので大変です。



    ※    ※    ※    ※

「先生たちなどはこういう機械の導入への反応はどうですか、いやがる人もいるのではありませんか?」
「いえいえ、ほしがる人ばっかりです。効果があることが分かっていますからね。なかには自前で工夫して投影機材を持ち込む人もいるくらいですから」

 教材は次々に進化しているのですね。

「心配は補正予算がどうなるかですね。これで一気に入れられるかと思っていたところなので…」とも。

 小学校の授業がどうやられているかをたまに見に行ってみてはいかがでしょう。自分が子供だった時代や自分の子供たちの授業風景からも様変わりしていますよ。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぐうたら観光もよし

2009-09-23 23:27:30 | Weblog
 シルバーウィーク連休の最終日。札幌近郊は快晴の一日となりました。

 札幌近郊でどこかへ出かけよう、と言っていたにも関わらず、午前中はなんだかんだで時間を取られて出発が昼過ぎになってしまいました。「あまり遠くへは行けないなあ」ということで、近場で滝を見に行くことに。手稲山から流れ落ちる、星置の滝と乙女の滝をみてきました

 滝の後は小樽へ。小樽観光はなんどもしましたが、天狗山は近くを走れどこれまで一度も登ったことがなかったので行ってることにしました。

 天狗山は標高532.5m、藻岩山とほぼ同じくらいの高さです。ロープウェイは時間にして7~8分くらいなもので、頂上からの小樽湾の眺めは格別です。



 天狗山といえばスキーヤーにとっては超急斜面で有名ですが、夏の急斜面はロープウェイ観光にぴったり。 

 なるほどこれなら小樽の夜景もさぞ綺麗なことでしょう。

 朝早く出発するようなドライブだったら、普段行かないような所へ行こうという思いが強くて遠くへ遠くへと行きがちですが、出発が遅れたことで却って普段行かない近場の観光地を見ることができました。

 ぐうたら観光も案外拾いものです。 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

逆説の十箇条

2009-09-22 23:23:31 | Weblog
 2チャンネルにはゴミにしかならない発言も多いのですが、ときどきキラッと光る宝石みたいな言葉が紹介されたりして知らなかった世界に導いてくれることもあります。そういうのを見つけると目からウロコが落ちる思いがするのです。

「逆説の十箇条」という単語が心に引っかかったのでご紹介します。


---------- 【ここから引用】 ----------
897 名前:Trader@Live! 投稿日:2009/09/10(木) 04:08:16 jlZQbdpG
298 名前:日出づる処の名無し[sage] 投稿日:2009/09/10(木) 04:06:25 ID:dLRpnTnQ
麻生太郎が、壁に貼って、小さい頃から守り続けてる逆説の10か条
マザーテレサも影響うけたみたいだ
マイミクが書いておった。

      ●逆説の十ヶ条●
1 人は不合理で、わからず屋で、わがままな存在だ。
  それでもなお、人を愛しなさい。

2 何か良いことをすれば、
  隠された利己的な動機があるはずだと人に責められるだろう。
  それでもなお、良いことをしなさい。

3 成功すれば、うその友だちと本物の敵を得ることになる。
  それでもなお、成功しなさい。

4 今日の善行は明日になれば忘れられてしまうだろう。
  それでもなお、良いことをしなさい。

5 正直で率直なあり方はあなたを無防備にするだろう。
  それでもなお、正直で率直なあなたでいなさい。

6 最大の考えをもった最も大きな男女は、
  最小の心をもった最も小さな男女によって撃ち落されるかもしれない。
  それでもなお、大きな考えをもちなさい。

7 人は弱者をひいきにはするが、勝者の後にしかついていない。
  それでもなお、弱者のために戦いなさい。

8 何年もかけて築いたものが一夜にして崩れ去るかもしれない。
  それでもなお、築きあげなさい。

9 人が本当に助けを必要としていても、
  実際に助けの手を差し伸べると攻撃されるかもしれない。
  それでもなお、人を助けなさい。

10 世界のために最善を尽くしても、
  その見返りにひどい仕打ちを受けるかもしれない。
  それでもなお、世界のために最善を尽くしなさい。

これが、麻生太郎の強さの秘訣だ

ーーーー
惚れた!


905 名前:Trader@Live! 投稿日:2009/09/10(木) 04:12:25 gkaT+6vc
>>897
この出典しってるわ
誰かがみつけてきて
「麻生総理とぴったりだね」って言ってたもの
麻生総理が壁に貼ってるとは書いていなかった気がする・・・


912 名前:Trader@Live! 投稿日:2009/09/10(木) 04:15:58 jlZQbdpG
>>905
実際に貼ってるのは、原本の方だろうな

The Paradoxical Commandments
Finding Personal Meaning In a Crazy World
by Dr. Kent M. Keith

People are illogical, unreasonable, and self-centered.
Love them anyway.

If you do good, people will accuse you of selfish ulterior motives.
Do good anyway.

If you are successful, you will win false friends and true enemies.
Succeed anyway.

The good you do today will be forgotten tomorrow.
Do good anyway.

Honesty and frankness make you vulnerable.
Be honest and frank anyway.

The biggest men and women with the biggest ideas can be shot down by the smallest men and women with the smallest minds.
Think big anyway.

People favor underdogs but follow only top dogs.
Fight for a few underdogs anyway.

What you spend years building may be destroyed overnight.
Build anyway.

People really need help but may attack you if you do help them.
Help people anyway.

Give the world the best you have and you'll get kicked in the teeth.
Give the world the best you have anyway.

---------- 【引用ここまで】 ----------

 どうやら原典は、ケント・M・キース著「それでもなお、人を愛しなさい―人生の意味を見つけるための逆説の10カ条」という本のようですね。



 敬虔なカソリックのキリスト教というこを前提に考えるべし、といったようなコメントもありました。クリスチャンであった麻生前総理とはいえ、壁に貼ってあったかどうかは定かではありません。

 こういうのは気づいた時に記録しておかないとすぐにまた情報の海に潜ってしまいますのですぐに保存しておくようにしています。

 いずれにしても、「そうあれたらいいなあ」という思いがする十箇条ではあります。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

全国まちづくり大会 in 川崎市

2009-09-21 23:21:48 | Weblog


 今日と明日は全国からまちづくりに関わる人たちがあつまる全国まちづくり大会、会場は川崎市です。

 初日の午後のキーノートスピーカーは、農水省官房政策課企画官で、今やまちづくり男の代名詞となっている木村俊昭さん。小樽市役所職員から国に出向し、月の半分は地方で講演をしているそうです。

 木村さんは地域で講演をする時はその前後に必ずその地域の金融、農協、漁業、役場職員などの地域のリーダーの話を聞くことにしているのだそうです。

 そんな木村さんがまちづくりの上で考える五つのポイントという話しをしてくれました。

 木村さんの五つのポイントとは、
①まず行政職員として感じたのが、職員がとにかく数字に追われていること。セミナーを開催すれば集めた人数に追われ、企業誘致でもある年成功したら翌年はその倍に、さらに倍にするということを求められる。
 しかし地元の現状と未来を考えるとそんなに数字が増えることばかりを求めていて良いのか、ということが疑問でした。


②二つ目は、行政としてあまりにも地域経済分析をしていないことに気がついたこと。
 ここで使うお金は地域のどこにどんな影響を与えるのだろうか。ある産業は誰が担っていて次にその産業を支える人たちはどこから来るのだろうか。
 そんな、自分たちの町の実情を本当に理解せず、まともに分析もしないままに、目の前の課題を解決するためにやみくもに対策(と思われること)をしようとしているのではないか。


③三つ目に、地域で光り輝いて活躍している人がいるのにそれが尊敬されたり評価されることがないこと。
 岡山ではそれに気がついて、お互いに褒め合おうという運動を進めている。それをすることで活動にモチベーションが湧いて活性化が進むということがある。そういうことを仕組みにして行かなくてはダメだと思う。


④四つ目は、産業も担い手も地域内で育てると言うことが希薄だったのではないか。自分たち自身が自分たちの町を理解していないと、外に出た時に地域間比較ができない。自分の町を知り、自分たちの町を育てるという訓練が必要だと思います。


⑤最後に、これまでやってきたことは全て部分最適を求めすぎることなのではないだろうか、ということ。

 中心市街地が寂れたとなれば中心市街地に人を呼ぼうとするが、それは他の事業や産業経済にどう繋がるのだろうか。工業団地に企業を呼ぼうと思えば税金をまけてやり、企業がいても地域経済はプラスにならない。
 結局、全体としての最適がどこにあるかを見つめることがおろそかになっていたのではないか、と思っている。
 
    ※    ※    ※    ※

 ある町で、学校の先生から話を聞いてショックを受けました。

 その先生は、「この県にはもう未来はないし、この町ももう廃れる一方だ。だから子どもたちに言っているのは、君たちがこの町に生まれたことは不幸だ、だから小学校中学校で死ぬほど勉強してこの町を出て行け、ということ。町の外の高校に行き、大学で県外へ行く、そしてこの町に戻ってくるな、と言っているんです」と言ったのだと。

「先生、それはおかしいでしょう?この町に愛着をもてないような教育で、だれが明日の地域を担えるのでしょうか」 

 まちづくりがまちづくり家だけでやっては行けないと思うのは、各自がよかれと思って思い思いの方向に力を注ぐために、全体としては打ち消しあってどこにも進めないということが起きていることもあると思います。

 だから、役場だけではなくて、農業からも、漁業からも、地方金融からも、教育からも、ありとあらゆる関係者がみんなで全体の最適な方向を語る場が必要だと思うんです。

 ゆきあたりばったりとは言わないまでも、全体最適を求めるような活動を始めましょうよ、と言いたいのです。

    ※    ※    ※    ※

 いつもながらの熱弁でした。

 地域が将来のために出せる資源が年々歳々少なくなっています。福祉やこれまでの財産の維持管理など、目の前の課題を解決することに精一杯になってきているからです。

 だからこそ、残り少ない資源を集中的に集めて、地域の将来を担えるような起業家や人材を生み出すことに使う必要があるのです。

 それだけの町がそうしたことに気づき、行動出来るかが問われます。
 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする