北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

「東京ミドル期シングルの衝撃」を読む ~ おひとり様社会はどこへ行く

2024-05-18 23:39:56 | 本の感想

 

 『東京ミドル期シングルの衝撃~ひとり社会の行方』という本を読みました。

 我が国が人口動態を俯瞰する中で、男女とも一人で暮らしているいわゆる「シングル」という生活形態に着目し、その背景を探りつつ、今後の課題を明らかにしようとする切り口です。

 発端は東京都新宿区での2013年の調査とフォーラムが始まりでした。

 ここでそれまであまり行政的課題の対象として注目されていなかったミドル期(35歳~64歳)の一人暮らし(「ミドル期シングル」と呼ぶ)について様々な側面から調査研究が始まりました。

 この人口の塊に対して本書は四つの側面があるとして、「当事者的関心」「市民セクターの関心」「行政的関心」「市場的関心」を揚げています。

 今のところ何の問題もなく暮らしているように見える「ミドル期シングル」の人たちですが、人口動態としては明らかに若くなるにしたがって増加の傾向が伺えます。

 歴史的な背景の一つは、1950年代から始まる「地方から都会への大量移動」であり、多くは結婚して「生殖家族」をなすまでの"状態"であったと指摘され、ほぼ問題のなかったフェーズです。

 次に登場したのが「女性死別高齢者」の出現です。背景は高齢人口そのものの増加や子供との同居の現象、男女の平均寿命の差、年金による経済的自立の高まりなどが指摘されますが、そろそろ女性の「低所得リスク」や「要介護リスク」などが注目されてきたころです。

 さらに次に登場したのが「未婚ミドル期の増加」というフェーズです。

 これはまず男性に顕著に現れて、2005年、2010年国勢調査でも大きくその数が増えています。

 ただ、単に未婚と言うだけでは、経済的にしっかりした未婚者もおり、課題は非正規雇用の低所得者問題であったり、あるいは親と同居する無配偶者が親亡き後のリスクをどうするかなどといった視点の調査が行われています。


 本書の視点は、これらの既往研究を踏まえつつ、ミドル期のシングル者における「親密圏」がどう変化しているのかに注目している点です。
 
 「親密圏」とは、日常的にお互いの活動を通じて当人の情報を共有できている人々で形成する人間関係の圏域として使われていて、かつては夫婦、親子という家族がそうでした。

 しかし、近代家族の解体や個人化が進んだ現代では家族システムの動揺が生じています。

 一人で暮らす人たちは、親密圏の機能をどのように調達して満たしているのか、またこれらの人々が一たび病気や介護に陥った際にどのように対処するのでしょうか。

 さらには日常の暮らしの充足感や満足感、幸福感は何によって得られているのでしょうか。


      ◆

 
 本書ではミドル期シングルという世代に着目したことによって、社会もさまざまに備えて行かなくてはならないことが示されています。

 面白かった点をいくつかご紹介します。

 まず東京で未婚のシングルが男女とも増えている背景ですが、これを東京圏郊外から東京区部に移った人たちがシングルのまま暮らしそのままミドル化しているという仮説を立てています。

 そしてこれを敷衍する形で、日本全体でも地方部から都会へ移動した人口が生殖家族をつくることなくシングルにとどまっているのではないかという仮説も上げられます。

 「人口移動によって出生率が低下する」という数多くの研究例がこれを明らかにしています。

 女性の社会進出が晩婚化を招き、→出生率が低下、→結婚や出産への価値観の変化→女性の社会進出が増加する、という少子化のメカニズムがあるのではないか、という指摘です。

 さらに後段では、男性の場合は未婚であってもそれは将来結婚するまでのモラトリアム期間であって、焦ることなく晩婚化が進んでいるのだと。

 一方女性の側も男性が結婚しないのであれば、女性の側も一人で暮らしてゆけるように社会進出という形で適応し、それらの結果として結婚しないままモラトリアム期間を超えてしまった男性が大量に発生し、男性が結婚しないのだから女性も結婚できないままシングルが続く、というループも存在しているのではないか、という指摘もありました。


 いずれにしても、かつては課題・問題のなかった人口カテゴリーのミドル期シングルですが、今後これが増加すると、やはり介護や日常の暮らしサポートをどこに求めるのか、ということが課題になってきます。

 それをただ「それにそなえた社会システムを作ろう」と唱えるだけではいささか不十分で、問題は、その担い手が地域の中で十分に確保できるのか、ということになります。

 行政の予算や個人の貯蓄だけの問題ではなく、労働供給量としての担い手がいなければ、いくらお金があってもサービスは受けられないのですから。

 
 私はこの本を読む前から、地域で暮らす住民は様々な問題を解決できる多能工でなくてはならない、と考えています。

 そしてシングルの増加によって生じる社会的需要に応える労働サービスに対しては、自らも参加して供給側に回るような取り組みが必要ではないかと思っています。

 
 我が国が高齢化社会を迎えることは自明ですが、その内訳にシングル者が増加するという要素を加えたときに、高齢化社会への行政としての対応はいかにあるべきか、一人ひとりの個人としての備えはいかにあるべきかを考えさせられます。

 ご一読をお勧めします。

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「経済評論家の父から息子への手紙」を読む

2024-04-18 23:01:35 | 本の感想

 

 『経済評論家の父から息子への手紙』(山崎元著 Gakken)を読みました。

 経済評論家の山崎元さんは、1958年北海道生まれなので私と同い年。

 札幌南高校から東大へ進学し、卒業して三菱商事に入社した後に野村投信、住友生命など12回もの転職をしつつ、その間経済解説や資産運用のコンサルタントとしてメディアに登場するようになりました。

 答えを先に言うと、山崎さんは今年2024年1月にガンのために亡くなりました。

 2022年に喉頭ガンがわかり治療をしたのですが、2023年にガンが再発し余命を感じたときに、東大に合格・進学したことを祝った息子への手紙を書きました。

 それを「我ながら良い手紙になった」と出版社に見せたことが、「これをベースに若者たちへのメッセージを本にしませんか」という話になり、余命3か月あれば書こうということで執筆したのがこの本です。

 余命を感じていた中だったでしょうが、本書の中にもしばしば登場するように「変えられない過去はサンクコストとして諦めればよい」と、暗いところが一切ありません。

 それよりは、前に向かって未来に何が得られるかという視点に貫かれていて、それは生前の山崎さんの経済コンサルタントとしての生き様に合致したものになっています。


     ◆


 内容は、自分の人生経験から、「第一章 働き方・稼ぎ方」、「第二章 お金の増やし方と資本主義経済の仕組み」として、株式投資の意味とそれの利用の仕方、また投資をするときのコンサルタント的な指導がふんだんに盛り込まれています。

 そのうえで父親らしいアドバイスがちりばめられた「第三章 もう少し話しておきたいこと」と「終章 小さな幸福論」で著者の人生哲学が語られます。

 山崎さんは幸福の源について、「人の幸福感は100%、『自分が承認されている感覚(「自己承認感」と呼んでいます)』でできていると思う」と結論付けました。

 また「モテ具合」も重要のような気がする、とも書いています。

 そして「モテるための秘訣は、自分を語らずに相手に興味を示してひたすら聞くことだ」とも。

 息子への結論は、「モテる男になれ。友達を大切にしろ。上機嫌で暮らせ!」ということで、お金などはそれを実現しやすくするための手段でしかない、と。

 お金などは、幸せを実現できる程度にあれば良くて、多ければ多いほど良いとか、それを目的にするようなものではない、とも。

 
     ◆


 巻末には、実際に著者が息子さんに当てた手紙の全文が掲載されています。

 涙を誘うのは以下の一節でした。

 "一つだけお勧めしておこう、子供はできるだけ早く持つと良い。…世間でいうと叱られそうだが、特に息子はいい。自分の息子が可愛いと思う時に、かつて自分の父親は自分のことをこんなに可愛いと思っていたのかと、感じ入るときがあるのだ"

 親から自分、自分から子供へと世代が移り変わってゆくときの親の心情を表して余りある文章です。

 
 働いて、稼いで、幸せに生きるための父親からのメッセージ。

 ご一読をお勧めします。

  
 

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「人はどう老いるのか」(久坂部羊著)を読む

2023-12-29 23:43:24 | 本の感想

 

 久坂部羊(くさかべ・よう)著「人はどう老いるのか」(講談社現代新書)を読みました。

 著者の久坂部さんは麻酔科医、外科医として活躍された後に外務医務官として外国に長く赴任、帰国後は医療の最前線での活動を諦めて高齢者医療に携わりつつ小説家としても活躍されている方です。

 長く高齢者の生き方に寄り添った経験を基に、文筆家として現代の高齢化社会に対して警鐘を鳴らすのがこの本です。

 著者の主張は本の帯にある通り、
・老いの現実を知るべし
・医療への幻想を捨てるべし
・健康情報に踊らされないこと
・あきらめが幸せを生むと知るべし、と言うことに尽きます。

「そんなことは知っている」と言う人がいますが、知識としてそのことを知っていても次第に老いが進む中で心構えとしてそれが身につけないと「不幸な老人になりますよ」と久坂部さんは言います。

 大体が老いて不幸になる老人は「事前の準備が足りない」のだと。

 長生きということはどんどん老いが進んでゆく日々を過ごすことであり、老いが進むことで体には筋肉、内臓、記憶、思考などに様々な不具合が生じます。

 それを「まあこの歳なんでそんなものでしょう」と老いの現象と付き合える人は"幸せな老人"で、「こんなはずではない、まだまだ自分は若さを取り戻せる」と現状に甘んじることができず抵抗する人ほど"不幸な老人"なのです。

 もちろん人には個人差がありますから、歳を取るにしたがって見た目にも運動能力にも健康の度合いにも差が出てきます。

 しかしいつまでも若々しい人を見て、「自分も努力やお金をかけて食事やサプリや薬を飲めばそうなれるはず」という理想を追い求めすぎることにはどうしたって無理がある、と。

 老いとともに生じる病気や不具合も医療がなんとかしてくれるはずだ、というのも幻想だと著者は言います。

 それらを称して著者は「下手に老いて苦労している人は"油断"しているのだ」と断じます。

 大切なことは老いるとどうなるか、ということを予習しておくことで、この先に起きることをあらかじめ知ったうえで、最悪にならなければ良し、最悪になっても「まあ今生の人生はこんなものか」という境地に達することが幸せへの道なのです。


      ◆


 最近は朝早起きをするようになって、早朝にやっているラジオ番組を 聞きながら朝の用意や食事をして出かけるのですが、朝の番組にはもちろんやらないよりはやった方が良いような情報に交じって、「これを飲めば健康が続く、維持される(のではないか)」と思わせるような商品の情報がさりげなく散りばめられています。

 歳を取ると案外お金を使わなくなるので、心の安寧を得るための出費と思えばそれもそうかもしれませんが、はたから冷静な目で見ると「そんなことにお金を使うんだ」と思うようなことも結構あるものです。

 そう思わせるのが上手なビジネスだという側面もあって、他人を見て憂うよりは「せめて自分だけは冷静でいたいものだ」と思うようにしたいものです。


      ◆

 著者は「老いたら欲望が不幸の元だ」と言います。

 あるお年寄りが「もう終活で家の整理をしたいんだけれど、体力がなくてそれもままならない」と嘆く姿を見て、「それも欲望ですね」と言い、言われた相手が驚いた、という場面を描いていました。

 欲望とは「健康を取り戻したい」とか「若々しくいたい」というようなものだけではなく、「家の整理をしたい」、「〇〇したい」ということも欲望なのだと。

 全ての欲望を取り去ったお釈迦様の境地に至ることは凡夫たる我々には土台無理なことかもしれませんが、そこだけは「そうありたい」と願いたいものです。


      ◆

 人が死期を迎えれば最後はもう静かに見守ってあげましょう、ということも著者は強調します。

 死期を迎えつつある人に「ガンバレ」ほど意味のない言葉はありません。今さら頑張って死を先延ばしにすることは往々にして苦しみを長引かせるだけと言う現場を数多く経験している著者だから言えることでしょうが、その経験こそ、人生の予習の素材としたいものです。

 高齢化が進む社会を生きるための教科書の一つになり得る本だと思います。

 

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「未来の年表 ~ 業界大変化」を読む 必ずそうなる人口減少に、企業は自分自身はどうあるべきか

2023-01-10 23:05:54 | 本の感想

 

 最近話題の書「未来の年表シリーズ」の「未来の年表 業界大変化」を読みました。

 我が国の人口減少に警鐘を鳴らす本は多いですが、具体的な職場や「仕事の現場」を想定しながら「今後このようなことが起きますよ」と書いているのが特徴的な「未来の年表」シリーズ。

 今回は「業界大変化」ということで、人口減少が様々な業界にどんな変化をもたらすかについて詳報しています。

 この本ではまず人口減少によって単純に人(働き手)の実人数が減るだけではなく、「消費者も減るダブルの縮小」に襲われるのだ、と警鐘を鳴らします。

 働き手の問題だけであれば、人間の手を機械に置き換える「機械化」や考えることも機械に置き換える「AIの活用」、さらには効果とメリ・デメには問題がありそうな「外国人労働者の大量受け入れ」あるいは「移民の受け入れ」などが考えられますが、後者では減る人数をカバーするだけの受け入れは現実的ではなく、そうなると生産の部分を効率化しても「市場が縮小する」ということは避けられないという現実が突き付けられると著者は言います。

 具体の事例としてこの本では、「整備士不足で事故を起こしても車が直らない」、「IT人材不足で銀行トラブル続出」、「ドライバー不足で10億トン分の荷物が運べない」、「30代が減って新築住宅が売れなくなる」など、様々な業界の未来予想をしています。

 私の業界でいうと、「老朽化した道路が直らず放置される ~ 建設業界に起きること」という項目の中で、人口減少が明らかになっている中では建設需要が伸びることは考えにくい、と言います。

 しかしそんななか一筋の光明は老朽化対策で、インフラ更新のための建設投資は増加が見込まれます。

 建設業界にとっての人口減少の影響は、上記よりは不人気業種ゆえの「就労者の減少」と言う形で現れるでしょう。

 長時間の肉体労働は嫌われ、また高学歴化でも肉体労働者は減少、それでいながら高付加価値で働こうとすれば施工管理技士などの資格が必要で、それへの成り手も減少することになると、建設構造物を作れる人材は一気に減少してゆきます。

 実際私が(一社)北海道舗装事業協会に勤務していた5年前に、会員企業全社を対象に技術者の年齢分布を調べてみたところ、このようなグラフができました。

 今はこのグラフが五年進んだ形になっているわけで、60歳を過ぎても働くということを加味しても、60歳代の人たちが消えてゆく人数を補うだけの若者はこの世界に入ってくることは考えられません。

 これを効率化でどこまで補えるのか。未来を考えると途方にくれるばかりです。

 
     ◆


 とはいえこの本では、ただ人口減少の恐怖をあおるだけではなく、各業界、各企業に対して人口減少社会を迎えるにあたっての対応策を「人口減少に打ち克つ『10のステップ』」として提示してくれています。

 その1は「量的拡大モデルと決別する」ということ。量的拡大を求めるための投資はいずれ経営の重荷になるでしょう。

 その2は「残す事業とやめる事業を選別する」こと。事業の多角化は人口拡大局面ではやれても人口減少局面では不利になります。

 組織体力のあるうちに、「残すもの」と「やめるもの」を選別して残すべきものに人材も投資も集中させることを勧めます。


 …というわけで残りの処方箋はこの本をご覧いただくことにいたしましょう。

 問題は企業としてのふるまいもそうですが、では自分自身はどうあるべきか、何をすべきか、と考えることでもありましょう。

「会社はなにもしてくれない」と嘆きながら不遇をかこつくらいなら、自分自身での身の処し方も考えておかなくてはなりません。

  
 いずれにしても必ずくる人口減少局面への対処は早く始めなくてはどうにもならなくなる時期が近づいていることを実感させてくれる本です。

 ご一読をお勧めします。

 

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「官僚が学んだ究極の組織内サバイバル術」を読む ~ 掛川市長さんの本

2022-09-28 21:47:33 | 本の感想

 

「官僚が学んだ究極の組織内サバイバル術」(久保田崇著 朝日新書)を読みました。

 内閣府の官僚として霞が関の中で仕事をするうえでの仕事の作法に始まって、直面する様々な壁や障害への対処の方法、そして部下としてあるべき振る舞い方、中間管理職としての振舞い方、最後にはトップとしての振舞い方までこれまでの人生の中で培った組織の中を生きる指南書。

 著者の久保田さんは今は掛川市の市長でもあり、まさにトップとして大勢の部下を指導しながら政策を実現する立場です。

 しかし本書は新人のペイペイの頃の失敗談もあけすけに披露しながら、そこから得た教訓によって自らが成長してきた過程を紹介する具体的なサバイバル術の紹介にもなっています。

 久保田さんは内閣府の官僚時代に、被災地でのボランティアをしたことが縁になって、東日本大震災で被災した越前髙田市の副市長就任を打診されます。

 2011年、弱冠35歳の時の話です。

 越前髙田市は東日本大震災の被災自治体の中でも最大の被災地の一つと言え、死者行方不明者は1,700人を超え市役所も全壊した状態だといいます。

 本の中で著者は「自分自身の経験がこのような非常事態に役に立つのか、考えれば考えるほど不安でしかありませんでした。…しかしその反面、非常にやりがいのある仕事にも感じました」と決意を述べています。

 国家公務員は紙一枚の人事異動でどこにでも飛ばされる、と言われますが、実際はこのような通常ではない人事異動は本人の意思と決意が尊重されます。

 誰も知っている人のいない組織へ飛び込む不安、そこで期待される働きができるのかどうかの不安など、わけのわからない未来に飛び込むには自分自身にその覚悟がなければ務まらないからです。

 私が掛川で経験した以上の大変さを私よりもずっと若くして経験されているからこその、まさに上司、同僚、部下、そして組織の中でどうやって仕事をこなしてゆくかの知恵の一書です。

 そんな著者のサバイバルのための一丁目一番地は、「組織内の敵は人間関係である」というこの一点です。

 そしてどうやって組織の中で人間関係を築きそれをより良いものにしてゆくかのノウハウが著されているのが本書です。

 具体的には、「最も注意を払うべきは直接の上司」「内なる人脈を作れ」「敵を作るな」「正攻法がダメなら…」「部下の仕事を奪うな」「大きな壁こそチャンス」などがあり、加えて「ブラックな職場からは身を守れ」と、何から何までぶつかって突破することが最善ではないというのは極めて現実的です。

 さらには「こんな上司にはどう対応するか」では、いかにも霞が関にいそうな苦手なタイプの上司の姿が描かれ、それへの対処が示されます。

 それ以外にも「部下を持ったらどうするか」「敵を作らないためにはどうするか」などの具体的な方法が示されます。

 これができれば霞が関の荒波を超えて行くことも平気になること請け合いのスキルが満載です。


       ◆

 
 しかしノウハウが示されたとしても、それを自分自身が実践することはなかなかに大変です。

 仕事の処理能力は前提であり、そのうえで忍耐や勇気、逃げない胆力など、書かれていない自分自身の能力が備わっていることが前提だからです。

 こうした前提条件がそろっているからこそ習得できたとも言えそうです。

 トップとしてのあるべき振舞いも理解されているので、市役所職員はきっと仕事がしやすいだろうなあ、とうらやましくもあります。

 組織の中で長く仕事をした自分としては、「もっと早く知っていれば楽だったろうなあ」と思うので、若い組織人には人生の早い段階で読んでおくことをお勧めします。

 そうそう、来週お会いした時にはサインをもらおうと思います。(笑)

 

 

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塩野七生著「ギリシア人の物語」を読んで、ウクライナ戦争とリーダーのあり方を思う

2022-03-04 21:00:57 | 本の感想

 ちょうど塩野七生さんの歴史小説「ギリシア人の物語(全3巻)」を読み終えたところでウクライナへのロシア侵攻が始まり、いやがうえにも戦争、民主主義、リーダー、国の隆盛と存亡について考えざるを得ません。

 「ギリシア人の物語」は、紀元前900年代から紀元前200年代中期にかけてのギリシア人とギリシアの都市国家の物語です。

 ただ第三巻は、ギリシア人とはいえギリシア北部に興ったマケドニアの若き王アレクサンドロスによる東方遠征によって、エーゲ海~エジプト北部~中東~インダス川まで版図を広げた英雄譚に割かれています。

 ギリシアの歴史の始めからその隆盛期に至る過程はアテネやスパルタをはじめとする都市国家が一つの単位となって、自らをどのように安定と幸福に導くかの都市国家間競争の様相を呈します。

 その歴史の過程で頭角を現してきたのがアテネとスパルタと言う、これでも同じギリシア人なのかと思わせるような風合いの違う二つの都市でした。

 方や、祖国の防衛に生涯をささげる『戦士』しか意味しない市民による統治を貫いたスパルタと、一方、政治改革を重ねて職人も商人も農民も市民集会に市民として参加し、自分たちのリーダーを自ら選べたアテネ。

 自国の繁栄のみを目指したスパルタに対して、ギリシアの都市連合によって経済的な繁栄をめざしたアテネ。

 ある時期に東からの大国ペルシアの西進に対して、アテネを中心とした連合軍で二度にわたってこれを退けることができたのは、都市国家の中で相対的に有力だったアテネ力が源でしたが、それは一見民主制によって適切なリーダーが選べたから、と後世の我々は思いがちです。

 しかし作者の塩野さんは、「アテネの民主制は高邁なイデオロギーから生まれたのではない。冷徹な選択の結果と必要性から生まれたのだ」と言います。

 そして戦争に勝ち権益を広げて平和で豊かな時期をすごせたのは、また時代に応じた政治改革が行えたのは、結果的に優れたリーダーを選ぶことができたからです。

 しかし実際、アテネの長い歴史を見ると民主制のなかでも優れたリーダーを陶片追放で追い出してみたり、時の感情に任せて不適切なリーダーを選んだこともあります。

『しかし王政、貴族政、民主政、共産政と変わろうと、今日に至るまで人類は、指導者を必要としない政体を発明していない』と塩野さんは言います。

 民主政でも衆愚政でもリーダーは存在する、ただし性質は違う。

 民主政のリーダー … 民衆に自信を持たせることができる
 衆愚政のリーダー … 民衆が心の奥底に持っている漠とした将来の不安を煽るのが巧みな人

 歴史を学ぶことができ現代を生きる私たちも、真に良いリーダーを選べなければ、衰退の未来を招きかねないということは歴史上の事実だと理解しなくてはなりますまい。


      ◆


 現下のロシアによるウクライナへの武力侵攻を憂うばかりですが、この先の両国そして両国民の未来を考えたときに、歴史はどのようにリーダーを書き記すことになるのでしょう。

 国同士の相互の関係性が著しく深まった現代社会は、力だけが支配できる時代ではありません。

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「世界100年カレンダー」を読む ~ 米中人口戦の行方もばっちり予測

2021-11-09 21:35:43 | 本の感想

 

 『世界100年カレンダー 少子高齢化する地球でこれから起きること』(河合雅司著 朝日新書)を読みました。

 帯には「米中人口戦、アフリカ対等、未来の姿がここに」とあります。

 世界の推計人口を調べてみると、私が子供の頃は世界人口は約30億人弱、物心ついた中学生くらいの時で35億人くらいだったものが、その後一貫して増加の一途をたどり、2020年では約80億人にも達したのだそう。

 しかし人口の増加によって、資源の消費が増大し温暖化ガスを代表に、外部経済性の問題が明らかになってきました。

 その間、日本はちょうど良い頃に人口が増加したことによって経済的恩恵を大きく受けた代表的な国の一つでしょう。

 ところがご承知のようにいまや日本は世界に先駆けて人口減少と少子高齢化の洗礼を受ける課題先進国です。

 社会が発展すると、医療が普及し乳幼児死亡率は低下し、多産である必要がなくなってきます。
 
 同時に経済的に豊かになり女性の社会進出が進み、避妊への意識が始まるとともに、「子宝は収入をもたらす」から「多くの子をもうけることは貧困につながる」と意識も変化してゆくのです。

 必然的に成熟した社会では多産から少産へと変わり、人口減少へと移り変わって行くことになるのです。


     ◆


 ところが世界にはまだまだ21世紀中に人口が伸びる国と地域があり、その代表例がインドに代表される南アジアからアフリカにかけての開発途上国。

 2100年の世界の人口を予測すると、一位はインドで10億9千万人、続いてナイジェリアが7億9100万人、中国は今世紀の半ばで人口ピークを迎えて2100年時では第3位の7億3200万人、以下アメリカ、パキスタン、コンゴ、インドネシアと続き、日本は世界の中で一人負けの38位の6000万人という予測が出ています。

 この本では、今世紀末までの80年間の人口の変化を予測して、人口を基盤とした経済の優劣を論じていますが、余程の大きな考え方の変化がない限り、この予測の通りになるだろうというのが人口論の怖いところ。

 また最後の方では今後の米中の人口戦の予想を立てています。

 著者の見立てでは、中国は今後の早い段階で経済規模がアメリカに追いつくものの、急速な少子高齢化によって今世紀中盤にはその勢いを失うだろうという予想。

 一方アメリカは、国のかじ取りによっての振れ幅が大きいものの、今のように移民を受け入れている限り若年者の流入により社会が若さを失うまでにはまだ時間がかかり、人口も増加基調が続くとしています。

 人口をベースにした米中の争いでは、まだ勢いを延ばす中国に対して、衰えを見せるまでの間にアメリカと価値観を同じくする同盟国側が切り崩されずに堪え切れるかどうかが鍵なのだと。

 一方一人負けの日本ですが、社会保障、国の経済規模の維持など様々な少子高齢化の荒波を世界の先頭で受け続けることになりますが、だからこそその課題を一つずつ克服するアイディアは今後の世界の人口減少を救う灯になりうるのだと。

 なかなかに刺激的で、日本と世界の近未来の姿が頭に描かれているかどうかで、目指すべき方向性も変わるかもしれません。


 さて翻ってわが身を考えると、やはり軽々しく隠居などとは口にせず、体も気持ちも動くうちは社会の片隅で一隅を照らすような貢献をすべきなのか、と思わせてくれます。

 老人が世話になる側に立つか、世話をする側に立つか、その割合はいかほどか、ということだけでも世の中の在り様は変わってくるでしょう。

 元気な年寄りが動き続けて社会を支え続ける様子を"サムライスピリット"として世界に示してやりたいものです。

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「野生化するイノベーション」を読む ~ 長い日本の低迷のカギはイノベーション不足にあり

2021-11-02 22:42:16 | 本の感想

 

 イノベーションとは時代を買える新期的な発見や技術開発のこと。

 社会が進歩するためには新たな技術開発は欠かせず、国の経済が発展するかどうかもイノベーションが起きているかどうかは大きな要素ですし、そもそも国単位でイノベーションを作り出す力があるかどうかは大きな問題です。

 経済評論家の多くは、「日本にもっとイノベーションを起こさないと国家が廃れてしまう」と現在の国情を憂いていますが、ではイノベーションとはどのように発生し、またそれを生かすためには何が必要で、さらにはイノベーションが起きたとしてその功罪はどのようなことになるのか、についてはあまり発言していません。

 今回は『野生化するイノベーション』(清水 洋著 新潮選書)を読みました。イノベーションとはどのようなものでどんな性質を持ち、その功罪、そして日本と国民一人一人の心構えを説く実に良い本でした。

 イノベーションの好例としては、内燃機関や電気などその後の生活の歴史を塗り替えるようなものですが、それを『野生化』というメタファ(比喩)で著したところが面白い切り口です。

【野生化というメタファの意味】
 イノベーションの性質は、野生化した動物に例えると割とすっきり理解できるのではないか、というのが著者のアイディア。
 
 それはイノベーションの新技術は①ビジネスチャンスに向かって『移動する』こと、②『(都合よく)飼いならせないこと、③ある意味人間社会を『破壊する』ことなどが、野生動物の振る舞いに見える、ということです。

 良い技術が生まれてもそれを経済的なメリットとしてビジネスに繋げられなければ、イノベーションにはなりません。

 しかし簡単に思うように生まれるわけでもないし、さらにはイノベーションによって歴史の向こうに追いやられる仕事や人がいることで、社会を乱暴に破壊することもあるのです。

【時間差が抵抗を呼ぶ】メリットは遅くデメリットは早い
 また、イノベーションはコア技術が誕生してもそれを生かすための素材技術やその利用を認める法律などの周辺条件が揃って真にメリットが発揮できるまでには時間がかかります。

 しかしそれでいて、新技術により既存の雇用や技術は短時間に失われ、それによる社会的な抵抗が強く現れます。

 ところがそうした社会的な受け入れがしやすい社会(国)と受け入れにくい国があります。

 イノベーションによって失われる仕事や雇用、企業はさっさと失わせてしまい、次の効率的で生産的な仕事や会社に受け入れさせれば、被害は少ないと考えるアメリカのような国は、やはりイノベーションが生まれやすい社会と言えます。

 アメリカが失業率が高いというのは、そうやって古い非効率な産業から人が出てくる「人材の流動性が高い社会」を先行している国柄と言えます。

 それに対して日本では、失業による痛みを非常に恐れる社会と言えるでしょう。

 企業はできるだけ解雇をせず社内に留める努力をする傾向にあり、しかしそれはとりもなおさず非効率や低い生産性を内在したままで低利益に甘んじるという選択にもなっているのだと。

 著者の清水さんは、そうした日本的経営による企業行動は流動性による失業が増えることのデメリットを防いでいるとも言えるが、結果的にそれがイノベーションを妨げており、そのままでは日本の将来は衰退の危機を迎えるのではないか、と警鐘を鳴らしています。

 またイノベーションに向かう投資についても、アメリカは軍事産業を背景に膨大なイノベーションの種を生み出す基礎研究に対して国として投資をしているが、日本はそれを担う大学への投資が非常に細っており、将来イノベーションの種が生まれにくくなると憂慮しています。

 また膨大な研究の結果、日本に経済的格差が広がっているのもイノベーションが減少していることが原因の一つであるという分析もあり、決して単純な「自己責任論」に陥るべきではないといいます。

 イノベーション選好の社会にするためには人材の流動性が必要で、そのためには失業が増える。その一方で、それを避けるために雇用を守る温かみのある企業経営ではイノベーションは期待できない。

 日本がイノベーションで世界をリードする尊敬される国でいようとするならば、社会の痛みを受け入れてそれは社会で補償し支えあうような気風であるべきだ、というのが著者の結論のようです。

 我々一人ひとりも、今の現状に拘泥するのではなく常に新しいものを受け入れて、リスクを取り冒険を許容するような野性味が必要なのだ、というのが著者がタイトルに込めた思い出もあります。

 総じて、イノベーションを取り巻く社会学的な研究成果を縦横に論じながら、現代日本の憂いあるべき姿を示しているという点で非常に良い一冊です。

 日本の長い低迷の原因をイノベーションを切り口に快刀乱麻を断つ思い。

 もう良い歳になった自分には、若者に期待するとともに、若者をいろいろな切り口で支援する立場でいたいと思わせてくれます。

 機会があればぜひご一読をお勧めします。


 さらに言えば、イノベーションが成立するためには私有財産制を認める社会であるという前提が必要で、「それを果たしたのが1215年のマグナ・カルタである」とか、 資本を集めやすくするために有限責任と言うシステムを成立させた画期的な出来事が「東インド会社である」などといった説明があれば、歴史の勉強はやはり必要なんだなあ、と膝を叩いた点も付け加えておきます。

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物事はデータで語りましょう ~ 「日本の構造 50の統計データで読む国のかたち」を読む

2021-08-26 21:49:19 | 本の感想

 

 「日本の構造 50の統計データで読む国のかたち」(橘木俊詔著 講談社現代新書)を読みました。

 日本の現代社会を統計データという数字で理解しようという本で、経済だけではなく、教育・労働・賃金・生活・老後・福祉・地域格差・財政と多岐にわたるテーマで論じられています。

 統計は、過去の記録をたどることで「今」を表す独立的な指標だけではなく、過去からの変化の様子やどれくらいの割合のことなのか、さらには他国との比較をすることで、世界の中の現代日本社会の立ち位置を示してくれます。

 まず我が国の現状を概観しておきましょう

①経済では、戦後の20年にわたる高度成長期の後に、オイルショックがあったが、それを乗り越えた安定成長期に入った。その後バブル経済に入るがそれが崩壊したのちに大不況、そして「失われた20年、30年」という低成長期に入り、いまだにそれが進行し、さらにコロナ禍で不況は深刻化している。

②企業活動では、終身雇用、年功序列に代表される労働環境が、アメリカ式の経営方式へと変化し、安定・平等から至上主義・競争賛美・能力実績主義へという変化の過程にある。

③家族の役割が大きいことは、我が国を特徴づける一つの特質であった。しかし今日、かつての皆婚社会から未婚・非婚が増加するようになり、離婚の増加、出生率の低下が深刻になり、三世代同居が消えるなど、家族の絆は弱まる社会になりつつある。

④福祉のありようにも家族の変容が大きく影響している。老後の支援・看護・介護は家族の役割だったが、家族の弱体化により様々な問題が顕現化している。
 今後は、福祉は自分で担うという自立意識を強めるか、または年金・医療・介護などへの社会保障制度を充実させるか、という選択が必要になる。

⑤教育は、元来親または家庭の責任で子供に提供されるべきという考え方が強かったが、これでは豊かな家庭と貧困家庭による格差が生じている。日本の学歴社会には機会の平等はなかったといえる。

⑥本書の大きなテーマの一つは「格差問題」である。一億総中流社会は消滅しつつあり、富裕層・貧困層という二極化を生み、所得・資産格差が大きい国になりつつある。

 
 興味深いことは、他の国も同様ですが、現代社会を形作っているのは、統計に表れる数字だけではなく、そこに国柄・国民性としての価値観が顕れていることです。

 日本人は悲観的なものの見方をしがちな国民性があるため、そのため、物質的に満たされていてもどこかに不安があったり不満があって、「満たされた感」や「幸福感」が乏しいことが指摘されています。
 そして日本の幸福度は「G7で最低」という項目が登場します。

 
      ◆

 
 また気になるのは、労働時間が働き方改革の名の下に減少していますが、このことと同時に国民の勤労意欲が低下していると感じられること。

 さらに同時に企業が設備投資を怠ったことで生産性も下落の一途。

 今後我が国の経済再生がなされるかどうかは、国民全体が改めて一生懸命に働いて付加価値を生み出すために頑張って働くという選択をするかどうかにかかっている、という著者の言葉は重いです。

 また他の先進諸国と比較して、女性に対する意識の低さが際立っています。そのため女性の社会進出が阻害されていたり、母子家庭の貧困問題など、女性にまつわる格差の大きさが改めて際立っているように感じました。

 本書は、一つのテーマに対して3ページの解説文と1~2ページのグラフ・図表という形の説明形式で、50のテーマが語られていて読みやすく、理解しやすい工夫がされています。

 現代日本社会を数字で理解して、そこから反省やこれからへの展望を開くためのヒントが満載です。

 「現代日本の人間ドック」だと言えそうで、大いに参考になる一冊です。

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人口減少を救う「関係人口」を考える ~ 「関係人口の社会学」を読む

2021-08-18 23:08:57 | 本の感想

 

 いよいよ人口減少局面に入ったわが国では、特に都会よりも地方部で人口減少が顕著です。

 そもそもなくなる高齢者が増えつつ子供が生まれない社会になりながら、進学や就職の際に子供たちは都会に移ってしまいます。

 人口の問題は地域を支える上では大切なことですが、もう人口増感が望めない地方にとって、「住む人が減ったら地域は再生できない」のでしょうか?

 今日は帯にそう書かれている本『関係人口の社会学』(田中輝美著 大阪大学出版会)を読みました。

 著者の田中輝美さんは島根県の新聞社勤務の後にフリージャーナリストとなり、島根に住みながら地域のニュースを記録し続けました。

 その後社会人ドクターとして母校の大阪大学で再度学び、社会学として"関係人口"を定義づけ地域再生に果たす役割を明らかにしようとし、その博士論文をベースにまとめ上げたのが本書です。

 
     ◆


 もう30年以上も前の時代には、将来の人口減少を補うキーワードとして「交流人口」が話題になりました。

 地方をもっと訪れる人が増えて、そこで経済活動をして地域を支えるという思惑で、そのための施策として地方にオートキャンプ場を作ることが奨励されて、現在は第二次のオートキャンプブームと言われています。

 しかし本書では、「そうした交流は、単なる地方の消費で終わるか、地方では農村の担い手として期待されたものの"交流疲れ"ということもあり、交流が崩壊した例も少なくなかった」とされています。

 このコロナ禍で、東京を始め大都会を脱出する傾向が増えたとはいえ、地方が求めるほど「移住人口」は増えていません。

 やはり特定の地域に思い切って移住してくるというのは、かなりハードルが高い移動現象と言えるでしょう。


【そこで「関係人口」の登場】
 今回話題の関係人口とは、「交流人口と定住人口の間にあるもの」とか、「地域に多様に関わる人々=仲間」とされたり、「長期的な『定住人口』でも短期的な『交流人口』でもない、地域や地域の人々と多様に関わる者」といった定義づけがされてきました。

 結果的に本書で著者は、関係人口を「特定の地域に継続的に関心を持ち、関わるよそ者」と定義づけました。

 しかしここで注意が必要なことは、「関係人口」はそのまま地域再生の主体とは同じ意味ではない、と著者は指摘します。

 本書ではその後に、地方部で外からよそ者を招き入れて地域を劇的に再生させた事例として、島根県海士町、島根県江津市、香川県まんのう町をとりあげています。

 そして、劇的な再生とは地域の課題が解決の方向に向かったということであり、そもそも地域の課題とは、地元における主体性の欠如である、と看破しています。

 そしてもしも再生がなされたとすれば、その主体はやはり地元の人たちであり、再生のきっかけがよそ者の到来であったことを指摘しています。

 このあたりで読んでいる私と指摘になったことがありました。

 それは著者が「関係"人口"」と言いながら、成功事例として登場するよそ者は、ごく少数のスーパースター的な白馬の騎士のように感じられることです。

 私の関係人口のイメージは、たとえば「ふるさと納税」のように、遠くにいながらもその町のことを多少は気にかけていて、自分たちができる範囲で尋ねたりその町のために寄付を始めなにがしかの力添えをする"人々"というものでした。

 ところが本書ではそこがいつのまにか「優秀なよそ者」の姿の印象が強くなってきています。

 著者は「関係人口は数より質だ」とか「関係人口もいつかはその町を去って良い」と表現していますが、そこにはやはり特定少数の人が見えてきます。

 地域住民の考えを変えさせて行動変容を起こすほどの変化をもたらすようなよそ者とは、単にその町が好きだというレベルを超えています。

 また登場するのは、移住してきたすぐは住民から疎まれながらもひざ詰めで関わってゆくことで次第に信頼を得て活躍が始まるようなレベルをもった超人に映ります。

 しかしそのあたりは著者も良くわかっていて、「関係人口と言うその意味に、総数ではなく質のことを指しているのを矛盾している」、また「本書ではそこに検討が加えられなかった」と述べています。

 
 著者は「人口減少が問題なのは、単に数が減ることではなく、地域の人々が自らやるべきだという主体性を失ってゆく『心の過疎』が生じるからだ」と指摘していることは、地方を見分しながら痛切に感じることです。

 そしてその地域住民の主体性も、日常の中から変えることは難しく、そこに"よそ者効果の刺激"によって、最後は「やはり自分たちがやらねば」という気持ちになることが重要だと述べています。


【コロナ禍での補稿】
 最後に本書では、コロナ下における関係人口論として、地元を実際に訪ねられなくても「応援消費」によって地域を支えようとする動きが増えたり、「オンライン関係人口」で関わりを維持しようとする動きなどを紹介しています。

 どのような人と、どのような質の関係を保ちながら、どのような地域課題を解決しようとしているのか。

 まずは地元民が、心の過疎を脱却してその課題を真剣に考えて共有する動きが必要なのです。

 
【最後に掛川の生涯学習として】
 本書の問題意識は、人口減少によって地域の課題を解決するすべが失われてゆくことを、よそ者からの関わり・支援によって解決に向かわせるにはどうすればよいか、ということが発端になっています。

 そしてそれは、私にすればすでに昭和50年代にかつての榛村元掛川市長が感じていた過疎の問題にほかならないと思います。

 そのときから始まった掛川の生涯学習運動は、地元の人たちがまだ顕在化していない課題を感じ取ることができるような感性を育てようとする試みであったはず。

 掛川も、市民自身の考え方が変わるためには「生涯学習が必要」で、具体的実践的な人材育成講座である「とはなにか学舎」のようなシステムにも外部からの講師を招き寄せて、市民の刺激剤としていました。

 そこで学び育った市民は地域活動を下支えして今でも地域の心のリーダーとして活躍している人が何人もおり、そのようなシステムは「地域学」として、自らの地域を学ぶ運動へと発展しています。

 行政のトップリーダーである市長自身に、地域課題解決のためのファシリテーターや思想家としてのいくつもの能力が重なっていた極めて幸運な時代を目の当たりにした私としては、若い世代にそのような新たなリーダーの登場を願います。

 地域のファンを増やし、外部からのサポーターを増やすような「関係人口論」は今後ますます盛んになるに違いありません。

 本書は、今後のために関係人口とはなにか、を学んでおくための一冊です。

 「夏休みの読書感想文」として。

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