北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

トマムリゾートの「ここならではのメニュー」 ~ 山頂のカフェを楽しむ

2022-02-28 18:33:22 | Weblog

 

 昨日まで楽しんだトマムでのリゾート。

 天気はあまりよくなくて山頂も見えないくらいだったのですが、思い出作りの一環でゴンドラに乗って山頂の雲海テラスまで行ってみました。

 スキーを履かずにゴンドラに乗るなんて、多分初めてじゃないかな。

 山頂までは時間にして15分ほどで到着。

 案内板を見るとそこから徒歩で300mほどで背の高い椅子に座る「クラウドバー(cloud bar)」や空中を歩く感覚の「クラウドウォーク(cloud walk)」があるはずです。

 しかし下から見ても山頂が見えなかったように、山頂に来てみてもやはり何も見えません。

 今日の天気では、と諦めて今回は雲海テラスで休憩を決め込みました。

 こちらには、ここならではの「雲」「雲海」「霧氷」をテーマにしたメニューがあって写真映えのするドリンクやチョコが大人気。

 
 妻が注文したのは「雲海コーヒー」で、ホットコーヒーに雲の形をしたマシュマロがついてきます。これをコーヒーに溶かすとカフェラテのような感じで甘い感じのコーヒーに早変わり。

 一方私が注文したのは「霧氷ホット」で、こちらは細い針のような飴を集めてボールのようにした飴細工がホットコーヒーのカップに乗って出てきます。細い飴が霧氷のように研ぎ澄まされた印象を与えてくれます。

 こちらもなんとかこの飴細工をコーヒーに溶かそうとしましたが、パリパリと割れてきてなかなかうまくコーヒーに沈んでくれません。

 針のような飴細工がトレイの上に落ちてなかなか食べにくいのですが、これもまたここならではの面白い演出です。

 娘と婿さんは「雲ソフト」を頼んだのですが、ソフトクリームと言うと縦に長い印象なのが雲らしく太いクリームがコーンの上に横にぼてっと乗っているので、早く食べないとどんどん落ちてくるようでこれまた食べるのに苦労していました。


 眼下に雲を眺められる雲海は晩夏の頃に出やすいそうですが、夏の雲海、冬の霧氷、そして雲と、ここならではの観光ポイントを生かしたメニューは、わざわざここに来てみたいという強い思いを抱かせます。

 雲海テラスには、往復2千円をかけてゴンドラに乗ってお高いコーヒーをわざわざ飲みに来るのです。

 取ってつけたようなネーミングやレシピではなく、今まさにここならではの特徴を生かしたものとして仕上げられれば、多くの観光客の憧れに訴求してヒットすることでしょう。

 ただ、その土地柄や「今のここ」にあるポテンシャルを見つけるのは簡単ではありません。

 ここを唯一無二、他のどこでもない時と場所となるようにするにはどうしたら良いでしょう。

 「今のここ」に慣れてしまった自分には見えないものを、別な角度で見てくれるヨソの人に学ぶのも一つの知恵です。

 いろんな知恵があるものですよ。

 

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冬のトマムに来ています ~ スキーは無理でも気分はリゾート

2022-02-26 19:21:24 | Weblog

 

 中国から一時帰国中の次女の旦那さんのお誘いで、昨日からトマムに来ております。

 コロナ禍とはいえ、訊けば道外からも家族連れが結構たくさん来ていました。

 昨日は一台前を走る車が初心者マークを付けたレンタカーで、センターラインも何のその、対向車がいないと見るや道のど真ん中を走るので、後ろから見ていて怖くてたまりませんでした。

 そんなこんなで到着したトマム。

 いつもは高速道路から眺めるだけだった「ザ・タワー」で高層階の広めの部屋に宿泊中です。

 目の前にはいくつものゲレンデとリフトが見えて眺めは最高。

 しかし今回はスキーなどのアウトドアアクティビティをやんちゃに楽しむことはちょっと無理で読書が中心です。

 ゴンドラで雲海テラスくらい行ってみようかな、と思ったのですが今日は山頂付近の強風のためにゴンドラも運行停止。

 今日からは長女一家も合流して三家族でのリゾートですが、今回は子供家族の依頼を受けて、妻とともに託児所のように孫の面倒を見たりしています。

 トマムは施設が点在していますが、屋根とガラスでできたチューブ状の廊下を歩いていけるレストラン群があっていろいろな食を楽しむことができます。

 そんななかに道産ワインの試飲ができるワインショップがあってこれがなかなかイケてます。

 試飲の量は30mlで400~600円とそれなりのお値段ですが、観光と思えばこれもまた一興。

 道産とはいえなかなか買えないワインを数多く飲めるのは楽しいものです。

 夜もライティングに凝った屋外の飲食街を巡ってリゾートの風情を楽しみました。

 次に来るときはスキーの一つも…、いやもう無理はできないかなあ。

 

 

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自立的な組織に変えるには価値観を揺さぶれ ~ NHKラジオ「マイBiz」より

2022-02-24 20:55:45 | Weblog

 

 教育の話題。
 
 いつも聞いている朝のラジオ番組「三宅民夫のマイあさ!」。

 今日の6時台後半の「マイBiz」は「当たり前を変えると組織は変わる」というテーマで、元千代田区立麹町中学校校長で現在は横浜創英中学・高等学校(横浜市)校長の工藤勇一さんのお話。

「一人ひとりが自立的に動ける組織に変えるには」という問いで、学校のみならず企業にも当てはまる変革の手法をお話していただきました。

三宅「工藤さんは、生徒も教員も自立的に動くようになるためには何が大切とお考えですか?」
工藤「自立型の生徒を育てるためには自立型の教員・組織が必要ですが、言われたことしかできない教員組織は『手段の目的化』を起こしやすいのです。何のためにそれをするのか、ということを考えなくなると、本来の目的の実現が損なわれてしまいます」

 工藤さんは、そのためにまず第一に必要なことは、教員の意識改革だとして以下のようなお話をしました。

 人の意識を変えるのは簡単ではない。その人が自分の力で変わらなくてはならず、その手伝いをするということが大事。

 具体的にはその人自身が代わる体験を作ってあげることが必要で、一度でもその体験があれば、ほかのことでも適用ができて意識改革が進むようになる。

 そのために有効な方法の一つとして、『物事の優先順位を考えさせる』ということがある。

 具体的に学校の事例を挙げると、学校現場では『毅然として叱る』という言葉がある。

 生徒に対してダメなものはダメ!とはっきり伝えるということで、一見悪くなさそうだがこれが独り歩きをすると、叱ること自体が目的化してなんでもかんでも叱るったり、さらにはなんでもかんでも怒鳴りまくったりするようになることすらある。

 「叱ることが目的化しないように」ということのために麹町中学校でやったことは、叱ることのリストを作って「何を一番に叱らなくてはならないか」という順番をつけさせて、一人ひとりの価値観の確認作業を皆で行った。

 例えば、下記の行為について叱るべき順番を考えてみてほしい。

①コンビニで万引きをした
②学校で授業中にお菓子を食べた
③掃除係をさぼった
④授業中に漫画を読んだ
⑤四階のベランダの柵にまたがって遊んだ
⑥「お前は障碍児だ」と馬鹿にした
⑦違反の服装で登校した

 このリストを示して自分が最も叱るべきと思うものにいくつでも○をつけさせた。

 そして皆で一つ一つ確認をしていったが、初めてやった時は皆自分が普段叱っている通りに○をつけたのだろうが、まあ教員ごとに違った。

 私が示したのは、「まず四階のベランダの柵にまたがって遊んでいる、というのは命の危険があるでしょう。死んじゃうかもしれず、まずは命だろう、と。その次に犯罪とか人権ではないか」といった形で、皆と価値観のすり合わせをしていった。

 そうすると、語弊はあるが「お菓子を食べた」とか「漫画を読んだ」、ましてや「違反の服装で登校した」などは、今何をおいても叱るべき前者の項目に比べるとあまりにも叱ることへの程度に差があるということが分かってくる。

 これが価値観の揺さぶりになり、これをやった後は一人ひとりの叱り方が変わってきて、当時ものすごくルールの厳しかった麹町中学校だが結果として数年後にほとんど校則がなくなった。

 一人ひとりのなかに優先すべき上位の目標と下位の目標がしっかりとできてくると皆が自立できるようになりそれが組織の力に変わってゆく。

 教員一人ひとりに『目的はなんだろう』ということをしっかりと考える習慣をつけさせることが非常に大事だ。

 そしてそのためには自由に対話ができる環境が大事で、フランクな対話の中で日常的な問題までがどんどん改善できるようになってくる。


      ◆


 教育とは自分の価値観を押し付けて叱って従わせることではない、という意味で、非常に興味深いお話でした。

 その結果、例えば今工藤先生が校長をしている横浜創英中・高では、職員会議が15分ほどで終わるのだそう。

 以前は2時間くらいかかっても終わらなかったといわれる職員会議ですが、今ではしっかりと目的は何でそのための手段はどうするか、ということが決められる組織になっているのだと。

 学校や会社などの組織運営に限らず、自分自身でも手段が目的化してなんのためにやっているのかわからないことがないだろうか、と自問自答する良い機会でした。

 やることはちゃんと意味あるようにやり、意味がないと気づいたことは止めてみてはどうでしょうか?

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娘夫婦と孫、宮城県に飛ぶ

2022-02-23 18:55:52 | Weblog

 

 中国から一時帰国して私の家に宿泊中の次女の旦那さん。

 子供(私の孫)が生まれたときも娘の実家である私の家で過ごしていて、仙台市郊外の実家へ子供を見せることができていませんでした。

 今回の休暇の間に次女と孫を連れて何とか子供の顔をご両親に見せたいと計画をして、我が家から仙台へと向かう予定だったのが昨日のこと。

 それがよりによって今冬一番の荒天の日となってしまい、飛行機が飛ぶかどうかわからないまままずは空港へ行きたいとのことでしたが、JRもバスも運休でタクシーも全滅。

 我が家の車を貸してあげることにして早朝に家を出てゆきましたが、走っている途中で飛行機が欠航と決まり会えなく我が家に戻ってきました。

 この間、飛行機を今日の昼の便に変更して、今朝再び我が家の車で空港まで出かけてゆきました。

 生後半年の赤ちゃんが一緒という事で、公共交通で乗り換えに苦労しながら行くよりは、自動車で空港に向かうのが一番だとは思いますが、早朝には北広島から千歳まで通子止め解除になっていた高速道路が途中でまた通行止めになり、新千歳空港までつくのにかなり苦労した様子。

 それでも無事仙台空港行きの飛行機は飛んだようで、「仙台空港に着きました」という連絡がありました。

 
 旦那さんの実家のご両親にも早いところ(6番目ではありますが)孫の顔を見せてあげたいところでしたが、旦那さんが中国赴任中の上にコロナのために国内移動もままならない状況が続き、今回の機会となった次第。

 先方のお義母さんなどは「無理しなくていいんだよー」と言ってくださっているものの、今この一瞬に会えるなら会って顔を見ておくに越したことはありません。

 
 私に長女が誕生した36年前に、当時帯広の病院に入院していた父親の育ての親である祖母に子供を見せに行きました。

「ああそうかい、そうかい、かわいいね」

 そう言ってくれた祖母は程なくして亡くなり、子供を見せられたのはその一度きりでした。

 仙台行きも本当なら二泊三日の予定を今日からの一泊二日に変更しての強行軍になりましたが、行くだけの意味はあるのです。

 若夫婦も孫も、大変な旅になりますが後々良い思い出になることでしょう。

 昨日と同じ今日はないのですから。 

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吹雪で動けない時は読書に限る ~ 「ギリシア人の物語」を読みつつ

2022-02-22 21:36:17 | Weblog

 昨日、夜になってから予約していた歯医者さんへ行ってきました。

 札幌は暴風雪が吹き荒れて街中でもホワイトアウトで視界が遮られるほどで、まあ今冬一番の荒天に違いありません。

 まだ怪我の影響で車の運転ができないため、歯医者さんへはフードをかぶって徒歩で往復したのですが、大量の雪のため狭くなった道路では、行き交う車の方が通行に苦労をしているようでした。

 歩いて15分くらいで歯医者さんへ着いてみると、受付窓口で「車で来たんですけど駐車場で埋まって動けなくなって」と訴えている患者さんがいました。

 車で移動するよりも歩いた方が良いというのは、SDGsにかなった時代の到来という事でしょうか。

 
    ◆


 それにしても、昔もシーズンに一度や二度は大変な暴風雪のときがありましたが、こんなにも鉄道や道路がマヒしてしまうようなことはあったでしょうか。

 道路に関しては建設に伴って管理延長が増えたという事もあるでしょうが、鉄道はこんなにも簡単に止められた記憶がありません。

 異常気象と呼べるほどの豪雪、それに管理する人数の減少問題、経費の問題、大都市内の雪の管理、管理水準の上昇、なんでも行政に頼り切る姿勢など、様々な要素があるにせよ、日常を維持する社会の力が次第に衰えていることを感じずにはいられません。

 一方で、「さすがに災害級の天候なのだから、こういうときは抗うことは止めるという地域共通の価値観を持つべきだ」という声もあって、これはこれで納得できる意見だと思います。

 どこまで自然に抗いつつ、あるところからは余計なエネルギーや資源を投入せずに素直にあきらめるというレベルを社会で共有したいものです。


    ◆


 いつか読後のレビューは書き留めておきたいと思いますが、今塩野七生さんの筆による『ギリシア人の物語』(全三巻 新潮社)を読んでいます。

 ローマ人がローマ帝国を成し遂げるにあたって大いに参考にしたのがギリシア時代だったということは、塩野さんの全15巻からなる大著『ローマ人の物語』でも冒頭に触れられていることです。

 しかし『ローマ人の物語』の冒頭で触れたギリシア時代はあまりに字数もページ数も少なく、著者自身『もう少し触れたくなった』という興味のおかげで、今我々は改めて「民主制とは何か」「民主制におけるリーダーとはどうあるべきか」を考えるヒントをこの本によって与えられた気がします。

 そんな『ギリシア人の物語』を貫いているのは、民主制発祥で名を成した都市国家アテネと、強直に自らの政治体制を変えようとしなかったスパルタという同じギリシア人同士の競り合いの歴史です。

 そこでは体制を変えながら進取の気質に富み栄枯盛衰のドラマを見せてくれるアテネに対して、やや皮肉交じりに物事を変えようとしないスパルタを揶揄する表現が見られます。

 そんな一節。

「一国平和主義でつづいてきたスパルタは、経済的には『求めない』ことをモットーにしている。だが、経済的には求めないという事は、他の面でも『求めない』ことにつながってしまいがちだ。
 しかも、『求めない』という生き方をつづけていると、行きつく先は求める能力の劣化なのである」

 著者はギリシア人たちの選択を、その結果が分かっている後代の目で優しく論評しますが、その言葉は、今私たちがしようとしている選択の行く末を暗示しているようでもあります。

 私たちが社会に求めるものとは。負うべき責任とは。歴史的選択の結果を受け止めるとはどういうことか。

 吹雪で動けない日は読書に限ります。

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リベンジではなく雪辱を

2022-02-20 18:12:44 | Weblog


   【NHKテレビより】

 

 北京オリンピック女子カーリング、ロコ・ソラーレは残念ながらイギリスに敗れて銀メダルでした。

 なかなか氷の流れをつかめないままに試合が進んでしまったような感じでしたが、苦しい時でも明るく声を掛け合う姿に勇気をもらいました。

 また決勝で敗れたとはいえ、オリンピックでの銀メダルは日本のカーリング競技史上最高の栄誉となったわけで、堂々と胸を張って帰ってきてほしいものです。

 ところでイギリスとは前回の平昌オリンピックでも銅メダルを争った因縁の試合でもあり、レベルの高いライバル国たちとはこれからも様々な対決が続くことでしょう。

 こうしたライバルたちとの戦いになると、よく「リベンジを果たす」という言い方で対決を煽る表現が見られますが、リベンジと言うと私にはどうしても「以前酷い仕打ちを受けたことに対して報復をする」という復讐のような意味合いを強く感じます。

 ルールのある試合なのですからひどい仕打ちをされたわけではなく、日本には「雪辱を果たす」という素敵な漢語があるのですから、ここはぜひこちらを使ってほしいものです。

 ところでこの「雪辱」には「雪」と言う感じが使われているのがちょっと不思議な感じがしませんか。

 北国では冬に空から降ってくるのが雪ですが、漢字の「雪」には「すすぐ」と読んで「恥や汚名を洗い流す」という意味があり、雪辱とは「辱めを洗い流す」ということになります。

 ちなみに戦いに負けたときに「敗北」と言いますが、これまた「北」の字が入るのがちょっと不思議。

 こちらの「北」は、その形の通り二人の人が背中を向けているということから元々「そむく」「逃げる」という意味があったわけ。

 オリンピックの試合も負けはしたものの逃げ帰ったわけではないので、「敗北した」も相応しい表現とは言えないのではないでしょうか。

 今日で最終日の北京オリンピック、連日の熱い戦いは大いに楽しませてもらいました。

 ありがとう、お疲れさまでした。

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マイナースポーツのスポンサーになればいいのに ~ 決勝でも頑張れ、ロコ・ソラーレ!

2022-02-18 23:52:35 | Weblog


   【NHKテレビより】

 

 いろいろと毀誉褒貶の多い北京オリンピックですが、政治的な思惑は別にして純粋に選手たちが頑張るスポーツとしてはやはり一流の選手同士の戦いに連日目を奪われています。

 冬季オリンピックとなると北海道出身の選手たちも多く、地元愛も相まって応援にも力の入る日々。

 特にここ数日は女子カーリングのロコ・ソラーレが頑張り、予選最終戦で悔しい敗北の涙を流した後に、ライバルが破れて他力本願ながら上位4傑に入っての準決勝進出を果たしました。

 試合中の苦しい局面でもしっかり声を出し合って、ミスにも笑顔を絶やさずとにかくポジティブで前向きな試合ぶりにはどうしても応援しないわけにはいきません。

 今宵は昨日負けたスイスとの日を置かずしての連戦でしたが見事な試合ぶりで雪辱を果たしました。

 日本のカーリング史上初めてのオリンピック決勝進出ということで精いっぱい頑張ってほしいものです。


     ◆ 


 ところで、このロコ・ソラーレに代表されるカーリング競技を支えているのが公益社団法人日本カーリング協会です。

 こちらは1984年に北海道で創設されて、2011年には公益社団法人化されて日本のカーリング競技の普及・振興のために、協議の指導や各種競技会の開催を行っています。

 さらに国際大会への代表選考や派遣なども行い、広くカーリングを広めようと様々な活動に取り組んでいます。

 そしてこのカーリング協会の会長がなんと日本最北端の都市稚内の建設会社錦産業の会長である貝森輝幸さん。

 仕事柄ご本人にお会いする機会もあって、「どうして貝森さんがカーリング協会の会長を務められることになったのですか?」と訊いた時には、「橋本聖子(参議院議員)先生とのご縁でしょうね」と笑っていましたが、一地方都市の建設業者さんがこのように国際的にも活躍する競技団体のトップというのも珍しいのではないでしょうか。

 ロコ・ソラーレの頑張りと活躍で知名度の上がっているカーリングですが、まだまだ競技としてはマイナーで、そもそも全国を眺めると質の高い競技場が充実しているわけではありません。

 貝森会長のいる稚内では4レーンの専用競技場ができて地元の高校生が冬季スポーツとしてカーリングを楽しんでいます。


【稚内市みどりスポーツパークのカーリング場】

 一方、2030年の冬季オリンピック誘致に向けて機運を高めたい札幌ではこの人口にして競技ができる場所は「どうぎんカーリングスタジアム」と美香保体育館くらいなもので、チーム数は数多くあるものの練習や試合のための競技場がなかなか抽選で当たらないと嘆いているくらい。

 もっと競技を支援してあげたいものだ、と思っていたところ、先日ある友人と話していて企業によるスポーツ支援に話が及びました。

 彼の会社では企業イメージを高めるために何かのスポーツにお金を出して応援したいということで、社内でどんなスポーツを応援したらよいかを社員にアンケートしたのだそう。

「へえ、それこそカーリングなんて北海道らしくていいんじゃないの?」と私が言うと友人は、「あー、そういう声もあったなあ。でも結局は女子ゴルフになっちゃったんだ。発想が貧困だよな」と残念そう。


 スポンサーになるにしても、メジャーなスポーツでは他のスポンサーに紛れてしまいがちなので、もっとマイナーなスポーツで将来性に期待できるようなものに早くから継続的な支援をしてこそ、感謝もされるのではないか、と思ったのでした。

 北海道らしい競技で世界を目指せる競技があるって良いですね。

 いよいよ決勝、頑張れロコ・ソラーレ!

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孫でリハビリ~一石二鳥

2022-02-17 21:25:42 | Weblog

 

 左手のケガによる入院生活では、やはり体中の筋肉が衰えました。

 以前は64~65kgだった体重も61キロ代に減少し、体重計を見たときは(3キロも痩せたのか)とちょっとショックでした。

 今もリハビリで通院していますが病院でのケアはあくまでも左手が中心。

 安静にしていたがために固くなり可動域が狭くなってしまった左手全体を柔らかくし関節の動く範囲を広げる訓練ですが、これがまあ痛い。

 体育の柔軟体操の股割のようなもので、これ以上行かないという筋肉や筋をさらに伸ばそうというのですからやはり痛いのです。

 リハビリ指導の先生に、「関節の可動域を広げるためには、勢いをつけて『エイ!』と動かすのと、痛いのを我慢してじっくり力を加え続けるのとではどちらが良いですか」と訊いてみたところ、「それは後者ですね。勢いをつけて伸ばしたつもりでもそれはすぐに戻ってしまいますからね。やはりじっくりと力を加え続けるのが良いです」とのこと。

「そうですか。でも若い時ならいざ知らず年を取ると体がいよいよ固くなっているコットを感じます。例えば私の今の年齢からでも相撲取りのように股割をすれば体は柔らかくなるのですか?」
 
 するとリハビリの先生は「なりますよ」と即答。

「実は私も息子のサッカーにくっついて体の指導をしながら自分地震も股割をしたりするんです」
「なるほど、プロによる自らの指導ならばさぞかし成果があがることでしょうね」

「それがダメなんです」「ええ、どうして?」

「やはり続かないんです。筋肉や筋は継続して力を加え続けないとすぐに戻ってしまうんです。そして実際に自分自身を省みてもついさぼっちゃうんですよね。なので私自身、なかなか股割で体は柔らかくなりません(笑)」

 プロでもそうなのか、と思いつつも、リハビリは通院する週2回がポイントなのではなく、日々の日常の中でどれだけ痛い思いをしながら訓練ができているかが大事なことなのでした。


     ◆


 使わないでいた腕の筋肉も少々痩せてしまったのですが、そんな家での日常のリハビリに良いのが孫を抱くことです。

 以前よりも確実に重くなっていて、初めはちょっと抱いてもすぐに疲れてしまったのですが、それを我慢して抱き続けることは腕のちょうどよいリハビリ訓練。

 娘たち夫婦が子供に注ぐ愛情を邪魔しない範囲で、助けになるようなときは抱っこで若夫婦サポートとリハビリを両立させるようにしています。

 孫は今体重8.5kgほど。重たくなったわー。
 

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コロナから復帰したら、菓子折り持参して謝るべきか

2022-02-16 19:43:49 | Weblog

 

 今朝のNHKラジオ番組「三宅民夫のマイあさ!」の中で、7時半頃から放送する「深よみ・ここに注目」で、「コロナに罹って休んだ後に職場に出るときは謝罪をしたり、菓子折りを持参したりすべきなのだろうか」ということが話題として取り上げられました。

 ネットで話題になった投稿は、「コロナに感染したり濃厚接触者になったことで一定期間自宅療養をして職場に復帰したときに、『菓子折りの一つもないの?申し訳ない的な意味のやつ』と言われた」というものでした。

 これに対してネットでは議論が沸騰し「コロナだから仕方がない、菓子折りなんていらない」という声が多く出たとのこと。

 NHKでは実際にコロナ感染で2週間職場を休んでから復帰したという20代の女性に取材をしたのだそう。

 その女性は5千円以上する菓子詰め合わせを持参したのだそうですが、考えたのは迷惑をかけたということと職場の人たちの目が怖かったから、だそう。

 ただ一方で、「自分もコロナでつらい思いをしたのに、なぜ菓子折りをもってゆかなくてはならないのだろう」ともやもやしたとも。

 またNHKはその一方で、「菓子折りを持ってゆくのはやめました」という人にも取材をしていました。

 その方の職場は40人ほどのオフィスでしたが、コロナが蔓延してからは、職場復帰の際に菓子折りを持参することが当たり前になりつつあったのだそうですが、その方はそうした風潮に疑問をもっていました。

 そして職場の同僚がやはりコロナで職場を休みそして復帰した際に菓子折りをもって一人ひとりに配りながら謝罪をする姿を見て、内心(あなたは一ミリも悪くないし、家庭での負担も相当あったはず。それに菓子折りの金銭的負担も小さくはないし誰もが罹りうるコロナであればもうお互い様なのではないか)と思ったのだそう。

 そしてその方はその慣例をやめてみたのですが、実際には職場でどのようにみられているのか不安を感じているし、その後別なコロナ復帰の同僚はやはり菓子折りを持ってきていたとのこと。

 一度出来上がった慣例は、上司や会社全体が号令を出さないと買えられないのではないか、とその方は感じたようです。


      ◆


 この番組ではそれに続いて、東京歯科大学市川総合病院精神科の宗未来医師からの「自分を責めすぎないでほしい」という意見を紹介していました。

 自分を責めすぎる人は周囲からの反応が気になったり、自分が100%悪いと思いがちになりがち。

 そんな時に大事なのは、自分の状況を客観的にみることだそう。
 
 職場復帰を受け入れる側にも、負担が増えたりして「申し訳ないと思ってほしい」という心理があるのではないか。

 職場の雰囲気を正すには、コロナ問題だけではなく小さな日頃の問題を解決してゆくアプローチが必要な気がする、と。

 番組では「お互いに心身をいたわりあって助け合う優しさが職場や社会に必要なのではないか」と結んでいました。

 
 この話、やや身につまされました。

 というのも、私自身ケガによる入院から職場復帰した際に、職場に菓子折りを持って行ったからです。

 私自身の不注意からではありますが、やはり職場の皆さんには余計や心配や負担をかけたということへの謝罪の気持ちはぬぐえません。

 たとえ苦しんだのは自分だったとしても、周囲への申し訳なさがそれでチャラになることはないとおもいます。

 そして菓子折り持参のもう一つの意味合いは「厄落とし」ということです。

 厄落としの元々の意味合いは、「 自ら災厄を作り出すことで、それ以上自分に良くないことが起こらないようにすること」だったといいます。

 そのため、大切にしてきたものや、いつも身につけているものを故意に落とすことで厄を落とすと考えられてもきました。

 降りかかった厄をその後に落とす、ということがあれば、良いことの前に訳が降りかからないようにするということもあります。

 最近はすっかりみなくなりましたが、昔は家を建てるときの棟上げに合わせて「建前」と言ってご近所の人に集まってもらってお餅やら小銭のおひねりなどをまくことが良くありました。

 これなどは家を建てるという一生の中でも大きな慶事にあたって、あらかじめ厄を分担してもらうという意味合いが強いものと考えます。

 旅行へ行ったあとのお土産配りだって、旅行の安全に対する感謝だけではなく、楽しかったことの反動の厄を分担してもらうという意味合いを感じます。

 
 なので、私だったらコロナで自宅待機になった後の職場復帰だったら、半分は申し訳なさの意味と、もう半分は冗談めかしてでも、厄払い・厄落としの意味でやはりお菓子を配るだろうな、と思います。

 今日のラジオの番組に対してはいろいろな意見が寄せられることと思いますが、単に損得や気遣いの苦労だけではなく、日本古来の風習の一つとしての厄払いという意味合いについてコメントする人がいないのかなあ、と気になる私でした。

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e-taxによる確定申告終了 ~ WEB版の登場でちょっと混乱しました

2022-02-15 21:39:06 | Weblog

 

 確定申告の季節です。

 私は毎年医療費控除とふるさと納税還付をするためにe-taxでネット確定申告をしています。

「さていよいよ今日から確定申告だ」と思っていたら、実はe-taxによる申告は1月5日から可能だったと知って驚きました。

 ただ制度上申告が可能だとしても、付随する資料が間に合わなかったので、やはりこの時期になってしまいました。


【毎年便利にはなっている】 
 毎年e-taxで申告をしていると、年を追うごとに操作が簡便で便利になっていることを強く感じます。

 特に今年は政府の肝入りもあって、マイナンバーカードによるマイナポータルとの連携が強化されていることが印象的です。

 今年からふるさと納税による寄付履歴の証明がふるさと納税仲介サイトからデータの形で提供されることになり、自治体から送られてくる紙による寄付証明書類を保管している必要もなくなりました。

 とはいえ実際には最新のカード読み取り機を用意したり、マイナンバーカードを保有してマイナポータルへ登録していることが前提で、それはそれでついてゆくのも結構大変です。

 私は「ふるさとチョイス」という仲介サイトを利用してふるさと納税をしていますが、ここでは「チョイススマート確定申告」という形でXMLファイルで証明書が発行されますが、これもまたe-私書箱経由とマイナポータル経由で確定申告用書類として認識されるなど、新しいやり方が登場するのでついてゆくのが結構大変です。

 しかしこのくらいは頭の体操で謎解きに挑むくらいの気持ちでチャレンジしないと時代について行けないような気持でいるのがこの確定申告と言う毎年行事なのです。


      ◆ 

【ネットでの確定申告が二通り?】
 e-taxでの申告には慣れているつもりだった私ですが、今年はまず最初の申告の仕方で2日ほど悩みました。

 それはe-taxでの確定申告に見慣れない「e-taxソフト(WEB版)」というものが登場して、(あれ?これでやるのか?でも去年といろいろ画面が違うなあ…)と最初の入り方に戸惑ったのです。

 実は私が慣れていたのは昔ながらの「国税庁確定申告書作成コーナー」から確定申告書を作成するやり方で、これには毎年国税庁提供の最新のソフトをダウンロードして確定申告書を作成し提出するというやり方でした。

 一番上の画像では左側のやり方がそれで、右側はWEB版に導こうとしています。

 これに対して最近は「スマホでもできる」という謳い文句で、いちいちソフトをダウンロードせずウェブ上のサイトにアクセスしてそこで必要な申告書を作成するというもう一つのやり方が登場しているのです。

 ホームページ上のQ&Aではこの違いについて、「e-Taxと『確定申告書等作成コーナー』のどちらのシステムを利用しても、確定申告書の申告等データを作成することができます。

 e-Taxは作成した申告等データをインターネットを通じて送信することにより申告や申請ができるシステムであり、一方、『確定申告書等作成コーナー』は画面の案内に従って金額等を入力することにより確定申告書等が作成できるシステムです」とありました。

 しかしこれって、どちらを使うとどう良いのかの説明がなく、初めてだったり慣れない人には全く分からない説明の仕方です。

【どちらを使うべきかの判断材料】
 私が思うのは、医療費控除やふるさと納税寄付控除などの書類が多い人は昔のやり方の方が確定申告書を作りやすく、ふるさと納税も数が少ないなど書類が多くない人はWEB版がやりやすいという違いがありそうです。

 ただ資料作成も、今後医療費情報やふるさと納税寄付証明などがどちらもマイナポータルなどで情報を紐付けできれば次第にWEB版が便利になってゆくことでしょう。

 今年はとりあえずふるさと納税寄付証明はなんとかネット上で紐付けできましたが、医療費データは保存してあった領収書から資料を作成して提出したもので、ここの連携はまだ十分ではありません。

 ま、来年くらいからはさらに便利になるような気がします。

 時代に必死にくらいついてゆく姿勢も生涯学習です。

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