北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

防災と言わない防災力 ~ 地域に防災文化を

2014-02-28 20:01:44 | Weblog

 昨日、『防災シンポジウム ~災害に強いしなやかな社会づくり~』を聴いてきました。

 今日のテーマは、「北海道の災害文化~暮らしの中に『防災』を」というもの。

 基調講演は災害社会学や防災教育をご専門とする北大助教の定池祐季さん。

 講演の中で紹介されたのが、釧路の大楽毛幼稚園でしたがここでは、週一で抜き打ちの津波避難訓練を行っているとのこと。

 「逃げろ!」という先生の合図で自分の教室のリュックをもって着替えもそこそこに走り出します。

 走って走って釧路高専まで逃げてそこで時間を計って集合。この幼稚園の避難訓練がすごいのは"本気で走っていること"。

 いつも真剣勝負なのですが、子供たちは本物の津波警報が出ていると信じていて、家でも「今日も津波警報が出た」と言っているのだそうです。

 そしてこうした訓練を繰り返すうちに、様々な効果が見えてきたと言います。それは
1.子供たちの着替えが早くなった
2.入園の早い子が入園の遅い園児の手を引いて逃げるようになった。
3.基礎体力が付いた
4.男児は先生を抜かすという目標、女児はみんなで協力し合って逃げる

 自分で着替えができる子は自立していて他の色々なこともできるという風に、避難訓練の結果、避難の力だけではなく子供たちの成長も見えてきた。

 つまり、防災訓練で防災以外の力も付く → 日常生活の力もアップするというわけで、日常生活を広げてゆくことこそが防災力と言わなくても良い防災力なのではないでしょうか。


    ◆   ◆   ◆


 また、「北海道の災害文化」ということにも触れられました。

 災害文化とは過去のの災害経験を踏まえて創られていく文化で、アメリカでは洪水を何度も繰り返したことで、その土地に災害対応のセットが生まれてきたと言います。 

 北海道の十勝岳でのダム見学会では、子供が何回も参加するうちに付き添っていたお母さんが次に先生が何というかのセリフを覚えていたなんてことも。

 えりも町にはえりも岬神社のところに昭和三陸津波の碑があります。一時、道路建設で引っかかった際に撤去するという話も出たのですが、地元の意見で撤去せずに移設されたものだそう。

 えりも町では小学校の運動会は地域総出で地域力を維持しています。また津波の際は地域のルールで町内を通る三本の道路のうち二本を一方通行にするということが決められているそう。
 これもまた災害に会ってきたがゆえに考え抜かれた地域の知恵であり災害文化と言えるでしょう。
 
 浦河町では1982年に震度六の浦河沖地震が発生しましたが、大きな震度の割には被害が少なかったということで東京から調査に訪れたという記録があるそう。

 そこで分かったことは、町民に災害対応の習慣が身についていたということ。

 町の女性の証言として、地震の先駆けとなる縦波のP波の段階で火を止めて窓を開けたという記録があるのだそう。

 実は浦河町は知られざる災害文化の育った町で、少なくとも女性たちは今でもできるのだとか。
「地震は経験があって供えられるが津波は経験がないのでこれから学びたい」

 

 有珠山は20世紀に4回噴火した世界でも稀有な活火山ですが、前回の噴火では有感地震からわずか32時間で噴火に至りました。


 それなのに人的被害がゼロで町民は皆助け合いながら無事避難することができました。ここでは今郷土史講座で町民が昭和新山と有珠山に実際に上る体験をしたり、泥流で埋もれたアパートを見ているそう。

 人的被害がなかったというのはまさに地域の防災教育のたまものであったわけです。

 

   ◆     ◆     ◆

 

 北海道の災害文化をつなげるために、災害経験のある地域は知識の経験を内外に伝えるべきです。

 災害経験の少ない、あるいはない地域は他の地域の事例に学ばなくてはいけません。

 防災の備えは、単純な防災訓練を繰り返すということだけではなく、運動会などで地域の結束を高めたり、一人一人の能力を高めるというようなこともその一部です。

 防災減災に繋がる「直球」のような防災訓練と、一見防災訓練には見えないような「変化球」を使い分けながら、コミュニティの中で外と繋がろう、そう定池先生はおっしゃいます。


 定池先生は子供の時に奥尻町に住んでいて、ご自身も奥尻を襲った津波を体験しているそうで、防災を社会の問題として発言を多くされています。

 なんと四月からは北海道を離れて東京の大学へ移られるとのことですが、東京からまた北海道について発信を続けていただきたいものです。

 新天地でもお元気で。

 

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現代のお葬式

2014-02-27 22:42:29 | Weblog

 妻方の叔父が亡くなりました。

 別に入院をしていたわけでもなく、健康で詩吟を楽しんだりしていたのが夜半に突然倒れて病院にかつぎこまれたところ、その日の午後には帰らぬ人となりました。

 数え八十八歳は大往生とはいえ、生前はいろいろと可愛がってもらった思い出も多く寂しい限りです。 

 私も妻とともに親族一同として通夜に出席し、結婚式以来というご無沙汰をしていた親戚の多くに会うことが出来ました。

 妻方は親類が多いのでなかなか名前と顔が一致せず、しかも誰の子供が誰かといった関係性もなかなか覚えきれません。

 それでもこうして多くの人たちが集い、故人を偲びながら思い出を語る。

 葬式は死者へ冥福を祈る弔いでもありますが、同時に生きている者たちがより良い関係を築くための時間なのだと思います。

 

 

     ◆     

 

 今回の通夜は、いわゆる最近増えてきた葬祭が専門のセレモニーホールで行いました。

 ホールは会葬者の人数規模に応じて間仕切りで区切られるようになっていて、今日は三組のお通夜が入っていました。

 親類縁者の食事のための食堂にはお弁当が用意され、運営はテキパキ。

 曹洞宗の住職は故人と生前親交が厚く、長く思い出を語ってくださいました。生前のお坊さんとの親交があると良いですね。

 
 葬儀委員長はおらず、遺族の言葉は司会の女性が「ご遺族からは…とこのようなメッセージをお預かりしております」と紹介してくれました。

 通夜の儀が終了したところでホールの椅子を片付けて、そこで丸テーブルが用意され近親者のみによる語り合いの席が用意され、親類一同が叔父さんの思い出を語ります。

 まあ話は段々脱線していって、身の回りの笑い話になってゆくのですが、ノリが良すぎたようで、
「小松さんってあんがいお笑いなんだね」
「そうですよ、滅多に会わないからお互いに気心がなかなか知られないだけですよね」なんて会話も。

 暗い話よりも明るい話を好んだ叔父さんだからまあいいか。


 最近、東京の知人でも親御さんが無くなったという連絡がくることがありますが、多いのが『香典は固くご辞退申し上げます』という添え書きです。

 今やお葬式だからといってあまり縁の深くなかった方までが義理で香典を持ってくる時代ではなくなりました。

 それはそれで気楽なもので、本当に故人を偲ぶセレモニーに近づいてきたということかもしれません。
 
 現代のお葬式はかなりシステマチックになっていき、全体としてそつのない運営で進みました。

 こういうことも勉強しておかなくてはいけませんね。 叔父さんの冥福をお祈りします。 合掌

 

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機械のリモコン操作~家に居ながら現場で作業?

2014-02-26 23:15:32 | Weblog

 納入された機械の見学会に行ってきました。

 今回入ったのは『分解型バックホウ』という機械で、バックホウというのは、地面の土を掘り出すことに使われる一般的な建設機械です。

 バックホウなら別にどこの建設業者さんでも持っているのですが、今回入ってきたのは、それをいくつかのパーツに分解して運べるようにしたものです。

 これは土砂崩れなどで河川がせき止められダム状態になったような危険な災害が発生し、しかも道路が寸断されて機械を運べないというときに、各パーツに分解してバックホウを運び、現地で組み立てて作業に当たらせるための機械というわけ。

 本州ではすでに何台かが導入されていますが、急流河川での災害が少ない北海道では初めて入った一台です。

 今回のバックホウは、土をすくうバケットと呼ばれる部分の容量が1立方メートル級という規格のもので、総重量が約26トンもあります。

 道路がないような現場の最前線へこれを運ぶとなると、これだけの重量を一度に運ぶ手段はないため、これを一つのパーツが2.8トン以下になるように14のパーツに分解して現地に持ち込み、現地でこれを組み立て直すのです。

  
 さらに、災害最前線の現場では人間が作業に当たるとやはり危険なので、今回はこれを遠隔操作できるようなリモコンユニットと、現場の作業状況が見えるようなリモートカメラユニットも装着した機械として納入されました。

 リモコンの操縦装置はジョイスティックが3本と前後のレバーが2個で、あとはスイッチ類が10個ほどついているもの。

 これで目の前の巨大なバックホウが自由自在に動く姿はまさに現代の鉄人28号です。

 子供の頃は鉄人を動かす主人公の金田正太郎君が複雑な鉄人の動きをたった2本のレバーで動かす姿をワクワクしながら見ていましたが、目の前にあるのはほとんどそれと変わらない姿のリモコン。リアル鉄人世代にはちょっと感動もひとしおです。


 
     ◆     

 

 バックホウを動かすためには、道路を走るなら大型特殊免許が必要ですが、道路ではない現場内で作業をするためだけなら建設機械操縦の講習会を受ければ良いだけ。

 リモコンそのものも免許はいりませんが、リモコン操縦者にはこの講習会受講は求められます。

 今日みせてもらったリモコンでは、操縦範囲は約100メートルとのことでしたが、これを光ケーブルとインターネットを使い、さらに現地にWifi環境を設置すれば何キロも離れたところから操作することも可能です。

 実際、今開発局でも樽前山からの土砂流出に備えた砂防工事をなんと25kmも離れた白老町の一室からインターネット経由で操作して作業を行っているのだそう。

 説明に当たってくれた担当の方にお話を伺いました。

「遠隔操作の課題となるとどんなことがありますか?」
「そうですね、やはりタイムラグが気になりますね。インターネット経由だと光ファイバーに情報が集中すると処理するのにどうしてもちょっとした時間がかかります。人間は0.2秒のラグがあるとそれを感じると言われています。ですからタイムラグをなんとか0.5秒以内に抑えてストレスのない作業にしたいと思います」

「目の前で操作する分にはタイムラグはほとんどありませんね」
「はい、直接100メートル以内で操作する分には直接電波でやりとりしますから、これならタイムラグはありません。専用の電波やケーブルを使えばそれも可能なのですが、それには大きなコストがかかりますから、やはりインターネット経由というのが現実的な選択になります」

「なるほど、他にはありますか」
「タイムラグとは別に、やはり離れたところからモニターを見ながらということになると、作業効率が直接作業する場合の六割~七割に落ちるのです。ブロック一つを設置するのでも、現場で一人が設置確認をしながら「OK!」とやり取りできれば、作業がはかどりますが、それをモニターを見ながらひとりでやるとなると、熟練のオペレーターでも何度かやり直してしまいます。そこはまだまだ課題です」


【バックホウのカメラ画像を受信するモニター装置】

 


     ◆     ◆     ◆

 

 私も実際に動かしてみましたが、ジョイスティックの使い方に慣れていないのでなかなかうまくいきません。

 しかし、まるでプレイステーションのリモコンをちょっと大きくしたような形を見ていると、ゲーム世代だったらちょっと練習するだけですぐに上手になるだろうな、と感じました。

 またそれがネット経由でモニターを見ながら作業できるのだったら、もしかしたら家に引きこもっているような人でも自宅でネット経由で現場の作業機械を動かすことができるのじゃないか、という途方もない夢を感じました。

 オペレーターはネットの向こうに何万人もいて、ネット上でオペレーターを募集すればすぐに手の空いている人がやってきて作業をしてくれる。これでオペレーター不足は解消されるかもしれません。

 ネットの向こうには無限の数のオペレーターの卵がいるのではないでしょうか。

「…なんて私の妄想はいかがでしょう?」そう担当者の方に訊いてみると、案外真面目な答えが返ってきました。

「はい、私たちも、これがネット上で動かせるんだったら地球を8時間ごとに三分割して、いま日本のオペが動かして、次の8時間はアメリカの人にやってもらい、その次の8時間はヨーロッパかアフリカの人にやってもらえば、一日中稼働させることができるね、と言っているんです(笑)。それに近い状態にまで近づきつつあるな、という印象は持っています」

 意外な答えでしたが、やはりネットの技術で眠れる人の能力を結びつけると面白いことが起きそうです。


 最後に担当の方からひと言。「ただ、最大のネックは機械のお値段だと思います」

「リモコンの機械だと相当高くなりますか?」
「はい、普通のバックホウ一台が2千万円だとすると、それをリモコンにすると2.5倍の5千万円くらいになります。正直まだまだかなりお高い機会と言わざるを得ませんね」


 課題はたくさんありそうですが、夢も膨らむ機会のリモコン操作。

 今日は分解型のバックホウを見に来たのですが、思わぬところでリモコン操作の可能性を感じることができました。

 日本の工事なのに、オペレーターが日本にいる必要がないとまで言われたら、労働賃金の安いところに移ってしまうのでしょうか?

 これもまたすごい話になりそうですが、きょうはここまで。

 機械の未来はどうなるのやら。楽しみではありますね。

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「除雪者によろしく」パネルに隠された意味

2014-02-25 21:26:38 | Weblog

 先日あるマスコミ関係の友人がやってきて、「除雪者によろしくのパネルは評判が良いんだってね」と言う話題になりました。

「実際に見てくれましたか?」と訊くと、「見たよ。除雪に携わる人たちの陰の物語が上手く表現されていて、いいなと思いましたよ」


 
 ありがたい評価をいただいているようですが、最近私はもう少し大きいイメージを抱き始めています。

「あのパネルを見て良いパネルが出来た、で終わってはいけないと思うんです」
「ほう、何か考えがあるんですか」

「あのパネルに使った『ブラックジャックによろしく』という漫画を書いた佐藤秀峰さんという漫画家は、実はブラックジャックによろしくの他に、『海猿』を書いているんです。主人公仙崎大輔が海上保安官の潜水士として海難救助に当たる活躍を描いてヒットした漫画です。」
「へえ、あのドラマや映画になった『海猿』の作者だったんですか」

「はい、映画では伊藤英明が仙崎役の主演で、ヒロインを加藤あいが演じました。私も何本か映画を見ましたよ」
「あの物語で海上保安庁の大変さが知られるようになりましたよね」

「そう、まさにそこなんです。今回のパネルの漫画が版権をフリーにした佐藤秀峰さんの漫画で、その佐藤秀峰さんが『海猿』を書いて海上保安庁の人気が上がりました。そこには苦しい状況で職務に忠実な人たちの物語があったからです。だから私は、なんとか佐藤秀峰さんに除雪車のオペレーターを主人公にした漫画を書いてもらえないものか、と思うんです」
「ははあ、人に知られず夜中に苦労しながら地域社会を支えている男たちの物語、と言うわけですか」

「そうです。そのうえ、ひとたび暴風雪災害になどなろうものなら、まさに救難救助の最前線に躍り出なくてはならないわけです。機械の故障、老朽化、道路の除雪をしてあげながらも住民からはしょっちゅう苦情を言われる不条理、そしてそれでいながら誇りを持って働く人たちとなると、物語のネタはたくさんあるんじゃないでしょうか。だからなんとかそういう人を主人公にした漫画ができないかなあ、と思うんです」
「それが連載になって、ドラマになってというわけですか」

「そうです。『海猿』のドラマや映画を見て、海上保安学校への採用希望者が2.5倍に増えたという報道もありました。除雪者によろしくを見て、オペレーター希望者が増えるというところまで行って欲しいものです」


     ◆    


 何にせよ、適切な情報発信は世の中を動かす効果を持つものです。

 今回のパネルは、除雪のオペレーターに注目した内容にしましたが、実は建設業全体における若年労働者の問題は除雪に限ったことではありません。

 冬の暴風雪が災害ならば、夏だって道のないところに道を作り、ひとたび大雨になれば水害や土砂崩れにかり出されるのも地元の建設業者さんたちです。

 問題を広く若者が建設業の誇りに目を向けるような漫画、物語、ドラマができれば、この世界のことを改めて知る素晴らしい情報発信の機会になると思います。

 建設業の団体の中に、こういうことを敏感に捉えて動いてくれるようなところはないものでしょうか。

 今回のパネル作成は若者にインフラを作り維持する仕事の誇りを伝えようという動きのほんの入り口にすぎません。

 ゴールはこの世界に入りたいという若者が増えること。

 目標は高すぎるでしょうか。
  

   ◆   ◆   ◆


 ところで、今日から3月10日まで札幌駅から大通りに向かう地下歩道の北一条付近で、「除雪者によろしく」のパネルが掲示されています。

 石狩地域の地域紹介コーナーの後ろに貼られているのですが、これってパネルが全然見えないんじゃないかなー(笑)

 

 
<> 2014-01-16 
 http://bit.ly/1o2WhLn

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電気自動車の暖房の問題

2014-02-24 21:53:47 | Weblog

 機械部隊の仲間と一杯飲みながらの会話。話題は電気自動車です。

「電気自動車ってあるでしょ?あれってどうなの?」
 すると一人が、「エンジンは低回転の時に力が出なくて、モーターは低速回転の時でも力強く加速するという特性があります。だから低回転からの加速では電気自動車の方が良いと言えるでしょうね」

「走行性能はそうかもしれないけど、エンジンからの排熱が出ないから、冬の北海道だと寒くないのかね?」

「その問題なると、以前ある電気自動車に試乗してみましたが、走っていてヒーターのスイッチを入れると、途端に『あと何キロ走れます』という表示が一気に半分になりましたよ(笑)」
「室内を暖めるのも電気だとそうなるんだろうね。でもそれじゃあ北海道ではなかなか普及しないんじゃないかな。灯油でストーブ暖房ってどう?(笑)」

「大分昔ですが、スバルN360という"てんとう虫"って呼ばれた軽自動車をご存知ですか?」
「知ってる知ってる」

「あれはエンジンが空冷の本州仕様だったんですが、北海道へ持ってきたときにやっぱり室内暖房が空冷では難しかったんです。それでオプションで灯油を燃焼させて暖房するという機器があったんですよ」 
「ガソリンスタンドへ行って、『灯油満タン』というのってなんだか笑えるね」


  【スバルN360 Wikipediaより】


 灯油を燃やす車の暖房って、キャンピングカーでは聞いたことがありますが、普通の自動車ではまず見られません。

 いろいろな昔の車づくりの苦労が今に繋がっています。温故知新で、昔の知恵が現代によみがえるかもしれません。

 電気自動車が北海道で普及するための方策ってなにかありませんかね。

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今更ですが「学問のすすめ」

2014-02-23 23:50:51 | Weblog

 東京で三年間単身赴任で過ごしていた時は、毎週のように自転車で都内を巡り、神社仏閣はもとより江戸時代から明治大正、昭和そして現代にいたる東京の都市づくりを歩いて回りました。

 そのときに江戸時代についても様々な本を読み、江戸時代の人づくりや封建制の下での三百諸侯による地域経営の切磋琢磨など、案外良い政治をしたものだ、と思いました。

 御維新という政権交代を正当化するために、明治維新後にやたら江戸時代を悪くいう風が起こったのか、と江戸時代を懐かしみながら思ったものです。


   ◆   


 さて、先日何度か読んではいた福沢諭吉先生の「学問のススメ」を改めて読む機会がありました。

「天は人の上に人を造らず天は人の下に人を造らずと言えり」という一節は、生まれながらの身分制度を否定し、平等の世を表した一節としてあまりにも有名ですが、文章のその後には人としてのしっかりした生き方を求める厳父の言が続いているのです。

 

「されども今広くこの人間世界を見渡すと、賢い人もあれば愚かな人もいる。貧しい者もいれば、富める者もいる。人を使う人も使われる人もいる。その有様は雲と泥ほどの違いがあるのはなぜだろう」

「その理由というのは明らかで、実語教に、『人学ばざれば智なし、智なきものは愚人なり』とある。つまり賢人と愚人との違いは、学ぶのと学ばないのとによってできるものなのだ。また世の中には難しい仕事もあれば簡単な仕事もある。その難しい仕事をする者を身分の重い人と呼び、簡単な仕事をする者を身分の軽い人という…」

 つまり、人に上下はないけれど、学ぶか学ばないかによって貴賤は生じる、と言っているのです。

 この後には学問とはただ難しい字を知ったり難しい古文を読むことではなくて、読み書き算盤の実学だったり、地理、物理学、歴史学、経済学などだよ、と続きます。

 そして何よりも、「学問をするには分限を知ることが大切だ」と言います。

「生まれついての人は、繋がれず縛られもせず、男とは男、女は女として自由な身だ。しかしただ自由だから何でもありと言って分限というものを知らなければ我がままで放蕩に陥ってしまう。

 すなわちその分限とは、天の道理に基づいて人の情けに従い、他人の邪魔をせずにわが身の自由を得ることだ。自由と我がままの境目は、他人の邪魔をするかしないか、ということにこそある」

 こうした生き方を進めている「学問のススメ」、当時の日本の人口三千万人の一割に当たる三百万冊が売れたと言いますから、空前のベストセラーであったわけですねえ。


   ◆   ◆   ◆


 そして、この中に、どうして江戸時代がダメだったか、ということが書かれています。

 それはこう。

 旧幕府の時代、東海道を御茶壺(が仰々しく)通行したことは、皆人の知っているところだろう。そのほか御用の鷹は人よりも貴く、御用の馬には往来の旅人も路を避けるなど、全て御用の二字をつければ石でも瓦でも恐ろしく貴いもののように見えた。

 …これらは別に法が貴いのでも、その物が貴いのでもなく、ただ単に政府が威光を張り人を脅かしてその自由を妨げようとする卑怯なやり方で、実のない虚ろな威光というものにすぎない。

 
    ◆   ◆ 


 福沢先生が言いたかったことは、江戸時代よりも明治になって良くなったことは、こうした空威張りの威光がなくなって人は自由な身分として暮らすことができるようになったことだ。

 だがその中でも学問を身に着けることが肝心で、国民が皆学問を身に着けて物事の理を知るようならば、政府の行政は寛大なものになるだろうし、逆に国民の徳が衰えたりするようならば政府の行政は厳しいものになるだろう、と言うのです。

 だから学問をススメるのだよ、というのが福沢先生の意味するところ。

 私たちは生れ落ちての自由をちゃんと使い切っていいるでしょうか。

 古典はたまに読み返すと味わいが増しますね。
 

 

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フランス人の若者をおもてなし

2014-02-22 23:45:54 | Weblog

 我が家にフランス人の若者がやってきました。

 なんでも娘が外国人と友達になるというSNSをやっていて、そこで知り合った男の子だと言います。

 それなら日本の蕎麦でもたべさせてやろう、ということで、我が家へ招くことにしました。

 人数が多いので久しぶりに1.3キロの蕎麦を打ちましたが、まあ美味しい粉なのでどうとでもなる感じです。

 
    ◆   

 さて、娘夫婦の車に同乗して我が家へやってきたのはA君という25歳の学生さん。現在北大で情報処理関係の勉強をしているそうです。

 札幌へ来てから2年になるということでしたが、日本語での日常会話はほとんど問題がありません。

「どこで勉強したの?」と訊くと、「ネットにアップされている日本のアニメ動画で覚えました」とのこと。

「どんなアニメが好きなの?」
「多分言っても分からないと思いますが、宇宙冒険もののアニメが好きです」

 本当は韓国や台湾など他の国へも留学の申請を出していたらしいのですが、結局日本にやってきたとのこと。

 面白いので質問攻めにしてみましたが、なんでも率直に答えてくれて実に素直な青年です。

「故郷はどんな町?」
「アルザス地方の人口600人の村です」

「アルザスって昔石炭を掘っていなかった?学校で習った気がする」
「お父さんのまだお父さんの時代じゃないですか。今は掘っていませんね」

「日本ではそんな小さな村は合併して大きな自治体になっちゃうよ」
「フランスではずっと昔からそうでしたから、今も変わらないんです」

「村の人たちは農家が多いの?」
「いいえ、農家は数件しかいません。多くの人たちは近くの大きな町へ働きに行っています」


「北海道の生活はどうですか?いいところだと思う?」
「自然はたくさんありますけど…それだけかな」

「何か楽しいことはあるの?」
「いえ…あまりありません。土日は研究室へ行ってネットをすることが多いです。夏なら自転車で出かけたりもできますが、冬だとそれも無理です」

「スキーなんかはしないの?」
「やってみたいけど下手だし恥ずかしいです」


 なんだか恥ずかしがり屋のようですが、自分の意見はちゃんと言ってくれます。さすがはフランス人。

 なんとお酒は飲まないそうで、「お酒は毒だから飲みません」と言い切ります。そのかわりコーラやジュースが大好きなんだそうで。朝ご飯はあまり食べずにジュースで済ますことが多いとか。そっちの方が健康じゃないような気もしますが…。

 
    ◆   


 ちょっと難しい話も振ってみました。
「EUで通貨も統合したりしたことってフランスはどう思っているの?」
「あれは良かったです。ヨーロッパが一つの国みたいになって、どこへ行くにもパスポートも要りませんから。日本もEUに入ればいいと思います」

「自分の国のことを自分で決められないというのは恐ろしくないの?」
「いえそんなことはありません。日本も自分の国のことを決められないのなら、誰かに決めてもらう方がいいと思います」

 
 なるほど、自分の国の事は自国民で決める、と口では言っていながら、実は国民が一丸となって何かを決めてそれに邁進するという生き方を日本がしていないことを見抜いているようです。

 自分たちで決められないのなら、誰かに決めてもらえば良いだなんて手厳しい意見でした。

 
    ◆   


 お蕎麦をごちそうしたら、「美味しい」と言っておかわりもしてくれました。

「楽しかったよ。またきてください」
「食べ物があればいつでも来ます(笑)」

 今度は中華料理でもてなすとしましょうか。

 ちょっとした異国文化体験でしたが、面白い縁ができました。

 世界を広く見ている若者って多いんですね。視野を狭くすると、「見たいものしか見ない」人間になってしまいそうです。

 視野を広く広く。

   

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浅田真央ちゃんに日本人的生き方を見る

2014-02-21 22:57:40 | Weblog

 注目の女子フィギュアが終わりました。

 期待された浅田真央さんはSPでのミスで前半16位と出遅れましたが、今日のフリーではトリプルアクセル(3A)を見事に決め、会心の自己ベストを記録。演技を見ていて私も涙ぐんでしまいました。

 総合順位では6位に終わりましたが、6種類の異なるジャンプに挑戦。ジャッジではいくつかで回転不足を取られたようですが、オリンピックでの金メダルという「記録に残らなくても記憶に残る選手」となりました。

 今のフィギュアスケートの採点では、3Aという難度の高い技の成功時の点数が低く、逆に失敗すると原点になり元も子もなくなるという傾向があるといいます。

 それゆえ勝ちに行く選手は、それほど難しくなくて点の高いい技を完璧に決めて、とにかく失敗せずに終わることで高い点数を取りにゆくという戦略を取っています。

 そしてそのことがフィギュアをスポーツなのか芸術なのかを曖昧にしている原因の一つだと思います。


    ◆    


 今回もロシア代表として団体戦に登場しながら個人戦の練習中に腰を痛めて棄権した「皇帝」ことプルシェンコ選手はかねてより、「ジャンプの進化を止めることはフィギュアスケートの進化を止めることだ」という趣旨のことを言っています。

 そして前回のバンクーバーオリンピックでは、四回転を回避したライサチェク選手が四回転に挑戦して成功させたプルシェンコ選手をほんのわずかながら点数で上回り金メダルを獲得、プルシェンコ選手は銀メダルとなりました。(ちなみにこのときは高橋大輔選手が四回転に挑戦して回転不足を取られ3点の減点を受けていますが銅メダルに輝きました)

 プルシェンコ選手はジャンプを無難にまとめることを連盟が推奨するならば、競技としての発展は妨げられると考えており、そんな彼だからこそ、得点になりにくいにもかかわらず、女子で3Aに果敢にチャレンジする浅田選手をひときわ高く評価しているのです。

 見る人は見ています。


    ◆    ◆    ◆


 「ローマ人の物語」を書かれた作家の塩野七生さんは「日本人へ~リーダー編」という本(文春新書)の中でこう書かれています。


 …激動する世界情勢下では主導権を握るしか勝つ道はないが、安保理の常任理事国でもなく核も持たず、軍事力も満足な状態では海外に送れない日本が、大国と思い込んでいたこと自体が妄想だったのだ。
 もはや大国らしい外交をすべきとか、フランスを見習えなどという迷い言を吐くマスメディアもなくなるであろうから、それだけでも良しとすべきだろう。

 主導権を握れなければ握っている国の後に従う、というのもバカ気たやり方で、それで得るのはさらなるカネを吸い上げられることでしかなく、こうなれば大人しい日本人も、株主代表訴訟に似た行為を国に対して起こすかもしれない。

 (中略)そして、大国でないがゆえに問題を討議するグループからもはじき出されている日本は、実行力のあるアイデアを主張しても他国が乗ってこないという場合に、これからはしばしば出合うようになると思う。だからと言って、手をこまねいていては影が薄くなる一方だ。

 それで、というわけで提案なのだが、こうなっては腰を落ち着けて、日本人だけで解決できる問題に、われわれのエネルギーをしゅうちゅうしてはどうであろうか。他国をないがしろにすることまではできないが、優先的に、ということならばできる。

 そしてそれは、経済力のさらなる向上、意外にはない。国家にとっての体力は経済力であるからで、経済と技術の向上となれば、日本人にとっては、「自分たちでやれること」になるからである。

 (中略)

 それに、諸行は無常なのである。いつ、日本に出番がめぐってくるかわからないし、反対に当分の間は出番はめぐってこないかもしれない。

 ならばその間は腰を落ち着けて意志があり努力する気さえあれば他国と相談しなくてもできること、つまり自分の国の経済力の向上、に専念してはどうだろう…(以下略)


  
    ◆    ◆    ◆


 どうやら今の日本のスケート連盟の力では、ルールを変える力はないようです。

 今朝の日経新聞は、「いま女子は三回転-三回転の連続ジャンプで高得点を稼ぐのが時代の潮流。今回はSPに19人が組み入れ、上位5選手はいずれも成功させている。浅田は『自分の強み』というトリプルアクセルにこだわり続け、世界の流れに一人あらがったが結果には結びつかなかった」と書きました。

 しかし、フィギュアスケートを進化しうるスポーツだとして果敢に技の難度に挑戦した浅田選手の競技への姿勢はいつかきっと再評価される時代がくると思います。

 不遇な時も腐らずに自分のできることを誠実にやり続けるという生き方は日本らしいと思います。

 真央ちゃんよくやった!あなたは大和撫子の誇りです。
 

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地域の活性化と鉄道~致知3月号より

2014-02-21 00:09:39 | Weblog

 一念発起。人間は心底やると決めたらものすごい力を発揮するものです。

 今月号の「致知」に百年の歴史があるわたらせ渓谷鐡道を敗戦ムードから払拭した、わたらせ渓谷鐡道社長の樺沢豊さんのお話が載っていました。
 
 類まれなアイデアを武器に組織と地域活性化を図ってきた取り組みについてご紹介します。


ーーわたらせ渓谷鐡道(以下、わ鐡)は一時廃線も噂されましたが、最近ではメディアなどでかなり取り上げられているようですね。

樺沢 社長就任以来、情報発信にはかなり力を入れてきたので、2012年度には新聞、テレビや雑誌などで年間六百回以上取り上げていただきました。

 おかげさまで東京にいる友人から、わ鐡っていつの間にこんなにゆうめいになったんだと言われるようになりました(笑)

 今年はわ鐡の前身で、足尾の道を運んでいた足尾鉄道が全線開通してから、ちょうど百年目で、平成元年にJRからわ鐡という名称で第三セクターとして再出発してからは四半世紀目に当たります。

ーーわだいづくりとしてはもってこいですね。

樺沢 こういうのはまず逃さないですよ。今年は周年行事に関連したものを含めて、できるだけ列車を使ったイベントを八十回以上企画しているんです。

ーー乗客数の推移はどのようになっていますか?

樺沢 1994年に年間輸送人員106万人を記録したのをピークに、沿線住民の減少や少子高齢化の波でどんどん減って、私が社長に就任した2009年には50万人を割り込むまでになっていました。

 2012年には前年の東日本大震災と福島第一原発の風評被害の影響で相当厳し可奈と思っていたのですが、前年比1万7千人増に転じています。2013年には再び前年を割ってしまい、年間50万人にもなかなか届きませんが、それでもなんとか良い方向に転じる兆しが見えています。

ーーわ鐡の魅力というのはどこにあるのでしょうか。

 樺沢一番の魅力は歴史があるということですね。古いものは二度とつくることはできませんから宝物です。実際、わ鐡の施設のうち、五カ所の駅舎や鉄橋、トンネルなど三十八施設が国の登録有形文化財に指定されています。

 道路が線路のわきに並行して走っていないカ所が半分近くあるので、列車に乗らなければ見ることのできない素晴らしい景色があるというのも宝ですね。

 ただし、施設でも挂冠にしても、道路が走っていない付近はそれらを維持管理していくのがものすごく大変なんです。


 (…中略…)

【点から面の観光へ】

ーーわ鐡の経営にはどのような方針で取り組まれたのでしょうか。

樺沢 まず考えたのは、何がこの鉄道の役割なのか、ということでした。

 第三セクターとして再出発した当時は地元と一緒に「乗って残そうわたらせ渓谷鐡道」をキャッチフレーズにやっていたわけですが、肝心の沿線住民が減少の一途を辿って行き、地元の熱意もだんだん薄れていく状況では、そうも言っていられなくなりました。

 では交通弱者のために何によって鉄道を残せばいいかと考えて、沿線の観光にもっと力を入れようということになりました。これはわ鐡に限らず、赤字を抱えた鐡道の多くが取り組んでいます。

 わ鐡は1998年からトロッコ列車を走らせています。連休や行楽シーズンになると駅前は観光客でごった返すほどの盛況ぶりでした。

 私はわ鐡に来て初めてトロッコ列車の発車駅でその光景を目の当たりにしたのですが、「これはおかしいぞ」と思ったものです。

ーー観光客が多く集まっているのに、ですか。

樺沢 人だかりができているのは駅前だけで、そこからマチを見渡したら人が全然いません。駅周辺には古い芝居小屋とか、二百年以上続く醤油屋や歴史のある日本酒の醸造蔵があるのに人影がない。

 なぜ狭いホームで列をなしているのかといえば、皆さん少しでもいい席を取りたいからなんですよ。指定席化すればいいだけの話なのに、社員に訊いたらそれはできないと言う。

 確かに第三セクターゆねの障害もありましたけど、一番の原因は目の前の減少に対して、「いままでもそうだから、これはこういうものだ」と思うだけでなんの疑問も持たない社員の意識ですね。

ーー現状に対してなんの疑問も持っていなかったと。

樺沢 こうした現状を目の当たりにする中で、だんだんとこの鉄道はなんのためにあるかということが明確になってきました。それは「地域の活性化に寄与するような鉄道にする」ということです。

 ですから観光バスみたいにお客さんを点から点へと運ぶような観光ではダメなんですね。いかに地域に長く滞在してもらうかを考えなければいけないのに、ホームにお客さんを並ばせるというのはとんでもない話ですよ。

 指定席化を実現すると、出発までの時間を使って乗客が街を歩くようになりました。線路の幅は1067ミリあるんですけど、それを何十倍何百倍にも広げていくことで一つの街ができていくという視点を持つことが大切なんですね。


【地産地消のグッズ製作】
ーーグッズの製作にも力を入れられていますが、これも地域の活性化と関係があるのでしょうか。

樺沢 ありますね。それに情報発信にも一役買ってくれています。

 社長就任当時には二十五種類だったグッズを、この四年間で百六十種類まで増やしました。売り上げも約270万円から1000万円強に押し上げることができました。

 ポイントは「地産地消」と「こだわり」です。例えばお守りの生地は地元桐生のものを使うことにし、デザインは列車の正面を図面に忠実に表現することにしました。

ーー桐生は織物の町として有名ですね。

樺沢 地産地消によって、地元の方々にわ鐡があってよかったと思っていただけることが大事ですね。

 全国で唯一鉄道会社が直接作っていると言われている駅弁「やまと豚弁当」というのもあります。これは主にわ鐡沿線の牧場で育った豚肉を使っているんですよ。

 これがヒットしましてね、累計一万個売れた時点でさらに話題にしようとメディアに働きかけたんです。ただし、一万百一個目の記念をします、と謳いました。

ーー 一万個ではなくて、一万百一個目なんですね。
 
樺沢 思った通りで、いろいろなところから電話が来て、なぜそんな中途半端な数なのかと聞かれましたよ。ここで新しい会話が生まれることが大事なんです。

 理由は簡単で、一個よりも百個、百個よりも一万個という具合でトントン拍子でもう一個というゴロ合わせです。おかげさまで「トントン拍子で一万百一個」というキャッチフレーズで新聞にも載せてもらいました。

 観光ってダジャレの世界だと思っていますし、このほうが分かりやすいからメディアの人も取り上げやすいんですよ。


【社長兼部長兼課長兼営業】
ーー社長就任以来、社員の方々にはどう接してこられたのでしょうか。

樺沢 例えば、いまこの部屋に来られる途中で社員が挨拶をしたでしょうか?前はしない社員が多かったんですよ。お客さんをおもてなしするということの第一は声を出すことから始まる、という話はそれこそ何度もしました。もちろん社員同士の挨拶もしっかりとしなさいと。
 
「当たり前のことを当たり前にやる」ということでは、運転士の指差し確認などの運転の基本ができているかも再確認しました。基本ができていないといずれ安全面でも弊害が出てくるものですから、それを未然に防ぐうえでもしつこく指摘しましたね。

ーー基本の徹底ですね。

樺沢 それから誰々の仕事と割り振れないけれど、誰かがしなければいけない空白地帯に当たる仕事を、誰がやるかということでは随分苦労しました。

 以前は会議を開いても誰も自分がやるとは言いだしませんでした。それどころか、何か言うと自分のところに押し付けられると思って、発言すらしないような雰囲気でした。

 そこを無理やり押し付けてもダメなんです。いくら口で言っても変わらないので、やってみせるしかありませんでした。

「やってみせ、言って聞かせて、させてみて、ほめてやらねば、人は動かじ」という山本五十六の言葉のとおりですよ。

 率先垂範で、社長がこれだけ頑張っているんだから、自分もやらないわけには行かないな、と言われるくらいになってようやく社員が変わってきました。

 もちろん小さい組織なので、社長の仕事もあれとこれというように割り切れません。だからある時は社長の仕事をして、またある時は営業をする。

 そんなことまで社長がやるんですか、と聞かれたら、私は社長兼部長兼課長兼営業だと答えているんです(笑)


ーー樺沢社長の率先垂範が組織を大きく変えたわけですね。

樺沢 いまは本当に社員が積極的に意見を言ってくれるし、どんどん動いてくれるようになりました。

 例えば運転士は空いている時間があれば駅前の駐車場の交通整理をしたり、駅弁を列車に積み込むために運んでくれたりしているんですよ。

 社員の坑道が変わったというのは本当に嬉しい効果です。人が変わるというところを見るのが一番心強いですね

 (…中略…)

 わ鐡の「わ」にはいろんな意味が込められていると私は考えています。人の「和」、話題づくりと発信の「話」、鉄道と環境、地域を大切にする心を表す「環」、そして沿線地域のネットワークとエンドレスを表す「輪」です。

 よく温泉地のホテルなどでお客さんの囲い込みのようなことをやっているところがあるでしょう。自分の建物内にテナントを入れて、飲食店など必要な店が全部そろえてある。

 しかし自分たちを守ろうとするだけで、地域とのことを全然考えていませんから、長期的に見たらマイナスなんですよね。

「自分の城は自分で守る」というテーマをいただいていますが、自分の城を守るにも垣根を作って囲い込むのではなく、外に向かって広げていくという考え方もあると思います。

 第三セクターは公共性を重視するために制約も多く、業績を黒字化させるには非常に厳しい状況にありますが、地域をもり立てて、共に栄えることはできます。「地域全体の黒字化」を目指すのです。

 貢献度を数字ではなかなか表せませんが、わ鐡が積極的に地域に働きかけていくことが、自分の城を守る道に繋がっていくと信じて実践あるのみです。


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 いかがでしょうか。

 社長の樺沢さんは、もともとは群馬県庁の職員だったそうですが、平成21年に県庁を退職後、わ鐡に入社されたそうです。

 団塊の世代に育ったせいか、仕事は奪い合ってもするものだと思っており、現状維持ではいけない、変えていかなければいけないという思いが常にあったそうです。

 そのうえ、県庁でいろいろな役職に就くと調整みたいな仕事が多くなってどんどん窮屈になっていったと感じ、「わ鐡に来て一番楽しめたことは、自分で決めたことをすぐ実行に移せることでした」とおっしゃっているそうです。普通の県庁マンではありませんね。

 自分たちの財産は地域に貢献することで生き延びられるということは何かのヒントになりそうです。

 あきらめずに様々なことにチャレンジしていきましょう。         

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外来種問題を考えるセミナー

2014-02-19 23:43:04 | Weblog

 環境省主催のセミナー「外来種問題を考える」に参加してきました。

 このセミナーは、現在北海道で深刻な問題を起こしている四種の外来種にクローズアップして、外来種問題の理解を深めるとともに、国の外来種問題への取り組みを学び、効率的・効果的な防除活動の推進を図ろうというもの。

 今回のセミナーで取り上げた四種類の外来種とは、アライグマ、ウチダザリガニ、オオマルハナバチそしてオオハンゴンソウの四種類です。

 外来種と言っても、実はその多くは持ち込まれても定着せずに死滅するものも多いはず。

 しかしその環境を乗り越えて繁殖に成功し、一定の潜伏期間を過ごした後に元々の生態系の中で優位を占めるようになると爆発的に増えます。

 そして人目に触れるようになるころには相当に増殖しており、一定の数に達すると増減しながらも安定的な数を保持するようになるのだとか。

 アライグマのお話をしてくれた北大文学研究科の池田先生はそのあたりを、図を使って説明してくれました。


 そんななか、アライグマの増殖を地域の危機として立ち上がったのが大分県でした。

 大分県では砂浜に卵を産むウミガメの卵をアライグマが狙い、食べてしまうということから、アライグマからウミガメの卵を守る保護活動を地元NPOが始めたところ、大分市や地元自治会、北大などの参加によって守ろうとする機運が高まったと言います。

 外来種問題は、ごく一部の専門家にとっては危険だと感じられても、一般市民の関心を招き環境保全活動に参加してもらうのはかなり難しいことです。

 池田先生は、「それを結びつけるコツは、おらが町の守るべき生き物の危機を訴えることだ」と言います。

 大分では、生息するエリアを160ヘクタールの区域に絞り込んで、そこで罠や捕獲などを集中的に行うことで、生息数を一気に減らすことに成功したと言います。

 しかし少なくなるとかえって目立たなくなるために、そこからダメを押さなくてはなりません。

 そのために、アライグマだけに反応するアライグマ探索犬や、棲みかとして好む巣箱型のワナをしかけて根絶に向けて努力しています。

 外来種撲滅は、まだほとんど成功した事例がありません。

 ともすると危機感を持っているNPOが目標設定もなくむやみに捕獲を繰り返していたり、素人考えだけでやっていたりして、非効率で科学的なアプローチになっていない場合もあります。

 しかもそれは、ただ科学的なアプローチだけではなく地域住民や利害関係者との話し合いも必要になる社会的な課題である場合が多いものです。

 より多くの地域住民の関心を呼びたいものです。


   ◆   ◆   ◆


 また、酪農学園大学の吉田剛司先生は、洞爺湖におけるウチダザリガニ防除に関する取り組み事例を紹介してくれました。

 洞爺湖でウチダザリガニを調査してみると、湖の底をそれほど動かない個体もあれば、数キロも移動する個体もありその個体差は大きいとのこと。

 こちらの場合は洞爺湖町の協力を得て、専門の捕獲スタッフによる数年間の捕獲を行いました。

 その結果は、確実に捕獲数が減少傾向となり、また個体長も小さくなる傾向がありました。

 ウチダザリガニの調理缶詰を作って、「食べて減らそう」という運動論もありますが、吉田先生はやや消極的。

 それは減らして行けば食べるのに適した大きさのものが取れなくなってゆくから。

 行政と地域の継続的な関与による明確な達成目標の設定が必要なようです。


   ◆   ◆   ◆


 外来種の管理ということになると、成功した事例はほとんどないのが現実です。しかも対象となるブルーリストには実に多くの外来種が指定され、さらにまたそれが増えようとしています。

 一度は人間の都合によってもたらされた外来種問題ですが、我々も関心を持ち続けて何かできることから参加してみたいものです。

 
 

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