北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

幌加内新そば祭り ~ 今年も天ぷら担当してます

2019-08-31 20:25:26 | Weblog

 

 昨日は天塩町での会合を終えた後に、夕方6時に天塩町を出発して幌加内町へ向かいました。

 今日は朝から幌加内新そば祭りで、北海道そば研究会のブースで蕎麦を売りました。

 私の役回りは、ここ最近はずっと天ぷら担当。

 天ぷら道具一式を持参してくれる先輩の方につき従って、もっぱらカボチャを揚げて、揚げて、揚げまくります。

 ふと会場を見渡すと、幌加内高校のブースでは開始直後にもう1時間待ちの長蛇の列ができています。

 次に列ができるのは、「幌加内うたん会」という地元の手打ちそば愛好会。

 やっぱり遠くから来る人ほど、幌加内の地元を盛り上げてあげたいという気持ちになるのでしょうね。

 今日はなんだかお客さんの出足が悪くて、おまけに2時過ぎから激しい雨が降り始めて会場はてんやわんや。

 予報では「午後から雨」ということでしたが、なんとか2時まで持ってくれたのは不幸中の幸い。

 しかし売れたのはわずかに660食とのことで、ちょっと寂しい数字です。

 友達が何人も訪ねて来てくれて、こういうところだからこそ会えるのだと思うとありがたいことです。

 釧路から「3段の試験を受けに来ました」という知人にも会えてこれもまた面白いご縁でした。

 一年の中で、この二日間だけしか会わない蕎麦友達もいるのですが、それはそれで年に一度の同窓会のようなものです。

 明日こそ天気になって、1000食は売りたいところです。

 それにしても何時間も立ちん坊が続くのは疲れます。ひー。

 

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自転車で北海道を楽しむ島にしたい ~ 自転車利用環境向上会議in北海道・札幌

2019-08-29 22:40:03 | Weblog

 

 白石区にある札幌コンベンションで開催された「第8回自転車利用環境向上会議in北海道・札幌」に参加しました。

 自転車活用推進法が3年間に成立し、同活用推進計画もでき、いよいよ予算化がすすめられる段階となりました。

 自転車でよりよい社会を築くためのいろいろな知恵を集めます。

 しかし自転車をもっと使おう、と言われても、まだまだいろいろな問題が転がっています。

 自転車のための道路空間が狭すぎることはその一つですし、ヘルメットや交通ルールを守るといった交通安全対策や保険の問題、さらには、サイクルツーリズムで観光振興をする動きもありますが、まだまだ個別の施設や事業者は対応が不足しています。

 そういう意味でも、このような会議が開催されて関係者がたくさん集うことは、一つの力になることでしょう。


    ◆

  
 今日のプログラムで興味深かったのは、「スイスモビリティ」です。

 これは、北海道くらいの面積に800万人が暮らす観光国スイスでの、観光受け皿のための取り組みです。

 始まったのは2008年で、それまでバラバラだった観光ルート、案内サイン、情報発信、マーケティング、コミュニケーション、そしてゲストの受け入れといった観光の要素を一つにまとめて調整し、統合しようという試みです。
 
 スイスの観光ルートは33000㎞に及んでいて、国家レベルで推薦できる「ナショナルルート」、地域を代表する「地域ルート」、もっと狭い範囲の「ローカルルート」という3段階に分けられて設定されています。

 スイス政府も関係して、これに26の地方行政区である州やツアーオペレーター、日本でいう国土地理院のようなところや交通事業者まで、広範な関係機関が全て関わって観光の後押しをしています。 

 そして観光客がスイス国内を移動する手段である、公共交通はもちろん、自転車、マウンテンバイク、ハイキング、カヌー、登山までもがスムースに行えるような連携活動をしています。

 北海道からも何人もが見学に訪れていて、「鉄道やケーブルカーを待っているときに自転車を(分解せずに)そのまま車内に持ち込むことができて、それが実にごく当たり前という、その当たり前であることに驚きました」という報告もありました。

 公共交通が自転車などの移動手段を実に鷹揚に迎え入れ、移動する人には、荷物を次の宿泊先まで届けるようなシステムが連動しています。

 スイスモビリティについての基調講演は、スイスモビリティ財団のルーカス・スタッドテールさんが行ってくれましたが、講演の最後には、「スイスモビリティをコピペしてください」と言って北海道を応援してくださいました。


    ◆


 後半のパネルディスカッションでは、そのスイスモビリティについて、「個人の移動と公共交通を上手に結び付けていることを評価して、これを北海道に移植したいと考えているという、北海道開発技術センターの原さんの司会で、自転車を活用したまちづくりについて有識者が語り合いました。

 興味深かったのは、宗谷シーニックバイウェイでの取り組みで、ここではまさにスイスモビリティに刺激を受けて、地元のバス会社である宗谷バスが自転車をそのまま車内に乗せる取り組みを利尻島で行ってみるなど、国内でも先駆的な取り組みをしているという報告がありました。

 「日本のてっぺんである宗谷岬は道内を訪れるサイクリストの憧れの場所の一つであり、そこへ来てもらうために地元がどれだけの受け皿を用意すべきかについて、スイスモビリティは大いに参考になる」と代表の杉川さんはおっしゃいます。

 私自身は今まで「スイスモビリティ」と聞いても今一つぴんと来なかったのですが、今日のお話を聞いて初めて、「移動すること自体を楽しむゲストがいて、それをサポートするシステムがスイスモビリティだ」と納得しました。

 ただその一方で、「自転車でも移動し、カヌーでも移動し、ハイキングもする」というようなトライアスロンのようなツアーを楽しむ人はどれくらいいるのかな、と疑問もあるところ。

 北海道は魅力的な場所が多いのですが、それをつなぐための公共交通が弱いのが難点です。

 まずは公共交通が移動するアクティビティに対して目線を下げて、受け入れるようになることが第一の段階のように思えました。

 自転車で北海道を良い島にしたい、という思いを共有する関係各位の連携に期待するところです。

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地方都市のまちなかリノベーション

2019-08-28 23:35:08 | Weblog

 

 都市計画学会の友人と、「地方都市のまちなかって、もう商店街はシャッター街になって機能していないだろうし、どうやってその空き家や空き商店を使えるようなまちづくりができるんだろうか」と話していて、「まずはそういうリノベーションをやったことのある方の話を聞こう」ということになりました。

 そこで先日、道東のA町でまちなかの空き家を改築して新しい機能を付け加えるような「まちなかリノベーション」をやったことがある、という建築家の方を訪ねました。

 その方によると、A町では役場の精鋭が集まってまちなかをなんとかしようと、もうほとんど機能していない商店街のリノベーションプランを策定して、国の地方創生関連交付金を得ることができたのだそう。

 その資金をもって、建築家集団の力を借りて、その一方で地域で何かやりたいと思っている地元の若者たちと一緒に商店街を見て回り「ここは使える」という建物にアタリをつけてリノベーションプランを策定。

 なかには「もう壊して一から建てた方が早いだろう」と思うような建物もあったけれど、建て替えの作業では地元を面白がる若者集団と一緒になって作業をしたことに意味があったと言います。

 地域の将来性について私から「しかしそういう元商店街ではどんな機能が成立するでしょうか?」と訊いてみると、「確かにもう新しい商店は成り立たないでしょう。人口が3~4千人くらいのA町では、せいぜいゲストハウスとコワーキングスペースくらいでしょう」

 "コワーキングスペース"とは、事務所になったり会議室になったりといろいろな空間を共有しながら、一人一人は独立した仕事をするような、共働のオフィス的空間のこと。

「コワーキングスペースやゲストハウスと言いますが、『じゃあ私がやる』というような人材はその町にいましたか?」
「ええ、プランニングの段階で『こうしたらいいね』と言っているうちに、話に加わっているような方が、『じゃあ俺がやる』という話になっていきましたね」

「しかしゲストハウスやコワーキングスペースでちゃんと稼いで食べていけるというようなビジネス規模になりますか?」
「そこは難しいかもしれません。しかし実際には農業をちゃんとやっている方が『ゲストハウスをやってみたい』とおっしゃったり、地元でいろいろなところからの仕事をもうもらってやっていけているような方が、『おれがそのコワーキングスペースに入る』と言ってくれたりしています。誰がやるのかが決まらないことを恐れてなにもしないよりは、まあやってみれば何とかなる、というところもあるのではないでしょうか。そもそも何もしなければ衰退する一方ですからね」

「確かにそうですね。ではゲストハウスやコワーキングをすることで町が賑やかになって拡大再生産の道まで行くでしょうか」
「それもまた難しいと思います。しかし、黙っていれば町の人口が20年で半分になる、というような予想を、関係人口を増やしたりそこでの出会いをビジネスに繋げたり、それが縁で出て行った人が戻ってくるとか、20年を30年でとか35年に伸ばすようなボクシングの『クリンチ』のような意味合いはあると思います」

「なるほど」
「それに、それが町の将来を救うというような大仰な役割を期待されるというよりは、何にもない場所で何か愉快なことをしたいという思いは強いです。それをするところがなかったのが、これでそれができると思えば、日常の暮らしが明るくワクワクしてくるという効果があって、そちらの方が大きいのかなあ」

 
 人口の少ない地方都市では、一発逆転のホームラン狙いの大きな事業に挑戦するよりも、ゲストハウスで一宿一飯の縁ができた人を増やすとか、コワーキングスペースを情報発信の場所にするなどの地道な活動が現実的です。

 そこで何かを作るということもできたものが良いかどうか、ということもありますが、それを皆でやることの方に大きな意味を感じているということもありそうです。

 もう少しいろいろな町の、まちなかリノベーション、空き家リノベーションへの挑戦の姿を見てみたい、そんな気持ちが沸き上がりました。

 もっと地方を訪れてみないといけませんね。

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5本目のインプラント

2019-08-27 23:09:38 | Weblog

 

 夕方に歯医者さんに行って、インプラントの手術をしてきました。

 インプラントは昨年も一本入れてもらったのですが、その後別な歯が抜けてしまったもので、空いた部分を埋めるのにインプラントにするもので、5本目のインプラントとなります。

 今回驚いたのは、手術前の前処置が依然と大きく変わっていたこと。

  手術前にたくさんの薬の錠剤を飲まされましたし、手術前に唇の周辺も消毒するなど、衛生管理が格段に厳しくなっていました。

「前回から随分やり方が変わりましたね」
「インプラントって、まだ進化の途中なのでやり方が短時間で大きく変わるんですよ」

 あとは麻酔をして歯茎にドリルで穴をあけ、土台になる金属パーツを埋め込む手術です。

 トータルで1時間ほどの手術でしたが、今回はパーツは歯茎の中に埋め込まれて表面は2針ほど縫合して終了。

 あとはこれががっちり固まるのをしばらく待つだけです。

 一度インプラントにしてからは、定期的な歯の検診は欠かせません。

 私のかかっている歯医者さんでは、なにもなくても3か月に一度検診のために来るようにと連絡があって、そこでぐらつきなどの異常がないかどうかを診てもらっています。

 一生のお付き合いになりますが仕方ありません。

 歯を強力なパーツに置き換えてにしてパワーアップを目指します。

 

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木下斉著「稼ぐまちが地方を変える」 ~ 誰も言わなかった10の鉄則

2019-08-26 23:20:53 | 本の感想
 
 木下斉さんの「稼ぐまちが地方を変える」(NHK出版新書)を読みました。
 
 サブタイトルには「誰も言わなかった10の鉄則」とあって、著者が自分で体験し会得したリアルなまちづくりのコツを紹介しています。
 
 まちづくり界ではすっかり有名人の木下さんは1982年生まれという若手。
 
 ネットでもいろいろなヒントを提供してくれていますが、この本の始めの方は、彼がまちづくりの世界に入り込むことになった事情や歴史から始まります。
 
 もともと東京生まれの木下さんは、商店街に生まれ育ったわけでもなくまちづくりにも興味はありませんでした。
 
 ただ、中学校時代から「学外でも何か活動をしたい」とは思っていて、そこで大学入試のない早稲田大学高等学院に進学し、受験勉強をしない分、何か実社会での取り組みをしようと考えたのだそう。
 
 そこで偶然見かけた早稲田商店会の活動のホームページに「学生部設立、部員募集(高校生でも可)とあったのでメールで応募、それがすべての始まりでした。
 
 早稲田商店会では、活動のためのお金がほとんどなくて、その分知恵を出すことが必要でしたが、考えたことは若くても自由にやらせてくれて、おまけにいろいろな大人の人にもあえて話ができてとても楽しかった、といいます。
 
 そこで木下さんは、アイディアを形にすることや、行政や大きな組織を巻き込めばどんどんうねりは大きくなって、そっぽを向いていた人たちも協力的になってくれることを実体験として学びました。
 
 ところが好事魔多し。
 
 低予算で知恵を出していた商店会の活動に、「中心市街地活性化法」の補助金が出ることになり、その結果会の活動の方向が「予算をどう使うか」というおかしな方に流れ、好意的だった人まで離れて行き、活動は低迷してしまいました。
 
 木下さんは、「補助金は麻薬だ。自分たちで儲かる仕組みを考える方がよほどプラスになる」と言い切ります。
 
 
 その後彼は、早稲田商店会の活動で知り合えた全国の商店会の人たちからの出資を受けた会社を立ち上げ、学生社長としてネットでのビジネスを試みましたが、これが大失敗。
 
 彼はその手ひどい失敗から二つの教訓を得たといいます。
 
 一つは、「全員の意見を聞くのではなく、自分で考えろ」ということ。誰かの意見を聞く前に、自分の頭で考えて行動しなければ、決断が難しくなる、と。
 
 二つ目は、「甘い夢を掲げて仲間集めをしてはいけない」ということ。具体的な道筋がないのに甘い見通しでスタートしてはやはりうまくいかないのだと。

     ◆

 彼は、まちづくりがどうやったらうまくいくかの答えを求めてアメリカに視察に行きます。
 
 そこで大事なことに気が付きます。それは『地域再生は、不動産オーナーを基本に据えて考えるべきだ』ということでした。
 
 アメリカでは、多くの不動産オーナーたちが積極的に地域に投資をしていました。その理由は、「まちづくりは自分たちの資産運用だからさ」というもの。
 
 まちづくりに必要なのは、「政治」ではなく「経営」であり「経済」だ、と彼は目からうろこが落ちました。
 
 「まち全体でいかに稼ぐか」ということが重要なテーマなのであってきれいだけでは成り立たない。
 
 縮小する社会にあっても、資源を活用して稼ぎを生み出し利益を残してその利益をさらに次の事業に再投資する。それしかない、と彼は断言します。
 
 このあたりは、まさに報徳の思想そのものではないか!と思いますが、それを評論家としてでなく、実践家だからこそたどり着いた極意だと思うと、言葉の重みが違います。
 
 その後改めて彼が始めたのは、地域の中でコストを縮減して利益を生むという活動でした。
 
 ごみ収集など、不動産オーナーや地域が、それまで当然かかると思っていた費用を効率化することで下げることに成功し、その差額を使ってオーナーへの還元、まち会社運営、そして未来への投資という「三分の一ルール」で事業を続けることができるようになりました。
 
     ◆

 本の後半では、そうした彼のまちづくりにおける「必勝のための10の鉄則」が紹介されています。
 
 鉄則①は「小さく始めよ」。ハナから大層なことをやろうとするな。地域は一軒のお店からでも変わる。
 
 鉄則②は「補助金はあてにするな」。国はやたら地方創生という名のもとに、補助金メニューを増やしていますが、依存症になるだけだ、と。
 
 そのため役人からは煙たがられることもあるそうですが、それで失敗した例は枚挙にいとまがないのです。
 
 鉄則③は「一蓮托生のパートナーを見つけよう」。
 
 鉄則④は「全員の合意は必要ない」、鉄則⑤は「先回り回収で確実に回収せよ」。

 鉄則はあと5つあって全部で10ですが、ネタバレになりすぎるので紹介はここまでにします。興味があれば、本を実際に手に取っていただきたいと思います。
 
 総じて、実践家として彼自身が悩み、それを乗り越えてきた中での実体験がもとになっているので、心の叫びとして重みがあります。
 
 実践家としては、自分以外にもプレイヤーたちがお金も知恵も行動力も全て出して、利益という具体的な成果を上げることが大事なんだ、ということを言いたかったのだと思いますが、やはり頭は「報徳精神」に立ち返ってゆきます。
 
 行政などという相互助け合いのシステムが満足になかった江戸時代にあって、地域のリーダーとして、村民一人一人がその気になってやる気を出し、どうやって明日に来年につなげてゆくかを考えたときに、二宮尊徳先生の言う、「至誠・勤労・分度・推譲」という四つの徳目は、今でも光輝いて見えます。
 
 この本を読んだ後には、ぜひ「報徳記」や「二宮翁夜話」も読んでほしいと思います。
 
 時代を超えて残る本は本物です。
 
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現代家庭の根本問題 ~ 家に電話は必要か否か

2019-08-25 23:46:17 | Weblog

 

 思い切って家のネット機材を新調しようと、無線のWifiルーターを新しく買いました。

 Wifiルーターは、NTTからレンタルされているものを使っているのですが、ネット環境にぶら下がる機材が増えてくるとスピードが出ていないような気がするのと家の中の飛びが悪いような気がしていたので、この際新しいルーターに替えたのです。

 ところがセッティングのときによく見ると、元のルーターには光電話の線が来ていて、新しいルーターには電話の出力がありません。

 購入したヤマダ電機の方に電話で聞いてみると、「そのタイプは、Wifiの電波はLANケーブルでつないで新しいルーターから出せますが、電話はもとのモデムルーターから引っ張るしかないと思います」とのこと。

 結局、今までの「終端装置+モデム・Wifiルーター」という2台編成が、「終端装置+モデム・Wifiルーター+Wifiルーター」という3台編成になってしまいました。

 妻からは、「よく考えると家の電話ってまだ必要かしらね」と、家の電話そのものへの疑問も呈されてしまいました。

 そもそも電話機ももう古くなってきています。

 子機も電池が効かなくなっているし、もうFAXも使わなくなってきました。

 なにより、家の電話には煩わしい営業の電話しか来ませんしね(笑)。

 若い人たちはもう個人のスマホや携帯が連絡ツールになっているので、家に電話のない人の方が多いのではないでしょうか。

 でも僕はまだ、何か書類があったときに「家の電話欄」に電話番号を書き込む方が良いような気がしているのですが、迷い始めています。

 皆さんの家にはまだ自宅の電話がありますか?

 それってやっぱり必要でしょうか?

 

 

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ネットの川を歩く練習 ~ 感情をコントロールする

2019-08-24 23:48:35 | Weblog

 

 容疑者が逮捕されてほぼ沈静化した話題ですが、常磐道でとんでもない「あおり殴打事件」がありました。

 若い男性の運転に激高した男が、常磐自動車道で車の前で急ブレーキをかけるなどのあおり運転を行い、挙句の果てに男性の車を止めさせたうえに、運転席の窓から若い男性を何度も殴ったという事件です。

 共謀的ともいえる容疑者の蛮行の一部始終がドライブレコーダーに記録されていたことから、その男性が動画データを警察に提出し、警察沙汰となりました。

 この被害者がこの動画データをネットに投稿し、それがテレビで紹介されたことからこの事件がネットで広がり、容疑者への批判が一気に燎原の火のごとくに広がりました。

 冷静な目で見れば、容疑者の行動は「高速自動車道上でのあおり運転」、「他人に対する暴行」というもので、現行の法律上はせいぜい懲役1~2年くらいと案外軽いもので、容疑者が反省をすればもしかしたら罰金程度で終わるのではないか、という事件です。

 ところが容疑者がなかなか捕まらなかったことから、警察は顔写真を公開したうえで指名手配に及びましたが、そのことでさらにネットは過熱。

「とんでもない奴だ」「許せない」「一刻も早く逮捕を」という声が殺到し、容疑者のインスタグラムも突き止められると、ネット住民からは容疑者の人格否定し風貌を罵倒する、という過熱した攻撃性が示されました。

 事件を紹介する記事に対する読者の反応の投稿をまとめる、いわゆる「まとめサイト」では、「死ね」だの「生きる価値なし」、「一生臭い飯食ってろ」といった、罵詈雑言があふれ返りました。

 実際に殴られた男性にとっては恐怖の時間だったでしょうし、容疑者の蛮行を擁護することはできませんが、それにしても改めて頭を冷やせば、自分とは関係のない事件に対して世間がここまで容疑者とその人格をバッシングをして、ののしり倒すほどのことかと驚くばかりです。

 容疑者の男性が「本当に頭に来ました」というならまだしも、自分には何の関わりもない事件です。

 ネットの世界は、被害者に対する可哀想に、という共感の感を燃え上がらせたし、それに比例して容疑者への反感も大きなうねりを生じさせた、ということでしょうか。

 そして一たび犯人が捕まってしまえば、もう憑き物が落ちたかのように世間は事件を忘れてしまったようです。

 匿名あるいは実名で容疑者をののしっていた人たちは、今どんな気分でいるのでしょうか。

 ネットは感情を増幅させるという意味で、怖い道具だと改めて感じました。


    ◆


 以前、とても社会は人生のことをよく教えてくれる弁護士の先生とよく飲んでお話を聞く機会がありました。

 弁護士ともなると、可哀想な被害者の味方になってあげたり、犯人といえども身につまされるような事件などリアルな現実に多く触れることになります。

 なかには本当に可哀想なのに、補償が不十分で理不尽だ、個人的にでも何とか助けてあげたい、と思うような事件も多かったのだと思います。

 しかしその先生はこう言いました。

「小松さん、可哀想だと思っても、自分が関わるのは川の中の膝までだよ。腰までつかったら流されるんだ」

 このことは釣りで渓流に入るようになった自分には実に良くわかる例えでした。

 川の中では膝までだったら流されずに対岸へ渡ることも簡単ですが、腰までつかるような深さの流れに及ぶと、本当に一歩間違えてバランスを失えば流されてしまいます。

 仕事として同情はするけれど、それが自分の身に及ぶようなところまで感情的になってしまっては大事になる、というのがその先生の偽らざる感覚で、先生はそれを「膝までなら良いが腰までは無理だ」と表現したのです。

 実際に関わればこその例え話ですが、一方で京都アニメーションでの被害者の方たちに対しては多くの「京アニファン」からお見舞金や寄付が寄せられているという話も聞きます。

 それもまたネット社会の一つの姿でしょう。


    ◆


 よく「ブルペンでちゃんと投げられるようになってからマウンドに上がれ」と言われます。

 「ブルペンでの投球」というのは自分の感情をコントロールする練習という意味でしょう。

 私自身も、ブログでは感情を露わにしたような記事はまず書かないように心がけています。

 自分に対して直接関わりのない事件に対して、(感情的になりすぎてはいないか)という客観的な視点を常に忘れないようにする方が良いです。

 ネット社会の川を歩くのも、ある程度の練習は必要なのだと思います。

 

 

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ここまできっちり安全管理を ~ 口先だけの念仏にしないで

2019-08-23 23:50:24 | Weblog

 

 かなり強い雨の降る札幌ですが、台風10号以降、空気がめっきり秋めいてきました。

 さて今日はそんな強い雨の中、会社の車を借りて市内へ出かけ、知人に会ってきました。

 用事はさほどのことでもないのですが、職場が変わってから会っていなかったので、その挨拶もかねての訪問でした。

 昼前には会社に戻って、自席でちょっとした作業をしていると、一人の課長が私の前に来て、「あのう、小松さん、きょう午前中車を使いましたか…?」とおずおずと尋ねてきました。

「はい、使いましたけど、なにか?」
「…実は小松さんがの車から『急ブレーキをかけた』という情報が上がってきていまして…」

 彼はそう言うと、一枚のコピーを見せてくれました。

 そこには、「Subject:急ブレーキ」というタイトルのメール文が印刷されていて、車のナンバー、乗っている者の名前(私)、そして今日の10時59分01秒に、急減速が発生した、とありました

 減速度は「-0.43G」で、これは急ブレーキに相当する急減速だというのです。

 またもう一枚のコピーには急ブレーキをかけた場所の位置の図面があって、場所も特定されていました。

「この場所で急ブレーキをかけたことになっています」

 なるほど、確かにそこは、走行中に赤信号になり、一瞬(行けるか?)と思ったものの思い返してブレーキを踏んだ場所でした。

「あ~、確かにそこで急ブレーキをかけてます。申し訳ありません」
「いえ、ただこの情報が、支店長や本社の数名には送られているのと、併せてドライブレコーダーの映像も送られています。今後は注意されてください、よろしくお願いします」

 わが社の社有車にはすべてドライブレコーダーがつけられていて、(安全対策はバッチリだ)と思っていたのですが、実は車の挙動はすべてネット経由で把握されています。

 以前ある方からも、「うちの社有車は時速100㎞を超えたら、その情報がメールで即座に支店長に入りますから注意してください」と言われていたのを思い出しましたが、急ブレーキ情報も伝わるとは思っていませんでした。。

 支社の今期のスローガンは「安全第一・遵法最優先」ですが、遵法精神は社員に強く求められています。

 上司や周りの人に知られて叱られるから乱暴な運転はしない、というのではなく、遵法精神をもって安全運転をする、という姿勢が大切です。

 労働災害の発生比率に関しては「ハインリッヒの法則」というのが知られていて、一件の重大事故の裏に、29件の軽傷事故、300件の無傷事故(いわゆるヒヤリハット)があると言われています。

 無事故のためには、まずは一件のヒヤリとハットを起こさないことが大切。

 そして組織の安全管理とは、ただ口先で注意をするだけではなく、このようなシステムでバックアップされるべきものでした。

 わが社の安全管理に対する意識の強さを改めて感じた次第。

 自戒を込めて、「ご安全に!」
 

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「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」を読む ~ 機械に取って代わられない人材になるために

2019-08-22 22:55:09 | 本の感想

 

 「AI vs.教科書が読めない子どもたち」(新井紀子著 東洋経済新報社)を読みました。

 全体は大きく二つの内容に分かれます。

 そもそも著者の新井紀子さんという方は数学者で、国立情報学研究所教授という肩書をお持ちです。

 彼女は2011年から「ロボットは東大に入れるか」という人工知能プロジェクト「東ロボ君プロジェクト」のディレクターを務めました。
 
 つまりここで彼女は、いわゆるAI(=Artificial Inteligence:人工知能)を研究しその可能性を探る調査研究を行ったのです。

 そしてそのシンボリックな目標として、東大の受験問題をAIがどれだけ解けて合格ラインにまで達するのかどうか、を掲げました。そのことでまた世間の注目を大いに引き付けることにもつながりました。

 前半はその苦労談が多く語られているのですが、彼女によると「AIというのは所詮計算機なので、できることは足し算と掛け算でしかない」と言い、長年それに携わった研究者として、「AIは神になる? なりません」、「AIは人類を滅ぼす? 滅ぼしません」、「シンギュラリティ(AIが人間の能力を上回る技術的特異点)が来る? き・ま・せ・ん!」とにべもなく結論付けます。

 そのわけは、東大の受験問題をいかにAIに解かせようかと考えうるありとあらゆる可能性を探った中で、どうしても計算機ではたどり着けない領域があるということがわかったからです。

 計算機で特異な領域もありました。それは世界史と実は数学。世界史は情報検索を行うことでかなり正答率が向上、また数学も問題文が正確で限定的な語彙からなっていれば論理的言語処理と数式処理の組み合わせでかなり点数が伸びました。


【しかし…
 しかしこれらのアプローチではたどり着けなかったのが国語と英語です。

 基本的に機械は意味を理解しません。なので意味を理解して答えを返してくれるわけではない。

 計算機ができることは、「論理と「確率」と「統計」だけでしかありません。

 しかし私たちの知能の営みは、すべてこの三つに置き換えることができないのです。

 
【では機械は人間にどこまで置き換われるか ~ 日本語が理解できない子どもたち】
 東大ロボ君プロジェクトと並行して、著者の新井さんは「大学生数学基本調査」を行いました。

 そこで彼女が目にしたのは、おびただしい誤答の山でした。

 回答をした大学生の通う大学を、国公立Aクラス、国公立Bクラス、私大S、私大A、私大B、私大Cランクとランク分けして、それごとの誤答の現れ方を調べてみると、明らかに国立S級大学では誤答がほとんどなかったのに対して、それ以下の大学では誤答が目立ちました。

 そこで著者の新井さんは、(これは学生に基本的な読解力がないのではないか)という疑問を持つことになります。

 行動力溢れる著者は、今度は中高生の「基礎的読解力」の調査を行います。

 調査に使ったのは、東ロボ君プロジェクトを行ったことで、AIに読解力をつけさせるために積み上げて、そのエラーから分析してきた蓄積を用いて、人間の基礎的読解力を判定するために開発されたRST(リーディング・スキル・テスト)でした。

 この基礎的研究があったおかげで、文章を「係り受け」「照応」「同義文判定」「推論」「イメージ同定」「具体例同定」という6つにわけることができ、それぞれの問題を作成することができました。

 そしてこれに協力校約5000人の子供たちが協力してくれてテストを行いました。

 結果は暗澹たるもので、読解力は予想以上に低いものでした。つまり多くの子供たちが、実は教科書の内容を理解するだけの読解力が身についていない、というものでした。

 著者が気付いたのは、「良い大学に生徒を合格させるのが良い高校だと思っていたが、実はすでに読解力のある子供たちが入ってきているのだから、そこから先は簡単だ」ということでした。そんな学校の生徒たちは『教科書を読めばわかる』のですから。

 著者はさらに分析を進めましたが、残念ながら「こうしたら読解力が上がる」とか「こうしたら読解力が下がる」という因子は見つかりませんでした。

 つまりどうやったら読解力が上がるかについて、著者は答えを持っていません。

 しかし一筋の光明があります。

 調査を通じて協力をしてくれた埼玉県戸田市の先生たちが、この調査結果に危機感を持ち、自らが集まってRSTの切り口で教科書を読み返し、どうやったら子どもたちが教科書を理解できるかについて、取り組み始めたのだそうです。

 その結果、それまで県の中位くらいだった戸田市の子どもたちの成績が、埼玉県でトップクラスになったのだと!

 先生たち自らが、「子供たちは教科書が読めていないのかもしれない」という問題意識をもって授業を行うことが、結果として子供たちの読解力向上につながるのかもしれない、と著者は推測しています。

 
【著者の確信】
 さて、長々とAIが東大に入れるか、というプロジェクトからAIの限界を述べ、また並行して行われた子供たちの読解力への危機感について触れてきました。

 ここで著者が言いたかったことは、「これからの時代、読解力がなく、言葉の意味が分からないような人材は仕事をAIに奪われる」ということです。

 東大君プロジェクトを通じて、著者はAIには読解力に限界があるということを痛切に理解しました。

 それなのに、AIに対して優位性のあるはずのその読解力で機械に負けてしまう人がいる。

 既に、筆記試験が合格できなくて自動車免許が取れない子や、筆記ができなくて調理師免許が取れない子が出てきているといいます。

 教育の格差とは、もはや「どこの大学を出たか」ということではもはやなくて、教科書が読めたかどうか、で決まるというのです。

 ここに至って著者の新井さんは、一連の活動を踏まえて、RSTを提供するための社団法人「教育のための科学研究所」を起業しました。

 多くの若者の読解力の診断体制をつくりたかったことと、なによりも読解力不足に社会が困っているということを知ったのがその理由です。

 AI時代の到来を闇雲におそれるのではなく、その限界を知り、機械に取って代られない人材を育成することができるかどうか、それがこれからの人類の未来にとっての大きな課題です。


 さて、ここまで書いて、ふと怖くなりました。

 私が長々と書いたこの文章は、正しく理解されているのでしょうか?

 この怖さが伝わっているでしょうか?

 良い本です。教育関係者は必読、そうでなくてもお子さんを持っている親御さんも読んでおいたほうが良いと思います。

【RST(=Reading Skill Test)の見本はこちら】

 https://www.s4e.jp/example  


 さて、あなたはどれだけ読解力がありますか? 

 

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泊まる・暮らす・集う 札幌滞在の新しいカタチ ~ The Stay Sapporo

2019-08-21 23:20:22 | Weblog

 

 最近流行の民泊。
 
 こういう宿泊形態については、私自身全く知識がなかったのですが、都市計画学会として少し勉強できるだろうか、ということで人づてに、実際に施設を経営している方からのお話を聞くことができました。
 
 今回は、「The Stay Sapporo(以下「ステイ札幌」)」という施設を経営されている、㈱Phildoの代表取締役齋藤貴之さんにご案内いただきました。
 
 こちらのステイ札幌さんは、札幌市中央区南5条西9丁目に立つ10階建てのビルで、1、2回にテナントが入り、3階から上がまるまる宿泊所になっています。
 
 3階には受付のフロントがあり、この会にはソファとテレビ、それに誰もが使えるキッチンスペースとダイニングテーブルがあり、宿泊者の交流の場にもなります。
 
 
 
 
 4階から上の宿泊階は、もともとはオフィスビルだったものを改装して、ワンフロアに2人~8人が寝られる木製の二段ベッドが置かれています。
 
 部屋は一室借りもできれば、ドミトリーという相部屋タイプもあり、まるでカプセルホテルのよう。
 
 【こちらは共用部屋のドミトリー】
 
【こちらは一室5人部屋】
 
 海外では男女混合の相部屋も当たり前のようですが、こちらでは男女混合もありつつ7階を女性専用のフロアにしているとのこと。
 
 宿泊料金は観光需要が低い時には安く観光シーズンは高めの値付けにしてありますが、それでも1人一泊が大体3千円~4千円程度のお値段で、『雪まつりの時には3倍になる』などという人の足元を見るような商売はしていないそうです。
 
 つまりは、ホテルのような高いサービスを省いた分安価な宿泊を可能にしたもので、こうした宿泊スタイルは"ゲストハウス"と呼ばれたり"ホステル"と表現しています。
 
 齋藤さんは、「ただ"ゲストハウス"というと、超高級なお客様向けの宿泊部屋を意味することもあるので、やっぱりホステルでしょうかね」とおっしゃっていました。

    ◆

 このステイ札幌の魅力は、お値段が安いこともありますが、かつて流行したユースホステルのような、出会いと交流の場所にもなっていることです。
 ここで出会って、札幌市内を共に観光したり、次の場所まで車で乗せてあげたり、フェイスブックで友達になって、それ以降は付き合いがつながっている、などということは日常茶飯事。
 
 スタッフの方たちも、そういうコミュニケーションが好きだ、という方が多くて、中にはこのスタッフに会うためにまた来た、という方や、スタッフが系列の他の宿泊所に移ったという話を聞いて、「そっちにも行ってみる」というお客さんも多いのだと。
 
 
 ホテルであれば、逆にスタッフとゲストとは一定の距離を保つべきところですが、こちらはその距離感が近くて、またそれが魅力にもなっています。
 
 宿泊者は6~7割が外国からのお客さんで、ちょっと見学している間だけでも多くの国のゲストの姿が見られます。
 
 宿泊の予約はいくつかの予約サイトと提携していて、そこ経由での申し込みが中心。
 
 全部で153床があるそうですが、これで年間の稼働率は75%ほどだといいます。

    ◆

 興味深かったのは、昨年9月6日に発生した地震と大規模停電時の対応です。
 
 多くのホテルが、「適切なサービスができない」という理由でお客さんを受け入れなかったのに対して、こちらはとにかく受け入れて、できる範囲のサービスでがまんしてもらったとのこと。
 
「電気もつかない中、ローソクの明かりでお客さんたちがトランプをしていましたよ(笑)。それにそのときは私もここへきて、ウドンをつくってあげたら皆大喜びでした」とは齋藤さん。
 
 実は齋藤さん自身は、「コミュニケーションの輪の中に入るのが得意ではありません(笑)」といいます。
 
「でも、コミュニケーションを求めるならラウンジへ来て他人に話しかければよいし、そうでないならベッドにいれば良い。必ずもコミュニケーションを強制されるようなことはなくて、そこは自由でよいと思うんです」
 
 すすきのにほど近いビルを使った安価なステイ札幌。
 
 斎藤さんは、「このスタイルで5年やってみて、概ね行けるという感触を得ましたので、今後は他都市への展開もあると思います。ホテルとはちょっと違う宿泊スタイルで、それぞれの地域を味わってみてほしいと思います」と、これからを語ります。
 
 
 よく考えると、かつての日本にもユースホステルブームってあったわけで、それがプライバシーを大事にする風潮から、ホテルスタイルが一般的になってきた結果廃れてしまったところに、海外からのインバウンド需要を取り込む、安価で触れ合える宿泊所というスタイルが見直されてきたのかな、と感じました。
 
 このスタイルとは違う、本当に部屋貸しだけの民泊もあるでしょうし、次は違ったスタイルの民泊も勉強してみたいところです。
 
 
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