北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

ブログ化、急須、そして生涯学習

2005-04-30 23:41:00 | Weblog
 いよいよ四月も今日でおしまいです。掛川はお茶が忙しい時期になっていることでしょうが、北海道は

 ただいま「掛川奮闘記」から「北の心の開拓記」ブログへの移行推進運動の実施中です。

 ①上記を色の変わっている部分をクリックして、ブログ版「北の心の開拓記」へジャンプしてください。

 ②そのうえで、「お気に入り」から「お気に入りに追加」をしてください? え?気に入らない?そこをなんとか…

 
 さて今日は、
■gooのブログ
■内祝いの急須
■静岡新聞の記事 の1本です。

【gooのブログ】
 今回いよいよ、北海道での活動報告、情報提供、まちづくり現場の風景などをお知らせするのに、ブログを使うことにしました。

 今までのエンピツと違うのは、読んだ文章の一番最後にコメントをつけられるようになったことです。今までは、一度ホームページに戻って掲示板に意見を書き込むようになっていましたが、これからは匿名で結構ですから、文章を読んだ後に感じたことなどを書き込んでくださいね。


 今回はgooというサイトのブログを使うことにして、こちらが提供しているアドバンスドサービスも購入しました。
 そのため、画像などを貼り付けるデータの量が1テラに増えました。

 1テラは、1000ギガのことで百万メガバイトということです。毎日1メガの写真を貼り付けても、約1000年分は大丈夫という量です。まったく信じられませんな。

 アクセス解析もできて、カウンターの量はもちろんですが、実際は何人がアクセスしたかも分かります。誰がアクセスしたかまでは分かりませんのでご安心を。

    *   *   *   * 

 gooを眺めていたら、スローライフに関するブログもたくさんあることが分かりました。さて、掛川のみなさんも負けてはいられませんよ。

 スローライフのブログを見てみてください。     
 


【内祝いの急須】
 子供の進学で、お祝いをいただいたのでお返しをなににしようとかと、札幌市内でもちょいと知られた食器のお店にいった。

 美味しいお茶を飲むのには、良い急須がなくてはならないと思い、お返しは急須にしようと探して歩く。

 掛川のお茶は一般に深蒸し煎茶である。

  昔ながらの普通蒸し煎茶ならば葉っぱの形が残るので、目がそれほど細かくなくてもつまりはしないのだが、深蒸しでは葉の植物体が粉のようになっているため、出口が狭い急須では詰まってしまって具合が悪いのである。
 
 安いティーポットであれば、網目の濾し器を装着してお茶を出すが、煎茶ではやはり茶葉が急須の中で広がるようにしてお茶を煎じたいところである。

 私が掛川で愛用していたのは、赤い色がおなじみの常滑焼きで、網が急須の中をぐるりと帯状に囲んでいる「帯網」と呼ばれるタイプのもので、やはり深蒸しにはこれが一番具合が良い。

 いろいろと探すと、この網のタイプも、今言った帯網のほかに、一般的な平網、出口部分が凸状にぽこっとでている「ぽこ網」、急須全体が網で二重になっている二重底網などがある。

 急須一つとっても、いろいろな工夫の跡が見られて面白いものだ。

    *   *   *   * 

 ついでに蕎麦道具で木賊(とくさ)模様のつゆ徳利と蕎麦猪口を購入。

 蕎麦猪口も奥が深いが、その話題はいずれまた。 


■静岡新聞の記事
 掛川の知人からメールが届いて、「掛川の戸塚新市長へのインタビュー記事が掲載されていましたよ」とのことであった。

 現地の新聞記事をファックスで送ってもらって読ませていただいた。

 記者の「旧掛川市の『金看板』であった『生涯学習』にはどう向き合う考えですか」という問いに対して新市長のコメントは「部課長会議で『生涯学習とは何ですか。もう一度よく説明してください』と(投げかけた)。私たちはただ何となしに『生涯学習、ああそう』と言ってるだけじゃないのーと。『スローライフ』は言うに及ばず。実体を伴っていない。(以下略)」というものであった。

 生涯学習とはなにか?それを榛村市長は「ゼロ歳から百歳までの動機付け」である、と発言している。

 私はさらに、それは一人一人が他の人や社会、歴史・伝統などの外部ともつながって行くことだと考えている。

 一人一人が自分自身の行動を起こしやすくすることで、結局は参加意識を醸成し、全てを自治体がお金でまかなうような行政はすまい、一人一人が意識して参加して、自分のまちを作り上げて行こうというのが、掛川の生涯学習だと私は思っている。

 さらに、それは全国で初めて掛川が初めて、世間をリードする考え方で町作りを行ってきたという地域ブランドでもある。

 今でも「掛川?ああ、あの生涯学習で有名な…」というのが掛川なのである。

 このブランドの力は一朝一夕にできたものではないので、新しく誕生した掛川でも継承して欲しいものだと心底思うのは私一人ではあるまい。

 掛川のこれからの方向性をこれからも見守って行きたいものである。

 少なくても私の中には、その真髄が残っているつもりであるので、決して風化させはしませんよ。

スローライフのブログ
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おやじの会の総会

2005-04-29 23:45:33 | Weblog
 いよいよ大型連休に突入です。皆さんは予定がありますか?

 昨日から、「掛川奮闘記」から「北の心の開拓記」ブログへの移行推進運動の始まりです。

 お使いのパソコンの登録先を「北の心の開拓記」http://blog.goo.ne.jp/komamasa24goo/ に変更されるよう、お願いします。

 
 さて今日は、
■おやじの会の総会 の1本です。

【おやじの会の総会】
 私の娘二人が卒業した、琴似(ことに)中学校平成おやじの会の平成17年度総会が行われた。

 この会は平成12年度に立ち上がって、これまで5年間活動を続けてきたもので、会は6年目に突入したのである。

 この会は、家庭・地域・学校の教育力向上を願い、父親たちの意識高揚をはかることを目的として設立されたものである。

 札幌市内にも父親の会はたくさんあるが、中学校の父親の会は珍しく、しかも年間に渡ってこれだけ熱心に活動をしているのは、この会くらいではなかろうか。

 会員数は昨年で45名。今年も是非それを上回って欲しいものである。

 この会の特徴の一つにOB会員を認めていることがある。

 学校と地域を結ぶ正式な機関としてはPTAがあって、これはこれで立派に役割を果たしているのだが、現実には日常動ける母親の会になってしまっている。

 また子供が卒業してしまうと学校との関わりも切れてしまうというのが常であり、これまた地域での連携そのものには寄与率が低い。

 このおやじの会は、せっかく学校を通じて出来た友人・知人ネットワークをそのまま地域の財産として継続してゆくことも、一つのねらいとしていて、まさにそのねらいの通り、OBになっても、なんだかんだと協力を続けてくれる父親が多いのである。

 もっとも、悩みは新規会員数がなかなか伸びないことであり、特に父親が地域の中で自分の子供を育てるということの大切さになかなか気づいていくれないのと、気づいても人生で一番忙しい時期が重なっているという、この両方で参加ができないのだろう。

 この会はそういう要因を抱えつつも、それでも友達を増やして父親たちが地域に友達をもとう、という情熱に支えられていると言っても過言ではない。

 この会の活動は、「PTAからは独立する」としていることから、設立当初は学校側もとまどいが多く、「父親による圧力団体ができたのではないか」と恐れる先生方も少なくなかったと思う。

 それでも、この5年間の活動を通じて、父親として得意分野を持ち寄って学校や地域や子供たちに対して姿を見せる市政が評価をされてきて、今年はついに中学校の先生が、校長、教頭も含めて7人入ってくださった。

 「元気のある先生が多いでしょ」というのが校長先生の感想でもある。こういう先生たちとの連携、つながりこそが地域の財産である、という私の信条そのものでもある。

 
 この年齢の父親たちであれば、もうほぼ全員がパソコンは使えるので、日常の連絡はメーリングリストで行ってしまい、事前に集まって何回も会合を繰り返すというようなやりかたはしなくても、なんとか用が足りている。

 まったく良い時代になったものである。

 ネット社会の良さと、それを利用して結局は顔と顔を合わせて話をするということの現実がすばらしく調和されている会だと思うのだ。

 お母さんだとなかなか全員がこういう形にはまだなっていないのも現実なのだろう。

 以前掛川にいたときに、札幌の知人と話をしていて「僕も父親の会を作ろうと思って資料を集めたら、必ず琴似中学校のおやじの会のことがはいっていますもんね」と言われ、嬉しく思ったことがある。

    *   *   *   * 

 「一年に一冊ずつ、まとめの冊子を作りましょう」と言い出したのは私だが、そのとおり、これまでに5冊ができあがっている。

 冊子の名前は「柏葉」といって、琴似中学校のシンボルの柏の葉にちなんだものである。この新しい伝統を守り育ててゆきたいものである。

 ちなみに今年は副会長を仰せつかりました。本来ならば会長職を努めて貢献したかったのだが、「会長は子供が中学校にいる現役の父親から出す」という不文律があって、私は子供が卒業をしたOB会員なので、もう会長にはなれないのである。

 せいぜい副会長として、会の存在のアピールして行きたいものである。

  

 



 
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雪利用のまち、美唄市を訪ねる

2005-04-28 23:52:02 | Weblog
 夜に飲む機会が増えて大変。

 さて今日は、
■美唄で氷を保存する。
■アルテピアッツァを訪ねる。
■現場の事情 の3本です。

【美唄で氷を保存する】
 昨日に引き続いて幹部に随行で、今日は美唄市へ向かう。

 美唄市は札幌から北へ約40キロほどのところで、空知地方にあるが、北海道内でも有数の田んぼの広さを誇る町である。

 人口はかつては10万人を超えたときもあったのだが、炭坑が相次いで閉山したことによってかつての活気を失ってしまった。

 そのため今では人口が3万人を割り込んでしまい、苦しい行政運営を強いられているようだ。

 今日はこちらの官民が共同して行っている雪保存の実験を見せていただいたのである。

 先に市役所で関係者が集まって、状況説明をしていただいたが、あるマンション経営者は雪を集める倉庫を6階建てのマンションに併設して、夏の冷房に使い効果を上げているという。

 採算的に成り立つのか、と言う疑問も、「冬になると除雪をしてたまった雪をお金をかけて運搬排雪していたのですが、その費用を考えると十分に成り立つんです」とのこと。

 雪氷の冷熱エネルギーについては、「新エネルギー利用等の促進に関する特別措置法(平成9年法律第37号)」が平成14年1月に政令改正されて、バイオマス及び雪氷のエネルギー利用を「新エネルギー利用等」として位置づけられている。

 これを受けて、経済産業省でもそれ以降の雪氷冷熱を利用する施設には、自治体、民間に対して補助をしているのだが、それが新設のものに限られていて「使い勝手が悪いんですよ」というのが、関係者の悩みなのだそうだ。

 美唄市でも、介護老人保健施設や老人福祉施設、さらには公園温泉にまで雪冷房を導入しており、雪利用のまちというブランドを確立しようとがんばっているところである。

 今度は暑くなったときにお訪ねをすることにしたいものである。

    *   *   *   * 

 続いて現場視察と言うことで、昔の学校敷地を利用して雪を保存している現場を見せていただいた。

 とりあえずは3月末の重たくなった雪を5m位の高さに積み上げて、外側に木を砕いたバークをまいて覆うことで保温をはかっている。

 雪の安価な保存に関する研究が進めば大規模な実用化もいつか可能になることだろう。

 北海道内では北海道経済連合会などを中心にして、大規模食糧備蓄基地構想研究会というものが立ち上がっていて、将来の食糧危機への備えや季節の端境に良質な食材を提供することで付加価値を高めようと言う勉強会が進んでいる。

 雪を用いた貯蔵技術の特徴は、①雪は0℃で融解するため、保存されているものが0℃以下にはならず凍結しないまま品質が保たれること、②結露も雪表面で行われるため施設に害を及ぼさない、③なにしろ北海道にはいくらでもある、などといったことが考えられている。

 0℃で長期に保存すると、野菜類はアミノ酸が増して甘くなると言う実験結果もあるという。そろそろ雪中米や雪中タマネギなどがブランドとして食卓に登場する日も近い。

 雪貯蔵という技術で北海道が我が国の食糧基地としてブランド化する夢を抱いている男たちがここには何人もいるのである。


【アルテピアッツァと宮島沼を訪ねる】
 続いて昔の小学校敷地を利用して、芸術家安田侃(やすだかん)氏のプロデュースする芸術広場、アルテピアッツァを訪ねる。

 かねてから一度来たいと思っていたので、良い機会であったけれど、今度またゆっくりと来たいと思う。

 安田さんのブロンズ造形は同じ形の石造りのものが札幌駅南口にも置かれている。心洗われる思いだった。

    *   *   *   * 

 続いてラムサール条約にも登録された、渡り鳥の楽園「宮島沼」を訪ねる。

 ここでは冬になると数万羽のマガンが滞在をして、やがて春になるとロシアのシベリア地方に向かう中継地になっているのだそうだ。

 例年4月末が渡りの季節で、「本当に渡るときは、単にえさを周辺の田んぼに採りに行くのとは違う、緊張感が鳥たちにもあるようです。雁行の姿がぴしっとしているんです」と語るのは、この沼をフィールドにして調査を続けているU君。

 「日の出直前に一斉に飛び立って餌を採りに行くのを見るだけでも、生の感動があります」とも。そうか、北海道の感動はこういうところに転がっているんですね。

 やはり北海道でも、地元の人間ほど地元を知らないのは同じようだ。反省しよう。



【現場の事情】
 JR福知山線の尼崎市内での列車事故の死者が日を追うごとに増えていき、とうとう106人になったという。

 こうなったときに、「あのカーブ直前までにスピードを上げて遅れを取り戻すのは運転手の常識」などといった発言が飛び出して、さも日常的に違反行為が行われているかのような印象をもちがちである。

 しかしマニュアルというものには得てして、安全に配慮しつつ遅れは取り戻せといったような矛盾を含んだ指示があるもので、最前線の現場ではそれを現場なりに解釈しながら、利用者の不利にならないように最善を尽くしているはずである。

 仮に原因が、追い込まれた心理状態の運転手なりの現場判断で、それが誤っていたのだとしたら、なんともやりきれない思いがする。

 今回の事故でなくなられた方たちのご冥福を心からお祈りするとともに、現場の事情をよく知っていただいて、安全と定時サービス性が両立されるような知恵がでるように祈りたい。

 定時サービス至上主義でももちろんいけないし、安全のためのマニュアル遵守主義でもいきすぎるとどこかがしわ寄せを受けることになるのだろう。

 上に立つものほど、現場最前線の事情をしっかりと把握することが必要だ、というのは私が榛村純一前掛川市長から学んだいくつかの重要なことがらの一つである。

 物事の真実は、現場に転がっているものである。




 
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当世学生就職事情

2005-04-11 23:30:20 | Weblog
 そろそろ職場にも慣れてきましたが、こちらでは3年間ご無沙汰した方ばかり。挨拶も大事なのだ。
 
 さて、今日は
■挨拶回りが大事 の1本です。

【挨拶回りが大事】
 昼前に、かつてドイツの観光街道視察でお世話になったU先生に電話をして、「午後にご挨拶にお伺いしたいのですが」と言うと、「うーん、午後は人と約束をしちゃったんだよ…、そうだ!今おいで!一緒に昼飯を食べようよ」と誘われる。

 こうなると、掛川で鍛えた得意のなだれ込みの出番である。

 「わかりました。それではすぐに伺います」と、すぐに先生の待つ事務所へお訪ねをする。

 事務所は9階建てののっぽビルの6階にある。先生は待ちかまえていてくださって、「お、よく来たな。お帰りなさい!」と迎えてくださった。

 机の上に本が一冊乗っていて、U先生の最新著書らしい。先生は北海道農業の土地改良に関しての権威なのだ。

 「おぅ、これこれ、君にあげようと思っていたんだ。君もこれくらいの本を書いたら良いよ、と言おうと思ってね」とおっしゃるので、「先生!実はもう書きました!」と言って、わが掛川奮闘記を差し出す。

 「ありゃ、そうか。お、たいしたもんだ!」と、書いただけでお褒めをいただく。それだけ本を書くと言うことの大変さをご存じだからだろう。

 U先生は、我が職場の仕事にも大いに関係する事業に携わってくださっているので、これからもよろしくお願いしたいのであります。

 さて、これで拠点がまた一つ増えましたぞ。

    *   *   *   * 

 続いて北大工学部を訪ねて、掛川でもお世話になったまちづくりのK先生をお訪ねする。

 「先生、その節はお世話になりました」と言うと「こちらこそ。おかえりなさい」と言ってくださった。

 ここの先生の部屋では私の本を5冊もご購入いただいて、院生の皆さんが回し読みをしてくださっているそうだ。

 昨年の年末の忘年会に乱入をしたので、こちらのことを覚えていてくださっている学生さんたちも多くて、微笑みながら礼をしてくれる。またいつか酒を持って乱入しますよ。

    *   *   *   * 

 いよいよ最後に、農学部へ向かって私の卒業した講座をお訪ねする。

 北大校内はまだ残雪が多く、東京ではもう花散らしの雨だというのに、こちらはまだ冬の景色だ。

 北大の学生は相変わらず破れたジーパンなどを履いている子が多くて、かつての私とあまり変わらないなあ。

 私の卒業した農学部農学科は、もう組織改編によって農学科がなくなり、そこにあった園芸第二講座は生物資源科学科ということになっている。

 もう農学科の後輩は世に出ないのである。学校が廃校になる気分というのはこういうものなのかもしれない。

 講座のA先生はお元気で、懐かしく迎えてくれた。

 「そうだ、前期のうちに1コマくらい講座を持ってくれませんかね?」と依頼されたので、一も二もなくお引き受けをする。

 こういうところで授業を受けていると、「緑化や公園の効果はこんなこと…」と習うのだが、世間や地方自治体行政において緑化や公園がどういう意味を持つか、という視点で語る人は案外少ないものだ。

 掛川での経験が学生さんに生きるのであれば、本望というものだろう。

 また、住民という視点や管理という視点をもって、公園という目に見える財産を見なくてはならないだろう。

 やはりここでも掛川での経験が生きてくるのである。これは講義が楽しみである。

 
 ところで話題を変えて、「最近の学生さんの就職状況はどうですか?」とお訪ねをしてみる。

 すると「うーん…、公務員志望の子はそれなりにいて、1種にも合格するんだけど、採用してくれないんですよね。2種でも受けている子は1種に合格していながら、2種で採用された、なんていうことがあるんですよ」

 「それって今後どういう処遇になるんですかねえ。2種で採用になってから1種に合格して1種なりに異動してゆくという例は聞いたことがありますけど」

 「試験の成績で採用しないという流れなんでしょうね。試験は高得点でも面接で落ちてしまうんですよ。なんだかよくわからないね」とのこと。

 うーん、最近はこの講座にも遊びに来ることが少なくなっていたので、今後は大いに駆けつけて、一足先に世の中にでた者としての考えを訴えてゆくことにいたしましょう。

 ではよろしくお願いします。 
  

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当世床屋事情

2005-04-10 23:24:35 | Weblog

 今日は朝からなんと「あられ」が降ってました。ほんとに寒いわ。

 さて、今日は
■当世床屋事情
■鬼雅の視点 の2本です。

【当世床屋事情】
 掛川へ行く以前から通っていた、こちらの床屋さんに顔を出して頭を刈ってもらう。

 掛川にいた頃には年に一度くらいしか顔を出していなかったのだが、それでも結構覚えていてくれていた。さすがは客商売である。

 「最近のお客さん事情はどうですか?」と訊いてみると、「いやあ、毎年じり貧ですよ、この業界も」とのことで、「昨日ですか、不況の業界として床屋とタクシーが取り上げられていたくらいですからね、全く…」と気勢が上がらない。

 「なぜですかねえ?景気ですか?それとも安くて早い床屋が流行っているからですか?」
 「それも確かにありますけど、最近は男の人でも若い人は美容室に流れているんですよね」

 「理容店と美容院の違いって何なんですか?よくわからないんですけど」
 「昔は美容はパーマができるとかいう違いがあったんですけど、今はほとんどそういうのはなくなりましたね。ただ美容は顔剃りができなくて、それは理容店しかできないということはありますけどね」

 「へえ」
 「今の時代に、床屋へ行くというのが古くさいのかもしれませんけどね。美容室に流れるというのも、店構えもファッショナブルだし、店の子もファッショナブルでしょ。ああいうのが流行なんですよね」

 「そう言えば確かに床屋さんの格好って旧態依然としてますよね」
 「床屋の雰囲気とか格好ってほとんど変わりませんよ。でも美容室は千差万別で、受ければ流行るんですけど、しかしお客さんの方も飽きが早いんですよね」

 「そうなんですか」
 「床屋のお客さんって、そうそう店を変えないんですけど、美容室へ行くお客さんは、二年も行くと新しい店を開拓するんですよね。だから同じ店に長く行かないんですよ。だから美容室も次から次にできるけれど、結構つぶれたりもしているんですよ」

 「へえ」
 「お店の子たちも若いでしょ?年をとった美容師っていないでしょ?床屋は結構年をとってもやっている人が多いけど、美容師は若い子ばかりですよ」
 
 「そう言えば、私が掛川で通っていたところのおじさんも今70歳で、75歳までは現役でいるつもりだ、と言っていましたよ」
 「ね?そういうものですよ」

 なあるほど。一通り刈ってもらって、さてお代はといえば「それでは顔を剃らなかったので2700円いただきます」
 「え~、安いですねえ。掛川では4000円近くしていましたよ」

 「それが普通だと思いますよ。でもここはなかなかそれではやれないものですからねえ…」

 月に一度は床屋さんへ言って、ご主人と談笑をしながら髪を刈ってもらうというのも、もはや文化でもなければ慣例でもないんだな。

 何でもありの世の中だけど、なんだかちょっとしたことを我慢して貫くところに「粋」がありそうだ。

 私くらいは浮気をせずに、床屋さんへ行き続けるぞ!


【鬼雅の視点】
 鬼雅からの応募小説の二話目が届きました。

 別に書評をしてくれ、と言うわけでもないけれど、素直に読んだ感想を伝えるのが礼儀というものでしょう。

 細かなミスや、プロットの不自然さを指摘したものの、全体的に暖かいものが伝わってきて、作者の社会への暖かな視点を感じました。

 掛川を舞台にしているとは、掛川人ならよくわかるモチーフが使われているのも、地元なら受けるのではないかな。

 何よりも、ここ数ヶ月間、私やNPOスローライフ掛川とその周辺の人たちと付き合ったことで社会に対する考え方がずいぶんと洗練されたように思います。

 何よりも、子供向けミステリーというジャンルなのだけど、探偵とその周辺人物のキャラがしっかりしてきて、だんだん独り立ちできそうな雰囲気が漂ってきました。

 もう少しボケやつっこみ、美人に悪人と周辺人物が増えてくるとさらにおもしろいことになりそうな予感は十分。

 しかも地域ミステリーと言うことであれば、掛川には遠州七不思議や神社仏閣にまつわる伝説もふんだんにありますし、歴史の話題もこれまた豊富。

 全く書くに不足なしというところにいるのではありませんか。

 そうして、ミステリーという形態をとりながら、社会のなかで一生懸命に生きている人たちへの暖かいまなざしが注がれれば、読んだ後も爽やかさが残ります。

 うーむ、いいですねえ。ご当地ミステリーシリーズができそうですよ。

 なにより最後が暖かいのが良い。

 彼女自身も「日常のちょっとしたなぞの中に、人間の前向きさや真っ当さ、温かさ、生きることはなかなか捨てたもんじゃないよ、という思いを込めたい。それらをロジックに展開したい。そんな世界を目指します」という決意を見せてくれています。

 そう、この世の中はすねたりはかなんだりするものではなくて、生きるに値するものだということです。

 そして、そう言う社会をつくっているのは他人の集団ではなくて、自分自身がまさにその一員だということです。

 さてさて、これまた面白いことになるかも。

 スローライフNPOの本第二弾は、案外鬼雅の本かもしれませんよ。
 
 そうなることを期待しましょ。

    *   *   *   * 

 現地のスパイBからの情報で、「掛川市内の本屋さんに行ったら、掛川奮闘記に唐突に『助役本』という札がつけられていて笑えました」とのこと。

 そろそろ『前助役本』ということになるのではないかな?はっはっは。
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自転車と本と情報

2005-04-09 23:24:25 | Weblog
 やっと引っ越し荷物の片付けが始まりました。さて、あれはどこにしまったのだったっけ…?うーむ。

 さて、今日は
■自転車が届きました
■本と売れ筋情報が届きました の1本です。

【自転車が届きました】
 引っ越し荷物を片付け始めたところで、いただいたエディ・メルクスモデルの自転車が届きました。

 大きな段ボールに守られて届いた自転車は、開けてみると車輪が取れてる…。

 うーむ、私に取り付けられるかどうかが不安で、花見中というサトさんにメールで救援要請。

 山崎さんからの伝言で、「取り付け方を手紙で入れておいたので大丈夫だと思いますよ」とのこと。

 あ、本当だ。なかに封筒と清ちゃからの手紙が入っていました。

 なになに…「この自転車で北海道の大地を駆け巡ってください。小松さんのまいていただいた種を必ず大きく育てます…」というお手紙。

 くーっ、泣かせますねえ(T-T)。おーし、走るでー。待ってろよー、北海道!

 …もっともそのころ掛川では花見の真っ最中とか。

 私が掛川にいなくなって一週間の一周忌で集っていたのだそうです。

 桜の下で、大いに盛り上がったそうな。ふんとにもー、うらやましい限り。北海道の桜は一ヶ月後です。

 う゛~さぶ~ 。

 
【本と売れ筋情報が届きました】

 スローライフ掛川にお願いをしていた、私の本が200冊届きました。

 さて、こちらでもどんどん配布するとともに、売りさばかなくてはね。

 早速実家の親が来て、「4冊売って」というので売りました。親にも売りつけるとは…(^-^;)。

    *   *   *   * 

 掛川に残してあるスパイ情報で、私の「掛川奮闘記」の売れ筋情報が入ってきましたよ。

 知人の一人が掛川市内の本屋でアルバイトをしているのです。その方からスパイAが情報を入手したようです。内容は以下の通り。

(売れ筋 その1)
「掛川奮闘記」をお買い求めになるかたの年齢層は、圧倒的に50代以上の中高年が多いそうです。

 購入者の大半は、助役であった小松さんを知っている、お話を聞いた事がある、お蕎麦を食べた事があるという方々だそうです。

(傾向からのスパイAの感想)
 小松さんは、本当に市民に慕われていたんですんね。

 袖すりあって多少の縁が出来た人達が本を買ってくださる、これは好印象以上のものがあったからでしょうね。(…中略…)

 そうでなかったら、「ああ、あの助役ね」とか、「ああ、この人の話は
もう聞いたから」とかいって、買って行ってはくれないでしょう。

(売れ筋傾向 その2)
 また、ほとんど掛川市の助役が誰であるかを知らないような雰囲気の20代~30代の方も、本を手に取る確率は高いそうです。

 しかも、手に取るだけでなく、中身も読んでいくそうです。この年齢層の特徴としては、立ち読みが多いそうです。


(傾向からのスパイAの感想)
 小松さんを知らない彼らが本を手にする、表装の大事さが出てますね。

 本屋サンの沢山並んだ本の中から何となく興味をそそられる表紙であること、なんですね~。ふ~んすごい事ですね。

 何しろ筆者は、ごく一部では有名だけど、広くは無名の新人(?)みたいな
ものですから、名前だけで手に取らせるというわけにはいかないし。

 今回は、良いデザイナーにデザインしてもらえて良かったですね


(売れ筋傾向 その3)
 市内有名書店M屋さんの店長サンが「『掛川奮闘記』は自費出版みたいなもんでしょ」

 「その類の本で、こんなに売れる本は珍しい!」と絶賛していて下さってるそうですよ。

 自費出版の本というのは、本屋では預かってもほとんど売れないのが現状だそうですから。  

 
 …ほう、そんなことになっているのですか。こんなことなら、もっと多くの人に蕎麦を食べてもらえば良かったーっ(--;)クッソ-。

 やはり、普段からの実践がいざというときに力になるという見本みたいなものでしょうかね。

 物事って、突然やってもだめなんですよね。結果を求めず普段から、普段から。

 それがいざというときの力になるのです。
 
    *   *   *   * 

 鬼雅が文学賞に応募した第二話目が送られてきました。

 じっくり読んで、私なりの書評とチェックを加えて送ることにしましょう。今度は私が鬼正じゃーっ。
 
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北海道は変わらず

2005-04-08 23:24:25 | Weblog
 札幌はまだまだ寒いです。今日も雨からみぞれ。春はまだ遠い。

 さて、今日は
■高校の入学式
■課の懇親会 の2本です。

【高校の入学式】
 下の娘の高校入学式に奥さんとともに出席する。

 地下鉄を乗り継いで9時頃に現地に到着。

 この高校は、今学年が433名で10クラスという、なかなかに大きな高校である。男女比は7:3で男子が多い。

 入学式にはさすがに出席する親の数も多く、広い体育館の後ろの席がほぼ満員になった。

 北海道はいまだに入学・卒業式における国歌斉唱へのアレルギー体質が残っているようだ。

 ここの高校でも君が代は国家吹奏という式次第になっていて、歌う必要はないというしきりになっているようだ。私は声を上げて思い切り歌ってやったけれど、我々がどこに帰属しているのか、という意識を育て上げるのはやはり教育の分野だと思うけれど、実際には学校教育が機能していないのならば、家庭教育に負うところが多いのだろうな。

 ワールドカップのときは言われなくても、多くの人が歌っているのにね。

 外国へ行って、外国人が自分の国の国歌をおろそかにしている姿を見て、我々は愉快に思うのだろうか。

 ちょっと視線を外に置いて想像力を働かせてみると、いろいろなことがわかりそうなものだが…。

 北海道はあまり変わっていないなあ、と思った時間。


【課の懇親会】
 夜に課の全員が揃ったところで、懇親会を行った。

 お酒を飲んで身の上話に花が咲けば、親密感もぐっとわいて、仕事がしやすくなる道理である。

 今回は17名のうち、7名が替わった勘定になる。職場での雰囲気と引き継いだ仕事になれて、職務に早く精通しようではないか。

 終わったところで店を出ると、そとは霙(みぞれ)。

 北海道の春はまだまだなあ。

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「北の心開拓記」の始まりです

2005-04-07 23:24:25 | Weblog

 札幌の生活が始まりました。これからが私の北海道奮戦記ですが、北海道の人たちの心を耕してゆく、人心開拓記でもあります。

 さて、今日は
■札幌の風景
■私のお仕事 の2本です。

【札幌の風景】
 私の自宅は、札幌市の西区山の手というところです。

 駅から家までは直線で約5kmほどで、天気がよければ自転車で十分楽珍なサイクリング程度の距離です。

 掛川のスローライフNPOの事業で、24kmのサイクリングをしたことを思えば、全くたいしたことはありません。

 もっとも、札幌市内にはまだ歩道などに残雪が残っていて、その溶けた水が道路を濡らしていて、この季節はとても自転車で快適なサイクリングと言うわけには行きません。
 雪の積もらない掛川の春とは随分違うものであります。


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 職場は札幌駅の北側100m程のところにあって、札幌駅からは至近の距離にある。
 
 札幌駅までもバス停までの徒歩を含めても40分ほどで到着するので、実に便利。

 とはいえ、掛川の時には通勤時間は車で6分徒歩で20分というところで、通勤時間というものをほとんど感じない生活でした。まあ、さすがにこちらではそうはいかないけれど、この程度の時間ならまだ近い方です。

 札幌の街中には、沢山飲み屋があってバスの車窓からよく見えるけれど、そのほとんどが一生に一度も行くことのないお店でしょう。

 「選べることが豊かさだ」といった人がいたけれど、選べなくたって幸せはあるはず。

 幸せの本当の意味を私たちは分かっているだろうか。今が一番幸せだったことが、次の瞬間に分かるのです。

 今というこの一瞬を幸せに生きられない人は、一生幸せにたどり着くのは難しいことでしょう。

【私のお仕事】

 私の所属課は開発調整課という名前の課である。

 開発という文字を取り除けば、調整課ということで、道路や河川などの具体の事業課ではなく、それらの事業間にまたがるような調整の仕事や、あるいは他の部門に属さないような特殊な分野を担当するのが仕事。

 仕事の範囲も幅広で、調査費を使って明日の北海道のためになるような調査を行ったり、観光や景観評価、事業評価、ツール・ド・北海道、オートリゾート…などなど、実に守備範囲は広いです。

 なかでも今年一番の目玉は、冷熱輸送というもので、これは苫東から氷を運んで首都圏にもちこもうというプロジェクトです。

 これはまたいずれ詳しく述べたいけれど、暑い夏の首都圏を北海道の氷が冷やすと言う壮大なプロジェクトで、なかなか興味深いものがあります。

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 座っていると、古くからの知人が面白がって訪ねてきては、「やあ、いたいた」と声をかけてくれる。古い友達はありがたい。

 私の本を買ってくれた知人のNさんもやってきて、「僕の知人が一度ニセコ町で榛村市長さんの講演を聞いたんだそうですよ。それが印象的だったらしいんだけど、『今度その市長の下で助役として働いていた小松さんが戻ってきていますよ』と言ったら、『是非紹介してください』と言っていましたよ」とのこと。

 何はなくとも、とにかく知人のネットワークこそありがたいものはない。

 「面白そうな人は沢山いますか?」と訊くと、「へへ、いますよ~」とのこと。

 私の人生の一番大事な数年が始まる。あと数年間のうちに、自分の本当にやれること、やりたいことが決まるのだ。

 人生は短い。今を一生懸命行き続けるからこそ見える何かがあるはずだ、と思います。

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 通称「鬼雅」と呼んでいる掛川で私の本の編集を担当してくれた女性が、公募されているコンテストに応募するための作品を仕上げたそうです。

 原稿用紙で200枚と言うことだったが、とりあえず私の手元に84枚分の前編相当分だけが届いています。

 テンポもなかなか良い。早く後編が見たいところ。

 私の本の内容には、ガンガン突き上げてきた彼女なので、今度はこちらが鬼の編集者になって、ガンガン言いたいことを言ってやりたいのです。

 立場が替わるという事も変わるね。


コメント
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