北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

スポーツのドラマ性とその奥にあるドラマ

2016-01-31 23:42:42 | Weblog

 昨夜はリオ五輪サッカーアジア予選の決勝の日韓戦に釘付けになりました。

 韓国に二点を先制されたときは(あー、今回もダメか…)と諦めかけましたが、後半に浅野選手が入ってから一気に雰囲気が変わり、一気に同点、そして逆転と、まあ夢のような試合運びでした。

 筋書きのないドラマのようなスポーツの展開には興奮しました。すばらしい!


 昨日のサッカーの決勝もBSで試合終了後のインタビューまで長々と中継を観ましたが、よく探せばBSには実に印象的なスポーツを題材にした番組があります。

 今日の夕方には再放送でしたが「スポーツ追体験ドキュメント」として剣道世界選手権の決勝で、日本対韓国の壮絶な試合を振り返る番組が放送されていました。

 こちらも十六回目の大会で十度目の決勝での対戦と言いますから、サッカーのみならずなにかにつけてライバルの国であることがよくわかります。

 この手の世界を相手にする国際試合では日本の常識が通じなくて、反則の概念なども異なることがよくあります。

 試合巧者とは、単に運動技能だけではなくて、そうしたルールの概念や審判の癖なども含めた全部を把握したものだということが良くわかります。

 「あのときの心境を教えてください」という、試合を振り返るドキュメンタリーでは演出が上手でドキドキしました。


       ◆ 


 夜の九時からは、「ぼくらはマンガで強くなった~~SPORTS×MANGA」と題して、小林まことさんの「柔道物語」と金メダリスト野村忠宏、そして古賀稔彦さんという三人の意外な交流が紹介されました。

 小林まことさんは、ご自身が弱い柔道部員だったという経験から、本格的な柔道マンガを描きたくなって「柔道物語」という漫画を描き始めました。

 最初は人気が出なかったそうですが、古賀稔彦さんから「ファンです、頑張ってください」という手紙をもらって、そこからいよいよ本格的な柔道マンガとして力が入ったのだそう。

 二人に交流があったなかで、小林先生は、古賀選手が普通は両手を使ってかける一本背負いを右手だけでかけて勝った試合を見たのだそう。

 小林さんは「普通一本背負いは、右手で相手の襟をつかんで、左手は相手の右の袖をつかみ、両手でかけるものなんです。ところが自分で撮影した試合のビデオを見ていると、(あれ?左手を使っていない。右手の襟だけで投げている)ということに気がついて「すごいな」と思ったんです」と語ります。

 そしてその技を柔道物語のなかで早速使い、主人公がその技で勝つという物語を描きました。

 ところがさらにその漫画を当時中学生だった野村選手が見ていて、(すごいな、こんなことができるんだろうか)と覚えていたのだそう。

 後に野村選手はアトランタオリンピックのある試合で、残り十五秒からその技を繰り出して一本背負いを決めて勝ちました。

 それを知らされた古賀選手はインタビューの中で、「じゃあ僕の技だとちゃんと言ってくれなくちゃ僕が目立たないね(笑)」と笑いましたが同時に、「しかし漫画の中の技を見て、すごいな、で終わらせずにそれができるのかどうかを練習して、いざというときに使えるようにしていた野村君もすごいということですよね」と語っていました。

 柔道の美しい技が、それを観ていた漫画家の漫画で描かれて、さらにそれを将来屈指の柔道家になる青年が見ていて、それが現実に実現する。

 スポーツと漫画の融合という興味深いテーマを実に上手に描いた番組に仕上げていました。

 若い人はテレビを観なくなった、とよく言われますが、感動させるような高い品質の番組を真面目に作っていれば、観る人は増えるんだと思います。

 スポーツに隠されたドラマを丹念に取材して紡ぎだす、そういう真面目さは視聴者に伝わるのだと思います。

 製品でも料理でも事務仕事でも、良いものを真面目につくれ、ってことですね。

 


【BS1 ぼくらはマンガで強くなった「柔道・野村"背負い"の秘密」】

 

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弱気になるな、怯むな~加藤一二三九段の勝負心

2016-01-30 22:19:54 | Weblog

 

 今月号の「致知」に、将棋の九段加藤一二三さんのインタビュー記事が載っていました。

 加藤九段は、十四歳という最年少でのプロデビューを果たして、以来、棋士生活六十二年。名人位をはじめ数々のタイトルを獲得して、七十六歳の今なお現役の棋士として活躍されています。

 加藤さんは子供の頃はプロ野球選手になりたいと思っていたそうです。それが小学校四年生の時に、新聞の将棋観戦記にあった、『ある一手を差すと、次に差す手がない』という言葉が目に留まり、その途端、なぜか(将棋というのは好手を差し続ければ勝てるゲームなんだ)と直感的に悟り、それから将棋にのめり込んだのだそう。
 やはり運命だったのでしょうか。

 加藤さんは棋士生活が長いこともあって、勝ち数も多いのですが負け数も多い。しかし負けた時ほど、己と徹底的に向き合うことで自信が生まれて強くなるということを何度か体験してきたそうです。


       ◆ 


インタビューアー「負けて強くなる、というのは長年、将棋に一途に打ち込んでこられたからこその、加藤さんの実感なのでしょうね」

加藤「将棋には勝ち負けがつきものですが、私の場合は一千回以上も負けているんです。何と言っても負け数一位ですから(笑)。

 千回負けたというと『そんなに負けて大丈夫なの』と思われるかもしれませんが、プロの将棋界で負け続けると最短十三年で引退に追い込まれます。現に将棋界の歴史で千敗達成者は、私を含めてまだ三人しか存在しません。
 別な言い方をすると、たくさん負けるには、それ以上にたくさん勝たなくてはいけない。千敗というのは、六十年以上現役を続ける『強さの証』だと自負しているわけです(笑)」


イ「負けが続いた時の加藤さんの心の支えは信仰だったのですか」

加藤「はい。二十代の頃、棋士として鳴かず飛ばずというのか、行き詰ったと思った時期が一年ほど続いて、『将棋と同様、人生においても最善手があるのではないか』と思っていた時に巡り合ったのがキリスト教でした。
 人間は誰でも幸せを求めて努力をします。棋士もそうです。ただ、そこに神様からの協力が得られれば、さらに人生は飛躍発展につながるというのが私の人生観なんです。(中略)」


イ「信仰は対局の場でも生きてきますか」

加藤「何より人間としてのゆとりが生まれますね。勝負師というのはガチガチに固くなってはいけないんです。常に余裕を持って、十二分な力が発揮できないと勝てない。私の場合、そのゆとりは信仰から生まれるのですが、信仰のない人でも自分なりの工夫をしているはずです。
 (中略)
 それと合わせて大切なのは、やはり怯(ひる)まない心です」


イ「ああ、怯まない心」

加藤「私は中原名人との決戦の時、『旧約聖書』の言葉を胸に刻もうと誓い、それを心で唱えながら名人戦を乗り切りました。『勇気をもって戦え』、『相手の面前で怯むな』、『弱気を出してはいけない』、『慌てないで落ちついて戦え』、この四つです。
 
 弱気になると判断力が鈍り、迫力が無くなるんですね。私はいまも若手棋士との対戦が多いのですが、若手の間では作戦の幅がものすごく広がっておりましてね。当然ながら、相手は私の将棋を研究して臨んでくる。
 私にしたら、突拍子もないアイデアなど出ないと分かっているのに、『若手が新しい作戦を思いついたのでは』と不安がよぎることがあります。その迷いに囚われると弱気になってしまう。
 このように、ギリギリのところでは、ちょっとした心の持ち方が勝敗を決することがあるんです。その迷いを断ち切り、勝負に臨む冷静さが勝負師には求められますね」


       ◆ 


 一級の勝負師でも弱気になることがある。それを自覚したうえで、自分自身に『弱気になるな』ということを常に語りかけているというのが印象的でした。

 仕事だって、予期しない出来事やトラブルはあるわけで、それに対して一度でも逃げる姿勢を示してしまうともう戦う迫力はなくなってしまいます。

 トラブルに出会った時は最初の迫力が大事です。

 「弱気になるな」「怯むな」「慌てず落ち着け」、これらは仕事でも人生の生き方としても参考になりますね。

 

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「対談」などというスタイルを思いついたのにはわけがある

2016-01-29 22:18:08 | Weblog

 三人の講師のうち二人が来ないという大ピンチながら、なんとか無事に終わった昨日の講演会。

 何人かから、「講師が到着しないというのは大変でしたが、よく"対談をする"なんてことを思いつきましたね」という声を聞きました。

 講師の飛行機が到着しないという連絡に接して、代役の効く講師は良いとして、代役の効かない講師の分をどう埋めようか、となったときに実はすぐに私の頭に『対談という形式の講演会のスタイル』が浮かびました。


 なぜそれが頭に浮かんだのでしょうか。


 それは自分自身が過去に何度かそういうスタイルを見たことがあったから、経験をしていたから頭に浮かんだのです。そしてそれは掛川での助役時代の経験でした。

 私が助役としてお世話になった三年間、当時の掛川市長榛村純一さんはご自身も講演や演説でお話をすることが得意でしたが、それ以上に人の話を聞くことにも熱心で、また聞き上手でした。

 ご自身の人脈から一流の講師(これもすごい人ばかりなのですが)を招いて講演会をすることもしばしば。そんな講演会のスタイルの中に、講師を招いて一時間ほどの話をしていただき、その後で主催者である市長自身が壇上に上って、講師と一対一で向かい合って、講演を元にして質問や意見をぶつけてそこから話題をさらに深掘りする"対談"というやり方があったのです。

 そういうことが頭の中に浮かんだので、とっさに(これは対談形式で話題をさらに掘り下げる形ならできるし、それしかないかな)と考えたのでした。


          ◆  


 講演会では、講演が終わった後に司会者から「会場の皆様から何か質問がありますか」と声がかかります。場を盛り上げる良い答えを引き出すためには良い質問力が必要です。

 普段から質問タイムにはできるだけ質問をするように心がけている私ですが、そういうこともいろいろな練習になっているもので、榛村さんに近づきたいという思いと努力が試されました。

 まあ改めて良いお手本はありがたいものだと思いました。


 よく「勉強しなさい」と言われます。


 勉強とは、読書や経験を重ねて人格を陶冶(とうや)することですが、ピンチの時にとっさに出てくるのは経験の方なんだなあ、と思いました。

 お手本となる姿を見て経験しておけばそれはきっと後に役に立つ。

 良い経験を重ねましょう、そして後輩には良いお手本になりましょう。それが年上の務めです。

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講演会に招いた講師が来ない!そのときあなたは

2016-01-28 23:43:43 | Weblog

 携帯電話が鳴り、出てみると稚内空港にいる担当者からの連絡で、「部長、東京からの飛行機が欠航になりました」
「うーん…、わかった」

 今日は午後に稚内市内のホテルで「道北地域連携地域づくりセミナー」を開催することになっていたのですが、なんと東京から来てくれるはずの講師二人が乗った飛行機が稚内空港に着陸することができず、千歳空港に向かったという連絡なのでした。

 今日のセミナーのテーマは「北の空港から発信、世界水準の観光地づくりに向けて」として、空港と航空路線から道北地域の観光振興や地域振興を考えようというもの。

 そこで東京の北海道局と、フジドリームエアラインからそれぞれ担当の方を招き、あと一人は道庁の航空局長という三名の講師をお招きしてのセミナーになるはずでした。

 それが東京からの二人が到着しないという大ピンチ。

 幸い道庁からの航空局長は、前日に飛行機で来る予定をJRに切り替えてくれていたので、予定通り稚内に到着。しかし三人の講師のうち二人がいないという考えられない失態となりました。

 お二人の名誉のために申し添えておくと、二人とも天気が悪そうならば前乗りする心づもりはあったとのこと。今朝の天候の急変が災いしました。

 さて、こういう時一体どのような対応をしたらよいでしょうか。


       ◆ 

 
 今日幸いだったのは、唯一到着してくれた講師が気心の知れた友人だったことです。

 最初に話してもらう予定で東京の国交省から来てもらうはずだった方の話題は、資料を見るとある程度説明ができることから部下の一人に代役で説明をしてもらうことに。

 二番目に予定したフジドリームエアラインの部長さんの講演は、残念ながらカット。そして三番目に予定した道庁航空局の木本局長には講演時間を少し伸ばしてもらうとともに、木本局長に対して、「講演の後に僕とあなたの二人で対談という形で、話題を深掘りしたいんだけどどうかな」とプランBを提案。

「いいよ、何でもやるよ」 持つべきものは信頼できる友達です。プログラムの修正は会議が始まる30分前に決まりました。


       ◆   

 会議の冒頭で、会場の皆様にはプログラムの変更について説明をして、そのうえで変更した予定通りに講演を二本、そしてぶっつけ本番の対談の始まり。

 木本局長とは気心が知れていて、以前にも航空行政についての意見交換をしたことがありますし、お互いにどんな質問をしてもそこそこ答えられるという信頼があります。

 おかげで、木本局長の講演を踏まえて、それに違った角度からの質疑応答と対談も無事終了。

 木本局長からの話としては、特に昨年全国22カ所の地方空港から稚内へ106便のチャーター便を運航してくれたフジドリームエアラインの活動を評価し、「遠くからお客さんを運んでくれることを喜ぶばかりではなく、逆にそれを使ってこちらからも先方へ行くという交流が必要。こちらから送り込むという意味では若者への旅行体験や、海外旅行なども増やした方が良い。また、飛行機を使った産物の輸送と紹介なども有効なのではないか」とチャーター便の意義を強調していました。

 さらに、「海外からのインバウンドは旅行商品を相手国の旅行業者が作って売っている。こちらにいる人が作っているわけではないので興味や関心、回るルートなどにはこちらの希望は入っていない。そうしたことを踏まえた対応が必要ではないか」とも。

 様々な課題や、将来に向けた二港寄りなどの可能性など多岐にわたる話題に触れたセミナーとなりました。

 
 空港の欠航率を下げたいね、ということも言われましたが、まさに飛行機の欠航によって被害をこうむった一日となりました。

 航空路線とその将来についても勉強が必要ですし、気が付いたことを地域の総力を挙げて実行に移してゆきましょう。

 ご協力いただいた皆さま、ありがとうございました。
 
 

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まちづくりは目立つように~よし、それを見に行こう

2016-01-27 23:45:45 | Weblog

 

 一週間ほど前の地元新聞に、稚内空港を利用する全日空から今年の航空路線の見通しについて説明があった、という記事がありました。

 それによると、「地元からは平成25年度から休止になっている"稚内~関空"と"稚内~中部空港"への路線再開を要望していたが、どちらも再開はないことが決まった」ということと、さらに残念なことは、「羽田空港からの二便について、昨年は270人乗りの大型機が夏の観光シーズンに就航していたのが、今年はそれも期間が短縮される」ということで、理由はいずれも搭乗率が低迷しているから、とありました。

 地方の空港にとっては、搭乗率を上げなくては路線の維持や大型化などは進みません。

 地元を訪れる来訪者の理由は二つで、一つは観光、そしてもう一つはビジネスです。

 このうち観光は季節変動が激しくて、ここ宗谷管内ではウニの解禁の時期や礼文島やサロベツ湿原での花の季節などで、初夏の6月から9月いっぱいまでがピーク。10月の声を聞くと、とたんに観光客の足が止まると言います。

 一方でビジネスと言うことになると人口と企業の数が少ないところはやはり不利。新しいビジネスの開拓も難しいでしょうか。


           ◆  


 その町に来てくれる人を増やすには、いかねばならぬ用事をつくることが大切で、観光とはそういう需要の一つ。

 ところで自治体のまちづくりも実は訪れる需要になることがあります。

 面白い取り組みは視察に来る理由になりますし、不思議なネーミングひとつでも(それはなんだろう)という興味と関心を沸かせることができます。

 静岡県の掛川にいた時には、"生涯学習宣言都市"として、日本中の自治体から生涯学習の視察に来ましたし、私がいた三年間には「スローライフのまちづくり」を行いました。

 これが結構時代の要請にはまって、いろいろなところで紹介されて、日本各地から視察に来たものです。

 特徴的なまちづくりのネタを面白いネーミングでやると、それはわが町の活性化と共に、現地視察や議会の視察としてわが町を訪ねて来てくれる見学需要を喚起することにつながります。

 稚内という最北の地は、実は日本中の人が行ってみたい場所の一つに違いありません。

 まちづくりは面白く派手に目立つように。それがそのまちに「行かねばならぬ」理由になるのです。


 

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ロシア語で挨拶してみよう~ロシア舞踊団の訪問

2016-01-26 22:38:03 | Weblog

 2月1日から稚内では、冬期観光振興を目的としてサハリンから「ルースキー・テーレム」というロシア舞踏歌謡楽団を招いたコンサートが開催されます。

 この楽団、毎年夏と冬に稚内市内でロシア民謡の歌と踊りで観客を無料で楽しませてくれるのですが、冬の公演を控えた今日は、表敬と宣伝をかねて私たちの職場に訪れてくれて、出し物三曲によるミニコンサートを披露してくれることになっていました。

 そこで、せっかく表敬訪問に来てくれるのならば、ロシア語で挨拶をして出迎えよう、ということを無謀にも思い立ちました。

 ちょっとした日本語の挨拶文を作って、それを稚内市役所にお願いしてロシア語訳をつくってもらいます。しかしロシア語で書かれても読むことができないために、カタカナ表記で発音を書き留めてもらいました。


【こんな感じでテキストができました】


 ところがカタカナで書かれても、アクセントがどこにあるのかや、日本語では表しきれないロシア語独特の特殊な発音がどうなのかもわかりません。

 そこで先週末に、ロシア語に堪能な知人のNさんにお願いをしてミニ家庭教師をしてもらいました。

「この文章はどういう意味ですか?」
「これは"ようこそ"という慣用句なのでそのまま覚えてください」

 はは、端からこれは覚えるしかないと。


「わかりました。しかしこの"パジャーロパチ"という単語の"ロ"は"L"ですか"R"ですか?」
「これは"L"ですね。それにアクセントがないのでどちらかというと"La"に聞こえます」

 ふむふむ、日本人にとって「ラ行」はLとRの区別がつけられないので注意が必要です。

「そもそもアクセントはどこにあるのですか?」
「ロシア語は伸ばすところにアクセントがあるので、伸ばすように書かれているところを高く強調するとロシア語らしく聞こえますよ」


         ◆ 
 

 一つ一つの読み方や単語の意味、文の構成などの背景情報をつぶさに教えてもらって、あとはとにかくできるだけ口をついて言葉が出るようにひたすら暗記と練習の繰り返し。

(なんでこんなことを思いついたかなあ)と半分反省しつつ苦笑いしながらの暗記修行ですが、それにしても全く分からない言語を唱えて覚えるというのには実に苦労しました。頭が硬くなっているのがよく分かります。


 さて、いよいよ今日の午前中、予定の時間にルースキー・テーレム一行が揃ったところでドキドキしながらいよいよ練習の成果の発揮です。

「ではロシア語で歓迎のご挨拶をします。ズドラーストヴィーチェ ダラギーエ ドゥルズィヤー…(以下、原稿をチラ見しながらの挨拶)」

 さんざん練習しましたが、口にしたらわずか1分たらずのこと。

(通じたのかな…?)と思ったら、通訳のミロノフさんが、「おー、分かりやすいですね」という合格サイン。うむ、練習した甲斐がありました。

 その後は通訳のミロノフさんを通じての会話。一番若い踊り手のエレーナちゃんはまだ高校在学中の女子高生。

「彼女は成績がトップなので校長先生から行ってきて良い、という許可が出たんです」とミロノフさんは教えてくれました。

 ミニ公演では、彼女の若々しい踊りと、声量ある歌手の皆さんによるロシア民謡を堪能しました。


           ◆ 

 

 今日のルースキー・テーレムの出し物の中に、日本でもおなじみの「カチューシャ」がありましたが、彼女たちはこれをロシア語だけでなく、日本語の歌詞でも歌ってくれるサービスぶり。さすがはプロの楽団です。

 稚内の公演ではそのほかにも日本のお馴染みの歌謡曲を日本語で歌ってくれたりもします。彼女たちの観客に楽しんでもらおうとしているその努力に、少しでも報いたいという思いは通じたでしょうか。

 来月稚内へ来られるという皆様、夕方は市内の「副港市場」で開催中のルースキー・テーレムの公演『稚内サハリン館』をどうぞお楽しみください。

 スパシーバ!(ありがとうございました)
 

【稚内サハリン館】http://www.city.wakkanai.hokkaido.jp/kanko/event/saharinkan.html   

 

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組織活性化のポイントは「やらされ感」からの脱却

2016-01-25 23:26:53 | Weblog

 ある人から、「小松さん、組織のトップにいて部下の皆さんに伝えたい『こうあるべきだ』ということってありますか」と訊かれました。

 ちょっと考えて私が答えたのは、「それは、やらされ感からの脱却だと思います」ということ。

 組織には、上司がいますが、実はその上にも上司がいてさらにその上司がいて、どこまで行っても上司がいる世界。

 組織の上司から言われたことは一体どの段階の上司から発せられた指示なのか、しばしば分からなくなります。

 しかしそれを、「上が言っているから、やってくれ」と部下に伝えるのではいけません。

 上司からの指示や命令があったとしたら、それを自分なりに解釈して自分の考えで、自分の指示で部下に仕事をしてもらわなくてはなりません。

 ときどきそれを、「上司が言っているからやってくれ」と、仕事を右から左へ受け流すような人がいますが、それは間違いです。

 上司からの指示は、「お前さんはどういうやり方をするんだい?」という宿題であって、試されているのは自分自身の解釈力と実行力なのです。

 私は「上司が言うから…」というのは、自分自身の思考が停止したなにも考えていない状態だと思っていて、それではいけないのだと思います。

 「やってくれ」と言われて渋々やるのか、「よし、では自分なりにどういう成果を上げようか」と思うのではパフォーマンスは全く変わるでしょう。

 わたしはそれを「やらされ感からの脱却」と呼んでいます。人からいわれからやるのではなく、やらねがならないのだったら、どうするか、という未来志向で前向きに考えてほしいのです。

 組織の中の仕事の指示とは、そうなっているかどうかまで心を配りましょう。そして部下たちが、自分から言われたからその仕事を(渋々)しているのか、それとも自分たちがやりたくて、工夫をしながら前向きに取り組んでいるのかどうか、を見極めましょう。

 
 組織を活気あふれるようにするということは、上記のような一人一人が参加して結果を喜ぶということです。

 少しずつでも良いから頑張りましょう。

「やらされているんじゃない、おれがやりたいからやっているんだ」ということを大事に致しましょう。
 

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【ほのぼの】生涯忘れられない「肉まん事件」

2016-01-24 22:21:05 | Weblog

 おやつに肉まんを食べようとして、「肉まん温め器」があったのを思い出して使ってみました。

 冷凍状態で取り出して、容器に入れて1分50秒で熱々の肉まんが出来上がります。

 簡単にあっためられるなんて便利な時代ですねえ。

       ◆  
 
 「暖かい肉まん」で思い出した私の子供の時の話。

 もう45年も前ですが、中学生だった私は夕刊だけの新聞配達をしていたことがありました。

 冬の季節、もう暗くなるころの新聞配達にはときどき小学生の弟と妹が面白がってついてくることがありました。

 そんなときにはよく、(せっかくついてきてくれたのだから)という兄貴心を発揮して肉まんをおごってあげました。

 当時肉まんは1個40円くらいで、月額4千円のアルバイト料からすると、3個で120円は一日分の稼ぎと同じくらいでしたが、まあ大らかなものです。

 肉まんを買って家まで持ち帰ると、熱々の肉まんも冷えてしまうのですが、弟も妹も冷えても構わず美味しそうにパクつきます。

 ある日私は良いことを思いつきました。当時の石炭ストーブの家庭には、排気の煙突の熱を利用する湯沸かし器がありました。


  【今は見なくなりましたが結構お湯が沸いて便利でした
   薪ストーブの新保製作所のホームページより http://www.maki-stove.jp/item/s-yuwakashiki/

 せっかくの肉まんを熱々にしてやろうと思って、冷たい肉まんをパクつく弟と妹を尻目に、私は肉まんをビニール袋に入れて、お湯の沸いた湯沸かし器に入れてみました。

(この熱ならきっと蒸されて熱々になるはず。我ながら良いことに気がついたなあ)とほくそえみながら何分か経ったところで湯沸かし器の蓋を開けて見ると…、なんと!肉まんをいれたビニールには穴が開いていたらしく、私のなけなしの肉まんはビニールの中でドロドロに溶けてしまっていたのでした。

 「アハハ~…ン。こんなんだったら冷たくても食べちゃえば良かった…トホホ…」

 弟に妹、それに親からも笑われて散々でしたが、我が家の「肉まん事件」として今ではテッパンの笑いのネタになっています。

 井村屋の肉まん、ストーブと湯沸かし器、ケンカもしたけれど良く遊んだ弟に妹、笑いのある家庭…、みな懐かしい昭和の時代の思い出。良い時代でした。

 今日、暖かい肉まんを見ていて、久しぶりに思い出した子供時代の「肉まん事件」。肉まんは大勢で食べる方が美味しいですね。

 電子レンジの時代にはこんな失敗はないのが、ちょっと寂しいかもしれません。
 

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釣って楽し、食べておいしい宗谷の魅力~氷上ワカサギ釣り

2016-01-23 22:01:54 | Weblog

 冬には冬の釣りがある、というわけで、近くの川でワカサギ釣りができるところがないかなあ、と思っていたところ、「浜頓別で良ければ氷の穴釣りをしますけど来られますか」という知人が現れました。

「ぜひ行きたいです」と、レンタカーを借りて浜頓別まで行ってきました。

 朝早くから行って準備をしていた友人からの電話では、「今日は皆あまり釣れていないみたいです」とのことでしたが、まあまずはやってみましょう。

 ワカサギ釣りの場所は、浜頓別の五連風車の近くの池で到着した時には既に床のない壁面だけの釣り用テントが数張り張られています。

 氷は厚さ15センチほどで、ここに穴をあけて釣り糸を垂らして釣るのです。

 釣り道具も貸してくれたのですが、以前阿寒湖で釣った時のモノとは違ってとても小さい釣り道具。リールから先の釣竿なんて20センチくらいなものでおまけにとても柔らかくてペナペナしています。

「狭いテントの中では長い竿は振れないので小さなものが便利です。先が柔らかいと魚は抵抗が少ないので釣られたことに気が付きにくいですし、こちらはアタリがすぐに分かるというわけです」

 おまけに竿も小さな台の上にクリップで挟んで置けるようになっていて、これならずっと竿を持ち続ける必要もありません。どこまでも楽になるように考えられていますねえ。


       ◆ 


 さて釣果の方ですが、テントの中に掘ってあった穴には全く反応はなく、魚がかかってくれません。

 外に出て他の人の釣り具合を見ていると、一緒に行った友人の知人がいて、「ダメならその辺に新しい穴を掘ってみればいいしょ」というので電動ドリルを借りて別な穴に挑戦。

 すると、なんということでしょう!その穴はまさにワカサギの絶好のポイントになっていて、竿を入れるとすぐに釣れ始めました。

 

 一度釣れ始めるともう止まりません。釣り糸には釣り針が5~6個ついているのですが、一度に何匹もかかります。最大で一度に5匹がかかりました。

「さっきまで釣れなかったのはなんだったんでしょう」と言うほど釣れて、三十分程度で70匹を釣り上げました。

 釣る人は200匹も300匹も釣るそうですが、そんなに釣ってもしょうがない私にとって70匹は爆釣の部類です。

 大きさこそ6~10センチ程度ですが、これくらいのほうが骨も柔らかくて余計な処理をせずそのまま食べられます。いやあ嬉しいものです。


       ◆ 

 
 持ち帰った70匹のワカサギは早速から揚げに。同じ官舎の同僚にもおすそ分けをしながら、美味しくいただきました。

 うーん、自分で釣ったワカサギのから揚げにビールは実に合いますなあ!

 また一つ浜頓別と宗谷の面白くて美味しい魅力を味わってしまいました。

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下手なのに人気の蕎麦屋、そのわけは

2016-01-22 22:30:48 | Weblog

 以前住んでいたある町に、友人が美味しいと推薦する蕎麦屋さんがありました。

(ふむ、美味しい蕎麦屋と聞いては放っておけないぞ)ということで、近くに行った際に立ち寄ることに。

 ところが実際にその蕎麦屋さんに行ってみて蕎麦を注文すると…、うーむ、蕎麦の切り方が揃っていない…。

 なんと麺の幅が広かったり細かったりして、プロの腕前が感じられません。

 蕎麦を切るときにはできるだけ均等にするというのが上手な技術とされていて、私でも90%以上は同じ幅で均等に切ることができます。

 ところがこのときの蕎麦はそれがばらついていて、おまけに長さも長いのから短いのまでばらつきが。

 蕎麦打ちとしてはできるだけ細く長く均等に打てるということが上手の証みたいなところがあるのですが、そういう腕前にはほど遠いというのが印象でした。

 私の目から見ると、どうにも上手ではないし味もまあまあという感じなのですが、それでもそこを推薦してくれた人にとっては「美味しい蕎麦屋」さんなのでした。

 食べてみたその後で、その蕎麦屋さんを推薦していた人に会ったときに、「美味しいといっていたのは本当にあのお店なの?」と訊いてみました。すると「良かったでしょう?手打ち蕎麦らしくてさ」という答えが返ってきました。

 「手打ちそばらしくてさ」

 初めてそのときに分かったのは、彼は本当に蕎麦の味や技術が優れて美味しいといういうよりも、あの麺の切り方のばらつきに"手打ちらしさ"を感じとってそれを好ましいと思っていたと言うことでした。
 
 最近は蕎麦を切る機械の性能が上がって、細く長い蕎麦を作ることは可能です。なので、魅力的に感じる要素というのは技の上手さというよりは、ばらつきという人間味だったということです。

 逆に、(なるほど、あの蕎麦屋さんはわざと下手に切っているのだ)とようやく気が付いたのでした。


    【上手ければよいというものでもない】


        ◆ 

 
 知り合いのラーメン屋さんが言っていたことを思い出しました。

「最近は食味計が発達しているので、美味しいだけのラーメンだったら簡単に作れるようになりました。でもその美味しいラーメンが人気が出て売れるかというとそうではありません。プラスαの魅力が必要で、それが何かということが商売のキモなんですねえ」

 職人としての上手さの向こうに、人間味をはじめとして買い手の心に響かせる要素とは何か。こだわり?話題性?おまけ?それが分かるということがビジネスセンスということなのでしょう。

 良いものを作れば売れる。しばしば我々はそう考えがちですが、その先のひとひねりに、買い手は人間だという要素を考えるべきなのではないでしょうか。

 下手さが味になる。ヘタウマってそういうことなんですね。

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