北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

背中で見せる教育 ~ バスの運転手は元校長先生

2024-03-31 23:20:34 | まちづくり

 

 ネットニュースに、読売新聞の発信で「元小学校長、第二の人生はバス運転手…人手不足を知り『子供たちのために地域の足守る』」という記事がありました。 (→ https://bit.ly/49jQRcr )

 青森県の元小学校校長だった方が、退職後に「地域の足を守るための一助となりたい」ということでバスの食卓運転手として働いているとのこと。

 青森県のみならず、地方都市では学校の統廃合によって通学のエリアが広くなり、スクールバスを利用せざるを得ない地域が増えています。

 この元校長先生は、記事では「資格取得が趣味で、偶然、バスの運行に必要な大型2種免許を持っていた」とありますが、私の推測ですがきっと将来何か地域の役に立つという思いがあったのではないでしょうか。

 教職員の方の中には、校長先生を終えて退職した後も再任用などで何らかの形で教育に携わるという道を選ぶ方も多いことでしょう。

 教員の世界も人出不足で、教職員自体の補充も求められているところですが、この元校長先生は教育と言う形での貢献ではなく、その周辺で通学を支援するというエッセンシャルな仕事で地域貢献をしようとしているところが立派です。

 私も年寄りは歳を取ったら、経験を振りかざして老害に至る前に、現役の人たちが仕事をしやすくするためのエッセンシャルワークに身を置いて、若者の盾になるような生き方があるのではないか、と考えるものです。

 現役の仕事は、最新の情報や技術を取り入れた若い人たちの土俵であるべきで、年寄りが昔の経験をいかすというよりも時代の変化を受け入れる方が良いのではないでしょうか。

 策もなく、ただ「担い手不足は深刻だ」と嘆いているよりも、行政はこの方のような、地域住民の高い志に訴えかけて、元気な年寄りが地域の課題解決のために"ワーキシュ・アクト(仕事的な活動)"に参加することを促すような取り組みをもっと推進すべきだと思います。

 しかし地域貢献をするのにも、様々な資格などが必要な場面も多くあります。

 地域に貢献できる年寄りになるために、資格やスキルを平時に修めておくのが良いと思います。

 この元校長先生の生きざまこそ、背中で見せる教育であるように思います。

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引っ越しができなくなる時代が来る?

2024-03-29 23:13:50 | Weblog

 

 年度末の挨拶廻りをしていると、転勤や退職で引っ越しをするという方がいます。

 転勤族にとっての引っ越しは2~3年に一度必ず訪れる試練ですが最近はその様相も以前とは様変わりしてきました。

 なにしろ人出不足で業者さんが来てくれない、見つからないということで、まずは業者さんを探すのが一苦労。

 おまけにそれゆえ需給バランスが崩れてお値段も爆上がり中です。

 私が現役の頃はそんなことはなかったので、いくつかある引っ越し業者も相場観があって大体どこもこれくらいの料金でやってくれるという感覚がありました。

 引っ越しの料金は職場が勤務年数と役職などから算定し、それに本人と家族が移動する旅費を加えた、決まった額が支給されるというものでした。

 なのでうまいこと安く引っ越しができれば多少は浮くけれど、逆に高い引っ越し業者を使っても超過分のお金は出ませんよ、ということでした。

 その頃から一般の会社に勤めている友人からは、「引っ越し料金は領収書を会社に出せばそのとおり支給されるから楽だよ」と言っていて、うらやましいな、と思ったものです。

 ところが何年か前から引っ越し料金が軒並み値上がりを始め、それに官算定の支給額では足が出るという事態が生じていました。

 ある友人は「何年かに一度、上の都合で動かされておまけに引っ越しの足りない分はお前の給料から出せ、というのは真面目な職員への懲罰だよな」と憤っていましたがそれは当たっていたと思います。

 そういうことを反映してようやく数年前から官庁でもかかった分を支払うという形になってきたようですが、それでもその条件は3社以上の業者から見積もりを取って、一番安い価格で支払うという一艇の縛りがあります。

 社会に暮らしている以上、ルールがあるのです。
 
      ◆

 先日訪ねたところには、道央の地方都市から道東の地方都市へ転勤になるという後輩職員がいました。

 彼は「幸い4月1日に現地に荷物を届けてくれる業者が見つかりました」とそこは安心していましたが、「でもその業者を探すまでが大変でした」と言います。

「料金の見積もりを出してもらわないといけないのでしょう?」と訊くと、「そうなんですが、電話しても『うちはあなたのところに営業所がないので引っ越し業務はできないし見積もりも出しません』ということで、地方都市ではそもそも業者がみつからないんです。最後は『見積もりを出しません、と一筆くれませんか』とお願いまでしてようやく3社分の形を作りました」とのこと。

 おずおずと「お値段は…?」と訊くと、「いやあ77万円でした」
「77万円!? 道内の移動で? ひゃあ」

 家族は奥さんとの二人連れでの引っ越しとのことですが、それにしても道内の引っ越しで77万円も請求されるとは驚きです。

      ◆
 
 それこそ私が子供の頃に親の転勤で引っ越した時には、良くも悪くも職場の同僚たちが集まって手伝ってくれて引っ越し料金を安く済ませるというのが習わしでした。

 手伝ってくれた方にはちょっとした飲み物とお菓子を出すというのもワンセットで、母親はそういう用意もするのが当たり前の時代。

 なかには引っ越しの時に家具を落とされて壊されたのにそれは文句が言えない、というような笑えない話も聞いたことがあります。

 少子化と担い手不足の中で、業者の料金が値上がりしたりあるいは「手がいなくてできない」ということになると、自らの職場の職員が手伝わないといけないような直営時代がまた来ざるを得ないということもあるかもしれません。

 担い手不足はお金では解決できないとなると、どうやって担い手を確保するのかが課題です。

 いたるところにこうした問題の種が見られるようになりました。

 引っ越しができなくなる時代が来るのかなあ。

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背中で見せるのも難しい

2024-03-28 23:08:53 | Weblog

 

 年度末の挨拶廻りでいろいろと事務所を訪ねて情報交換をしています。

 行く先々には私のブログを読んでいてくださる方もいて、あるところでは「介護の資格を取ったり大型特殊の免許を取ったりしてご立派ですね」と言われることもあります。

 私としては、「若者の盾になって地域に貢献できる老人像を模索しているつもりなんですが」と言うのですが、なかには「思ったことを実践しちゃうんですね」とあきれられたり感心されたりという反応をされる方も。

 言い訳として、「はじめは、老人もこうあるべきじゃないか、と言っているうちに、『小松さんもそういうあるべき姿になれますか』と言われちゃって、(なるほど、『べき論』を語るだけでは言葉がかるいな)と思ったものですから」と言うのですが、ある後輩からは「先輩!ご立派だと思います。だけど、そうやって正論でじりじりとこられるとこちらはぐうの音も出なくなります(笑)」と言われて大笑いしました。

 背中を見せるつもりが、取り方によっては「それが立派だ、良いことだ、と思うのならどうしてしないんだ」ということを陰に陽に言っているようで、圧を感じることもあるのかもしれません。

 物事を伝えようとしても、なかなか伝わらないことがありますが、伝わってもではそれを実践するか、と言う段階にはまた大きな壁があるのです。

 まさに「他人と過去は変えられない、変えられるのは自分と未来」ですねえ。

 そろそろ花粉が飛んできました。

 外回りはちょっと辛い春です。

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人は椅子に挨拶をする

2024-03-26 23:32:55 | Weblog

 

 いよいよ年度の変わり目の3月も終わろうとしています。。

 数カ月前から挨拶回りで道内を巡っていて、「私も今年限りで定年ですので」という後輩が結構多くいました。

「そうか、それじゃあ退職前にはまた挨拶に来るよ」などと調子良く返事をしていたものの、いざその時が近づいてくるとなかなか実際に会いにはゆけません。

 一日おきに用事や会議が入ってしまって、宿泊を前提にした出張行程が組みにくくなってゆくのです。

 本当ならばそこも見越したうえで余裕をもって挨拶回りに行けばよいのですが、さすがに(1月ではまだ早いだろう)とか、(2月は除雪などで忙しいだろう)などと勝手な"行かない理由"を見つけているうちにどんどんと残り時間は少なくなってきます。

 だんだんと職場での今の立場の後輩にはもう会えない人が多くなってきました。

 OBとしては、行けば世間話に付き合ってくれるだけでもありがたいものですが、そういうことへの感謝の気持ちを伝えられない不義理には忸怩たる思いがします。


     ◆


 たまに、「現役の時はたくさんの人が挨拶に来てくれたのに、その立場を離れたらまちなかで見かけても挨拶一つしてくれなくなった」と嘆く人がいます。

 きっとその人は、世間の人は"その椅子に座っている人"に挨拶をしているのであって、"個人としてのあなた"に挨拶をしているのではない、ということに気がついていないのでしょう。

 そういう人に「世間の人は、あなたに、ではなく、椅子に挨拶をしているのですよ」というとそこで初めてその道理に気がついて「ははあ」と腹落ちします。

 立場上どうしても、他の人に指示をしたりお願いをしたり質問をしたりするときも、相手に対する敬意を払わずにいると、人の心は離れてゆくものです。
 
 人の評判や信頼は、そういう他人に対する敬意という薄紙を一枚一枚積み重ねたり、言行が一致しているかというようなことが厚みになるようにして得られるものです。

 決して一朝一夕にできあがるものではない、ということに早く気がついて、「その椅子に座っていても座っていなくても」素の自分と語り合ってくれるような関係の友達ができると良いですね。

 もう転勤をするようなことのない立場になりましたが、現役時代のこの時期の転勤による出会いと別れを思い出すと、緊張感が思い出されて身震いがする思いです。

 出会いと別れの春が近づいてきました。
 

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蕎麦打ちの常識 ~ 「水回しは一発で決めろ」?

2024-03-24 23:29:07 | 蕎麦打ち

 

 先週朱鞠内湖へワカサギ釣りへ行った帰りに幌加内町のまちなかで蕎麦粉を買ってきました。

 折角なので新しいうちに、と今日のお昼は蕎麦に決定。

 食べたいときに美味しい蕎麦が食べられるというのは日常の中の大きな幸せの一つです。


 ただ二人前だと粉の量がせいぜい300g程度と少なくて、打ちにくいということがあるのですが、まあお客さんに食べさせるわけでもないので気楽に打ち始めました。

 ところがちょっと水加減を大きく間違えて入れ過ぎてしまったよう。

 石臼挽きの粉はロール挽きの粉に比べてたくさん水を食うというのが定説です。

 なので何の気なしに粉の量に対して46%くらいの水をいれてこね始めたのですがこれがどうにも多すぎました。

 蕎麦打ちでよく言われるのに「こね三年、延し三月、切り三日」という言葉があります。

 蕎麦を細く一定の幅で切りそろえるのはパフォーマンスとして見ても面白いのですが、実はコツさえつかめば案外簡単で、まあ三日もあればできるようになる。

 蕎麦粉の玉を大きな生地にする"延し"も三月もあればできるようになる。

 ただ粉に水を入れてちょうど良い加減の玉を作る"こね=水回し"は最も難しくて、三年はかかる、という例えです。

 水回しに失敗して水を多く入れてしまったら、もうそれは後から蕎麦粉を足しても修復ができない、というのも蕎麦打ちを始めた初期の頃によく聞かされたものです。

 ただそれには理由があって、蕎麦粉は小麦粉などに比べると水を吸いにくい性質があって、水を加えた玉に後から蕎麦粉を追加するとそれには水を吸わせるのが難しく、水を吸収していない粉が混じることで延して切った時に、そこから蕎麦が切れる、ということを言われます。

 今回はまあいい加減に水を入れ過ぎたのですが、もったいないのでとにかく蕎麦粉を足してゆき、ちょうど良い加減になってから再び延してゆきました。

 蕎麦打ちの会合では叱られるところですが自家用なのでいいのです。

 で、蕎麦粉に水が入りにくいならと、とにかく十分に玉をこねてから延しと切りに移ります。

 
 結果的には全然問題なく、いつものように細く長い蕎麦が出来上がり、茹でても切れることなく美味しい蕎麦をいただくことができました。

 いわゆる「世間の常識」というものも、一度疑ってみれば案外当たっていないこともあるわね、という話。

 まあ使った粉が少量だから大丈夫だった、ということもあるでしょうけれど、教科書に書いてあることをなんでも鵜呑みにしない方が良くて、まずは何事も自分で試してみるのが一番です。

 頭で考えずに体で感じましょう。


 

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若者向き経済と年寄り向きの経済

2024-03-22 23:36:00 | Weblog

 

 毎朝出勤すると、職場で取っている日経新聞を読みます。

 月曜日の出勤では、土曜日と日曜日の分も読むことにしています。

 日経の場合は"社会が安定するためには経済がちゃんと回らなくてはいけない"という価値観が貫かれていて、"そういう新聞だから"と割り切って読むと、経済至上主義から見た現代社会の論点が見えてきます。

 また書評や広告でも豊富な情報量があったり、大学やシンクタンクに在籍する学者先生たちによるレベルの高い論説などが掲載されている点が、一般地方紙では手に入らない情報なので興味深く読めます。


     ◆


 最近は東証の株価がバブル期を超えて4万円台に乗ったり、賃金の上昇率が近来まれに見る高水準となるなど、日本経済復活の兆しに浮き立っているところがあって、全体に明るい雰囲気に満ちているように感じます。

 一方、経済上昇機運の経済に足かせとなる"冷やし玉"には厳しい目も注がれます。

 生産性の上がらないままなかなか死なずに存在しているゾンビ企業や、負担増に繋がる高齢社会・年金改革、また需要低下につながる人口減少や少子化などには、「もっと厳しい対策を打たなくてはならない」という叱咤的な論調です。

 経済を活性化させる活動や取り組みは応援し、経済の足を引っ張る"敵"には厳しい、ということで、世の中は「一に経済、二に経済、三、四も経済、五に経済」という経済教の布教紙と割り切ることが肝心です。


     ◆

 

 さて、経済をそういう目で見ていると、昨今の話題は、「今まさに稼いでいる"現役世代"のための経済」という視点が多いと感じるようになりました。

 最近の話題は株高、AI、脱炭素、新型NISAによる資産形成、リスキリング、生産性向上などですが、これらはいずれもこれからの時間資源をどう生きるか、という視点ばかりです。

 リスク資産の持ち方などは、これから年月をかけられる人向けの行動ですし、あまりに新しい技術は高齢者には理解不能、リスキリングや生産性向上に至ってはもう労働市場から退場している者には関係のない話のように思えます。

 一定の資産のある高齢者には、NISAやリスク資産を活かす方法よりも、「お金は若いうちに使え、お金を使い切って死を迎えよう、お金の価値は加齢とともに減少するのだからお金を貯め込むのではなく有効に使おう」と語りかける書籍"DIE with ZERO"のような生き方を求めることもありますよね。


 まあ、「経済と道徳は大八車の両輪、片方しかなければ前に進まず同じところをぐるぐる回るだけ」という報徳思想をかみしめながら情報に接しましょう。

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政治を行うには資産が必要

2024-03-21 22:32:26 | Weblog

 

 政治を行うには「政治的資産」が豊かでなくてはできないことがたくさんあります。

 ここでいう政治的資産とは、今世間を騒がせている政治資金というお金だけのことではありません。

 政治家にとっては自分のことが信頼されて政治を実現するための要素、それが政治的資産です。

 もちろん資金ということもその一つであることは否定できません。

 たくさんのポスターを製作したりマスコミへの露出を増やして名前と人柄を売込み、まずは自分の存在や考え方を認知してもらうということは選挙での当選の重要な要素です。

 しかし政治家は当選することだけではなく、当選後にどのような政治を行ったかということが一番問われるべき職業です。

 そして、次回も投票をしてもらうために有権者に媚びて祭りごとの王道を外すようでは、長い目で見た時に世間の信頼を失ってしまうことでしょう。

 選挙で投票をしてくれる有権者を前にして、この社会の未来にとって正しい道を堂々と提示して、それを実行しなくてはなりません。

 時には有権者にとって負担が増えたり辛くなる道を選ばなくはならないこともあるでしょう。

 それでもそれらを実行したうえでそれでも信頼と支持をしてもらうためには政治的資産が必要です。

 ここでいう政治的資産にはすでに述べた資金もありますがそれ以外に、若さ(政治家として活動できる時間)、信頼、人気、実績、世間の雰囲気などですが、実は政治家本人の見た目も「ルッキズムはけしからん!」と言われたところで現実には資産と言えるでしょう。

 アメリカのバイデン大統領とトランプ大統領の戦いは高齢者同士の戦いでもあり、特に年上のバイデン大統領にとっては、「高齢は政治的負債だ」とも言われているようです。


     ◆


 翻ってわが日本、岸田総理の支持率が低迷しているということを盛んに煽り、政治的安定性を損なうことを喜ぶ向きが存在していることは情けない限りですが、現実には支持率というのは重要な政治的資産です。

 岸田総理の就任直後には、防衛費増額や少子化対策などそれまでの課題を取り払おうとしたことで私は政治家として評価していたのですが、それにしても地震災害があったり、内閣の身内から不適格者が出たり、今般の政治資金不記載問題など、必ずしも本人の責とは思えないような足を引っ張る不運が重なっているようです。

 運・不運は時が味方するかどうかですが、政治的対決では野党はこぞって支持率や人気、などの政治的資産を削ろうとする行動をとるものです。

 そして結果として政治的資産が失われれば、それは我が国が新しい時代を迎えるための制度(法律)創設や国民的合意・団結することの妨げとなるので、国民の側にも冷静な目が必要になるのです。

 本来ならば日本が向かう高齢化社会における社会保障の実現に向けては、若者の将来のためにも増税議論は避けようがないところですが、政治的資産が潤沢になければこうした真っ当な政治は実現できようもありません。 

 そうこうするうちに議員任期という時間資産を失い、不人気負債が増大するようでは社会を変化させる政治にとって身動きが取れなくなるというのは国にとって不幸なことです。


 しかし、政治的資産が潤沢にある方が良いといって、政治的資産が潤沢にあるだけのリーダーに期待しようとするのも危険ですね。

 国民一人ひとりが自らの当事者意識を高めて、自ら責任を持つような国の風土づくりから始めなくてはいけないでしょうか。

 私自身にも時間資産は残り少なくなりました。

 

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北海道のロングドライブにはHVが断然有利

2024-03-19 22:07:53 | Weblog

 

 今回の朱鞠内湖までの旅、往復距離はざっと450㎞ほどでした。

 そしてこの間の燃費が18.5km/ℓ。

 以前乗っていたセレナでは、最高の条件が整ったところでようやく13km/ℓほどでしたから、この段階で燃費はセレナから1.5倍に向上しています。

 実は朱鞠内湖に向かうときは設定した速度を守って走る"オートクルーズコントロール機能"をできるだけ使わないようにして自分の足でペダルコントロールをして運転したのですが、それなら19.2㎞/ℓをたたき出していました。

 朱鞠内湖にいる間に暖機運転をしたり、帰りにラーメンを食べに旭川市内をうろうろするなどして燃費を落としたのですが、それでも元々の車重が2トンを超える車が、ワカサギ釣りの道具をどっさり乗せて往復450㎞を18.5ℓで走ったのですから大したものです。

 私の車は1年前に届いた新型のノアですが、パワートレインはハイブリッドの4WD車。

 今世間では、EV対HVの戦いが続いていて、最近でこそややHVが優勢…というよりもEVのデメリットがさらけ出されたような感じがしますが、私のノアに関する限り、これだけの車内空間と重量をこの燃費で走ってくれるのですから、HV様様です。

 これでなお朱鞠内湖畔の厳寒に耐えて、室内の暖房や各種の電子装置を悠々と動かしてくれるのです。

 長距離を走らずに、市内で買い物をする程度ということであればEV車も電費の面で有利なメリットがでてくるでしょうけれど、こうして長距離を走り、行った先には充電設備がないとなるとEV車での暮らしはどうしても不安がつきまといます。

 こと北海道での長距離ドライブでは圧倒的にEV<HVという評価になることでしょう。

 HVならロングドライブも快適に走れて最高。

 雪が解けたらもっとロングドライブに出かけましょう。 

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氷上のリゾート ~ 釣れても釣れなくても良いのです

2024-03-17 21:38:21 | Weblog

 

 昨日の土曜日から道北の冬のリゾートで朱鞠内湖畔に来ています。
 
 毎年この時期に道内外の友人がここに集まって二泊三日でワカサギ釣りを楽しむのです。

 私も月曜日に休暇を取ってこの旅に参加しています。

 
 昨日の土曜日は湖畔の宿に夕方に到着してまったりしていましたが、逆に東京組は9時に旭川空港に到着して、迎えに言った仲間と共に昼からはもう湖面に出て釣りを楽しんだのだとか。

 遠くからの人の方が時間を有効に使いますよね。

 
      ◆

 
 今日の日曜日は風のない曇り空で比較的穏やかな一日でした。

 朝ご飯を食べてからスノーモービルで移動して、一つの沢筋をわが一団専用にしてつかいました。

 私たちはテントを張ってテントの中で釣りをしますが、がっちり着込んで風にも雪にも耐えながら釣りをする仲間もいます。

 今日は朝方に魚群探知機をかけてみて、比較的魚のいる穴が多くて喜んだのですが、その直後からぱったりとワカサギの群れがいなくなってしまいました。

 朝一瞬だけ釣れて後はずっと気配もなし。

 ときおり魚群探知機に何か大きなかたまりが映るのですが、これってどうやらワカサギを食べるためにパトロール中の大魚のようです。

 こんな魚にウロウロされたのではワカサギも散ってしまいますね。

 今日は全員が渋い釣りの一日になり疲労度が増しました。

 それでもガイドスタッフが作ってくれる洒落た料理に舌鼓を打ちながら、とにかくゆったりとした時間を過ごすことができました。

 リゾートなんだから、時間を過ごすのが一番の目的です。

 ワカサギが本当に久しぶりに一桁しか釣れなくてもそれでいいんです。

 こんなに少ない数では家に持って帰るほどのこともありません。

 最後は私も妻も、釣れたワカサギを穴に返してあげました(笑)。

 こんなこともめったにないので良い思い出がまた一つできました。

 

  

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北前船のお話からの釧路空港での飛行機欠航

2024-03-15 00:40:24 | Weblog

 

 釧路での最終日は地元紙釧路新聞社主催の「釧新懇話会」に参加しました。

 今日は小樽商科大学の高野宏康先生から「北前船とひがし北海道 ~ 歴史文化を活かした地域振興の可能性」という演題で1時間ほどのご講演をいただきました。

 実は今年の6月末に釧路市で「第34回北前船寄港地フォーラム」というイベントが開催されることになっていて、今日のお話はその前提知識を得る格好の機会です。

 北前船と言うのは、江戸時代中期から明治にかけて主に日本海航路を中心に、蝦夷地(北海道)と上方(瀬戸内海を含む関西方面)とを結んだ商船の代表的呼称です。

 実は「北前船(きたまえぶね)」という呼び方も全体を通じてそう言われていたわけではなかったのだそうで、そもそも北前船の定義、呼称、どこの活動範囲を差すのか、船主などを巡っては今でも議論が続いているのだそうです。

 どうやら80年代に高田屋嘉兵衛の乗った辰悦丸を復元して回航したことで「北前船」の呼称が広がり認知が深まったのではないか、とのことで、ただそのことで逆に定義論がかまびすしくもなっているようです。

 
     ◆


 北前船というと、北海道では枝幸、松前、函館(道南の三湊)などが古くからの寄港地としてよく知られていて、ニシンによる魚肥や昆布、なまこなどの俵ものを送り出す一方で、様々な日用品や酒、米、瓦、石材など北海道では手に入らないものを手に入れる手段でした。

 そしてさらには、移住者もこれに乗ってやってきたしそれに伴って祭りなどの文化も北前船によって蝦夷の各地にもたらされてのだと。

 また道南三湊だけが北前船のよりどころだったのではなく、江戸時代から道東や北方四島の昆布などの海産物は道南を経由して本州に送られていた、ということでは東北海道も北前船の恩恵を大いに受けていると言えます。

 なにより、ロシアと危険な関係になった国難ともいえるゴローニン事件でそれを解決した高田屋嘉兵衛は、択捉島を足掛かりにした商売をしていたわけで、北前船の範囲が広かったことが日本にとっての幸運だったともいえそうです。

 6月末の北前船寄港地フォーラムも楽しみになってきました。


     ◆


 さて、一連の日程を終えて今回は18時の釧路空港発丘珠空港行きの飛行機で帰るはずだったのですが、なんと丘珠空港出発の直前になって丘珠空港が大変な降雪に襲われたようで、飛ぶはずだった飛行機が飛べずに欠航と相成りました。

 前回も釧路空港から飛行機で帰るはずだったのが、そのときは釧路空港の霧によって欠航になりました。

 今回は釧路空港の天候は全く問題がなかったために、「え?なんで?」という驚きでした。

 また、欠航が決まったのが17時30分という事で、札幌に帰るには19時の特急おおぞらか、とも思ったのですが間に合うかどうかが微妙で躊躇しました。

 結局、前回と同じように釧路空港でレンタカーを借りて札幌市内乗り捨てという形での帰札。

 車に乗るのが大変なので飛行機にしたのですが、なんとも苦笑いしかありません。

 しかも途中の帯広~トマムあたりまで強い雪が降りだして、視界も悪く大変なドライブになりました。

 スバルのアウトバックという衝突安全装置などが運転支援機能がフル装備の車を借りたことで運転は楽でしたが、一方乗りなれない車で何かをするにはどこを操作するのかをみつけるのもなかなか大変。

 良い車なりに運転が慣れるのは大変でした。

 釧路空港にはなんだか見放されている感じです(笑)

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