北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

負の連鎖を断ち切ろう

2012-11-30 23:45:54 | Weblog


 釧路の小中学校にはソーシャルスクールカウンセラー(=SSW)という名のカウンセラーが配置されている。

 先進的な自治体では既に行われているのだが釧路市では今年から始められたものだ。

 先日この方Aさんと直接お会いして、今何が問題になっているかについて意見交換をする機会を得た。

 Aさんはかつて市役所で長く福祉の専門家として仕事をしておられた方で、福祉のプロと呼んでも良い。

 福祉のプロという表現があり得ると思うのは、福祉には多岐にわたるメニューがあって、どれをどのように適用させるかには専門家の目とノウハウが必要だからだ。

 そして本人を救済するメニューについては、いくつかの係の担当者が集まって侃々諤々の意見交換をして対応をして行くのだという。


   ◆  


「SSWになってみてどんな感想ですか?」と訊くと、「一人で全部の小中学校を回るので手が回りません(苦笑)」とのこと。

 そして、「福祉で働いていた時は、学齢以前を福祉で面倒を見ていた子供達が、学校へ入ると見えなくなっていました」と言う。

「見えなくなるとはどういうことですか?」
「困窮している家庭を訪ねて親御さんや子供さんを福祉事務で支援しているときは子供さんの顔が見えていますが、それが学校にはいると福祉の手から離れてしまうのです。教育部門の学校の先生の仕事として対応されているのかも知れませんが、そうして一度見えなくなった子が中学校を卒業した時に今度は高校へ行けなくて、再び福祉の対象となって現れてくるということがあります」

「その理由はどういうことでしょう」
「家庭の事情や理由は様々ですが、貧困故に家庭での生活が安定せず落ち着かず、学力が身に付かない。学力が身に付かないので学校へ行くのが楽しくないし、親も子供の指導力に欠けるので不登校になる子が出てきます。不登校でなくても学力が身に付かなければ勉学への意欲が失われて高校進学が難しくなり、就職もできずやはり困窮する主体として再び社会に登場してしまうのです」

「貧困の世代間連鎖というわけですか」
「はい、女子などは若くして結婚、子供ができて離婚して母子家庭となり生活保護世帯となる子も少なくありません。一度そうなるとこの母子家庭の子供さんもまた同じような道を歩んでしまいます。この連鎖をどこかでとめなくてはなりません」

「現実にそういう子供達を就職まで結びつけるということができますか?」
「以前は准看護師という資格があって働きながらその資格を取ってなんとか就職に結びつけることができたのですが、今はその資格自体がなくなってしまいました。厳しいですね」


  ◆   ◆   ◆


 子供個人の学力をなんとかすることで解決に結びつくのか、とも思うが、問題は日常の生活規律や生活の意欲、向上心などが育ち切れていないところにある。

 SSWが学校に配置されたことで、学校の先生たちには福祉的なものの見方がある程度刺激になっているとも聞くが、先生たちに福祉的な家庭ケアを望むのは到底無理がある。

 一人ひとりにきめの細かい福祉がなされれば良いのだが、学校行政と福祉行政などさらなる行政同士の協力と連携はもちろん、企業やNPO、ボランティアなど様々な地域の力が必要だ。

 世代を超えて連鎖する貧困と困窮をいかに断ち切ることができるだろうか。

 全国でも様々な取り組みが始まっていると聞く。先進的な事例を学んで、地域でもどんどん活かしたいものだ。

 SSWの成果にも期待したい。 

  



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テッパンのお土産はなんだろう?

2012-11-29 23:45:17 | Weblog
 今日は台湾からファムツアーの一行が阿寒湖畔へやってきてその歓迎宴会をしてきた。

 ファムツアーの「ファム」とは、Familiarization=「慣れ親しませること、熟知させること」という意味の略で、ファムツアーとは、マスコミ関係者にたくさん来てもらって記事を書いてもらうことで地域の宣伝をしてもらうというツアーのことだ。

 実は台湾の復興航空が釧路へ国際定期便を就航してくれた際に、お礼と表敬の意味を兼ねて台湾を訪れた市長から、「是非次はファムツアーで釧路へ来てください」と要請をしていたのが今回実ったのである。

 今回は来訪した10人のほとんどが来日経験の浅い人たちばかりの記者さんたちだったが、初日に新千歳空港へ着くはずの飛行機が、暴風雪のために着陸できず、代わりに函館空港へ着陸したというハプニングで始まる旅だったよう。


      ◆  


「今までに雪を見たことがありましたか?」と訊くと、「今回初めてみました。新千歳で横殴りの雪でしたが」と茶目っ気ある答えが返ってきた。

 しかも宿泊は新千歳ターミナルホテルだったので、函館から一応無料とはいえ、バスで6時間かけての移動を強いられたという。

「そのバスも雪道をこわごわとゆっくり走るので遅かったんですよ」

 まあ北海道の旅は大変だという印象にならないことを祈るのみだ。


   ◆   ◆   ◆


 そんなしょっぱなのハンデを克服すべく、一行は道東では養老牛温泉や尾岱沼などを見学して回り、弟子屈町から今日の夕方に阿寒湖畔へ到着し、少しは天候に恵まれた美しい風景を味わうことができたようだ。

 私も釧路市民を代表しての歓迎の挨拶をしたのだが、冬の北海道はほぼ初めてという参加者達から質問攻めにあった。

「冬の釧路を一言でいうとどういう町ですか?」
「うーん、氷の町かな」

「雪の町じゃないんですか?」
「北海道の左半分は雪が降るけど、そこで水分が全部抜けるので右半分の道東側は雪が降らず、逆に冬は快晴の日が続くよ」

「釧路の名物は何ですか?」
「魚とラーメンと寿司…かなあ」

「釧路の魅力ってなんですか?」
「ここ阿寒湖畔ならば、マリモのいる神秘の湖阿寒湖と温泉、釧路の市街地に近づくと途中はタンチョウが皆さんを待ってます。そして釧路市街地では賑やかな繁華街と夕焼けと落ち着いた街並みですね」


   
     ◆  


 そこで飛んできたのがこういう質問だった。

「台湾人が旅行してきて絶対買わなくちゃいけないお土産ってなんですか?上から三つ教えてください」
(絶対買わなくちゃいけないお土産~?こりゃ困ったな)

 そこで一緒に参加していた市の職員にも「あなたはどう思う?」と訊いてみたけれど、答えがまた「魚だ」「お菓子だ」「お酒だ」と千差万別。

 通訳の女性がたまりかねてそっと耳打ちをしてくれたのは、「台湾人はとても買い物好きなので、とにかく『これを買え』って言えばそれを買うんですよ」





     ◆   


 考えてみれば我々が台湾へ旅行した時にお土産として頭に浮かぶのは、結局ウーロン茶かパイナップルケーキくらいなものしかない。

 それでも結局はそれを最も台湾らしいということで買ってきてしまう。

 お土産の種類がたくさんあるというのは選べるから良いようだが実は単に迷わせた上に、それが本当にもらった人に釧路らしさを与える力が弱いのだ。

「釧路だったらこれだね」という押しつけがましい強烈なプッシュがあった方が、選ぶ側の安心感につながるのだ。


   ◆   ◆   ◆


 外国のお客さんが良く来るドラッグストアなどで、「当店人気NO.1!」というポップが飾られているが、これは変に迷って時間を取らせないための一つの工夫なのだそうだ。

 そう書いておけば、せいぜい人気ベスト3から選んでもらえるというのだから、立派な情報サービスということになるだろう。

 改めて、釧路でこれさえ買っておけば「釧路へ行ったんだ!いいなあ」と言わせられるようなテッパンのお土産ってなんだろう。

 そういうものって戦略的に絞り込んでおかないといけないんだろうなあ。
 

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一病息災というけれど~歯の手術

2012-11-28 23:45:59 | Weblog
 ついに歯のインプラント手術を実施した。

 一か月前の手術で抜いた歯の穴を充填剤で埋めて、骨と一体化させておき、行がいよいよ基礎部分の装着。

 インプラントの場合、あごの骨に基礎を打ちこんで人口の歯を支えるわけだが、あごの骨には血管や神経がとおる空隙が空いている。

 実際、金属基礎を深く埋めすぎてこの空隙に貫通させてしまう医療事故が起きたことで、「インプラントは危険だ」という評判が立ったことがある。

 しかしあごの骨の精密な測定などをしっかりと行うことでそれらのリスクはかなり回避される。

 インプラントでも自分本来の歯と比べると噛む力は9割ほどになる。正常な歯を保ち続けることがなによりだ。

 残りの人生を考えた時に、健康をはじめとした生活の質(=QOL、クオリティ・オ・ライフ)はとても重要になる。

 たった一つの不健康でも心にいつも影を差すものだ。




 
   ◆  


 「死なないような教育をする」と言った人がいる。

 死なないとは自殺をしないということだけではなくて、自分を大切にするということだと思う。

 それはちょっとした自分の不健康を放っておかないような生き方なのではないか。

 思い通りにならない自分の体にちゃんと関心をもっていたわることではないか。

 いつまでも丈夫な自分ではいられない。


   ◆   ◆   ◆


 手術の後であごが痛い。ややしばらくは忍耐の日々が続きそうだ。

 皆さんも健康には細心の注意を。
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豊かな関係性が育むお酒の楽しみ方

2012-11-27 23:53:45 | Weblog



 注文していた掛川の栗焼酎が届いた。

 今日お酒なんてどこでも作っている。

 しかし、見ず知らずのところで見ず知らずの人が、見ず知らずの材料を使って作るお酒とはちょっと違う。

 これは、わが心の故郷掛川で私の友人たちが、イノシシの被害にあい後継者のいなくなりかけた栗林で自ら栗を拾い選別した材料を使って静岡県内で作ったお酒だ。

 販売元はこれまた友人が掛川駅構内で地域の特産物を一手に販売している「これっしか処」である。

 本数は限定だし名も通ってはいない。

 栗畑でのイノシシとの戦いなんて、見ず知らずの人の畑なら日本の農業衰退の1シーンに過ぎない。

 しかし地元の知り合いの農家のおじさんの栗畑となると話は違う。

 地域のことは地域で守ろう。地域が地域のことを守った汗の結晶が売れてお金になるならさらに良いではないか。

 二宮尊徳は「経済なき道徳は寝言、道徳なき経済は犯罪だ」と言った。

 道徳を貫くには経済が必要なのだ。


   ◆   ◆   ◆


 お酒の名前は「自ら」と書いて、「みずから、おのずから」と読む。

 自ずと移り変わる四季に調和しながら、自ら働くことで恵みをいただく。

 新たな関係性の営みが生んだ掛川里山栗焼酎「自ら」。





     ◆   


 遠くにいる友達の顔を浮かべながらいただくよ。

 掛川で情熱を燃やしたスローライフ運動の残り火だ。
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紙は科学技術の塊だ~日本製紙工場見学

2012-11-26 23:19:09 | Weblog
 地元大手企業である日本製紙さんの工場を見学させていただいた。

 ここ釧路工場は、元来新聞紙を関東地方へ送る拠点工場である。

 新聞紙の原材料は古新聞や雑誌などの古紙なのだが、こちらで作られた巨大な新聞紙のロールをいくつも船で関東へ運んだら、帰りの船にはたっぷりの古紙を積んでくるのだという。

 古紙を溶かして新聞紙を作り、それがまた古紙になる…というので何回もリサイクルができるのか、と思いきや、「いずれ紙の繊維が短くなってしまうものが出るので、そこへは新しいパルプを投入して補います。まあ歩留まりは80%というところでしょうかね」とのこと。

 紙って本当にリサイクルが効く素材なのだ。



 【紙は科学技術の塊だ】

 


 紙のリサイクルには協力しているつもりの私だが、しばしば書類をホッチキスで留めたまま出してしまうことがある。

 そういうのは大丈夫ですか、という問いに、説明をしてくれた方は笑いながら、「まあ取っていただけるとこちらの手間は省けますが、まあなんとかスクリーンで取り去ることはできますよ」とのこと。

 しかし、「ホッチキスくらいは可愛いもので、古紙になぜか携帯電話やペンチなどの工具、ひどいのになると鉄アレイまで混じってくることがあるので、こういうのはご勘弁願いたいですね」とも。

 そんな古紙からの紙作りでもっともやっかいなのが「糊(のり)」なのだそう。

 雑誌の背表紙やシールなどが入っていると、ネバネバ素材を取り除くというのが実に厄介なのだそうで、古紙に出すときは注意したい。



   ◆   



 ところで、「紙幣なんかも一緒になると溶けてしまうのでしょうね」と訊くと、意外にも、「それが紙幣は本当に丈夫な紙でできているので、古紙と同じようには溶けないんです。本の間に挟んだヘソクリなんかがありますが、しばしば溶けずに釜の内側にはりついていることがありますよ(笑)」なんだそう。

 日本の紙幣、恐るべし、である。


   ◆   ◆   ◆


 こちらの工場では、今年から木材パルプを溶かしてセルロースという素材だけを抽出し、これを台湾の衣料メーカー向けに生産・輸出するという事業を始めた。

 木材を溶かして、リグニンというなかなか分解しない素材をまず取り出して、次にセルロースに似たヘミセルロースという物質を除去するとセルロースが残るのだが、この間の工程は、酸性の溶液に溶かして、次にはアルカリ液に溶かすというもので、まさに化学工場だ。

 抽出されたセルロースは紙状にして四角い包装で台湾に送られるのだが、セルロースからはレーヨンという服の裏地などの素材が作られる。

 紙状のセルロースはアルカリで溶かすとレーヨンの糸が作り出せるのだという。

 木材から化学繊維ができるのもすごいが、こちらでは最初に排除したリグニンを燃やすことでできるエネルギーを乾燥や発電にも使っている自己完結型工場だ。


   ◆  


 また今年からはいわゆる「茶封筒」でおなじみのクラフト紙の製造も始めた。

 クラフト紙とはクラフト法という方法で作られることからこの名になっているもので、一般の紙に比べると強度が強いことから袋物に良く使われる。

 特に破れにくいように紙に弾力性を持たせて強度を増したものは、セメント袋や米袋などの需要が多いという。


 クラフト紙は木材パルプから作る無漂白の紙なので、材料によって多少色味が変わるのかと思いきや、明度、彩度、色度という色の三要素が明確に指定された色を要求されるのだそうだ。

 茶色なら何でもよい、というわけではない需要家のこだわりがすごいが、それに応えるメーカーもすごいのである。



   ◆   ◆   ◆



 さて、同じく新聞紙の色の話。

 最近は白い紙となると中国や韓国から原価の安い紙が入ってきて、日本のメーカーは苦しい思いをしているが、実は新聞紙というのも色味の指定が厳しいのだそう。

 新聞の読者はそんなことはどうでも良いと思っているだろうが、新聞社側では「この色でなくてはだめだ」、という指定が厳しく、また必要な量を納期までに確実に届ける安定性が強く求められる。

 そのためこの分野には中国や韓国が進出できず日本企業で賄っているのだそうだ。

 古新聞を出すときに、新聞紙の色が全部同じ、というところにも紙を選び作る人たちのこだわりがあったとは。


 なんでも感動の材料になるものですねえ。 
 
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豊かな関係性がもたらす、別荘の高度な楽しみ方

2012-11-25 22:33:29 | Weblog
 新潟県妙高高原に、わが友人がペンションを経営している。

 かつては優秀な公務員として将来を嘱望されたのだが、20年前に家庭の事情でここ妙高高原の赤倉でペンション経営に転職をした。

 当時同じ職場だった同僚や上司たちが、細々と支援を始め、初夏には「経営改善委員会」と称して集まってゴルフや登山に興じている。

 そんななか、「冬期のスキーシーズンに入るともう忙しくて部屋の掃除には手が届かない」というオーナーの言葉に、当時の同僚たちが集まって、年に一度「お掃除ツアー」なるものを始めたのだが、今年もそれが行われた。



   ◆   ◆   ◆



 このツアー、始めてからもう14~5年になるのだが、毎年11月のある週の金曜日に東京を出発して深夜に妙高に到着。

 まずはそこで深夜の宴会が始まるのだが、ほどほどにしてまず一泊。

 翌朝は朝食後に即掃除開始。

 掃除内容は、二階の各部屋の網戸の掃除、窓ふきから窓枠の泥汚れ、壁・天井のすす払い、壁拭き、ベッドなど動かせるものはすべて動かしての掃除機かけ、よく虫が入っている蛍光灯カバーの清掃など、およそ考えられるところはすべて清掃を行う。

 最初の頃はベッドを動かして掃除機をかけ、窓ふきをするくらいで一日が終わっていたのだが、毎年掃除を繰り返すうちにそれほど汚れない状態になったのと、掃除チームの腕が上がったことでルーチンワークは短時間で終わるようになった。

 そこで年々歳々、時間のゆとりの中で新しい部分の掃除を始めるようになり、何年も掃除がされていないようなところを発見しては喜ぶようにすらなってきた。

 最近は分解できるものは分解して掃除を

 合言葉は、「その一隅を照らせ」で、汚れているところは愛が注がれていなかったところという意味で、あらゆるところに年に一度の愛情を注いでいる。



 【外せるところは外して掃除をする】

 
    ◆   


 休憩とお昼を挟みながら夕方5時半までの一日勝負での館内一斉清掃で、館内は見違えるように綺麗になる。

 掃除を終えての夕食は至福のひと時で、自分の手で綺麗にした部屋で心行くまでオーナーの奥さまの手料理を楽しみ、酒を飲み、語り明かす時間が続く。

 翌朝は集まったメンバーの事情で思い思いに別れてゆくが、二泊とこの間の食事はすべてオーナー持ちで、高速代とガソリン代は参加者が自費で参加をするという持ちつ持たれつの関係が続いている。

 
    ◆   


 この赤倉地区もスキー人口の減少によりスキー宿としてのペンションは次第に淘汰が進み、その数を減らしている。

 さらにかつては別荘街として分譲が進んで多くの別荘が建設されたが、次第に管理もおろそかになり、今では豪雪によって押しつぶされる廃別荘も多いという。


 考え方を変える時代になった。


 かつては別荘を所有することはある種のステータスだったが、今日、非日常を楽しむ別荘は利用できれば良いのであって、「所有から共用へ」という考え方だ。

 管理人を置けないような別荘は壊れてしまうだけだが、我々の別荘は友人であるオーナー夫妻が立派に管理してくれている。

 仲間たちが掃除に行くのは「友人のペンション」ではなく、「自分たちの別荘」だから、勢い掃除にも力が入るし、きれいになった室内を見るのは誇らしい気さえする。

 また、利用者からのコメントが「このペンションは掃除が行き届いている」などと書かれるととても嬉しくなるのも当然だ。

 
   ◆   ◆   ◆


 行楽地のペンションへ泊って、登山を始め自然との触れ合いを楽しむ、というのは楽しみ方としてはまだまだ下位のレベルである。

 上位の楽しみは、そんな行楽地の別荘へ気持ちよくゲストを迎える手伝いをするというところの満足感にあって、終わった後の爽快感とストレス解消感は非常におおきなものがある。

 言わば、これは相当レベルの高いレクリエーションなのだ。


 人間関係が深化すると、実はこういうところにオーナーと利用者のwin-winの関係性が成立することがある。

 楽しみと満足って案外思わぬところにあるのである。


【わが友人のペンションはこちら】
 ペンション モン・セルヴァン → http://bit.ly/TjV4kn

 綺麗は保証します。
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人生にログブックを

2012-11-24 23:45:32 | Weblog
 長野県の安曇野にいた頃、地元の人達が『西山』と呼ぶ北アルプスの山並みの美しさに魅了された。

 魅了されただけではなく、観光や出張で安曇野を訪れてきた人からはよく、「あの山はなんですか?」と訊かれることが多かった。

 最初の頃はあやふやなままに適当に答えていたのだが、これではいかんと思い直して、とにかく山の名前は全部言えるようにしよう、と決めて、それからは地図などと照らし合わせながら覚えるようにした。

 しかし地図で覚えるよりは、実際に一度でも登山をするのが一番だった。うすっぺらな地図からの知識は、一度の登山に家内はしなかった。

 今思えば、もっと登山をしておけば良かったと臍をかむのだが、過去は取り返せない。

 年寄りが若者に繰り言を言う理由が分かってきた。


  ◆   ◆   ◆




 さて、ダイビングの場合、潜水をした時は必ず、いつどこで誰と「どんな深さ変化だったか、エアの残量などをログブックという形で記録することになっている。

 これは、経験本数がその人の経験値となるということだからで、知らない土地でダイビングをしようとすると、ガイドからは必ずログブックの提示を求められて、「50本ダイバーでこの程度の経験ならば、まだあそこは無理だから、こちらにしましょう」などという判断の材料にされるのである。

 物事は経験値がものを言う場面が多いが、しばしば人はそれを年数や単なる知識でだけ図ろうとする。

 実施した回数という経験に裏打ちされた知識ならばよいが、耳学問だけの知識ではメッキはすぐにはげてしまう。

 以前、オートキャンプでもログブックを作ってはどうかと提案してみたことがあるがなかなか実現しない。

 釣りや登山で自分の記録をつけているという人はいるだろうか。

 私もちょこちょこと釣りの記録をつけてみているが、ちょっとした努力の積み重ねが、振り返ると自分の成長の記録だったりするものだ。

 経験に裏打ちされた知識をもっと深めたいものだ。

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マリモは神の贈り物

2012-11-23 23:45:09 | Weblog
 「マリモの阿寒湖」を世界自然遺産に登録してもらおう、という運動が動き始めている。

 国が中心となって「世界自然遺産をどうするか」という懇談会が開かれているということがきっかけとなって、あらためてマリモの阿寒湖という希少性に目が向いた形となっている。

 世界自然遺産については、平成19年当時に登録に向けた候補地選定があったときに、阿寒湖・摩周湖・屈斜路湖の三湖で、火山によるカルデラ地形として名乗りを上げたが、このときは「カルデラ地形としては世界的にもっと規模の大きなものがある」ということになり、候補とはならなかった経緯がある。

 そんななか、近年やっとのことでマリモの生態や直径30センチにもなる球状マリモが群落を形成することの謎が科学的に解明されてきて、その希少性が再認識されつつあるもので、世界自然遺産登録への動きにはこれをもっと世界に知ってもらいたいという夢が込められている。

 私自身も、釧路へ来たことで阿寒湖のマリモについて基礎的な事は理解しているつもりでいたが、世界自然遺産に向けた説明を何度も聞くうちに改めてその奥深さと「奇跡」について思いを新たにした。

 世界自然遺産への動きがなかったら、こんなに勉強することもなかっただろう。


  ◆   ◆   ◆


 合併前の阿寒町時代から阿寒湖畔でもう10年以上もマリモ研究を続けてきたのはマリモ学芸主幹の若菜さんだが、植物だけではない地質や水質、波動の力など多岐にわたる諸条件について地道な研究がマリモの謎を解き明かしつつある。

 世界自然遺産は、そもそも不動産(=土地)が登録を受けるものなので、生物であるマリモそれ自身は自然遺産になれない。

 しかしこのマリモ自身の性質と入れ物である阿寒湖との組み合わせこそが球状マリモの群落の条件であり、この両者がかみ合っているのが阿寒湖だ。


【マリモには塩がいる】
 マリモは珪藻類の一種で、Wikipediaなどでは「淡水性の珪藻」と書かれているが、調査の結果分かってきたことは塩分が混じり合う湖のような汽水性を有しているという、つまり塩っ気がないと生きていられないのだ。

 マリモそのものは球状にはならないものの、浮遊型や石に張り付くような形で琵琶湖を初め、いろいろな湖で見つかっている。

 しかしそれらは皆過去に海だったという古海水を有していたり、温泉としてミネラル分を含んだ水を湧出している。

 マリモはシラルトロ湖にはあっても屈斜路湖や摩周湖からは見つからないのはミネラルを含んだ水がわき出しているかどうかの差だと考えられる。

 つまり阿寒湖にマリモがあるのはマリモの湖底からミネラルを含んだ水が湧出しているおかげなのだ。

 古い記録では、「マリモは淡水性の珪藻」と書かれているものがあるがどうやらこれは新しい科学によると書き換わるようだ。


  ◆   

 
 そのうえ、マリモが丸くなるのにも二種類ある。

 ひとつは、マリモが放射状に外へ外へと伸びる自らの成長によって丸くなる例で、これが外部から転がる力を与えられて丸くなるというかたち。

 もう一つは、壊れたくずマリモが絡まっているうちに転がされて丸くなってしまう例で、これには木くずや石なども絡まっていてマリモそのものの成長にはよらないかたち。

 昔の研究でもこの二種類の丸くなり方には気づいていたのだそうだが、研究者達は長年、これが両方あるということを素直に受け入れがたく、どちらかというと自ら成長するマリモの研究に力を注いでいたという。


 まだまだ不思議なマリモである。 


【阿寒湖はゆりかご】
 そしてもう一つの阿寒湖という要因は、このマリモを丸くする力を加えるためのちょうど良いゆりかごだということだった。

 マリモが丸くなるのは結局のところ、波の力によってゆらゆらと転がされる力が加わることなのだが、この波の力は強すぎれば浜辺に打ち上げられてしまうし、弱ければ転がらないという絶妙な加減が要求される。

 実は阿寒湖は、東西に雄阿寒岳、雌阿寒岳が風の通り道を塞いでいるために、南風が吹くことが非常に多い。これを卓越風と言うが、南からの卓越風があるということだ。

 そして南から吹いた風が約4.5kmの湖面上を吹いたところで波ができる力というのが上記の絶妙な力加減になっており、これゆえに、湖の北側のチュウルイ湾とキネタンペ湾の二箇所に群生しているのである。
 
 マリモがここに限って群生している理由がこれで明らかになった。


  ◆   


 マリモの生育に適した湧き水の環境、マリモ自らの性質、そしてマリモを球状に育む阿寒湖の地形的、物理的な環境、これらが偶然にも揃ったことで、阿寒湖には巨大なマリモが群生することとなった。

 なんという偶然の産物であることか。

 湖の環境はちょっとしたことが変化しただけでも生物に影響を与えずにはいられない。

 我々もこの大事な湖の環境を守り続けて行くことの必要性を強調したいものだ。


 マリモは神からの贈り物なのだ。
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ジャイカ研修と元気創造

2012-11-22 23:45:00 | Weblog
 今年も今日から2週間にわたり、ジャイカ(JICA)研修事業として外国からのゲストをお迎えすることとなった。

 釧路は例年、環境関連事業の研修対象地として発展途上国から研修員を受け入れているが、今年の参加者は西アフリカ諸国から男女合わせて14人だ。

 一人だけがポルトガル語を母国語としているが後はフランス語圏内からの来訪で、通訳者もフランス語の方が同行している。

 こうしたことの受け入れは、市役所が中心となった海外研修事業受け入れ実行委員会という組織を別に作り、そこが職員人件費を含むジャイカからの委託費を受け入れて独立した予算執行を行っている。

 委託費は年々歳々減らされていて、赤字にしない程度に運営するのに苦労するようになったという。

 外国からの研修員に対してはジャイカから研修旅費が出るのだが、飛行機の旅費などを差し引いた現地滞在費は初日に全額渡されて、それで必要なものの購入や食事をしなさいということだそうだ。

 釧路市内の2週間は同じホテルに泊まるのだが、ホテルとの契約は夕食が付かない形だそうで、研修が終わった後に飲食店に繰り出すほどの余裕はなく、ほぼ皆夕食はコンビニで買って済ませるのだそうだ。

 決して遊びに来ているわけではないとはいえ、なんだか可哀相な気もする。


  ◆   


 私は立場上、この海外研修事業受け入れ実行委員会の会長を仰せつかっているので、まずは初日のオリエンテーションの場で挨拶をさせてもらった。

「釧路は毎年、ゴミ問題や自然環境保全、環境教育などを柱に環境保全研修を受け入れています。研修の中ではゴミ焼却場や下水処理場などの施設を見学したり、法律などの決まり事について学ぶかも知れませんが、大切なことは環境を守ろうとする市民や国民が育つことなので、学校での環境教育などもしっかりと学んでいってください」

「季節は冬になり、地元の私たちですら寒い時期になりましたので、慣れない外国での滞在で健康に留意されて実りある研修となり、帰国後の皆さんのお国が繁栄することをお祈りします」


  ◆   


 当地での寒さの度合いなど理解出来ないだろうから、過度に厚着をしてきたり、部屋の中は半袖の薄いシャツを着ていたりバラバラだ。

 世話をする担当職員は、このさき100円ショップなどへ行って滞在中必要なものを買う手伝いをしたりもするという。

 湿原の中をハイヒールで歩こうとする人も過去にはいたというから、異文化を体験するというのはなかなか大変だ。

 時間があればオリエンテーションの時間での一人ひとりの自己紹介を聞いていたかったのだが、「アフリカの方達は自己主張が強いので、最初は聞いて途中退席をしたりすると、『なぜ自分の所から聞かなかったのだ』と不満に思われても行けません」といわれて、挨拶だけで退席した。

 この後、研修事業や交流事業で一緒になることもあるので、できれば最初に会った時にお互いの心を通わせておくと、交流事業などがスムースになるのだが、次の予定があったので残念だった。

 いずれにしても、実りある研修になることを心からお祈りしたい。


  ◆   ◆   ◆


 さて、ジャイカ研修の次の用事とは、『元気創造枠の職員プレゼンテーション』だった。

 通常予算に乗らないがやってみたい事業を職員が企画して市長以下判定委員の部長達の前でプレゼンテーションを行い、質疑応答をするのである。


 【きっと緊張しているのでしょうね】


 昨年に続いて今年が二回目となるこのプレゼン、昨年にも増してプレゼンの能力は上がっていて、提案された本数も25本と昨年からは大いに増えた。

 若々しい発想の事業がある一方で、単に現地調査の出張がメインだったり、予算枠の要求だったりするようなものもあり、判定会議では大いに意見が戦わされた。

 市長を目の前にしてのプレゼント言うことだが、パワーポイントの作り方も上手になり、発表の態度も堂々としている職員が多かった。

 こうした事への参加を大いに評価したいし、採用された事業については変わり映えしない日常をブレイクスルーするような形で展開して欲しいものだ。

 若いということは可能性のエネルギーだ。うらやましいね。   
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「ラムサール条約湿地のこれから」 湿原の守り神、辻井達一先生の叙勲受賞記念講演会

2012-11-21 23:45:59 | Weblog
 釧路湿原にとっては大恩人である湿原研究の大家辻井達一先生がこの7月にルーマニアのブカレストで開催されたラムサール条約締結国会議でラムサール湿地保全賞を受賞された。

 また、この秋の叙勲で瑞宝小受章も受賞されたことから、釧路では有志が集まって、先生の両賞受賞をお祝いする会を催し、併せて先生には「ラムサール条約湿地これから」と題して記念講演をお願いした。

 講演会では私が釧路市を代表してお祝いとお礼の挨拶をする機会をいただき、かつて北大で辻井先生の講義を受けていた私としては、光栄だった。




 
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 さて、辻井先生の講義である。
 

 先生曰く、最初は湿地の保全などと言えば、「なんだ、谷地か」と馬鹿にされていたもので、おそらく環境省でも「ラムサール条約って何だ?」と言われるほど関心は薄かったろう。

 それが釧路でラムサール条約会議が開催されたことで初めて日本で、あるいはアジアでも湿地が陽の目を見たのだろうと思う。

 今日はテーマを三つ用意した。

 まず最初は、「全体のテーマとしてラムサール条約湿地の現状」である。

 ルーマニアの首都ブカレストでCOP11が開催されたが、ラムサール化学賞受賞の際に、「スピーチは三分以内で」と言われて、カッパの話をしようと思った。


 【お酒「黄桜」のかっぱキャラ】


 カッパは綺麗な水にいてやや不気味な妖怪として描かれるが、小島功さんの絵にはかわいらしく描かれている。

 日本人参加者からは「カッパの絵としてはちょっと色っぽすぎるのではないか(笑)」という声もあったが、まあいいんじゃないか。黄桜からはまだ何ももらっていないが今後交渉してみよう。

「私も湿原研究をしすぎてカッパの水かきがついてきたのじゃないか、と思うが、今後も綺麗な水を守る活動を続けて行こうと思う」とまとめた。


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 またスペインで2002年に行われた会議では、普通はラムサールは水鳥が良く出てくるのに、ここから少しの時期シンボルマークには鳥が消えて魚が出てきた。

 今回のルーマニアではマークに鳥が復活して鳥屋さんは胸をなで下ろしたのではないか(笑)
 
 要は湿地といえば水鳥が保護の対象であったのが、魚や植物や、それを活用する人までもが皆恩恵を受けているということであって、それがシンボルマークから水鳥が姿を消した理由だったのだ。

 スペインのマークでは水草と魚がはっきり描かれているが、人や水の流れをデザインするということが流行ったのだった。


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 では二つ目、「これまでの日本のラムサール湿地の特徴」について語ろう。

 日本には、雨竜沼、阿寒湖、サロベツ原野など多様な湿地が随所に見られる。

 これがロシアだと何日も同じ原野の景観がずっと続くものだが、それに比べると日本は実に多様な湿地環境がある。

 ラムサール会議は日本で、そしてアジアで初めて開かれたと言ったが、その際東北海道の場合、釧路以東根室までの間で小さなスケールだが国際フィールドシンポジウムを開いた。

 参加者はほとんどがヨーロッパの学者だったが、みな「釧路から根村までの間にタイプの違う湿地が30分走るごとに一つ見られて非常に興味深い。博物館の部屋のドアを挙げると違う展示物が見られるのと同じように、釧路から根室には、厚岸、ペカンぺウシ、霧多布湿原、風蓮湖、尾岱沼、根室半島、などが次々に見られるのだ。そういうところは世界でも極めて珍しいのではないか」という反応だった。

 却って自分たちのように、毎日のように同じポイントを見続けている地元民には一種の慣れが出てきてしまって真の価値に気がつかないことがある。



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 「ニューヨークのセントラルパークには中央に池があるが、かつての池を残そうという素晴らしい感性の都市計画屋がやったのだろう」

 皇居の中にも多くの池が残っている。私は次のラムサール湿地を、今は汚いが道頓堀で行けないか(笑)とすら思う。

 これまではラムサール湿地と言えば「綺麗な場所」ばかりなのだ。

 道頓堀は阪神が勝つと人が飛び込むようなところだが(笑)、ラムサール湿地になることを機会にして綺麗にするということだってあるのではないか。環境省は十分に研究して欲しい。



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 次に湿原の恩恵について話そう。琵琶湖の鮒寿司。魚だというと欧米人も二の足を踏むが、「チーズだよ」というと平気で食べる。


 【今やこのおおきさだと1万円はするとか】


 鮒寿司の材料であるニゴロブナは琵琶湖の外にある内湖で育つのだが、米を作ろうというので80%を田んぼにしてしまった。

 ところが今や鮒寿司が1万円で売れるというので、いまや米よりも内湖を復活してニゴロブナを増やそうという動きになってきた。現金な話だが、私はそれでも良いのではないかと思う。

 その結果として内湖が復活するなら湿原の復活だ。決してマイナスになるものではない。

 伝統的食文化の再生といえば十分に説明ができるだろう、ということで大いに賛成したい。



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 アイルランドのアイラ島というところでは泥炭を掘っている。この泥炭で麦芽を燻すことでアイラウイスキーというのができるが、クレオソートを飲んでいるかのような強烈な香りがするウィスキーが出来上がる。

 ウィスキーの原酒ができたときに、天使の分け前「angel's share」というのがあって、分量が減るのだが、そこに最後に泥炭を通ってきた水を足して泥炭の香りを付けた酒にする。

 このアイラウィスキーを生の牡蛎にちょっとたらして食べるととても美味しいのだ。

 なぜ厚岸でやらないのかなあ。東北海道の名物に十分なると思う。



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 さてそれでは最後に三つ目の、「これからどうするか」についてだ。

 2012年のCOP11では「湿地のツーリズム」というのが提唱されたが、北海道の大沼がエコツーリズムとしてラムサール湿地に登録された。




 函館の人たちにとっての大沼は、函館山の次にお客さんを連れて行く自分たちの庭でありツーリズムの対象だ。
 
 しかしおそらく大沼を湿地としては捉えていなかっただろうから、湿原という意味で捉えたのははじめてだ。

 実はここをラムサール湿地とするのならエコツーリズムしかないと思ったが、それならば駒ヶ岳まで入れるべきだと思った。

 それは『流山』と呼ばれているが、駒ヶ岳が溶岩を流し込んだ末端が流山なのであって、陸地にも残っていたりそのいくつかが湖の中の島になっている。

 溶岩流がはっきり分かっているというのはこの駒ヶ岳しかないのであって、北海道に加わった13番目の登録湿地としていいのじゃなかろうか。


 【これが陸に残された流れ山だ】



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 さて、最後に尾岱沼の打瀬船である。

 尾岱沼は打瀬船も含めて登録湿地になっているが、ここは北海シマエビの優良な漁場である。

 なぜいまでも打瀬船を使っているかというと、アマモに稚エビが育つのだが、これをスクリューでかき回してしまっては行けないからだ。つまり取りすぎないための経験であり知恵なのだ。

 もともと尾岱沼をラムサール登録湿地にするとなったときに、最初地元の漁場は反対をした。

 しかし「そうではない。昔ながらの漁法で取っているということは一種のブランドになる。現にここで取れているシマエビは他に比べると二割ほど高い。ひげ一本折れていない、が売り物でブランドなのだ」

 特にファストフードに対するスローフードに対してはちゃんと金を出すという時代になりつつある。我々はこれを先取りすべきなのだ。



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 似たようなことは霧多布湿原をラムサールにする時にもあった。

 最初漁協は、「我々は昆布でやっているが湿原とどんな関係があるのだ?」と反対だったのだ。

 そのときにある先生が、湿原から流れ出る鉄分が昆布を育成するのに役立っているという論文を書いてくださり、それを説明したところ漁協は一夜にして反対を取り下げた。


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 これからはワイズユース(賢い利用)ということで、それは利息だけを使って元手には手をつけない、という考え方だ。

 利息だけで充分やれる世界として産業と十分に折り合いをつける社会でありたいと思っているのだ。



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 辻井先生は最初から湿原もワイズユースで行くべきだとおっしゃっていた。保全のための保全では力が尽きてしまうからだ。

 水鳥だけでなく、虫も植物も、周辺で生活をする人間ですら湿原の恩恵を受けている。

 元手をなくさずに利息だけで、というのは辻井先生らしい素晴らしい考えだ。

 最初からこの思想で活動ができた釧路湿原は本当に幸運だったと思う。

 辻井先生におかれましては、これからも健康でご活躍をお祈りしたい。今日は誠にありがとうございました。

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