北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

横綱白鵬関のすごさ~月刊「致知」より

2011-11-30 23:45:41 | Weblog



 愛読している、人間学を学ぶ雑誌「致知」ですが、11月号に現役ただ一人の横綱白鵬と往年の名横綱大鵬との対談の記事が載っていました。

 これを読んで改めて大鵬と白鵬の凄さが分かったような気がします。


    ※     ※     ※     ※     ※


 白鵬関はお父さんがモンゴル相撲の偉大な横綱で、年に一度国を挙げて行う「ナーダム」という御祭りの相撲大会でも五連覇を含む六度の優勝、さらに五十二連勝という連勝記録も持っているのだそう。

 そういう意味では親譲りの運動能力もあったのでしょうが、本人は子供の時はバスケットをしたりして、ご両親も力士にするつもりはなかったのだそう。

 それが良く遊んでいた友達が大相撲の道を選ぶと言って日本へ行ってしまったのだそう。実はそれがいまの日馬富士だったり保志光だったりとこれまたすごいのですが。

 そこで周りから勧められたこともあって、二か月間の期限付きで日本へ相撲部屋のスカウトを目的とした稽古ツアーに参加したのですが、あまり相撲取りになるというよりは日本見物的な気持ちが強かったそう。

 また当時は新弟子検査に合格するほどの体重もなくて、とうとう帰国の前日までどこからも声がかからなくて帰国準備をしていたんだそう。

 それが最後の最後になって、ある知人が宮城野部屋に頼み込んでくれたとかで、親方も本人を見ないままに入門を許したという運命的な出来事があったのだそうです。

 今日の成績を誰も見抜けなかったのかと思うと、まさに神様の導きとしか思えませんね。


    ※     ※     ※     ※     ※


 その後の活躍と横綱昇進という華々しい成績は言うまでもありませんが、彼が横綱になった時に真っ先にアドバイスをしたのが大鵬だったそう。

「横綱にはなった者にしかわからないことがある」と大鵬は思ったそうで、そのときは「必ず下の者に稽古をつけてやってくれ」と言ったのだそう。下の物を引き上げてやるのが横綱の立場だ、という信念からでした。

 一方白鵬の方は、大鵬が二十一歳で横綱になった時に「辞める時のことを考えた」ということを強く印象的に思ったそう。負ければ引退という横綱は、勝ち越せば残れる大関と全く違う地位だということを痛感したそうです。


 白鵬の名は、始めは部屋の関係者が往年のライバル柏戸と大鵬が活躍した「柏鵬時代」にあやかって「柏鵬」とつけようとしたのだそうですが、それで活躍できなかったら恥ずかしいということで、木へんを取って「白鵬」としたのだそう。これもまた壮大なエピソードです。


    ※     ※     ※     ※     ※


 白鵬はあるとき相撲好きのファンから、「おまえさん、双葉山に似ているね」と言われるようになってから、69連勝という記録を持つ双葉山について勉強するようになったのだそう。

 そこで当時の双葉山の取り組み映像を見て愕然としました。双葉山は立ち合いの時も勝負に行くような怖い顔ではなく泰然自若とした姿だったのに驚いたのです。

 そして双葉山が得意とした「後の先」についてさらに勉強を重ねて、今ではその立会について意識をしているのだそうです。

 「後の先」とは、後から立ったようでも相手を受け止めてそれを制止し、こちらの型に持ち込むというもので、まさに横綱相撲そのものです。

 実は双葉山は幼い時に右目を怪我してほとんど見えない状態だったそうで、そこから生まれた立ち合いの方だということですが、片目で大横綱になったというこれまたなんとすごいエピソードでしょう。


    ※     ※     ※     ※     ※


 さて、大鵬さんは双葉山が相撲協会の時津風理事長として活躍されていたころに、有名な「木鶏」の話をご本人から直接聞いて、その精神の気高さに身震いがしたと語ります。

 「木鶏」とは中国の古典「荘子」に出てくる逸話で、闘鶏の鶏が、木でできたかのように周りの騒ぎに影響されない高みに至ったという物語ですが、双葉山関が69連勝の次の70連勝を阻まれたときに、「ワレイマダ モッケイタリエズ」と安岡正篤先生に電報を打ったというエピソードまで白鵬関は知っていて、相撲に対する深い造詣が感じられます。


 11月場所は連勝ができなかったものの立派に幕内総合優勝を果たしました。

 外国人横綱と人は言うかもしれませんが、相撲の世界を一身に引き受けて、その世界に恩返ししたいという心は立派な日本人そのものです。

 私たちはこういう素晴らしい横綱が日本の精神を支えてくれていることに本当に感謝したいものです。


 
 
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今年もししゃもの親魚漁はじまる

2011-11-29 23:45:58 | Weblog
 昨夜からししゃもの親魚(しんぎょ)の捕獲作業が始まった。

 ししゃもはキュウリウオ科の小魚で北海道の太平洋側だけで獲れる日本固有の魚。ノルウェーシシャモ(カペリン)などと称して売られているのは、同じキュウリウオ科の魚でもシシャモとは別なので注意してくださいね。

 さて、ししゃもはこの時期になると新釧路川や白糠の庶路川へ遡上をして上流域で自然産卵をして稚魚になります。

 しかしそれではこころもとないということで、地元釧路漁協では新釧路川と庶路川においてふ化放流事業をしています。

 ふ化事業の目標は、ふたつの河川のふ化場のためにそれぞれ三億粒を採卵すること。なんといっても欲しいのはメスの数ですが、昨年はオスばかりで目標に大きく届きませんでした。

 そのせいか、今年のししゃも漁も冴えない日が続いています。

 資源を守るために漁期を10月25日から11月30日までの期間として、さらに釧路海域での漁獲割り当てを600トンとするなど、厳格な漁の管理を行っていますが、今年は水揚げがその割り当てに遠く及んでいないのだそう。

 せっかく市役所でも魚のブランド化事業として釧路ししゃもとトキシラズを取り上げて、一匹の単価を上げて付加価値を高らしめようという取り組みを行っているところなのですが、肝心のシシャモが獲れていないとなると残念なことです。


    ※     ※     ※     ※     ※


 今日は親魚捕獲のための仮設の事務所が川のほとりに開所されたことにともなうお祝いの挨拶に来ましたが、せっかくなので最初の一網の成果を見せてもらうことにしました。


   【網をそろそろ巻き上げます】


「今年は随分あったかいなあ」と漁業関係者が声を上げました。そういえば昨年はもっと寒かったような気がします。

 親魚の捕獲は、小舟で川の真ん中まで網を張り、それを岸で巻き上げて取り込むという形で行われます。

 冷たい川の中へドライスーツに身を包んだ男たちが入っていき網を次第に絞り込んでゆくと、ぴちぴちと銀色の魚が跳ねるのが見えてきます。


   【おら、もう少しだ】


 時折混ざっている40センチくらいのアメマスはぼんぼんと川の中へ放り込んで返します。

 やがて「バケツもってこい!」「生簀(いけす)!、生簀!」と怒号が響きます。

 バケツですくわれた魚はすぐに調査台に運ばれてそこでオスとメスの比率を調査します。


   【元気のよいししゃもが暴れています】


「どうですか?」と訊いてみると、「八割がたメスですね」と幸先の良い成績。この比率と獲れた量をパソコンで管理しながら、全部で6億粒の卵の確保を目的に一晩に数度の網入れを行って漁が続きます。

 
 寒い中で冷たい水の中での作業が続きます。関係の皆さんの無事故と安全、そして所期の目標が達せられるようにお祈りします。

 こうやってとれたししゃもなのです。どうぞおいしく召し上がってくださいね。 


   【手早いオスメス調査は職人芸です】 
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長く揺れたら津波が来る

2011-11-28 23:45:04 | Weblog



 北海道新聞が主催する道新政経懇話会。

 今日のテーマは「東日本大震災と地域の備え」で、講師は中央防災会議のメンバーでもあられる東京経済大学教授の吉井博明さん。
 
 東日本大震災で改めて津波による被害の恐ろしさを知ったうえで、北海道東部太平洋沿岸で予想される地震と津波被害を学び、『津波災害文化の定着』について考えようというものです。

 中央防災会議ではすでに平成18年の時点で日本海溝・千島海溝周辺海溝型地震の地震像について、8つの地震パターンを検討の対象としています。

 それらは、十勝沖地震、根室沖地震、それらの連動、色丹島沖地震などがあり、そのなかに既に「500年間隔地震」をも想定しているのです。

 そして特に、、500年間隔地震では津波を伴うために揺れによる被害とは比較にならない大きな被害があるとしています。


【津波ではとにかく逃げろ!】
 500年間隔地震による津波の想定としては津波到達時間が三陸津波と同様に30分とのことですが、道東の人たちは三陸の人たちと違って津波慣れしておらずなかなか逃げないことが考えられると警鐘を鳴らしていました。

 また地震津波の対応原則は非常にシンプルなのだと言います。それは、『強い揺れが長く続いたら即高台に避難しろ』ということ。

 この原則さえ守れれば、人的被害は最小限に食い止められるはずなのですが、様々な要因がそれを妨げます。

 まずは「大変だがまあなんとかなるだろう」という安全に考えたい心理的正常化バイアスというもの。

 また子供や親を助けに行きたいという心情も逃げるのに邪魔になるわけですが、そういうことを振り切ってとにかく生き延びる避難行動として、三陸地方では「津波てんでんこ」という言葉が伝承として伝わっています。

 これは津波が予想されたら、てんでんばらばら(=てんでんこ)に逃げろ、ということですが、まずは津波を予想できるということが肝心。これが行動の第一歩です。





【津波が来ることを予想する】
 地震の規模は大きな揺れがある時間で決まります。阪神淡路大震災のときはマグニチュード7.3でしたがこのときの揺れはわずかに10~15秒でした。

 この揺れが1分続いたらM8で、3分も続いたらそれはM9クラスの大地震ということになります。

 500年間隔地震は揺れが1分以上続くクラスの地震です。「まだ続く…、まだ続く…、もう死ぬんじゃないか…」と思うようなら500年間隔地震と思って欲しい、と吉井先生はおっしゃいます。

 地震が起きたらどんなものでも逃げていたのではオオカミ少年のように逃げるのが馬鹿らしくなってしまいますが、とにかく揺れが長く続いた時は絶対に逃げてほしい。これが津波予想の第一歩。そしてもし空振りだったとしてもそれは「いい訓練だった」と思うようにしてそれを許容する態度が必要なのだ、とも。

 また大津波の情報はしばしば住民全てに届かないことがあるとも。それは地震による停電が起きてしまってテレビやラジオなどのマスメディアが使えなくなることがあるからなのだそう。

 一斉同報無線が便りですが、今日ではたいていの人が持っている携帯電話やメール機能などありとあらゆるチャンネルで情報を提供できる備えも必要でしょう。

 
    ※     ※     ※     ※     ※


 吉井先生は、津波てんでんこが実践出来るための条件を教えてくれました。それは、

 ①揺れたらそれで頭が一杯…なのではなく、揺れたらすぐ津波のことが頭に浮かぶように頭の訓練を続ける
 ②津波に巻き込まれたら命が危ないと考える

 ③津波来襲までに時間がないという認識がある
 ④安全な避難場所や、早くたどり着ける避難路を知っている。訓練でも行ったことがある

 ⑤家族や近所に住んでいる親や親戚、子供はそれぞれ近くの安全な場所に避難するという確信をもつこと
 (そのためには家族などと日頃から避難場所や落ち合う場所を話し合っていること)

   
 災害にあった時は頭がパニックになりがちで、そこから次に起こること、次にしなくてはならないことへと頭を切り換えるのが大変だといいます。

 次に何が起きるかを常に予想し理解しておく、紙に書いて壁に貼っておく、などあらゆる努力を重ねておきたいものです。


 
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年に一度は市政の話を

2011-11-27 23:55:39 | Weblog

 市内の民生委員児童委員さんたちの一日研修で講師として招かれました。

 民生委員とは、『住民の立場になって相談に応じて、必要な援助を行い、社会福祉の増進に努めることを任務として、市町村の区域に配置されている民間の奉仕者』として市役所と住民の架け橋役を担ってくださっている皆さんです。

 また、地域の子どもたちを見守り、子育ての不安や妊娠中の心配ごとなどの相談・支援等を行う児童委員を兼ねることになっています。

 釧路市では市全体を21の地区に分けてその地区に住む住民の方に民生委員になっていただいており、現在市全体では458名の民生委員さんがおられます。

 報酬は無報酬ですが交通費という形で年に数万円が支給されてはいます。しかし、研修のために拘束される日が多かったり、住民とのトラブルを嫌がってなり手が少なくなっているのが悩みの種。現在も市内で約十名ほどの欠員があるそうです。

 今日はそんな皆さんの一日研修と言うことで、私の話に始まって、夕方まで各種研修の報告会などが行われることになっています。






 
    ※     ※     ※     ※     ※


 私が依頼されたのは、「生涯学習とまちづくり」というお題での話ですが、まあ肩の凝らない程度に面白く、かつ今の市政についての話題を聞いていただくことにしました。

 民生委員の皆さんの研修となると、やはり福祉に関する話が多いようで、私のように市政やまちづくりについて話を聞く機会というのは滅多にないことでしょう。

 しかし私も釧路市副市長として在任期間が1年4ヶ月を越えてようやく市政について語るネタが充実してきました。ここからは市政を面白く伝える語り部として市民の中に入ってゆきたいものです。


 私の講演のスタイルは、プレゼンテーションにおけるパワーポイント全盛の世にあって、絵図でのプレゼンではなく、一枚のレジメによる語りが中心です。

 いろいろ試してみましたが、伝統的な落語や漫才がスライドなど使わずに話芸で時間を楽しませるように、瞬間瞬間の言葉で聞き手との関係を作れたらその方が良いなあと思っています。


    ※     ※     ※     ※     ※


 話題の組み立て方として私は、ネタ一つに頭の中で「2分バージョン」、「3分バージョン」、「5分バージョン」の三通りをイメージします。

 実はこの作業をするうえで最も役に立っているのが『ブログを書く』ということ。

 知識や感動を曖昧な雰囲気に留めずに、文章としてストックしておくことで何が自分にとって最も印象的で伝えたい核心なのかを確認できるうえに、記憶の中の引き出しにしまっておくことができるのです。

 講演の最中というのは、この引き出しを開けて話しをしながら、聴き手の受け具合と残り時間、全体の雰囲気などを総合的に計算して次に開ける引き出しを考え続けているというわけ。

 話題の受けが良くてもっと聞きたそうにしているときは関連するネタをかぶせて盛り上げますが、話が冗漫になって関心が薄れた人が出始めた時は早々に切り上げます。

 うつらうつらする人が出始めたら要注意、その話題を続けていては起きてくれないので、できるだけ早く次の話題に切り替えます。

 話題の継ぎ目に3秒くらい何も言わない間を取ると空気が換わって、気を失いかけていた人も「ん?どうした?」と目を覚ましてくれます。テーマと話題によっては何をやってもダメな人もいますがまあご愛嬌です。

 今日はちゃんと聞いてくれる方がこちらをちゃんと見てくれて、話しにうなづいてくれて方も多かったので良かったです。

 
    ※     ※     ※     ※     ※


 市政について市民はなかなか理解してくれないと、どこの自治体も嘆いていますが、それを解消するためには地道に伝えるという作業が必要なように思いますし、私の話術も少しはそれに貢献できるかもしれないと思い始めています。


 とにかく市政の話を聞いてくれるところからの講演依頼は最優先で受けてくれるように秘書の皆さんには伝えてありますので、各種研修会や総会などで講演会の講師に困ったら怖がらずにぜひご相談ください。

 年に一度は市政の話を聞いてくださいね。 

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アメマススイッチ

2011-11-26 23:41:30 | Weblog
 朝はホテルで5時半起き。

 6時過ぎにホテルを出発して7時に羽田空港へ到着。7時55分羽田発の飛行機で釧路まで戻ってきました。

 空港では釣りの道具と着替えを預けておいた友人と待ち合わせて、近くの川へとまっしぐら。ちょっと風が強く冷たいのですが、快晴の道東は気持ちが良いものです。

 寒空の中でのアメマス釣りを一度体験したかったのですが週末もなかなか時間が取れなくて、今日の日となりました。


   【晴れれば気温も上がります】


 フライフィッシングも、季節が冬を迎えて魚たちも活性が落ちる時期です。以前ほどバクバクと餌を食べてくれる状況にはありませんが、そういう状況の中でいかにフライを食べさせるかが知恵比べの勝負です。

 アメマスは遡上する鮭を追ってその産卵を待ち、鮭が生んだイクラを食べる時期があるのですが、いまではもうその時期もほぼ終わっています。

 準備を終えてあるポイントへ下りてゆくと、アメマスの大群が休んでいるプール状態のところがありました。


   【すごい大群がいるのがわかいますか?】


 しかし魚がいることが分かっていても投げ込むフライを食う気配は一向にありません。

「難しいですねえ」
「まあここは無理ということですね」

 無理なところにいても時間の無駄なので、すぐにポイントを切り替えます。

 日陰はもう水たまりに張った氷も解けないほどの状況で、入る川の水も冷たく結構つらい状況が続きます。


   【日陰は氷も解けません】


「あの木の下ならいそうですね」と教えられたポイントへキャストを続けましたがなかなかアタリはこないものです。

 何本も投げ込むうちに、マーカーがグッと沈んで手に反応が来ました。「来た!」と一気に血が沸き立つ感じで慎重にラインを手繰り寄せますが、あとわずかというところで針が外れて逃げられてしまいました。

「うわー」残念至極。50センチ近い相手だっただけにもったいないことをしました。しかもその後はもう全然反応してくれません。

 おまけに、(もう駄目かな)と思って戻ろうとしたところで苔に足を取られて川の中で転倒。左手に握った竿を守るために右手でカバーしましたが、ジャケットのポケットに水が入り、デジカメが水没…、あちゃー、参った。


    ※     ※     ※     ※     ※



「どうですか」
「一匹だけ来ましたけど逃げられました。おまけに転倒しちゃいました」

 休みますか、の声を振り切ってさらに別なポイントへ向かったところ、師匠のH氏はいままで私がいたポイントに入ってゆきました。

 30分後にそこから帰ってきたH氏はにんまりしていて、「出ましたよあそこに、怒涛の15匹連続が」
「なんと、さすがにすごいですねえ」

「アメマスって、一匹を釣り上げるとそのときのバシャバシャした雰囲気で群れ全体が舞い上がって争うようにフライに群がるスイッチが入る状態になることがあるんですよ。今回はうまくそれに当たったんでしょうね」

 一度そういうアメマススイッチを入れてみたいものです。

 魚がかかってくれないと寒さが身に沁みます。デジカメは治るのかな…とほほ。 


   【いとも簡単に50センチを釣り上げる師匠、さすがだ】
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ベトナム大使離日のレセプション

2011-11-25 22:47:22 | Weblog
 朝一番で釧路へ飛行機で戻ってきました。

 釧路で委員会一つと現地視察一つを終えてから再び釧路空港へと向かい、東京へと飛んできました。

 今夜はベトナム国のグェン・フー・ビン大使が本国へ戻られることとなり、離日にあたってのパーティが東京のベトナム大使館で開催されました。

 ビン大使にはベトナムから釧路コールマイン(KCM)へ研修生の受け入れに対して大変高い評価をしていただき、日本国政府に対してもその継続を強く働きかけてくださっていたのです。

 釧路にとっては、KCMでの研修事業が継続されるための力強い応援団になってくださったわけで、感謝に堪えません。

 ビン大使は在任期間が四年以上で、この間には政権交代などもあり大変な時期でしたが、持ち前の誠実さで多くのファンを政財界に築いてこられました。

 今日のお別れパーティには、鳩山前総理や仙石由人民主党政策調査会長代行、また公明党の山口党首なども駆けつけていました。


 さて、ビン大使からはこの間の日本の皆さんによる多くの支援に感謝し、国に帰ってからも日越の友好に協力したいという挨拶がありました。


   【ビン大使のご挨拶】


 ビン大使の挨拶に続いて日本側からは仙石政調会長代行が立ち、乾杯は超党派で構成される日越友好議員連盟会長の武部勤氏が行いました。

 乾杯の挨拶の中で武部さんは、「『超党派』と言っていますが、もともとベトナム国との友好親善関係は共産党さんが先行していたものです。それが後からその他の政党が加わるようになっていて、超党派を名乗る友好議員連盟で共産党も含めて全部の党が加わっているのはベトナムが唯一でしょう」と会場を笑わせました。なるほどねえ。


   【武部会長の乾杯】


 会場には歌手で俳優の杉良太郎さんもいたのですが、彼はベトナム社会主義共和国ベトナム日本特別大使に任命されていて両国の友好に力を尽くしているのだそう。

 去る十月上旬に、ベトナムでEXILEやAKB48、倖田來未、伍代夏子などによる日越友好音楽祭が開催されたというニュースを見たことがありますが、これを主催したのも杉良太郎さんだったと紹介がありました。


   【中央の長身の方が杉さん】


 ビン大使は本国へ帰国後も日越間の友好親善のお仕事に就いていただけるとのことで、なお一層の友好関係の深化にご貢献いただきたいと思います。お疲れ様でした。

    ※    ※    ※    ※

 さて、レセプション会場では様々なお料理が並びましたが、その一角で「フォー」が振る舞われていました。


   【フォーのコーナーがあった】


 フォーはベトナム料理を代表する平打ちの米粉の麺料理ですが、鶏や牛からとるあっさりスープは日本人の口にも良く合う美味しい料理です。

 日本国内にもベトナム料理店は数多いことでしょうが、おそらく最もベトナムらしい味のフォーなのではないでしょうか(笑)。

 フォーも大変美味しくいただけて疲れも吹き飛びました。

 日越の益々の相互交流の深化をお祈りします。 


   【本場のフォー、いつも美味しくいただいてます】
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飢餓スイッチで健康に

2011-11-24 23:45:04 | Weblog
 医者をしている友人二人を交えて久しぶりに旧交を温めあいました。

 世間話に花が咲く中で、話題はつい健康と医療の問題になりがちです。そんななか、「おい、おまえはちゃんと健康診断をしているか?」と話を振られました。

「もちろんだろ。年に一度は職場の人間ドックを受けているさ。今のところ異常はないよ」
「おっと、しかしだからといって安心しちゃいかんぜ。あんなのは見つかる方が奇跡だからな」

「見つかる方が奇跡って、それじゃあ受ける意味がないんじゃないか」
「はは、まあ言葉が過ぎたところがあるけれど、そこで異常がないからと言って、これで一年間安心だ、などと思わないことだよ。医療の水準を過大に評価すると、なぜ見つけられなかった、という話になりがちだけれど、それを超えて健康管理は自分の責任できっちりしておいた方が良いと言うことさ」

「しかし年に一度やっておけば健康状態の変化だって分かるんじゃないか」
「まあね。しかし俺の知っている医師は4月に健康診断を受けて異常がないと言われながら、10月に肺ガンで死んだよ。まだ若かったのに惜しいことをしたものだ」

「それは検診の時に見過ごした、という話なのか」
「その医師は、『おれの検診の時の写真は封印しろ』と言い残したよ。誰が見逃したのか、なんて犯人捜しをしても仕方がない、と思ったんだろう。でもそれが今の医学の標準的なレベルなんだ、と思う方がよい。何でも見つけてくれるなどと言うのは過大な期待だということさ」

 我が友人は、決して検診がいい加減に行われていると言うことではなく、健康も自分自身の責任に於いて保たれるべきだ、ということを言いたかったのでしょう。

 病気になって困るのは医者ではなく自分本人なのですからね。


      ※     ※     ※     ※     ※


 その次にはその健康維持の秘訣についての話題になりました。

「そういいながら自分自身の健康管理はどうしているんだい?」と私。
友人は、「昼飯は300kcalに抑えているよ」と言います。

 するともう一人の医師も、「長寿で有名な日野原先生は、昼はクラッカーと紅茶…だったかな、とにかく少ない量が良いんだと言っていたなあ」

「昼が少ないと夜まで持たないんじゃないか?」
「そこが肝心だ。『腹が減った』と思う瞬間がちゃんとあるかい?人間は『腹が減った』という空腹感や飢餓感をきちんと感じると、体の中のいろいろな機能が活性化して『生きなきゃ!』という反応が起き始める。長生きを一番阻害するのは『飽食』と『満腹』さ。これでは生体機能にスイッチが入らないんだ」

「なるほど、飢餓スイッチってわけか」
「そう。もちろん無理や無茶をした極端な断食がよいと言うことではなくて、腹が減ったという程度の空腹感をしっかりと感じるような食生活が良いということだ。粗食と空腹感、こういうことを現代人は忘れていると思うよ」

 何事も極端は良くないと思いますが、そういわれてみると日常の生活では時間が来れば食事をするというのが習慣になりかけていて、お腹が減ったから食べるということが忘れられかけています。

 一度の食事の量も多すぎると次の食事のタイミングまでにお腹が減らないということもありますね。

 朝起きたときに空腹を感じるようにすれば朝ご飯が美味しく食べられそうです。

 夜寝る前のラーメンがいかに健康に悪いか、これは笑えませんぞ。

 

   【原減ったー!!】 ※写真は本文と関係ありません
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北海道観光マスター試験を受けました

2011-11-23 23:38:01 | Weblog



 北海道観光マスター検定を受けました。

 商工会議所の方と話をしていて、勢いで受けることになってしまったものですが、一応テキストも買って一度は通読をしておきましたが、さてどうなりますか。

 釧路の会場は商工会議所の入っている道東経済センタービル。今回の受験者は約40名ほどですが、第6回ともなると少し減ってきているのでしょうか。

 さて、北海道観光マスター検定は(社)北海道商工会議所連合会と各地の商工会議所の主催。

 その目的は、「本道の観光事業をさらに推進していくために…全道各地域の皆さんが、その地域の観光知識のみならず、北海道全体に関する幅広い知識を持って、本道を訪れる観光客の皆様を温かくもてなす心を持った人材の育成が求められており…、こうした知識の習得、スキルの向上に資するとともに、道民一人一人の観光振興への意識とホスピタリティーの向上を図ること」とされています。

 ホスピタリティ向上とは言いながら、まずは道内の観光知識を問うということでしょう。

 問題は全部で50問で100点満点。合格ラインは7割とのことですが、問題を開いてびっくり、四択の問いの穴埋めが二カ所あって両方正解で初めて点数になる完全回答の問題が結構多いのです。

 例えばこんな感じ。




【第2問】次の文章の空欄に当てはまる語句を選択肢から選び、その記号を記入しなさい。

 北海道の鳥である( ① )は1964(昭和39)年に、北海道の木である( ② )は1966(昭和41)年に、いずれも道民の投票によって選定された。

 ① ア タンチョウ  イ エトピリカ  ウ オロロン鳥  エ オジロワシ
 ② ア カラマツ  イ シラカバ  ウ エゾマツ  エ トドマツ 



【第17問】次の文章の空欄に当てはまる語句を選択肢から選び、その記号を記入しなさい。

 函館空港から車で5分という立地の( ① )温泉は、現在36本の源泉を有している。( ① )温泉の近くには日本最初の女子修道院である( ② )修道院がある。

 ① ア 湯の川  イ 恵山  ウ 上の湯  エ 大船
 ② ア トラピスト  イ ミネルヴァ  ウ トラピスチヌ  エ ハリストス


 分かっていればなんと言うこともありませんが、一度「あれ?どっちだっけ?」と迷い始めると混乱してきます。まあそもそもしっかりと覚えていなければすんなりと答えには達しないのですが。


 市町村合併のために観光対象のある自治体の名前に混乱を来すということもありそうです。

【第20問】次の市町村と観光対象との組み合わせで正しい者を選び、その記号を記入しなさい。

 ア 福山城ー木古内町  イ 恵山つつじ公園ー函館市
 ウ トラピスト修道院ー七飯町  エ 青函トンネル記念館ー知内町


 観光対象を問う問題では、わりと全道をまんべんなく網羅しているようです。


 設問は基本的にテキストブックの中に書かれている文章を題材として出すということになっているようなので、一字一句を理解しながら読んでいれば確かに答えはテキストに書かれています。

 しかしながら小さな町にある観光施設を問われると、どこだったか自分の記憶が曖昧だったということに改めて気づきます。
 

 回答はしたものの、自己採点の結果は合格ラインのギリギリで不安です。

 まあでもこういう地元イベントは参加して楽しむことが大切ですからね。まずは北海道観光のベースを学ぶ良いきっかけになったと前向きに受け止めておきましょう。

 次回はいかがですか? 
 
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平和祈念展in釧路~図書館イベント

2011-11-22 23:44:18 | Weblog
 東京の西新宿にある平和祈念展示資料館から増田弘名誉館長が市役所へ挨拶に来られました。

 この平和祈念展示資料館は、兵士、戦後強制抑留者、海外からの引揚者の方々などの労苦についての理解を深めてもらうことを目的とした施設で、今では総務省の施設となっています。

 実はこの度、この施設外展示事業として「平和祈念展in釧路」を企画して、今日から27日(日)まで市立図書館で様々なイベントが展開されることになっているのです。

【「平和祈念展in釧路」特別企画】http://bit.ly/uRAXus


 一般に終戦は昭和20年8月15日だと思われていますが、実はその時点で満州や樺太、南方諸島、北方領土など海外には約600万人の人たちがいたと言われ、これらの人たちはまさにいわゆる終戦後に混乱する現地から引揚者として日本に帰還しなくてはなりませんでした。

 この間、敗戦の混乱や物資・輸送手段の不足、終戦後も侵攻を止めないソ連軍などによる略奪などにより、多くの人たちが命を落としました。

 また。大陸に展開していた関東軍70万人のうち、66万人がシベリアに抑留され、強制労働に従事させられたと言われ、この過程でもやはり多くの人たちがなくなりました。

 私は幼い頃稚内で暮らしていたことがあって、樺太の女性たちの集団自決事件を慰霊する氷雪の門の像なども見慣れていました。

 戦後66年を過ぎて、終戦時の混乱による悲劇を直接語ることができる人も少なくなりました。

 戦争引揚者にはその後漫画家として活躍された方が少なくありません。南方からの引き上げを体験した水木しげるさんや赤塚不二夫さんなどもそうです。

 幼い時に「丸出だめ夫」という漫画を描いていた森田拳次さんもその一人ですが、満州からの引き揚げ体験を基にした「遥かなる紅い夕陽」という漫画を描いています。

 折角の機会ですのでぜひ図書館を訪ねて、平和について考えてみてはいかがでしょうか。

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こだわりの食材 

2011-11-21 23:45:10 | Weblog
 年に一度の人間ドック。

 お昼に会食が組み込まれていたので、午前中の胃部X線検査でバリウムを飲むのは辛いなあと思っていました。

 かつてはハンバーガーショップのMサイズコーヒーのカップくらい飲まされたバリウムですが今日の検査では、Sカップに八分目くらいで済みました。かつての半分くらいでしょうか。

 これでも異常が分かるのだったら素晴らしい医学の進歩ですね。

 幸い数値に異常はなくてほっとしています。健康が長続きするように日常生活に気をつけたいですね。


    ※     ※     ※     ※     ※


 バリウムを飲んだ後の昼の会食は、舟崎シェフのオーナーズレストラン「イオマンテ」での鹿ランチ。

 こんな状況でなければもっとおいしく食べられただろうに、と日程がちょっと恨めしい。

 ランチのメインはシカのロース肉をローストしてシケレベスパイス入りの赤ワインソースという舟崎シェフが腕によりをかけたお料理。

 ちなみに「シケレベ」とはミカン科の落葉広葉樹であるキハダという木の実。北海道の山の中でもちょっと探せば見つかる木ですが、ミカン科というのが珍しいですね。

 キハダは樹皮をはぐと内樹皮が黄色い色をしているのだけど、ここは口がひん曲がるほど苦くて漢方では黄檗(おうばく、黄柏)と言われていの薬として重宝されています。

 アイヌの人たちはシケレベと呼ぶこの木の実を香辛料として用いていたということで、地元の食材にこだわる舟崎シェフご自慢の隠し味です。

 ついでにクイズを一つ。豚は肉になるとポーク、鳥は肉になるとチキンで、牛はビーフ。では鹿は肉になるとなんと呼ぶでしょう?
 
 答えは「ベニソン」なんだそう。まあ豆知識ということで。


    ※     ※     ※     ※     ※


 さてこちらのレストラン「イオマンテ」、明日の夜に使わせてもらおうと思ったら、11月22日は『いい夫婦の日』だそうで、既に特別ディナーのお客様で満席だそう。

 不景気なんか吹っ飛ばせ!

 商売繁盛お慶び申し上げます。

【レストラン イオマンテ】 http://www.i-omante.com/
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