北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

認知症高齢者とまちづくり

2010-01-31 23:37:40 | Weblog
 国交省の外殻団体である(財)国土技術センター(通称JACI)が主催のシンポジウム「認知症高齢者とまちづくり」に参加してきました。

 高齢者の増加に比例して認知症高齢者も増加し、在宅や各種施設で生活する軽度の認知症のお年寄りも増えています。

 最近では認知症高齢者が認知症高齢者を介護する「認認介護」などという言葉もあるそうです。

 認知症と言っても実はいくつかの種類もあり、またその程度によっても症状は様々。一見普通の生活が出来るので、そうとは気づかれない方もたくさんいるのです。

 しかしそうした軽度の認知症の方が外出をする時にどのような実態になっているかを調べた調査というのはこれまでありませんでした。

 今回JACIでは、実際の認知症の方と共に町を歩くことで認知症高齢者の日常にどのような危険があるのかを実地に調査し、その結果を踏まえて、認知症のお年寄りとともに暮らすまちづくりとはどのようなものか、というシンポジウムを開催したものです。

    ※    ※    ※    ※

【調査の背景】
 既に述べたように、高齢者の増加と共に認知症のお年寄りの数も増えています。認知症高齢者は現在190万人と言われ、2025年には300万人を超え、後期高齢者の10人に一人は認知症になると言われています。

 しかし症状が軽度ですんでいる人では症状が進むことを防止するためにも外出は必要とされています。認知症で困るのは「意欲・発動性の低下」で、何もしたくなくなってしまうと症状が進行しがちです。

 しかし実際に外出をしてもらうとなると、付き添いのマンパワーにも限界がありますし、家族の負担も大きくなってきます。

 以前にも書いたように、認知症であっても自立した生活が出来るうちは大いに自立してもらっているのがよいのですが、外出をしたりするとどのような危険があるかを知っておくことが極めて大切なことになってきます。

 2008年から2009年にかけての調査では全部で11回のまち歩き調査を行いましたが、その際には被験者のお年寄りにアイマークレコーダーという目の動きを調べる装置をつけてもらい、歩いている時にどこを見ているのかも調べることが出来ました。

 その結果、交通事故のリスクが高い行動として、
①赤信号の見落とし
②車道歩行
③交差点での左右確認なし
④交差点での車道踏み出し、などがみられたのだそうです。

 またこれらの他に、興味あるものを見つけると集め出したりよく見るために勝手気ままに蛇行して歩いたりもしていました。

    ※    ※    ※    ※

【まちあるき調査から分かったこと】
 これらの結果、『例えば赤信号を見落とす』という行動の裏側でも三つの視点が指摘されました。それは
(1)個人の属性によるもの
(2)認知症によるもの
(3)空間整備のあり方に課題があるもの、のみっつです。

 認知症が進むと、行く時にはちゃんと見ていた歩行者用信号を帰りは全く見ていないなどということもあったり、また認知症の場合視点が下を向く傾向があって、遠くを見なくなると言うこともあるのだそうです。

 ある被験者の男性は、線を見るとその上を歩くという行動が出るようになり、車道の脇の白線に沿って歩道ではなく車道を歩くのだそうで、これには実験に立ち会った医師達も驚いたと言っていました。
 一見ちゃんとした人でも、突然どう行動するかが読めないのだそうです。

    ※    ※    ※    ※

 別な方で、認知症介護研究・研修東京センターの永田さんからは、一人一人特有の支援マップを作るのがよい、という報告がありました。

 本人が行きたいこと、本人が外出中苦手なこと、行きたくないところなど、希望や不自由を聞き取って、それを友人や地域と相談しながら、一人でも出かけられるような地図を作るのです。

 あるお年寄りは外出した先でどこへ行こうとしたのかが分からなくなり、また戻る家も分からなくなりました。しかしその方の家族は案外鷹揚に構えていて、それは「外出して分からなくなった時には昔住んでいた家の回りにいることが多い」と分かっているからだそう。

 その方は昔の記憶が蘇ると、その時代の地図が頭に浮かんでその頃住んでいた家に戻るので、そうした個人の特性をちゃんと把握していれば、いなくなったときでも家族もパニックにならずにすむというわけです。

 また中には、スーパーマーケットの中の音楽がうるさくてかなわないと思っているとか、スーパーの中でレジがどこか分からなくなってしまうなどといったことも、聞き取る中で分かってきたりします。

 そうした一人一人の事情をお店や地域が知ることで、対処出来るところから初めて認知症のお年寄りでも外出が苦にならないような地域社会をつくることに繋がれば、もっと暮らしやすくなるはずです。

 キーワードは、「本人の声を聞こう」、「本人を抜きにまちづくりを進めない」です。

 改めてこれから日本が向かう社会への準備は、心の準備と社会システムでの準備とがあるのだなと思いました。

 今からできることを始めたいですね。

 
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マイナスを前面に出せ

2010-01-30 22:35:34 | Weblog
 人間誰しも自分をよく見せたいものです。たとえそれが真実とは少し違っていても、嘘でさえなければ良いと思うでしょう。

 しかしよく見せることだけが人々の共感を得る手段ではないようです。時にはズバッと厳しい真実を語るその方が誠実に写り、辛い共感を得ることが出来るのかもしれません。

---------- 【ここから引用】 ----------
【プレジデント・ロイター】広告は「夢物語」より「負の部分」を語るべし
 耳当たりのいいフレーズや、美しいだけのイメージはもう時代遅れだ
プレジデント 2007年2.12号
  http://president.jp.reuters.com/article/2010/01/29/4EE216DE-03DC-11DF-B2F8-C3C73E99CD51.php


 人材募集のコマーシャルで「辛くて厳しい仕事」と打ち出して大成功した例がある。現在の消費者は、ハートウオーミングな虚像よりも「真実」を広告に求めるようになった。

 アイボリー社の石鹸は、125年以上にわたって、家庭に「good, clean fun(心地よい清潔な喜び)」を届けてきた。シアーズ、クラフト、トロピカーナといったほかの由緒あるブランドとともに、アイボリーは優しさと明るさに満ち溢れた暮らしのビジョンを何十年も提示し続けてきたのである。しかしそのビジョンは単純で甘ったるく、人々を引きつける魅力をすぐに失ってしまうものでもあった。

 ロンドンに本社を置くマーケティング・サービス会社WPPが行っているグローバルな調査、ブランドZでは、アイボリーやシアーズのような、かつて偉大だったブランドを「消えつつあるスター・ブランド」に分類している。これらのブランドは、かつて愛されるブランドになるうえで最大の推進力となった、「イメージに基づく強み」を失っているのである。


【「きれいごと」ではなく「リアリティ」に反応】
 今日の消費者は、広告でかつては効果的だったつくりもののイメージを信用しなくなっている。残念ながら多くのブランドマネジャーがそれを理解していない。リアリティが重視されるようになったテレビの世界において、彼らは依然として「完璧な暮らし」のイメージをつくり上げ、それを売ることを続けている。

 欠点が逆に大きな魅力の源になる場合があるということを、ブランドマネジャーたちは往々にして理解していないのだ。これは人々が製品の欠点に魅力を感じるということではない。そうではなくて、完璧すぎると思われるものを疑いの目で見るようになっているということである。

 強力なブランドになるためには「本物らしさ」が必要なのであり、それはブランドの負の部分、つまりあまり好ましくない特性に見出すことができる。それは、通常、マーケット・リサーチ会社が「ネガティブ・エクイティ」と呼び、ブランドマネジャーたちが必死に隠そうとするものだ。


 (…中略…)


【「辛く厳しい仕事」に志望者が殺到した理由】
 ブランドの負の部分を強みに変える戦略の最も見事な例は、おそらく2000年に行われたロンドン市警の印象的な人材募集キャンペーンに見ることができる。

 このキャンペーンでは、人材募集広告の伝統的なうたい文句を意図的に避けて、「刺激的な仕事ができる」とも、「役に立つ技能が習得できる」とも、「子どもたちの尊敬が得られる」とも約束しなかった。逆に、この仕事がどれほど厳しいものであるかを率直に訴えかけたのである。

 あるコマーシャルは、顔にひどい火傷の痕があるフォークランド戦争の英雄、サイモン・ウェストンを登場させた。乗っていた戦艦が爆撃されて大やけどを負いながら、奇跡的に生還してイギリス国民を奮い立たせたこの元兵士が、涙を流しながら視聴者に語りかけたのだ。

「『自動車事故で奥さんと子どもさんが亡くなりました』と誰かの家に伝えに行かなければならない状況を想像してみてください」と。

 別のコマーシャルは、赤ちゃんが眠っている間に死んでしまったという電話を受け、悲しみにくれる母親の目の前でその子のテディベアを証拠品の袋に入れて持ち帰らなくてはいけない辛さを想像してみてくださいと、視聴者に訴えかけた。これらの広告は警察の仕事を辛く厳しいものとして描き出していたが、それでも多くの応募者を引きつけた。

 キャンペーンの有効性を測定するため、これらの広告には専用の電話とウェブサイトを示して、「問い合わせや応募はこちらまで」と呼びかけた結果、10万件を超える問い合わせが採用担当部署に殺到し、ロンドン市警はそれらの熱意ある人々の中から、6000人の新しい警察官を選抜・採用した。イギリス内務省によると、これは前年を50%上回る人数だった。

 これらの広告の魅力は、ひとつには大きな職業的挑戦──「君は警察官になるだけの勇気があるか?」──を突きつけたことにあった。しかし、もっと深い力も作用したのである。

 TNSギャロップが行った調査で、これらの広告を見た人の間では「警察を尊敬している」人の割合が見なかった人の2倍であることが明らかになった。警察官の仕事の辛い部分、その暗く悲惨な負の部分を出したことにより、ロンドン市警というブランドをより本物らしく、したがってより魅力的にしたといえるだろう。


【人は完璧なものを愛するとは限らない】
 この例からわかることは何だろうか。100%すばらしいものは、100%退屈だということだ。われわれは私生活でも、非の打ちどころのない美徳にはあまり魅力を感じず、欠点や矛盾だらけの人間を好きになる。ブランドでも同じことがいえる。負の部分を認めるとき、ブランドは正しいセグメントの人々を対象にすることができ、しかもそれらの人々に力強く訴えかけることができる。

 負の部分はブランドをより強力にしてくれるのだ。

   文=マイケル・J・ファヌエル 翻訳・ディプロマット
---------- 【引用ここまで】 ----------

 実際欠点を隠して取り繕ってしまうと、これから改善し前向きに取り組むべきことが何か見えなくなってしまいます。

 今の現実がどこにあって、そのネガティブな問題点をしっかりと把握していると言うことは大切です。

 もっとも日本人の場合、楽観主義よりは悲観主義が勝っているようで、良い情報はひねた受け止め方しかせず、悪い情報が入るとお先真っ暗に感じて「もうダメぽ…」と落ち込む傾向があります。

 更に言えばそれは楽観主義で油断するよりも、常に準備をするための予防的思考法でもあるかもしれません。

 しかしこの楽観主義も悲観主義も、度が過ぎるてしまえばどちらも害悪になるという点で共通です。

 あくまでもものごとを冷静に捕らえて自分が判断をしたらそれを誠実に説明するという風でありたいものです。

    ※    ※    ※    ※

 ある事情通による風聞では(あくまでもウワサです)、沖縄の嘉手納基地を移設するのになぜキャンプシュワブにこだわるかと言えば、もう既に海の埋め立てに使う土を出す山に投資をしている人がたくさんいるから止められないんだとか。本当ですかねえ?
 そんなモロ見えな利権まがいのことをする人がいるんでしょうか。
 
 国の防衛も大変ですが、その大変さを誠実に説明して問題を早く打破して欲しいものです。 
  
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諫めを聞く力~レジリエンス

2010-01-29 23:49:56 | Weblog
 人は結局一人で生まれて一人で死んで行くのですが、その人生という長い過程では親兄弟に始まり、師匠や友人や部下など多くの人たちとの関わりの中で経験を積んで成長してゆくわけです。

 戦国時代という厳しい時代を生き抜いた武将達の姿の中にも、自身を支えてくれた人たちがいるわけで、それが成功の鍵だったと言うことがあるのだそうです。

 今日のキーワードは「レジリエンス」です。レジリエンスってなに?
 
 答えは文中に。


---------- 【ここから引用】 ----------

【プレジデント・ロイター】徳川家康の強さの秘密―レジリエンス
「粘る、諦めない」武将たちの精神分析【1】  プレジデント 2009年6.15号より
http://president.jp.reuters.com/article/2009/12/11/78B20AE8-DE5F-11DE-8F40-A4003F99CD51.php


 ひとりぼっちで生きている人間にとって諦めないことはとても難しい。逆に言えば、物事を諦めないためには、周囲のサポートが絶対に必要である。

 これは歴史上の人物の生きざまを見ても明らかなことだ。たとえば、戦国武将を代表する信長、秀吉、家康の3人。最後まで諦めなかった家康が天下統一という大事業を成し遂げたわけだが、なぜ家康にその偉業が可能だったかといえば、家康には三河武士団という強力なサポーターが存在したからだ。

 困難な状況にもかかわらず、うまく適応する過程、能力、結果のこと。落ち込んでもすぐに立ち直り、また成功して一時は大喜びしてもすぐに冷静になれる、弾力性を持ったしなやかな強さである。自分で感情をコントロールするのは難しいので、周囲に諌めてくれる人を置き、耳を傾けるのがよい。戦国武将では、三河武士団に怒られ怒られ、堪え忍んできた家康が最後には勝った。

 三河武士団は、サポーターとは言うものの、家康がバカなことをやろうとすればきつく戒めたし、思い上がった言動を取れば本気で頭を叩いた。周囲の人々の親身の諌言を受け入れることで、家康の人間性は練り上げられていった。

 では、信長、秀吉はどうか。信長は子供の頃から手のつけられない“うつけもの”だったが、守役だった平手政秀が信長の奇行を諌めた。そのお陰で、信長はまっとうな人間として成長することができた。しかし、平手は自害を遂げてしまう。信長を命がけで諌めるための自害だったという説もあるが、いずれにせよ、信長は平手という最良のサポーターを若くして失ってしまった。

 一方、秀吉には、黒田官兵衛と竹中半兵衛という優れた側近がいた。半兵衛は長篠の戦いで武田勢の陽動作戦を見破り、秀吉の命令に背いてまで兵を動かさず、結果として秀吉を救っている。だが、半兵衛は若くして病没してしまう。半兵衛のようなサポーターが長生きしていれば、秀吉は朝鮮征伐などという暴挙に出ることはなかっただろう。

 「諦めない」ということを心理学的に定義してみれば、感情の安定性が高い状態だと言える。人間の感情は常に揺れるものだ。高揚することもあれば、ドーンと落ち込むこともある。しかし、感情の安定性が高いと、すぐノーマルなポジションに戻ることができる。

 反対に、感情の安定性が低いと、1回戦に負けただけで「俺はなんてダメな武将なんだ」と投げやりになってしまったり、1回戦に勝っただけで「俺は戦の天才かもしれない」などと慢心してしまうことになる。

 感情が大きく揺れてもすぐ元に戻るためには、思考の柔軟性が必要だ。これを心理学用語でレジリエンス(困難な環境を生き抜く適応能力)と呼ぶ。レジリエンスはいかにすれば獲得できるかと言えば、自助努力では不可能なのだ。

 周囲の人々の言葉に耳を傾け、それを受け入れることでしか思考の柔軟性は獲得できない。やはり大切なのは、優れたサポーターを持っているかどうかなのである。

 『貞観政要』という書を残した唐の名君・太宗は、わざわざ自分を諌めてくれる「諌臣」という役職まで創設して、家臣から諌めてもらっていた。『貞観政要』は、太宗に対する苦言・諌言集であり、太宗は相当な諌められ好き、すなわちレジリエンスの高い人物だったと言える。

【改めて《レジリエンス》とは】
 困難な状況にもかかわらず、うまく適応する過程、能力、結果のこと。落ち込んでもすぐに立ち直り、また成功して一時は大喜びしてもすぐに冷静になれる、弾力性を持ったしなやかな強さである。自分で感情をコントロールするのは難しいので、周囲に諌めてくれる人を置き、耳を傾けるのがよい。戦国武将では、三河武士団に怒られ怒られ、堪え忍んできた家康が最後には勝った。


---------- 【引用ここまで】 ----------

 感情におぼれてすぐに泣いたり喜んだりする人はやはりどこか軽く見られがちです。思ったことがすぐに言葉やしぐさに出てしまうのは精神の修行が足りない、というわけです。

 悲しいんだけれどここは自分が泣いてはいけないんだ、という立場を重んじる精神的美学を追究したのはやはり武士という当時のエリート階級だったでしょう。

 「KY=空気読めない」と言われる人もそうレッテルを貼られて笑いものになってしまいます。周囲への気配りやTPOという観念を欠かした行動はどこか幼稚で子供っぽく見えるのはそうしたことの美学がまだ多くの日本人の心根にあるからでしょう。

    ※    ※    ※    ※

 横綱朝青龍関が暴力沙汰でまた問題を起こしています。これまでも素行不良が問題視されてなんども罰則を受けていながらなおそれが直らない。

 今回の事件でも偽りの報告をしたことがさらに問題を大きくしています。

 初場所でも優勝を決めた一番に買った後の花道でファンに手を挙げてアピールをする姿に、格闘技家としては強いのだろうけれど、やはり横綱としての品格が備わっていないと感じた人が多かったことでしょう。

 石原都知事も「あんなものは横綱じゃない」と激昂したと報道がありましたが、むべなるかな。
 http://sankei.jp.msn.com/topics/sports/4121/spt4121-t.htm

 横綱が締めているのは注連縄であって、神の領域なのです。その精神的な意味や勝っても感謝しこそすれ喜びを表には出さないという様式美が崩れている状態をいつまで放置するのでしょうか。

 回りの諫めが聞けないというのはなんとも寂しい限りです。もって他山の石としたいところですが。 
 

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e-taxに挑戦

2010-01-28 23:11:32 | Weblog
 e-taxに挑戦しようと思います。

 e-taxとはインターネットで行える確定申告のこと。あらかじめ開始届出書を提出し、利用者識別番号等を取得しておけば(オンラインで取得できます。)、インターネットで国税に関する申告や納税、申請・届出などの手続ができるシステムです。

「確定申告書等作成コーナー」で作成した申告書等のデータは、e-Taxを利用し自宅から税務署に送信できます。

 高額所得者ではないけれど、アルバイトで20万円以上の収入があったり、贈与を受けたりした人は確定申告をしなくてはなりません。

 またこれとは別に医療費がある程度以上かかった場合は税金が還付されますが、これもまたe-taxでやれます。私の場合は昨年歯の治療でインプラントを入れたので、還付を申しこめるというのでこの際挑戦してみようと思うのです。

 e-taxのメリットは、
①最高5,000円の税額控除平成21年分の所得税の確定申告を本人の電子署名及び電子証明書を付して、申告期限内にe-Taxで行うと、所得税額から最高5,000円の控除ができること(すでに平成19年分又は平成20年分の確定申告でこの控除を受けた方は、受けられません。)。

②添付書類の提出省略医療費の領収書や源泉徴収票等は、その記載内容(病院等の名称、支払金額等)を入力して送信することにより、提出又は提示を省略することができます(確定申告期限から3年間、税務署から書類の提出又は提示を求められることがあります。)。

③還付金がスピーディーe-Taxで申告された還付申告は書面申告と比べて早期処理され、3週間程度に短縮されます。

④24時間受付所得税の確定申告期には、24時間e-Taxの利用が可能なこと、などです。


 確かに書類を持参しないので仕事を休んだり税務署で待たされたりすることもなく便利な反面、本人確認などのため事前にかなりの準備を必要とします。おまけに、パソコンやインターネットに相当精通していなければなかなかやろうという気にもならないでしょう。

 しかし何事も挑戦です。まずは事前の準備から少しずつはじめています。

   *    *    *    *    *

 まずは電子的本人証明で、これは住んでいる地方自治体の住民基本台帳カード(住基カード)を取得することでできるようになります。

 住基カードは写真つきと写真なしのものがつくれますが、写真ありのものは運転免許証と同等の公的な本人確認証明ができますので、高齢者や免許のない方はもたれると便利です。

 私の住む川崎市では、この住基カードに500円、また電子証明のための費用として500円がかかりました。



 次に、この住基カードをインターネット上で使えるようにするために、ICカードリーダーが必要になります。これはもっていないのでネット通販で購入。これが約3千円です。

 今のところはここまでですが、この後にはソフトをダウンロードして資料を作成しなくてはなりません。

 さて、どれだけ大変なものかを実際に試してみることとします。その様子はまた次の機会にお知らせいたしましょう。
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ばらまきはダメですよ

2010-01-27 23:39:20 | Weblog
 教育関係の人づくり仲間会が開かれて飲んで来ました。

 この会は主に社会教育を大事にしようと言う志をもった人たちが集まったもの。皆、学校教育、家庭教育に次ぐ社会教育を大事にしなければ健全な子どもたちは育たない、という理念に共感しています。

 もともとは中央省庁の若手官僚などを中心に、マスコミや大学の関係者などが参加していましたが、当時の若手官僚は皆偉くなってしまい、この仲間からは何人もが国会議員になっています。

 私はごく最近誘われて呼ばれるようになりましたが、もう大きな顔をして話題に加わっています。

 ちょうど昨年も今頃開催されたのですが、昨年は自民党の国会議員だったAさんが今年は落選された身で参加されていました。たかが一年、されど一年です。

 自民党の敗北要因をおずおずと伺ってみました。すると「やはりばらまきの度が過ぎたのと飽きられた、ということでしょうねえ」という答え。

「定額給付金はやはり愚作だったんだと思いますよ。定額減税で良かったんだもの」とAさん。
「しかし当時連立を組んでいたK明党からの強い要請を断れなかったのでしょう?」

「いやそうじゃないよ、あれは麻生さんの決定なんだよ。K明党は定額減税でよいと言っていたんだからね」
「ええ?そうなんですか。私はてっきりそちらからの要請だと思っていました。なるほど、聞かないと分かりませんね」

    ※    ※    ※    ※

「谷垣総裁はどうですか?」と私。
「うーん、やっぱり迫力に欠ける印象ですねえ。あの当時の自民党の政権中枢にいてばらまきに荷担した人は、野党になって立場が変わったと言っても攻める力に欠けるんじゃないでしょうか」

「小泉政権で活躍したその後の世代でなければダメだと言うことでしょうか。すると舛添さんとか?」
「そうですね、彼以降の人が出てこないとダメかも知れませんね。ポイントは、やはりばらまきはダメだということですよ。モラルハザードもおきますしね」

 まだまだここには書けないお話もたくさんあったのですが、それはどこかの機会に譲りましょう。

 違う世界の人たちの話はやはり面白いのです。

 
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歯科医療の恐るべき劣化

2010-01-26 23:56:12 | Weblog
 社会保障を考えていろいろと勉強をしていると、国民が低負担でいることの反動で社会のあちらこちらに歪みが出ていることが分かります。

 以前、「心臓マッサージの料金が1時間2900円である」とご紹介しましたが、生き死にに関わる医療技術が、駅前の肩こりマッサージよりも安い料金に設定されているという驚くべき事実でした。

 今日は、毎度おなじみ医療系ブログのMRICから、歯科医師の嘆きをお届けします。歯科医師と言えば、昔は医者と並んでお金持ち職業の代表でした。

 しかし現在は医療費が抑制され続けてとんでもない現状になっているのだとか。ちょっと驚きです。


---------- 【ここから引用】 ----------

********************************************************
「厚労省の本当の姿・・・国民の皆さん、歯科医療は、イイカゲンでいいですか?」
歯科医 津曲雅美
2010年1月26日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp
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 昨今、歯科医のワーキングプア化が、面白おかしく報道されています。そして、それと同時に、実は歯科の点数(診療報酬)は低点数で、歯科医療保険制度は矛盾だらけである、という記事が必ずセットで報道されています。

 皆さん、ここがおかしいと思いませんか?昔、または少し前までは、歯科医というのは金持の代表たる職種の一つでした。儲かっていたということは、点数は高かったのではないのか、何で制度は矛盾だらけなのだ、歯科医のワーキングプア化は数が増えすぎたことだけが問題ではないのか、と思いませんか?ここが、報道機関が報道し切れていないところであり、ここに取材を受けた歯科の団体や歯科医の毀誉褒貶があります。

 まず、歯科の診療報酬が物理的に診療行為として実行不能な低点数だということを、皆さまになんとかわかっていただきたいと思います。例えば、虫歯のムシがくった、罹患した部分をエンジンや、手でスプーンを使って取り除く行為は根気のいる仕事で 30分から1 時間もかかることもありますが、これが16 点(1点10 円ですから160 円、以下同様)です。

また、根の治療が140 円で、これも時間がかかる根気のいる仕事です。入れ歯の型取り、これは場合よっては 2日2回に分けて、 2時間くらいかかることもありますが、これが 2250円です。総入れ歯を入れた時は22800 円ですが、技工代、材料代などを払えば私の場合は 1 万円ほどしか手元に残りません。あれだけやったのにです。歯磨き指導は、患者さんが来院するたびに、 1時間くらい時間をかけてやっても、一月に 1000円ほどの点数です。


 また、話をわかりやすくするために、内容を簡略化しますが、同じ前歯の抜歯でも医師がやれば 4578円、歯科医がやれば1500 円です。同じく親知らずの埋もれている歯を抜歯すれば、同じく 54830円と11500 円です。抜歯と言えども、外科手術です。神経も使いますし、事故の危険性もあります。

こんな点数で勘弁して下さいというのが正直な気持ちです。また、歯周病(歯槽膿漏)の手術では、先進医療(混合診療)の時は 58000円ほどだったのが、保険に導入されたら 9000円になり、材料代が15000 円~31500 円かかり、実際には施術できません。九州大学の水田副学長によると、歯科の 1カ月の売り上げは外科の1 日分だそうです。

 日歯医学会編纂の『歯科診療行為(外来)のタイムスタデイ調査 2004 年版』で、各診療行為に要する時間が精査されています。各診療行為にかかる時間を複数のモニターを使って精査しています。現在、歯科保険医療機関が一か月当たりに上げる平均保険点数は約 30万点(300 万円)ですが、これを1 時間あたりに換算すると、一日9 時間働くとしても1400点( 14000円)/ 時間です。

 各診療行為の点数を1 時間当たりに換算して、この14000 円と比較します。抜歯、サシ歯、義歯など高い診療行為で 700点/ 時間で平均の半分、義歯の調整、根の治療など低い診療行為で 70点/ 時間つまり平均の5%、歯科の診療行為中、『平均の1400点 /時間を上回るものがない』のです。

 これは明らかに矛盾しており、日歯学会は日歯の内部組織ですから『日歯自身が多くの歯科医が手抜きで食っている』といっているのです。このタイムスタデイどおりに診療したら、月に 30万点どころか10 万点ほどしか上がらないと思います。これは私個人が言っているのではなく、日歯自身が言っているのですから、我々は十分なる証拠だと考えます。点数が低いぶん、パッパッと手早く、手抜きでやっているのです。日歯がそう言っているのです。

 そのようなわけで手抜き(不正)しているから、厚労技官が怖い、保険の個別指導が怖い。歯科医の厚労技官への恐怖心は半端ではありません。引退し閉院し、子供が跡を継がない、保険指導が怖くない歯科医しかモノが言えないと言っても、決して言いすぎではありません。怖いから国民や厚労省や技官にモノが言えない、点数を上げてくれ と言えないのです。だから営々と低点数でやってきたのです。それを言えば自分にハネ返ってくると考える歯科医もいるし、同業者を敵に回し四面楚歌になりますから。

    ※    ※    ※    ※

 それから、厚生労働省について。歯科をこのような低点数でやらせて、医療費を抑制しようというのが厚労省の方針なのです。それには歯科には一時、自費(中でも特に保険外との差額)を認め、その代り保険点数(歯科医療費)を低くする、費用(患者さんが払う金)が高いから国民から不満が起こる(昭和50年頃の歯の110番)のを見越して、そこで「通達(法ではない)」で差額の徴収を禁止する、残ったのは低点数だけ、という状態にする。

 歯科医は手抜きしないと儲からない、生活できないから手抜きする、歯科医が点数を上げてくれといえば「不正、手抜きしてるじゃないか」と来る。歯科医はやましいから、厚労省にも国民にもこれ以上、あるいは低点数を「明確に」国民や厚労省に主張できない・・・という筋書きです。

 人間は良きにつけ悪しきにつけ、こうするべき、あるいは、あるべきだが、毎日の生活を変えにくい、惰性に流れるという救い難い一面があります。そのような状況で、手抜き、不正に徐々に染まっていく、そこを厚労省が突く、歯科医はビビる、サドに狂った技官が面白おかしく、そこを突く、医師、歯科医師に自殺者が出る、女性歯科医を誘う技官までいる、操を捧げる女性歯科医まで出る、怖くて尚更モノが言えない、手抜きを糊塗して生き抜く・・・という構図です。

 かなり昔の話ですが、全国保険医団体連合会の機関誌に、兵庫県の歯科技官が個別指導の場で、「三木で暮らせんようにしたる」と被指導歯科医を恫喝したとの記事が載っていました。本当のことなのです。私の五年ほど後輩が技官になりましたが、彼は物腰の低い大人しい男でしたが、技官になったら私に「アンタ」と言いましたね。善良な者でも、こういう世界にいると、染まってしまうのです。殺伐たる医療界です。厚労省は汚いです。

 医科のことは詳しくは知りませんが、救急医療の心臓マッサージは時間当たり2900円の医療費だと聞きます。これでは医師や看護師などの人件費も何もでないでしょう。救急医療から撤退するはずです。医科にも歯科と同じく、厚労省の低点数の影が忍び寄っているのだと思います。それと接骨と介護、これは不正しないと食えない、不正が蔓延している、全くひどいものだと聞いています。ただ複数の関係者から聞いただけで、見たわけではないので、これ以上は控えます。

 マジメにやったら食えない低報酬で働かす、あるいはできもしないハードルを課して、不正の温床を作り、弱みを握って報酬アップなどを抑える、これは行政の定法ではないのかと思うようになりました。これでは奴隷国家です。マジメに真っ当にやって食えない、そしてその改善を正面から主張できない、これで社会が良くなるはずがないのです。

    ※    ※    ※    ※

 歯科の低点数を放置して、結局は国民の皆さんに迷惑をかけたことについて、私たち歯科医師に責任があります。よくこの話を先輩と話しますと、戦時中の「闇米」の話をされます。闇米は違法だが、違法行為をしなければ生きていけない状況がまずある、多くの者がやっているという事実もある。

 それでは現実的に歯科医はどうやって生きていけばいいのだ、ということになる・・・という論法です。戦時中は生きるか死ぬかの問題でしたが、歯科医を辞めればいい、他にも生きていく道はあるから状況は違います。あくまでも言い訳だと思います。

 表現が稚拙でドギツく、分かりにくいとは思いますが、歯科医として35年生きてきた、そしてこんなにも時間をかけて、やっとその仕組みが明確にわかった、それがつたない自分の人生、真実、事実です。我々歯科医、そして厚労省、日歯・・・三者の責任なのです。厚労省に歯科医療費を安く上げるという狙いがあるのは、明白です。

 それから、国民の皆さんにお伺いしたいと思います。我々も生活者です。カスミを食べて生きてはいけません。私個人は、もう保険請求のことなどに神経を使い、ビビる人生は御免です。歯科医療は細かい手仕事が多く、手抜きで数をこなすことなどできません。医療国営化にしてもらって、診療だけに全神経を使いたい。

 医療国営化になれば多くの医師、歯科医師たちは開業時よりも所得は大幅に減るでしょうが、私は診療だけをさせてくれるから国営化にしてほしいと思います。国営化にしてくれませんか?

 それとも歯科医療は、ちゃんとやってもらわなくてもいい、そこそこでいいですか?国家財政難ですから。ただそれなら、低点数はそのままなんだから、保険医取り消しなどの処分は、架空請求、二重請求、振替請求、付け増し請求など故意の重大な不正のみにしてください。物理的にできないことをやらされて、監督、処分だけは異常に過酷、居直るわけではありませんが、そりゃないですよ。

    ※    ※    ※    ※

 もう一つの方法は、今くらいに歯科医を過剰にする。そして「混合診療」にすることです。混合診療とは、保険外と保険を同時に行えるようにすることです。わかりにくいでしょうが、厚労省は見て見ぬふりをしている部分もありますが、禁じられています。現にガンの患者さんなどが裁判で争っています。

 どうせ国は歯科にお金を出す気がないのだから、点数はほとんど上がらないと思います。だからある程度歯科医師数を過剰にして、過剰になった歯科医の中で、腕に自信がある者は混合診療をする、腕に自信がない歯科医は保険だけでやればいいのです。自由競争、自然淘汰です。

 入れ歯、さし歯などに保険が効くのは、世界で日本だけです。どこの国も歯科まで金が回らないのです。医科で精一杯、歯科は小さいむし歯などしか保険が効かないのです。理解を得にくいとは思いますが、世界的にみて日本は恵まれています。ただし、その点数が低いから、医療者に無理がいき、手抜きになり、結局は巡り巡って、国民の皆さんに健康上ご迷惑がかかることになるのです。

 医療を含む社会保障に関しては、最終的には国民が被害を受けます。私たちの願いは、真っ当にやって生活できるようにして欲しいことと、診療だけに全神経を使って打ち込めるようにして欲しいこと、この二つに尽きます。

 拙文を読んでいただいた方、ありがとうございました。ご意見、ご質問等あれば下記にご連絡ください。

〒524-0021 滋賀県守山市吉身2-6-44
津曲(つまがり)雅美
TEL077-583-3101 FAX077-582-4115
メール thu-san@saturn.dti.ne.jp
ホームページhttp://www.geocities.jp/tanus236/index.html 新日本歯科医師会

---------- 【引用ここまで】 ----------

 私も昨年、奥歯にインプラントによる義歯を入れて生活の質が大変向上しました。

 そのときのお医者さんには感謝の限りですが、実はこんなに低い治療費でやっていたのか、と驚きを隠せません。

 虫歯の治療が160円で、根の治療が140円…って、これだけの医療行為がカップラーメンと同じ値段とは言葉も出ません。一体どうやって生計を立てているのでしょう。

 文中で津曲さんは、「混合診療を認めよ」と過激な発言をされています。安い保険治療だけではなく、お金を払っても良いという高所得者のための高額医療との抱き合わせを認めて欲しいというのです。

 私はこの意見に対しては消極的で、やはり歯の治療がだれでも安く行える保険治療は残し、保険外診療は別物として扱うべきだと思っています。

 しかしそうでもしなければ本当に職業として成り立たない、というせっぱ詰まった思いからきた発言なのだと理解出来ます。

 医療も歯科医療も最前線の現場が崩れかけているようです。

 本当に危機感を持った人は恐れずに声を上げなくてはならない時代になりました。
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最後の琵琶法師

2010-01-25 23:47:22 | Weblog
 最後の琵琶法師だった方が亡くなったそうです。

 ---------- 【ここから引用】 ----------
【asahi.com】最後の琵琶盲僧 永田法順さん死去 2010年1月25日22時48分
 http://www.asahi.com/obituaries/update/0125/SEB201001250036.html




 永田 法順さん(ながた・ほうじゅん=日向盲僧琵琶弾奏者、浄満寺住職)が24日、死去、74歳。通夜は26日午後6時、葬儀は27日午前11時から宮崎県延岡市山下町3の4088の善正寺で。喪主は妻年代さん。浄満寺は同市山下町3の4082。

 2歳で視力を失い、13歳で浄満寺先代住職に弟子入りし琵琶と経典を学んだ。琵琶を弾きながら約千軒の檀家(だんか)を回って無病息災や五穀豊穣(ほうじょう)などを祈る「最後の琵琶盲僧」だった。2002年に県の無形文化財に指定された

---------- 【引用ここまで】 ----------

 琵琶法師だなんて、平家物語や小泉八雲の会談に出てくる以外にはなかなかお目にかからない存在です。それでも無形文化財として今まで続いていたとは知りませんでした。

 しかしこの永田さんが最後と言うことはもうそのような芸能を見ることができないわけですね。また一つ日本の芸能という文化が消滅したということで少し寂しい気がします。

 永田さんのご冥福をお祈りします。


 琵琶法師で思い出しましたが、山口県下関市には源氏と平氏による壇ノ浦の戦いでわずか八歳で非業の死を遂げられた安徳天皇を祀る赤間神宮があります。

 この赤間神宮は明治の神仏分離令までは、赤間関紅石山麓阿弥陀寺と言ってお寺でした。このお寺を舞台に描かれたのが小泉八雲の「耳なし芳一」の物語。

 芳一は物語の中ではこのお寺に住んでいる有名な琵琶法師で、あまりに上手であったため平家の亡霊もこれを聞きたいとある夜密かに現れた…とあります。

 実は私も一度この地を訪ねて神社巡りをした際にこちらへもお詣りをしてデジカメで写真を撮ったのですが、なぜかこの土地の写真は画像データが壊れてしまっていて手元に残っていないのです。

 まさか平家の亡霊が嫌がったため、とは思いませんが、時として起こるデジカメ画像データのクラッシュには、なにか因縁があるのでしょうか。

 琵琶法師で思い出しました。

 「耳なし芳一」のお話はこちら → http://www.tiki.ne.jp/~akama-jingu/ 
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マインドクライシスには「言い訳」で

2010-01-24 23:24:00 | Weblog
 以前の「嫌消費」と似たような記事ですが、若者だけではなく資産家と呼ばれる人たちの間でも消費へのマインドが鈍っているようです。

 それでも売れる商品とは…?

---------- 【ここから引用】 ----------
【プレジデント・ロイター】 「言い訳が立つ商品」はまだまだ売れる! 2010年1月24日
 (プレジデント 2009年6.29号)
 http://president.jp.reuters.com/article/2010/01/24/3329B180-002C-11DF-B5DF-40E93E99CD51.php




 
 …中小企業の会長に限らず富裕層全体で目立つのが、「こんな時代だから、派手な消費は自粛しよう」という心理である。このように人目を気にする行動は、日本だけでなくアメリカの富裕層の間でも「隠れ消費」として出てきているという。

 あえて高級品を身につけず、お金持ちに見えないようにする。自分のために買ったものでも、わざわざギフト用のラッピングをしてもらい、「私が使うんじゃなくて友達にあげるの」という顔をする。

 以前だったら見せびらかして歩いたブランド店のロゴの入った紙袋を、袋ごと自分のカバンに入れたりするというのだ。

「資産はそれほどダメージを受けていないのに、消費を控えることをモラル的に正しいことだと富裕層が感じているため、モノが売れない」。これは世界中でラグジュアリーマーケティングをしている人たちの共通認識である。

 2008年12月にモスクワのリッツ・カールトンで開催された、GLF(グローバル・ラグジュアリー・フォーラム)という世界中の高級ブランドを集めたフォーラムで話題になったキーワードが「マインド・クライシス」だ。つまり実体経済の危機というより、意識の危機ということである。

 もちろん日本でもその傾向がある。09年2月12日の朝日新聞によれば、格安スーパーの「オーケーストア新用賀店」の駐車場に高級外車がずらりと並んでいるという。

 以前なら食料品や日用品は二子玉川などの高級デパートで買っていた富裕層が、食料品や日用雑貨など、「どこで買っても同じもの」は格安店で買うようになった。キャッシュフローや暮らし向きは変わっていないにもかかわらず、気分がすっかり節約志向になっているのである。

 このようなマインド・クライシスに対して企業はどんな手を打てるか。それには「隠れ消費」を可能にするもの、あるいは「言い訳が立つもの」を前面に押し出すという戦略が考えられる。

 たとえば「エコのため」とか「環境にいい」と言われると、多少高くても「世の中のために買い替えるんだ」というエクスキューズができる。そういう意味ではハイブリッドカーはもちろん、エコ家電などは大きなチャンスだ。

 実はいま、法人名義で購入されることが多い高級車の売れ行きが鈍っている(2000万円以上の車は個人が趣味で購入する場合が多いので、いまのところそれほど売れ行きは変わらない)。

 これは中小企業のオーナーたちが、従業員から「社長は俺たちの給料を下げたくせに、車を買い替えた」と言われるのを避けたために違いない。かといって安い車に乗り換えると、取引先やお客から「業績が悪いのでは?」と思われてしまう。しかしハイブリッドカーや電気自動車なら、「環境に配慮して買い替えた」と社内外に対して言い訳が立つ。

 富裕層に限らず一般層でも、「古い服を下取りします」というと、新しい服が売れるという。「人目を気にする」マインドの中では、「捨てるのはもったいない」「タンスが片付く」「そのぶん安く買える」というような周囲や自分自身を説得する「言い訳」があれば、商品は動く気がしてならない。
---------- 【引用ここまで】 ----------

 言い訳すれば買えるなんて贅沢!と怒る人もいるかも知れませんが、資産を持っている人たちにはそれなりに消費をしてもらったほうが経済は良くなるわけで、持っている人には大いに使って欲しいものです。

 消費でも何でも、なにかをしようとするときに誰も世間を敵に回したくはないもので、言い訳をします。それが受け入れられれば回りも喜んであなたの決断を褒めそやし、逆に世間のひんしゅくを買えば、たとえ法律に違反していないことであったとしても、どうも決断が鈍るというものです。

 どうせならば世間から諸手をあげて賛成してもらえるような消費行動を提案出来れば良いというわけですね。

 そう言う意味では家電のエコポイント制は良かったですね。「環境に配慮した買い換えをすれば家計にもメリットがある」と思わせることに成功しました。

 買い物という消費をするのですから、懐からお金が出て行くことに変わりはないわけですが、世間にも奥様にも言い訳がたったのです。どうやら「環境に優しい」というのは、消費行動の上でも水戸のご老公の印籠に匹敵する効果があるようです。


 またそれ以外でも健康に良い、とか社会福祉の向上に役立つ、などというのも良いかも。

 しかしその陰でお年寄りをねらった悪質な健康食品ビジネスもありそうですからこれはこれで注意が必要。悪い奴らの言い訳は聞きたくありませんね。

 さて、そうした言い訳をキーワードにどんなビジネス展開があるでしょうか。
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恐怖の存在

2010-01-23 23:45:07 | Weblog
 両親の実家へ次女の成人式の写真を届けに行き、そこで弟と甥っ子に会いました。

 4歳の甥は会うたびに体力も上がってパワーアップしてきましたが、親の言うことをなかなかきかない事も多く、弟も手を焼き始めています。

 そんな甥っ子を黙らせる恐怖の存在が「なまはげ」なのだそう。弟の家では夜八時を過ぎるとなまはげが来て悪い子は食べられてしまうので、甥っ子は夜八時には必ず寝付くのだとか。

 こういう恐怖の権威を上手に使いながら言うことをきかせるという方法も何歳くらいまで聞くのでしょう。

    ※    ※    ※    ※

 そんな会話をしているうちに「あんたも御獅子を怖がったっけねえ」と親の昔話が始まりました。

 正月の獅子舞の獅子に頭を噛まれると頭が良くなると良く言われますが、私はそれが大の苦手でした。まさに恐怖の存在。

 小学校1年生くらいで稚内に住んでいた時に地域に獅子舞がやってきました。回りの子供達が獅子に頭を噛まれて次々に泣き始めたのですが、それを見て恐怖に駆られた私は、御獅子が自分に近づいてきた時に脱兎のごとく逃げ出して、ピューッと一丁先まで走って隠れていたのでした。

 なにしろ怖かった。今でもそのときの情景が頭にはっきりと浮かびますから相当恐ろしかったのです。考えてみれば随分臆病な子供でした。

 臆病ついでに言うと、同じ頃は狛犬が怖くて神社の境内に入れませんでした。「あんた、何か着いてたんでないかい?」と笑われますが、狛犬のあの形相が怖くて怖くて足がすくんだのです。

 それがいつしか気にならなくなり、今ではしょっちゅう神社を訪ね巡るようになりました。憑きものは一体いつ落ちたのでしょう。

 入れなかった稚内神社を数年前に訪ねた時は、狛犬さんってこんなに小さかったかなあと思ったものです。そのときはちゃんと境内に入ることができましたから。

  
    ※    ※    ※    ※

 民主党の小沢幹事長が自身の政治資金の関係で事情聴取を受けるというので新聞テレビは大騒ぎ。
 
 国会も始まって、一枚岩で予算成立に向けて乗りきりたい政府与党と、これを追求する野党との攻防も日増しに激しくなっています。

 小沢幹事長の政治資金の不透明さに対する意識も国民と与党民主党の間では温度差があるようですが、そう思っていても言えない党内の雰囲気を見ていて、子供の時に入れなかった神社と何が違うんだろうと思いました。

 恐怖って理屈じゃないんだけれど、言論の府は感情や感覚ではなく堂々とした議論と言葉の世界で展開して欲しいものです。
 
 皆さんは昔何が怖かったですか? 
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映画「アバター」を観てきました

2010-01-22 23:20:20 | Weblog
 話題の映画「アバター」を観てきました。

 今回は3Dではなく普通の2D観ましたが十分に楽しめる内容で、映像も美しく映画を堪能しました。

 映画そのものは全体で2時間と長く、人間対人間の物語であれば必要のない、アバターとは何かとか、星の先住民族であるナヴィ族とはどういう種族かと言う前提を説明しなければならない点でどうしても長くなってしまったのでしょう。

 ネタバレにならない程度に内容を紹介すると、先住民ナヴィ族が住む星に貴重な鉱物資源を求める地球人が、鉱物を採掘するためにナヴィ族と地球人のDNAを操作して作り上げたナヴィ族そっくりの、それでいて機械でリンクすることで自在にあやつれる「アバター」という体を使って先住民に潜り込み戦いを回避しようとするが、最後には戦いになってしまうという物語。

 監督のジェームズ・キャメロンは戦いの侵略者と先住民との戦いの中に宮崎駿監督の「もののけ姫」のオマージュが込められている、と述べたそうですが、まさに素朴に自然を愛する純朴な先住民と欲に満ちた侵略者との戦いのなかに、それを伺わせるシーンが多くありました。

 しかしながら、異星人であるナヴィ族やその星に住む動植物の個性ある姿や生態などはすばらしい想像力の賜で、CG技術の粋を集めた作品になっています。

 個人的には、悪役の悪さがいかにも単純で、悪役の側にもあるはずの正義がやや薄いような気がしましたが、まあ典型的なハリウッド映画と思えばそのとおりでもあるでしょう。

 この映画に関しては、上映中の中国が上映を制限していてどうやらその理由は資源を求めて侵略をするというストーリーが当局の気に入らなかったから、と一時報道されましたが、中国当局はそれを否定しているようです。 


-----------【ここから引用】ーーーーーーーーーー
【ロイター】中国当局、「アバター」の上映を制限との報道否定
2010年 01月 20日 15:04 JST
 http://jp.reuters.com/article/entertainmentNews/idJPJAPAN-13427920100120




 [北京 20日 ロイター] 中国当局は20日、世界中で大ヒットしているジェームズ・キャメロン監督のSF大作「アバター」の上映を制限しているとの報道を否定した。

 世界全体での興行収入が16億ドル(約1460億円)を突破した同作品だが、中国のメディアは先に、旧正月の休暇を控えて中国作品を優先させるため、国内の劇場で同作品の上映が制限されていると報じていた。

 中国国内の映画館の多くでは、3Dバージョンは今後も上映されるものの、2Dバージョンは22日から公開されなくなるという。アバターはすでに、同国でも興行収入が3億元(約40億円)を超えるヒットとなっており、海賊版DVDも出回っている。

 中国国家広播電影電視総局(SARFT)関係者は、ロイターの取材に対し「映画の公開を終了するかどうかの判断は市場行動によるもので、政府が介入するつもりはない」と述べた。

 また別の当局者は、地元メディアで「3Dバージョンはチケットの入手がかなり困難だが、2Dバージョンの興行収入はそれほどでもない。2D版の公開終了は自然なこと。3D版に変更はない」と語っている。

---------ーー--【ここから引用】ーーーーーーーーーー

 中国からの報道の場合、どこまでが本当でどこからが操作された報道なのかがよく分かりませんが、曲解されて中国への批判に繋がるようなものは否定しておかないとまずいのでしょうね。

 それにしても相変わらず『海賊版DVDも出回っている』というあたりに中国らしさは残していますけれど。

 
 映画に話を戻すと、このストーリー内容と映像の質にさらに3Dという話題性が加われば相当のヒットは間違いないでしょう。

 映画館で観て損のない迫力ある映画です。


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