北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

新生JALの復活鶴丸初号機、釧路へ到着

2011-02-28 23:46:33 | Weblog
 新生JALの明るい話題、復活した「鶴丸」ロゴによる初号機が釧路空港にやってきました。

 初号機はボーイング767ー300ER型機という新鋭機で、前回書いたように初フライトをツルにあやかって釧路へやってきました。

【JALの鶴丸復活。初号機ツアー、本当は…】 http://bit.ly/e5Wxnl

 空港ではJAL初号機を待つ間に地元観光圏のシンボルマークとイメージキャラクターの発表が行われていました。

 新しいキャラクターについては、タンチョウヅルをモチーフにしたゆるキャラで実に偶然なことにその名も「(ひらがなの)つるまる」という名前でした。今後阿寒・弟子屈地域での観光PRに使われてゆくことでしょう。どうぞよろしくお願いします。


                 【ゆるキャラの「つるまる」】


    ※     ※     ※     ※     ※

 
 さて、初号機は釧路空港へ15時25分に到着した後、二班に分かれてタンチョウヅルの保護活動が行われている鶴居村へ向かい、そこでタンチョウヅルの観察を楽しむこととなっていました。

 ところがキャラ発表の式典が終わったころに「羽田空港が悪天候で出発が大幅に遅れるらしい」という連絡が入りました。なんと羽田空港でヒョウが降り、機体に氷がついてしまったのを除去するのに時間がかかってしまい、出発が一時間遅れたとのこと。

 飛行機が釧路へ到着した後は鶴居村の伊藤タンチョウサンクチュアリへ行くこととしていたのですが、鶴居村までは片道45分かかるために到着が1時間も遅れてしまっては折り返しの飛行機の時間に間に合いません。

 しかしながら折角鶴丸に乗ってきてツルを見るツアーなのですから、なんとしてもツルを見ていただこうということで、急きょ事務方で協議して近場の施設でツルを見ていただけるように再検討をしました。

 その結果、一班は阿寒国際ツルセンターへ向かい、二班は丹頂鶴自然公園へと向かいツルの姿をカメラに収められるように対応しました。後は飛行機が到着するのを待つばかりです。


    ※     ※     ※     ※     ※


 やがて当初の予定から1時間遅れて、16時25分に鶴丸マークを背負った初号機が釧路空港に降り立ちました。展望デッキにはカメラを抱えた航空ファンが集まって次々にシャッターが切られていました。


                 【鶴丸到着!】


                 【記念放水のアーチをくぐる鶴丸】


                 【鶴丸、エプロンに到着】



 到着した鶴丸初号機は消防車の記念放水のアーチをくぐりながらエプロンまでやってきました。最新機には白い機体に赤い鶴丸がくっきりと描かれて実に美しい姿です。

 乗客が飛行機から降りてロビーへ出るところでは、地元幼稚園の子供たちや関係者が小旗を振ってお出迎えをしました。乗客の皆さんは子供たちの歓声に一瞬驚いたようですが、すぐに笑顔に変わって子供たちの姿をカメラに収める人もいました。


                 【子供たちの歓声が乗客を迎えます】

 
 到着後は慌ただしいけれどほぼ日没です。早く現地に向かわなければなりません。バスに分乗すると目的地に向かいます。夕日に映える鶴丸もきれいです。


   


 私も同行した丹頂鶴自然公園では、日も落ちてしまって暗くなる中ではありましたが、なんとかツルの姿をみることができました。乗客の方は「きれいだね」と喜んでくださって、とりあえずツルにあやかったツアーは形が整いました。とりあえず良かった。


                 【丹頂鶴を見ることができてとりあえず良かった】



    ※     ※     ※     ※     ※


 ツル見物ツアーから帰った後は、釧路市とJALとの間でセレモニーが開かれ、JALの大西社長からは「今日は美しいタンチョウが飛び立つ様子を見ることができました。私たちは新生JALとして、その姿に未知の領域へ飛び立つ勇気をいただきました」とのコメントが寄せられました。

 同時に大西社長から蝦名市長には、記念品として今日到着した鶴丸初号機のプラスチックモデルが贈られセレモニーは無事終了。


                 【大西社長からは記念のプラモが贈られました】



 当初予定よりも出発を30分遅らせた初号機は関係者の見送りを受けながら東京へと戻っていきました。

 今回の初号機はこれから先は国際線の飛行機として用いられることから、釧路空港で見るのはこれが最初で最後のことでしょう。

 日本の瑞鳥丹頂鶴を背負って、世界中のお客様を安全に運んでほしいものです。


 今回のツアーでは予期しない出来事もありましたが、様々な障害を乗り越えて力強く羽ばたく姿を象徴する新生JALによる鶴丸初号機のツアーとして乗客の皆さんの心に残ることでしょう。

 頑張れ新生JAL!頑張れ鶴丸!
 

                 【尾翼には鶴丸がライトアップされています】



【JALが復活「鶴丸」1号機披露】Jcastニュース
  http://bit.ly/gXnnq8
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フェイスブックに登録しました

2011-02-27 21:25:11 | Weblog
 中東に独裁体制打倒の革命の嵐が吹き荒れています。

 その要因がなんとフェイスブックなんだそう。フェイスブックとは実名登録によるネットワークづくりの道具でいま世界中でどんどん参加者が増えているのです。

 これが革命に火をつけたというのは、マスコミの報道が規制されている国などで、今社会で何が起こっているかを知るのに実名によって信頼できる友達同士の口コミで情報が流れているからなんだそう。

 どこでどんな集会が開かれるとか、弾圧の状況などについてリアルタイムで状況を把握できるために民衆の行動が機動的になっているのです。ネットが社会を変えるという実例が今まさに世界中で起こっているのです。


    ※     ※     ※     ※     ※

 そんなフェイスブックに私も今日登録をしてみました。
 
 似たようなネットワークツールにはツイッターや地域SNSなどがあります。しかしどちらも匿名性でやれる(もちろん実名で発言している芸能人や政治家も多いのですが)ことで、自分のプライバシーをガードしている反面、だれがそれを言っているのかに信頼が置けないという弱みがあります。

 一方フェイスブックは、敢えてそれを実名で登録することでプライバシーをさらすことで発言への責任や信頼性を確保しています。しかも学歴や職歴を書き込むことでそれらが共通する個人を教えてくれて新たなネットワークの広がりにつながる可能性を高めています。

 お互いにやり取りをするには互いに友達申請と許可をしあうことが必要ですが、遠く離れていてメールアドレスもわからなくなっていた友人を発見すると思わずメールを出したくなってしまいます。

 しかしながら実名をさらすことへの恐怖や不安を持つ人も当然多いことでしょう。そういう意味では実名を公開しても情報収集やネットワークが欲しいと思う人にとっての情報ツールと言えるかもしれません。

 ビジネスや社会活動をするうえでの新しいツールをどう使えるでしょうか。


    ※     ※     ※     ※     ※


 140文字以内の一言をつぶやく形でネット上に発言するツイッターが登場したのが2006年のこと。匿名性と小刻みな生な発言で繋がる道具として大人気ですが、実はフェイスブックはその2年前の2004年に始まっていたんだそう。

 そして昨年3月の月間訪問者数はツイッターが1億8千万人に対して、フェイスブックは4億人とのこと。少し先に始まった分、フェイスブックがリードしている形ですが、匿名と実名という違いを利用者がどう感じるでしょうか。その行く末が楽しみです。

 私の知人も次々にフェイスブックに登録をする人が増えてきました。これはやってみなくてはなりますまい。

 これまでは地域SNSによる情報共有と繋がり、広がりの可能性を考えてきましたが、地域SNSではどうしても会員がクローズになり広がらない傾向があります。

 しかも地域SNSでは行政などがサーバーなどの体制を維持するのに経費が掛かりますが、こうした民間サービスを使えば経費をかけずにネットワークを維持することができます。

 その可能性を感じるためにフェイスブックの世界をちょっと泳いでみます。もしよろしければ皆さんもご参加を。


                 【フェイスブック上では実名で登録しています】
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タンチョウヅル台湾へ

2011-02-26 23:23:01 | Weblog
 今日も様々な会合があって、市長代理で挨拶をしてきました。

 挨拶冒頭の枕はいつもならば「本来ならば市長が参りましてご挨拶をさせていただくところですが、生憎本日は別の公務が入っておりまして代理で…」とこうなるところ。

 しかし今日は、市長がどこに行っていてなぜ不在なのかを説明することもツカミに使えました。

 それは市長は今日は札幌で、高橋はるみ知事と家具のニトリさんと三者による、タンチョウヅルを台湾に持って行く事業の協定を取り交わしているのです。

 実は台湾は今年の10月10日が建国百年の記念日に当たります。台湾では日本のタンチョウヅルが憧れの的で、「中国にもツルはいるでしょう?」と言っても「いえいえ、日本のタンチョウヅルがお借りしたいんです」とずっと言い続けていたのです。

 台湾は訪日・訪道観光客として大変大きな市場になっていることもあり大の親日国家でもあることから、ツルによる交流を道としても進めたいと思っていたところでした。

 しかしながら、住んでいる地域の外に連れ出す域外繁殖事業で台湾へ、ということになると、繁殖するようなつがいで提供しなくてはなりませんが、タンチョウヅルは相手の好き嫌いが激しい鳥なのでなかなかカップリングがうまくいきません。

 それでなかなか良い返事ができなかったところ、国の方から「域外繁殖はカップルを前提としなくても、繁殖の可能性があればよい」という連絡がきたことから、それほど中の悪くないオスメスそれぞれ一匹ずつを送ることが可能となり今日の調印式となったものです。
 
 ツルは架空の鳥である鳳凰などと並んで瑞鳥とされています。「そんなおめでたい日なので今日は大変良い一日となりました」と話すと会場も和むというわけです。

    ※     ※     ※     ※     ※

 しかしいくら知事がツルを送りたいと考えても、事実上タンチョウ保護増殖センターのある釧路動物園が了解をしなければ実現はしません。
 
 改めて釧路のもつ自然資源の力を誇らしいと思うのです。釧路の人ももっと自慢しましょう。


 先日伊藤タンチョウサンクチュアリを見に行ったときも、タンチョウヅルの薄い羽根を逆光で見た時の美しさは息をのむようでした。とてもはく製や模型ではあの美しさは表現しきれません。是非本物を見てほしいものです。

 ツルの観光大使によって台湾との交流がさらに進むことを大いに期待したいものですね。

  
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北海道の可能性はここに

2011-02-25 23:41:34 | Weblog
 地方自治体にいると、様々な講演会が催されていて結構良いお話が聞けるものです。

 先日は、釧路らいらっく会という団体が主催する講演会が開かれて、日本総合研究所理事長で多摩大学学長、三井物産戦略研究所会長を務める寺島実郎さんのお話が聞けました。

 寺島さんともなるとテレビやマスコミにもしばしば登場して思いもよらない切り口で世相を語ってくれますが、今日は「世界潮流と日本~北海道の活性化に向けて」という演題で、いま世界で、日本で起きていることから北海道がどうすべきかを語っていただきました。


                 【講演会の様子】


    ※     ※     ※     ※     ※

 実は寺島さんは北海道の石狩沼田町生まれ。北海道の片隅で生まれていながらこうした優れた能力を持った方と言うのはたいていお父さんは炭鉱のエリートだった方で、寺島さんもまさにお父さんは炭鉱の仕事をされていたようです。

 しかもなんと釧路市の隣町である白糠町にも在住していたことがあるのだそう。なんとつかみがお上手です。


    ※    ※    ※    ※


 さて、寺島さんが徴収に配布したのは「寺島実朗の時代認識」と書かれた資料集。様々な資料が掲載されていて、それだけでも優れた資料ですがそれを使って縦横に世界の諸相を切り出します。


                 【これは優れたもので、時点修正が頻繁に行われています】


 日本の貿易総額による貿易相手国のシェアが書かれています。

 日本の対米貿易のシェアは、1990年に27.4%だったものが2010年には12.9%と半減しました。一方対中貿易シェアは1990年に3.5%から2010年には20.7%と、なんと六倍。

 さらに大中華圏という連結の中国として考えると、90年の13.7%から10年には31.7%に伸びています。

 昨年八月に中台貿易協定を結んで貿易がかなり一体化してきた。台湾は馬英九が総統になって以来、イデオロギーを越えて貿易で大陸とネットワークを張りめぐらせています。

 大学では「なんとか安売り航空券でシンガポールを見に行け」と言っている。シンガポールは実験国家。淡路島程度の都市国家で人口も資源もないのに、1人あたりGDPが日本を越える4万ドル。

 なぜか?かつての固定観念からは世界中の植民地を資源として押さえたことが成功したけれど、つぎは工業生産が大きな国が成功したという記憶がある。

 ではシンガポールには何があるのか?実はシンガポールは大中華圏の南端に位置して、東南アジアの成長力を中国に取り込む入り口となっているのだと。

 そして日本も35%はユーラシア大陸を相手にして飯を食う国家になったと言うこと。この時代認識がまずは必要です。


     ※    ※    ※    ※


 世界のコンテナ取扱量で見る09年度世界港湾ランキングで見ると、日本の港で世界のトップ20に入っているところはありません。再興が東京で26位というのが現実。

 米中貿易は日米貿易の2.5倍になりました。その米中貿易の船は実は津軽海峡を抜けて日本海を航行して物を運んでいます。

 釧路沖を米中貿易の船が走っているということ。苫小牧だって本当は豊かな立地で、戦略的ポジションのはず。(もし北海道に産業構造があったら、だが)

 今は物流が日本海側にどんどんシフトしているのだ。埼玉、栃木などの北関東の企業ですら、最近は荷を関越道で新潟に出して、釜山経由でトランシップする動きがある。

 米中物流を北海道に寄せて考えて欲しい。津軽海峡はラッシュということを戦略としてどう受け止めるか。


    ※    ※    ※    ※

 
 国土計画の立て直しに当たって、北海道を見ていたら、北海道の人口は2050年にはこれから230万人減って319万人になると言う見通しでした。しかも高齢化が進んで、65歳以上高齢者は40年後に50%というわけ。

 2100年に日本は4770万人の国になるといいますが、残念ながら経済予測と違って人口予測だけはかなりの確度で当たります。

 中国の人口浸透圧はますます高まるでしょう。世界人口も2010年に70億人となりますます増えている。

 人口構造は変化してもだからといって必ず衰亡するわけではない。ただし相当の知恵が必要になるでしょう。

 
 経済を活性化するにはアジアのダイナミズムをどう取り込むのかが鍵。しかし西欧へ行くと、「中国の観光客を招き入れて経済を活性化させようと言うが、日本人に本当にその覚悟はあるのか、と訊かれてドキッとしました。ハードだけではなくソフトの準備ができているか、また文化摩擦が起きることまで想定してどれくらいの腹を決めて受け入れると言っているのか?と訊かれたのです。

 日本で定住人口が増えているところが多くない現実を見ると、観光立国論は基本的には間違いではない。ならば交流人口なのかというと、それを本気でやるには覚悟と装置がいる。

 フランスのパリやスイスのジュネーブはどうして人を引き付けているか。二泊三日で三万円のスキーツアーでは絶対成功しないのです。

 お金を持ってやって来る人をリピーターのように引き付ける装置が必要で行かねばならない用事をどれくらい作れるでしょうか。。

 私自身しょっちゅうフランスに行くが観光ではありません。様々な専門家と会うような用事ができるから行くことになる。

 秋葉原の電気街と地方の温泉でリピーターになってもらえるといつまで思っているのか。情報の磁場が必要で、それこそが人を引き付ける力なのです。

 パリにアラブ世界研究所があるが、フランスは20年掛けてアラブに関する専門機関を作った。だから私なども行かなくてはならなくなっている。

 ジュネーブには国際機関の本部がここにあるためにみなが行かなくてはならなくなっている。

 北海道は、たとえばこれからロシアに関する情報研究期間はどうか。本当に北海道にそういう北東アジアに関する情報の磁場があるか。


    ※     ※     ※     ※     ※


 もう一つは食と農の島としての北海道の可能性。

 農業というのは食料を提供するだけの産業ではない。環境との関係、食糧自給率を6割とする中で、TPPに参加出来るような知恵はないのか、と言うことが問われているはずなのだ。



 日ハム等という会社は、農業生産法人でもあり、流通でもある。

 日ハムは後継者の以内畜産業者を抱え込みながらバリューチェーンを繋ぎ始めている。
 
 生産法人、流通法人としてどこまでプラットフォームにできるかがカギ。

 北海道産品と出くわす機会が増えたと感じている。そうした食材を支えているのは流通法人だ。

 日本は6兆円の食糧輸入国だが、4500億円の輸出国にもなった。次第に戦う力がついてきたと思っている。ただし、品目別にかんがえるべきで飼料も国内で作れれば食糧自給率は劇的に変化するだろう。

 地方で農業が衰退するのは、堂々と飯を食える産業構造になっていないから。

 寝たきり老人のために7兆円、生活保護のために2兆円かけているが、日本人を寝たきりにしないで最後まで社会に貢献してもらうことが大事になってくる。

 高齢者=敗残兵ではない。80歳以上の年寄りでさえ、9割以上は元気なのであって、そう言う人たちをどう活用するかが高齢化社会を衰亡化させないための知恵だろう。

 生活保護に金を突っ込むよりもそうした人が生産的な活動ができるプラットフォームを作ることの方が大切だ。農業生産法人、段階で定年退職した人たち、農業生産法人を手伝うと言うことくらいはあるのではないか。

 参加させることで日本の農業をささえる。そうしたソーシャルエンジニアリングの概念が必要で、ぜひ北海道でそれを実現してほしい。


    ※     ※     ※     ※     ※


 …と、まあこんな調子でしたが、穏やかな語り口の中で脅かしたり褒めたりと実に聞きやすい講演でありました。

 さて、北海道は自らの力をどう認識して、活性化に向けて頑張るしかありません。まずは自分から何かを始めましょう。
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小学校でリーダーシップを学ぶ

2011-02-24 23:35:53 | Weblog
 札幌の山の手南小学校を見学してきました。

 この小学校は校長先生の積極的なリーダーシップによって校内の環境整備が整っていて、保護者との関係も良好。先生たちのモチベーションも大いに上がっています。

 仕事柄あちこちの小学校を見ることがありますが、それらの中でも刮目すべき学校運営が行われていて他校の模範たる学校と思います。

 校内のまずは職員室を見学させていただいてまず驚くのは、パソコンなどによる業務支援体制への試行を積極的に行っていること。できるだけ先生たちの教務負担を軽くして子供達に向き合う時間を確保するという明確な方針を立ててそれを実行しているということです。

 流行っているからなんとなくIT化をしているのではなく、『全ては子供達のために行うのだ』という方針を校長先生が自ら打ち出してそれを率先して実行している行動力が立派です。

 IT化を行うことで、例えば出席状況の把握が効率的で簡単になっています。担任の先生が出席を取ってそれを職員室に戻って担当の先生に渡すと、実に簡単にデータが打ち込めるシステムになっていて、生徒全体の出欠状況の他に個別の子供の様子が一枚の表になって出てきます。

 これを見れば健康状態など個別の子供の微妙な変化にも気がつきやすくなると言うのです。まさにIT化のメリットを最大限に生かしていると言えるでしょう。


    ※    ※    ※    ※


 IT化だけではなく、教室では子供達の学習態度もゆるがせにしないという姿勢が強固です。

 まず私のような外部の人間でも校長先生と一緒ならば各教室に自由に入れます。外部の人間が静かに入って先生の授業風景や子供達の様子を見学することに対して実にオープンで、先生も子供達もそうしたことに慣れていて気が散るようなことはほとんどありません。

 子供達の机の上にの持ち物にもルールがあります。教科書、ノートの他には定規、黒鉛筆、赤鉛筆、青鉛筆しか置かないという指導です。

 筆箱もボールペンもマーカーもなくて、全員が同じ種類の文房具で授業を受けます。


                 【机の上にはこれだけしか置かせないのがルールです】


「こうすると生徒の気が散らないんです。これをやっているのが秋田県です。その起立は立派なものでした」とは校長先生の弁。


 また各教室には洗濯物を干すような針金が張ってあります。何のためかと思いきや、そこには良いノートの見本や振り返りたい学習内容がぶらさげられています。良い見本とはどんなものかや、振り返りたい事柄などを確認するのには情報発信のための空間と量が必要でその実践です。


                 【洗濯物のように資料が張り出されています】



    ※     ※     ※     ※     ※


「ちょっとノートを見せてくれる?」と校長先生がある子の算数のノートを手に取りました。「これ何冊目?」「三冊目です」「あ、本当だ、『No.3』って書いてあったね」

「ノートが何冊目かは大事なんですか?」と私。すると校長先生は「大事です。秋田では年間に3~4冊のノートを使っていました。書く量こそが学習の積み重ねであって、端的に成績に出てきます」
 うーむ、深い!

    ※    ※    ※    ※

 教室を出ると、壁になにやら板が取り付けられていました。

「これは何ですか?」「ああ、これですね」
 見ると蝶番(ちょうつがい)で取り付けられていて持ち上げると棚になりました。

「子供達が作る立体作品なんかはこうやって展示出来るんです。いちいち机を持ってくるのは大変なのでみんなで工夫して作ってみました」


                   【これが…】


                   【こうなれば棚になります】



    ※    ※    ※    ※


 私にとっては目からウロコの実践の数々。前回見せていただいた時よりも格段に進化しています。しかしこれだけ頑張っていても結果のでないこともあると言います。

「子供達の体力が弱いんです。体力テストでは我が校の生徒たちの成績は全国の平均に届いていません。車中心の生活で遊ぶ力も弱っているように思うのですが、こればかりは一朝一夕には改善が難しいのです」
「改善への取り組みはどうされていますか?」

「集団での体力向上は時間のゆとり的にも難しいので、まずは個人からと言うことで縄跳びを奨励しています。達成カードを作ったりしてモチベーションが上がるように工夫してみていますが、やはり家庭との連携が大切ですね」


    ※    ※    ※    ※


 こちらの小学校では校長先生が自らパワーポイントによって自校の基本方針や大事にしたいことがらをまとめて評議員会で説明してくれます。

 リーダーが進むべき道を具体的に示して率先して語るという躍動的な組織に必須のリーダーシップが出来上がっています。

 同じく組織を預かるものとして見習うべきことが多く、やはり学校とはいろいろなことを教えてくれるものだと思いました。



 私たちは良い事例というものをたくさんその目で見て、「敬」の心を養わなければいけません。

 理想とすべき高みをイメージしたうえで、そこに至らない自分を恥じる。そこにこそ自分を奮い立たせる力が湧いてくるのです。機会があればぜひとも実際に視察していただきたいものです。

 良いものを見せていただきました。感謝です。
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技術士のこれから

2011-02-23 23:54:08 | Weblog
 技術士という資格を持っている人たちで作る技術士会に招かれて、パネルディスカッションのパネラーとして参加してきました。

 技術士というのは文部科学大臣が認定する国家資格で、技術分野では最高の資格とされていて、「○○もって社会福祉の増大に寄与する」とされているもの。

 建設コンサルタントを開業するには必須の技術資格で私も一応取得してあるのですが、どうもあまり世の中に知られていないのが難点。

 今日のテーマはそんな技術士の知名度をあげることをどう考えるか、というもの。知名度と言ってしまうとコマーシャルが足りないだけのことのように思えますが、つまりは社会の中でのステータスを上げたい=もっと一目置かれたい、ということです。

 会場はプロレスかボクシングの興業のように会場のど真ん中にテーブルが置かれて、司会者と四人のパネリストが座り意見を交換するという、ちょっと変わった趣向で行われました。なかなか刺激的でしたね。


                  【会場は薄暗かったなー(笑)】


    ※    ※    ※    ※


 技術士の知名度が低い、と言うのはもう50年になんなんとする技術士の世界ではずっと昔から言われ続けてきたことで、今更という感もするのですが、それならそれで静かな水面に石を投げ入れるくらいの刺激を与えなければわざわざ呼ばれた意味もないというものです。

 そもそも「技術士の知名度を上げたい」というのは、そのことによって自分たちが売っている技術の価値をもっと評価して欲しいということにほかなりません。

 だから技術士会としてどういう活動をしたらよいか、というような話になりがちなのですが、会としてどうしようという方針も打ち出せないというジレンマに陥っているというのが現実なのです。

 私の考えは「会や組織が自分の価値を高めてくれることなどない」と思うべきだ、ということ。皆が自分自信の価値をそれぞれ高めるからこそ職能としての技術士の価値が高まると思った方が良いのです。

 皆が特権意識にぶら下がっているのではなく皆が頑張って仕事はもちろん、自由な時間で社会に対して建設的な提言や活動を行うことで自分自身の価値を高め、結果として仲間のステータスを支えれば良いのです。

 二宮尊徳の報徳で言えば「推譲(ゆずる=進んで差し出すこと)の精神」に他なりませんよね。


    ※     ※     ※     ※     ※


 そのために私が大事だと思うことは二つでした。

 一つは自分の言いたいことをしっかりまとめて形にする訓練をしようということ。本を読んだり人から聞いたり、ネットから情報を得てまとめても良いけれど、今この瞬間自分自身が言いたいこと、主張したいことは何かをまとめる訓練ができているでしょうか。

 TPPに賛成?反対?それはなぜでしょう? 増税に賛成?反対?それはなぜ?

 公共事業削減に賛成?反対?それはなぜ?こういうことを技術的な背景が分からない市民や発注者から聞かれた時に端的に答える訓練をしなくてはなりません。まずは「主張しよう!」です。

 

 二つ目は、「自分の主張を聞いてくれるチャンネルを保持しよう!」ということ。どんなに良い言葉であっても声が小さかったり、聞いてくれる人がいなければどうしようもありません。

 ブログを書き続けるというのは自分の主張を記録に留めてストックにするという意味と、主張に耳を傾けてくれる人とのチャンネルを保持し続けるための努力の両方の意味があります。 
 
 誰でもやろうと思えばやれることですが、それをしないまま誰かが自分の価値を高めてくれないかなあ、と思っているのはちょっと残念です。

 会場からは「NPOのお手伝いなどをすると、行政に通じてしっかりした文章が書ける人として重用されますよ」という体験談も寄せられました。そうした1人1人の努力が積み重なって行けばよいのです。まさに「一灯照偶、万灯照国」ではありませんか。


    ※     ※     ※     ※     ※

 
 まあ自分よりも年上の先輩が多い中で若輩者が暴論をぶったものですが、「行蔵は我に存す、毀誉は他人の主張(勝海舟)」ということにいたしましょう。

 さて、今日の成果は参加者皆さんの一人一人にどのように感じられて、行動に移されるでしょうか。

 技術士の世界は変われるでしょうか。
  

 
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技術士のこれから

2011-02-23 23:54:08 | Weblog
 技術士という資格を持っている人たちで作る技術士会に招かれて、パネルディスカッションのパネラーとして参加してきました。

 技術士というのは文部科学大臣が認定する国家資格で、技術分野では最高の資格とされていて、「○○もって社会福祉の増大に寄与する」とされているもの。

 建設コンサルタントを開業するには必須の技術資格で私も一応取得してあるのですが、どうもあまり世の中に知られていないのが難点。

 今日のテーマはそんな技術士の知名度をあげることをどう考えるか、というもの。知名度と言ってしまうとコマーシャルが足りないだけのことのように思えますが、つまりは社会の中でのステータスを上げたい=もっと一目置かれたい、ということです。

 会場はプロレスかボクシングの興業のように会場のど真ん中にテーブルが置かれて、司会者と四人のパネリストが座り意見を交換するという、ちょっと変わった趣向で行われました。なかなか刺激的でしたね。


                  【会場は薄暗かったなー(笑)】


    ※    ※    ※    ※


 技術士の知名度が低い、と言うのはもう50年になんなんとする技術士の世界ではずっと昔から言われ続けてきたことで、今更という感もするのですが、それならそれで静かな水面に石を投げ入れるくらいの刺激を与えなければわざわざ呼ばれた意味もないというものです。

 そもそも「技術士の知名度を上げたい」というのは、そのことによって自分たちが売っている技術の価値をもっと評価して欲しいということにほかなりません。

 だから技術士会としてどういう活動をしたらよいか、というような話になりがちなのですが、会としてどうしようという方針も打ち出せないというジレンマに陥っているというのが現実なのです。

 私の考えは「会や組織が自分の価値を高めてくれることなどない」と思うべきだ、ということ。皆が自分自信の価値をそれぞれ高めるからこそ職能としての技術士の価値が高まると思った方が良いのです。

 皆が特権意識にぶら下がっているのではなく皆が頑張って仕事はもちろん、自由な時間で社会に対して建設的な提言や活動を行うことで自分自身の価値を高め、結果として仲間のステータスを支えれば良いのです。

 二宮尊徳の報徳で言えば「推譲(ゆずる=進んで差し出すこと)の精神」に他なりませんよね。


    ※     ※     ※     ※     ※


 そのために私が大事だと思うことは二つでした。

 一つは自分の言いたいことをしっかりまとめて形にする訓練をしようということ。本を読んだり人から聞いたり、ネットから情報を得てまとめても良いけれど、今この瞬間自分自身が言いたいこと、主張したいことは何かをまとめる訓練ができているでしょうか。

 TPPに賛成?反対?それはなぜでしょう? 増税に賛成?反対?それはなぜ?

 公共事業削減に賛成?反対?それはなぜ?こういうことを技術的な背景が分からない市民や発注者から聞かれた時に端的に答える訓練をしなくてはなりません。まずは「主張しよう!」です。

 

 二つ目は、「自分の主張を聞いてくれるチャンネルを保持しよう!」ということ。どんなに良い言葉であっても声が小さかったり、聞いてくれる人がいなければどうしようもありません。

 ブログを書き続けるというのは自分の主張を記録に留めてストックにするという意味と、主張に耳を傾けてくれる人とのチャンネルを保持し続けるための努力の両方の意味があります。 
 
 誰でもやろうと思えばやれることですが、それをしないまま誰かが自分の価値を高めてくれないかなあ、と思っているのはちょっと残念です。

 会場からは「NPOのお手伝いなどをすると、行政に通じてしっかりした文章が書ける人として重用されますよ」という体験談も寄せられました。そうした1人1人の努力が積み重なって行けばよいのです。まさに「一灯照偶、万灯照国」ではありませんか。


    ※     ※     ※     ※     ※

 
 まあ自分よりも年上の先輩が多い中で若輩者が暴論をぶったものですが、「行蔵は我に存す、毀誉は他人の主張(勝海舟)」ということにいたしましょう。

 さて、今日の成果は参加者皆さんの一人一人にどのように感じられて、行動に移されるでしょうか。

 技術士の世界は変われるでしょうか。
  

 
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室町時代と現代~京都での最終日

2011-02-22 23:45:15 | Weblog
 庭園巡りを中心とした京都の町めぐりもいよいよ今日でお終いです。

 今日は市内のお寺を巡る定期観光バスに乗車。選びきれない洛中の名刹を、バス会社が選んだ企画に乗る形で巡って歩きました。

 東寺(教王護国寺)、京都御苑、大徳寺、御寺で仏像の数々や庭園を見せてもらって大満足の一日。

 大徳寺大仙院では室町時代で応仁の乱後の永正6(1509)年に作庭された枯山水庭園を拝見。石や砂を地形や波に見立てる「見立て」文化の一つの結晶がここにあります。

 那智の青石を縦に使って滝に見立て、白い砂利による文様を水の流れに見立てますが、その文様の描き方で海にもなれば川にもなり、浜辺の波にも沖の白波にもなります。

 川であることを補強するのに亀石を置いて形の面白い石を船に見立て、三角形の大きな石は比叡山。

 石をたくさん配置することで上流の渓流を表し、もはや石は配置せず白い砂利の広がりとその模様だけで大海原を表します。

 かなり哲学的な思考が必要とされる庭園様式が完成したのは室町時代のこと。なにか日本民族が日本人であることを本格的に目覚めて今日につながる独自な文化様式を手に入れ始めたのがこの時期です。

    ※    ※    ※    ※

 室町時代に始まったものを列挙してみても、障子、書院造り、茶の湯、能楽などが成立。味噌、醤油、豆腐などの食材もこのときに揃い始めました。
 私たちは室町人の子孫です。このあたりは山本七平さんの「日本人とは何か」という本を読むとよく分かります。

 もっとも、応仁の乱という日本最大級の内戦によって多くの寺社仏閣が焼かれてしまったのもこの時期。今現在我々が目にする仏閣の多くが江戸時代という安定した時期に徳川家を始めとした武士達の寄進によって再興されたものでもあります。

 現代の我々は室町人の文化に囲まれて暮らしています。しかし近年急速にそれらが失われているのは、新しいテクノロジーとエネルギーによって快適さが得られるようになったことで、エネルギーや資源を最小限に抑えながら合理性や美学を追究する精神が大事にされなくなったためではないでしょうか。

 最近は環境問題の視点から省エネが改めて叫ばれていますが、そもそも使うのを抑制するのではなく、ものや資源がないところをどのように工夫してきたかという日本人の祖先の知恵や哲学に学ぶところは多いと思います。

 温故知新という言葉は知っていても、体で感じるには旅が一番です。

 京都を訪ねられるのは次はいつのことでしょうか。


                 【大徳寺大仙院山門】
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離宮さんへいかはりますの?

2011-02-21 23:45:35 | Weblog
 京都の三日目。今日は桂離宮と修学院離宮という宮内庁の施設を中心に回ってきました。

 桂離宮は1600年代の中頃までに、八条宮家(桂宮家)の別荘として造営されたもので、書院、茶屋などの建物と回遊式庭園から成る池泉回遊式と呼ばれる庭園様式の最たる者です。

 1880年代に桂の宮家に子孫がいなくなり断絶となって以降宮内庁が皇室財産として管理運営をしているもの。

 亡命ドイツ人建築家のブルーノ・タウトがこの桂離宮を絶賛して以来、外からの評価を受ける形で改めて国内でも評価が高まったものです

 宮内庁所管ということで観覧が事前申し込みによるもので人数制限もあります。はたと思い立ってその日に訪ねても見せてはいただけません。

 今回は2ヶ月くらい前に往復葉書で希望日を三日書いて申し込んでありましたが、その観覧日として今日の朝10時半という日時が指定されたものです。


    ※    ※    ※    ※


 桂離宮は仕事柄庭園を見る機会があって20年ほど前に修理中の現場を見せていただいたことがありましたが、宮内庁の方の説明を受けながら園内をぐるっと見回すというのは初めてで、大変勉強になりました。


                 【桂離宮の池を深山の風情として見る】

 庭園そのものの設計から管理もさることながら、建物の造作一つ一つに深い洞察と風雅なこだわりがあって、細やかで繊細な日本人らしさが伺えます。

 特に庭園作者のこだわりは「お月様」に向かいました。つまり観月。月を見るための縁台や、どんなシチュエーションで月を見るかを様々に仕掛けています。

 中秋の名月を見るためだけの縁台がありました。


                 【中秋の名月を見るためだけの縁台】

 園内には灯籠がいくつもありますが、ここではどれも背丈の低いものが据えられています。これは夜に観月のための来園者の足元を照らせるようにとの配慮なのだとか。

 また「月波楼」と名付けられた茶席から見える窓の風情は「屋形船」に見立てられていて、海に浮かぶ月を愛でるシチュエーションが用意されました。


                 【池を海に見立てた観月のシチュエーション】



 残念ながら現在は夜に園内を鑑賞することは許されていないとのことで、下々の者としては往時の雅な風情を想像するしかありません。

 ここには書ききれないくらいのその魅力については是非一度現地をお訪ねください。日本人であることが誇らしくなりますよ。

    ※    ※    ※    ※

 そうして午後は、京都市内を挟んで反対側にある修学院離宮へと向かいました。こちらも同じように宮内庁へ申し込んで今日の午後1時半からの観覧が許可されたものです。

 修学院離宮と言えば、庭園史の世界では「借景庭園」として知られています。

 これは自分の庭の敷地の外にある遠くの山々までを一体の風景として楽しむという形式のもので、まさにその最高峰がこの修学院離宮というわけです。

 こちらの庭園は後水尾上皇の手によって1650年代に造営されたもので、三つの庭園を松林の園路で結んだ構成となっており、その間に田んぼを中心とした棚田の風景が広がります。この農村風景をも取り入れた庭園なのです。

 この時期園内には修復工事の手が入っていて、一部の水路や池には水がない状態なのがちょっと残念でしたが、一番上流の浴龍池は満々と水をたたえていました。

 庭園史を語る上では必ず出てくる修学院離宮ですが、実は私自身訪ねるのは今日が初めて。やっと本物を見ることができました。天気も良くて最高の一日となりました。


                 【遠くの山々までが庭園の風景構成要素です】

    ※    ※    ※    ※


 さらにこの後には明治の元老山県有朋が築造した近代的地泉回遊式庭園の「無鄰菴(むりんあん)」も訪ねることができましたが、南禅寺は残念ながら時間切れ。夢窓国師の枯山水は次回までお預けです。

 京都の庭園は成立した時代背景を考えながら見ると理解がより深まります。

    ※    ※    ※    ※

 時間がない中で修学院離宮へ向かう途中で食事のために立ち寄った喫茶店ではママさんが「離宮さんいかはりますの?なら急がんとね、時間あまりあらしまへんわね」と急いで定食を作ってくれました。ちょっと京都の人情に触れた感じがして良かったです。

 良い庭園を見て目の保養になりました。

 眼力の養成は良いものをたくさん見て良い人にたくさん会うことに尽きるのです。
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神社で魂を抜かれる

2011-02-20 23:38:21 | Weblog
 京都での二日目。今日は京都に在住する友人を訪ねて、京都市内を案内してもらいました。

 友人は栄養士の資格を取りつつありますが、今後は更に勉強して栄養士の指導をする管理栄養士を目指したいと思っているのだとか。

 ヨーロッパなどでは、管理栄養士が個人の食生活や健康生活をチェックしてアドバイスを行い、日常の運動指導にまで繋げることで国民の健康度合いを向上させて医療費を減らすという取り組みが真剣に行われているそう。

 日本でもそう言う取り組みが行われなければ、このままの医療費増大を唯々諾々と受け入れるしかないという危機感もあります。

 医療にかかる前にどれだけ未然に防げるか。そのためには食生活の指導や運動指導なども欠かせず、運動をしているいないに関わらず食生活だけを指導しているだけではダメなんだというのが彼の主張です。

「40歳を過ぎて独身でメタボの人はもうなかなか手に負えないのが現実だよね」とも。

 いかに自分を客観視することができて、健康数値が悪化したりメタボの徴候が現れた自分に対して「おいおい、少しは健康に気を遣えよ」と自分が自分にアドバイスし、それを受け入れる自分でいられるかどうかが問題です。

 いつも心のどこかに、自分を外から眺めている第三者的な自分を意識することがあれば、そうはならないんですけどね。

 市民1人1人が健康でいられるような取り組みには様々な事例がありますが、少し勉強してみたくなりました。医療費の削減は喫緊の課題です。

    ※    ※    ※    ※

 この友人に案内されて、下鴨神社と上賀茂神社をお訪ねしてお詣りをしてきました。

 上賀茂神社の御祭神は賀茂別雷神(カモワケイカズチノカミ)と申されて、創建は678年と言いますから実に古くからこの地を守っていただいているわけです。

 この神様のご託宣により葵祭が始まった縁起などについて神職の方からご説明を受けてとても勉強になりました。お祭りの起源なども学べば深い教養に繋がります。

 京都の寺社仏閣群は世界遺産にも登録されていますが、下鴨神社、上賀茂神社共に国宝や重要文化財がゴロゴロしているのを日常に見られるというのはすばらしいことです。
 
 感動が強すぎると写真を撮ろうという気持ちなどもどこかへ飛んでしまって、まともな写真が撮れませんでした。こんなことは珍しいのですが、魂が抜かれてしまったかのようです。

 京都はやっぱりすごい。
 

                 【京都上賀茂神社】
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