北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

若き官僚の明日

2005-09-30 23:42:36 | Weblog
 スケジュールがダブルトリプルで重なって、おまけに打ち合わせ中にも呼び出されること多数。忙しいというのか何というか…。

 さて今日は、
■将来をになう若手
■塩野七生著「ローマ人の物語」を読んで の2本です。

【将来をになう若手】
 国家公務員は、4月の採用から半年間は仮採用期間と言うことになっていて、それまでの間に不祥事でもあろうものならば、採用取り消しもあり得る、というのが建前である。

 そんななか、最近の国家公務員1種職員というのは、採用から3ヶ月間にわたって研修を行い、その後それぞれの任地に配属されることになる。任地での3ヶ月間というのもなんだか分からない期間だろうが、仮採用期間の最後を一週間の研修で終了するのである。

 我々が採用されたときは、わずか1~2週間の研修であとはすぐに現場へ回されるという形であったので、隔世の感がある。

 今年の採用者9名に対して、一週間の最終研修のなかの最後のコマとして用意されたのは先輩職員との意見交換会で、私の上司と同僚ら企画官3名が講師として出席をした。

 わが上司も部下への教育には熱心な方なので、多くの本を読みあさってはその中から使えるエッセンスを書きためて資料として残してくれている。

 意見交換会はまず上司からのプレゼンテーション。「早め早めのホウ・レン・ソウ(報告・連絡・相談)」、「事実の把握が出発点」、「基本ルールをまず確認しよう」などの基本原則10箇条は、知っていそうで案外だれも系統立てては教えてくれないものだ。

 ちなみに今日伝えた基本原則十箇条を改めて紹介すると
①「早め早めのホウ・レン・ソウ(報告・連絡・相談)」
 ~悪い情報ほど早くあげること

②「事実の把握」が出発点
 ~憶測、思いこみ、想像は厳禁

③「基本ルール」をまず確認
 ~法令、通達、事務連絡など行政執行の基本ルールがあるはず。基本を踏まえてこその応用だ

④「判断のレベル」を判断する
 ~誰がどんな手続きで決めるべき問題か。迷ったときは上と相談。無責任な決定は大トラブルの元

⑤部下への指示はよく考えて
 ~作業の指示は目的、期限、分量などを具体的に伝えること

⑥常に危機管理を忘れずに
 ~危機管理の基本は「最悪の状況を想定して対応を準備する」こと。悩んだときは安全側に

⑦アンテナ高く情報収集
 ~情報は創造力、想像力の源泉。何事にも興味を持って多くの人の話を聞き、多くの本を読むべし。

⑧独善に陥るな
 ~自分の仕事を国民、市民の目で評価せよ

⑨仕事の目的を見失うな
 ~手段・作業そのものが目的になりがち。何のためにその仕事はあるのだろう

⑩代替案を並べよう
 ~いきなり「これしかない」はただの思いこみ。選択肢を用意して比較検討してみよう。

 …というもの。これだけのことが身に付いているだけでも職業人としてはかなりのものになること請け合いである。

    *   *   *   * 

 研修生に対して事前に提出を求めたレポートのタイトルは「君たちは出世したいのか?」という大それたものであったが、皆「そのこと自体は目的にはならないけれど、自分の思いを果たすために必要ならばそうありたい」といった優等生的回答が多かったが、そのとおりに行動して欲しいものだ。

 ざっくばらんな意見交換のつもりだっただが、まだなかなか質問が出来るほどの悩みや問題意識もないのか、恐れをなしているのか我も我も、という意見は出ない。

 そんな中、一人から「先輩たちの経験の中での失敗談があったら教えてください」というものがあった。

 すかさず同僚からは「海外勤務していたときのことですが、『外交官としてある案件について(日本人代表である)あなたはどう考えますか』と訊かれたことがありました。そのときに私は『では本国に問い合わせてみます』と答えてしまいました。すると相手の方は『やはり日本人は何を考えているかよく分からない』という意味のことを言っていました。あとからその瞬間になにか意見を言うべきだったと思い、意見を言わないことは『賛成であり、問題意識を持っていないということと同じなのだ』と痛感しました。海外の多くの場面で日本人が意見を言わないという行動をとり続けていることで、日本国そのものへの共感やシンパシー形成を難しくしているのではないかと心配に思っています」という事例紹介があった。

 なるほど、彼の積極的な行動のバックグラウンドはそこにありましたか、と納得。

 議論の場面で意見を言わないということは、そこにいないのも同然なのだ。

 私も若い後輩には、「講演会に出席するときは一番前の真ん中で聞け。そして講演後に質問時間があれば、必ずひとつは質問をして帰って来い!」と言い続けているのだが、その意味を理解してかつ行動に移してくれる人は少ないものだ。

 言い続けているからにはそのことを嘆くのではなく、自ら実践するしかないのだ。先を行く良き先輩の背中を遠くに見ながら、自らも背中を見せて歩くしかないのである。

 局内の会議でも発言をする人間が決まってきたような気がする。「これではだめだ」と思うことはこれまた常に指摘し続けないと人間は動かないものだ。
 少々変わり者の烙印も嫌われ者も必要な道理である。

 さて、若手職員も今夜さえ無事に乗り切れれば明日からは正式採用の身の上だ。明日からの仕事の中、そしてこれからの人生の中での活躍を祈っている。
 なにかあったらいつでも相談に来て欲しいものだ。


【塩野七生著「ローマ人の物語」を読んで】
 塩野七生さんの著書「ローマ人の物語」が好きなのだが、お金がないので単行本でしか買えないのが寂しいところ。

 やっと17~20巻を買い求めて17巻を読み終えたが、つくづくローマ人たちがローマ帝国を建設して運営して行く課程を面白く書き綴っていて興味深く読める。

 17巻は、神君アウグストゥスから皇帝のバトンを受け継いだティベリウスの物語が中心になっているが、歴史事実を書きつつも、ところどころに塩野さんの感想めいた独り言のような解説が付いていて、それがまた実に「目からウロコ」の表現なのである。

 「ローマ人くらいケース・バイ・ケースを駆使した民族はいない」と書かれているが、一度決めたら周囲の状況に関わらず決めたとおりにしようとする傾向の強い日本民族への警鐘と読める。

 街道を街道網として整備し、法律を法体系として整備したのがローマ人である。そしてこの二つに共通しているのが『必要に応じてメンテナンスをほどこさないと機能の低下は避けられない』という現実である、と著者は言う。

 法律のメンテナンスとは現状に即して改めるということだが、ローマ人たちは法律を「いったん定めた以上は何が何でも護り抜くべきもの」とは考えずに、街道と同じように必要に応じて修理修復すべきものとして考えていた。

 その結果は法律の結果である各種システムに対しても適用されて、システムはそれが何であろうと現状に適応するように『修理修復』されるべきもので、それを怠ればシステム自体に疲労をもたらし、ついには崩壊するという、長期的には大変非経済的なことに終わることを知っていたのだ、とも書いている。

 私が思うに、こういう一言一言を我が国社会に当てはめてみると、長続きする社会とは、冷徹な現状認識から来る不断改革努力によって社会システムを操って行くしかなく、システムが出来れば自動的にうまくいくなどということはない、という現実的な政治感覚がある国と、そうでない国に、やがては隆盛と滅亡の違いになって行くように思われる。
 
 とにかく現代に通じる多くの事柄がローマ時代に端を発していたことがいかに多いかということも併せ知って、興味の尽きない本である。

    *   *   *   * 

 さて内容の紹介と感想はそれとして、塩野さんの文体で感じたことがある。

 それは彼女の文章が簡潔で短く、それゆえに読みやすいということである。

 このことは、私も文章を書いていて気づいて実践していることだが、接続詞はせいぜい一つか二つしかいれず、それ以上長くなる文章は「。」で切ってしまって次の文章にしてしまうのだ。

 そのことが文章全体を非常に読みやすくしていて、役人文章の不必要な飾り付けとそれ故の分かりづらさの対極にあるようだ。

 文章を書く上で一つのお手本を挙げろと言われれば、塩野七生さんを推薦するだろう。

 よけいなことだが、やたら分かりづらい文章を書く自転車乗りの知人がいるのだが、彼にも参考にするように伝えたいものだ。

 文章は読み手のためのサービスなのだ。え?おまえもサービスが足りない?
 「どもしいましぇん!」

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観光社会資本という考え方

2005-09-29 23:47:39 | Weblog
 飲み会が続くと定期的な更新が滞りがちです、すみません。
 写真は観光社会資本として取り上げられた稚内北防波堤ドームです。

 今日は、
■観光社会資本とはなにか? の1本です。

【観光社会資本とはなにか?】
 観光社会資本についての事例集のとりまとめを本省が一月ほど前から始めた。「観光社会資本」とは観光資源となっている社会資本、社会インフラという意味で使っている。

 要は我々が公共事業で作っている施設の中には観光振興に役立っているものが結構あるでしょ、ということのPRである。

 「観光に役立つ」という言い方を今回は二つに定義付けして、
①社会資本の施設そのものが観光の対象になっている場合、
②社会資本を活用することで観光活動が行われている場合、
いうことの中で事例を集めてみたものである。

 今回の集め方は、広く一般に公募したり、各地方の下部組織を使って積み上げてきたものではなく、あくまでも本省が「これは間違いなく観光社会資本だ」と思うものを本省内で収集・協議して了解したもので、全国で259例を数えそのうち北海道からは19例が登録されている

 北海道の代表的事例は、①として札幌を代表するシンボル空間「大通公園」、四季を通じて自然とのふれ合いを楽しめる「滝野すずらん丘陵公園」、紅葉映える豊平峡の「豊平峡ダム」などが挙げられている。

 また②の例としては、北海道開発局が最近売り出し中の、「道」をキーワードとして地域が主体となって景観整備や活性化に取り組む「シーニックバイウェイ北海道」が挙げられている。

 北海道からたったの19事例ということになると、「なぜ○○は採用されなかったのか?」といった問い合わせが来ることも予想されるが、今回はあくまでも最終決定ではなく事例集ということであり、これからも随時追加登録を認めているので、大いに声を上げてもらうのが良いだろう。

 
 我々の作っている公共施設は間違いなく地域の観光振興に役立っているはずなのに、これまではそういうことを意識した作り方やデザインなどは、まともには予算執行上は考慮されてきてはいなかった。

 そのことは、施設の価値を下げこそしていないものの、もう一工夫することでその価値をもっと高めることも出来るはずである。決して無駄遣いやコスト縮減という切り口とは別の有り様があるはずだ。

    *   *   *   * 

 かつて河川局長まで務められながら、河川から文明・文化を語り続けている竹村公太郎氏の著書「日本文明の謎を解く(清流出版、1800円+消費税)」のなかで、竹村さんはアメリカのフーバーダムを初めて見たときの衝撃を鮮やかに書き記している。

 フーバーダムは公共事業を行う者にとっては聖地みたいなもので、1936年に完成したアメリカ最大のダムである。

 アメリカ大恐慌の失業者対策の一環として始められたこのプロジェクトは、コロラド川の洪水反乱を防ぎ、水力発電、水道、灌漑用水の供給などを目的としている。

 その貯水量は350億立方メートルで、日本中の貯水量を集めても200億立方メートルにしかならないというから、いかにこのダムが巨大化が分かるだろう。

 竹村氏はこのダムを初めて見たときに、コンクリートアーチダムの三次元曲面という土木技術的には極めて難しいダムにあって、その頂上付近にダム構造や機能には全く関係ない張り出しテラスが作られていたのだ。

 そのことはその難しさを知っている竹村氏にとっては「常軌を逸している」としか思えず、観光客を案内しているOB技術者をつかまえて、「なぜあんなテラスをわざわざ作ったのか?」と問いただしたのだという。

 そしてその答えは優しく諭すような口調での「ダムの上から下を覗かせたやりたかったからだ。ここに来る皆を怖がらせてやりたかったからだ」というもので、その答えに竹村氏は「唖然とした」という。

 氏はこう述べている。「この張り出しテラスという遊び心は、フーバーダムの価値を間違いなく高めている。この遊び心によって、文明の下部構造のフーバーダムは全米の人々から愛される国家的遺産となった」と。

 まさに日常生活を下支えしている施設そのもののドラマ性が感動や喜びに変わる時代が近づいているし、そのドラマ性を呼び起こすことが我々の目的になりうる時代が近づいている。

    *   *   *   * 

 旭川の旭橋を見てご覧なさい。ごてごてした飾り付けではない、構造的・力学的必然から来る機能美こそ我々が胸を張って見せられる最高の芸術作品ではないか。

 社会インフラ整備に新たなマインドの火をともそうではないか。 

 

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立教大学シンポジウムに出るのだ

2005-09-28 23:52:05 | Weblog
 唐突ですが、今週末の10月1日(土)にシンポジウムのコーディネーターをすることとなりました。
 人生、いろんな曰く因縁があるものです

 今日は、
■立教大学のシンポジウムにでます の1本です。

【立教大学のシンポジウムにでます】
 冒頭でも書いたように、週末にシンポジウムのコーディネータをすることになっているのである。

 シンポジウムのタイトルは「立教大学札幌イベント 創造都市札幌の可能性~世界に向け、「眠れる資源」を掘り起こす~」である。

 そもそもなぜ立教大学が札幌でシンポジウムを行うのか、というのも疑問なのだが、今や学生の9割が都内の学生という立教大学にあって学生の多様性を豊かにすると言うことはそれなりに意味があるのだそうだ。

 また、少子化に伴って大学全入時代が到来すると、学生がより上位ランクの大学に吸い寄せられることになり、単純に上下を語っている場合でもなく、個性や特徴のある大学として意義を見出さなくてはならないのだそう。

 大学もいよいよ大変な時代になったものである。



 今回のコーディネーターの話は、道新の佐藤氏がこの話を立教大学から持ちかけられたときに「それなら司会は小松君だな!」と勝手に決めたことに端を発している。

 また、私の携帯に電話をして「近々立ち寄れないかい?」と言われたときに、これまた偶然に道庁からの帰りで道新ビルの前を歩いていて「では3分後にお訪ねしますよ」と答えたのが運の尽きだったのである。

 まあこれもまた運命だし、何事にも初めてはあるものだと思って、最後はヤケクソである。

 内容は前半に講演がお二人で、一人目は仕掛けの張本人の道新事業局長の佐藤光明氏による「文化がビジョンをもつと~札響再生」である。そう、佐藤氏はこの春まで札響に出向して、赤字体質から見事に脱却させた豪腕の持ち主なのである。そのときの様々な苦労話はなんだかわくわくするような冒険談のようなもので、目からウロコが落ちる話ばかりだった。
 聴いて決して損はありませんぞ。

 講演のもうお一方は、かつて日銀小樽支店長をやられた賀来景英さんで現職は大和総研副理事長というお立場である。知っている方は知っているだろうが、ベルサイユのばらの池田理代子さんのご主人としても有名かも知れない。講演のタイトルは「眠れる資源」の発見と再評価である。
 私はまだお会いしたことがないのだが、ぜひともお近づきになりたい方である。

    *   *   *   * 

 そんなわけで私の出番は後半のパネルディスカッションで、上記お二人に加えて立教大学文学部教授でありながら古武道の達人という、身体文化論を語られる前田秀樹教授というお三方を向かえての一時間である。

 どのような進行になるかは私自身が考えて原案をお届けしてあるのだが、丁々発止のやりとりになりますかどうか。

 もしお暇と興味がおありならばひとときおつきあいいただければ幸いです。

  日時 2005年10月1日(土)15:00~
  場所 札幌プリンスホテル
     〒060-8615 北海道札幌市中央区南2条西11丁目
     TEL.(011)241-1111 FAX(011)231-5994

  問合せ先 立教大学広報渉外部 03-3985-2527

  主催:立教大学
  共催:北海道新聞
  後援:札幌市
 



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滝野公園のヒグマ騒動に思う~危機管理の実践

2005-09-27 23:42:54 | Weblog
 私の愛すべき現場である滝野すずらん丘陵公園で、ヒグマの痕跡が発見されたために臨時閉園をしているというニュースにびっくり。

 新聞報道では「前回は1999年にクマが目撃されて閉園した」と書かれているが、その時の所長はかくいう私である。ヒグマ対策は危機管理の結晶である。

 今日は、
■思い起こせば~滝野公園のヒグマ事件 の1本です。

【思い起こせば~滝野公園のヒグマ事件】
 もう6年も前のことだが、私が滝野公園事務所の所長をしていたときの同じ9月に起こったのがヒグマ発見事件である。

 そのときはまだ中心ゾーンが未開園で、現在のカントリーガーデンに草花を植える工事の真っ最中だったのだが、中央口の駐車場南側の斜面を大きな黒い動物がのそのそと上がって行くところを、駐車場に止めて休憩中のバスの運転手さんが発見して、管理事務所に連絡をくれたのだった。

 「犬の見間違いでは?」という希望も、目撃者である運転手さんはかつて本物のクマを見たことがあって、「間違いない」ということで臨時閉園を決断したのだった。後から植栽工事に従事してくれていたおばちゃんたちに聞いてみたところ、「ああ、大きな犬が通りました」ということだったので、ぞっとしたものだ。

 とりあえず臨時閉園をしたものの、この状態から一体どうやったら開園にこぎ着けられるかということで大いに悩んだのだった。

 まずはクマの専門家のお話を聞くのが一番と、知人のつてで専門家からお話を伺うことが出来た。

 それによると、ヒグマの目撃情報があったときに一番大事なことは、そのクマが「問題熊か非問題熊なのか」ということなのだ。

 「問題熊」とは人間社会のうま味を味わってしまった熊のことで、こうなると人間からえられる食物などを求め、人間を恐れないのだ。こうなると可哀想だが危険な存在なので、もう処分せざるを得ない。

 これに対して「非問題熊」はその反対で、自然の中で暮らしているだけで人間やその社会を恐れ、逃げ出して行く存在なので人間に危害を加える心配はほとんどない存在である。

 この見極めが大事なのだが、その時は園内でゴミ箱をあさった形跡もなかったのと、足跡や移動の痕跡が南から一直線にやってきて一直線に帰っていったことが伺えた。そのため専門家の見立ては、「若い雄熊は独立する際にテリトリーを広げるために一日に20~30kmも歩くことがあって、その典型的な行動パターンです。また園内を見る限り問題熊である様子もない」とのことだった。

 翌日にアドバイザーとして来てくれたハンターの方も現場を一目見るなり「ああ、もうこの辺りにはいないね」といともあっさりと言ったものだった。
 いないことを証明するというのは難しいものだが、専門家の見立てを信じるのが一番と確信した。

    *   *   *   * 

 次には開園のためにどうするか、ということだが、危機管理上の対応としては、「出来うる最大限のことをする」というのが鉄則である。

 これは軽々しい対応ですませようとしたときに、もしも再び熊が現れたりしたら「判断が甘かったのではないか」と批判を受けてしまうのに対して、「もうとりあえずはこれ以上のことは出来ない」というくらいの対応をして「そこまでやるのですか」と感じてくれれば、再び熊が現れても「そこまでやったのだから、相手は動物で仕方がない」という考えに至りやすい、ということである。

 予算もけちらずに大盤振る舞いをしても大丈夫である。外部から「そんなにしなくても良いのでは」という声には「利用者の安全第一」という考え方の方が支持されるだろう。

 このときには、「ゴミ箱を全部鉄製に変える」、「園内の一斉清掃で空き缶を全て拾う」、「主要な園路沿いを10mで草刈りをして、園路際に隠れる場所をなくす」、「青少年宿泊施設の周りに有刺鉄線を張り巡らせる」、「熊鈴、熊スプレー、なたの大量購入」などを措置を矢継ぎ早に行って、その間の巡視結果などを持ち寄って、警察・区役所・開発建設部などからなる対策会議へ報告して、開園への反対意見がなかったことで開園に導いたのだった。

 これらの対策の中では熊専門家に言わせると「有刺鉄線はくぐると毛を引っかけてくれるので通過した証拠として分かるということはありますが、基本的には熊には効きません。かれらの剛毛には棘が刺さらないんです」とのことだったが、気休めくらいにはなったろう。

 結局開園するか閉じるかは、現場の所長の判断が全てなのでプレッシャーが大きいが、利用者が安全と感じてくれなければ開けるだけのことには意味はないのである。

 結局このときにはこれらの対策全てを講じて会議を開催するのに9日間を有してしまったわけだが、このときの記録は報告書としてまとめて事務所に残しておいたため、事務所に電話をしてみたところ「参考にしています」とのことだったので、まああのときの知見も少しは役に立ったのだろう。

    *   *   *   * 

 熊の専門家と一緒に園内を歩きながら「山の中で熊にあったときはどうすればよいのですか?」と一番興味のある質問をしてみたところ、返ってきた答えは「その質問は、『町の中で歩道に立っているところへダンプカーが突っ込んできたらどうしたらよいですか』という質問に似ています」というものだった。

「それはどういう意味ですか?」
「ダンプカーにはねられるとしたら、頭を守るとか、背中から受け身をするなどということが多少は効果的かも知れませんが、そういうことを考えるよりはまず交通ルールを守るとか、歩道でもぼーっとせずに周囲に気を配るとか、あまり車道に近寄らない、といった方法でダンプが突っ込んで来るというリスクは簡単に軽減されることでしょう」

「なるほど」
「熊に出会って殺されるということはリスクとしてとらえられるべきで、リスクである限り確率的に低い確率に抑えることで現実的な事故は防げると考えるべきでしょう。年間に何千人もが交通事故では死んでいますが、熊に殺されるという事故は年にほんのわずかではありませんか。熊に会って殺されるというのは、交通事故よりはずっと確率の低いリスクなのです」 
 
「ではどういう形でリスクを低く出来るのでしょう」
「それが良く言われるように、山の中にはいるときは熊鈴やラジオをつけて人間の存在を知らせるということが一番です。お互いが静かに歩いていて、曲がり角で突然ばったりと出会うというのは双方にとって一番の不幸なのです」

「問題熊でなければ、音を聞いたら逃げるものなのですね」
「そのとおりです。彼らだって怖い目には遭いたくないものです。しかし人間の行動が彼らを問題熊にしてしまうのです。山の中にジュースの缶を捨てたりすると、そのなかのわずか数滴の甘い汁が、彼らに『これはなんとすばらしいものだろう』と思わせてしまうのです。どうか彼らを不幸にしないでください」

    *   *   *   * 

 我々人間も自然の恩恵を受けて生きている限り、自然との付き合い方という教養を常に身につけていたいものだ。

 同時に、現場にあっては危機管理ということを常に念頭に置く必要がある。現場の緊張感を大本営である作戦本部は常に想像出来なくてはならないのだ。

 正論だが杓子定規な指示は有害で無益と知るべきである。滝野公園の無事故を祈るばかりである。 
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北海道の観光戦略

2005-09-26 23:50:37 | Weblog
 朝から出入りの激しい一日。こういう日もあるものだ。

 さて今日は、
■北海道観光戦略の会議 の1本です。

【北海道観光戦略の会議】
 午前中から北海道の観光戦略を構築しようという会議に組織を代表して参加する。観光の様々な側面のお話が聞けて有益な思いだった。

 会議の座長は観光の世界では定評のあるFさんで、あとは観光カリスマからアウトドアの代表、マスコミ系、官公庁、外郭団体、輸送業界、旅行業界などからの代表のそうそうたる顔ぶれである。

 自己紹介など一連の儀式を終えてから、まずは始めに事務局から北海道観光の現状分析の説明を受ける。

 旅行形態が団体旅行の割合が年々減り、小グループや個人旅行が増えているという実態、北海道への旅行者数もここ数年減りつつあるというデータ、客単価は全国の他の地域に比べて一番低い実態、そのような中で外国人観光客は年々増えつつあること…などを細かく説明をしてくれた。

 総じて、大衆を相手にしてドカンと運んでそそくさと観光地を行き過ぎ、ドカンと食わせてきたこれまでの路線を転換しなければ、ニーズが多様化して現状に不満を持ちつつあるお客さんが離れつつあるということを示しているようだ。

 各参加者の話になって、まず道東の観光カリスマのOさんからは、「データよりも客単価はもっと低い印象を持っている。道東への旅行が奮わない理由は、北海道への航空路線が新千歳空港に集中しているからだ。道東へ来るのに、新千歳から大型バスで何時間も揺られてやっとたどり着く行程になる。そして団体相手の食事、大人数への同水準待遇をする、というやり方が曲がり角に来ている。打破するためには道東に核的空港が必要なように思う。また、地方レストランの充実も図る必要がある」とのこと。
 新千歳だけで良いと思っていてはいけないのかも知れない。

 アウトドア会社の社長であるSさんからは「北海道で体験観光を、ということで一時修学旅行需要が伸びたのですが、最近はまた減少傾向にあります。それは本州でも長野県や新潟県での受け皿が増えたこともあると思います。逆に北海道にはアウトドアの受け皿が弱いのです。ラフティングが人気と言っても年間100日しか稼働しないので、通年でガイドを雇用しきれないのです。北海道に残って欲しかったけれど、結局通年雇用出来なくて本州へ帰り長良川や利根川で起業した人もいるくらいです」とのこと。笑えない現実だ

 さらに「アウトドアへの過大評価もあるかもしれませんね。受け皿が弱いという事で言えば、体験農場という需要もありますが、ほとんどは道東のある農場で受け入れてもらっています。そこは北海道で一番農業体験をさせてくれるところですが、そこの農場面積が350ヘクタールです。では2番目はどうかというと、面積が5ヘクタールしかないのです。これが1位と2位の差という現実です。」むー、これが現実か。

 「白神山地も世界自然遺産に指定されて2年目までは旅行ツアーが組まれましたけれど、3年目に激減して、4年目にはツアーがなくなってしまいました。もとからある程度の観光地だった知床はそんな風になるとは思いませんが、白神山地がそんなことになった原因は、ガイドの不足です。ほとんどがアルバイトで需要を受けきれなかったのです。また、インバウンド(=外国人観光客)相手にしても、言葉が通じない、食事が同じなどの不満が出ています。九州はそうやってもう飽きられつつあります。北海道がそうならないためには、看板・サインと言葉が大事だと思います」とのこと。観光地ならばそうなのだろうな。

    *   *   *   * 

 マスコミ系のHさんは「これからのマーケットを道内・道外・外国とわけて考えると、道内客は減るだろうし、道外は分からない、外国は増える、という図式が見える。最近は北海道競馬を馬文化として大事にしたいと考えている」とのこと。そう、賭け支えの精神が必要だと主張する。

 運輸局からは「他の地域と会議をすると『北海道の知名度が羨ましい』という声が聞かれるが、なぜそれが生きないのか」という問題提起。
「Oさんの千歳集中の弊害はその通りで、道東へのチャーター便は増えつつある。しかし降り立った空港でのC.I.Q《C=(税関:Customs)I=(出入国管理事務所:Immigration Office)Q=(検疫所:Quarantine)の略》の能力が不足していてなかなか国内へ入れない。関空で入国をしてもらって、そこからの国内便がもっと安くできないのか、という考え方もある」とのこと。我々は入国の厳しさ・不便さにほとんど気づいていないのではなかろうか。

 さらに「中国人エージェントにホテルを見せると、部屋をぱっと見て『ここはダメ』、『あ、ここはいい』とチェックしているんです。何が良くて何が悪いのか、と良く聞けば、天井に梁があってその下にベッドの頭が来るところは風水上だめだと言っているらしいのです」そんなこともあるんだ!ふーん。
 
 札幌市からは「シニア層の誘客に力を入れたい。現在は訪問客の平均滞在日数が1.7日ですが、これをなんとか2日にしたいと思っています。そのためにはススキノだけに頼らずに、夜の観光に力を入れたいと思っています」と説明。すかさず座長のFさんから「北海道は都市観光にほとんど力が入っていませんね。いろいろな意味で【夜の観光】を考えるべきでしょう」とつっこみが入りました。

    *   *   *   * 

 そのほかにも、「札幌シティガイドが好評だ。全道展開したい」、「沖縄はリゾートというイメージがかなり定着してきたが、北海道のこれだ!というイメージが希薄だと感じる」

「マーケティング戦略などというのは製造業ではあたりまえの話で、もっと真面目にやらなくてはダメ」、「個者の努力で売り上げをアップしてその総体がアップするというのはもう無理。適正な競争と同時に連携とコラボレーションが大事」というような意見が出ました。

 さて、私からの発言です。「北海道開発局では道路・河川を始め多くの公共インフラを整備していますが、それらはやはりまだ観光を内部目的化することが難しいのが現状です。観光のために○○を作るということは言いにくいですし、観光の目的となるコンテンツを自ら作り出すというのは無理でしょう。しかし、これまで作り上げてきたインフラを積極的に利用してもらうようなことはインフラ整備の関連事業としてやれる可能性があると思います。」

「例えばシーニックバイウェイなどでも、道をキーワードとして地域が連携して景観を守り育てたり、地域に活気が生まれるという効果を生み出しています。自治体同士というのは案外ライバル関係にあるので、実質的にNPOだったり市民団体が連携の主人公になるでしょう」

「道の駅も人気のアイテムとなりましたが、ビジネスとして独り立ちさせるために今年からスタンプ帳を有料にしました。昨年まで実質40万冊が出回っていたものが、さすがに減少したようですが、派生的なビジネスを生み出すためには採算性をしっかりと確保すると言うことは重要です。また道の駅ネットワークを情報ステーションとして強化することも、利用者にも地元にも有益で、道の駅に対する新たなてこ入れの時期なのかもしれません」

 …と言った発言をしました。

 これまでは観光担当と言えば旧運輸省、という思いが強くて、わが組織はどちらかと言えば、観光に対しては役に立ちうる施設を整備・管理していたにもかかわらず低いマインドにとどまっていたと言えるだろう。

 そのため観光に関する実績もなく、組織も育たず、したがって実績は生まれない…という鶏と卵の論理から抜け出せずにいたのだと思う。

 旧運輸省=現在の国土交通省運輸局が担当する観光分野は大きなものがあるが、我々インフラづくりを担当する者にとっては、そこに関わりながら観光に寄与出来る面も多いに違いない。

 手探りでもやれることから実績を作り、それを組織や新しい事業につなげて行くという、前向きの気持ちと一歩の踏み出しが必要なのではなかろうか。

 思って、実践することが必要なのだ。
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浦臼町 ぼたん蕎麦収穫祭に参加する

2005-09-25 23:42:26 | Weblog
 朝から浦臼町で開催された「ぼたん蕎麦収穫祭」に参加してきました。新そばの季節は蕎麦イベントの多い季節です。今日も快晴

 さて今日は、
■「永田地名解」について
■浦臼産ぼたんそば 新そば収穫祭 in 浦臼 の2本です。

【永田地名解について】
 今日登場する北海道の地名は浦臼(うらうす)町である。「ウラウス」なんていかにもアイヌ語地名である。

 浦臼のいわれについて手元の山田秀三著「北海道の地名」を調べてみた結果を早速紹介したいところだが、その前にせっかくなので、北海道の地名を訪ねる上で欠かせない資料である「永田地名解」について一言だけ触れておきたい。

 「永田地名解」は正確には「北海道庁属永田方正著北海道蝦夷語地名解」と言い、永田方正氏が北海道内を調査した結果を明治24(1891)年に刊行したものである。 

 ここから先は、山田氏の「北海道の地名」から「主な引用文献について」の部分で語られているところから引用させて頂く。(《》内は私の注釈で、また一部は現代語表記に改めた)

    *   *   *   * 

 …彼(永田氏)は巻頭の序文でアイヌ語地名を論じ『簿記に地図にその訛謬《なまりや誤り》少しとせず。かつアイヌと言えども久しく和人に接する者及び壮年輩に至ってはすこぶる《非常に》訛音あり。地名の言語は唯古老の頭上にありて存するのみ。もし古老アイヌ死すれば、地名もまたそれに従って亡ぶ』と書いた。まだアイヌ語が日常語として生きていたその当時でもそうだったのだ。

 だがその彼でも、『古老アイヌを雇い質したる年月は実に一年に満たず。是れ主務の余暇をもって各地へ出張せしに因るなり』と書いた。広い北海道である。自分で行って古老に聞けない地方については、そのころの測量図を見て自分で解を考えて書いたのはやむを得ないことだった。だがその部分の解には疑問の部分が特に多い。

 今になってみると、とにかく6千余の地名を当時残っていた音で採録しておいてくれたことは実にありがたい。アイヌ語地名を調べる人でこの書を読まない人はいない。不朽の名著である。

 親友知里(知里真志保:ちりましほ)博士はその著アイヌ語入門(昭和31=1956年)の中で48項も使って永田地名解の誤りを徹底的に指摘し、名著か迷著かと書いた。そのために、この書に触れない研究者も出てきたらしい。

 知里さんと私は地名研究の棒組みで、いつも二人で調査に歩いたが、彼はその時に必ず永田地名解を持って来ているのだった。「君は自分で迷著だと書いたその本をどうして持ってくるのだ」というと、「いやこの本の誤りの点が分からない人が使うと迷著だ。分かっている人が読めば名著ですよ」と笑った。

 正にその通りである。金田一先生や知里さんのお陰で、アイヌ語学は永田方正の時代とは遙かに進歩した。知里さんのアイヌ語入門を読まれた上で、永田地名解を使っていただけたら、この書は何物にも替え難い貴重な名著である。

    *   *   *   * 

 永田地名解は「間違いだらけ」というイメージが強かったのだが、この一文を読んで、改めてその価値を再認識じたのだった。

 ね、「地名は北海道の財産だ!」という気がしてきたでしょう?

 多くの先人のドラマがそこにある




【浦臼産ぼたんそば 新そば収穫祭 in 浦臼】
 さて、浦臼町である。

 浦臼町は北海道の中西部、空知支庁管内のほぼ中央に位置し、面積101.08キロ平方メートルで、樺戸連山と雄大な石狩川に挟まれたところの農業中心の町だ。
 これだけの広さがありながら、17年8月末現在の人口は2513人というから、町をに維持して行くのもさぞ大変なことだろう。

 浦臼という名前も、いかにもアイヌ語地名なので早速手元の山田秀三著「北海道の地名」を調べてみた。

 すると「浦臼内」とあって「川の名。浦臼駅あり。永田地名解によるとウラシ・ナイ=笹川であり、また駅名の起源は『ウライ・ウシ・ペッ=梁が多い川』の転訛である。昔鮭鱒が豊かだったので、梁をかけたところから名付けられたものである」と紹介されていた。

 この二つの地名は道内随所で混ざり合っていてその源の判別が難しいのだそうだ。山田氏自身は最終的にはその両者の要素が混ざり合ったのだろう、と考えているようだ。

    *   *   *   * 

 さてこの浦臼町は「ぼたんそば」という蕎麦の品種の作付面積が北海道一を誇るのだそうで、それは知らなかった。 そこで浦臼町ではその収穫の時期に合わせて、蕎麦イベントを行っている。それが「浦臼産ぼたんそば 新そば収穫祭 in 浦臼」というわけ。

 会場は浦臼町内の鶴沼公園で、ここの広場に全道から12の愛好会による蕎麦販売ブースが立ち並び、あるいは町内の物産売り場が展開した。

 私は今回は打ち手不足の浦臼手打ち蕎麦愛好会のお手伝いとして参加したのである。朝7時現地集合と言うことで、朝5時起きで車を飛ばして現地入り。

 現地では倉庫や用意されたスーパーハウスの中で何人もが蕎麦打ちに励んでいる。浦臼の皆さんとお手合わせをするのは初めてだが、実行委員会の知人に紹介されて早速仲間入り。

 あとはひたすら「こねてはのして切る」の連続。そば粉は地元産のぼたん蕎麦で約50kgが割り当てられていて、大体500食分の見当だ。

 幸い、ゆでたり洗ったり盛りつけたりする人たちはある程度揃っているので、今日はひたすら蕎麦打ちに徹することが出来る。6玉で10kgほどを打って、なんとか大玉の感覚を取り戻しました。

 あまり一生懸命に打ったので、右手の人差し指と薬指の爪の付け根がやけどで皮がむけました。イテテテ。

    *   *   *   * 

 会場には12の同好会のテントが立ち並んで、それぞれ個性あるメニューで来客を迎えている。人気なのは地元うらうす手打ち蕎麦愛好会と幌加内うたん会、さらには奈井江道光会などで、これらのテントには長蛇の列ができた。

 一方ではまだ知名度の低い同好会のところは最初のうちは閑散としていて、「売れ残ったりしないだろうか」とちょっと心配。

 ところが昼一時過ぎには「もう浦臼の分は売り切れたみたいよ」という連絡が入ってやや拍子抜け。「もっと打たなくて良いのですか?」と訊くと「そば粉も使い捨ての丼も割り当てがあるんだって」とのこと。

 よくよく聞いてみると、昨年までは丼なども追加注文を事務局にお願いすればどんどんくれたらしいのだが、それでは「売れるところと売れないところの差が大きくなってしまう」ということで、今年からは各同好会に均等に500個の丼を配分することにしたのだそうだ。

 売り切れたテントでは早々と「売り切れ御礼」の紙を下げ、それをみた来場者はまだ売っている別のテントへと向かう。

「イベントなんだから、売れて売れて儲かるなんてことを考えずに、お客さんが美味しく蕎麦を食べられて、各同好会もそれぞれ楽しめれば良いんだよね。変に打ちの方が売れたなどと競争しなくても、さ」とはある知人の声。

 競争で腕を磨きあうということもあるのだろうけれど、参加した者全員に幸せがほぼ均等に配分されるというシステムもこれまたある面では有効なのだなあ。

 競争による切磋琢磨だけが絶対善ではないということの見本みたいなものだ。

    *   *   *   * 

 ところで、今日のそば粉は各同好会皆同じなのだけれど、それぞれの会ではキノコそばにしたり鴨南蛮にしたり、天ぷら蕎麦にしたりと工夫をしていて、食べ歩きも楽しいかも知れない。

 もっともお年寄りに言わせると「量が多くて食べ歩ききれない」という声もあるよう。一杯500円ではなく、2~3千円でわんこそばくらいの容器を用意して「各テントの蕎麦を食べ放題!」なんてしたら、案外受けるのではないかと思った次第。

 これだけの会がそろい踏みをするのはなかなか壮観だけど、私もあちこち挨拶しながら味見をしたけれど、3杯が限度。蕎麦も案外量は食べられないものですよ。

 体を動かして友人、知人と話をして美味しい蕎麦にありつける。蕎麦イベントに参加することはまさにストレス解消にうってつけである。

 


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お彼岸と国勢調査

2005-09-24 23:27:10 | Weblog
 春分・秋分の日の前後一週間が彼岸である。彼岸も中日を過ぎて、一応実家へ仏壇に手をあわせに行く。

 さて今日は、
■彼岸と国勢調査 の1本です。

【彼岸と国勢調査】
 そんなわけで実家を訪ねて、仏壇に手を合わせながら両親の様子などもチェック。

 おかげさまで私の両親とも息災でなんとか毎日を過ごしているようだ。特に父親の方は、いつの頃からか町内のアルミ缶集めに連日精を出し始め、おかげで「健康のためのウォーク」どころではなく、実利を伴う歩行のためにすっかり足腰が強くなってしまった。

 お年寄りに対して「歩行は文化だ」などと説教臭く唱えて馬耳東風の憂き目にあうよりも、「一万歩歩いたら百円差し上げる」なんて方がよほど年寄りの健康保持には効果的かも知れない。

 歩くことと自分自身への利得が繋がると面白いのだけれど。

    *   *   *   * 

 実家で最近の様子などを聞いていると、これまた足腰が強くなった親父が国勢調査の調査員の一段上の指導員をするのだそうだ。

 国勢調査は統計法によると10年に一度実施されるのだが、その中間の5年目度は簡易な方法で国勢調査を行うこととされているのだそうだ。今年は簡易な方の国勢調査なので、調査項目が少なくなっているのだとか。

 市役所や調査指導員が心配しているのは、個人情報保護の機運の高まりによって、国勢調査に対する協力度合いが低くなるのではないか、ということ。

 国勢調査の調査票の書き漏れや記載ミスの修正などを行うのには、手渡される瞬間という、最も最前線で対応するのがベストである。再度問い合わせるという手間を出来るだけ軽減するに越したことはないからである。

 だから、できれば調査票回収の際にその中身を確認出来ればよいのだが提出するお宅が調査票を一緒に手渡された封筒に封をされればもう中の記載事項について確認することは出来ない。

 また仮に封をしないまま提出されても、調査員がそれを取り出すことは出来ない。「中身を確認してもよろしいでしょうか」という調査員側の申し出に対して「結構ですよ、どうぞ」と言われたときでも、「それではご自身で取り出して頂けないでしょうか」と依頼して提出者本人の意志で見せてもらうように指導されているのだそうだ。

 アパートの住人など、地域との関係性を好まない住民も増えてきているところに加えて、個人情報保護の気運の高まりで、提出拒否の姿勢や提出するにしても封をして提出される世帯が前回よりは格段に増えるだろうと予想されている。

 いざ開けてみてから内容の不備を再チェックし、調査の精度を上げるのは大変な作業に違いなく、市役所や調査指導員には相当な負担になることだろう。

 国勢調査に答える義務については、統計法5条で謳われていて、その内容は、「政府、地方公共団体の長又は教育委員会は、指定統計調査のため、人又は法人に対して申告を命ずることができる」というものである。

 また、5条の2では「前項の規定により申告を命ぜられた者が、営業に関して成年者と同一の行為能力を有しない未成年者若しくは成年被後見人である場合又は法人である場合には、その法定代理人又は理事その他法令の規定により法人を代表する者が、本人に代わって、又は本人を代表して申告をする義務を負う」とされている。。

 大事な統計調査に協力することは個人情報保護の精神に反するものではなく、国民の義務と言えるだろう。

 そもそも社会の現状をありのままに把握し、この社会の変化を正しく認識することは私たち自身が安心、安全に生活をする上で必要な情報という社会資本と言える。
 

 だからこそ、一人一人が協力してこの形成に努めなくてはならないのだ。マスコミなど社会に対する影響力のある機関は、個人情報保護の意味ばかりを訴えるのではなく、その意味するところを正しく伝え広く国民に対して調査に協力するように呼びかけることが本義だろう。

 こういうことに強い気持ちで協力する住民の気風や気質、気概なども社会資本なのだと思うけれど、目に見えないものにはとんと関心が寄せられないのが我が国の国民性の悲しいところ。

 さて、わが家にも調査票が届いた。そろそろ陰で苦労している人たちの事を重いながら記載を始めるとしますか。

    *   *   *   * 

 書き込むのが遅れましたが、明日の日曜日は浦臼でぼたん蕎麦収穫祭です。天気は良さそう。大勢の人手に恵まれそうですよ。   
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「よみがえる二宮金次郎」~報徳の衰退理由

2005-09-23 23:43:49 | Weblog
 雨のち晴れの秋の一日。そろそろ気温の低い日が出てくる季節となりました。

 大雪山でも初冠雪が観測されたとか。だんだん秋が深まって行きます。

 さて今日は、
■「よみがえる二宮金次郎」を読む の1本です。

【「よみがえる二宮金次郎」を読む】
 最近二宮尊徳に触れる機会が多かったので、つい書棚から榛村前掛川市長の編著による「よみがえる二宮金次郎(清文社)」を改めて読み返してみた。

 榛村さん一流の報徳思想の解釈もさることながら、いつも感心するのは榛村さんの場合は常に始まりからの歴史観を踏まえて今を語っていることである。

 自分自身に翻ってみても、「今どう思うか?」という問いには今この瞬間感じたことや考えていることを話せばよいので、それは比較的簡単なことである。

 しかし「どういう歴史的な流れと認識した上で、どう思うか?」と問われたときにはその歴史について一定の勉強をしてしっかりした歴史観を自分の中に押さえておかなくては今にたどり着くことは出来ないのだ。

 榛村さんを「大変なアイディア市長さん」と呼ぶことは彼のある一面を表していて決して間違いではない。しかしもっと他人の及ばないところは、その発言の一つ一つのために何冊もの本を読み、その上でしっかりした歴史観を自分の中に持ち得ていることだと思う。

 何か一つのことを新しく勉強しようと思うと、大抵の教科書はその歴史から導入して、今に至る過程を説明するところから入るものだ。

 ある分野の「歴史」にはそういう過去の積み重ねの結果という意味があるのだけれど、そのことを意識して教えたり、あるいは意識して学ぶという姿勢が少ないことは残念なことだ。

     ※    ※    ※    ※

 そんなことを思いつつ、榛村さんの歴史観によって「なぜ今日報徳が衰退したのか」ということについて、彼は三つのことがらを指摘している。

 その一つ目は「政治力の喪失」であるという。

 すなわち大日本報徳社の二代社長岡田良一郎は衆議院議員を二期四年、三代社長岡田良平は文部大臣を二度、五年務め、四代社長一木喜徳郎は内務大臣、宮内大臣を八年務めた政界の大物であり、報徳運動は、明治、大正、昭和の初期に、勤勉という新しい名の徳目で、新しい経済思想をリードしつつ、政治に結びついたのだが、そのことで第二次大戦への協力者ととらえられてしまった。

 そのことが敗戦後、一連の価値観や道徳観の喪失によって、報徳思想そのものが深く傷ついた大きな理由であるという。

 その二つ目の理由は財政力の衰弱だという。敗戦で満鉄の株などが紙切れとなり、戦後のインフレで各地の報徳社も本社も、その貯めた金融資産の価値を落とし、さらに昭和五十年以降は頼りだった報徳社の社有林も林業不振で価値が下がってしまったことである。

 そして第三の理由は、価値観の変質だという。昭和三十年代半ばからは高度成長経済のかけ声の下で、「報徳の教えなどもう古い」ということになり、オイルショックの時にわずかに見直される機運も見えたものの、再びバブル経済の時に忘却の彼方に追いやられてしまったかのようである。

 以上が榛村さんが指摘する報徳思想の衰退の三大理由である。

 しかし敢えて私がそれに何かを加えるとしたら、「農と都会の乖離」とさらには「農業そのものの変質」があげられそうである。

 「農と都会の乖離」は、都会生活あるいは都会生活者という存在が農業者・農村居住者というものと全く異なる生活様式をもたらし、しかもそれが今日の国民の七割が都市に住んでいる社会においては、その互いの性格を引き離しつつあるという現実があるのだと思う。

 報徳思想の根元的立場はやはり「農業こそが大本」というものであるので、農業や農を知らない都会人にとって身近なたとえ話が通じない時代へと変化してきたと言えるのではないか、という問題意識である。

 二つ目の「農業そのものの変質」という点では、小作人という専業農家に対する生活の知恵、生活の徳目を説いた報徳思想が、兼業農家が増えてしまった農業者の構造変化や、機械化や高度化などの農作業、さらには協同組合の組織化によって農業者の生活の安定機構が揃い、報徳の精神性によらなくても、日常生活が営みやすくなったということもあるのではなかろうか。

 そう言う意味では、今日報徳思想は農民・農村に対して尊徳の行った「仕法(救済方法)」を今日の都会生活や、現代社会に対して適合する新たな『実践的手法』として再構築しなくてはならないのだろう。

 ところが、現代社会は本来なれば立ちゆかないはずの収支の不均衡を「借金」という形で将来につけ回しし、さらには一般の国民までがローンやクレジットというカタカナ語をあたかも美徳であるかの如くに勘違いしてしまっているのである。

 借金が出来なかったり、恥ずかしいという価値観があればこその報徳思想であるが、その根元であるタガを緩めて緩めてもう戻らなくなってしまった今日、それが当たり前の民衆にとっては報徳の真実や叫びも単なる「説教集団」でしかないのかもしれない。

 人心の荒廃を耕して目を開かせる力が、政治家にも親にも社会にもないというのは本当に恐ろしいことだ。

    ※    ※    ※    ※

 先に紹介した「現代語抄訳 二宮翁夜話」には「積善の家には余慶あり」という項が紹介されている。

 尊徳先生曰く「方位によって禍福を論じ、月日によって吉凶を説くということがあるが、全くばかげた迷信である。禍福吉凶は自分の心と行いが招くところにやってくるのであり、また過去の因縁によってやってくるのである」

「強盗は鬼門から入ってくるのではないし、悪日にだけ来るものでもない。戸締まりを忘れたから来るのである。火の用心を怠るから火事になるし、家の戸を開けておいたら犬が来て食べ物をあさるだろう。これは明白だ」
「古語(易経)に、『積善の家に余慶あり。積不善の家に余殃(よおう)あり』と言って、前項を積み重ねた家には必ず子々孫々に幸福が及ぶものであり、不善を積めばその家は後世まで災禍を受けるものである、と教えている。それは米をまくから米が実り、麦をまくから麦が実るのと同じ事だ」

「しかし余慶も余殃もすぐにやってくるものでもない。百日で実る蕎麦があれば、秋にまいて翌年の夏に実る麦もある。『桃栗三年柿八年』と言うように、因果や応報にも遅い早いがあるということを忘れてはならない」

 現代社会に済む我々が後世のために推譲(ゆずること)をせずに、後世からむさぼっているとしたら実に恐ろしいことだと言わねばなるまい。

 報徳の思想を今日的実践に通じせしめる実践項目とは何か?それが問題なのだ。

 うーむ、今日は思わず力がはいってしまったぞ。
 
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譲る心~「二宮翁夜話」を読む

2005-09-22 23:41:29 | Weblog
 テレビの二宮尊徳の紹介に誘われるようにして買った「二宮翁夜話」の本に読みふけっています。
 感じるところが多いね。

 さて今日は、
■「二宮翁夜話」
■ちょっとした危機管理 の2本です。

【「二宮翁夜話」】
 二宮尊徳の報徳の教えの根幹は、「至誠」「勤労」「分度」「推譲」という四つの徳目に表されている。

 至誠とは誠意を尽くして生きると言うこと、勤労とは真面目に働くという実践の進め、分度とは分をわきまえて生きることであり、収入を計りその範囲内で生活をせよ、という教えである。

 その上で報徳では「推譲」という、「譲れ」ということを非常に大事な徳目として考えこれを推し進めている。

 この本の中に「譲道あるからこそ」という一節があって、そこでは「禽獣は欲しいものを見たら、すぐにそれを取って食う。取れるだけの物を遠慮なく取って、譲るということを知らない。草木もまた、根が張れるだけ土の中をどこまでも張っていく。これが禽獣・草木の生き方だが、人がこのような生き方をすればそれは盗賊である」とある。

「人は、禽獣・草木と違って米が欲しければ田んぼを作り、豆腐が欲しければお金を出して買う。人道は天道とは違い、譲道によって成り立つものなのだ」

「『譲』とは、今年の物を来年に譲り、親は子のために譲るということから成り立つ道である。天道には、譲道はない。人道というのは、人の便宜を図って立てられたものだから、譲心を忘れると奪心が生じてしまう」

「禽獣に譲心が宿ることはなく、これが人と禽獣の違いである。田畑は一年間耕さなければ荒地になる。荒地は百年経っても自然に田畑になることはないのと同じ事である」

「あらゆることを自然に任せれば、全て荒廃する。これを荒廃しないように勤めることを人道とするのである。人が着る着物も、家の柱や板、その他白米、麦、味噌・醤油の類が自然に田畑や山林で出来るものではない。だから、人道は勤めてつくることを尊び、自然に任せて荒廃していくことを憎むのである」

「熊や猪などの力が強力であることは言うまでもないが、彼らが一生その力を使っても安堵(あんど)の地が得られないのは、譲ることを知らず生涯自分のためにだけ尽くすからその努力は報われないのである」

「だから人であっても譲道を知らず、勤労しなければ禽獣同様に安堵の地は得られないのである。したがって人たる者は知恵はなく力は弱くても、今年の物を来年に譲り、子孫に譲り、他に譲る道を知って、それを良く実行すればその努力は必ず報われるのだ」

「その上にまた人には、恩に報いるという心がけがある。これまた知らなければならないし勤めなければならない道である」

     *   *   *   * 

 二宮尊徳は、自然任せに放っておくとものごとは天の理の通りになるけれど、それは人の道とは違うということを明確に言ってのける。

 自然保護や教育においてもどこか通じるものがあるのではなかろうか。


【ちょっとした危機管理】
 知人のところで、「こういうことをしたい」「それは組織規定上できない」「こんな大事なことがなぜ出来ないのか」「それなら組織を使わず自分でやればよい」といったような見解の相違からちょっとしたトラブルになっているとのこと。

 メールのやりとりでもそうだが、文書を媒介としてやりとりをすると細かな思いや本当のところやどうでもよいところなどが通じず、お互いに誤解を生じやすいものだ。

 そんな誤解などから思いが通じず物事が進まないというトラブルも、言ってみればちょっとした危機で、危機が生じたときには危機管理の仕方もあろうかと思う。

 人や文書を介さないで直接会えば良いものを、やりとりを繰り返して時間をかけることで状況を悪化させてしまうことも多いものだ。

 トラブったときはすぐに素直に周囲や上司に相談するのが良かろう。我が身に振り返ると、そういう情報が入りやすくすると言うのも現代社会を生きて行く上での処世術でもあるだろう。

 時間でも思いやりの言葉でも、少し譲るだけで、もう少しだけ世の中はうまくいきそうだけれど。 
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水土里のシンポジウム

2005-09-21 23:27:14 | Weblog
 週の半ばで、今日はやたらに人に会う一日でした。こういう日もあるものです。

 さて今日は、
■人に会う一日
■100万人都市水土里(みどり)のシンポジウム の2本です。

【人に会う一日】
 今日はやたら人に会う一日だった。何気なく毎日を過ごしていると、やたら人に会う日があるかと思うと、まったく誰にも会わない日があったり、お金が入る日やお金が出て行く日があったりするものだ。

 こういうのが星占いや高島暦などで法則化されているのだろうか、とはときどき思うのだが、いまだにその法則は分からない。

 まあ一寸先が分からないからこそ、今を一生懸命生きよ、ということなのだろうけれど。

    *   *   *   * 
 
 まず手始めは、JR北海道の本部をお訪ねして某幹部とお話をする。この方は以前ある会合で、「北海道観光も九州や東北のように地域が一体となった取り組みが必要なのでは」という趣旨の発言をされていたので、その具体的な情報をお持ちではないかとお訪ねをしたのである。

 この某幹部、「具体的にどうこう言うよりも、やはり道観連のようにそれをやるべき組織がしっかりと勤めを果たすことだとは思いますがね」と苦笑い。

 私からも「そろそろ開発局も、地方自治体行政の延長としての観光行政と平行して、六期北海道総合計画の実現という観点からの観光行政に関わって行かなくてはならない時代になりつつあるのではないか、と思っています」と伝えると、

「私は傍目から見ていて、開発局さんも道観連と一緒になってプレイヤーとしてご活躍出来ないものか、とは思います。組織が違うといろいろと難しいのでしょうが、各自がばらばらにやっていると、やはり力が分散してしまうように思います」とのこと。

 プレイヤーという言葉は重い。観客でいる限りお気楽で、同時に所詮いくら怒ったりわめいたりしても力にはならないものだ。

 しかしプレイヤーになれる資格を持っている者は案外限られているのであって、その限られたメンバーがプレイヤーであることを自覚し、能力の限りを尽くさなくては思いは実現しないのだ。

 「意志」と「能力」と「資格」の三点セットを備えるのが難しいのである。
 
    *   *   *   * 

 そんな話をして次にお訪ねをしたのが(財)北海道報徳社。

 掛川の助役時代も何度かお訪ねをしたのだが、こちらへ帰ってきてからは初めてで随分ご無沙汰をしてしまったものだ。

 先日のNHKでの二宮金次郎の番組が当然話題になり、「NHKが尊徳を取り上げてくれて良かったですねえ」と言うと、「いや、ここまで持ってくるのに、つてをたどってお願いしてきましてねえ。二年かかりましたよ」という裏話。

「そうですか、やはり陰ではいろいろと努力していらっしゃったんですねえ」
「本当は大河ドラマにしたかったのですが、『女性の姿があまり話題にならないのでだめだろう』と自分たちで笑っていましたよ。6月に放映の知らせが来ましてね。楽しみにしてました」

「ところで、先日美瑛へ行った際に、一括集荷のシステムがきつくて地産地消と言うけれど地場の産物が地元でなかなか食べられないという話を聞きました」と言うと、
「それがまたいろいろあるんですよ。農協なども先に販路に載せて納める数量を約束するわけですから、安定的に集まらないと困ってしまうわけです。一方で『自分で販路を拡大する』という農家の方も、いざ豊作で値崩れしたりするとどこも買ってくれなくなってやはり農協に頼らざるを得ない、という図式になってしまうのです」

「なるほど、意欲のある農家の側からだけ見ても間違いになりそうですね」
「実際、自分で数多くの販路を開拓しても、代金回収が出来なくて農協に泣きついてくる例だとか、ひどいのは詐欺まがいで破産しかねないようなことだってあるのですよ。農協組合員資格だって退会することは出来ますから、本当に独立独歩の覚悟を決めたのなら、そういう道はあるのです。でも良い農産物を作るのに力を使ってしまって、自分で販路を拡大したり代金回収をするというのはなかなか難しいようですね」

 自立した農家と、地産地消、新たな販路拡大など、リスクと安定と収益とのバランスが難しいところだ。
 
 こういうことをさらに支えるようなシステムが何かあると良いのだが。


【100万人都市水土里(みどり)のシンポジウム】
 今日は共催ホールでこのシンポジウムがあるというので楽しみにしてきたのである。

 開発局や水土里ネット北海道などが主催するこのシンポジウムでは農業や農村の資源価値をもう一度考えようというお話を様々な人たちからの意見で構成しようと言うのだ。

 最初には北海道じゃらんの編集長であるヒロ中田氏と林美香子さんのお二人によるトークショー。

 ヒロさんからは「これからの地元農業を『食べ支え』て、馬文化は『馬券を買い支え』ましょうよ」という面白い切り口。

 馬券もはずれたと思うと悔しいけれど、寄付をしたと思うと気持ちがすっきりするのでは、とのこと。なるほど、赤鉛筆を加えたおじさんはみなそういう気持ちなのに違いない(笑)。

    *   *   *   * 

 続いて東大の生源寺先生からは「農業、農村の資産と言うことを考えましょう。ものを作ること、そしてそれを売る知恵を出すこと、それらを縁の下で支えているのが農業資産です。水の利用ルールなどは干ばつのときは大変なものでしたが、人々が集まってその適正な配分を調整するという力すら、農村の資産だと思うのです」とのこと。

 先生は「最近ではこういう力をソーシャルキャピタルという言い方で表現する人もいます」ともおっしゃった。

 「しかしこれらの農業資産も身内にだけ開放されているだけではやがてもたなくなるでしょう。農家以外に、そして未来に向かって開かれた資源にならなくてはならないと思います」とのこと。

 これもまた重い課題だが、農業人口がまだまだ今の半分にまで減るだろうという予想がある中で、農村人口だけでは農業資源・資産を維持することが出来なくなると思っている人が、農村に8割以上もいる時代である。

 新たな気持ちの切り替えが必要な時期が近づいている。

    *   *   *   * 

 最後は女性4人によるパネルディスカッション。 

 最初は旭川の山川さん。彼女は都市と農村の交流活動を十年以上も続けている方で、「なかなかお金にはならないけれど、農村体験の受け皿活動を続けるうちに参加者との関係が緊密になってきました。今日も本当は稲刈りが気になっているのですが、そんな人たちが『良いよ、行っておいで。俺たちがいない間手伝ってあげるから』と言って三人も手伝ってくれているのです」とのこと。

 都会の人たちに農業の肌感覚がなければ、食料の事が分からないだろうというのを持論にしてがんばっているのである。

 続いては新得町からの湯浅さん。この方は日本で最初の酪農ファームインを経営したり、地域の環境保全のグラウンドワークを実践されている方である。

 もともと長崎県生まれでありながら、北海道へお嫁に来て今の環境に飛び込まれた方だ。「ほんの三十年前までは風呂も五右衛門風呂で、水道もなく、お湯は薪で沸かす生活でした。今はそれらが近代化したものが揃っていて、それを目指してがんばってきたはずなのに、今逆にそれで良かったのかなあ、とふと思うことがあります」

 しかしこの景観が好きでパワー溢れる活動を続けられているのだ。女性の方が力強い気がするぞ。

    *   *   *   * 

 次はおなじみ林美香子さん。彼女は全国の農の風景の取材を通じて、わかりやすく問題点を表現して提示してくださるので安心して聞ける。

 ちょっとしたアイディアのおにぎりやさんが年間売り上げ5千万円にもなるようなところも紹介してくれた。要はアイディアとやる気かな。

 最後は農水省から見えた、柵木(ませぎ)課長補佐さん。これからの農水省施策についてお話ししてくれた。

 最後に感想を求められた生源寺先生も「今日は感心してメモばかり取っていました」と感慨深げ。

 女性ばかりの会合の方が元気があって良いかもね。もっとも会場は男性ばかりが目立ちましたけど。

 女性が喜んで行きたくなるような環境や魅力、社会の意味などがもっと知られなくては農村はつらいだけの場所になってしまう、いや現にそうなりつつあるから農村人口はどんどん減少し、高齢化が進んでいるのだとも言えるのだ。

 林さんからは「新規就農にはやる気と能力と資金の三拍子が必要なのですが、このどれかが欠けている例が非常に多く見受けられるのです。なんとかならないでしょうか」とも。

 もう少し社会全体が農を支えても良さそうに思う。それは単に税金を使うことを認めるというような消極的な支持ではなく、実際にその場に立つという強い支援である。

 都市住民と農村住民とのそれくらいの関わりこそがソーシャルキャピタルとしての資源性を持つに違いない。

 そういう取り組みを地道に続ける町と、それが切り離されてしまっている町との間には、なにか大きな差が発生するように思われる。
 
 脅しではなく、ね。
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