北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

新しい年度への誓い

2011-03-31 23:45:09 | Weblog
 激動の平成22年度も今日が最後の一日。

 市役所では退職者に対して永年勤続表彰と辞令交付が行われました。

 新年度も一緒に難関に立ち向かおうと思った職員が早期退職で職場を離れていったり、定年ながらその卓越した能力を活かして再任用で残ってもらい新しいプロジェクトに挑戦したかった職員が釧路を離れることになったり、世の中はうまくいかないものです。

 しかしその分は、残って後を継ぐ立場の人たちにさらに大きな期待がかかるところです。新年度はもっとアクセルをふかします。


    ※     ※     ※     ※     ※


 さて、釧路生活も9ヶ月が過ぎていよいよ明日からは新しい年度も始まるということでこれまでの感想と抱負を述べておきたいと思います。

 これまで過ごした釧路の感想は一言でいうと「広くて大きい」というものです。まずは土地勘を養うのが大変でした。

 そして「広い大きい」というのは、単に阿寒町、音別町と合併したことで市域の面積が全国第6位であるということ以上に、水産業、港湾流通、石炭など普通の町にはない産業があったり、港や空港などの特別なインフラも一通りそろっていること、さらには阿寒国立公園と釧路湿原国立公園という二つの国立公園を有することで観光にも力が入っており、関係者が多様でしかも多いということに尽きるでしょう。

 歴史的にも道東随一としてとして発展してきたことから、釧路支店や釧路支部といった形で様々な団体が釧路を拠点にしており、そのために人に会う機会や会合が実に多く催されます。

 これら数多くの人たちと実際に会って肝胆相照らしあって信頼を築くのには実は時間のかかる話。しかし信頼関係が成立しないと物事はなかなかスムースに進まないのであって、まずはそのあたりの基礎を固めることが大事でした。

 この作業に終わりはないけれど、これからも少しでも多くの現場を見て土地勘を自分のものとし、多くの人に会うことで人間関係を広げなくてはなりません。まだまだ道は半ばです。


    ※     ※     ※     ※     ※


 もう一つは、行政と市民の間がまだまだ遠くて距離があるという感覚。

 述べたように市の規模が大きいためになかなか実現できないのかもしれませんが、もっと市の幹部や職員が市民の中に割って入って行って今このまちで何が起きていて、これからどうなるのか、という感覚を話し聞いてもらっても良いように思います。

 この半年は財政健全化プランを打ち立てるために市民説明会を数多くこなして、これが市財政の現状を説明する良い機会となりましたが、苦しい財政問題だけではなく市民の皆さんに訴えたりお知らせしたりお願いしたいことはもっともっと多いはず。

 また、市民団体やNPO団体などとの関係性ももう少し頑張れる余地があるようにも思います。

 人口減少で経済的にもなかなか上向かない昨今ですが、それを打破できる数少ない手法こそ「生涯学習」の機運を盛り上げること。

 ここでいう生涯学習とは、単にお年寄りの趣味的なものにとどまるのではなく、市民一人一人がわが町に興味と誇りを持ち、町を楽しみ、自分たちは今何ができるかを考えて実践に移るという意味です。

 そのためにも、もっと実際にたくさんの人に会ってお話をする機会をもって説いて回るしかないわけですが、まずはその機会を増やしたいところ。

 今はあちこちにお願いをして原稿を書いたりお話をする機会をたくさん作ろうと思っているところです。

 生涯学習の種子は釧路の土壌で育つのでしょうか。白けてあきらめてしまっている人たちの心をどれだけ耕すことができるか。

 明日からの新しい年度にあたって自分自身を省みて戒めたいと思います。



                 【米町公園からの夕日】
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彫刻家、佐藤忠良さんが亡くなられました

2011-03-30 23:37:54 | Weblog
 彫刻家で具象彫刻の大家である佐藤忠良さんが亡くなられたという報に接しました。

 佐藤忠良さんと言えば品のある女性像が有名で、幣舞橋での四人の乙女の像として、『道東の四季・夏』の作者として釧路へも多大な貢献をしてくださいました。

 ご出身は宮城県ですが、幼い時に夕張町(現在の夕張市)へ移られて、高校は今の札幌西高をご卒業されました。北海道には縁の深い芸術家で、道内では釧路のほかに旭川の買物公園にも《若い女・夏》が展示されています。

 佐藤さんの作品は親しみやすくて全国に数多く展示されていますが、私のいた掛川にある資生堂アートハウスにも《若い女・シャツ》と《女・夏》の二作品があったのが思い出されます。懐かしいなあ。


    ※     ※     ※     ※     ※

 
 享年98歳とのことでお疲れ様でした。

 今日は歓送迎会がありましたが、お店では例の「くしろ夕日ハイボール」を出していただきました。 

 釧路の夕日は、オレンジに輝きながら落ちてゆく太陽だけでなく、港や船、そして幣舞橋とそれに飾られた乙女の彫刻といった添景物が実によい味を出しています。

 このハイボールのためのオリジナルジョッキのイラストは幣舞橋に飾られている佐藤さんの夏の乙女の像があしらわれていて、釧路をイメージするイラストのベストショットというわけです。



                 【夕日ハイボールオリジナルジョッキ、イラストが印象的】


 夕日ハイボールのジョッキを傾けながら佐藤忠良さんのご冥福をお祈りしました。

 ちなみに、今日の夕方幣舞橋を通りかかった時に車を止めてイラストに近い形で撮ったのがこの写真。

 釧路の夕日は今日もきれいでした。 


                 【幣舞橋の夏の乙女と釧路の夕日】
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人口減少とコンパクトシティ

2011-03-29 23:45:54 | Weblog
 昨日は札幌で都市計画学会北海道支部の勉強会に招かれて、釧路のまちづくりについてお話をしてきました。

 話題の中心は、「人口減少化におけるコンパクトシティの意味」ということ。人口が減って経済がなかなか上向かない中では、かつての人口増加局面での街づくり手法はもはや通じません。

 人口が増えることで土地に対するニーズが増加し、原野を市街地として整備してそこに様々な建築が広がって建設それ自体も経済を拡大させさらに土地の価値が上がることで地域の価値が上がるというのが人口増加局面での経済成長の図式。

 経済が成長するから市税も増えてさらに都市整備にお金を使うことができ、市全体の価値も上がってきたのでした。

 もちろん釧路市の場合は、石炭産業が力強く石炭の売り上げと地域雇用が力強かったこと、また水産業の水揚げとその周辺産業の好調が続いてきたこと、さらには釧路三大産業である紙パルプも好調が続いてきたということで、人口増加をもたらす要因もあって地域経済は好調な時期が続いてきました。

 しかし、石炭産業が国の産業政策としては一定の役割を終えて規模が大幅に縮小し、また200海里問題を境に水揚げも次第に減少。これらの産業が地域経済を支える力が減りはじめ、そこへ人口減少局面を迎え始めたというのが今の釧路の現状なのです。

 実に難しい局面です。 



                 【釧路の人口推移と主な出来事】


 特に、不動産に対するニーズが減ったことで建築物の所有者が金融ファンドを転々とし、ついに持ち主が行方不明になるという事態も増えています。

 空き地であればまだ後に使いやすいのですが、こうした『主無き建物』が残ると民間財産の権利処理に加えて除却のために多大なお金がかかるのでその後の地域づくりが難しくなるのです。



    ※     ※     ※     ※     ※


 従って、地域のまちづくりをしっかりと行うためには、①人口によらないしっかりとした経済を立て直す、②人口減少によって市の収入が減少しても耐えられる施設計画・施設管理計画を打ち立てる、ということが考えられます。

 しかし①の経済立て直しは、狙ってできるとは限らず地道な取り組みを継続してゆくしかありません。

 ただ、②の施設管理費にかかるお金を軽減する措置は市民とともに頑張ればできそうです。これがコンパクトシティや公有資産マネジメントといった取り組みが必要な理由です。

 コンパクトシティは、市街地が大きく広がってそのために学校や公民館、福祉施設などの配置や数も増えてしまっているのをいくつかの核的エリアに集約させてゆこうという考え方で、買い物や行政手続きなどをできるだけ近場でできるような都市配置にしようというものです。

 ところがこれがまた、自家用車などの移動手段を持っている人にとっては近くても遠くても構わないわけで、「別に近くにお店がなくたって、ドライブがてら遠くのショッピングセンターに買いにゆくからいいよ」と言う人が多いのも事実。

 そしてその逆に高齢者や障碍者などの自由な移動手段を持たない人たちにとっては、近くにお店がなくなると死活問題。つまりコンパクトシティも、やってほしい人たちとどうでもよい人たちという市民が二分されることにもなるのです。

 しかも人口減少化で土地の値段が上がらなければ、かつてのような再開発や区画整理などのまちづくり手法は力を発揮できません。

 市民ニーズに基づいた都市改造がエンジンになるとすれば、今後は福祉政策や住宅政策、さらには魅力的な学校を作るなどの取り組みを地道に行うしかなさそうです。


    ※     ※     ※     ※     ※


 一方、今保有している施設については修繕や建て替えなどの今後の予定を精緻に積み上げて、お金のかかるタイミングを調整しながら施設の統廃合や機能の融合を図るしかないでしょう。

 それが公有資産マネジメントと呼ばれる取り組みで、これからは中期的な展望をしっかりともった施設管理計画を立てることで管理経費の削減を図らなくてはなりません。

 今分かっていることを明らかにして、市民の皆さんと問題意識を共有しながら対策を地道に行うことが重要です。 

 地方の課題が多い都市こそ、課題先進都市であり同時に解決法先進都市になりたいものです。


【宮城県へ派遣の給水支援部隊】
 
 3月21日に釧路を出発し、仙台で給水活動を続けてきた第一班は昨日第二班と交代し、現在船で釧路へ帰還中。交代した第二班は、第一班とは給水箇所を変えてさらに給水活動を継続していますが、インフラも復旧が進みつつあり、4月1日に期間の予定とのことです。

 さて、昨日は市の水道課に仙台市のお年寄り(女性)から電話があったのだそう。
 電話の内容は、「小学校で給水を受けているとき、給水車に釧路市上下水道部と書かれていたので電話をしました。『北海道からこんなに遠くまで、支援に来てくれているのだと、嬉しかった。何も御礼ができないけれども、一言感謝を伝えたかった』とのこと。

 給水部隊では改めて「派遣して良かった」と喜んでいます。

 これからは下水道職員の派遣局面を迎えます。また釧路の名を高らしめるべく奮闘を期待しています。




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くしろ夕日ハイボール~サントリーさんを訪ねる

2011-03-28 23:59:11 | Weblog
 夕方にサントリーの北海道支社長さんを訪ねて、釧路のご当地ドリンクである『夕日ハイボール』のお礼とご挨拶をしてきました。

 個人的には、「よくぞこれだけの完成度で仕上げたなあ」と感心している夕日ハイボール。今回の企画の若い担当者もご紹介していただきました。

「実は私はハイボールをあまり美味しいと思って飲んだことがなかったのですが、この夕日ハイボールのグレナディンシロップは女性にも受ける味ですし、何より色が釧路の夕日をイメージして良いですねね」
「ありがとうございます。サントリーではこういうドリンク開発部隊もあって、様々なニーズに答えるドリンク作りをしています」

「今回のくしろ夕日ハイボールはご当地ドリンクの第一号と伺いましたが、第二弾以降の計画もあるのですか?」
「この震災でちょっと話が止まっています。しかし、例えば梅の花が有名なところだったら梅の色に梅の味を付けたドリンクとか、いろいろなご当地性が考えられますね」

「今回は釧路市内の180店舗でこの夕日ハイボールを提供してくれることになりましたがすばらしい協力体制を作られましたね」
「ええ、今回はJCの皆さんが全面的に協力してくださったおかげで、市を挙げて多くの飲食店さんにご協力をいただけることとなりました。これがただのドリンクメーカーからの提案だったらとてもここまでの広がりは生まれなかったと思います」


 伺ったところによると、今回の企画では夕日ハイボールの専用ジョッキを3000個も作ってお店に配って歩いたのだそう。

 是非ともこの専用ジョッキで夕日ハイボールを飲み干していただきたいものです。


                 【夕日ハイボール、再び】


【こちらも】
 「ご当地ドリンク誕生」 http://bit.ly/e9JVkc

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リダンダンシーとは何か

2011-03-27 23:18:41 | Weblog
 3月14日に入籍を済ませて同居を始めた娘夫婦の家を訪ねました。

 「新生活はどう?」と訊いてみると、「東北関東大震災の影響で注文した家具の到着が遅れています」とのこと。やはりいろいろなところで多かれ少なかれ、影響は広がっているのが分かります。

 新しい息子に「会社の方に被害や影響はなかったのかい?」と訊いてみると「幸いにして直接の被害はなかったのですが、山梨の工場を宮城県に移そうという動きがあったのが白紙に戻りました」とのこと。

 もしそちらに動かしていたら、と思うと被害を受けた方々には申し訳ありませんが、助かった思わざるを得ません。

 こうしてみると、特にインフラ系の仕事に携わる者は、津波など自然災害に対する備えを今一度考えなくてはなりません。


      ※     ※     ※     ※     ※


 静岡県の静岡市と富士市の間に「由比ヶ浜(ゆいがはま)」という地名の場所があります。

 ここは、地図で見ると分かるように、東海道新幹線と東海道線、国道1号線、東名高速道路という日本の東西の大動脈の幹線交通が幅わずか500mの間に集積している場所です。

 もしここが今回のような地震や大津波に襲われてダメージを受けると、被災地への救援はもちろん、それ以外の地域への物流が一気に途絶えることになり大変不安を感じています。


                 【静岡県由比ヶ浜はこのあたり】


                 【由比ヶ浜の近景】

 国土計画では、よく「リダンダンシー」という単語を使いますが、これは「余裕」とか「ゆとり」といったことを表します。

 そして、特に国土計画上では、自然災害等による障害発生時に一部の区間の途絶や一部施設の破壊が全体の機能不全に繋がらないように,予め交通ネットワークやライフライン施設を多重化したり,予備の手段が用意するという意味で使われます。

 そういう意味では由比ヶ浜地区の災害あるいはともすると敵国によるミサイル攻撃などへの国防上の意味も含めて、リダンダンシー確保は非常に重大です。

 そしてそういう意味も込めて第二東名高速道路が計画され現在鋭意工事中なのですが、費用対効果の議論や高速道路を取り巻く様々な議論の中で完成年次が後ろ後ろへとずれているのが現状です。


 私がいた掛川でも、天竜浜名湖鉄道という第三セクターによる単線の鉄道が走っていますが、これも国防上東海道線を破壊されたときの代替輸送路として終点駅を変えたという歴史を持っています。

 昔の人もそれなりにリダンダンシーを考えてはいたのですが、安全な日々が長続きする中で効率化が優先されがちになっています。

 効率化を優先すると、どうしてもいざというときの補助的な役割は軽視されがちです。経費の負担といざというときの安全性をどう考えるか。

 平時にこそ議論が求められます。 

 
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これがハーバード流

2011-03-26 23:34:38 | Weblog
 札幌で知人と久しぶりに夜飲みながら情報交換。

 昨年知り合ったAさんは、実はアメリカのハーバード大学へ留学の経験があるのだそう。これはすごい、日本のエースじゃないですか。

「ハーバード大学で勉強をしていて印象的だったことは何ですか?」
「講義のクラスは100人くらいで聞いているのですが、先生が『どう思う?』と学生に振ると何十人もから一斉にハイ、ハイ、ハイと手が上がるんです。まるで小学生並みですよ」

「自分の意見を言わないといけないんですね」
「そう、そしてそこでの発言の質と量が全部教官にチェックされているんです。クラスには多分その発言をチェックする人が何人かいるみたいで、どれくらいのレベルの発言をどれだけしたかが、最終的な評価の一定割合に反映されます。テストの成績で何割、普段の授業での発言の質と量が何割…というように。だから普段の授業でも気が抜けなくて、話すのが少し苦手だったのでとても苦労しました」

「なるほど、日本だと最終的にテストで及第点が取れていれば良くて、普段の授業態度は明確に評価の対象にはなっていないでしょうからね」

 普段の態度を専門にチェックする人までおかれているとは、人を評価するという考え方の違いでしょうか。


    ※    ※    ※    ※


「ほかにはいかがですか」
「ハーバードでは授業も多岐に亘っているのですが、『ブラウンバッグ・ランチセミナー』というのがあって、これがまた非常に面白いんです」

「ブラウンバッグってなんですか?」
「これはファストフードやいわゆるコンビニみたいなお店で昼ご飯を買うと茶色の紙袋に入れてくれるので、そうした軽いランチを持ち寄って昼ご飯を食べながら行われるセミナーなんです。ところがそのセミナーの講師が各界の著名人で、なかには元大統領までいるのですが、そんなセミナーが週に3回も行われているんです」

「元大統領まで平気で呼べるというのがすごいですね」
「はい、そしてそこでの意見交換で意気投合すると、すぐにメール交換もできたりするという実にフランクな感じです」

「なるほど、アメリカの人材育成への取り組みの工夫や仕方が分かったような気がします」


    ※    ※    ※    ※


 以前、NHK教育TVで「ハーバード白熱教室」としてハーバード大学のサンデル教授による「これから『正義』の話をしよう」という講義の様子が放映されて話題になっていました。

 学生がぽんぽんと意見を言い、自分に刺激を受けながら自分の意見を言う。

 こういうスタイルで自己啓発を行うことがいろいろな職場や団体にあってもよさそうです。ハーバード並みとは行かないまでも、地域で活躍している様々な人たちの話を聞いて自分の関心の領域を広げてみる。

 できるところからやってみたいものです。 
 


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阿寒湖旅館組合でも受け入れ態勢

2011-03-25 23:34:31 | Weblog
 被災者受け入れについてのさらなる動きです。

 今般の地震や津波で被災された方々に関連して、災害救助法に基づいて被災県から各都道府県に対して受け入れの協力依頼があった場合には積極的に受け入れて欲しい、という文書が全国旅館ホテル生活衛生同業組合連合会を通じて、厚労省と観光庁から出されたそうです。

 これを受けて道庁では全道のホテル旅館生活…組合に対して受け入れ可能な施設と部屋数などを調査。阿寒湖温泉旅館組合でも早速協議をして600室、2000名まで可能と回答をしたそうです。

 被災者受け入れの流れは、被災県から北海道災害対策本部へ被災者受け入れの要請があり、上記全道で事前に登録してあるホテル旅館に対して受け入れの依頼が来ます。

 現地までの被災者の移動については国の責任において手配をし、被災者を現地まで連れてきてくれるのだそうです。

    ※    ※    ※    ※

 受け入れるホテル旅館では、適宜部屋割りをしてお世話をしますが、その際には一人一泊三食5千円を国と道で負担してくれることになっています。

 とりあえずは4月30日までの受け入れ態勢の調査と言うことで、5月以降は別途調整をすることになっています。

 ポイントは都道府県において調整をすると言うことなので、個別に市や親戚、あるいは直接現地のホテルに連絡をしてもダメで、その際は道庁あるいは地方振興局に連絡をして調整をして頂かなくてはなりません。

 実際に被災をした方については被災県の役割として被災者の証明をして依頼されると言うことなので、現地で個人的に不安だからと言って個人的にやって来られても対応は難しいわけです。

 被災者と必ずしも被災者ではない人を分けて考えなくては行けないのでその根拠を「行政からの依頼」ということに求めています。


 阿寒湖畔での旅館組合での対応は方針が出されたようですが、市内の旅館組合やホテルの対応は現在調査中。黙っていても情報は入ってきませんから、積極的に歩き回らなくてはなりません。


    ※    ※    ※    ※


 ただし、ホテルでの一時的な避難であれば部屋や食事、お風呂なども満たされることでしょうが、やがて市内で自活すると言うことになると、引き続き様々な支援が必要になることでしょう。


 市民やNPOの動きも活発化してきましたが、是非ともこうした情報を共有してそれぞれの得意分野で力を尽くして頂きたいところです。

   
 橋の最終電車で札幌へ戻ってきました。途中で線路上のシカを轢いたらしくて緊急停車のうえ、10分の遅延。

 エゾシカ被害を受けたのは初めてでした(苦笑)
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釧路にとっての石炭の意味

2011-03-24 23:28:12 | Weblog
 石炭産業をめぐる懇談会の二回目を行いました。

 釧路の採炭事業は、現在(株)釧路コールマイン(通称『KCM』)が平成13年に太平洋炭鉱の施設を引き継いで、新しい採炭会社として事業を継続して今日に至っています。

 KCMでは事実上坑内掘りの最後の生き山として年間約60万トンの石炭を掘り出しています。(空知地区では坑内掘りではなく露頭掘りとして年間約70万トンを採掘している)

 これは北海道が火力発電などで使う年間900万トンの石炭のうち約6%で、坑内掘り技術の継承のみならず、『産炭国石炭産業高度化事業』という研修事業を国から受けて、中国とベトナムから技術者を受け入れて実際の坑内で研修事業を行っています。

 そしてそのことは、国の経済発展に伴って石炭を使う量が年々増えている中・越両国からも石炭を輸入する関係をバックアップする力の源泉となっています。

 しかし経済産業省からは来年で五年目を迎える高度化事業について、「国が丸抱えで再来年以降も継続することは難しく、地元経済を支えるという観点から地元でも何らかの経済的な支援なり経済振興策を考えろ」と強く言われています。

 そうした声を受けて地元の関係者を集めての懇談会ではあるのですが、釧路としては「石炭産業は一地方都市の一企業による経済活動ではなく、エネルギー調達と言うエネルギー関係の国策なのではないか」という思いを強く持っています。

 
 今般の東北関東大震災とそれによる福島原発の事故を受けて、原発による電力供給量が大幅に低下するという事態になり、原発を代替できる電力供給の手段として石炭がどのように見直されるのか、が気になるところです。

 また逆に、これまで認められていた事業についても震災復興の名のもとに減額されるのではないか、という思いもあって、原発事故を複雑な思いで眺めているところです。

 
 ただ、こちらも漫然と同じ事業で同じ額の補助金をお願いしたいと言ったところで相手にされないでしょうから、KCMによる採炭技術の安全性保持技術を国際移転するような新たな展開も模索中。

 地域エゴにならずに、国にとって採炭技術と言うものを国内の技術資産として持ち続ける方が良いのではないか。エネルギー調達先を特定のものに偏らせるよりは常にリスクヘッジのために代替的に分散的に考える方が良いのではないか、と言う提案なのですが、現在の大変な状況の政府の中でそのように受け入れられるでしょうか。

 釧路にとって日本中でたった一つの稼行炭鉱であるKCMを市民はどの程度財産だと考えているのでしょうか。 

 年度がかわればすぐにさ来年度の概算要求が始まります。我々のプレゼンテーション能力も問われています。


    ※     ※     ※     ※     ※


 東北関東大震災へ支援派遣されている応援給水班から現地報告がありました。装備が十分ではないなかで高い士気で任務に励んでくれているようです。

---------------≪ ここから引用 ≫--------------

3月24日(木)
  8時50分 定期連絡

 昨日の給水作業は20時終了。
 組合員6名は宿泊所へ戻り、水道職員3名は水道局へ終了報告。

 21時に全員が宿泊所に揃い食事。(局から支給された弁当と持参したレトルト品使用)

 5時30分起床、6時の気温-3度、はれ。水道職員3名は6時30分に水道局で打合せ。昨日と同じ場所で給水作業。(タンクに注水する班が新潟市から旭川市に変更)

・給水所状況
 昨日は朝の時点で50~60人が給水待ちで並んでいたが、今日は10名程度が並んでいる状況。

---------------≪ 引用ここまで ≫--------------


 隊員たちの無事と任務を全うして帰還することを心から祈っています。
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被災者支援準備の輪が広がる

2011-03-23 23:44:11 | Weblog
 被災者支援の輪が広がりつつあります。

 昨日は市営住宅6戸に加えて民間会社からの申し出で、小修繕で使える18戸を確保した、とお伝えしましたが、同じ会社から「少し古いけれど40戸×4棟=160戸もお貸ししますよ」という考えが伝えられていたところです。

 こちらは使わなくなってからもう十年以上が経過しているために、大きな修繕をしないと使えるようにはならない様子。今日住宅の担当者らが現場を見せてもらって、やはり設備系は大幅な修理が必要なことが分かりました。

 基本的に民間事業者の施設に市の予算を投入することはできませんが、こちらも「必要なら当方(民間事業者さん)で修繕もするし、使われた後の利用も当方で考えます」というお考えのよう。

 しかしまだいったい何人の被災者がこちらへ来るかが分からない中で160戸を用意しておくというのはいささか無謀なので、とりあえず40戸の修繕をお願いすることにしました。

 これでちょっと時間はかかるものの、6+18+40=64戸が確保できそうなめどが立ちました。

 まずは住宅が問題ですから、この準備に向けた調整を引き続き進めます。


    ※     ※     ※     ※     ※


 また、市内の不動産会社からも「空いているアパートの空き室を一時利用してもらっても構いませんよ」というお申し出や、一般の市民からも「ホームステイで何人か預かっても構いません」という連絡が入ってくるようになりました。

 またNPOの中にも独自で被災者の受け入れを考えているところが表れ始めたとも聞こえてきました。

 できればこうした情報は一元的に管理した方が良いし、行政手続きでバックアップするのはやはり市なので、市役所との連携を深めていただきたいところです。

 
 一方で、被災者の受け入れに関しては、市に移住してくるのかそれとも一時的な避難なのか、家財道具がないとするとどうやって調達するか、お子さんがいて学校へ行くことになるのか、生活資金のめどはどうか、健康保健はどうなっているか、健康支援はどうするか、一時的に市が支出するとして国や道などからの支援の見込みはどうか…などなど、様々な場合が考えられます。

 そのため、つい「もし○○だったらどうしよう」とあらゆるケースを想定して途方に暮れる感じがします。しかし今はある程度のことを予想しながらも、まずは受け入れに向けた準備を進める段階だと思います。

 社会福祉協議会や町内会などのご協力をお願いする場面も出てくることでしょう。

 まずは考えられる準備を進めておきたいものです。

 市民の皆さんが支援したくてうずうずしている感じも伝わってきます。

 そんな思いに応えるべく準備を進めていますので、「いざ鎌倉」というときにはご協力をお願いしますね。

    
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そんな時代もあったのだ~放射能にさらされた時代

2011-03-22 23:56:33 | Weblog
 大津波による原発事故が引き金となって、福島県では放射能と風評被害によって大きなダメージを受けています。

 放射能が外部に漏れださなければ良かったのですが、ひとたび漏れ出した以上周辺に大きな不安を与えるのもこれまた事実。

 当初は「○○マイクロシーベルトの放射能がぁっ!!」と言って、確かに事実ではあるけれどその意味が分からない数字をもって事故を伝えていたマスコミも、最近では放射能と健康の関係を少しは説明するようになりました。

 「背景教養を伴わない『事実』」というものがいかに有害かを如実に示す結果となってしまいました。

 そしてなお難しいのはこの背景教養を伝えるということ。分かっている人がいくら説明しても、わからないものにはちんぷんかんぷんということはしばしば起こるもの。

 情報の偏在は一朝一夕に解決しないので、だからこそ普段からいろいろなことに興味と関心を持つ生涯学習の真の意味があるのですが…。



    ※     ※     ※     ※     ※



 私が良く読む『安岡正篤 一日一言』という本の中で、「思考の三原則」という一説が紹介されていました。曰く、

 私は物事を、特に難しい問題を考えるときには、いつも三つの原則に依る様に努めている。
 第一は、目先に捉われないで、出来るだけ長い目で見ること。
 第二は物事の一面に捉われないで、出来るだけ多面的に、出来れば全面的に見ること。
 第三に何事によらず枝葉末節に捉われず、根本的に考える。

 …というものです。多面的な視点で物事をとらえたいもの。


 さらに、多くの読者を持つパワーブロガーである三橋貴明氏は、「ロジカルシンキングのために」として数値データの読み方三原則を教えてくれました。曰く、

 数字は、①割合で見る(=絶対値で見ない)、②流れで見る(=瞬間値で見ない)、③相対化する(=他社と比較する)ことが大切、というもの。

 今の放射能騒ぎもこれに当てはめてみるとどうなるでしょうか。


    ※     ※     ※     ※     ※


 さて、そんななか掛川の友人から「このブログって説得力あると思いませんか」というコメントと共に教えられたのがこのブログ。なるほどー、そういう時代ってあったんですねえ…



【続・たそがれ日記】 「放射性物質にさらされた時代」
 http://ow.ly/1sd5io

---------------≪ ここから引用 ≫--------------

(前略)

 ところで、もうすっかり忘れられているが、戦後、日本人が大量の放射性物質にさらされた時代が、かってあった。

(追記:1945年8月のアメリカ軍の原子爆弾投下による広島・長崎の被曝は、この話とはまったく次元が違います。関係の方々には失礼いたしました)

 それは、1950~1960年代。
 この時期、アメリカ、ソビエト連邦、イギリス、フランス、中華人民共和国などが、大気中で核実験(原子爆弾・水爆爆弾の爆発実験)を数100回も繰り返した。

 1963年8月にアメリカ、イギリス、ソ連との間での大気圏内、宇宙空間及び水中における核兵器実験を禁止する(部分的核実験禁止条約)が締結されたが、フランスと中華人民共和国は、その後も大気中での核実験を続けた。

 その結果、膨大な量の放射性物質が大気中に放出され、多くは成層圏にまで達し、上層の気流に乗って世界中に振り撒かれた。




「排出放射性物質影響調査:大気中核実験」
http://www.aomori-hb.jp/ahb2_08_t01_term.html
 上のグラフは青森市で観測されたストロンチウム90(Sr90)とセシウム137(Cs137)の年間降下量の変化を示している。

 1980年代後半にちょっと増えている所があるが、それがチェルノブイリ発電所事故。
 それと比べると、1960年前後が、いかにすさまじい時代だったかがわかる。  (以下略)


---------------≪ 引用ここまで ≫--------------


 原発の封じ込めの成功と、数値を改めて冷静に読み取っていただけるよう願います。


 放射能で被害を受けている福島県及びその近傍にお住いの皆様には心からお見舞い申し上げます。一日も早く平穏な日が来ることをお祈りします。
コメント (2)
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