北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

蕎麦粉ができるまで~掛川蕎麦研究会 新蕎麦の会

2009-01-31 23:57:05 | Weblog
 土曜日の朝に掛川へと出発。今日は掛川蕎麦研究会の新蕎麦の会が会員のK君邸で開かれるのです。

 掛川蕎麦研究会では一昨年から、地元の農家の土地を借りて蕎麦の栽培を始めています。毎年無農薬での栽培を謳い文句にしていますが、昨年は収穫時期にヨトウムシが発生してかなりの被害がでたとのこと。

 そのため完熟した実とやや未熟な実が混ざり合うことになりました。無農薬農業は聞こえは良いが難しいのです。

 収穫を機械で行って、一度ビニールハウスで干し取った蕎麦の実には茎や葉っぱのかけらがゴミとして混ざっています。

 そこで登場したのがK君邸にあった「唐箕(とうみ)」です。これはハンドルを回して風邪を起こすことで脱穀した実とゴミを分ける農機具。比較的重い実は近くに落ちて、軽いゴミは遠くへ飛ばされるので、実とゴミを分けることができるのです。



 動力は人力…というよりも「子ども」です。「お前には無理だから」とたしなめたり「おお、やるなあ」とちょっと褒めることで、かなり自動で動かすことができるのです。子どもエンジン、なかなか使えます(笑)。

    ※    ※    ※    ※

 こうやってゴミと選別した蕎麦の実ですが、このまま挽くわけにも行きません。それは、実の表面が土などで汚れているからで、これを磨いてきれいにする校庭が必要。これを怠ると、退いた後の蕎麦粉の味が悪くなるのです。

 蕎麦の実を磨く…、そこで登場したのがやはりK君邸にあった旧式の精米器。

 この精米器の原理は、螺旋状になった器具で米を奥へと送り込むのですが、奥の方は次第に通り道が狭くなっているので、そこを通る玄米と玄米がお互いに擦れ合って精米ができるというものです。



 現代の精米器はヤスリのようなもので表面を削り取ってしまうのですが、昔の道具は米同士を押しくらまんじゅうのようにすることで表面が削られるのです。だから玄米が精米されるまでにはだいぶ時間がかかります。

 そしてこの原理を応用して玄蕎麦の表面をこすり合わせようというのです。

 玄蕎麦を入れてスイッチを入れると、米が片方から下へ吸い込まれて行きそれが反対側からわき上がってきます。機械の中をぐるぐるこすり合わされながら蕎麦が循環しています。

 機械を掛けることで落ちた汚れは、下の容器で受け止められるようになっていて、掛け始めてから数分で汚れのカスが溜まっているのが解るようになりました。やがて蕎麦の実そのものがテカテカに光ってきました。

 思惑通りの結果になって一同大満足。こちらのK君邸は親子で農業をしているのですが、このような農機具がまだまだ残っていることに感動です。農機具って本当によく考えられていることがよく分かりました。

    ※    ※    ※    ※

 私は挽いた蕎麦粉を買ってくるところから蕎麦打ちを学びましたが、掛川の蕎麦研のメンバーは、畑を起こして種を蒔くところから蕎麦粉を作るところまでを経験した上での蕎麦打ちを実践しています。まさに研究会の名に恥じない活動でありました。

 その後には、こうして磨いた玄蕎麦を三台の石臼で挽いて、篩いにかけてより分けた新蕎麦の蕎麦粉を打って参加者一同でいただいて大満足。 



 蕎麦粉を作るのにどれだけの手がかかるかがよく分かりました。買ってくれば蕎麦粉は1kg千円くらいなものですが、実際に1kgの蕎麦粉を作ろうと思うと大変な苦労がありました。

 しかしちゃんと打てばしっかりつながる蕎麦になり、味も満足出来るものになりました。コシもあってこれなら外に出しても恥ずかしくないものです。

 蕎麦打ちにはこだわりのある人が多いのですが、ここまでこだわる蕎麦にはなかなかお目にかかることはできません。機会があったら食べて欲しいものです。
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丸井さんに思うこと

2009-01-30 23:26:39 | Weblog
 北海道では大ニュースになっているようですが、北海道を代表する老舗デパートの丸井今井、通称「丸井さん」が民事再生法を申請したという残念な知らせがありました。

    ※    ※ 【以下引用】 ※    ※

【丸井今井、再生法申請へ 消費低迷で業績悪化 ー 北海道新聞】
 http://www.hokkaido-np.co.jp/news/economic/143701.html

 経営再建中の丸井今井(札幌、畑中幸一社長)が自主再建を断念し、民事再生法の適用を申請する方針を固めたことが二十八日、明らかになった。負債総額は四百七十億円前後とみられる。同社は二〇〇五年に不採算部門を切り離す会社分割を実施。道内金融機関や大手百貨店・伊勢丹(東京)の支援で経営再建に取り組んできたが、消費低迷などで業績が悪化し、法的整理による経営破綻(はたん)に追い込まれた。

 札幌本店の営業は継続するもようだが、旭川、函館、室蘭の地方三店舗の存廃や七百六十人の社員を含む従業員の処遇は明らかになっていない。二十九日にも役員会で正式決定し、裁判所に同法適用を申請する見通しだ。

 丸井今井は経営再建に着手後、小樽、苫小牧、釧路の不採算三店舗を閉鎖する一方、旗艦の札幌本店で紳士、食品フロアなどの大型改装を相次ぎ実施して伊勢丹の運営ノウハウを注入しながら業績の改善を進め、五年後の一〇年に年商を一割伸ばして九百億円台に乗せる計画だった。

 だが、個人消費の低迷や競争激化などで売上高は、逆に下降線をたどり、〇七年七月中間決算以降は赤字に転落。〇八年一月期は約四十三億円、同年七月期(六カ月の変則決算)は約九億円の純損失を計上、自己資本は五億円未満まで減少した。

 このため、〇九年一月期(同)には債務超過に転落する恐れが出てきたほか、景気悪化で販売不振の長期化が懸念されることから、法的整理で抜本的な経営再建を目指す決断を下したとみられる。

    ※    ※ 【引用おわり】 ※    ※

 一部のニュースには利用者の声として、「子供時代から丸井さんに遊びに来ていた。休日は家族で食堂のお弁当を食べ、買い物をするのが何より楽しみで、丸井さんで買い物をすることは、市民にとってはステータスだった」といった意見を紹介していますが、残念ながらこういう人が激減したのでしょうね。

   *   *   *   *   *
 
 熱力学の世界に「エントロピー増大の法則」というのがあります。「エントロピー」とは、もともとは熱力学を語るなかでの造語ですが、『無秩序な状態の度合い』を数値で表すものとして用いられました。

 無秩序な状態ほどエントロピーは高く(数値が大きく)、整然として秩序の保たれている状態ほどエントロピーは低い(数値が小さい)と表現されます。

 そして「エントロピー増大の法則」とは、「すべての事物は自然のままに放っておくと、そのエントロピーは常に増大し続け、外から故意に仕事を加えてやらない限り、そのエントロピーを減らすことはできない」というもので、簡単に言うと、秩序だって集まっているものはばらばらに広がろうとするものだ、と理解できます。

 コップの中の水にお湯を注ぐと、コップの中は熱いお湯と冷たい水に分かれているわけではなくて、やがて混ざり合って全体にぬるくなってしまいます。また整理整頓された部屋がいつのまにか乱雑になってゆくのも同じようなもので、整理整頓をするには外部作業というエネルギーを投入しなくてはなりません。

 これと同じように、我々の社会も一定の秩序は常に壊される方向に働くもので、秩序を保ったり再編するにはエネルギーを投入しなくてはならないのです。

 買い物をする便利で楽しい場所が町の中心のデパートにしかなかった制約的な秩序は、郊外型のショッピングセンターが増大して対的な魅力を失って行きました。

 丸井さんでなければダメだった楽しいお買い物の場も、ススキノでなければダメだった飲屋街も、テレビの番組も国民的スターも、時代と共にどこでも何でも良くなってしまいました。

 人々を引きつける魅力も数少ないものから広がりを見せて、エントロピーも増大するばかりです。

    ※    ※    ※    ※

 ことほど左様に、放っておけば制約や秩序が崩れて行く時代の流れにあって、やはり放っておけない問題を、時の流れに逆らうように再び秩序を取り戻すには相当のエネルギーが必要になります。

 個人の財産や個々のお店は守れないけれど、環境や景観、町のにぎわいなどは住民のコンセンサスを取った上で、予算や資源を回すことで守っても良い秩序なのではないか、と思うのです。

 丸井さんは守れなくても、楽しい大通りの街並みという秩序は守るのが良いのではないでしょうか。

 相当にエネルギーが要りそうなのですがね。
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利き腕の文化

2009-01-29 23:42:44 | Weblog
 今夜は知人に連れられて神楽坂の隠れ家的なお店へ行きました。

 神楽坂と言えば大正時代に隆盛を誇った花街。初めてのお店はお値段が解らず不安なものですが、この知人に寄れば「お店はこぎれいでお値段もリーズナブルなんですよ」とのこと。行ったことのある知人と一緒なら安心です。

 お店の名前は日本料理の「河庄」さん。

 高級料亭ではなく日本料理のお店ということで、居酒屋のような喧噪はなくて静かな雰囲気でほっと落ち着きます。

 しかもお店の内装が素晴らしい数寄屋風の造りで、細かな造作に精緻な技が尽くされています。珪藻土の壁に天井の張り物も様々な衣装が用いられています。使われているちょっとした柱も繊細で、ふすまにはなんと葛布(くずふ)を使うという見事なこだわりです。葛布の襖ならば張り替えずに百年は保ちますから、後々には飴色の風情が出ることでしょう。

 このお店は、古い木造を鉄骨のビルに建て替えたとのことですが、きりもりするお母さんのご主人はもともと建築の職人で、息子さんが料理人になったのだとのこと。、お店の内装は飛騨まで行って、材料選びから吟味を重ねたそう。これらに囲まれての会食はとっても贅沢なものです。
 ひさびさに心地よい空間での会食を楽しめました。神楽坂に嬉しい空間を見つけました。

 

    ※    ※    ※    ※

 さて、会食の中で右利き左利きの話題になりました。基本的には世の中には右利きが多いので、左利きの人は案外有利になるというのです。

 例えばテニスなどでは、右利きとの対戦が多く、右利きの人がかけるスライスボールは跳ね方が予想出来て対応出来るのですが、左利きの人が放つスライスは跳ね方が逆になって対応が難しいというのです。

 左利きの人は普段から右利きの人と練習していて対応ができるので、そこで有利になるのだそう。なるほど、ボクシングでもそういうことがあるかもしれませんね。

 ところで日本の弓道は、もともと奥に神棚があってそこに正対する形で弓を放つというものなので、右利きが正しいのだそう。自分が左利きだからと言って、神棚に背を向けて弓を射ることはないので、弓に関しては右打ちに矯正するのが正しいようです。

 しかしネットを見ていると、「左利きでも弓道はできるのでしょうか」という質問に対して、「左でも大丈夫だと思いますよ」とか「アーチェリーにはいました」や、「全員が同じ方向を向くのが美しいので…」、「左打ちが混じると向かい合ったりしてやりづらいと思う」などといった回答があって混乱しています。

 もっとも最近は、公共の弓道場が増えて、そこでは普通神棚を置いたりすることはないので、これもまた日本の歴史的な文化を背景にした真の理由が忘れられかけているような気がします。もしかしたら指導者の人たちも解らなくなっているのかも知れません。

 利き手の文化論というのも面白いですね。 

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地上波デジタル化の裏話

2009-01-28 23:47:24 | Weblog
 ある会合で某国営放送局のAさんとご一緒しました。

 不況で民放の経営も大変そうですね、という話題で少し盛り上がりました。定額給付金に話が及ぶと話は更にヒートアップ。

Aさん「いえ、本当に、あの定額給付金で地デジ対応のテレビを買って欲しいものですよ」
私「一人1万2千円ではちょっと予算が足りないのではないでしょうか」

「それだったらチューナーだけだって良いですよ。それなら安いですもん」
「この不況で、そうした出費も控えそうですね。アメリカでもデジタル放送完全移行を延期したというニュースが流れていましたよ」

「あ、それは日本のチューナーに相当する変換コンバータを買うためのクーポンを配っているんだけど、その配布が間に合わないという理由なんですよ。延期と言っても4ヶ月ですからね」
「でも日本でも普及のテンポが遅いようですから、現実には地デジ移行が延期されるんじゃないかと思っているんですけど」

 するとAさんは無理無理!という顔をして、
「それをやったら民間は本当に潰れますよ」と言います。
「ええ?どうしてですか?」

「わが放送局もそうですが、今は民放各局もアナログ放送と地デジ放送の二つの電波を送っていて、この両方をやるための施設の経費が大変な負担なわけです」
「はあ」

「アナログ放送の施設は、2011年7月の地デジ完全移行まではなんとかメンテナンスでもたせるつもりですが、もう機材関係も耐用の限界に近づいているものも部品交換で凌いでいます。これをもう1年延期などと言われたら、機材メンテではもたないところが出てきて、新しい機材購入なんて事にもなりかねません。だから無理なんです」
「へええ、なるほど、そう言うお話は始めて聞きました」

「アメリカではチューナーを買うためのクーポンを配っているくらいですから、日本もお金じゃなくて、地デジチューナー券にしてくれると良かったのですがねえ(笑)」

    ※    ※    ※    ※

 私の大胆な予想では、二年後の地デジ完全移行がなされる頃には、日本人はテレビをパソコンで見ることになると思っています。

 今や24インチのパソコンモニターが実売で3万円を切るところまで来て、地デジチューナーも1万円を切るものが出始めました。

 あと2年もあれば、モニターはもう一回り大きな26インチ化が進み、地デジチューナーも標準装備、おまけにパソコンの記録装置もBD(ブルーレイディスク)が標準となると、数万円で録画も自由自在にできる26インチのテレビが手に入るでしょう。

 リアルタイムで見る番組はスポーツ番組だけで、あとは全て録画で対応。録画された番組を見る時は、CMスキップ機能を利用する人が増えてだれもコマーシャルを見てくれないので、テレビへの広告は激減、新たなビジネスモデルが作れるところは生き残り、テレビ局がいくつか再編される…、というシナリオです。

 実はこの流れは地デジ化とは直接リンクしていないのですが、まさにタイミング的には同じ時期にマスメディアの構造変化がやってきたということになるのでしょう。

 さてさて、皆さんのお宅では地デジ化は進んでいますか? 
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日本人の文字文化

2009-01-27 23:55:14 | Weblog
 2002年1月に共同通信は、「日本の識字率低いとNYタイムズ紙『60%の刊行物が漫画』という記事を載せたと報じたんだそう。当時の産経新聞はそれを受けてこんな記事を書きました。


 【ワシントン3日=共同】三日付の米紙ニューヨーク・タイムズは日本のアニメ文化を紹介する長文の記事で「日本では60%の刊行物が漫画だが、これは日本の識字率が低いためだ」と伝えた。

 東京発の記事は、宮崎駿監督のアニメ映画「千と千尋の神隠し」が大ヒットし、アニメや漫画は日本で世代を超えて親しまれていることなどを紹介。日本の識字率が低いのは「日本語の文字を学ぶのが難しいため」と説明している。

 米国務省の各国紹介資料によると、日本の識字率は99%で最高水準となっている。記事の筆者は 取材に対し「日本で漢字の多い長文の本を読む能力が落ちていることを言いたかった」と話している。【引用おわり】


 じゃあ、というので原典を探してみたところ、ありました!2002年1月3日付のNYタイムズ紙の記事がこれ。

http://query.nytimes.com/gst/fullpage.html?res=9B01E7DF1030F930A35752C0A9649C8B63&sec=&spon=&pagewanted=1

 お暇なら読んでいただいても良いのですが、記事の内容そのものは、日本のアニメ文化をうらやむということが中心で、日本の識字率を貶めることが主眼ではありません。話の展開上、日本は文字を学ぶのが難しいため(だとおもうんだけど)出版物の60%が漫画です…、ということになっているだけ。別にかみつくほどのものでもありません。

 実際、Wikipediaで国別の識字率を調べると、日本の識字率は99.8%(男性99.9%、女性99.7%)ということになっているらしくて、これは世界でも最も上位の国の一つ。

 国民のほとんどが文字を読めるということをしごく当たり前にしている基礎教育の充実に感謝せずにはいられません。

    ※    ※    ※    ※

 前振りが長くなってしまいましたが、奈良県立博物館長にして文学博士の中西進さんが日本文化に関する読みやすいエッセイを書いてまとめたのが「日本人の忘れ物」という本です。

 

 この本の第二巻に「みる」ということに関するエッセイがあって、この枕に冒頭のNYタイムズ紙の記事がネタで振られていたわけです。

 中西さんはこの「みる」のなかで、漫画は最近になって登場したものではなくて、広くビジュアルなものを思い出せば、源氏物語絵巻や江戸時代の小説にも挿絵はあったのだ、と書いています。

 そして、「そしてビジュアルな物は解りやすいから、圧倒的に人気があった。むしろ昔の人たちはこの方で作品に親しんできたといっていい。だいたい『源氏物語』のような長編小説をたくさんの人が読むわけがない。絵巻物があってこそ、大衆化したのである」と。

 中西さんは、仏像だってそのありがたさを姿形で表した物で、そのありがたさを口で伝えるより何倍ものわかりやすさをもっているではないか、とおっしゃいます。

 ところがいつしか、情報発信の主役を文字が占めるようになってしまい、逆に文字だけの書物が出現し、さらにはそれがたった一つの発信の姿になってしまった。

 憂国の士は漫画が増えて活字離れが起きると憂うところだけれど、文字ができるまでは画を見てきたんだし、むしろ文字だけの書物で情報が授受される方が不自然なのだ。

 中西さんは「とにかく一概にコミックを否定するのは、自然な人間の欲求を忘れた結果である。識字率が高いのはそれ自体悪くはないが、高すぎる識字率は文字変調の結果であることも、日本人は忘れてはいけない」と、このエッセイを締めくくります。

 これを日本の碩学がおっしゃるのだからなんと幅の広い感性をお持ちな事か。

 とにかく、文字偏重すぎるのも問題としつつ、文字のありがたみを存分に味わい、理解を深め楽しむために漫画さえ縦横に使う、というのが日本人の文字に対するアプローチであって、どれかに偏らないそのバランス感覚が必要なようです。

    ※    ※    ※    ※

 奇しくも今日は、文化審議会の国語分科会が日常使う常用漢字表に新しい文字を追加するという案をまとめたという記事がありました。

    ※    ※ 【以下引用】 ※    ※
http://www.47news.jp/CN/200901/CN2009012701000503.html

文化審、191字追加案を了承 新常用漢字表、来年答申へ 
 文化審議会国語分科会は27日、社会生活で使う目安となる常用漢字表に新たに「岡」「俺」など191字を追加し、「匁」「錘」など5字を削除する新常用漢字表(仮称)の試案を審議し、了承した。3月と秋ごろにそれぞれ意見公募をし、修正を検討して来年2月の答申を目指す。

 パソコンなど情報機器の急速な普及に伴う漢字の多用化を踏まえた見直しで、「鬱」といった難字や「籠」「麓」など筆画数が多い字も入れた。1981年告示の現行表1945字から約1割、186字増え2131字になる。

 現行表と同様、固有名詞にしか使われない漢字は原則除いたが、都道府県名の「茨」「埼」「阪」「岡」や近畿の「畿」、韓国の「韓」などは公共性が高いとして追加。

 「挨」「拶」は熟語としての使用頻度が調査で高かったため含めた。

 案は、漢字小委員会がまとめ、常用漢字の意義を「現代の国語を書き表す場合の漢字使用の目安」とこれまで通り定義。ただ、漢字を取り巻く環境の変化が激しくなったとし、今後は定期的な見直しが必要としている。

    ※    ※ 【引用おわり】 ※    ※

 どうやら日本人の識字率は下がるどころか、識字の対象となる文字の数を増やしていく必要に迫られているのです。

 そしてそれもパソコンの漢字変換のお陰で簡単に漢字が打ちこめるようになった現代文明のお陰だとのこと。

 現代社会は数多ある漢字を楽々駆使して、微妙なニュアンスを文字で表現し理解出来る能力をもった国民がどんどん増えているのが実態だと言うこと。

 これは外国メディアでは余程漢字文化に詳しくないと報道出来ますまい。

 やっぱり日本人は未来に生きている。 これも一つのクールJapan! 
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日本人の素養

2009-01-26 23:46:35 | Weblog
 外国の目で見ると、自国の強みや弱みがよく分かります。

 私がときどきチェックをしているブログの一つが「サーチナ」というサイトで、ここでは中国の出来事を日本語に訳して読ませてくれますが、中国の視点がよく分かります。

 このサイトの中に「今日のブログ」というコーナーがあって、日本に対するブログの中から面白いものを訳して読ませてくれています。

 今日のタイトルは「客室乗務員が語る日本人の素養の高さ」というもので、日本人ならあまり驚かないような生き方が中国の人の目には興味深く映ったというお話です。

    ※    ※ 【以下引用】 ※    ※
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2009&d=0126&f=column_0126_003.shtml

 日本人が海外旅行をする際、ビザを取得せずとも渡航できる国は多い。反面、中国人はビザ取得は非常に困難だというが、この差はいったい何に起因するものだろうか。このブログは日系航空会社で働く中国人が日本人の素養の高さについて綴ったものである。以下はその話題のブログより。
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  大学で日本語を専攻した私の友人は、大学卒業後にアモイにある全日空(ANA)支店に就職した。このたび、彼女が出張で北京に帰ってきたため、私たちはしばらくぶりに顔を合わせることが出来た。彼女に仕事面で何が最も感慨深かったかを尋ねたところ、何件かの出来事を話してくれたのだった。

  全日空を利用するのは大部分が日本人だというが、ある時、東京行きの荷物を大阪に運んでしまうミスが発生したことがあったという。その荷物の持ち主であった男性は全日空にとっての上顧客であったため、社員たちは緊張した面持ちで男性に謝罪を行ったという。

 しかし、男性の反応は予想を裏切るものであり、穏やかな態度で社員たちの労をねぎらう言葉を発したのだという。友人が言うところによると、人は立場が高くなればなるほど姿勢は低くなり、そしてこういう人間こそが本当に成功することが出来るのだと語った。

 またある時、空港内でペットボトルを持ちながら走り回っている子供がいたという。彼女は子供に何か助けが必要かを尋ねたところ、その子供は「どのゴミ箱にペットボトルを捨てればよいか分からない」と答えたそうで、このような小さな子供でもゴミの分別という概念を持っていることに驚いたという。

 中国人が国外に出ようとしてもビザ取得が非常に難しいのが現実だ。しかし、日本人は同じアジア人だというのにビザの取得は非常に簡単であり、ビザ無しで訪問することが出来る国も多くある。これは日本経済によるものではなく、外国人が日本人の教養・素養を中国人よりもはるかに高く評価していることに起因するものであろう。

 人間の素養は行動一つ一つの細かいところに見え隠れするものであり、いくら素養を高いように飾って装っても最後には必ず露見するものだ。人にとって国籍は最大の名刺となると言っても過言ではないだろう。

    ※    ※ 【引用おわり】 ※    ※

 最近の中国のブログには、日本人の生き方や社会をそのまま受け止めて「良いものは受け入れなくてはならない」という論調のモノが増えてきたような気がします。

 もちろん中には、反日教育を思い出しては「日本人の蛮行には身震いする。絶対に許せない」という感情を露わにするものもあるのですが、一方で「過去は過去で、我々は未来に生きなくてはならない」という現実的な意見を言う人も増えています。

 もちろん4千年の歴史を誇る中国のことですから、少しもてはやして嬉しがらせて相手の気持ちを籠絡するくらいの戦略的な態度を取ることは朝飯前ですから、日本としては精々話を半分に聞いて浮かれず驕らずの姿勢でかの国に臨みたいものです。

 しかし一国の国民全体が、他国からうらやましがられるほどの素養をもって高いレベルで日々を生きているということは改めて自覚をしても良さそうです。

    ※    ※    ※    ※

 内向きには高い素養をベースにした理想主義を求め、外向きには冷徹な現実主義を貫く。国柄や国民性もそういう使い分けが欲しいところですが、日本人はどうしても現実的な姿勢が苦手のよう。

 現実と将来予測に立脚して、現実的な提案と社会誘導的な役回りを演じるのは官僚なのですが、これがまたえらく評判が悪い。

 現実と理想のバランスが取れるような一段上の国を目指す、というのはさらに理想が高すぎますかね。 
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【番外編】 未来小切手帳

2009-01-25 23:30:09 | Weblog
 人気アニメ「ドラえもん」では、ドラえもんがのび太に「未来小切手帳」というアイテムを渡したことがあります。
 Wikiedia 「未来小切手帳」

 これは、その小切手を切れば銀行口座など無くても買い物ができるというものなのですが、要はそのお金は自分の未来で得た収入が忽然と消えることで返済されているというオチ。

 今のアメリカって、「今後100年間分の借金を10年でした状態」とも言われていて、これを今後どうして行くのかは結構恐ろしい状況で、まさに未来小切手帳を使いまくってしまったようです。

 借金しない精神性なんてどうやったら育つのでしょう?

 つくづく日本人で良かったと思います。しなくてはならない借金も確かにありますが、常に恐ろしさと隣り合わせであることを感じている人が多いと思います。

 この精神を貶めて、とにかく借金をすることが正しいんだ、なんて考え方には断固反対しなくてはいけませんね。 お~、こわ…  
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クレジットスコアって (2)

2009-01-25 23:12:42 | Weblog
 さて、クレジットスコアの導入についてですが、日本の社会は「行政や政府は国民を守るべきだ」というパターナリズムを容認する傾向が強いので、こうした社会不安を招くような制度には慎重な議論をすべきですし、私も日本には導入をしない方が良いと思います。

 ところで、このクレジットスコアの考え方には実は落とし穴があります。それは、クレジットカードを使わない人はスコアの対象にならないということです。

 なにしろクレジットカード会社が自社のメリットのために信用評価を行っている者なのですから、純粋な個人の信用を評価するのとは訳が違うのです。

 日本人の場合は、諸外国(特にアメリカ)と比べても非常に借金を恐れる考え方が主流です。最近はネットショッピングが増加しつつあって、そのためにはクレジットカード決済をしなくてはならないシーンがあるのでやむなく持ち、やむなく使うという人も増えています。

 しかしながら返済は一回払いか二回払いの、利息の発生しない範囲での利用が多いよう。こういう利用は、カード会社によってはスコアの対象としないところもあるようで、こういう利用をしている限りその個人のスコアはクレジットカード会社にメリットを与えないために低くなるというわけです。

 こういう全体として日本人の借金を嫌う国民の気質は誇って良いですし、壊してはならないものだと思います。

 家庭でも学校でも、子どもへの教育として、大人になった時の借金の怖さを十分に教えることが必要でしょう。 
   
    ※    ※    ※    ※

 ときどき見る2チャンネルの中での、アメリカでの借金にまつわるネタ交換をご紹介します。こういうのってときどき結構面白いネタがあるものです。

 ※  ※ 【以下2チャンネルのあるスレから引用】 ※  ※

268 名前:Trader@Live! 投稿日:2009/01/24(土) 16:50:04 dTtKGO/k
知人からの又聞きですまないんだが
リーマンやAIGの騒動後雨人も倹約するようにはなったらしいんだが
クリスマス頃に「いいよね?いままで倹約したから使っていいよね?
クリスマスだしね!(*・∀・)」って
感じでまた使ってたんだそうな…
クリスマス後に再び倹約したかどうかはわかんね


269 名前:Trader@Live! 投稿日:2009/01/24(土) 16:51:51 lhMffAVB
>>268
一回ついた習慣はそう簡単に治らないですからねー…


270 名前:Trader@Live! 投稿日:2009/01/24(土) 16:52:33 Xc68AtkL
オバマのパレード見にカードで60万借金したドアホウもいたなぁそういえば


271 名前:Trader@Live! 投稿日:2009/01/24(土) 16:56:19 mFEX3njM
健全な消費行動が多い日本。
それでも内需国家だから、立派なもんだ。

278 名前:Trader@Live! 投稿日:2009/01/24(土) 17:05:32 /8HXziO2
Yes we can

買い物したって大丈夫、俺たちなら返せる!
こうですか?わかりません><

280 名前:Trader@Live! 投稿日:2009/01/24(土) 17:07:09 Xc68AtkL
>>272・273
テレビでやってたんだけど、その借金した人がインタビュー受けて
「オバマならなんとかしてくれる!」って言ってたわ。
こいつ心底馬鹿なんだなって思った。オバマがあんな演説をしたのも頷けるよ

 296 名前:Trader@Live! 投稿日:2009/01/24(土) 17:18:29 t7pV1FJn
在米です。
アメリカではクレジットスコアというのが重要で、
借金をしてちゃんと返すとスコアが上がるようになってます。
つまり借金をせずに現金ばかり使ってる人はスコアが上がらず
いざ家を買おうというときにスコアが低いとローン出来ないのです。
こういう事情がアメリカ人がクレジットカードをよく使う
一つの要因じゃないかと思います。

303 名前:Trader@Live! 投稿日:2009/01/24(土) 17:22:21 q1oYUH2V
>>296
日本人の感覚だと信用度のスコアが減点方式じゃないのが謎だよなw
まあ、お得意さん度とか常連さん度だと思えば良いのか

312 名前:Trader@Live! 投稿日:2009/01/24(土) 17:30:40 zg4/vgpR
>>296
そう言えば、アメコミヒーローが結構好きな友人が言ってた。
1、ヒーローは、窮地を打開しなくてはいけない。
2、打開するためには窮地に陥らなければならない。
という訳で、
3、いかに「こいつ馬鹿だ」と思わせずにヒーローをピンチに陥らせるかが脚本家の腕なんだそうだ。

なんかそのクレジットスコアという考え方に、ついそれを思い出しちゃったよ。

314 名前:Trader@Live! 投稿日:2009/01/24(土) 17:33:13 Xc68AtkL
クレジットスコアは日本にもあるよ。

完済→信用度うp→限度額が拡大→さらに大きい借金が出来る →大きい借金になれば返済は分割になる→利息ついてクレ会社ウマー

日本じゃこの部分に関しては米のような認知のされ方をしてないから消費行動があっちのようになってないだけの話だと思うよ。


336 名前:Trader@Live! 投稿日:2009/01/24(土) 17:58:00 DygSbt29
金貸しから見たら、借金返さないより、借金してくれない事の方がよっぽど
怖いからな

    ※    ※ 【引用おわり】 ※    ※


 借金をしてくれないので金貸しからは無視されるくらいがちょうど良いようです。
  
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クレジットスコアって? (1)

2009-01-25 23:10:56 | Weblog
 クレジットスコアという単語があります。クレジットカード会社が個人の信用評価を、借金をどれだけ返す力があるかで計るというものなのだそうです。

 今やアメリカではこの数字が良いか悪いかで、人生の生き方まで決まってしまうという恐ろしいことになっているのだそう。

 予備知識として、経済アナリスト森永卓郎氏のブログ「構造改革をどう生きるか」にちょうど良い記事がありましたので、まずはこれをご覧ください。

 第163回:人間の価値を金で測る「クレジットスコア」導入に大反対する
  (2008年12月8日)
 http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/o/163/index1.html

    ※    ※ 【以下引用】 ※    ※

 
 …クレジットスコアとは、いわば個人の信用評価点で、個人ごとに300点から850点の点数がつけられている。もともとは融資やクレジットカードの審査効率化のために導入されたもので、その点数によってどれだけお金を貸してもいいかを測る目安としているわけだ。

 クレジットスコアを審査する機関はいくつかあるが、算定基準は公表されていない。ただ、基準の一つとして明らかなのは、クレジットカードの利用履歴である。カードの引き落としができなかったり、キャッシングの支払いが遅れたりするといった返済事故が起こると点数が落ちる。

 確証はないが、借金の額が増えるとクレジットスコアは下落し、収入や資産が増えると上昇するといわれている。ただし、どの要素がどれだけウエイトを持つかという詳細は分からない。

 クレジットスコアは、個人の格付けと考えると分かりやすいだろう。点数が高ければ優良顧客であり、低ければ信用力の劣った客である。だから、銀行で住宅ローンを借りたくても、クレジットスコアが一定以上ないと受け付けてもらえない。そうした信用力の低い客に対するローンがサブプライムローンだったわけだ。

 そして、クレジットスコアの高低によって、ローンの金利が違ってくる。いま述べた住宅ローンだけではなく、自動車ローンでも、400点台の人と800点台の人とでは金利が倍ぐらい違ってくる。

 厄介なのは、いったんクレジットスコアが落ちると、社会生活がスムーズにいかなくなっていくことだ。新たにクレジットカードがつくりにくくなったり、金利が高くなったりという悪循環を繰り返し、ますます暮らしにくくなってしまう。米国の格差社会をつくっている一因と言っても過言ではない。

 そんな数字は気にしなければいいと言われるかもしれないが、そうはいかないのが米国の実情なのである。個人の信用を測る物差しとして、クレジットスコアほど明確な数字はないからだ。

    ※    ※ 【引用おわり】 ※    ※ 

 翻って日本で、個人の信用を何で計っているかと考えてみれば、働いている企業や官庁、学歴、出身学校、収入、既婚か独身か、身につけているブランド品…などといったところでしょうか。

 最後の方の既婚か独身かやブランド品などは書いては見たものの、あまり当てにはなりません。

「あの人今度、大手の○○産業に就職が決まったんだって、すごいねー」というように、やはり働いている職業・企業、学歴などがぼんやりとした個人の評価と言ったところでしょう。

 ところがそれを、クレジットカードをどれくらい使って、それをまたどれくらい誠実にちゃんと返したか、という実績で評価しようと言うのがこのクレジットスコア。

 森永氏は同ブログの中で「(クレジットスコア導入を)米国政府が日本政府に求めた「年次改革要望書」に記されていた」ということから類推して、いずれ日本政府もアメリカの圧力によって導入することになるのではないか、と考えていて、「それに断固反対する」と述べています。

    ※    ※    ※    ※

 アメリカがそれを要望する理由として森永氏は、
「では、なぜ米国政府はそのような要求をしているのか。それは、外資系金融機関が、日本の膨大な個人資産を狙っていることと深い関係がある。つまり、クレジットスコアを導入することで、外資系金融機関に対して、日本の消費者金融市場へ参入しやすくするわけだ。なぜなら、そうした外資にとって、日本市場参入への最大の壁になっているのが、個人の信用情報を得にくいという点にあるからだ。

 本当に金を貸してもいい相手なのか、それが分からなければ消費者金融などできない。しかし、それをクレジットスコアという数字で簡単に得られるようにすれば、外資でも簡単に金が貸せるというわけだ。

 これまでは、時価会計制度の導入も郵政民営化も、米国の狙いは日本の企業が中心だった。だが、企業レベルではほぼ甘い蜜を吸いつくしてしまった。そこで、今度は日本の国民の資産を狙っているのだろう。わたしは、そう思えてならないのである」と述べています。

 あたらずとも遠からずといったところでしょうか。アメリカにとって都合の良いことだから要求をしているわけで、アメリカの金融資本がねらっているのが日本の個人資産ということになるのでしょう。

 クレジットスコアがちゃんと借金を払う人にとって有利なのは、スコアが高い人は借金を低い利率ですることができ、そのかわりスコアが低い人は高い利息で借金をすることになるからです。

 日本では、貸すかどうかのところで与信審査をしますが大丈夫となれば借金の利率は大抵一緒です。これを踏み倒されるリスクの度合いによって金利を変えるというのですから、今までの日本にはないくらいますます自己責任を問うシステムとなるわけです。

 そしてこれは、自己責任とはいえちょっとした収入格差が大きな実際生活上の格差となって跳ね返ってくる恐ろしいシステムとも言えそうです。

 現実にはいくら周りが止めても、一定の割合で必ず借金をルーズに考える人がいるわけで、借金をしてそれを返せなくなった人が高利の利率によって借金地獄に陥る可能性を高めるシステムだからです。

 健全な人にはメリットを与え、その分を不健全の人から稼ぐというのは、資本主義の理論としてはあり得るのでしょうが、実際にそれを実行すると社会の安定性を欠くことは必定です。

 もはやそれが導入されていて、社会の常識となっているのがアメリカ国民の姿だとしたら、これは相当に恐ろしい社会不安を招くでしょう。

 (2)に続く 
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明治座でお芝居を観る

2009-01-24 22:15:43 | Weblog
 この週末はうちの奥さんが上京していて、一緒に東京見物をしています。

 今日は二人で浜町の明治座へ行ってお芝居を見物してきました。出し物は欽ちゃんこと萩本欽一作・演出の「あらん・はらん・しらん」。劇そのものは、かつての「欽どこ」を思わせるどたばたを織り交ぜた時代劇調人情物語です。

 一時体調を崩していた、コント55号の相方である坂上二郎さんも特別出演で、場面の変わり目に登場してちょっとしたギャグを飛ばしていました。

 舞台が回転して大道具が入れ替わる間の時間の間を持たせるために、出演者たちがちょっとしたギャグを演じて観客の目を引きつける効果なのですが、二郎さんは舞台の向かって右側から登場してにこにこ笑いながらただ左へと歩いていくだけで観客はなにかを期待して笑ってしまいます。

 コント55号は欽ちゃんが25歳、二郎さんが32歳のときに結成されコンビ期間はもう43年になるのだそう。二郎さんは「私ゃもう後期高齢者ですから」と言ってまたまた笑いを誘います。

 観客も役者さんたちの一挙手一投足に大喜びで大いに沸き上がりました。さすがに欽ちゃんの笑わせ方のツボを心得たギャグの連発で、自然に引き込まれて行きます。

 たまには何もかも忘れて笑えるお芝居も良いですね。
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