北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

釧路に来る機会が増えそう

2024-05-30 23:49:41 | Weblog

 なんとこのたび、釧路管内の国の機関発注の工事を一本受注することができました。

 ついては現地確認と関係者へのご挨拶のために今日から明日まで釧路に来ております。

 高規格道路で釧路へ向かうには阿寒ICで降りて国道240号を南下して釧路外環道に出ます。

 外環道から車窓を見ていると、阿寒ICから延伸される道路が工事の盛りで、いよいよ今年度中に外環道に繋がるとのこと。

 釧路に車で来る利便が向上するので、観光の振興に期待したいところです。


     ◆


 夜は宿の近くのお爺ちゃんが切り盛りする居酒屋で一杯。

 ここがまた刺身から焼き物、揚げ物と用いている材料がすばらしく、まあ美味しいこと。

 カキフライも大きくて、さすがの釧路です。 

 なんだかんだで釧路へ来る機会が増えそうで今から楽しみです。

 

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やっちまった…自爆

2024-05-29 23:05:52 | Weblog

 

 自爆です。

 先日踏み台を使って少し高い窓から勢いよくベランダに出ようとしたところ、思ったほど足が上がっておらず、右足の薬指を窓枠に強くぶつけました。

 その瞬間もとても痛かったのですが、その痛みがなかなか引かず爪の下が紫色になってきたこともあって、心配で整形外科病院を受診しました。

 ドクターは、「どこが痛い?」と痛む指の根元から先まで指圧をしましたが、まさに爪の根元部分に強い痛みがありました。

 早速レントゲン撮影に臨み、真上からと横からの二枚を撮影して再受診。

 結果は、「あ~、ここが折れちゃったね。小さな突起で折れやすいっちゃ折れやすいんだけど」と骨折という診断でした。

 今までに骨折と言うのは経験したことがなくて、生まれて初めての骨折です。

「四週間の間、長靴を履かないでね」
「…それだけですか?」

「あとは痛み止めの粘着する湿布を出すから、小指と一緒に巻いてください」
「え~、…それだけですか?がっちり固定するとかはないですか」

「ああ、いらないいらない。四週間でくっつくからその頃にまた来てください。まあその間は渓流釣りはできないね(笑)」

 あれれ…?突然意外な角度からの注意事項です。

 以前受診をしたときに釣りの話になったんだったかなあ。

 しかもそれを以前のカルテに書いてあったということだったのかな。

 そう言われると会話の中でそんな話をしたような気もしてきました。

 いずれにしてもまだ痛みが引かない状態なので、湿布を張り続けようと思います。

 まあ痛みがなくなればウェーディングシューズくらいは…ね。

 

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郵便局での入金 ~ 100枚までは手数料無料なのだが…

2024-05-28 21:32:01 | Weblog

 

 小さな貯金箱の500円玉貯金が満タンに貯まったので、貯金通帳に移すことにしました。

 硬貨での入金は銀行もゆうちょ銀行も手数料がかかることになりましたが、ゆうちょ銀行だけはこの4月から100枚までが手数料なしとのこと。

 3月までは手数料なしが50枚までだったので少し手間が楽になりました。

 事前に一応100枚を数えて袋に入れて郵便局に持ち込みます。

「500円玉で100枚を入金したいのですが」と告げると「わかりました」と入金の書類をくれます。

 それに氏名、連絡のつく電話番号、入金金額、性別の欄を書き込んで渡します。

 ビニールの袋に入れた硬貨と通帳を渡すと、局員さんから「100枚とのことですが、お客様の方で枚数は確認されていますか?」と訊かれました。

 大した考えもせずに「はい、一応100枚あると思いますが、もし多ければ返してください」と言うと、局員さんは「それが、数えた段階で101枚以上ありますと手数料の対象になるんです」とのこと。

「えー」

 そんな制度になっているとは知りませんでした。

「では、もしも少なければ追加はできますか?」「それは可能です」

 そこで、持参した硬貨から2枚を抜き取って、「これで先ず入金をお願いします」と依頼をしました。

 局員さんは硬貨を皿から機械にジャラジャラと入れて数を数えます。

 2~3分で「98枚でした」という結果が出たので、事前に抜き取っていた2枚を渡して「ではこれで100枚ということで」とお願いをして儀式は完了です。

 無事に100枚の入金を終えて通帳には5万円が入金されました。

 
「入金の金額が100枚までは無料」という触れ込みが、持ち込んで数を数える枚数が100枚までは無料ということで、少ないのを足す分には問題ないとは、なんともお役所っぽい決め事のように思われました。

 でもこうしなければ、適当な枚数を持ってきて、「100枚以上あれば返して」という無茶な客も防げないということなのでしょうかね。

 
 それにしても機械では1枚から手数料が発生して、人の対応ならば100枚まで手数料がかからないというやりとりは、機械化は省力化と経費節減になっていないということなのかとこれも興味深く思いました。

 社会のデジタルDXで効率化という触れ込みも、DX化や機械化が目的になってしまっては困りますね。

 まあ面白い経験でした。

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修繕のタイミング ~ 寿命とコストと耐用年数の関係

2024-05-27 22:00:50 | Weblog

 

 先日実家の母から、「一階の無落雪屋根の樋に載せていたスノコがボロボロになっているから業者さんに頼もうと思うんだけど」という相談がありました。

 一度見に行くと、確かにスノコは経年劣化でボロボロ。

 これまで気にしたこともなかったのですが見てみると確かにボロボロです。

「おやおや」と屋根の上に登ってみたところ、屋根の塗装もところどころ剥げているし、おまけに窓の下の外壁が剥がれています。

「これは業者さんに見てもらって修理したほうがいいね」と業者さんを呼んでもらいました。

 先日私も立ち会って業者さんと話をして、こちらの希望と提案を突き合わせて意見交換。

 窓の外壁は剥がれた部材が再利用できるとのことでコーキングを追加、樋のスノコは既製品のものがあるとのことでそれを購入して据え付けの方向になりました。

 一番お金がかかることになったのは屋根の塗装でしたが、やはりこの際だから屋根の塗装はして後顧の憂いをなくそう、ということで思い切ってやってもらうことにしました。
 
 思った以上の修繕内容にはなりましたが、施工内容の説明を聞く中で価格もリズナブルで説明も真摯な姿勢が伺えましたので、両親も納得して即決でその会社にやってもらうよう契約を結びました。


      ◆

 
 高齢の親の家となると、あと何年ここに住むのかということとメンテナンスにかける費用は悩みどころです。

 もうお金なんてかけなくもいいんだ、とは思うものの、まだ住んでいるときにトラブルが生じるのでは最悪です。

 業者さんと交渉して修繕契約をして仕事をしていただく、ということも、実は手間がかかったり精神的に負担になったり、最後にはお金の問題も生じます。

 まだ気力・体力が負担にならず、家の傷みも浅くて早いうちにやっておくということは実は大切です。

 

 

 業者さんに「両親ももう90歳を超えているので家もあと何年使うかわからないんですよね」というと、「えー、そうは見えません、お若いですね」と言われます。

 母などは「もうあと数年で私らもいなくなってこの家は壊すんですから」と笑うのですが、その数年先と思うことも確実なことは何もありません。

 実際には10年も住むことになるのかもしれないとなると、そんなころにもうどうにも修繕が必要となっても、そのときに両親に何かを決断する気力や体力、財力があるのか、となると、物事にはタイミングがあるのだな、と思います。

 両親の家の最後の屋根塗装と小修繕は、私も立ち会えて絶妙なタイミングでやることになりました。

  

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当世運動会事情 ~ アレもコレもないんだあ

2024-05-25 22:51:43 | Weblog

 

 今日は孫たちの運動会がありました。

 コロナ禍のときには観覧は親だけで祖父母はだめ、ということもありましたが今は全て開放されて観に行くことができました。

 運動会というと、お昼には親が陣取ったシートに戻ってきてそこでお弁当を食べて午後の部に臨む、というのが我々の運動会でしたが今はすっかり様変わり。

 運動会が終わるのはお昼の12時前で、当然グラウンドでのお弁当はありません。

 午前で終わるという事はプログラムも相当に簡略化されています。

 基本的には学年単位の50メートル走が運動能力を競う唯一のプログラム。

 あとは団体競技の枠で、1、2年生は玉入れ、3,4年生は綱引き、5、6年生は竹の棒を取り合う競技。

 表現の枠では1、2年生と3、4年生と5、6年生がそれぞれ一緒になって三種類の踊りやダンスを見せてくれました。

 プログラムは以上で、騎馬戦のような肉弾相打つようなものはありませんし、なんと運動会の華ともいえる赤白対抗全学年によるリレーもありません。

 誰かが「リレーって朝練習が必要だから先生たちも面倒を見られないのかな」と言っていて、本当かどうかは分かりませんが、なんだか運動会に掛ける教育的な期待というか情熱のようなものが昔よりは少なくなっているのかな、という感じがしました。

 まあ英語やらプログラムまで次々にいろいろな教育が学校教育に期待されて詰め込まれていますが、子供たちがこなせる時間は有限ですし、先生たちがかけられる時間にもおのずから限界があるのでしょう。

 これも時代の流れでしょうけれど、子供たちが活躍する姿を見ながらジンギスカンをしてビールを飲んでいたのがどんどん不適切化して行った昭和世代としては、昔の運動会の姿を懐かしむことしかできません。


 幸いというか、紅組と白組の対決という構図は残されていて、開会式ではそれぞれの組の応援団長が口上を述べて対決を煽り団結を促すという場面は見られました。

 私の二人の孫たちはどちらも白組で、かけっこや団体競技でさほどの活躍と貢献も見せられませんでしたが勝負の結果は白組の勝ち。

 その瞬間は大いに飛び跳ねて全身で喜びを示していたのでこれも良い思い出になったと思います。

 少子化と高齢化という社会構造の変化は、思い出を記憶のなおかなたに追いやっているように感じます。 

 

 

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重たいヤカンで鍛えるぞ

2024-05-24 23:00:47 | Weblog

 

 昨年あたりから家で筋肉トレーニングを強化しています。

 日常生活を淡々と続けていると、加齢とともに筋肉量が落ちてきます。

 タンパク質を積極的に取る食生活も大切ですが、やはり並行して筋肉を維持・強化する筋肉トレーニングを行うに越したことはありません。

 ダンベルを持って振り回すダンベル体操もしていますが、半年ほど前から始めたのが、写真のケトルベルトレーニングです。

 ケトルベルは、ヤカンのような取っ手が付いた重たい金属のトレーニング道具で、ネットを見ていると重さや形にいろいろなバリエーションがあります。

 これを持って前後に振り回しながらスクワットをするというのが基本的なトレーニングの形で、あとはこの重さを使って行ういろいろなバリエーションもあります。

 私が持っているケトルベルは、薄い板が重なって取り外しもできるというタイプです。

 軽くしたければ数枚を取れば良くて、全部を装着した時で18kgの重さになります。

 これを使って毎朝40回ほどのスクワットを行いますが、ただのスクワットよりは負荷がかかるので、基本的な足腰の鍛錬になっていると思われます。

 あまり無理をすると腰や膝を傷める恐れがあるので、ほどほどにするのが良いでしょう。

 スクワットくらいなら道具などなくても日常的にやれそうなものですが、人間はそういう単純な動作には飽きてしまうものなので、こうした道具をわざわざ買って、「使わないともったいない」という損得勘定や、「これなら面白そう」という好奇心なども支えにしながらトレーニングを続けるのも一つのやり方だと思います。

 
 あるテレビでタモリさんが、「歳を取って筋肉がなくなると、お腹が出て手足が細くなって昆虫のタガメみたいになるんだよ(笑)」と言っていましたが、なるほどと思いました。

 毎日少しでも筋肉を鍛えて、タガメのようなスタイルにはならないよう気をつけたいものです。

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根元の力 ~ 見えない力の働き

2024-05-23 22:22:17 | 報徳

 経営の神様と言われた松下幸之助は、ある意味宗教的な見えない力を信じていたようです。

 彼が座禅を組んで瞑想をしていた時、ある人に「何をお祈りされているのですか?」と訊かれて「一つは根源に対する感謝や。今自分がここに生まれているということも根源の力のお陰げやからね」と行ったという話はつとに知られています。

 彼は昭和37年2月に京都の真々庵(しんしんあん)の一角に「根源の社」という宗教施設を建立しました。

 この「根源の社」はさらに1981年に松下電器本社の敷地に建設された創業の森の一隅にも設けられ、その設立の趣旨については社前の掲示に、下記のように説明されています。

 「宇宙根源の力は、万物を存在せしめ、それらが生成発展する源泉となるものであります。
  その力は、自然の理法として、私どもお互いの体内にも脈々として働き、一木一草のなかにまで、生き生きとみちあふれています。私どもは、この偉大な根源の力が宇宙に存在し、それが自然の理法を通じて、万物に生成発展の働きをしていることを会得し、これに深い感謝と祈念のまことをささげなければなりません。
  その会得と感謝のために、ここに根源の社を設立し、素直な祈念のなかから、人間としての正しい自覚を持ち、それぞれのなすべき道を、力強く歩むことを誓いたいと思います」

 物を作って売ることで利益を得る会社の創業者が、物の充実だけではなく、精神的な充実こそがより良い社業と社員教育に繋がると考えていたことがよくわかります。


     ◆


 ところで松下幸之助は、二宮尊徳の報徳の教えを良く学んだことでも知られています。

 その報徳には二宮尊徳が作った「報徳訓」という唱え文があります。

 漢字108文字からなる構成ですがこれを訓読みにして、常会ではまず参加者一同がこれを唱えてから会議が始まるというのが習わしで、ここには二宮尊徳の報徳の精神が凝縮して込められています。

 この報徳訓の一番初めに登場するのが「父母の根元は天地の令命にあり」という一文です。

 今私がここに存在するのは父母がいたからこそなのですが、その父母がいたことの根源が天地の令名だというのです。

 「令名」という単語を辞書で引くと、今では名声だとか良い評判というような意味しか出てきませんが、ここでは「天地の計らい」と理解すべきでしょう。

 その運命的な計らいによって父母が存在し、続いて「身体の根元は父母の生育にあり」と親の恩が述べられ、「子孫の相続は夫婦の丹精にあり」と子孫のために自分たちも夫婦になって子孫を育てるのだ、と述べられます。

 報徳訓では「根元」と言い、松下幸之助は「根源」と表していますが、その意味は「物事の一番もとになっている始まり」ということでは同じです。 

 物事が始まるという不思議とその力を信じることができるでしょうか。

 
 だんだん若者が結婚しなくなり子供が生まれなくなり人口減少社会が進んでいますが、自分を生んでくれた両親がいたという不思議な始まりの力を「信じる気持ち」も薄れているのかもしれません。

 学校に置かれていた二宮金次郎の銅像を学習すれば、その奥には「父母の根源である天地の令命」にまでたどりつくのですが、もはやそのような教養が失われつつあるようです。


 

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AIの世界を生きる気持ち悪さ ~ フレッシュな元データが枯渇する時代

2024-05-21 21:44:28 | Weblog

 今日はある団体の総会があって、その後半で最新のAIに関する講演がありました。

 講師は北海道大学情報科学大学院の小川貴弘教授で、今やAIで何がどこまでできるのかについて最新のお話が聞けました。

 新しいところでは、テキストで情景描写をして打ちこむとそれを踏まえて作成された動画ができるところまで来たとのことで、「きれいな女性が東京で皮のコートを着て雨に反射した道を優雅に歩く」という表現を反映した約1分の動画が映し出されました。

 AIができることは日進月歩で、論文発表もかつては査読を受けて公表されるまで22年はかかっていた学会論文が、今や発表の場が国際会議に移り、論文サイトでは投稿から2週間で公開されるというところまで進んでいるのだそう。

 なにもかもが早さを競い、競わなければ生き馬の目を抜く様なAI開発の潮流に溺れてしまいそうな勢いを感じました。

 また小川先生のところでは、この技術をいかに社会の中で実装してゆくかという現実的なテーマも抱えていて、その一つに土木技術もあるとのこと。

 なかでもベテランが施設点検をするときにどこをどのように見ているのか、という視点を分析して、まだ経験の浅い者にベテランの無形の技術をできるだけ早く委嘱するというようなことが試みられているのだそう。

 様々な世界でベテランが消えて行き同時にベテランのノウハウが人と共に消えて行こうとしている中、それをAIで補おうという取り組みには期待が高まります。


     ◆


 そんななか、怖い話もありました。

 AIは結局数多くの既存のデータを読み込んでそこから妥当性の高い回答を引き出すプログラムなのですが、このままゆくと、テキストデータが2026年に、また画像データは2030-2060年のどこかで枯渇するのではないか、という見られているとのこと。

 フレッシュに作り出されるテキストデータや画像データがあることでより鍛えられて生成されるAIのアウトプットですが、そのフレッシュなデータが枯渇するとその先にはAIが自ら作ったアウトプットを再利用してまた自分の生成の材料にするというループが始まります。

 そうなった先には、小川先生は"AIモデルの自食症"と表現していましたが、AIが生成したものを再利用する"AI自食ループ"が展開されて例えば出来上がった画像に思わぬ品質の低下が見られる事例があるのだそう。

《AIがAIから作った画像から学習すると「MAD:モデル自食症」に 品質や多様性に悪影響》
 https://ledge.ai/articles/model_autophagy_disorder

 AIの思考エンジンもバージョンアップによって一部の機能が逆に低下するという指摘もあったりするとのことで、物事の判断をブラックボックスの中に追いやってしまって自分では何が起きているのかわからない世界の恐怖を垣間見た感じがしました。

 これからの時代を生きる人たちはどういう思いで過ごすのでしょうか。

 昭和生まれの私などはもう少し real job を担う形で社会に貢献したいと思った次第。

 次世代の若者の皆さん、後はよろしく。


 

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生涯学習の根っこは報徳 ~ 故榛村さんの思い出

2024-05-20 22:49:05 | Weblog

 

 今日は月に一度開催されている札幌での報徳の常会。

 毎月一人が話題提供の講話を行って、報徳について考えを深めるという集いです。

 今日は会が始まる前にメンバーの一人が私のところに駆け寄ってきて、「実は先日、掛川の大日本報徳社の本社をお訪ねしたんです」とおっしゃいました。

「それは良かったですね。現地ではどなたかにお会いしましたか?」と訊くと、「ええ、鷲山社長も出られたばかりでしたが戻ってきてくださって、直接お話を伺うことができました。また大講堂などもご案内いただきました」とのこと。

「大講堂も見られたならなお良かったですね」と言うと、「そこにいらした女性から『札幌から来られたなら小松さんによろしくお伝えください』と言われたものですから、これは小松さんにもお伝えしなくては、と思いましてね」と。

 その方は静岡に用事があったらしいのですが、折角ここまで来たのだから報徳社の本社を見てみよう、と思いを巡らせてわざわざ掛川に立ち寄っての報徳社訪問だったよう。

 その話を聞いた今日の午後に、北海道からの客人に丁寧に対応してくださった御礼をしようと報徳社に電話をしました。

 すると電話に出てくれた私もお世話になった女性職員は「事前のアポなしで来られたのでちょっと慌てましたが、小松さんのお名前を出されたので…(笑)」とちょっと苦笑気味でした(笑)。

「そうでしたか、でもいろいろとありがとうございました。ところでTさんはいますか?…」と、電話のついでに亡くなられた榛村社長の思い出を教えてもらうことにしました。

 実は来月の常会の話題提供者は私になっていて、そこで榛村市長が大日本報徳社の社長を兼ねていて、「報徳のまちづくり」というテーマでお話をすることになっているのです。

 そこで少し当時の思い出や私の知らない榛村さんの姿を教えて欲しいと思いました。


     ◆


 私が掛川助役として在任中のときの榛村さんのイメージは、一つは市民寄付で新幹線駅をつくったりお城の本格木造での再建を果たしたりと、市民の推譲精神の恩恵を受けた市政で成功した市長というものでした。

 また曰く因縁を同じくする自治体の首長を集めたサミットをいくつも提唱したなかに、二宮尊徳ゆかりの自治体を集めた「報徳サミット」なども榛村さんが中心となった取り組みでした。

 さらにはちょうど私がいた時に、経済至上主義になってしまった中国の北京大学の劉金才教授から、「二宮尊徳の報徳思想は経済と道徳をどちらが上かという視点ではなく道東に見ているところが素晴らしい。"辺境に花開いた究極の東洋思想だ"、と最大限の賛辞を受けて、中国社会に良い意味で刺激を与えて欲しい」と二宮尊徳学会の立ち上げなどを打診されたということがありました。

 なにか掛川と言えば報徳というテーマで町ができているのかな、とそんな気持ちがしたものです。

 しかし調べてみると、私が掛川に在任したのは2002-2004年度の3年間だったのですが、榛村さんが大日本報徳社の社長に就任されたのはそのわずか1年前の2001年のことでした。

 市民寄付でまちづくりを盛んに行っていた時は報徳社とは直接のかかわりのない時代だったのです。

 そこで現在の報徳社の事務局にいる当時の市役所OB職員の方などに話を聞いてみると、なんと「僕らが職員だった時には榛村さんから報徳の話というのは聞いた記憶がないんです」とのことでした。

 そして「榛村さんの生まれ育った地区は報徳が根付いている土地柄なので、報徳についての知識や思いは十分にあったかと思いますが、それを市政の中で言いすぎるとやはり市長からの押し付けにとられるという心配があったように思います」とのこと。

 確かに榛村さんはどちらかというと自分の考えを押し付けることはなくて、「あなたはどう思う?」「どう考える?」と相手の意見を聞くシーンばかりが思い出されます。

「なので、報徳の教えも市民が自分で考えて大事だと思ってくれればよいけれど、『だから推譲の気持ちで寄付をしてほしい』などと言うのは違うと考えられたんだろうと思います」

 
 何かを声高に主張しすぎると周りの人は引いてしまうことが多いことでしょう。

 市長自身が報徳を推進する団体のトップを兼ねるとなれば、何を言っても余計に色眼鏡で見られることもあるでしょう。

 報徳の精神は、誠意をもって働いて、自分の分限を守ったうえでゆとりがあれば他に譲れ、ということです。

 しかしそれを早くから報徳の言葉ではなく、自分なりの言葉で言い換えたのが"生涯学習"ということだったのかな、ととも思います。

 榛村さんの生涯学習は報徳を根に持つ葉や茎や花だったわけで、逆にいうと、そういう「精神的な根っこのない生涯学習運動」はどうしても、ただ単に「歳を取っても生涯勉強するべきだ」というやや皮相的な取組になりがちです。

 いまや日本中の自治体に生涯学習担当部局はあれど、それがどういう意味を持って自分の町のまちづくりに市民を導くことになるかを語れる首長さんはどれだけいらっしゃるでしょうか。ちょっともったいない気がします。


     ◆


 さて、ひとたび何かを話そうと思って勉強すると、さらに新しいことが分かってくるものです。

 生涯学習の精神と報徳の関わり。
 
 学ぶことの奥は深いです。

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ガレージ万歳 ~ ガレージはクリエイティブな便利空間

2024-05-19 22:59:28 | Weblog

 

 突然思い立って、ガレージで焼肉をすることに。

 この季節、気温が低かったり風が強かったりという天候の問題があったりするのと、焼肉はやはり匂いがするので庭先で堂々とするのもちょっと憚られたりします。

 そんなときに良いのはガレージです。

 まあガレージは焼肉をするためにあるのではなくて、車を保管するためにあるのですが、家を建てる時にちょっとお金はかかるけれどやはり作って良かったです。

 なんといっても車が紫外線やホコリから守られるのが一番。

 おまけに外の暑さや寒さの影響も少ないので車に乗り込んだときの室温も外置きよりは快適です。

 さらには家から外を経由せずに直接車の乗り降りができるので、悪天候の時に便利。

 孫が同居していたときなどにも天気を気にせず乗り降りができました。

 シャッターはリモコン付きの電動なので、外から手動では開かないため防犯上もよろしくて、なにより車から降りずに扉の開閉ができるので便利。

 そのうえ、釣り・キャンプなどのレジャー道具から自動車関連道具、園芸用具、家の修理セットなど、とにかく場所を食うものを置く物置スペースとしてゆとりのある空間があるのが助かります。

 ガレージがなくて家のなかの収納に入れたりしていると、キャンプの度に家の中と外を何度も往復したりすることになり大変です。

 それがほぼ外での作業で積み込みができるのでらくちんらくちん。

 冬には、ガレージの中も寒くなるので食材のストック場所として大きな冷蔵庫代わりになります。

 
 家を建てたときは大工さんにお願いして、天井高より上に物を置く棚を作ってもらったので、夏と冬のレジャーの入れ替えや、雪かき道具の保管などにも威力を発揮します。

 このスペースがなかったら、キャンプやフライフィッシングやワカサギ釣り、カヤックなどの道具を揃えながらレジャーを楽しむのは大変だったと思います。


 そして最後に、この空間は焼肉を始め多少汚れても良い趣味のための屋内空間として役に立ちます。

 厳冬期を除くかなり長い季節で室内の焼肉なども楽しめます。

 まあ焼肉の場合は室内に匂いが残るのが玉に瑕ですが、それさえ我慢すればこんなに有意義に使える空間はありません。

 最近は屋根だけを屋外に作ってその下に車を保管している家が増えましたが、雨は凌げても物置としては使えないのでちょっと残念です。

 
 マイクロソフトのビル・ゲイツも、アップルのスティーブ・ジョブズもガレージから始まったことを思うと、ガレージって何かを生み出す素敵な空間になりえるのです。

 ガレージ万歳!

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