北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

少子化対策の財源問題

2023-04-12 22:50:59 | 社会保障を考える

 

 岸田政権は少子化対策の議論をいよいよ本格化させるようです。

 年度内国会は予算を通すのが最大の目標なので、まずはそれはこなしたところで、次のターゲットポイントは来年度予算作成の前提になる、6月にまとめられるいわゆる「骨太の方針」です。

 「骨太の方針」とは、政府の経済財政に関する基本方針のことで、正式名称は「経済財政運営と改革の基本方針」です。

 しかしこれだと長くて分かりにくいので、通称として「骨太の方針」と呼ばれています。

 その「骨太の方針」を議論して決定してゆくのは国会ではなく、背負の経済財政諮問会議で、ここで決議され改革の方向性が示されます。

 これがなかったときは、省庁が政策の方向性や予算を持ち寄って、それを財務省が調整するというようなやり方だったのですが、それを官邸が各省庁の利害を超えたところで日本のあるべき姿を議論しています。

 議論の中身は官邸のホームページで割とすぐに公開されるので決して密室の議論ではありません。

 観たければ誰でも観られます。


 そこで、この骨太の方針に少子化対策をどのように盛り込むかが大きな焦点になっています。

 マスコミはすぐにお金をどのようなことに使うかという歳出の政策面にばかり注目しますが、少子化対策・子育てを含めて社会保障のプロたちは、社会保障とは基本的には財源をどうするかの問題だ、と言うことが分かっています。

 しかしマスコミは、どんな政策が行われてどれくらい予算をつけようとしているかとか、それは効果があるのか、といったところにばかり注目をする一方、財源の話になると「国民の負担が増大する」と一蹴して反対の論調にしかなりません。

 昨今財源問題の観測気球として挙げられているのが、「社会保険による少子化対策」ということです。

 本来国民に負担をお願いして財源を確保するならばその王道は増税なのですが、日本と言う国はとにかく増税を蛇蝎のごとく嫌います。

 増税をすると政権が一つ吹っ飛ぶほどの拒否反応を示すので、本当にそれを行おうとするときはかなり慎重にアプローチします。

 それに対して社会保険では多くのサラリーマンが天引きで負担しているのでその重さが分かりにくいということがあって、拒否感がより低いという、現実的な側面があります。

 社会保険で、と言っていますが、正しくは社会保険の制度を使った形での国民負担、という方が良いように思います。

 それは今のような年金や健康保険のような形では企業に勤めるサラリーマンが負担するということのように見えますが、これからやろうとしている少子化対策のための社会保険システムとなると、まず受益者を誰だと想定して負担を求めるのか、という議論から始まることになります。

 そうなると子供が将来増えることの恩恵を受けるのはサラリーマンだけではないわけで、受益と負担の関係を整理しなくてはいけません。

 そういう意味でも、国民全体が負担して国民全体が少子化対策の恩恵を受けるという事から言うと、本来は消費税なりを上げるのも止む無し、とするのが王道です。

 しかしそういう正論を言って嫌われたい人は少ないわけで、財源論は反対の人の声しか聞こえてこないというわけです。

 今の経済が苦しいと言われれば、いつだってそれなりに苦しいことはあったわけで、そうやって問題を先送りしてきたツケが少子化と言う形で表れていることを思えば、そろそろ日本国民も本気で議論して行動に移さないといけない時が近づいているように思います。

 子孫の世代に付け回しするのはもう恥ずかしいと思います。

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異次元の少子化対策 ~ 「こども連帯基金」は今年の流行語にノミネートされるかしらん

2023-01-28 23:12:27 | 社会保障を考える

 

 岸田総理が「異次元の少子化対策」と発言したことで、「異次元ってなんだ」「具体的に何をするのか」と世間は色めき立ちました。

 そうしたことの具体的な方向性となると、その分野の国の審議会の議論を見ていると、かなり先行した意見が出ていることがあります。

 そのつもりで例えば「全世代型社会保障構築会議」が昨令和4年12月16日に出した報告書を読んで「少子化対策の項目」を見てみると具体的に取り組むべき課題として一定の方向性が出されています。

 →「全世代型社会保障構築会議 報告書」(令和4年12月16日) https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/zensedai_hosyo/pdf/20221216houkokusyo.pdf

 これを見ると、膨大な内容をすべて書き写すことはしませんが、

(2)具体的に取り組むべき課題としては
 ①全ての妊産婦・子育て世帯支援として、
  ◆妊娠時から寄り添う「伴走型相談支援」と経済的支援の充実(0~2歳児の支援拡充)、
  ◆全ての希望者が、産前・産後ケアや一時預かりなどを利用できる環境の整備
  ◆出産育児一時金の大幅な増額
  ◆不妊治療等に関する支援

 …が挙げられており、続いて

 ②仕事と子育ての両立支援(「仕事か、子育てか」の二者択一を迫られている状況の是正)として、
  ◆保育の枠を確保できる入所予約システムの構築
  ◆子育て期の長時間労働の是正・柔軟な働き方の促進
  ◆育児休業取得の一層の促進と時短勤務の支援
  ◆非正規雇用労働者の処遇改善と短時間労働者へのさらなる支援
  ◆育児協業給付の対象外である方々への支援

 …が挙げられています。

 そして(3)今後の改革の工程として、「…子育て世帯に対する経済的支援を合わせたパッケージを、恒久的な財源を確保しつつ継続的に実施」ということと、「安定的な財源について、企業を含め社会全体で連帯し、公平な立場で、広く負担し、支える仕組みの検討」ということが強調されています。


 つまり、何をすべきかという具体的な政策はここに書かれていることが中心に打ち出されてくるでしょうし、その一方でやはり財源をどうするかということが議論の中心になることは間違いありません。

 どんな異次元のアイディアが出てくるでしょうか。
 

      ◆


 さて、政府の議論ではここまでですが、私が私淑する慶応大学の権丈善一教授は、しばしば自民党を始め各種の政治団体・経済団体に招かれた際に、「子育て支援連帯基金」というアイディアを提案しています。

 これは少子化対策の財源をただ財政の見直しという労多くして益少ない作業や消費税増税と言う短絡的な決断に求めずに、その中間として社会保険の制度を利用して、「受益は年金・医療保険・介護保険さらには雇用保険にも及ぶ」という建付けで、これらの会計から拠出して子育てを支える費用をねん出するという提案。

 実際少子化になることで年金会計は不安が増大しますし、医療保険や介護保険など高齢期に出費が偏っているものを若者が支えるという制度趣旨からは支える側の人数が増えることが制度の安定につながります。

 さらには少子化の改善は雇用保険にも益が及ぶことから、これも制度の輪に加えることもあるでしょう。

 社会保険となると被用者である労働者だけではなく使用者である企業側も負担をすることになりますが、これとて、将来の労働力のみならず消費者の増大と言う観点から、少子化は企業側にとっても見過ごせない課題であるという視点で拠出を説明できるとしています。

 税率を上げる度に政権がぐらつくほどの衝撃力がある消費税などと違って、財源調達力としての社会保険には非常に強い力があります。

 いざ提案するとなると「取りやすいところから取るだけだ」という批判が出るのが目に見えるようですが、将来の不安を取り除くために恩恵を受ける者が支援・負担するという制度思想から言うととても興味深く思えます。

 図の中で「税財源」が破線で表されていますが、ここに税金が投入されるのかどうかは「ゼロ」ではないかもしれませんが、その額たるや極めて心もとないので作成者の山崎史郎さんは破線にされたのでしょう。

 さあ「こども連帯基金」は今年の流行語大賞にノミネートされるかな。

 

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勉強と行動が求められる生涯学習 ~ 未来を支える「社会保障という制度」について

2023-01-25 23:16:05 | 社会保障を考える

 

 今を遡ること12~3年前の事。
 
 単身赴任をしていた東京でふと日曜日の朝にテレビをつけたところ、社会保障や年金問題をテーマにした討論をしていました。

 画面には時の民主党幹事長と見たことのない大学の先生が対談をしていて、その先生が岡田幹事長に対して「勉強不足!」「ちゃんと論文を読みなさい」「そんなの支離滅裂です」と厳しい言葉で面罵する場面が写されていました。

(この先生…誰?)

 ちょうどその頃私自身が、公共事業予算が伸びないのは厳しい財政状況の中で社会保障にお金が先取りされるためだ」と思うようになっていました。

 それがいつしか「社会保障こそ予算獲得上の敵だ」と思うようになり、「敵を知らなくては戦いにならない」「敵の強みと弱みはなんだろう」と真剣に勉強をする気になったのでした。

 そんなときにこのテレビ番組をみたので、この先生は誰だろうと興味を持ったのです。

 その先生が、慶応大学商学部教授の権丈善一先生でした。


      ◆


 その権丈先生は、社会保障のあり方について一貫して発言をされていたり、また福沢諭吉の「勿凝学問(がくもんにこるなかれ)」にあやかったブログで軽妙な情報発信をされるなど茶目っ気とユーモアもある方でした。

 そこで「まずは入門書として権丈先生の本でも読んでみるか」という気になり、著書を何冊か読みました。

 すると権丈先生の論調は社会保障に関する政府の方針を批判するマスコミに対して、「敢えて社会保障に不安を生じさせて世間に誤解と分断をまん延させている」という逆批判と、正しいものの見方を示してくださるものでした。

 そしていかに世の中には年金・医療・介護などの社会保障に関する不勉強なマスコミと、しばしば批判的なポジショントークにあふれているかに気がつくようになりました。

 そもそもバックグラウンドとなる資料やデータはネットを検索して、政府の社会保障審議会のホームページを見れば手に入ります。

 そしてそこでは多くの委員たちが真剣な議論を重ねて、社会保障の今後あるべき姿はなんであるかが議論されています。

 しばしば政府から社会保障の改革案が出てくると「説明もなしに突然言い出した」という批判が出ますが、大抵はそれらは数年前の審議会から議論が重ねられている現実的な提案であることがほとんどであることに気がつきます。

 いつしか敵だと思っていた社会保障が、人間がいかに将来へのリスクと不安に対して助け合いの精神で費用を持ち寄って助け合おうという高邁な精神を持った制度であるか、またそれがいかに時の政治や使用者である企業、税金を納めたくない国民の圧力と横やりで理想から少しずつ何かを削られては、それを次の制度改正の時に正そうと努力を重ねてきて今日に至っているか、を知ることになるのでした。


      ◆ 


 権丈先生は「社会保障はつまるところ財源調達問題なんです」と看破し、助け合う精神のもとで、今は負担できる余裕のある人が能力に応じて負担をして、必要になったらその度合いに応じて給付を受けるのが制度の根幹だと言います。

 そのためにもどのように財源を調達する、つまりは今はリスクを負っていない年齢・階層の人たちが自分たち自身が困った時のために負担をすることに理解と覚悟を持つことができるかどうか。

 今まさに議論が始まった「次元の異なる少子化対策」と言われるものも、少子化が進行すると将来の自分が困るリスクであり、それを回避するためにどれくらい自分たちは負担ができるか、する覚悟があるかが問われているのだと思います。

 今は健康で収入があっても、それが失われるかもしれないというリスクを給付と言う形で回避させてくれる社会保障という制度。

 未来に向かってこれを育てるのも殺すのも、今を生きる私たち自身が勉強をし判断をする責任を負うていることに間違いありません。

 今後も徒然に触れて行こうと思います。

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医療崩壊前夜

2010-01-13 23:26:57 | 社会保障を考える
 社会保障に興味を持って、勉強をし始めていますが、医療の現場の過酷さは目を覆うばかりです。

 特に、社会の高齢化に伴ってどうしても上がらざるをえない医療・介護に対して、なんとしても医療費を上げまいとする施策が取られてからというもの、過酷な値下げが現場を苦しめています。

 いつも送られてくるMRICという医療関係のブログ記事の一つをご覧ください。



---------- 【ここから引用】 ----------
*******************************************************
「大学病院はもう限界 医療の最後の砦の現状」
山形大学医学部長
嘉山孝正
2009年12月20日 MRIC by 医療ガバナンス学会 http://medg.jp
*******************************************************

【独法化は医療を救うか、滅ぼすか】
 特定機能病院は高度医療を開発、そして提供すると同時に、医師の教育を担う医療の中核を担う存在である。いわば、国立がんセンターなどのナショナルセンターと同じような機能を果たしている。現在、ナショナルセンターの独立行政法人化に向けて、内閣府の検証チームと厚生労働省との間でつばぜり合いが行われている最中で、着地点が未だ見えない。

 本稿では、一足先に独法化を行った大学病院の現状を紹介する。医療の最後の砦である大学病院は独法化後危機的な状況に陥ってしまっている。その原因は何かを考えて、その対策を提言したい。

【大学病院が担うもの】
 大学病院の役割として教育、研究、診療がある。たとえば教育だと我々は医学生を国家試験に合格させないといけない。研究でももちろん成果を出すことが求められる。そして、診療。大学病院は日本の医療の中核であると同時に最後の砦である。
 まずは日本の医療はどの程度のレベルなのかを確認する必要があるだろう。答えは、日本の医療は世界一であるということ。2009年のOECDのヘルスデータによれば、依然として総合で一位である。ちなみにアメリカは16位である。

 その「世界一」の医療の中で大学病院やその他の特定機能病院が担っているのが難易度の高い医療である。たとえば、手術を例にしてみると、生体肝移植のすべては大学病院で行われている。

 同じく難易度の高い、肝門部手術の82%は大学病院で行われている(DPC調査参加142施設における平成16年7月から10月までの退院患者データ)。そのほか高度医療の多くは大学病院が担っている。つまり、大学病院は手間のかかる難易度の高い医療を最後の砦として行っているのだ。

【大学病院が死ぬ、いや、もうすでに死んでいる】
 難易度の高い治療には多くのスタッフが必要になる。また、高度な医療機器や薬剤も必要になる。かといって、それに比例して診療報酬が上がるわけではなく、足りない分は病院が持ち出すしかない。つまり、難しい医療を行えば行うほど、大学病院は赤字を背負うことになるのが現状である。

 私は脳外科医である。先日行った、脳腫瘍摘出のために覚醒下脳手術を例に挙げよう。言語を司る部分の近くに脳腫瘍ができてしまったため、言語中枢を探しながら、かつなるだけ傷つけないようにするために、手術中も患者と話しながら、切除を行うという、最先端の手術である。

 手術は成功し、患者は元気に帰っていった。しかし、病院には16万円ほどの赤字が残った。

 脳腫瘍摘出術の保険点数は82万円分だ。これは、比較的少人数で行われる難易度の低いものも、今回のような難易度の高いものも一律である。しかし、実際は機器使用料として48万円、最低必要なスタッフ13人分の人件費26万円、消耗治療材料として24万円で合計98万円が必要になった。そして、差額の16万円が病院の赤字になった。次に説明するように、人件費はこれ以上切り詰められないぐらいに圧縮してあるのに、これだけの赤字がでるわけである。

 他にも急性大動脈解離、心筋梗塞、難しい小児救急疾患、ハイリスク分娩など、大学病院が引き受けている不採算医療は枚挙に暇がない。これでは大学病院は立ちゆかない。最後の砦はまさに落ちる寸前なのだ。

【特定機能病院の医師の処遇】
 大学病院の人件費は極めて安く切り詰められている。特に医師の待遇は厳しいものがある。大学病院の医師の半数が研修医や医員といった日々雇用である。

 例えば医員は平均33歳、給与年額が約300万円である。30歳過ぎても正社員になれないままなのだ。さらに、国立大学協会のデータによると特定機能病院の30代の医師の一週間あたりの平均勤務時間は97時間と長時間である。

【独法化の影響】
 さらに、驚くべき事実がある。大学病院で正社員にあたる職員、たとえば教授や講師であるが、これらは文部教官であり、人件費は医療費からまかなわれているわけではないのだ。この代わりに文部科学省による補助金等で賄われている。具体的に言えば、2001年の東京大学病院の半分近くは補助金だった。つまり、これで大学病院の持ち出し分を補っていた。

 補助金の一つある運営費交付金は、国立大学病院全体で2004年度は584億円だったが、独法化に伴もない2009年度は207億円にまで減少した。独法化当初、大学病院の診療報酬収入を2%上げ、その代わりにこれらの交付金を減らす計画が立てられたが、実際には交付金の減額が医療費の増益をはるかに上回り、国立大学法人は2009年度予算全体で197億円の赤字となった。私立医科大学についても、2008年度決算で80億円の赤字となっている。

 現在、多くの大学では赤字部分を、大学本体から補填してしのいでいる。私も病院長として山形大学で様々な改革を行ったが、もうその限界を超えたと感じている。患者数もついに減った。先に待っているのは、大学病院崩壊とそれによる地域医療崩壊、そして大量の医療難民である。

 大学病院の財政状況のデータからみれば、2010年度には、8割の国立大学病院が赤字になると私は予想している。現在大学は法人化されているので、ヘタをすれば不渡り手形を出すことになり、大学病院は倒産するのだ。このような状況にあるのは、これが良かったのか悪かったのかは別として、我々が大学で不採算の医療をやってきた結果である。

【最後の砦を救うために】
 医療機関の健全な経営のためには、医療費で自立できるようにすることが重要だと私は考える。
 具体的には、大学病院が健全に医療費で自立するために、1)特定機能病院の入院料を50%増やす。2)DPC係数を1.9にして、2996億円(医療費総額の0.88%に相当)増やす。この2つを私は提言する。このような対策を講じれば大学病院は何とかやっていける。そして、大学病院の崩壊によって生み出される医療難民の発生を防ぐことができるのだ。


 今回の記事は転送歓迎します。その際にはMRICの記事である旨ご紹介いただけましたら幸いです。

MRIC by 医療ガバナンス学会
http://medg.jp

---------- 【引用ここまで】 ----------

 お医者さんと言えば高額所得者の代名詞と思われがちですが、大学病院などの勤務医の過剰労働と低所得の惨状はあまり世間に知られることはありません。

 医は算術などと揶揄されることもありますが、医師の多くは奉仕の精神に満ちあふれていて、算術よりも患者の治癒に全力を尽くすマインドの方が多いのです。
 
 しかしその奉仕の精神にも限界があります。地域の医療がぽろぽろと崩壊を始めているのはなによりその予兆であると感じなくてはなりません。

    ※    ※    ※    ※

 そもそも医師という職業には圧倒的な情報を持つという特殊な能力が備わっています。患者の情報レベルでは到底たどり着けないものを持っているがゆえに然るべき報酬も払われる存在なのです。

 慶応大学の権丈先生はこう言います。

「みかんを買いたいと思って果物屋に出かけ、そこで店主が『あなたの欲しいのはみかんではなくメロンです』と言われたとき、『メロンですか。てっきりみかんだと思っていました。ありがとうございます』という反応を示すだろうか。

 医療では、風邪だと思って病院を訪れ、そこで医師から『風邪ではなく肺炎です』と言われれば、思わず『肺炎ですか。てっきり風邪だと思っていました。おかげさまで助かりました』という状況になりかねない。

 こういう状況が起こり得ることは、医療の世界では医師誘発需要理論という考え方で説明できる[10]のであり、わたくしは医師誘発需要理論は、医療の実態をかなりうまく説明していると考えている。

 つまり、わたくしは医療における情報の問題は、他の財・サービスと比べて、やはり深刻であると考える方に属していると思う。店主にあなたの欲しいものはあなたが言っているものではなく、他のものですと言われて、はいそうですか、ありがとうございますということが、他の財・サービスでしばしば起こるとは、わたくしにはなかなか考えにくい」(2005年1月5日勿凝学問25.5ver.2)


 医療という特別な分野をよく表したお話でしょう。


 救急や小児医療には、今や様々なしわ寄せが来たと考えられています。別な記事では、「救急医療現場で行われる心臓マッサージは1時間で2900円です。これは、駅前のマッサージより安価です」

 命を救う心臓マッサージが駅前のマッサージサービスより安いとはどういう制度なのでしょうか。そろそろ国民も医療の現状を本気で考えなくてはなりますまい。

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さて、社会保障という世界の海へ飛び込んでみましょうか

2010-01-05 23:49:43 | 社会保障を考える
 最近勉強しているのが日本の年金や医療、介護などの社会保障の問題。

 思えば、何かと話題にはなっているものの、私自身正しい知識や理解をしているとは到底思えません。

 しかも世の中には評価が正反対な主張や本が溢れていて、本当のところどの主張が真に現状を正しく表しているのかが実に分かりにくいのです。

 ただでさえ大きくて難しい社会保障という大木を考えようという時に枝葉末節な言説に惑わされてしまえば本質になかなかたどりつかないでしょう。

 さて、それでは誰のどんな主張に耳を傾け、一体どんな本を読んだらよいものか、とネットのリサーチを続けていたのですが、その果てにようやくたどりついたのが慶応大学商学部の権丈善一教授という方でした。

 この先生、既に年金や社会保障の世界ではこれまでの常識とは違った主張を吐きまくる異端児っぽいところがあるのですが、その論は数字とデータを元に構築され、ふわふわした感情論とは一線を画した確固たるもので、目からウロコが落ちるような思いを与えてくれます。

 権丈先生の主張の要諦は、「医療・介護、保育・教育のための資源を社会から優先的に確保し、かつこれら対人サービスの平等な消費が実現できる社会をつくりたい」ということです。

 そのためには、働き方が正規雇用だろうが非正規雇用だろうが時間あたりの賃金や社会保険の適用に差がないようにしなくてはならず、そうしたうえで就業形態を選択する自由が保障される社会をこの国が目指すように社会や有権者を説得しなくてはなりません。

 権丈先生は、これからの日本が医療や介護、年金でぐらつかないような社会を作るべきだし、それを実現しようと思えば、他の行政分野のムダと呼ばれるようなゴミみたいな予算をかき集めたところで桁がまったく足りないのだ!と断言します。

 だからもう早晩日本は増税や社会保険料の引き上げをせざるを得ないのが明らかだ、しかし日本という国はそういう政策をやろうとする政治家を落とす【癖】のある国でもある。

 しかし論を正確に国民に伝え、増税などの国民負担率の増加はやがて自分自身の老後の安定に繋がる明るい未来への決断に他ならずそれ以外に日本を社会崩壊の道から救う手だてはないんだ!と断言するのです。

 これはなかなか深い論ですぞ。

    ※    ※    ※    ※

 権丈先生は、政策の意思は毎年の予算に占める政策経費の割合ではなく、国民所得(あるいはGDP)に対して国民がどれだけ支出しているかという割合で見なくてはならない、と言います。

 国民全体が稼いでいるお金のどれだけを何に使っているのかこそが、その国が何を実現しようとしているのかという指標になると言う主張です。

 そしてそう言う前提で世界を見たときに国民所得に占める社会保障負担率は、一応は先進国とされるOECD諸国30カ国の中でもなんと下から三番目という低負担国家であることが分かるのです。

 日本より負担率が低い国というのはメキシコ、トルコ、韓国くらいなもので、しかもこれらの国は高齢化がまだ進展しておらず全体として若い国なのでそうした負担がまだ問題になるような情勢でもない。日本は世界でも先頭グループに属する高齢化社会を迎えようとしているに、これでは求められる社会保障
は絶対に果たせるはずがないのです。

 そしていわゆる小泉改革と称される政治が行ったことは唯一、国に託すしかない社会保障機能をも徹底的に削ぐことでしかなかった。

 小さな政府、大きな政府というのは社会保障が小さいのか大きいのかということとイコールであり、公務員の削減などはそうしたことからみれば桁違いに小さい話しでしかないのです。


    ※    ※    ※    ※

 2007年秋の福田政権誕生の際に時の自民党は「社会保障を守り抜くには負担増以外に道はない」という趣旨で小泉路線では封印されていた議論を行う「財政改革研究会」を立ち上げました。

 権丈先生はこの会議にこの年の10月に2度呼ばれて意見を述べられたのですが、その年の11月にこの研究会では「2010年代半ばに10%程度に引き上げることを掲げた『中間とりまとめ』を公表し、消費税の使い道を年金など社会保障給付の財源に限る」という提言を行いました。

 麻生政権でも消費税の増税が言及されました。要はそれを正しく伝え、国民を説得出来なければ豊かな日本の明日はない、ということに政権上層部は気づいていたのですが、その後の政権交代では消費税は上げないとされています。

 「コンクリートから人へ」というキャッチフレーズに見られる、国民への給付はある程度あるべき方向とはいえ、それに対する財源は明確に国民に負担してもらうという政治を実現しなくてはならないのです。

 このことにこれからの与野党がどういう姿勢を見せてくれるのかを見極めて、国民は正しい選択ができなくてはならないのですが、「所詮この程度の国民」からは「その程度」の政治しかできないのも現実です。

 さて我々は社会保障の問題をどう考えるべきでしょうか。これからもいろいろな機会にこのテーマは追いかけて行きたいと思います。

 なお、これらのことをもっと深く理解出来る格好の対談が権丈先生のホームページにアップされています。


 日本歯科医師会が権丈先生を招いて行ったもので雑誌のページとして掲載されています。興味のある方はぜひこちらもご覧ください。
 http://news.fbc.keio.ac.jp/~kenjoh/work/zadankai2.pdf
 http://news.fbc.keio.ac.jp/~kenjoh/work/zadankai3.pdf 



 国民の無知とお任せ体質につけ込んで、議論がねじまげられていることに気づかなければ、そのツケは確実に自分たちの老後に払わなくてはなりません。

 権丈先生の主張をどう考えるかも含めて自己防衛能力を高めなくては。


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