北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

札幌市の水道水はかなり美味しいらしい

2014-10-31 23:45:10 | Weblog

 ちょっとした仲間の会合での勉強会。

 今夜は北海道大学大学院工学研究院水環境保全工学研究室の高橋正宏教授をお招きして、「札幌の水道水はなぜおいしいの??」というタイトルでお話を伺いました。


 札幌の水道水は実際美味しいということなのですが、水が美味しいということはどういうことなのでしょうか。

 高橋先生によると、それは①適度なミネラル、②有機物を含まないこと、③見た目が清澄、④低めの水温ということで、札幌の水道水はこうした条件を備えているのだそうです。

 札幌市の水道水の供給は98%が豊平川から得られていて、豊平川をせき止めている豊平ダムの上流は国有林が広がり人家が全くありません。

 つまり汚す要素がないのであって、これだから豊平ダムもせき止められた水が腐敗する要素がありません。

 とはいえ、豊平ダムの下流にある定山渓温泉や豊羽鉱山からは温泉水や鉱山からの金属要素が流れ込んでいるのですが、じつはそれは導水管で遥か下流の視線にまで導かれていて、途中の豊平川を汚さないような処理がなされています。

 下水道の整備率も向上しましたが、札幌市の場合、下水道の処理水は豊平川の下流の支川に放流されていて市内中心部を流れる豊平川を汚さないような計画で進められています。

 そのため市内で鮭が遡上するようなきれいな水が保たれているのです。

 考えてみると、水源地の上流に人の活動がないような素晴らしい森林からもたらされる美味しい水を飲めるとは、札幌市とはなんと恵まれていることか。

 高橋先生の話を聞いて改めて札幌の水道水を見直しました。

 何気ないところに陰で支えている人たちや技術があって、高いレベルの幸せをもたらしてくれているのです。

 これもまたインフラの力だと思いました。

 

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てーほーんは二宮金次郎

2014-10-30 23:37:11 | Weblog

 

 来月またあるところで二宮尊徳についてお話をすることになっているので、いろいろネタを調べていて、文部省唱歌に「二宮金次郎」という歌があることを思い出しました。

 早速ネットで調べてみるとyoutubeにまさにその歌がアップされています。

 明治44(1911)年に刊行された「尋常小学唱歌 第二学年用」が初出だそうで、音質は極めて悪いのですがまあなんとかメロディの雰囲気は分かります。

 歌詞はこんな感じ。


1.柴(しば)刈り縄ない 草鞋(わらじ)をつくり
  親の手を助(す)け 弟(おとと)を世話し
  兄弟仲よく 孝行つくす
  手本は二宮金次郎

2.骨身を惜(おし)まず 仕事をはげみ
  夜なべ済まして 手習(てならい)読書
  せわしい中にも 撓(たゆ)まず学ぶ
  手本は二宮金次郎

3.家業大事に 費(ついえ)をはぶき
  少しの物をも 粗末にせずに
  遂には身を立て 人をもすくう
  手本は二宮金次郎


 学校ごとに柴を背負って本を読む二宮金次郎の銅像が建てられたのはもう昔の事。今は金次郎の銅像を見る学校が少なくなりました。

 それは二宮金次郎のような生き方が手本とされなくなったからだ、と言う人がいますが、私にはそもそも日本人が生き方に先人の手本を求めなくなったのではないか、と思います。

 「至誠」「勤労」「分度」「推譲」を唱えて実践を大事にする報徳という生き方はもう精神論になってしまっているのかもしれませんが、改めて勉強してみるとひときわ強い光を放っているように感じます。


        ◆   


 最近学校では「道徳」の教科化が話題になっていて、先生たちはどういう教材で何を教えたらよいか戸惑っているというようなことが報道されていました。

 先生がしかつめらしく「○○でありなさい」「○○をしてはいけません」といった答えを出すのではなく、天命を感じ、宿命をのがれずに運命を一所懸命に生きた何人もの先人の生きざまを見せるのが一番なのではないかと私は思います。

 そこから子供たちも大人も、何かを感じて自ら感化されることが大切なのではないでしょうか。

 

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ふてくされちゃダメなのよ

2014-10-29 23:50:59 | Weblog

 思うだけで物事がうまくいくなんてことがあるのだろうか。
 ニコニコしているだけで本当に幸福は舞い込んでくるのだろうか。
 その因果関係は証明できるのだろうか。

 こんなことを時々考えているのですが、おそらく直接の因果関係は証明できないでしょう。

 しかし人生を長くやっていると、これらの言葉の中にある種の真実を感じるようになるものです。

 うまくいく人にはやはりニコニコしている人が多い。信じて物事を進めている人はやはりうまくいっている。

 そんな事例が多いことにだんだん気が付いてきます。それは人生を味わっているうちに身についてくる考え方なのだと思います。


       ◆ 


 致知からのメルマガにこんな記事がありました。 

 

 以前、ある経営者に、
 人生で一番大切なものは何かと尋ねたことがある。

 その人は
「それは自分にもわからないが、
 こういう人は絶対に成功しないという条件はある」
 と答えられ、次の四項目を挙げられた。


 一つは言われたことしかしない人。

 二つは楽をして仕事をしようとする
 ──そういうことが可能だと思っている人、

 三つは続かないという性格を直さない人、

 そして四つはすぐに不貞腐れる人である。

 
 省みて、深くうなずけるものがある。

 多くの人生の達人が教える人間学のエキスは、
 いつ、いかなる状態においても、
 常に精神を爽やかに奮い立たせることの大切さである。

 精神爽奮(そうふん)。
 いつも颯爽としている。
 いつも颯爽とした気分でいること。

 そこに幸運の女神も
 ほほえんでくるということだろう。


 『人生の大則』(藤尾秀昭・編)
  


       ◆   


 これらのことだって、その因果関係を証明することはできないでしょう。しかしたくさんの人を見て人生経験を積んでいくと、この言葉に真実味を感じ、そして自分もそういう理想に近づいてみようと思うようになるものです。

 多分わからない人は一生分からないでしょうし、そういうことはあるのだと思います。だから分かる人にだけ分かってもらえればよいのです。

 さて、自分は本当に分かっているのかな。

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コツコツ積み上げる観光地の魅力

2014-10-28 23:18:57 | Weblog

 今月の始めに群馬県を旅して、吹割れの滝や富岡製糸場を見てきました。

 観光のことを考えるにつけ、世に優れた景観はたくさんあるのだけれど、それだけではなかなかお金にならない、稼げる施設になるのは難しいと感じている私。

 吹割れの滝でも、そこから稼ぎに結びつけるのはせいぜい駐車場とその周辺のお土産屋さん、そして近傍の温泉宿という組み合わせでしかありませんでした。

 いくらすばらしい景勝地でもそれをビジネスにするのは難しいんだなあ、と思っていたのですが、ふと(それにしてもはるばる札幌から吹割れの滝を見に行こうと思って、そこまで行くのだからついでに富岡製糸場を見に行こう、という気になったんだよなあ)と思い返しました。

 個別の施設にはそれほどのお金を落とさなかったとしても、飛行機台や鉄道代、宿代に食事と積み重なるとそれなりの出費にはなっています。

 大きなメインの魅力で地域に引っ張ってきて、そこから周辺地への移動・観光を誘い、トータルでお金を落としてもらって満足を与えるというのが、エリア全体の観光政策。

 自然の景勝地にせよ産業文化遺産にせよ大きな魅力はより大きな吸引力を磨き、周辺のミニ観光施設はおもてなしで納得と満足を与え、宿泊施設、休憩所、トイレ、道路環境などはしっかりと維持管理されて、地域全体の不満を解消し魅力を増すように努力するのが良い。

 小さな観光地の単位で損得や良し悪しを考えるのではなく、地域やエリア単位での総合的な魅力を考える視点を持つべきです。

 大儲けはできなくてもなんとかそこで営業を続けてくれていることが大切な宿やソフトクリーム屋さん、美術館があることで地域の魅力が増している施設は多いのです。

 地域観光のポテンシャルというのは、大きなホームラン一本ではなく、"合わせ技一本"で、コツコツ積み上げた総合力です。

 そういう視点で、参加者に脱落者を出さないようにしてみんなで支えつつ、大きな魅力を育成するというように地域全体で取り組みたいものです。


      ◆   


 北海道開発局ではこのたび、ホームページのかたすみに「フラっとインフラ 公共施設写真集」というコーナーを設けました。

 なにかしらの形で北海道開発局が関わってきた公共施設の中にはちょっとした観光地としての魅力を持ちつつある施設が結構あるのです。

 旅のメインの目的にはならないかもしれませんが、ふらっと立ち寄ってみると「おお、案外すごいじゃないか」という景色が広がっているかもしれません。

 
【フラっとインフラ 公共施設インフラ写真集】
 

 もちろん滝野すずらん丘陵公園も載っていますよ。

 

 

 

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悪口には反応しない戦略

2014-10-27 22:06:35 | Weblog

 
 東洋経済オンラインに、『スタバが「ネガティブ広告」に反撃しない理由』という興味深い記事がありました。

【スタバが「ネガティブ広告」に反撃しない理由】
 http://toyokeizai.net/articles/-/51378


 『戦略は「一杯のコーヒー」から学べ!』の著者である永井孝尚さんに、コーヒーの裏側にある高度なビジネス戦略について語ってもらったものですが、企業が社会にいかに評価してもらい共感してもらえるのか、という内容を通じて、自分たちの生き方にも通じるものがあると感じました。

 
 2008年当時、スタバが業績不振で苦しんでいたときにライバルの米国マクドナルドはスペシャリティコーヒー市場参入を表明し、そのプロモーションの一環としてスタバの本拠地であるシアトルで、「4ドル(Four Bucks=starbucksの引っかけ)なんて馬鹿らしい。エスプレッソをどうぞ」という看板を100カ所に出したのだそう。

 話題づくりも兼ねたネガティブキャンペーンですが、スタバはこの広告に直接の反論をしませんでした。

 その代わりに、2008年11月の米国大統領選挙で事前に54%と低い投票率が予想されると、「選挙当日、店頭で『投票に行ってきた』と言えば、トールサイズ1杯差し上げます」というキャンペーンを行いました。当日飲まれたコーヒーは普段の2.5倍にのぼり、店内は活気に溢れたと言います。

 「スタバはこのイベントによって、莫大な予算をかけなくても来客数を増やし顧客と積極的に関わる方法があると学んだ」と永井さんは言います。


       ◆     

 
 さらに翌2009年に、今度は「地球温暖化防止のため、紙コップをやめてマグカップにしましょう。4月15日にマグカップを持ってきたらトールサイズ1杯差し上げます」というキャンペーンを全世界で行いました。

 単なるキャッチコピーの面白さや印象だけで自企業を売り込むのではなく、社会における役割を訴えかけることで企業価値を訴求するスタイルは、意識の高い人にこそより多くの共感を得るに違いありません。

 飲食店だったら、まずはお客さんに自店に来てもらい味わってもらわないことには自慢の美味しさも雰囲気も分かってはもらえません。

 そこで普通のビジネス戦略だったら半額セールやクーポンなどの発行で値段を安くすることで来店ハードルを下げることが多いでしょう。

 しかしそれを値段の魅力にしてしまえば、値段が元に戻ったときには魅力の柱を失ってしまうことになります。

 スタバがすごいのは、値段にかかわらずここでコーヒーを飲むという確固たるファンを獲得していることなのですが、そこには値段以外にも社会貢献や人道的貢献のために行動するという企業価値を訴求して、それでファンの心をつかんでいるところ。

 口でうまいことを言うよりも、一つの具体的な行動で考え方や思想を示すべきだということです。

 さて、では自分自身は悪口を言われるような事に対して、どう立ち向かえるでしょうか。

 男は黙って具体的な社会貢献活動といきますか。

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同じ高さ25センチでも

2014-10-26 21:44:01 | Weblog

 天気が良いので、妻と一緒に家の近くの三角山へ登ってきました。いつも見ている山なのに、上ったのは約10年ぶりくらいでしょうか。

 少しは気温も冷え込んできたかと思って厚手の服を着て行ったところ、思いのほか風が生暖かく山道では随分汗をかきました。

 カエデの類の黄色い落ち葉が敷き詰められた美しい登山道を上って行くと、若い家族連れや高齢者の夫婦など結構多くの人たちが山道を上り下りしています。

 元気の良い子供たちに抜かれながら、小一時間もかからないくらいで頂上へ到着すると、快晴で札幌の中心部が一望でき気分は最高です。

 
 山道の途中にはいろいろな山野草が生えていますが、道のすぐそばにフッキソウという背の低い植物がありました。

 背丈は約25センチほどで漢字で書くと「富貴草」とされます。草と名がついていますが、分類上は小低木として樹木と分類されます。

 過去に何度か書いているように、樹木と草本の違いは次年度に葉や花として開く冬芽が地上にあるか地下にあるかということ。

 草本は夏の間にいくら大きくなっても翌年の芽は寒い冬を地上で過ごすということができません。だから毎年土の下から生長を始めるので大きくなれないのです。

 それに対して進化の過程で冬芽を地上部で耐える力を身に着けたのが木本類。冬芽が冬期間に地上で耐えられれば、翌年はそこから生長を繰り返すことができるので、個体は年を重ねるごとに大きくなれるというわけです。

 

     ◆  

 
 フッキソウは冬芽を地上部で過ごすので木本類に分類されますが、それでも高木になることはなく地上を覆う程度の高さ25センチ程度にしかなりません。そういう道を選択したのですね。

 フッキソウのすぐ近くにイタヤカエデの幼木がありました。高さはフッキソウと同じく約25センチ程度ですが、こちらは生長すればやがて20メートルにもなろうかという大木になります。

 今は同じ高さ25センチほどの木ですが、これ以上は大きくならない木とやがて高木になるであろう木が同じところに生えているというのは面白いですね。

 秋の景色を楽しんだ一日でした。
 
 

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そ、そんなにたくさんは覚えきれない

2014-10-25 23:45:32 | Weblog

 

 甥っ子夫婦が一か月ほど前に生まれた女の子へのお祝い返しを持ってきました。

 甥っ子夫婦には男の子二人の兄弟がいるのですが、どうしても女の子が欲しくて三人目にチャレンジ。見事に女の子を授かったのでした。

 この甥には姉、つまり私にとっての姪っ子がいるのですが、こちらはすでに三男一女を授かった子だくさん夫婦。

 ここに私の長女の息子がいて、さらにどうやら年明けには二人目の孫が生まれそうです。

 つまり妻方の両親にしてみると、直系の内孫二人が7人の曾孫持ちで、外孫がもうすぐ二人目の曾孫を生む算段。

 今時、長生きをしたところで曾孫9人というのは凄いでしょう。

「だんだん曾孫も名前が思い出せなくなってきた(笑)」と言っていますが、さもありなん。ときどき私だって姪っ子甥っ子の子供たちの名前が分からなくなりますから。

 曾孫の名前が思い出せないなんて、少子高齢化の昨今、実は贅沢なんじゃないかと思うようになりました。

 人間、頭が良いとか美人だとか、いろいろな望みがありますが身体や心の健康であることも含めて、やっぱり『生命力がある』ということが全ての根源なのじゃないでしょうか。

 子は世の宝。健やかに育ってほしいものです。

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本の感動ポイントには線を引く

2014-10-24 22:03:02 | Weblog

 

 私は本を読む際に、「これがポイントだ!」と思うところにどんどん線を書き入れて、ページの端を折るという読み方をします。

 ページの折り方の量で、そのページにどれくらい強く印象を持ったことが書かれているかを示すので、後で本を開いたときにもどこにポイントが書かれているかがすぐに分かるというわけです。

 最近これを続けている中で気づいたことがありました。それは「ここがポイントだ」と思って線を引いている箇所は二種類に分けられるということです。

 一つは興味深いエピソードになっている部分。歴史物語や科学読み物などでは覚えておくと宴会の席などで「へえ」と言ってもらえるので覚えておいて損はありません。

 そしてもう一つは、本の中で著者が言いたい主張や主題に関すること。この本を読んで自分が成長したと思えるのは、このポイントを知ったからだと感動するポイントがあるので、それがもう一つの種類というわけ。

 今まではエピソードも主題も同じように赤い色で線を引いていたのを、上記のことに気がついてからは主題を赤で、エピソードを青い線で引くようにしました。

 こうしておくと、後から参照するときにさらに自分でどういう感情で線を引いたかがさらに分かりやすくなることに気がつきました。


        ◆    


 プレゼンテーションや講演をするときにも、話す内容にはエピソードと主題の部分があるのではないかと思います。

 話をするときに、一見今日のテーマと何の関係もないようなそれでいて興味深い歴史物語やエピソードを話し始めます。聞いている人は「何?なんなの?」と思うはず。

 そこから今日の主題の関連性について説明に繋げると、そこでようやく聞いている人たちは「ああ、そういうことなんだ-」と得心がいって腹にストンと落ちて、印象的に心に残るというわけです。

 エピソードと主題の上手なミックスで、プレゼンもうまくいきますし、書く文章もこなれてくることだろうと思います。ぜひお試しあれ。

 
 

 

 

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ドボジョから「けんせつ小町」へ ~ 言葉の問題にしちゃいけないね

2014-10-23 23:49:30 | Weblog

 「ドボジョ」という言葉があります。これは土木系の仕事をする女性のことで、元々は松本小夢さんという方が描いた少女漫画のタイトルです。

 主人公は五人兄妹の末っ子である女性で、とあるきっかけで土木の現場に飛び込んでゆく物語り。

 このタイトルが「ドボジョ」だったことと、折しも建設現場でもっと女性にも活躍してもらわないと建設技術者が足りないという建設業の問題意識、さらに安倍政権が女性の社会進出を促す政策をとろうとしていることなどが相乗的にあいまって、女性土木技術者をドボジョという愛称で呼び、女性にもっと建設業の世界に入ってもらおうという活動が活発になっています。

 こうしたある種の女性の集団に愛称をつけることは割と好まれていて、山登りが好きな女性を「山ガール」、森林浴が好きな女性を「森ガール」と呼ぶように、女性のトラック運転手を「トラガール」と呼んだりします。

 9月には、トラガールとドボジョが安倍総理と面会を果たし、女性の建設現場への進出をアピールするような話題も振りまきました。

 女性には慣例にとらわれずに大いにこの世界でも活躍してくれる期待が高まっています。


        ◆ 


 先日、職場のエレベーターで土木技術者の若い女性と一緒になった時に、「これからはあなたたちの時代だよ。ドボジョ、いいね!」と声をかけました。

 すると、その女性は苦笑いしながら、「分かりますけど、その"ドボジョ"って言い方はなんとかならないでしょうか。どうもアニメの"ドロンジョ"に似ていたり、濁音が多いので清々しいイメージにならないような気がしてなんだか好きになれないんです」とややネガティブな反応。

 なるほど、流行かもしれないけれど当の女性たちは「ドボジョ」と呼ばれることをポジティブに受け止めていないのかもしれないなあ、と感じたのでした。


 そんなところへ昨日、日本建設連合会(日建連)が、建設現場で働く女性の愛称を「けんせつ小町」に決めたという記事が掲載されていました。


【yomiuri online】『建設現場で働く女性は「けんせつ小町』

 日本建設業連合会は22日、建設現場で働く女性の愛称を「けんせつ小町」に決めたと発表した。

 親しみやすい愛称でPRし、人手不足が続く建設現場に女性の働き手を呼び込みたい考えだ。

 土木系の仕事や研究に携わる女性の愛称としては、すでに「ドボジョ」(土木系女子)が使われている。日建連は土木だけでなく、建築・設備工事などを含め広く建設現場で働く女性を表す愛称を先月から募集していた。

 2900件を超える応募の中から、会員企業で働く17人の女性が選考した。美しく聡明(そうめい)な女性のイメージに加え、「建設」をひらがなで表記して親しみやすさも表現したという。

 国土交通省と日建連など建設業5団体は、建設現場で働く女性を今後5年間で20万人に倍増させるために、職場環境の改善や企業の意識改革にも取り組もうとしている。

 http://www.yomiuri.co.jp/job/news/20141023-OYT8T50056.html


       ◆ 


 なるほど、"ドボジョ"改め"けんせつ小町"ときましたか。ドボジョにみられる濁音が一つもなく清々しい発音です。

 でもちょっと長いかな。それにトトトンとくるようなリズム感に欠けるような気もします。

 さて女性がこの言葉をどう受け止めて、言葉の流行り廃りを越えてこの世界に注目して飛び込んできてくれるでしょうか。

 けんせつ小町。試されているのは言葉の力だけではなく、実際に女性を受け入れるための、障碍の除去だったり男性社会に残る偏見のように思います。

 言葉はどうあれ、建設業では女性たちの活躍が大いに期待されています。

 

 

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匂いの向こうにある遠い思い出

2014-10-22 22:57:55 | Weblog

 匂いを感じる嗅覚(きゅうかく)というのは人間の感覚器官の中でも最も原始的な感覚なんだそうです。


 五感のうちで、感覚情報が感覚器官からダイレクトに処理器官に直行するの
は嗅覚だけで、それいがいの視覚や聴覚などの情報は一旦視床という中継地点を経由してから情報の処理器官に送られるとのこと。

 そして嗅覚を判断する嗅覚中枢は大脳の辺縁系というところにあって、これは進化的に古い動物に共通に見られる部位なので、大昔から動物が生き残るためには匂いをかいで食べ物や敵の存在を察知して、安全や危険を判断することが必要不可欠だったのでしょう。

 またそういう原始的な感覚だからなのか、嗅覚は他の感覚に比べると刺激を受けることで記憶を呼び起こす作用が強いのだとか。

 何十年経っていても、特定の匂いを嗅ぐと記憶の彼方の情景が思い浮かぶというのはおそらく誰しもが経験していることではないでしょうか。


 
 先日出張で旭川へ行ったときに、地元の方達と懇親会をしていて、「昔は国策パルプの匂いが強くて、臭いなあと思っていましたが、今ではなんだか懐かしく思い出しますよ」と言うと、「そうですね。今は大分消えましたがまだたまに匂いがすることがあります」とのこと。

 そういえば故郷が釧路だという人と話をしていたら、「車で釧路の親元へ帰省するときは大楽毛当たりでパルプの匂いと魚の匂いがしてきたら『ああ、釧路へ帰ってきたんだなあ』と思ったものですよ」と言っていました。

 だれにも故郷の匂いがありますね。


       ◆     


 晩秋から初冬のこの季節、私は家々が暖房のために石炭を燃やす匂いと材木屋さんの切ったばかりの板の匂いを嗅ぐと、中学校の時の新聞配達の風景を思い出します。

 ちょうどこの時期に新聞配達をしていて、配達先が覚えきれなくて四苦八苦していた思いなどとも重なって、匂いと結びついた印象的なシーンが頭の中にできあがっているのですね。

 最近は材木屋さんも少なくなり、また家で石炭を焚く人も少なくなりましたが、たまにそんな匂いに触れると無性に子供時代が懐かしくなります。

 北海道の冬の匂いにも思い出の要素があるのです。

  

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