北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

小樽見物~小樽のお店は面白い

2006-04-30 23:20:40 | Weblog
 天気も少し良さそうなのでどこかへ行きたいね、ということでゴールデンウィークらしい過ごし方一日目。今日は小樽へ行ってきました。

【そうだ、小樽へ行こう!】
 朝に思い立って、今日は家族で小樽へ小旅行。小樽などは車で30分くらいなので、行楽地としてはあまりに近すぎるために、いつでも行けると思って案外歩いていないものです。

 冬の雪あかりのイベントのときにはローソクの明かりを見て回りましたが、雪が融けた後の春から夏の季節の小樽も、小路のお店巡りなどが面白そうです。

 家を出てから高速道路に乗って最初の目的地であるカマボコで有名な「かま栄」さんに到着するまでわずか40分。一時間もかからずに道内有数の観光地に行けるのですから、もっと味わってもよいのにと改めて思いました。

 さてカマボコの老舗「かま栄」さんは創業が明治38(1905)年と言いますから、既に創業100周年を経過しています。小樽でも有数の老舗店です。

 しかしそれだけではなく、伝統に頼るだけではなく常に新しい製品を世に問う進取の気質もあるところがかま栄さんの魅力です。

 カマボコというと板の上に赤や白の魚の練り物が乗っている物を想像しますが、お店ではウズラの卵やチーズなどいろいろな食材を練り込んだカマボコを揚げたてで出してくれて、この揚げたてが実に美味しいのです。

 今日一番の目的は、カマボコをなんと食パンでくるんで揚げた「パンロール」です。これはとんねるずの「食わず嫌い王決定戦」に大泉洋さんが持ち込んだ事も話題になっているのだそうですよ。

 早速これを買って食べてみました。あまりパンという感じはしませんが、確かに面白い食感ですし、なにより味が本当に美味しいのです。この揚げたてはやはり小樽へ直接来ていただかなければ味わえません。

 中には真空パックの揚げかまぼこの商品もありますが、現地に来る事が絶対に必要な差別化が出来ています。これこそ観光の原点だと言えるでしょう。

 かま栄のカマボコのすごさを改めて知り脱帽しました。近くて良かった~!

    *   *   *   * 

 続いて運河通りから一本南に入った小路を散策。ここもかつては問屋街で賑わったと言いますが、いまではお土産屋さんが店を連ねてちょっとした観光路地になっています。

 「七日食べたら鏡をごらん」という曰くありげなお店に入ってみました。

 お店の名前は「利尻屋みのや」さんといい、ここは昆布屋さんでした。ご主人は利尻島出身なのだそうで、日本の95%を算出していながら案外北海道では食べられていないという昆布を、もっと道民にも消費してもらいたいということで始めたお店なのだそうです。

 中国の不老長寿の薬とは実は昆布だったのでは?といった奇抜な発想の昆布物語がお店の中には飾られていて、昆布に興味がわくような面白い仕掛けが満載です。

 昆布を醤油で煮た2センチ角くらいの一片を湯飲みに入れて、熱湯を注ぐだけでこれが美味しい昆布茶に早変わり。かと思うと、粘りけ成分フコイダンのあることで有名な「がごめ昆布」を粉末にした「アラジンの秘密」という不思議な商品も面白かったです。

 おみそ汁にちょっとだけ入れると、あら不思議みそ汁がぬるぬるになって昆布風味もアップします。納豆でもオクラでも、ぬるぬるは健康に良いと言われますがいかにも健康になりそうな気がしてくるから不思議です。

 お店のご主人と奥様の愛想も抜群に良くて、試飲などすると私などはもうすぐに引き込まれて買う気になってしまいます。こういう商売っ気に出会うのも商店の面白さであり、ショッピングセンターにはない売り物です。

 今日は小樽の面白さの一面に触れる事が出来ました。うーん、昔の建物といい、雰囲気といい、札幌より面白いかも。
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おやじの会の総会~今年は新会員が多いよ

2006-04-29 23:29:39 | Weblog
 ゴールデンウィークの初日ですが、今日はおやじの会の総会です。今年は新しい会員は何人くらいになるのでしょうか?
 増えると良いのですがねえ。

【おやじの会の総会】
 夜6時からの総会のために、役員は4時半から中学校に集まって総会資料の作成を行います。

 学校にはリソグラフという全自動の輪転機があるのですが、たった40部くらいの資料だと、コピーでも値段が変わらないかも知れませんね。

 さて、総会は例年、学校近くの会館で行われます。今回も事前の出席者登録で36人ほどの出席が見込まれていて盛況が予想されます。

 総会には今年から入会する新会員4人が加わって、和気あいあいとした雰囲気の中で行われました。

 昨年度の事業報告、会計・監査報告、新年度の事業計画、予算計画と議事は続いて、今年の役員決めでは、会長副会長まではすんなり決まったのですが、いくつかの部会長が未決定。

 これは例年の事で、懇親会の時間中に会長が会員の間を回って耳元で訳の就任をささやくというのが恒例になっています。一度ささやかれたら、そこは快諾をするというのも不文律に(?)なっていて、案外皆さん引き受けてくれるものです。

 もっとも我が会のモットーは「無理をせず」ですので、役についても決して無理はせず、周りが補い合いながら会の運営をして行く事になるのです。

 皆勤賞などは必要ないのです。

    *   *   *   * 

 懇親会ではいよいようち解けて、新会員には会の実態と仕事以外での父親の地域での友達の良さを説明して親交を深め合いました。

 一人一言の自己紹介では、会の楽しみ方、なぜこの会に入ったのか、エピソードを話す人もいれば、冗談で笑わせるなど次第次第に盛り上がって行きました。

 新会長からは、「奥さんからは、『どうせ飲み会でしょ?』と思われているかも知れませんが、この会で飲むというのはこの総会懇親会と、新会員歓迎会と忘年会の三回だけですよ。もっとも役員会やスポーツ交流会の後に有志が流れるという事はしょっちゅうですけど…」との紹介もありました。

 中には新入生のお父さんだけでなく、三年生のお父さんもおられて「この会がある事を最近やっと知りまして…」とのこと。

 子供があと一年だから別に参加せずにおくも良し。その一方で、この機会にその後も地域の中で親友達が多い楽しい暮らしをして行くのも良し。

 しかし自分と家族だけが、自分たちの家という空間の中だけで関わりを持たずに暮らして行くよりは、少しだけ自分の時間を使って仲間という社会の中であるときは助け合いながら、あるときは知らない世界を知るドアを開けるようなことが必要に思うのです。

 それも決して無理をせず、楽しく、怪我をしないように、やれる範囲でやるという心構えのバランスを取りながらやるのです。

 社会活動や地域活動には、このバランス感覚が必要で、のめり込みすぎてもだめですし、離れすぎてもやはりだめなのです。社会参加の練習をこういう会で行ってみるのもよいでしょう。

 良い事は理念よりも実践で行きたいものですね。今年もおやじの会をよろしくお願いします。

 
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ウルトラ・ダラー完読

2006-04-28 23:10:31 | Weblog
 今日が終われば明日からは長めのゴールデンウィークの始まり。皆さんはどう過ごしますか?

【友人に招かれる】
 旭川の友人達が、私が昨年発行した「掛川奮闘記」の出版記念会をしてあげるというので、午後に旭川に行きました。

 集まりはそこそこですが、友人、知人に会えたので良かったです。みんなそれぞれの世界で活躍中で、頼もしい限りです。またお会い致しましょう。


 さて行き帰りの電車の中で、手嶋さんのウルトラ・ダラーを読み終えました。ウルトラダラーは、実は某国が核弾頭を据えられる巡航ミサイルを購入するために選んだ手段であり、その受け渡しがヨーロッパのある国で行われることが分かりました。

 受け渡しのためのチームと当局側の知恵比べ、そこに登場する主人公スティーブの活躍と、その後に訪れる予想もしなかった展開。

 押さえたはずの現場から発見されなかったものは?そのわけは、こちら側の情報が漏れていたから?その犯人は?

 最後の数十ページで事件の真相が明らかになるのですが、そこからさらにラストに向かう急展開。そして予想もしなかった結末。

 「そ、そうなるの?」というのが正直な感想で、私の安易な予想は全く裏切られた形となりました。これはもう新聞記者の回想などではなく、現実を踏まえた立派な小説です。

 作者の手嶋さんは、中に登場するシーンのためには必ず現地を訪れて取材をし、そこから見える風景や雰囲気を上手に中に取り込んでおられます。

 ストーリーとはまったくかけ離れたところで、おや?と思ったことが一つだけありました。

 それは手嶋さんとお会いする事を仲介してくださった女性園芸家の方も言っておられたことでした。

 その方は「私、手嶋さんの本を読ませてもらったときに、ある一節で気になって『これイタヤカエデじゃないですか?』と言ったんですけど、『次の版のときになおします』ということだったんですよね」と言っておられたのですが、なるほど、主人公が函館を歩いているシーンで「ダイヤカエデ」という記述がありました。

 そんな名前のカエデ類は北海道では一般的ではないので、これはおそらくイタヤカエデの間違いなのでしょうね。

 この本の中には、いくつものブランド品や有名な地名が出てきます。その品を知っていたりその場所を知っていたりすると、さらに楽しく読めるのだろうと思います。

 もっと世界中を旅行したくなるような本ですが、ブランド品は手に入れられないでしょうねえ、とほほ。

 
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「オートキャンプ」というイメージからの脱却

2006-04-27 23:15:50 | Weblog
 やっと暖かい春の風が吹くようになりました。今年の春は遅かったです。

 そのせいで、今年はシラカバの花粉がまだ飛んでいないようです。とはいえ、必ず花粉が舞う季節になるのですが。

【オートリゾートの転機】
 北海道には、オートキャンプ場が集まってオートリゾートネットワーク協会という社団法人を作っています。

 現在は道内で一定の基準を満たした45カ所のオートキャンプ場が参加して、共同でいろいろな事業を行っています。

 現在傘下のオートキャンプ場では、年間利用者も約32万人で安定して増えもせず減りもしない状況なのですが、管理している自治体などは財政的になかなか苦しく、経営に苦労しています。

 それぞれのオートキャンプ場が新しくできた頃は、1サイトが120㎡ほどもあって、随分大きいようにも思ったのですが、今ではさらに道具類が大型化と多様化しているために、もっと面積を多く取った方が良いという風潮も出てきています。

 この20年間でオートキャンプ事情も随分と様変わりしたものです。

 ある意味ではオートキャンプという単語から来る一定のイメージが、新しいキャンプファンを増やす事を邪魔しているのかも知れません。

 例えば、オートキャンプといえば道具を買わなくてはならない、コールマンのランタンとストーブを買わなくてはならない、必ず自分たちで料理をしなくてはならない…などなどのお約束みたいなものがありはしないでしょうか。

 道具だって一度買ってしまうと、どんどん新製品が出るだろうし、家の物置のスペースを奪っています。

 いっそのこと道具など買わなくてもキャンプ場でレンタルしたってよいではないのでしょうか。そうすればいつでも新しい道具が楽しめるかも知れません。

 テントを張ったりしたくない、という向きにはテントを張ってもらうサービスだって買う事が出来る方が良いかも知れません。

 昔気質のオートキャンパーなら眉をひそめそうですが、結局何を楽しみたいのかということが、テントを張りたいのか、そんな時間はいらなくて、ただ椅子に座って風を感じていたいのか、という好みの問題だと思えないでしょうか。

 岩内町のキャンプ場に泊まる人の中には、町内のお寿司屋さんからお寿司の出前を取る人たちもいるとの事です。
「うまいんだわ、これがまた」というのはオートリゾートネットワーク協会の事務局のMさんの弁。

 料理だっていやならしなくて良いのです。オートキャンプという単語の持つイメージを一度払拭して、自分は何を楽しみたいのか、という原点に返ってみて、どうどうと買い食いキャンプでも良いのかも知れません。

 そのときにはもしかしたら「オートキャンプ」ではない何か別なイメージを与えてくれる単語が必要なのかも知れません。

 ネイチャーステイ、グリーンステイ、フリーステイ…、なにか良い単語はないでしょうか?
 
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Winnyの恐怖

2006-04-26 23:35:51 | Weblog
 家に帰るとうちの奥さんから「お父さん、昨日のブログの文章に『唸りました』っていう反響のコメントが来ていたわよ」といわれました。
 「そうかい、大反響だな」
 「うん、一人からだけだけどね」 ははは、まあそんなもんです。

【Winny恐るべし】
 朝一番の職場での会議の話題は、Winny(ウィニー)と呼ばれるパソコンのソフトによる情報漏洩の対策で持ちきりでした。

 ウィニーは、インターネット上のコンピューター間でデータファイルを簡単に共有する事が出来るソフトです。

 そのため若い人たちの間では、CDなどの音楽を音楽データに変換して、自由に曲を上げたりもらったりする事で、CDを借りなくてもただで曲を手に入れる事ができることができて重宝がられているのです。

 もちろんファイルを共有するためにはソフト上で、「この音楽データを誰でもダウンロードして良いですよ」という操作をするのですが、このことにはいくつかの問題が潜んでいます。

 一つ目は音楽データを勝手にやりとりする事による著作権侵害の問題です。そもそもこのように音楽を提供しても作者に対して対価が支払われないままに作品が流布してしまうのですから、法律の意識が少ないままにデータをやりとりすることを助けているのではないか、という問題です。

 そのために、ウィニーの作者は日本人なのですが、このプログラムのために著作権法違反幇助という著作権を侵害する事を助けている容疑で逮捕され裁判をしている最中なのです。

 そして二つ目が、著作権の問題を別にすれば、使い方によっては便利なこのソフトですがこれが悪質なウィルスに感染する事によって、本来共有する意図のないデータまでが自動的に出回ってしまうという事件が相次いでいるという事です。

 職場ではその辺のセキュリティ対策が最近はしっかりしてきているのですが、問題は自宅のパソコンです。

 息子や娘がウィニーを使っている自宅のパソコンで、お父さんが知らずに職場から仕事を持ち帰って家で作業していたりするときに業務上の秘密にあたる顧客データや個人情報などが勝手に公開されてしまっているという事件が頻発しているのです。

 基本的には家のパソコンでウィニーを使わない、ということが一番の安全対策になりますが、それが分からなかったり子供達がウィニーをこっそり使っていたりするととんでもない事件になる可能性があるのです。

 対策は①家のパソコンにはウィニーが入っていない事を確認する、②家では仕事をしないといった対策が考えられますが、どちらが現実的なのか難しいところです。

 家ではネットに繋がったパソコンで仕事をしない、家にネットに繋がっていないパソコンをもう一台買う…、などいろいろな事が考えられますが、どうも現実味が薄いですね。

 公務員は家のパソコンにウィニーを入れてはならない、などということを命令出来るでしょうか。またそれが公務員のモラルだと思えるでしょうか。

 便利さの陰に潜む危うさともろさは、社会に対する信頼を失わせる行為なのですが、こういうことが日常茶飯となっているのも現代社会の現実です。身を守るということを学習出来る社会である事も必要なのです。

 もっとも私などは、「社会の信頼をおとしめる罪」というものを創設して、厳罰に処するべきだと思っていますが、どう思いますか?
 
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関係する力

2006-04-25 23:16:45 | Weblog
 昔一緒にある情報系プロジェクトを実施したTさんが訪ねてきてくれて、お懐かしい限りです。
 今度は昔の情報通信系の人たちと一杯飲みながら情報交換とまいりましょう。

【関係力】
 私の朝の通勤はバスに乗って終点の札幌駅バスターミナルまで行きます。

 今日乗ったバスでは終点のターミナルに着いて列の最後におりようとしたところ、バスの中程で眠りこけている乗客が一人いました。こんなとき皆さんならどうするでしょうか。

 ①声を掛けて起こしてあげる
 ②どうせ運転手さんが起こすだろうから自分は知らぬ顔をして降りてしまう

 私の取った行動は、②で迷いながらも最後は①で、「もしもし終点ですよ」と声を掛けて起こしてあげました。起こされた人も別にお礼を言うわけでもなく、はっとしてそのまま私の後に続いておりました。

 たったそれだけのことなのですが、一瞬迷った事は事実です。仮に運転手さんが気付かないまま車庫に行ったとしても、どうせ自分には関係ないのです。
 
 しかしなんとかそういう弱気を克服して声を掛ける事が出来ました。私は寝ていた人に声を掛けたのではなく、寝たままで人が困るかも知れない社会に声をかけたのです。

 もし自分がバスで眠ってしまったときに起こしてくれるのは、見知らぬ誰かさんという個人ではなく、そこに親切な人がいる社会なのだと思うのです。

 私たちのコミュニケーション能力が低下しているといわれています。人に話しかけられない、人と会話が出来ない、他人と意思疎通を図ることが苦手…などなど。

 私たちは「知らない人から声を掛けられたら答えては行けない」と教わり、「人を見たら泥棒と思え」と習います。荷物を座席に置いて席を離れると置き引きに遭うと教えられます。

 確かにそういう被害にあうことも多いのでしょうけれど、私の実感は、席にカバンを置いたまま電車の外で静岡茶のペットボトルを買っても、置き引きには遭わない期待の方が大きいでしょう。

 「人を見たら泥棒と思え」と教えられる事で社会から遠く離れ、隔絶して行く人は、社会に関係しようとはしないでしょう。

 人は悪い事に会うリスクを恐れて消極的になることで、却って社会のリスクを増しているようにも思います。

 人を信じなさい、となぜ教えられないのでしょうか。もしも一度でも他人に騙されてひどい目にあってしまったら、そんな人もいるであろう社会を信じる事は出来ないのでしょうか。 

 私は、「他人から信じられる人になること」も確かに大事ですが、「人が信じられる社会の一員として振る舞うこと」の方がずっと大事な事のように思うのです。もしかしたらほんの少しだけ勇気の要る事なのかも知れないのですが…。

    *   *   *   * 

 仕事の関係で、札幌とその周辺市町村を対象にしてパーソントリップ調査という、人がどのような目的や手段で移動したかというデータを公的なアンケートで収集する準備を進めています。

 このアンケートの回収率が低い事が予想されていて、関係者一同頭を抱えています。

 アンケートに答える事で個人情報が悪用されたり、ひどい事に関わるのではないかという恐れをいだいたり、関係ないから答えないという人が多いからです。

 公的な目的のアンケートに答えてくださる事は、健全な社会づくりのために貢献する崇高な行動ですが、そうは思わない人が多いという事でもあるのでしょう。

 ここでも社会に関わる力が問われます。社会から遠ざかれば社会の健全性が失われることになるのだという因果関係の実感がわかないし、直接的な利害も理解出来ないからでしょう。

 このような多くの「社会との関わり方」についての価値観が薄れているようです。社会に関わって行く力の必要性とその価値観を親は子に、大人は若い人たちに伝えなくてはならないと思うのです。

 ほんの少しの勇気を持って…。

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「ウルトラ・ダラー」の著者、手嶋さんにお会いしました

2006-04-24 23:10:51 | Weblog
 そろそろいろいろな会合が目白押しです。4月の札幌の気温は平均の年から2~3℃も低かったのだとか。そうでしょう、なんせ寒いですもの。

【手嶋龍一さんにお会いする】
 手嶋龍一さんにお会いしました。

 名前だけだと「誰だっけ?」と思われるかも知れませんが、かつてNHKのワシントン支局長を9年も続けられ、あのニューヨークでの9.11テロの際には連日アメリカからテロ直後の政情を冷静に報道し続けた事で一躍有名になった方です。

 手嶋さんは実は芦別生まれで岩見沢東高校から慶応大学へ進まれたという経歴の持ち主で、純粋な道産子です。昨年の2005年6月にNHKを離れて独立され、現在は外交ジャーナリスト兼作家としてご活躍中で、ワシントンと東京に半々でお住まいだとか。す。

 すでにいくつもの著書をお持ちですが、今回は今年3月に発行された「ウルトラ・ダラー」という近未来小説のキャンペーンで来道されたところを、知人を介してお会い出来たのです。

 ウルトラ・ダラーとは偽札の相性です。以前世界中で非常に精巧なニセドル札が出回ったときに「スーパー・ダラー」と名付けられたことがあったのだそうです。

 アメリカ政府はそこで二度とニセ札が作れないように多くの仕掛けを施しました。例えば「100という数字の中に超微細なマイクロ文字がびっしりと並び、このマイクロ文字はどんなに高性能の複写機を使っても、文字が潰れて再現出来ない。そのうえ、肖像画の背景部分にも、複製を阻む兆候ドナ印刷技術が施されている。こうしてみると造幣当局の自身にもそれなりの裏付けはあると言っていい…」とセリフを語らせて、アメリカ政府のニセ札防止技術を持ち上げます。

 しかしそうやって持ち上げておきながら、「…だが、ダブリンで見つかったウルトラ・ダラーは、この札が持つ新しい機能をことごとく備えている。大胆に言えば本物だ。それが北朝鮮の造幣工場で刷られたというにすぎない…」と言い、もうほとんど本物といって良いニセ札が作られているという事実に驚愕するのです。

 そしてこのスーパー・ダラーを遙かに超える精緻なニセ札をウルトラ・ダラーと名付けているのです。

 手嶋さん自身は「これは小説ですよ」と言っているのですが、小説を書き終えてから後に、次々にこれらの元になったような事実が明らかになってきているのです。

 北朝鮮が日本人を三十数年間に拉致した人たちはどのような人たちだったか、そしてその目的がこのニセ札づくりに関係するのではないか、といった国際政治上の謎解きがここから始まるのです。

 実際アメリカではこのウルトラ・ダラーのために、市場では100ドル札はほとんど使えないのだそうで、アメリカへ旅行する際にも銀行で「アメリカでは100ドル札はよほどしっかりしたところでなくては使えませんよ」と注意をされるそうです。

 そのために旅行者もやりとり出来る最大の金額は20ドル札だそうで、笑えない状態なのだとか。

 実際の流通にあたっては、本物の紙幣100枚に対して2~3枚を混ぜて使うという手口のため、まず見分けがつかないのと、使っている本人にも、ニセ札を使っているという自覚がないために捕まっても罪には問われないということになるのだそうです。

 手嶋さんがおっしゃるには「実際アメリカでも、調査機関やマニアがこのウルトラ・ダラーを手に入れようと奔走していて、『今度こそこれが本物の(?)ウルトラ・ダラーですぜ』といわれる代物に対して500ドルや1000ドルを支払って入手するのだそうです。ところがよくよく調べてみるとこれがやはり嘘で(?)『しまったー、これは本物の100ドル紙幣だ!くそ!だまされた』ということが横行しているのだそうです」

 なんだか変な話ですが、ニセ札に翻弄されるアメリカ社会とそこで利益を上げようとする裏社会とのせめぎ合いが大変面白く描かれています。

 手嶋さんは明日夜に、市内の旭屋書店でサイン会を行うのだそうで、より多くの人に読んでいただきたいものです。

 本の帯には「現実は、物語に予言されていた! これを小説だといっているのは著者だけだ!」と書かれています。

 こういうちょっとしたコピーも読ませますね。もちろん著者のサインもいただきましたよ、へへへ。

 ウルトラ・ダラー:手嶋龍一著、新潮社から定価1500円(税別)です。 
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菅江真澄遊覧記2(北海道編)を読む

2006-04-23 23:14:50 | Weblog
 午後から明るくなって快晴となりました。ようやく車のヒーターを入れなくてもすむ陽気です。

【菅江真澄遊覧記】
 菅江真澄は宝暦4(1754)年、三河国渥美郡(現在の愛知県豊橋市)生まれといわれる旅行家です。

 彼は国学、本草学を学び、飢饉の真っ盛りである天明3(1783)年より長い旅に出て、信濃、出羽、奥羽を経て蝦夷地に渡りました。その間、各地の風俗や景色、文化などを日記や図誌の形で残し当時の日本の人々の暮らしを知る上で貴重な資料を残してくれています。

 「菅江真澄遊覧記2(平凡社ライブラリー、編訳内田武志、宮本常一)」には、「えみしのさへき」と「えぞのてぶり」という寛政元年~3年にかけて蝦夷地を旅した際の紀行文が載せられています。

 菅江真澄は寛政元年に今の松前に上陸しましたが、「えみしのさへき」では西蝦夷地として渡島半島の西側を陸行と船で現在の大成町まで行き、そこから戻ってくる行程となっています。

 また「えぞのてぶり」では今度は渡島半島の東側を旅して、有珠山へ登山したところで終わっており、この間の和人(シャモ)とアヰノの生活を事細かに記載しています。

 菅江真澄は寛政元年から3年にかけて地元でアイヌ語をかなり勉強したようで、アイヌ語による単語をかなりアイヌ語のままに書き記したようです。本書ではそのあたりも日本語訳を付けながら読みやすく書かれています。

 彼が来た頃の蝦夷地は、一定の税金を納めた商人が蝦夷と交易するために行く事が許されるだけで、一般の旅人が自由に動き回る事が出来る時代ではありませんでした。

 そこで彼は唯一大目に見られていた社寺詣でとして知人の法師に同行を願い、旅に出たのでした。
   
 彼は至る所で神社に詣で寺を見聞していますが、ちょくちょく円空の名が登場してきます。すでに多くの仏像を刻んで各地にそれが祀られていた事が分かります。五勝手(江差町)では姨神(うばがみ)神社の記載が出てきます。

 真澄の旅はひたすら海岸線に沿った旅で、そこでアイヌ人と和人が混在しながら住んでいた様子が分かるのと、そこでも生まれた内地の故郷の習俗をそのまま持ち込んでいた様子がよく分かります。

 菅江真澄が旅をした寛政3年の翌年の寛政4年にはロシア使節ラクスマンが来訪するなど、この後蝦夷地はオロシヤという大国との領土のせめぎ合う場所となって行くのです。

 そのためにやがて松前の和人の生活もアイヌの人たちの生活も次第に変貌して行くのですが、まさにその直前の時期の民俗学的な記述は貴重な資料になっているのです。

 「熊(しし)は三寸の草がくれ」という表現が出てきます。ひぐまはわずかの低い草むらにも隠れる事が出来、身を潜める事が出来るという事が出てきます。

 また「熊も突然出会うと驚いて、なおさら暴れる事でしょう。そんなときには気も心も失せてしまうでしょうが、タバコを吹かしながら何気ない風で休んでいれば熊は逃げ去るものです」という表現も出てきます。熊は自分を恐れないものを怖がると思われていた事が出てきます。

 また本草学を学んだことから、多くの植物や動物の名前が出てきて、この時代の植生なども分かります。約220年前の北海道での習俗の一端が分かり実に興味深い日記です。

 もしも冒険紀行家菅江真澄の名前を聞く事があったら、北海道を思い出してください。
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ホラービデオ「SAW2」を見る

2006-04-22 23:55:43 | Weblog
 山の残雪は日一日と少なくなって行きますが、なかなか気温は上がりません。雨もしとしと降ったりして、気分が盛り上がりませんねえ。

【おやじの会】
 おやじの会の新年度の総会を来週に控えて、今日は今の役員最後の役員会。議題は総会資料や進め方の確認です。

 昨年度も随分盛りだくさんの事業を展開して、一年が過ぎました。広報担当の人が忙しくて、会報をあまり多く出せなかったのが残念ですが、これも仕方のない話です。

 会計の監査も無事に終わって、書類も整いそうです。

 入学式の際に紹介時間をもらってお話ししたことが効いたのかどうか、新年度は8~9名の新入会員がありそうだということでした。

 新しく入る会員がいる一方で、いろいろな事情で会を離れる人もおられるわけで、合計は先生会員の方も含めて今年も45人くらいになりそうです。

 新会員は皆さん総会に出席してくださるようなので、暖かくお迎えしてこれからの活動の輪に加わっていただきたいものです。 


【SAW2を見る】
 ホラービデオの「SAW」と「SAW2」を二週連続で見ました。いわゆる血がドバドバ流れるようなスプラッター系ではなくて、ソリッド・シチュエーション系のホラーと呼ばれるもので、登場人物達の置かれたシチュエーションに恐怖が満載という系統です。

 SAWとは「のこぎり」という意味と見るという意味の「SEE」の過去形を絡めた意味で、前作ではものすごい低予算である事が分かる中で、狭い室内での心理的な恐怖が良くできていました。

 今回のSAW2は一応前作からの繋がりが意識されているので、前作を見てからの方がより深く楽しめる事でしょう。今回の作品は前回よりも設定の複雑さが増していて、さらに良くできています。

 最後に「あのシーンとこのシーンが繋がっているのか!」というだましとどんでん返しであっと驚くことの連続です。

 テーマは、人間は死を意識しないと生きていることへの感謝を忘れてしまう、という案外深いところにあって、罪業との絡みも考えさせられます。
 あー、それにしても怖かった…。
 
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自分の幸せ、社会の幸せ

2006-04-21 23:07:16 | Weblog
 夕べは入谷のホテルで宿泊。入谷の商店街は下町っぽい良さが残っています。

【自分と社会の間】
 会議を終えて羽田へ向かい、予約してあった飛行機の搭乗手続きをしようと思ったところ、なんと欠航!

 ここのところエ●・ドゥとは相性が悪くて、機材の故障に良く出会うのですが、今回はなんと札幌から羽田へ向かってくるはずの飛行機が落雷のために欠航したことで、その機材が羽田から出発できなくなってしまいました。

 幸いすぐ次の●NA便に振り替えてもらう事が出来ましたが、私が乗る便を狙ったかのような出来事でちょっと驚きです。飛行機に乗る機会が多いと、いろいろなことがありますね。

    *   *   *   * 

 夜にはお世話になっている某先生のお祝い事の相談で発起人の会合に出席です。

 世間的に活躍されている先生なので関係者もいろいろなところから集まってきます。お一人は帯広から来てくれたAさんで、まちづくりの世界では有名な方です。さすがに先生の顔は広い。

 当然お酒を交えながら、お祝い事の基本的な方向性を定めた後は二次会へとなだれ込みです。ここからが本音のお話ができるのです。

 帯広の商業の現状についてAさんと話をしていると、今度は都市計画の専門家のBさんも割り込んできてショッピングセンター(SC)の出店のお話になりました。

私「Aさん、最近の帯広はどうですか」
A「今は、大きなショッピングセンターが来るかどうかということが話題になっていますよ」

私「まだ帯広にはSCがないのですか」
A「小さいのはありますが、最大手のAグループは道内唯一まだここだけには来ていないのです。でもそれがいよいよ来るのかという話題になっています。地元では既存の商店街などに大きな影響が出るという事で来て欲しくないと思っていますよ」

私「法的な整理だけでは止める事が出来ないでしょうし、駐車場や品揃え、賑わいなどの点では消費者にとってそちらのほうが便利だという声もあるのではありませんか?」
A「確かに。しかしそうやって品揃え豊かな物を買う事が出来るということだけで地域を語って良いのか、ということまで法律は守ってくれません。大きなショッピングセンターが来たところでは、地域の文化まで破壊されているところがほとんどなのです」

私「それは見えないところでお金を出しあったりして地域のイベントを支えているような社会の構造の事ですか」
A「そうですね、それもあります」

 するとそこへ都市計画のプロのBさんが乱入してきました。
B「そうは言っても、都市計画では要件が満たされてしまえばやがては認めざるを得ないのだから、条件闘争に持ち込むしかないと思うんです。ボクが携わっていたときも、『地元のテナントは入れるのか』とか地元に少しでも有利な条件を満たしてもらうしかないと思うんだ」

私「行政が仮に進出を止めたとしても、それならば境界線すぐの隣町に作られる事でしょう。そうしたら消費だけではなく固定資産税が地元に落ちないということにもなって踏んだり蹴ったりです。地元とすれば便利になって税金が上がる道を選択するしかないのではないのでしょうか」
A「それもまた一理あることです。しかし目先はそうであっても地域とのバランスが崩れて、地域らしさは失われるでしょうね」

私「進出を止める手段などあるのでしょうか。まさか不買運動をするわけにはいきませんよね」
A「地元に対して地元らしさとはなにかを訴える事しかないと思います。『便利にはなりますが、地元の老舗のデパートが潰れて良いのでしょうか』といった類の考えです。そんなことしかないのが現実なのですが、地域らしさが失われるのは残念です」

 世の中を便利にするために科学が進歩しています。一人一人が社会の中で施設を作ったり制度を整備したり、技術革新を進めていることでしょう。

 そしてその一人一人のエネルギーのおかげで我々はより快適な生活を楽しむ事が出来ます。しかしその先にはそうして便利のお陰で得た社会と時間と空間でどんな幸せを得るのか、という社会観が必要なように思うのです。

 便利もお金も時間も、自分なりの、そしてその社会なりの幸せを得るための道具のはずですが、自分の幸せと社会の幸せのバランスをどのあたりに取るのか、というあたりに共通のコンセンサスを取れるかどうかが鍵のようです。

 自分の幸せが満たされた先に、社会の幸せが見えるでしょうか。
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