北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

思い切りマイナスは思い切りプラスに替わる可能性がある ~ 都市計画学会の発表より

2018-10-31 23:32:37 | Weblog

 

 先週の土曜日に開催された、日本都市計画学会北海道支部主催の研究発表会。

 研究内容を説明するポスターセッションがあって、今回発表された方たちが、研究内容をA0版の大きさの紙にいろいろな形で表現をし説明するのですが、その見せ方もまた審査の対象になるのです。

 現代社会の地域の課題などについて、様々な角度からアプローチした15本の研究がありましたが、私が一番心惹かれた研究は、北大観光学高等研究センターの福山貴史先生の「地域における『負の存在』の利用促進によるまちづくり」という研究でした。

 この研究は、地域の暮らしや環境に不利益を与えるようなもので、世間がおおむね「そうだ、マイナスだ」と考えているものを「負の存在」と定義づけし、それがいつのまにか地域を振興する有望な観光素材に変化した事例を研究したものです。

 「負の存在」を「プラスの資源」に転換するメカニズムがわかれば、様々な地域の"厄介者"が観光や地域づくりのための資源になっていく可能性をひらくことになるのではないか、という問題意識が出発点です。

 福山先生は、その研究対象として、北海道オホーツク海沿岸の紋別市の流氷を取り上げました。

 水産都市紋別市では、流氷は、長く地元の漁業者にとって、冬に出漁できなくなり、しかも氷が漁具を傷めることから「邪魔者」として扱われていました。

 かつて紋別市では「流氷早期退散祈願祭」が行われ、早くいなくなってくれ、と神様に祈るような存在でした。

 あるときから、そんな流氷に魅せられ、また研究をする人たちが現れました。

 紋別高校に美術教師として横浜から赴任してきた村瀬真治は、流氷を見て感銘を受け、生涯にわたって数千点の流氷画を描きました。

 また田中峰雲は、極寒の冬を明るく照らそうと、「もんべつ流氷祭り」を提唱しました。

 さらに流氷研究の第一人者である青田昌秋は、流氷は地域に恵みをもたらす存在だという"プラスの生態的機能"を自然科学的に実証しました。

 こうした研究の成果が、様々なシンポジウムなどで発表され、やがてそのプラスの価値が広く世の中に知られるようになり、社会的に認知されるようになっていったのです。

 福山先生は、こうした地域の内発的で多様な取り組みを分析して、資源化をする促進要因を下記の図のようにまとめています。



 この図では、資源化を促進した取り組みが、人文科学的アプローチと自然科学的アプローチに分かれ、それぞれが、価値づけ(真の価値を見出す)作業とそれを広く世に伝える作業に分類できることを示しました。

 そしてそれらを担った人たちが互いに連携や協働をすることで資源化が促進されたと分析しています。

 このような活動の結果、「早期退散祈願祭」が行われた流氷は、いつしか地域に大いなる恵みをもたらす存在として、「流氷早期到来祈願祭」に変わったのでした。

     ◆

 ポスターセッションでの意見交換の後、懇親会でも福山先生とじっくりお話ができました。

 二人で意気投合したのは、ただ嫌われているものを好かれるようにしよう、という精神論・根性論ではなく、そこに恩恵をもたらすことを科学的に説明する努力と、これは良い、と感じる情熱があったこと。

 そして、厄介者の度合いというマイナスが大きければ大きいほど、価値転換した時にはプラスの度合いが大きくなるという事。

「まるで柔道の巴投げみたいですね。相手の圧力が大きければ大きいほどその力を利用して勝つみたいな(笑)」

 実は地域の厄介者って数多いはず。

 地域の厄介者をプラスに替えるというメカニズムがわかれば、条件不利地の価値を転換するアプローチが可能かもしれません。

 条件不利地の皆さん、そのマイナスをプラスにしてみませんか。


【宣伝です】
 11月10日(土)の10時から、道庁赤レンガで「鉄道遺産・鉄道資産を生かしたまちづくり」というテーマで、都市地域セミナーを開催します。例え廃線になっても、残された施設を生かした地域づくりを行っている、そんな事例を学びます。

 都市計画学会北海道支部のホームページに詳細が掲示されていますので、鉄道やまちづくりに興味のある方はぜひご参加ください。

 http://www.cpij-hokkaido.jp/seminar.html

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スマホ画面に細い線が…

2018-10-30 23:45:45 | Weblog

 


 何気なくスマホをお尻のポケットに入れて家の中の作業をした後に、スマホを使っていて、画面に細い線が入っていることに気が付きました。(黄色い線の上)

 スマホにはガラス製の保護フィルムを貼っているのですが、最初は本体とガラスフィルムの間に髪の毛が入ったのか、と思いました。

 しかしガラスフィルムを剥がしたわけでもないし…、と考えて、どうやらスマホの液晶画面にヒビが入ったのかな、と不安になり始めました。

(たしか修理や交換のための「ケータイ補償サービス」には入っていたよなあ)とか(でも交換や修理は無償ではなかったかなあ)などと、正しい情報がわからないままに不安な時が過ぎてゆきます。

 こういうことはいつまでも悩んでいても仕方がない。修理や交換が必要ならそれをすればよい、と思い切って、ドコモショップへいって、相談をすることにしました。

 ショップではまだ20代かとも思えるような若いお嬢さんが対応してくれました。

 そこで、「画面がヒビ割れてしまったかもしれなくて、修理や交換ができるものかと思いまして」と言うと、「保護フィルムは貼られてますか?」と聞いて来ます。

「ええ、ガラスフィルムを貼っています」
「ではまずそれを剥がしてみましょう。よろしいですか?」
「はい、結構です。お願いします」

 ショップのお嬢さんがフィルムを上手に剥がして、よくよく見ると、確かにヒビが入っていましたが、割れていたのはガラスフィルムの方で、スマホの本体は割れていませんでした。

「ああ、本体の代わりにフィルムが割れてくれたんですね」
「言い方が優しいねー」

 一度剥がしたフィルムを再度使いまわしているので、フィルムはいずれ交換しないといけないかもしれませんが、スマホ本体に影響はありませんでした。

 スマホをお尻のポケットに入れるのは控えることをお勧めします。

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公園をもっと使い倒せ ~ 公園は禁止ばかりの空間じゃないぞ

2018-10-29 23:55:55 | Weblog

 

 本来は9月中旬に行われる予定だった、造園学会の研究会「北海道におけるPark-PFIを展望する」が、北大農学部の教室を借りて開催されました。

 都市公園では、従前より、公園管理者以外の民間事業者などが公園施設を設置して管理できる制度(設置管理許可制度)がありました。

 それが、2017年6月の都市公園法改正によって、民間事業者が収益を挙げることができる公園施設の設置をさらに進めるために、「公募設置管理制度(Park-PFI)」が創設されました。

 今回は、この制度の創設の中心的な役割を果たした、前国土交通省都市局公園緑地・景観課長の町田誠氏をお招きして、制度創設のねらい、思い、期待などを含めて詳しくお話していただこうというものです。

 さて、町田前課長ですが、彼の大きな問題意識は、「これまで国を挙げて、自治体も一生懸命に都市公園を作ってきた。今では全国で10万カ所、12万ヘクタールもの面積になった。さて、ではこれを今後未来永劫管理していくのに、本当に税金だけでやれるのだろうか。そうはならないのではないか」ということです。

 そもそも都市公園は、明治6年に新政府によって出された太政官布達によって作られることになったのですが、町田さんによるとこの布達は、「この太政官と布達いうのは、各府県の知事に対して、今まで市民が花見や憩いの地としてタダで利用できたようなところを公園にしたければ図面を添えて大蔵省に出せということ。そうすれば高外緑地として、今後も無償で使わせてやる、といって地方自治体に管理を押しつけた文書だ」というのです。

 つまりは、公園は明治に誕生したときから、できるだけお金をかけずにつくったり管理したりしようとしていて、それが当たり前だったということ。

 東京で言うと上野寛永寺などがそうですが、当時の東京市では、「中に料亭を建てさせてくれ」という話になりました。そして大蔵もそれでいいよ、ということで始まったので、今でも上野公園には料亭があります。

 今では公園の管理と言うと、「そんなものを建ててはダメ」とか「犬を入れちゃダメ」「キャッチボールをしてはダメ」など、禁止項目ばかりが増えて融通の利かない空間のように思われてはいないか。

 そしてそのために、市民から好まれないばかりか嫌われてしまって、誰も利用をしない空間になってはいないだろうか。

 そしてそんな空間を、ずっと税金で管理し続けなければならないということに、市民から、首長から、世間から賛同が得られるのか。

 全ての公園で、何を建てても良く、何をしても良いから、とにかく稼げ、ということにはならないだろうけれど、良く読み込めば都市公園法だって、市町村にはかなり柔軟に建物を建てたり、物販を始めかなりいろいろなことができる権限がもう与えられています。

 それを上手に使って、公園をもっと利用して使い倒すようにして、利用者から好まれ愛されるような場所にする努力をもっとした方が良いのだ。

 今回あえて都市公園法を改正してPark-PFIの制度を作ったというのは、それまでもできたことなのだけれども、「改めて『できるんだ』ということを喧伝する意味」と、「それを行う手続きを整理して定めた」ということに尽きるのだ、と町田さんは言います。

 一方で公園を管理する担当者は、何かをすれば公平性に文句を言われ、うるさいとか臭いというクレームを受け、やろうとすることに反対をされる最前線に置かれています。

 そのために、「とにかく文句を言われないことが一番だ」という消極的な態度という殻の中に閉じこもってしまって、出てこない。冒険をしようという機運もすでに失せてしまっているのだろう。

 そういう今日の風潮全てを変でしょと思い、変えてゆくような流れを作って行こうよ、というそのシンボルが、今回のPark-PFI制度の本質だ、ということでした。

「今、公園を面白く使いたい、と言ってくる人に、いわゆる造園を学んだ造園人はほとんどいません。建築サイドからアプローチしてきたり、土地開発サイドから大胆な提案は数多くあるけれど、造園人こそ公園を生かせずブレーキになっているのじゃないですか」

 町田さんのこの言葉を重く受け止めて、未来に向かって、公園を負の遺産にしないための努力を今の我々がやらなくてはいけない、そんな気持ちになりました。 

 もちろん、稼ぐとか儲けとかを考えると、北海道のような人口が少ないところは条件不利地であり、全てがそんなことになるとは思えません。

 しかしまずは公園はもっと自由な発想を受け止めるだけの自由度があるのだ、ということを思い出すところから始めてはどうでしょうか。

 
 昨夜のカラオケくらいでは声も全く枯れておらず、最初から終わりまでの町田節、楽しく聞きました。

 次回の対戦は東京かな。

 札幌まで来てくれてありがとうございました。

 

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ライバルとのカラオケ対決 ~ 敵を知り己を知らなければ勝てず

2018-10-28 23:17:13 | Weblog

 

 東京にいるカラオケのライバルであるM氏が、明日の用事のために札幌で前泊で来てくれました。

 居酒屋でまずは再会の祝杯を上げて、近況報告をして互いの健康を祝いました。

 しかしメインイベントは、酒席ではなくやはりカラオケ対決。

 当然、迎え撃つつもりでカラオケ会場を事前に予約してあって、普段からの練習も積んでいるところです。。

 対決フィールドのカラオケ機械は「DAM Stadium」で、「精密採点DXーG」での点数を競います。

 最初のうちは互いに声が出てきませんが、M氏持参ののど飴を舐めながら、温まったところでそろそろ点数が上がってきました。

 カラオケの祭典システムである「精密採点DXーG」は、歌の基礎点に加えて「音程」「ビブラート」「表現力」によるボーナスが最大3点程度与えられて、これが最終点数に大きく効いてきます。

 つまり機械の癖を良く知り、それに高い評価を得られるような歌い方が大事になるわけです。

 最初のうちは拮抗した勝負が続き、95点台が連続して出るようになったM氏に対して私も96.113で対抗。

 しかしすぐに96.203を出されて、最高点でも逆転を許しました。

 やがて、私の方は最高でも94点台しか出ず、方やM氏は95点台を揃えて来て、劣勢が鮮明になりました。

 お互いに、高点数が出た場合は写真に撮って、評価内容をチェックしながら次に進みます。

 どうやらM氏は、私よりも機械の歌評価アルゴリズムに詳しくて、「表現力」の項目に私の弱点があることが判明しました。

「なぜ僕の方が表現力が低いんだろ」
「抑揚だよ、抑揚。画面の範囲のなかでの抑揚が効いてくるように思うね」

 そこで抑揚を意識した歌い方をしてみると、確かに表現力が向上しています。

 「課題曲」と称して、二人で同じ歌を歌って点数の中身を確認しますが、やはり私の場合は抑揚ポイントで点数が伸びないことが最後の一伸びを欠く結果となりました。

 今日は残念ながらM氏の勝利、ということで勝負が決しました。
 

    ◆


 悔しい思いをしながら、家に帰ってきてから、「精密採点DX」の攻略方法をネットで調べてみると、なんと「精密集計DXの作者がLIVE DAMの「精密採点DX」で高得点を取るコツ・攻略法を詳しく解説した」というサイトがありました。

 なるほど、ここ→ https://clubdam.info/static/advice.html を見て、次回の対決までに喉を鍛えておくことにします。

 "敵を知り己を知れば、百戦危うからず"と申します。

 カラオケも喉を中心に身体をコントロールするスポーツ性がありますから、機械の特性に合わせて歌えるように、練習を重ねることにします。

 

    ◆


 ところで、一次会の居酒屋にあった「金宮サワー」に感動。

       

 M氏からは、「え?知らないのか?リキュールを割る甲類焼酎のなかでは一番人気の酒だぜ?」と笑われましたが、知りませんでした。

 こんなお酒を出しているお店が札幌にあったとは。ここでも勉強不足が露呈しましたなあ。

   次回は捲土重来だ!

 

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伊達市の歴史から学ぶこと ~ 都市計画学会研究発表会

2018-10-27 23:44:45 | Weblog

 

 今日は都市計画学会北海道支部が主催する2018年度の研究発表会です。

 札幌は朝から結構強い雨が降って、警報が発令されるたびに家中のスマホが鳴り出してなにやら騒然として感じ。

 幸い午後は雨も上がって、今日の会場の北大工学部へ向かう途中は、北大構内の銀杏並木の黄葉が雨に濡れて美しい風情でした。

 深まる秋の北海道は彩りが豊かです。


 さて、都市計画学会の今年のテーマは「歴史とまちづくり」です。

 研究発表会のプログラムは、発表をエントリーした人たちが研究内容をA0サイズのポスターにまとめたものを貼って、それを訪れた人たちが見て意見交換をするポスターセッションから始まります。

 後ほど、優れた研究に対して「支部長賞」や「優秀賞」などの顕彰があるので、ここで内容をしっかりと見ておかなくてはなりません。

 発表内容は、地域資源の発見、価値増進などの地域振興に関するものから、人口減少に直面する地域がどのようにそれに立ち向かってゆくか、というものまで幅が広くて、興味深いものばかりでした。

 研究発表を見ていると、地域のニーズに応えようという実学的なアプローチが多いことが、都市計画学会の一つの特徴のように思えます。

 こういう場に、もっと多くの地方自治体職員の方の姿があって、議論の内容を聞いてもらい、また様々な人材との交流が生まれたらよいのになあ、と思います。

 
    ◆


 さて、基調講演ですが、講師は伊達市噴火湾文化研究所学芸員にして、伊達市を開拓した亘理伊達家の第20代当主である伊達元成氏。

 亘理伊達家の第20代当主などと言われると、どれくらい高齢の方が来るのかと思いきや、なんとまだ39歳という若い御当主でありました。

 テーマは「仙台藩士のグランドデザイン —その町並み、どう生かすか—」と題した、伊達市における伊達氏の果たした役割と、まちづくりにおける歴史の役割についてのお話です。

【講演内容】
 北海道伊達市は明治3年に、仙台藩亘理伊達家(わたり・だてけ)によって開拓されたまちです。

 この年に亘理伊達家は、大滝、壮瞥、伊達の一体を明治政府から治めるようにという太政官の布達を受けて、家臣2700人を率いて北海道へ渡りました。

 この背景には、戊辰戦争があります。

 伊達家は、徳川についたために戊辰戦争には敗れたことになり、その戦後処理として領地を没収され、24万石がなんと58石になってしまいました。

 領地は南部藩へ移されたのですが、家臣もこの期に及んで南部藩に身分を写して帰農して農民になるということはプライドが許さなかったと言います。。

 それに、江戸時代末期になると北方警備のために、白老に陣屋を築いてえりも岬から国後・択捉までの警備を任されることになり、逆にこのことで北海道に一定の土地勘があったこともあるのでしょう。

 北海道へはいまの室蘭から上陸し、9回にわたって入職しました。

 今の伊達市は、先住していたアイヌの人たちの集落からは離れたところにゼロからのまちづくりを始め、その手本は宮城県の亘理町だったそうです。

 武士のまちづくりらしく、昔の道は幅が細かったり急な曲がり角があったりして、城下町的な街並みの特徴があります。

 ちなみに、伊達家というのは伊達政宗の直系による本家のほかに、一門、一家、準一家という風に分家して行って、いまでもそれぞれの当主の集まりもあるのだそう。

 さらに、人気のお笑いコンビ「サンドイッチマン」の伊達みきおさんとは、遠い昔に分家した遠い親戚にあたるのだそうですよ。

 さて、伊達市には伊達家ゆかりの歴史があるのですが、伊達政宗直系の本家ではなく、あくまでも亘理伊達氏が入植して開拓したものです。

 ところが、伊達家というとどうしても伊達政宗の印象が強いために、伊達家を表すのに兜の前立てを本家の「弦月」にしてしまったりしたのですが、実は亘理伊達家の兜の前立ては「毛虫」でなくてはなりません。

 毛虫の前立てなんて、気持ちが悪いと思うかもしれませんが、「毛虫は前に前に進むが後ろへ後退することはない」ということから、戦場でも後には引かない勇猛さの象徴なのだそう。

 着る服も将棋の「香車」をあしらったデザインが施されていて、ここでも「引くことはない」という心根を示しています。

 それには、その当時の市やコンサルタントに、深い洞察や思慮がやや欠けていたことを感じますが、それを講師の伊達さんは、「歴史という"経緯"への思いと、歴史に対する"敬意"を持つのが良い」とまとめられていました。

 今では、いろいろな歴史をテーマにしたデザインを進める上では「これで良いだろうか」という事前確認をしてくることが増えたとのことで、敬意の気持ちも育ってきているようです。

 今年の都市計画学会のテーマである「歴史とまちづくり」に相応しい講演で、北海道の歴史について多くのことを学べました。


 研究発表についての感想はまたいずれ。

 そうそう、今日は北大の黄葉祭だそうで、懇親会を終えて帰るころには夜の銀杏並木がライトアップされていました。

 観光地としてのコンテンツ整備にも努力している様子が伺えますね。

 

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ミスターサバータイム

2018-10-26 23:43:17 | Weblog

 

 午後から小樽港で釣りをしてきました。

 マメイカが本命なのですが、他の魚も釣れれば良いな、ということでチカやサバやイワシも釣れるような道具仕立てで港へと向かいました。

 天気は上々で、風も穏やかで絶好の釣り日和なのですが、やっぱりマメイカは釣れません。

 まだ海水温も高いようですし、港に群れが入っていないのでしょうね。

 その代わりに、餌をつけた釣り竿の方が時折震えて釣れています。

 最初の方はチカの時間帯で、ちょこちょこ来ましたが、爆釣と言うほどでもありません。

 次はサバの時間帯が訪れます。

 自然とハイファイセットの「ミスターサマータイム」の歌をくちずさみますが、歌詞は「ミスター サバータイム いかないでー♪」。

 しかしサバも6本ほどで終了。

 最後にカタクチイワシの時間帯が来ましたが、これはすぐに去っていきました。


 釣りをしている最中に、イカ釣り舟が入港し接岸してきました。

 接岸場所で釣りをしていた釣り人たちは、一斉に撤収します。

「週末は天気が悪いので、近くで漁をしている船が退避してくるようですね。我々はしょせんレジャーなので、仕事の邪魔をするわけには行きません」

 ちょうど隣で釣りをしていた人までが場所を失うかたちになって、我々はとりあえずまだ釣りが続行できました。

 
 しかし、8時前あたりから急に向かい風が強くなり、なんとも釣りにくい天気になりました。

「そろそろあがりますか」
「仕方ありませんね」

 風が一向に止む気配がないので、8時過ぎに撤収開始。なんだかぱっとしない釣りでした。

 結局本日の釣果は、チカ8匹、サバ6匹、カタクチイワシ4匹、マメイカ1パイでした。

 ボウズではないし、とりあえず食べられる魚も釣れてはいるのですが…、なんともストレスのたまる釣りでした。

 そのわけは、釣りたい魚が思うように数も釣れていないからでしょう。

 まずは釣った魚を食べて、美味しい思いをするとしましょうか。

 捌くところまでは僕の仕事ですが。

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さだまさしさんの「雨やどり」という歌を知ってる?

2018-10-25 23:37:12 | Weblog

 今日は朝から晴れという天気予報だったので、何も気にせず自転車で通勤しました。

 ごころが終業の時間になって急に雨が降ってきました。

 スマホで雨雲レーダーを見てみると、札幌の真西から雨雲がどんどん東へと移動してきます。

 雨雲が切れるまでには3時間くらいかかりそうだったので、自転車を諦めてバスで帰ることにしました。

 それにしても、こんな通り雨なんて、昔の北海道にはありませんでした。

 子供の頃は、"一たび雨が降れば、もう今日は雨"というのが、北海道の雨の降り方だと思っていました。

 だから、さだまさしさんのヒット曲である「雨やどり」という歌の歌詞の意味が分かりませんでした。

 この歌は、雨が降った日に女性が雨宿りをしたところへ、素敵な男性が雨宿りに来て、そこで出会って恋に落ちるという歌詞の、さだまさし流の面白ソング。

 ところが子供の時の私は、この「通り雨の時は、あめが行きすぎるのを待っていれば、やがて雨が上がる」という感覚がわからなかったのです。

 そういう雨の降り方は本州のものだと思っていたわけで、それが今や札幌でも通り雨が降るというのは、天候が変わったことを感じずにいられません。

 温暖化のせい、という一言で済ませずに、何ができるかを考えて行動に移したいものです。


    ◆


 ところで、この「雨やどり」という歌ですが、職場の若い女性職員に「さだまさしの『雨やどり』という歌を知ってる?」と訊いたところ、「よくわかりません」という返事。

 「『精霊流し』は知ってる?」「いや、それもなんだか…」

 そこで、「去年の、あなたの思い出が~♪」とさわりのところを口ずさむと、「はい、はい、はい、わかりましたー、もういいですー」とあっさりとそれ以上の歌を拒否されました。

 いったい何が悪かったのか…。次の機会のために歌の練習をしておくことにします。

 

 

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旅先でのおもてなし

2018-10-24 23:46:17 | Weblog

 

 出張中の車中で、同乗者と四方山話をしていて、「おもてなし」の話になりました。

 同乗者の一人の方が、「そういえば、数年前に秋の紅葉真っ盛りの時期に層雲峡に泊まったんです。シーズン最盛期なので、まず宿など取れないと思っていたのが、キャンセルがあったのか、偶然に部屋が一つ空いていたので、急きょ予約して妻と行ったんです」

「紅葉は綺麗でしたか」
「ええ、それはもう、ロープウェイで上る途中からもうきれいで、ロープウェイを降りて少し歩いたくらいでしたが、これは素晴らしい観光素材だなあ、と感心する美しさでした」

「ロープウェイも混んではいなかったのですか?」
「そうそう、それがね、泊まった旅館の女将さんの一言が良かったんです」

「…といいますと?」
「前日に宿に着いた時に、『ぜひ明日はロープウェイに乗って紅葉をご覧になると良いですよ』と言われた後に、『でもご朝食の前に行かれた方が良いと思います。朝食後になるともうロープウェイも混雑いたしますので』と来たんです。その一言で、こちらも『なるほど、じゃあ朝一番のロープウェイに乗ってきます』という、そんなやり取りがあって、早朝のロープウェイで良い思いをした、というわけなんです」

「それは良かったですね」
「ただ来たお客を泊めて、料理を出して、お金を取る、というのでも商売は成り立つのでしょうけれど、これが時間が遅れてロープウェイを散々待たされたりしていれば、折角の紅葉の印象もちょっといやな思い出になっていたかもしれません。こういう客思いのおかみさんの一言こそが『おもてなし』だなあ、と思ったのです」


    ◆


 そんな車中の会話をしていた出張から自宅への帰り道に一本の電話がありました。

 「080-××××…」とは見慣れないナンバーです。

 電話に出てみると、「もしもし、小松様のお電話でしょうか」「はい、そうですが」

 すると相手は、「私、網走○○ホテルの△△と申します」

 なんと昨夜出張先の網走で泊まったホテルの関係者からの電話です。一瞬、(なにか忘れ物でもしたかな?)と思ったのですが、違いました。

「小松様、本日はお部屋のLANケーブルについて、貴重なご指摘をいただき、まことにありがとうございました」

 ははあ、昨夜泊まったホテルでのLANケーブルのことのようです。

 このホテルでは、部屋に持ち込んだパソコンやスマホでインターネットをするのに、パスワード付きの無線LANサービスもあるのですが、セキュリティのために、部屋にあった有線のLANケーブルを使おうとしたのです。

 ところが部屋のケーブルは先っちょのコネクタの爪が取れてしまっていて、使えませんでした。ケーブルも机の裏から配線されていて、フロントに言って替わりのケーブルを持ってきてもらっても簡単に交換できないような感じだったので、結局通信は無線LANで行いました。

 ただ部屋を出る際に、メモに「部屋のLANケーブルの爪が取れていて使えませんでした。改善を希望します」と書いて、ケーブルの傍に置いて帰りました。

 この電話は、そのホテルからの単なるお礼の電話でした。

「ご指摘の点について調べて見ましたら、他のいくつかの部屋でもケーブルのコネクターの爪が折れているところがございました。早急に交換に入らせていただきます。貴重なご指摘へのお礼でございます。ありがとうございました」

 さすがに老舗のホテルだからか、対応がずいぶん丁寧で好感が持てました。

 折角部屋に備えてあるサービスが使えないというのは、残念なことです。

 ちょっとした指摘でしたが、これがより良いホテルとしてのおもてなしに繋がれば幸いです。

 お節介もたまには良いですね。 

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美幌峠からの屈斜路湖の風景

2018-10-23 21:37:15 | Weblog

 二泊三日の道東出張。

 午前中に釧路での仕事を終えて、午後から網走市へ移動します。

 移動ルートは、屈斜路湖の南側を通って美幌峠越えの道を選択したのですが、考えてみたら、釧路から網走へ車で移動したことってほとんどありません。

 網走へ行くことはあっても、そこからUターンで札幌へ帰ってくるか、または知床方面へ移動してしまい、網走から直接釧路へ来ることもほとんどなかったのです。

 美幌峠頂上の休憩所は道の駅になっていて、建物の裏には屈斜路湖を一望できる展望園路が整備されています。

 今日は峠の頂上からの眺めも良くて、中の島や遠く和琴半島なども良く見えました。

 
 網走のホテルについて、夜テレビを見ていると、なんと偶然にも、美堀町がカントリーサインを、それまでのパラグライダーの図案から、美幌峠からの屈斜路湖の風景に替えるというニュースが流れていました。

 いつまでも変わらない地域の特徴ある風景を生かして、自分たちの町を宣伝する方が良いと思います。

 まさに今日見た風景がサインに使われるとは、なんて偶然でしょう。

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釧路の夜

2018-10-22 23:34:45 | Weblog

 今日から二泊三日で道東を巡る、要望活動の出張です。

 初日の今日は、午後に帯広で帯広建設管理局さんと帯広開発建設部を訪ねて、業界からの要望を伝えました。

 予算の確保、補正予算、老朽化対策の推進、高規格道路の整備推進、働き方改革への対応などは、どれも切実な課題です。

 現役官僚の皆さんには、業界対応は明日の日本の課題対応と思っていただきたいところです。


    ◆


 釧路の夜は末広の繁華街に繰り出して、馴染みのバーへご挨拶。

 時々行かないと忘れられてしまいますからね。

 バーでは、「お久しぶりです、では、"再会のカクテル"をお願いします」とオーダー。

 こちらではいつもテーマの謎をかけて、それに相応しいカクテルを作ってもらいます。

 「再会のカクテル」と謎をかけたところ、「では道東の秋のカクテルをどうぞ」と紅葉のオレンジをイメージしたようなカクテルを作ってくれました。

 

 この反応の速さが好き。

 バーテンダーは頭が良くなければなれないなあ。


 

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