北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

自分の断捨離が人の役に立つか

2016-04-30 23:44:44 | Weblog

 静岡の友人が札幌のマンションの一室を借りて事務所を開設しました。

「まだ調度品関係は何もないようなので、私の単身生活グッズで余ったものがあれば上げるよ」と言ってあって、何か使えそうなものを集めることにしていました。

 札幌の自宅に戻ったのですからもう単身生活で使った道具はほとんど使わないはずと台所用品のチェック。

 ところが妻と一つずつ見ていると、「これは家のモノの方が古いから取り替えよう」とか、「これは家でも使える」と言い始めてなかなかあげるべき品々が揃いません。

 妻の視点は実用性ですが、私にとってもうあげてしまうための最大の障壁は"思い出"ってやつでした。

「あ~、これを買った時は便利になって嬉しかったな」とか、「この片手鍋で何度食事を作ったことか…、世話になったなあ」などと思い始めると、手放す気持ちがくじけかけるのです。

 それでもなんとか勇気を振り絞って、とりあえず段ボール二つ分の品を揃えて、事務所のお守をしているH君に来てもらって手渡しました。

 格好の良い調理道具などだったら良かったのでしょうけれど、数の揃っていないカップやグラス、丼にお皿などばかりで、これで良かったのか逆に不安。

 企画関係の職場って内面から湧き立つセンスみたいなものが求められると思うので、そこにあまりにも家庭的な品々があると、住まいと事務所の区別がつきにくくなってしまうのではないか、と勝手に想像してしまうのです。

 今日で退職してから一か月が経過しましたが、家の中のモノを断捨離で整理するのは道半ば。せめて私の断捨離が人様の役に立てば良いので、まずは差し上げて物をチェックしていらないものは捨ててください。

 だめだ、早く煩悩を振り払わねば! 
 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

健康は自分だけの為ならず

2016-04-29 23:12:28 | Weblog

 私の両親はどちらも五月上旬生まれと言うことで、例年ゴールデンウィーク中に誕生会と称して私の弟と妹家族、さらに娘の家族など親族を集めたパーティをしています。

 今年で86歳と83歳になる両親は歳を取ってあまり遠くへは出たがりませんが、この会には毎年参加してくれています。

 まだどちらも介護の世話にもならずにちゃんと会話も成立し、曾孫のやんちゃぶりを見て目を細めていてくれるのは嬉しいものです。

 高齢の親の健康は、子供の我々にとっては最大のプレゼント。つまりは自分の健康は自分の幸せというだけではなく、周りの幸せでもあるのだなとつくづく思います。

 だから自分も健康であるために、日々の暮らしをおろそかにしないという生きざまが大切。これこそまさに自分自身の健康を考えて必要なことを実践する生涯学習なのです。

 多くの人が、「自分の健康は俺のことで、好きなことをして好きなように生きて、好きなように死んでゆく」と思っているに違いありません。しかし子孫や周りの人たちのことを考えると、たった一人で生きてたった一人で死んでゆくことなんてできません。

 日々衰えてゆく自分の体の癖や弱点をしっかり知って、この肉体と上手に付き合って長持ちさせること。そのための手入れや悪いところの治療などもそういう視点で捕えることができます。

 目の前の煩わしさを超えて、子や孫たちのために健康である人生を目指しましょう。

 親の健康を考える中で、自分の健康の大切さが自分だけの事ではないと改めて感じた一日でした。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

青春の悩みと笑い~高校時代の思い出話

2016-04-28 23:33:33 | Weblog

 

 東京に勤めていた高校の同期が昨年の秋に札幌勤務になりました。

 そういう連絡をメールで受けてはいたものの、こちらはこの三月まで稚内勤務だったため何もできずにおりました。

 四月から札幌に戻っているということで、「久しぶりに会おうよ」ということになり、同期四人が集まって旧交を温めあいました。

 考えるともう四十年も前のことなので、全てを覚えているわけではなく、それぞれに記憶の断片が違います。それでもその記憶を紡いでいるうちに「あ、そうだったー、思い出してきた」と一人一人の思い出がよみがえってきます。

「そういえば、クラスで先生に似せた人形を作って怒られなかったか?」
「A木先生だろ?俺が書いた似顔絵があまりに似ているというので、それで高さ五メートルくらいの人形を作って学園祭で飾ったんだよな」

「そうだそうだ。あれ学校で問題になって学級委員長が怒られたんじゃなかったっけ?」
「そう。職員室で問題になって、二日目には掲示不可になり、おまけに学級委員長が職員室に呼び出されて、似顔絵の対象になった先生に詫びを入れたんだ」

「しかしその学級委員長も『出席番号一番のお前がやれ』じゃなかったっけ?」
「そういやそうだったな。適当だったなー(笑)」


       ◆ 

 

「俺、あの高校を受験するのってすごく冒険だった」

 一人がそう言いました。わが高校は一応地域一番の進学校だったので、各中学校選りすぐりの優等生が進学してきたのです。

「俺の中学校は5~6クラスだったけど、そこから十人くらいしかこの高校に来てないしなあ。ただ受験の問題は解けた自信があった。それでも入ってみたら上には上がいて、(かなわないもんだなあ)と思ったよ」

 高校入試くらいのときって、勉強ができるということになるととことんできる秀才がいるものです。

「俺らの時にトップで入ってきたK君って、500点満点の入試試験を500点で入ったんじゃなかったっけ?」
「いや496点だったよ。でも性格はいい奴だったよなあ」

 最初に「冒険だった」と言った彼が続けます。
「俺卒業の時の担任の先生に、『君は入学のときはいい成績だったのになあ』って言われたのを今でも覚えているよ(笑)。でも今の人生を全然後悔していないしな」

 思い返すと高校生活ってそんなものでした。

 学生の時の"勉強ができる"ってどういうことなんでしょうね。もちろん試験で点数が獲れるということは進学したい大学の選択肢が広がるのですが、結局選べるのは数多い選択肢からのたった一つの人生でしかありません。

 選んだ大学で一生懸命学び、選んだ就職先で一生懸命期待に応える。

 今目の前の問題に誠実に取り組むことができれば選択肢は少なくてもなんとかなるんじゃないか、と選択した人生を歩んできた今ならそう言えます。

 でもこれから人生の選択をしようというときは分からない未来を不安に思うもの。そんなときを一緒に過ごした友と語らうのはまた味わい深いものがありました。


「僕はちょっと不良ぽかったN君が怖くて苦手だったなあ」
「ああ、あいつは当時やたらカッコつけていたけど、今は実家をついで実直そのものになったもんな」

 青春の語らいは長く続きました。 


   【ベストがマイブームだったんだなあ(笑)】

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小さい施設をバカにせず~余市のフゴッペ洞窟の線刻画

2016-04-27 23:33:33 | Weblog

 

 昨夜はニセコで宿泊。

 余市回りで札幌へ帰ってくる途中でどうしても立ち寄りたかったのが、余市町のフゴッペ洞窟です。

 これは国指定の史跡になっていて、余市や積丹方面へ行くときに道路にある案内標識があります。いつも気にはなっていたのですが、なかなか立ち寄れずにいたのを、今日ようやく訪ねることができました。

 施設を拝見するのは有料(大人300円)ですが、お願いすると現地の担当者の方がガイドをしてくれるのでとても分かりやすい説明が聞けますよ。

       ◆ 

 さてこの洞窟、昭和25年に札幌の中学生だった大塚誠之助さんが土器片をここでみつけ、それを札幌南高校で郷土研究会に属していた兄に相談したことで一躍有名になりました。

 その結果昭和26年からは北大の助教授をはじめとする調査団が発掘調査を行い、縄文時代の土器や石器、骨角器などを発見したのですが、中でも世間の度肝を抜いたのが日本では珍しい線刻画、つまり洞窟内の岩に刻み込まれた絵でした。

 それらは抽象的な線画ですが、全部で200以上もあり、人の姿をしていると思われるものも多くあります。

 なかには翼を背負っていると思わせるような者や頭に角が生えている人物像も見られます。これらは呪術をつかさどるシャーマンの儀式を表しているとされ、洞窟はそうした儀式の場だったのではないかと言われています。

 また緩やかなカーブの上に十本ほどの縦線が描かれているものもあり、これは「船に人が乗ってきたことを表しているのではないか」と説明されています。

 日本にはこの手の岩への線刻画は極めて珍しく、約1700年ほど前の続縄文時代の線刻画となると小樽の手宮洞窟に例があるだけ。当時は海面が今よりも2メートルほど上がっていたようで、それだと洞窟のすぐ前まで海面があったに違いありません。

 手宮洞窟の線刻画はロシアのアムール文化との類似性が指摘されていて、船を使って移動する大きな人の流れの一つの現れだろうと言われているそうです。

       ◆ 

 洞窟内はガラスで覆われた空間で保護されていて、見学はその中から見るようになっています。

 壁に据えられたスイッチを押すと横から光が当てられる仕掛けで本物も見ることができますよ。

 
 国定の歴史の教科書では、日本は縄文時代から弥生時代、古墳時代、飛鳥・白鵬、奈良時代、平安時代…と時代区分が説明されていますが、北海道に限ると、縄文時代の後は続縄文時代、そして擦文文化、アイヌ文化へと続きます。郷土の歴史としての時代区分くらいは知っておきたいものですね。

 こうした史跡もつぶさに見て地域の財産を味わい、遠い昔に思いをはせるのも良いですね。

 フゴッペ洞窟、やっと行けました。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

道南の新しい情報発信拠点~「道の駅みそぎの郷きこない」

2016-04-26 23:34:54 | Weblog

 桜が開花したばかりの函館ということでしたが、五稜郭は桜が八分咲きで、もう花で埋め尽くされている印象です。
 ようやく北海道も桜の季節になりました。

 松前の桜を見に行く途中で、木古内の道の駅「みそぎの郷 きこない」に立ち寄りました。

 ここは今年の1月13日のオープン以来大勢の人が訪れ、4月17日には来館者が10万人を超えたという人気ぶり。その秘密を知りたくて立ち寄ってみたのです。
 

 ナビで「道の駅 きこない」で検索をした場所に行く先を設定すると、車はどんどん木古内の新幹線駅に近づいていきます。

 それもそのはず、木古内の道の駅は新幹線と在来線の木古内駅の真ん前にあるのです。なかにはお土産屋コーナーと"レストラン どうなんde's Ocuda Spirits"、さらに軽食コーナーに観光案内所などの機能が入っています。
 
 見ていると結構な数のお客さんが次々に入って来ては買い物をしていきます。新幹線駅の周辺話題がまだホットなだけに、特に集客力が高い状態なのかもしれません。

 また、『道路を利用する人へのサービス拠点』というそもそもの道の駅の概念がそこにとどまらずどんどん発展して、まちづくりや周辺地域との連携し、地域活動の拠点機能を期待するような、より広い意味を持ち始めているようです。

 駅を中心とする木古内町の中心部は新幹線駅の開業とともに区画整理がなされて、周辺のお店の店構えは新しく、街並み全体が若々しくなりました。これも一つの新幹線効果ですね。

 ことによると北海道新幹線も、新函館北斗駅まで行ってそこで乗り換えて函館まで行くよりも、ここ木古内で降りて今は三セク経営となった道南いさりび鉄道に乗り換える方が料金や時間的に有利にならないのかな、などと素人的に思いました。

 それに最終目的地が函館ではなく松前だったら木古内駅で降りるほうが便利なわけで、木古内駅の利用率向上は松前の頑張りにかかっているとも言えそうです。


 北海道の歴史の始まりは道南と松前から。
 
 道南観光も頑張ってほしいですね。


 

 

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

函館方面二泊の旅~大沼と鹿部の道の駅で今日的観光コンテンツを考える

2016-04-25 23:21:45 | Weblog

 本当ならば今頃は九州を旅行していたはずのですが、先週来の熊本県を中心とする地震のために今回はその旅行を中止したのでした。

 しかしながら折角の休養を活かしてどこかに旅行に行きたいという思いは募るばかり。九州で合流しようと示し合わせていた次女も「どこかへ行きたいね」というので、彼女が札幌へ帰ってきたタイミングを見計らって今日から函館~松前~ニセコをめぐる旅に出ました。

 人はどうしても旅に出たいという気持ちが満ちるときがあるようです。

 
 娘のたっての希望は「函館のラッキーピエロでハンバーガーを食べたい」というもの。

 テレビコマーシャルは打たずに口コミでファンを増やしてきたラッキーピエロの存在は、東京に住む娘も気になっていたようです。

 ちょうどお昼時に森町のお店に飛び外国人の込んでハンバーガーを注文しましたが、予想以上のボリュームに驚きました。

 私はお店のナンバーワン人気の「チャイニーズチキンバーガーセット」にしたのですが、大の大人でもお腹がいっぱいになりました。

 台湾か中華系と思われるグループも列に並んでいて、爆買いならぬ爆食を大いに楽しんでいました。外国人観光客にも知られてきたんですねえ。

 ラッキーピエロさんは地元では"ラッピ"と呼ばれているらしいですよ。知らなかった。
 
      ◆ 

 そのあとは久しぶりに大沼へやってきて、大沼を一周。有名観光地でもそうそう何度も来るものではないので、「来たことがある」以外は昔の記憶がほとんどなくなっていました。

 豊かな水面の湖面と駒ヶ岳とを有する美しい景観を誇る大沼国定公園ですが、観光の充実という面から見るとちょっと寂しいものを感じました。

 沼を中心とした面積は大きいのですが、ではここでどういうことをして時間を費やして楽しめるかという観光コンテンツがあまり充実していない印象をもったのです。

 湖面の遊覧船、手漕ぎボート、レンタル自転車に自然散策とあとはヘラブナ釣りを少々といったところでしょうか。

 まだまだあるのかもしれませんが、フィールドの広さをうまく生かしきれないのは国定公園ということの制約もそうさせるのでしょうか。

 「ではどうしたらよいと思うか?」と問われたらどうこたえましょうか。わが身に置き換えると(悩ましいなあ)と感じました。

       ◆ 


 それに対して予想以上に面白かったのが大沼の後に行った「道の駅しかべ間歇泉公園」のほう。

 十分に一度くらいの頻度で熱水を噴き上げる間歇泉と、それを見ながら足湯に浸かれるというのは旅の疲れを癒す効果抜群。間歇泉の見物に大人300円と有料ではありますが、タオルも貸してくれる足湯にも入れるので損はありません。

 おまけに野菜を買って温泉の熱で蒸して食べるという企画も他にはないもので、ここならではの差別化のためのエッジの効いた面白いアイディアです。

 道の駅も数が増えてきて、単なる休憩・情報提供&地域の物産販売というだけでは差別化をして特徴を売ることが難しくなってきました。

 地域の財産にさらに磨きをかけて、他にはない特徴を前面に出して人気を博するようなものに仕立て上げるためにはそれなりのデザイン力が必要で、プロの力を大いに借りるべきでしょう。

 昔の成功体験にしがみつくだけではなく新しい時間の過ごし方を提案する。それも地域の誇りを大切にした形で、来訪者の共感が得られるような観光拠点の作り方はどうしたらよいか。

 楽しみながらもいろいろ考えさせられる一日でした。やはり地域の定点観測は大切ですね。 

 

 おまけに北海道新幹線の新函館北斗駅を見てきました。いずれ一度は乗って見なくては。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

家を手入れする生涯学習的生き方

2016-04-24 23:33:47 | Weblog

 わが家は玄関フードの外壁が木材を使用したつくりになっています。

 それはそれで気に入っているのですが、問題はメンテナンス。定期的に塗装などの手入れをしないとみすぼらしくなってしまうのです。

 今は家に長くいられるということで、重い腰を上げて外壁の手入れに挑みました。

 塗装はまず汚れて劣化した表面をきれいにするところから始めます。目の粗い合成たわしと金属ブラシで表面を剥ぐと何ミリか木が薄くなりますが、まあまだ何回かは持ってくれるでしょう。

 問題は塗装ですが、はめ込んであるサッシや接する外壁との間を養生用テープを貼って保護します。先日ホームセンターへ行ってみると、粘着テープと保護用のフィルムが一体になった専用のテープが売られていて、嬉しくなってすぐに買ってしまいました。

 事前準備の養生に時間をかけてきっちりとやっておけば、塗装ミスや汚れをそれほど気にせずに済むので、そのあとの塗装作業は一気にはかどります。

 昔から「段取り八分」とはよく言ったもので、準備がちゃんとできればもうできたも同然と言うわけです。

 
 かつて学生時代に室内内装業のアルバイトをしていましたが、入ってすぐはとにかく三脚と足場板を移動させて足場を作ることばかりやらされました。

 後からそれがいかに大事な段取りであるかを思い知ったのですが、自らの体験として思い知ったことはその後の生き方にも良い影響を与えてくれました。

 
 そんなわけで下地を作って養生をした後はいよいよ塗装開始。足場がしっかりと組めないのでいつも苦労するのですが、なんだかんだで男一人で丸一日作業ってところでしょうか。

 手入れは面倒ですが、たまに目配りをすると痛みの度合いが把握できるので大事作業です。

 実はこんなことも私にとっては「生涯学習的生き方の実践」というわけです。現状を把握する多様な視点と、暮らしの中での多様なスキル。

 どこまでやれるかわかりませんが、やってみると気が付くことってたくさんあるものです。さて次はどこを修繕しましょうか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

テーマコミュニティとエリアコミュニティ、あなたはどっち?

2016-04-23 23:30:31 | Weblog

 いい大人が属する集団は二種類。一つは自分の好みに応じて参加するテーマコミュニティで、もう一つは住んでいるところで活動するエリアコミュニティです。

 自分が参加したい趣味や活動を共にするコミュニティは、どこにいても参加ができますが、住んでいる地域の人たちが参加主体になる地域コミュニティは相手を選べません。

 今日は住んでいる地域の琴似中学校と連携する「琴中おやじの会」の総会があって、二年ぶりに参加してきました。

 子供が中学生の父親って、人生で一番忙しい胸突き八丁のステージのはずですが、それでも中学校を取り巻く地域活動にコミットしようという親父さんたちはとても貴重な存在です。

 琴似中学校のおやじの会は今年で十七年目に入りますが、PTAと一線を画した父親の会として学校や子どもたちと触れ合うことを目指して活動を続けています。

 札幌市内でも中学校による父親の会は珍しく、その会が今年で十七年目に入りました。

 スポーツクラブを相手にした子供たちとのスポーツ対決や、父親同士で鉄道の旅をする企画など、子供たちとの触れ合いだけでなく父親同士の親近感を高める活動も行っています。

 琴中おやじの会では、子供が中学校を卒業した親をOB会員として参加することを認めています。そのためにPTAと違って子供が卒業したら縁が切れるということがありません。

 いつまでも地域に根差した父親同士のつながりが広がって行くところがこの会の良いところです。

 今日は中学校の校長先生や教頭先生も参加していただいて、今年一年の活動に弾みがつきました。

 今年も中学校を支える父親のネットワークで活動したいと思います。 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

45年ぶりに卒業した小学校を訪問してみた

2016-04-22 23:55:32 | Weblog

 

 小学校の校長をしている友人が、なんと私が45年前に卒業した札幌市立発寒西小学校の校長をしていることがわかりました。

 退職の挨拶状を出したところ、「一度様子を見に来ませんか」ということになり、懐かしさが募って今日小学校を訪問してきました。

 懐かしい校舎の扉を開けて中へ入ると、S校長先生が出迎えてくれました。Sさんは相変わらずはつらつとして精力的に校務をこなされているようで頼もしい限りです。

 私はこの小学校に4年生の時に稚内から転校してきたのですが、当時は学校の新設が相次いでいて体育館の設置が間に合わず、廊下で跳び箱をした思い出があります。

 その後にできたカマボコ型の屋根の体育館は既にま四角な屋根の新体育館に建て替わっていて、夜には学校開放でも良く使われているそうです。

 最近の小学校事情を伺うと、体育館以外の校舎はもうすぐ新しい校舎に建て替わるのだそう。耐震のこともあるのでしょうが、大きなテーマは地域の拠点化が進むということのよう。

「新しい小学校にはまちづくりセンターも併設されて、さらに災害時の避難拠点としての防災拠点性も高まることが期待されています」とはS校長先生のお話。

 そのためにはお年寄りが避難生活をできるようにバリアフリーにするとか、避難民の情報提供のために無線ランを整備するとか、新しい時代に見合った機能や設備が備えられなくてはなりません。

 その上災害時に地域の避難所として機能するためには、日頃から地域の人たちがこの校舎の中をよく知っているとか、そこで働いている教師やまちづくりセンターの人たちとも知り合いであるといった関係性も育てなくてはなりません。

 教室の黒板の前で子供たちを前にして教科書を開くという教師像は、いくつもある多面的な要素の一つであって、教師たる者これからはより高度で多様な役割を果たさなくてはならないようだ、と感じました。


 【S校長先生と職員室で(許可を得て掲載します)】


       ◆ 


 実はこの「これからの学校は地域生活全体の拠点化」といったことは、縦割りで行われてきた行政の横串化といえ、これからの社会の方向性そのものの姿です。

 国土交通省でも、本来は地方自治事務である災害対応にあたってはできるだけ地域に寄り添って御用聞きをし、支援をするという方向に動いています。

 人口減少下の地域で、公的組織もスリム化していく中では、相互に関わり合い助け合い協力し合うということが当たり前にならないと、財政的にも負担の大きい非効率な社会になることでしょう。

 特にそれは地方自治行政に顕著なことで、どの自治体もスリムで効率的な自治体経営を目指して様々な工夫がされています。

 教育機関もまちづくりの一つのパーツとして考えなくてはならないという札幌市の姿勢に、大いに考えさせられる一日でした。

 
       ◆ 


 話が進む中で、私が卒業した年次の卒業アルバムを見せていただきましたが、45年前の自分が写真のなかに写っています。

「おい、自分。この先面白い人生が待っているから目の前のことに一生懸命に立ち向かえよ」 そういってやりたい自分がそこにいました。
 
 皆さんもたまには母校を訪問してみてはいかがですか。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

釣った魚で北海道の深さを味わうべし

2016-04-21 23:12:28 | Weblog

 今日は魚三昧の一日でした。

 昨日釣りに行ったさいに仲間が釣ったマガレイのチビちゃんをもらってきたので今日はからあげ。カリッと揚げて美味しくいただきました。

 さらに隊長が釣り上げたものでいただいてしまったクロガシラは煮漬けに。魚が一向にかからない間は隣や近くのおじさんたちと釣談義に花が咲くのですが、隣で釣っていたおじさんは今年86歳になるという超ベテランの方。

「この時期のクロガシラは水っぽくて、刺身なんかは美味しくないね。食べるんだったら煮つけだよ」というアドバイスをいただいたのでそのとおりにしてみました。

「もう来年は釣りもやめっかなと思ってんだけどね(笑)」いえいえまだまだ現役でいてください。

 煮漬けもちょいと砂糖多めで甘めにしたところ、自分好みの良い味付けになりました。


       ◆   


 昨日釣ったホッケは今回も一夜干しの練習材料に。

 前回は頭を切り離してしまってちょっと不恰好になってしまいましたが、今回は頭は切り離さないようにさばいたので、見た目は売り物と変わらないような仕上がりになりました。

 干物用の網籠を買ってきました。これで塩水に一日漬けたホッケを乾かします。今回は前回にもまして良い出来です。回数を重ねれば誰でもできることですが、場数は必要です。明日の出来あがりが楽しみですね。

 

 釣った魚は確実に美味しく食べて供養する。これぞ海釣りの醍醐味です。以前は「釣りはフライが最高」と言って、フライフィッシング以外はしなかった私ですが、そういう頑なな心は敵だ、と思い直して誘われるままに海釣りを楽しむようになりました。

『釣り』というのは非常に奥の深いジャンルの趣味ですが、一度そのドアを開けて、さらに海釣りや魚料理のドアを開けてしまうと、これはどこまでいかねばならないのかといささか当惑もしています。

 しかし「北海道を観光の島にしよう」と言っている人ほど案外北海道の真の楽しみや味わいをしらないままに、うわべだけを語っているようにも思えます。

 北海道という土地柄を心の中まで楽しんで、その楽しみをおすそ分けする様な気持ちこそが観光のおもてなしなのではないか、と最近つくづく思います。

 広く深く北海道を自分は心の底から味わうことを遅まきながらやってみている私。見ても味わっても野山で遊んでも、北海道は深いのです。 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする