北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

ヤマベが黒くなる季節

2015-08-31 22:40:29 | Weblog

 昨日も軽自動車のレンタカーを借りて妻と南宗谷地域の渓流へ入ってきました。

 この季節はまだ落ち葉が川面におちることもなく、快適な釣りが楽しめます。

 私の妻も腕が上がってきて、動きの速いヤマベでもフライに食いついた瞬間に絶妙のタイミングでフッキングすることができるようになりました。

 遠くへ投げ入れるラインコントロールはまだぎこちなさが残りますが、魚のいそうな場所にフライを投げ入れて、ちゃんとフックさせられるようになりつつって面白みが増すことでしょう。


 私の方は、ちょっとした落水がたまっているポイントへフライを放り込んでみたところ、真っ黒なヤマベがかかりました。

 こんな色のヤマベは初めて見ましたが、調べてみると婚姻色とのこと。陸封型のヤマベは真っ黒になってパートナーを見つけますが、産卵しても死なずに翌年も生きるのだそう。

 真っ黒ヤマベはちゃんとリリースしましたのでうまく生き延びて子孫を残してほしいものです。


         ◆    


 さて釣りへ行くのに、ここのところレンタカーで軽自動車を借りてドライブをしていますが、借りている会社が最新の軽自動車を導入したので、新車の走りを楽しんでいます。

 最新の型だけあって燃費がすばらしく良くできています。この週末は250kmほど走りましたが、満タン返しの燃料は7リットル弱しか入りません。

 1日たっぷり走ってガソリン代が800円。妻が「二人でバスに乗ってまちなかを往復するより安いの(笑)」と笑います。次に買う車は軽自動車ではなくても燃費の良い車にしたいものです。

 
 さて、それでは明日からサハリンへ行って参ります。現地からの情報発信は盗聴や検閲をされているかもしれないので注意が必要。リアルタイムでアップされないかもしれませんがご容赦ください。

 では行ってきます。

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人に素直にモノを訊ける人はすごい

2015-08-30 23:54:29 | Weblog

 東洋経済ONLINEに、「松下幸之助はなぜ成功したのか」というシリーズがあり、先日は『幸之助は、部下にも「教えてほしい」と尋ねた』という記事がありました。


【東洋経済 『幸之助は、部下にも「教えてほしい」と尋ねた』】 
 http://toyokeizai.net/articles/-/81123

 松下幸之助は「経営の神様」と崇め奉られる人でしたが、実に気さくで自分で他の人との間に壁を作らない人でした。

 そんな彼の様子を紹介する記事の最後の部分をご紹介します。

  ----------

 …松下は、たくさんの人にものを尋ねることを「衆知を集める」という言葉で表現していた。最後にそんな言葉を紹介しよう。

「衆知を集めるということをしない人は、絶対にあかんね。小僧さんの言うことでも耳を傾ける社長もいるけど、小僧さんだからと耳を傾けない人もいる。

 けど、耳を傾けない社長はあかん。なんぼ会社が発展しておっても、きっと潰れる会社やね。衆知を集めないというのは、言ってみれば、自分の財産は自分が持っている財産だけしかないと思っている人と同じやね。

 少しひらけた人なら良寛さんみたいなもので、全世界は自分のものだと思っている。しかし全部自分で持っているのはめんどうだから預けておこう、というようなもんやな。人間ひとりの知恵には限界があるんやから、その限度ある知恵だけでは、うまくいかんわけや」

  -----------


 人生は「我以外皆師」。自分が知らないことを知っている人は皆、その分野では自分より上だと理解することです。

 以前使えた掛川市の榛村市長さんもそんな方で、一緒に県外に出張して現場を見ていた時に、近くの女子高生をつかまえて「僕は掛川というところの市長なんだけど、掛川って知ってますか?」とかその地元のことをいろいろと訊ねていたことに驚いた記憶があります。

 今思えばまさにこの松下幸之助の言う「周知を集める」ということだったのでしょう。

 人の情報にはネットにはない周辺情報がたくさん盛り込まれています。とにかく人に話しかけてみること。その反応を見定めること。知らないことを教えてもらって感謝すること。

 そんな小さなことをコツコツと続けられる人は周りとの関係も良くなって自分の周りのことを多面的にとらえられるようになります。

 人間って「人の間」と書きますね。人の間に関係性があることと情報がやりとりされることこそ生きているってことなんだと思います。

 

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サハリン旅行~戦勝記念セレモニーのため予定変更?

2015-08-29 22:47:55 | Weblog

 来週のサハリンツアー。

 日程の最終調整をしていたところ、旅行会社から旅行日程変更のお知らせが届きました。

 理由は「ユジノサハリンスクについた翌日の市内観光をする9月2日に、ユジノサハリンスクの市内各所において、対日先勝70周年を記念したセレモニーおよびパレードの開催が予定されているため、午前中の市内観光を午後にずらしたい」とのこと。

 別の情報筋から、在ユジノサハリンスク日本国総領事館が在留邦人へ当てた「安全上のお知らせ」という紙を入手しました。

 それを見ると、9月2日から4日までの間で対日戦勝記念セレモニーが開催されるようです。

 総領事館のペーパーには「現在までのところ、当地(ユジノ)に所在する日本関係の機関、企業に対するデモは計画されていませんが、上記期間中は、不用意にセレモニー会場等に近づいた場合、トラブルに巻き込まれる可能性があるので十分注意をしてください」とも書かれています。

 もともとは現地に着いた翌日の2日がまさに市内観光の予定だったので、これでは全く動けなくなるところでした。

 ユジノサハリンスクの2日には朝7時から夜の10時までいくつかのセレモニーが予定されていて、最後は夜8時から10時まで行われる花火とコンサートだそう。

 もっとも私は同じ日程で現地を視察する別な団体のバスに乗せてもらえるように頼んでいて、そちらはできるだけユジノから離れたあたりを巡る行程にしてくれたそうです。

 いやはや、初めてのサハリンツアーは印象的なものになりそうです。

 

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稚内の本格バー「馬里邑(まりむら)」さん

2015-08-28 23:55:12 | Weblog

 来週からのサハリン旅行のために、今日から妻が稚内へやってきました。

 釧路で仲良くなったバー「笑いの館」のマスター森野さんから、「稚内へ行かれるのだったら「馬里邑(まりむら)さんがありますよ」と教えられていたので、妻を連れて早速その馬里邑さんへ行ってきました。

 バーテンダーの世界は、研修などで皆さん結構繋がっているので、行く先々にある素敵なバーを教えてもらえるのです。

「馬里邑」さんは十人ほどのカウンターとテーブル席が三つ。

「オリジナルのカクテルはありますか」と訊くと、「ありますよ」と言って、『宗谷岬の夕日』というオレンジのカクテルと『稚内サワー』を作ってもらいました。

「稚内は初めてですか?」と言うので「幼い時に住んでいましたが、務めはこの4月からです」というやりとり。こちらのお店はいつからやられているのですか?」「昭和四十年代後半です、当時はまだ米軍さんもいましたし、なにより魚がたくさん獲れましたからねえ。稼ぐ船頭さんは月給百万円以上でしたよ」

「百万円!当時でですか!そりゃすごい。昔はさぞ賑やかだったのでしょうね」
「それはもう。料亭もキャバレーもありましたし、前の通りなんかは船が上がった時には酔客が多いというので車を入れない歩行者天国になったりね。お酒のお相手をする和服の芸子さんなんか、帰ってきて着物を脱いだら千円札がばらばらっと落ちてくる、なんて話も良く聞きましたよ(笑)」

「今はちょっと寂しくなりましたね」
「そうですね、底引き船が減船になり二百海里が設定されてからはいよいよ魚が獲れなくなりました。船があるとその関連で網屋さんがあったり無線屋さんがあったりと何かと仕事があるものでしたがね。」

 
       ◆ 


「思い切り癖のあるウィスキーはありますか?」
「いいんですか?じゃあこれはいかがでしょう?」

 出されたウィスキーを一口飲んで、「うゎっ」とその癖のある香りと味わいにびっくり。

「はは、今治水(こんじすい)って薬をご存知ですか?言われないとそれだと思いますよ」

 すると妻が「コンジスイってなに?」と訊きます。「昔歯痛を直す液体の薬なんだけど、ぼくは新今治水ってコマーシャルを聞いたことがあっただけだね」

 そう、まさに歯の痛みどめの薬臭さを思わせるようなウィスキーでした。

「これはなんですか?」
「ラフロイグの十年です」

「すごい香りですね」
「まさに"マッサン"のモデルになった竹鶴政孝が好んだスモーキーフレーバーというやつですね」
「好きか嫌いかの好みがはっきり分かれるお酒ですね」


 稚内の本格バー馬里邑さん。楽しい時間がゆったりと過ぎてゆきます。

 

 

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生き方の手本は偉人伝~二宮尊徳に学ぶ

2015-08-27 23:45:17 | Weblog

 市内の金融機関から依頼を受けて、「二宮尊徳と報徳思想」についてミニ講演をしてきました。

 日本社会のこの現代、多くの町でまちづくりや地域経営がうまくいかないという話をよく聞きます。

 全国を見渡せばたくさんの成功事例やまちづくりのためのマニュアルがあるのにうまくいかないそのわけは、まちづくりは結局人が行っているもので、その人を動かすのはやはり人による職人芸だからです。

 動かなくてはならない人には心があって、その心が荒れているのか覚悟を決めているのか、ということでパフォーマンスは全く変わります。

 二宮尊徳さんはこう言いました。「心の荒蕪が一番恐ろしい」と。

 心が整っていれば、山林や畑が荒れていても恐れる必要はありません。その人の心を変えることが最も難しいことなのです。


      ◆ 

 もう一つうまくいかない理由は、私たち自身の生き方のお手本になるような優れた人が見当たらないということです。

 その人のまねをしていれば、真っ当に生きることができる、そんなお手本が身近にいるでしょうか。

 昭和十年代に日本中の学校で、PTAや親が学校に二宮尊徳の幼少時代、幼名金次郎の銅像を寄付することが流行りました。

 それは、明治時代の最後に明治天皇が岡崎雪聲(せっせい)という芸術家が作った二宮金次郎の負薪読書像をお買い上げになったことで注目をされた、ということもあるのでしょうが、その一方でやはり親たちが、子供たちにこうあってほしいというロールモデルを二宮金次郎に見たからにほかなりません。

 養父に養われて、日中は山へ柴や薪を拾いに行き働かなければならなかった幼い金次郎がそれでも学問をしたくてしたくてたまらず、懐に大学という本を偲ばせて道すがらそれを読んでいたその姿に多くの親が共感したからです。

「直接教えを受けることはできないけれど、ある人を尊敬して模範として慕いその人に学ぶこと」を『私淑(ししゅく)する』と言います。

 今日私たちは他人の生き方を尊敬し、慕い、それにあやかって真似をしたいと思うようなことがあるでしょうか。そんなことの対象になる人が思い浮かぶでしょうか。

 そんな素晴らしい人生を生きた人のことを『偉人』と言います。その生きざまを著した書物を『偉人伝』と言います。

 私が子供の時は『偉人伝』と呼ばれる本が割と身近にあって、何気なく読んだものですが、読書離れと共に、読むべき本が爆発的に増えたことで選択肢が増えすぎて子供でも大人でも、真に読んでおくべき本が分からなくなってしまいました。

 時間のフィルターを超えて現代に生きる古典、そのなかでも偉人伝を読んでみてはいかがでしょうか。

 そしてその中でも、偉大なリーダーシップを発揮して飢饉に打ちひしがれて人々の心が荒れ果てた町をいくつも立て直した二宮尊徳の生き方を学ぶことは、混迷する現代の夜に一つの灯火をみることに違いありません。

 聞いていただいた皆さん、ありがとうございました。

 

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中頓別ライダーハウス「みつばち村」

2015-08-26 23:20:25 | Weblog

 先週、先々週の週末は全く同じルートで枝幸町までカラフトマス釣りに行ったのですが、どちらも中継地点の中頓別町で前泊して釣りに出かけました。

 稚内から釣りのポイントまでは約100キロメートル以上あるので、この距離を走って現地に朝四時前に集合するには、家を朝二時に出なくてはなりません。これでは朝釣り以降の日中は動けなくなってしまいます。

 そこで前夜のうちに車を走らせるだけ走らせて、釣りのポイントの近くにいる方が良いのです。

 車中泊という手もありますが、借りた車が軽自動車ということもあって、これではゆっくり寝ることができません。

 こんなとき頼りになる寝床がライダーハウス。バイクや自転車などで旅をする旅人達のために雨露をしのげる低廉または無料の宿泊所です。

 ところが「中頓別にはライダーハウスがある」ということはなんとなく聞いていたものの、どこにあるかがネットを見てもなかなかわかりません。

 観光協会に事前に問い合わせてみると、「国道を左に曲がってグランドへ行く途中にあるんですけど…」「ああ、なんとなくわかりました」

「大抵常連さんがいるので、その方に訊いてもらうとルールを教えてもらえると思います」「はい、ありがとうございます」

 大体の案内で場所がイメージできるとは、私もだいぶ中頓別に詳しくなりました(笑)


      ◆  


 ライダーハウスには二週にわたって二度泊まりましたが、最初のときは現地に着いたのが夜9時半過ぎ。

 ライダーハウスはカーリング場を寝床にしている建物と、その前に別棟があってそこの明かりが着いていました。

 おずおずと「遅くて済みませんが泊めていただけますか」と言うと、いい歳の方が、「そこに宿帳があるのでそこに必要なことを書いてください。寝るのは別棟だけど、皆寝ているので静かに入ってくださいね」と教えてくれました。

 その後にちょっと若い方が「中は分かりますか?」というので「いえ、初めてなもので…」と言うと、「じゃあこちらへどうぞ」とほのかに明かりがともるライトをもって寝床の方へ案内してくれました。

「大体九時には皆寝はじめるんですよ」とのことで、着くのがちょっと遅かったよう。

「普通のライダーハウスは室内ではあるものの、寝るのは自分の寝袋でどうぞ、というところが多いんですが、この中頓別は布団を置いてくれているので、使われていないのを使ってください」

 寝床の建物はカーリング場というだけに奥に長く、入り口から土間が続いて一段高くしてそこにコンパネが敷かれているというシンプルなもの。目が慣れてくると、奥に布団や毛布が畳んでおいてあるので、ありがたくそれを使わせてもらいました。


       ◆ 


 一週間後の二度目は遅くなるといけないようだったので夜九時前に着いたのですが、やはり寝床はもうみな就寝中。

 管理棟の宿帳に名前や住所を書こうと思って入ると、(ん?)どこかで見たことのあるおじさんが長椅子で横になっています。

「あ…、あの…砂金堀の管理人さん…ではありませんか?」
「そうですけど…」

「実は八月上旬に家族で砂金堀に行ってお世話になったんです。そのときの解説が面白くてとても印象に残っていたものですから、顔を見てすぐに思い出しました」
「ああ、そうですか、嬉しいな」

 砂金堀を教えてくれたこのおじさんは、高知県にお住まいで退職後に大型バイクを買って、毎年6月から9月一杯北海道ツアーに来ているのです。

 その後はいろいろと砂金堀や道内旅のことで盛り上がって話に花が咲きましたが、もう寝る時間も近づいてきたので挨拶をして先に寝床へ向かいます。

 
 朝三時に起きてそっと寝床から出るときに、このおじさんは私に気が付いて「どうぞ気をつけて」「はい、そちらもお気をつけて」

 袖摺りあうも多生の縁。

 大の大人が本のひと時の出会いを楽しみ、一晩をゆったり寝られるライダーハウスはなかなか貴重な体験でした。

 中頓別町さん、続けてくださいね。
 

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サハリン旅行直前情報

2015-08-25 23:45:31 | Weblog

 いよいよ来週はサハリン旅行。

 国家公務員の場合、海外へ渡航する場合は上級機関の許可が必要なのですが、それも先日無事に許可が下りました。やっとサハリンへ行く準備が整いました。

 旅行のことで確認したいことがあって、サハリン旅行を申し込んだ旅行会社へ電話して現地の様子を聞きました。

 すると担当者が「実は旅行日程の二日目なんですが、現地のユジノサハリンスクで対日戦勝記念式典と軍事パレードが行われるというんですよ」と言い出しました。

「えー?二日目は午前中が市内観光の予定ですよね」
「ええ、今現地でどう動けるのかを確認しているところです」

 折角の観光日程と日本にとっては敗戦の式典がぶつかるとは残念。市内を出歩いたり観光をしたりできるでしょうか。

 ロシア通の知人は、「まあ確かに一筋縄ではいかない国ですし、日本とは違います。でもまあなんとかなりますよ」と極めて楽観的。

 何度も現地を訪れている別の知人は、「小松さん、釣りに行かないんですか?どこへ行っても釣れすぎて面白くないくらいに釣れますよ」と、これまた魅力的な提案をしてくれます。

「要は人なんですよ。良いパートナーを見つければ物事は案外スムースに進むんです。特に民間人は案外恩を売るとその恩を感じる人もいて、そういう人とは本当に良いビジネスができます。しかしそうではない、だらしのない人も確かに多い。役人は逆に上の人の考え一つでぽんぽん移されちゃう。ビジネスを進めるのは大変だけど、でも一歩ずつ進めなくてはね」
 

 サハリン旅行が魅力的で、サハリンに一番近い稚内にとってプレゼンテーションができるものなのかどうか、この目で見てきたいと思います。

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最北の地で水素はビジネスになるのか

2015-08-24 23:19:33 | Weblog

 今日の日経新聞は大々的に水素関連ビジネスの展望について紙面を割いています。昨年閣議決定された国のエネルギー基本計画でも、水素は電気・熱に次ぐ第三の柱と位置づけられました。

【日経の水素シンポジウム】http://bizgate.nikkei.co.jp/innovation/symposium/

 水素が他のエネルギーに比べて有利な点は、それ自体の燃焼によって二酸化炭素を排出しないという低環境負荷であることと、風や太陽光など様々な一次エネルギーから製造が可能という日本のエネルギーセキュリティ上のメリット、さらには電池に比べると貯めたり運搬することなど取り扱いが容易だということなど。

 日経の紙面では、水素のメリットを活かして産学官が持ち味を発揮して知恵を結集して水素社会を創造する各団体の意見と取り組みが紹介されています。

 石油や天然ガスエネルギーの多くの海外に依存している我が国にとっては技術を結集して水素社会を実現することができれば鬼に金棒の国になれる大きなチャンスと言えるでしょう。

 実際、わが宗谷地域は風が強いことで知られていますがそれを活用した風力発電は効率の高さが自慢。一般的に20%も稼働すればペイすると言われている風力発電で、40%以上の稼働率を出せるのが宗谷の風。風のエネルギーを生かせる最高の土地の一つと言えるでしょう。

 そしてこの風力発電で得た電力ですが、全てを高圧電力として送ることができるわけではないため、余剰電力が発生しそれから水素を発生させれば産地に近いところで水素も得られるというメリットが期待されるのです。


     ◆  
 

 そんな水素ビジネスのの可能性について、先日、道庁主催の水素関連ビジネスに関する勉強会が稚内で開催されたので参加してきました。

 会議では冒頭まず道庁の担当者から道庁における水素関連政策の方向性が説明されました。道内に豊富な再生可能エネルギーや既存の向上などから発生する副生水素などの資源や技術を活かした水素社会の形成を目指すとのこと。

 12月までにビジョンやロードマップを作られると言うことなので、ぜひ積極的なリーダー的役割をお願いしたいところです。

 


 その後、日立製作所の水素関連事業ご担当の方から日立における水素社会実現への取り組みが紹介されました。

 基本的には我が国のエネルギーの課題をブレイクスルーする可能性のある素材として積極的に取り組んでおられるとのことですが、水素にはやはりまだまだ課題も多いのが実情です。

 水素には「発生させる」「貯める」「運ぶ」「使う」というそれぞれの段階があって、成熟していない現在ではそれぞれごとに課題があります。

 発生は水を電気分解することで酸素と水素が得られるのですが、これを貯めて運ぶというところがまだまだ技術開発中。

 日立さんではメチルシクロヘキサン(MCH)という液体の有機素材を使って水素を取り込んだり放出させたりすることに可能性を見いだしています。既に実証実験が行われていて、これを使うには低温の方が有利とのことで、寒い北海道にも向いているとのこと。

 しかし北海道の一番の課題は「使う」という点。それは使う量が少なければコストを安くすることが難しいという点です。

 日本では燃料電池車のための水素ステーションを、東京、名古屋、大阪、福岡の4大都市圏で重点的にモデル地区として設置し、燃料電池車の普及を後押ししたいとしていますが、これはやはり人口が多くて燃料電池車の普及が見込める地域から始めているということにほかなりません。

 日立さんによると、車の燃料電池に使われる水素は純度の高い「純水素」という形にする必要がありこれはどうしても高コストになってしまうのだそう。だから多くの需要があるところで始めないとコストに見合う事業として成立させることが難しいのです。

 では人口が少なくてそれほど需要の見込めない宗谷地域ではどうあるべきか。

 それには「車用の水素ではなく、水素を燃やしてエンジンやタービンの形で発電やエネルギーに変える使い方が現実的でしょう」というのが日立さんのお考え。

 水素って燃焼のエネルギーが小さいため、燃やしてもほとんど力が出ないのですが、「その点は既存の天然ガスや石油に混合させて使うことができ、どれくらいの水素を混ぜても大丈夫か、というところが技術開発の方向性ではないか」とのこと。

 全てが水素だけ、ということにはならないのかもしれませんが、地元の風から電力、そして水素という形にしたときのメリットを宗谷地域が享受できるようになってほしいものです。


          ◆  


 意見交換の場面では様々な質問が出されましたが、私としては水素社会がこの地域にとってどのように稼げる素材になるか、というところに関心がありました。

 水素は冒頭で書いたように、二酸化炭素を出さない低環境負荷という側面と、売れるエネルギーとしての二つの側面がありますが、北海道では二酸化炭素対策という側面よりは北海道が産出して稼げる素材としての水素に着目すべきだと思います。

 しかし売るためには人口規模が多いほどよい、という商売の原理から考えると人口の少ないところは不利。

 電気さえあれば水の電気分解でどこでも水素は作れるのですが、この不利な点を、すぐ近くの余剰電力で安く作れるというメリットで打ち消すことができるでしょうか。

 なんでも都会から始まるというのが悔しいなあ、とも思うところで、エネルギーも地産地消が一番良い、ということになってほしいところです。

  

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【番外】これが道北の魚に効くフライなのだ

2015-08-24 21:05:40 | Weblog

 昨日のブログで、大きなニジマスに遭遇して針が折られた話を書きました。

 今でもなんだか夢か幻だったような不思議な感覚です。あれは現実だったのかなあ。

 使ったフライの写真を載せておきます。

 左はアント(蟻)に似せたフライ。こういう形状は針先が水の中で上向きに沈んでいるので、魚が食いついた時にしっかりヒットする確率が高いようです。

 反応も良いしヒット率も高い。小さなヤマベも釣れますよ。

 
 そして右が針先の折られたフライで、カディスというタイプのモノ。オレンジが混じると魚の反応が良いような気がするので、オレンジ系で作っています。
 
 見て分かるように小さなフライだったので、これでは大きなニジマスには耐えられませんでした。

 潜んでいたドン淵の場所はしっかり覚えているので、近々リベンジに向かいます。見てろよ~!
 

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カラフトマスとニジマス

2015-08-23 22:50:51 | Weblog

 早朝のカラフトマス釣り。風が東風でオホーツクの海岸ではまともに波を受ける向かい風。早い時間帯ではにごりも入って、コンディションは良いとは言えません。

 この時期の鱒は、真水の川に入って産卵をするという本能に導かれて真水に入ろうとするのですが、母川回帰性がそれほど強くないので、とにかく刺し水があればそこに誘われて集まってくるという習性があるのだそう。

 潮の加減と濁りなど微妙なバランスのなかで、鱒が群れながら川へ上がってくると最高の釣り条件になるのですが、今日は難しい日和となりました。

 朝四時から釣り始めて、周りには釣り人が二十人くらいいましたが、カラフトマスを釣り上げたのはせいぜい数人。ちょっと魚の薄い朝でした。


 悔しいので朝飯は鮭のおにぎり。ちょっと残念ですが。


      ◆ 


 海釣りの後は馴染みの川へ入ってヤマベ釣り。新しいポイントの開拓です。

 枝幸の浜から歌登の渓流、そして中頓別の渓流というのは稚内から見れば釣りのゴールデントライアングルです。

 最後に入った中頓別の川では、今年生まれの小さなヤマベばかりがかかってきます。それなりに楽しめるのですが、大物釣りの豪快さはありません。

 最初のうちはヤマベ用に、蟻に似せたフライを多用して釣りを楽しんでいたのですが、一度上流へ釣り上がりその後に釣り下ってきた途中で、行きの時も気になっていた大きなドン淵に戻ってきました。

 行きの時はフライを入れてみても全く反応がなかったので、魚はいないのかなと思いました。そこで下りのドン淵ではカディスというちょっとふわふわしたフライに代えて、何気なくひょいと投げ込んでみました。

 十センチくらいのヤマベを期待していたのに、それが思いもせず突然ガバーッと巨大な魚がフライに食いついてきました。こちらも油断していましたが魚の方も油断していたのでしょう。思わぬバトルとなりました。

 暴れる魚が水面から姿を見せると虹色の魚体が見えました。40センチクラスの大きなニジマスです。こんな小さなプールでニジマスとはこれは思わぬ大物相手となりました!

 ところがこちらは小さなヤマベ用の短くて細い竿で釣りをしていたので、そんなに大きな魚への対応ができていません。竿は一気にしなり今にも折れそう。

(マ、マズイ…)持ち上げようとしても持ち上がらないので、リールワークに切り替えようと思いましたが、その刹那、突然竿が軽くなりました。魚を逃がすいわゆる「バレた」というやつです。

 釣り糸が切れたかな、と思いきや実は針の先が折られて逃げられました。やられた…!ヤマベ用の小さなフライだったの災いして、大きなニジマスに耐えられなかったようです。

 どんなときも大物がかかるというイメージを持ちつづけないといけないのですねえ。考えを改めなくては。

 
 釣り針を折られたところで、新しいフライにつけ直して何度も同じプールを攻めてみましたが、そのうちイライラがつのったか、そのニジマスは目の前で豪快にジャンプして下流へと消えてゆきました。

 なんだか夢を見ているようなシビレた時間。こういうことがあると釣りが止められなくなります。

 それにしても針が折られるとは…。

 道具のメンテナンスを怠ると駄目ですね。

 

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