北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

国境を越える環境問題

2012-04-30 23:45:13 | Weblog
 日中の気温が25℃を超えて真夏日となった今日の札幌。

 昨日ぱらっと降った雨で汚れが酷くなり洗車をしてきたところ、汚れの正体は北上したジェット気流に乗った黄砂なんだとか。

 黄砂は単に物理的な汚れだけではなく、酸性雨などの科学的な悪さもするというので隣人からの困った贈り物になっています。

 現代社会の環境問題は一国だけの問題には留まらず他国も巻き込むことが多くなったので、なおのこと国の中だけで処理出来るような、環境を保護し環境負荷を軽減させるような力の強化が求められます。




    ※    ※    ※    ※


 以前いた静岡県の掛川市には、毎年モンゴルのフフホト市というところまで植林に出かける人たちがいました。

 ゴビ砂漠は砂漠化がさらに進行しているのですが、それを人間の細々とした力で防ごうとする地道な努力が行われていました。

 砂漠は水が少ない土地なので植える木は適した樹種にしなくてはいけませんが、樹木緑化の専門家のアドバイスを受けてポプラを植えたと聞きました。

 ポプラはヤナギ科の木で乾燥には強いはずなのですが、ポプラも植林してから2~3年は月に二度程度潅水をしなくてはならないそう。

 ところが現地の地下水位はー40m~ー100mだそうで、現地の人が水を採取するのもなかなか大変なんだとか。

 それでも砂漠化を人間の力で止める努力は継続される方がよいことに違いありません。


    ※    ※    ※    ※


 当たり前に山に緑がある日本ですが、世界には緑がなくて苦労する土地の方が多いのです。

 緑も多いけれど、雨や地滑りも多く、地震も多いのが日本。

 その国その国の国土学と呼べるようなものをしっかりと勉強して押さえておかないと、単に日本とは違う国の制度や考え方を比較して優劣を競ったところで議論は無意味です。

 日本には日本流の国土の守り方と恩恵の受け方があるのですから。

 まずは地に足をつけた地元を見つめることが環境問題の第一歩ではないでしょうか。
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映画「僕等がいた」後編

2012-04-29 23:45:45 | Weblog


 帰省している札幌で、話題の映画「僕等がいた(後編)」を妻と観てきました。

 既に釧路の知人の中でも「観たら号泣でした」という人がいて、ちょっとドキドキしながら観に行きました。

 事前に「僕等がいた」の漫画完結編の16巻も買いました。




 札幌では書店で売り切れということでしたが、釧路のコーチャンフォーにはまだ平積みで置いてあったそうです。

 『漫画が先か映画が先か』は人それぞれでしょうが、私は漫画を観ずに映画を先に見る方を選びました。

 なぜなら漫画よりも実写の方が受け手側に強いイメージを与える力があると思うからで、しかも実際の釧路の風景が画面に登場するからに違いありません。


    ※    ※    ※    ※


 映画の中身に触れるのは避けましょう。まだ観ていない方に対してネタバレになっては興味が半減でしょうから。

 今回は映画の感想と漫画との比較を少しだけコメントすることにして、まずは映画の感想から。

 映画としては、まず私は展開に目が離せなくて見入ってしまいました。

 決してスリルとサスペンスではないのに、矢野(生田)と高橋(吉高)、竹内君(高岡)と山本(本仮屋)の演じる人間関係の展開に目が離せなかったのです。

 漫画ではなぜ矢野が高橋と距離を置くようになったのかについて余り詳しく説明をしていませんでしたが、映画ではそこを丁寧に説明してくれていて、様々な別れや出会いが必然なようにストーリー展開がされていました。

 脚本家も上手でしょうが、シーン転換や映像の写し方に三木監督のセンスと力量を改めて思い知りました。

 また、前作に引き続いて矢野につきまとう山本のことが、「こいつなんとかならんのか」という怒りを感じたのに、次のシーンでは同情してしまって可愛らしく見えたりします。

 女優さんのちょっとした化粧や服装の変化で観客の感情移入の方向を自在に操る三木監督の力量に感服。

 同時に吉高由里子も良かったけれど本仮屋ユイカも良かった。まあ、皆良かったんですが(笑)


 
    ※    ※    ※    ※


 故郷っていいね。同窓会っていいね。若い時の恋愛っていいね、なんてなことを存分に感じられる映画です。

 ご当地映画ってこれからも増えることでしょうが、間違いなく釧路を舞台にした良い映画として記録されるでしょう。

 しかしこの映画を記憶に留めるには封切りの『今この時』を映画と共有することです。

 私も妻もとても楽しめて、共通の体験として記憶される映画の一つとなりました。

 ぜひGWの一時を映画でお楽しみください。
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両親の誕生祝い

2012-04-28 23:40:11 | Weblog
 朝一番の汽車で札幌へ帰ってきましたが、札幌は気温が20℃ちかくまで上がって暖かい一日でした。

 夜は身内を集めて、ともに5月生まれの両親の誕生会を我が家で実施。毎年この時期恒例の家族行事です。

 両親には常々、オレオレ詐欺には気をつけて、と言っています。

 しかし口で言うだけではなかなか心に刻み込まれないので、ときどき、「あ、オレオレ」とか「あ、僕だけど」という電話をしてみます。

「ああ、マサアキかい?」とでも言うようなら、「だめだよ、そこで子供の名前を言っちゃあ」と注意をします。

 オレオレ詐欺を防ぐための練習ですが、こうした被害防止スキルもときどきではなくしょっちゅうやらないと身に付かないのが現実。

 皆さんは遠くに住む自分の親を守るためにどんなことをしていますか?
 
 本当は時々会うのが一番良いのですがね。

 
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統計調査という地道な取り組みのかげに

2012-04-27 23:45:17 | Weblog
 各種の会合が総会を迎える時期です。

 今日は釧路市統計協議会での表彰式と懇親会に参加してきました。

 この協議会は、釧路市の統計思想の普及や統計調査員の資質の向上、調査員同士の親睦を図ることなどを目的に組織されているものです。

 統計調査は国から委託される5年に一度の国勢調査などは良く知られていますが、そのほかにも経済センサス、農林業センサス、商業統計調査、工業統計調査、住宅・土地統計調査、事業所・企業統計調査など多種にわたります。

 これらが行われるときに調査票を配布し、回収して回りその都度任命される有期の非常勤公務員という立場となります。

 今日の表彰式では釧路市長表彰として、30年級で三名、10年級で三名の方に表彰状を手渡しました。

 また同時に三名の方に釧路商工会議所会頭感謝状が授与され、その功績が讃えられました。

 多年にわたる地域社会への御貢献に心から敬意と感謝を申し上げます。




    ※     ※     ※     ※     ※


 この統計協議会の会長さんとは知り合いだったので、懇親会の席では親しくお話ができました。

 最近は調査票を配布してもなかなか記入や回収に協力が得られにくくなった、というのが調査員の皆さんに共通する悩みです。

「ひとり暮らしの方も増えましたし、日中はいないご家庭も多くて、同じ家に何度も訪ねることもしばしばです」と苦笑いするのは会長のMさん。

「そういうときは家主が夜に帰宅したころに訪ねるわけですか?」
「そうですよ。アパートなどは夜に家に明かりが点っているのを確認してから訪ねます。それでも怒鳴られたり文句を言われたりしましてね。まあ大変です(笑)」

「個人情報の保護ということが言われ始めてからはやはり協力が得られにくくなりましたか?」
「そうですね。『何に使うんだ』とかよく言われます。でもね、個人情報の保護を言うのだったら言いたいことがありますよ」

「ははあ、何でしょう?」
「調査員は調査のためにご家庭を訪ねて不在の場合には、訪ねたことの証として、自分の身分を伝えるため名刺や電話帳のページをコピーして『これです』、なんてポストに入れたりするわけです。調査員には個人情報の保護なんてないみたいなものなんです」


 調査する側は一方的に身分を明かして、階段を何度も上り下りして一通の調査票を回収してくるというその活動は地味ですが、その一通一通の積み重ねに、先人から連綿と続くデータの継続性が保たれます。

 実際調査員の方たちは志を高く持った高齢の市民がほとんどです。

「膝が痛くなってきた、といって去ってゆく方もいます。その割にはなかなか新しく入ってくださる方も少なくて…」

 そう苦笑いするM会長さんですが、その決意は揺るぎません。

 
(自分くらい協力しなくてもなんとでもなる)という安易な考え方は少しずつ少しずつ社会を蝕み、協力をしてくださる人たちがそれを補い支えてくださっています。 

 ほんの少しの協力の積み重ねが暮らしやすい地域社会の入り口であることを我々はもっと強調しなくてはなりません。

 統計調査はこの社会が続く限りやはり続けられる崇高な営みです。

 調査員の皆さんの志に応えられるようなよりよいまちづくりを目指したいと強く思ったのでした。


    ☆   ☆   ☆


 さて、明日からの連休の前半は札幌で充電をしてきます。

 「僕等がいた」の後編も上映中ですしね。皆さんもぜひご覧ください。
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市役所ホームページ改訂作業キックオフ

2012-04-26 23:42:45 | Weblog
 いよいよ市役所のホームページ改定作業がキックオフ。

 まずは高度情報化推進委員会で、ホームページ改定作業にあたって、次長・課長さんたちの協力を要請。

 既にこの上部機関である部長以上を対象とした庁議でも、私が担当して作業の推移を見守ることについて市長及びもうお一人の副市長の了解を得ていると伝えているのですが、各階層の会議が行われるたびに姿を見せてコミットしている姿勢を見せようというのです。

 この会議では、実質的な作業部隊としてワーキングチームを作ることを了解し、引き続いてワーキングチームと今回このホームページ改定業務を請け負ったNTTさんとの顔合わせ会合をもちました。

 この会合にあたっては、事務局から「ぜひ檄を飛ばしてほしい」というお願いをされていて、私もぜひ伝えたいことがあるという思いで、15分ほど話をさせていただきました。

 ここで伝えたのは、今回の「ホームページ改定の意味とその活用について」です。

 まず最初は、
1.デザインとレイアウトの改善による見え方の大幅な向上が期待されるので、今のホームページの問題点を把握したうえで、最新のノウハウを投入して情報の見せ方とアクセシビリティ向上を図ろう、ということ。

 次に、
2.何を発信するのかというコンテンツの問題として、「行政情報は怖れずにできるだけ開示をする流れ」を前提としたうえで、釧路ならではの特徴あるコンテンツ、魅力あるコンテンツの発信強化をしようということ。

 また、受信した人が新たな価値を手に入れるのがより良い情報だという認識に立って、良い情報を提供しよう。

 また次に、
3.どのように発信するか、という情報発信マインドとスキルの向上問題。

 出すべきことと出すべきではないことの峻別力、文章の表現などの情報発信スキルは引き続き向上を図らなくてはなりますまい。
 
 そのうえで、情報を受け手側(市民、市外来訪者、世界)に、より理解してほしいというマインドの向上とその維持に努めたい。できればSNSとの連携なども模索したいところです。

 さらに、
4.外部機関との適切な連携も必要ということ。

 これからは、市が管理を委託している各種施設の指定管理者の皆さんにも、今後情報発信レベルを向上してもらうことが必要です。

 発信される情報の量、質、連携と関係性強化への努力は評価の一つの指標となるでしょう。

 さらには、災害時などはネット市民の協力を受けての情報伝達のあり方などにも工夫の余地が大いにあるでしょう。

 最後に、
5.ホームページへの取り組みそのものは釧路の都市経営力の分かりやすいシンボルとなる、ということ。

 キーワードとして都市経営を標榜している以上、まずは組織として情報を的確に発信しているかどうかは、大いに評価の対象となることでしょう。

 また、多少無理を言って、「少なくとも全道一のホームページを目指そう」という目標も掲げました。情報の発信力で他都市との差別化を大いに図りたいところです。


    ※     ※     ※     ※     ※


 そんな釧路市の情報発信のシンボリックな頑張りの一つが、この4月からスタートした「多言語によるホームページ情報の提供」です。

 従来は外国語では英語のみの情報提供でしたがこれを全面的に改定して、英語、中国語(簡体字・繁体字)、韓国語、ロシア語、ベトナム語の6言語でお届けしています。


 【他言語はこちらから】



 【この六つの言語で提供中】


 多言語での情報提供というと、主に観光客を対象とした観光情報として行っている自治体が多いところ。

 それを釧路市では、「市の概要」、「暮らしの情報」、「緊急時情報」、そして「訪れる」という多分野で上記の六言語によるコンテンツを提供しています。

 中でも特徴的なのは、防災情報の充実に力を入れた点です。




 【例えば繁体字で訳された津波防災ハザードマップ】


 これは在住外国人はもちろん、観光など様々な目的で釧路を訪ねてくる来訪者に安心をお届けするためです。

 津波ハザードマップまでを多言語で提供している自治体はそうはないでしょう。これも担当の職員が情報提供の在り方について突き詰めた素晴らしい成果と言えるでしょう。

 
    ※     ※     ※     ※     ※


 多言語化の作業と言うと、自動翻訳ツールに頼って訳の分からない文章を作る失敗事例もある中、釧路では原稿チェックに在住外国人の皆さんのご協力もいただきました。

 こうした市民の力を巻き込みながらより良い情報提供を目指すひたむきな努力を、今回のホームページ改定の一つの優良先行事例としたいものです。

 単に多言語の数をいたずらに競うのではなく、実質的な意味のある情報提供を大切にしたいと思います。


 さて、個人的にはサポートをしてくださるNTTさんの経験と実績、そして提案力にも大きく期待をしています。

 職員にも頑張ってもらいますので、より良いホームページづくりへのご協力をよろしくお願いします。
 
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ボランティア同士の垣根を越えた連携

2012-04-25 23:25:45 | Weblog
 市内の各種文化施設には大抵それを側面から支援するボランティア団体があります。

 そんな中から今日は、博物館友の会、道立釧路芸術館ボランティアの会「SOA」、釧路市こども遊学館のボランティア担当という御三方が私を訪ねてきました。

 お話の趣旨は、八月末くらいに博物館ボランティア団体で行う研修の中で講演をしてほしい、ということ。

 講演を行うことは一向にやぶさかではないものの、その趣旨は興味深いものでした。

 それは各文化施設ごとのボランティア同士の連携が図れないか、という問題意識の現れで、ともすると自分たちの施設さえよければよいという考えからいかに脱却するか、ということをテーマに考えているのだそう。

 ボランティアが単体で独自に活動するよりも、すぐ近くに同じような志で活動をしている団体があるならば、それらが互いに知り合いであるということは面白い化学反応が起きそうです。



 【視野をもっと広げよう】

 
 実はこのような動きがあることは全く知らなかったのですが、同じ時期に文部科学省から「『社会教育による地域の教育力強化プロジェクト』における実証的共同研究」という企画募集があって応募をしたばかりでした。

 応募をした内容は、各施設ごとのボランティアの皆さんの情報発信スキルを強化したうえで、SNSなどのデジタル空間を使ってボランティア同士の情報共有と連携強化を図りたいという企画です。

 これが採用になるかどうかはわかりませんが、思いとしては施設ごとに単独で行われているボランティア活動の情報を相互に共有することで地域の中での社会教育力が向上するのではないか、という問題意識なので、まさに機を一にした偶然で実に興味深いことです。

 
 実際、ボランティアをしてみたい意識のある方でも、果たしてどの団体が自分の思いと合致した活動をしているのかはなかなかわかりません。

 そこで二の足を踏んでいるようならば、まずは手近なところに参加をして、活動を広げる中で自分が気に入った活動に移って行くほうがずっと良いのです。

「実際にそういうことがありましたよ。最初はこども遊学館のボランティアとして参加してこられた方が、今ではすっかり博物館ぼらんてぃの活動に熱心になってしまいました」とはこども遊学館のボランティア担当の方の弁。

 そういうことはあってよいと思います。


    ※     ※     ※     ※     ※



 釧路は昨年、都会の猛暑や節電ムードの中で避暑地として人気が出て、たくさんの方が夏の間長期滞在で過ごしてくださいました。

 しかしでは釧路へ来て一体どのようにして日常を過ごしているかというのはなかなか掴みきれません。

 もしもあまりやることもなく過ごしているというのならば滞在中の許された時間を使ってぜひこうしたボランティア活動に参加してほしいものです。

 そこで友達が少しでもできれば、次に釧路へ来るときは「ただ暑さから逃げてきた」という消極的な意味ではなく、「釧路の友達にまた会いに来た」という積極的な意味に変わることでしょう。

 友達に会いにゆくことほど楽しい旅行はありません。

 そして友達と一緒にボランティアで充実した時間を過ごせば長期滞在もずっと意義深いものになるに違いありません。

 そのためにも開かれていて、有機的な連携と関係性の豊かな地域活動が望まれます。

 ボランティアの皆さんが視野と志の対象を広げることに繋げられるように今年は頑張ってみようと思います。

 面白いことになりそうな予感がしますぞ。
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観察眼を持て!

2012-04-24 23:45:35 | Weblog
 「『艱難よく知る代官は皆北道の訛りあり』あなたも北海道生まれなんでしょ?」

 この素敵な言葉を教えてくれたのは、地元釧路で弁護士を営む大先輩のAさんです。

 Aさんは弁護士としての力もさることながら、会話の端々にふと教養がにじみ出るような話をされるのでとても尊敬できる方なのです。

 今日はある会合で久しぶりにAさんとお会いして、また話が弾みました。

「お久しぶりです。私は未だに『艱難よく知る…』の教えが強烈で覚えているんですよ」
「ははは、あなたも好きだね」

「ところで、ネットで調べても出てこないようなこんなフレーズを一体どなたから教わったのですか?」
「ん?誰からかって?それはね陸軍中野学校を卒業した弁護士の先輩さ」

「ははあ、中野学校ですか。入学するのも大変と聞きましたが」
「その入学試験の話というのが面白いんですよ。先輩から聞かされた話では、面接のときに訊かれたのが、『君、君が今着ている服にポケットはいくつある?』というものだったそうですよ」
「服のポケットの数?」

「そう、それを答えたら今度は、『君は今日地下鉄で来たのか?上った階段の段数はいくつだ?』と訊かれたそうですよ」
「へえ…、それって中野学校とどういう関係があるんですか?」

「それはねえ、世の中で大切なのは観察力だ、ということらしい。うすぼんやりと世の中を見ていてはいけない、常に(これはなんだろう)という気持ちを持ち続けていなくちゃいけないんだそうだよ」
「なるほど、それはそれで一理ありそうです」

「その方にいろいろと教わった中では、『結婚した後でも一日一枚くらい花でも風景でもスケッチをするのがよい。そうすると弁護士に必要な観察眼が養われる』というのが印象的でしたね。その後スケッチを描くようなことはなかったけれど、観察眼を持てという言葉だけは覚えていますね」





    ※     ※     ※     ※     ※


 異常なほどの観察眼を、それも絵を描けるくらいの観察眼を持て、というのは印象的なアドバイスです。 

 単なる好奇心を超えて、それを描けるくらいに自分の中に取り込めというのですから。

 「生ききる」という単語を使っている方がいました。

 人生をもっと真剣に生きて生きて、もうこれ以上ないというくらい徹底的に生きることを「生ききる」という意味に使っていたのです。

 人生への真剣みという意味で、観察眼の話にどこか通じるものがあるかもしれません。


 まだまだ「生ききる」というところまでは行かないことにちょっと反省です。

 


    ※     ※     ※     ※     ※

 『艱難よく知る代官は…』に関するブログはこちら
  《北の心の開拓記[釧路編]2011-6-24 『オヤジの含蓄』 http://bit.ly/lBOJrz
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木鶏会四月例会~「順逆をこえる」

2012-04-23 23:45:51 | Weblog
 月に一度の木鶏会の例会。

 木鶏会とは、年間購読でしか手に入らない人間学を学ぶ月刊誌「致知」の読者による勉強会の会合です。

 今回は四月号の特集テーマの、「順逆をこえる」について読み合わせと意見交換を行いました。

 「順逆をこえる」とは、順境にも逆境にも負けない自分を創るということで、記事の中では三つのエピソードが紹介されています。


    ※     ※     ※     ※     ※


 一つ目は百歳にして現役の医師として今なお活躍中の日野原重明先生の講演のお話。

 日野原先生は1970年、五十八歳の時に日航機よど号ハイジャック事件に遭遇しました。

 人質として機内での時間を過ごし、事件四日目に韓国の金浦空港で解放されたときは「無事地上に生還した」との思いが膨らみ、「これからの人生は与えられたもの、人のために生きよう」という決意に繋がっていったそうです。

    ☆   ☆   ☆

 二つ目は江戸時代の儒学者中江藤樹の言葉から。
「順境にいても安んじ、逆境にいても安んじ、常に坦蕩々(たんとうとう)として苦しめるところなし。これを真楽(しんらく)という。萬(よろず)の苦を離れて、真楽を得るを学問のめあてとす」

 順境の時に人はつい慢心しがちになります。順境にあって傲慢にならず、謙虚に心を落ち着かせている。逆境のときもへこたれずに、心が安定している。

 どんな状況でも心が平らかでゆったりとし、状況に振り回されない、それを真の楽しみという。

 この真の楽しみを得るために、そういう人物になるために日とは学ぶのだ、と藤樹は説いています。


    ☆   ☆   ☆

 最後が明治生まれの哲学者にして教育者の森信三先生の言葉。

「思い上がらず、下座に徹して生きるとき、天が君を助けてくれる」


 自分の生き方もかくありたいものです。




    ※     ※     ※     ※     ※



 私としては、「順境の時は時勢に乗って人のために働け。逆境の時は大いに本を読め、それも古典を読め」という精神で行きたいと思っています。

 棺桶に本を入れてもらっても仕方がありません。

 寿命には限りがあります。

 今、この一瞬を前向きに生きるしかないのです。
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道東の川の魅力~春のアメマス粘り勝ち

2012-04-22 22:38:25 | Weblog
 道東のいろいろな川に連れて行ってほしいと釣りのベテランの知人Mさんにお願いをしていたところ、今日行きましょうということになり、今まで行ったことのない川へ連れて行ってもらいました。

 もちろんアメマス狙いのフライフィッシングです。

 海に近いポイントで釣ることにしましたが、海に近いと潮の満ち引きが関係して、引き潮めがけての時間が釣れそうだとのこと。

 今日は大潮なので午前中が勝負と朝早くから釣りはじめました。

 川では元気の良いアメマスが何匹もライズしていて、いかにもたくさんいるぞという素晴らしい状況。これは期待できそうです。


    ※     ※     ※     ※     ※


 【来ない…】

 ところがこれが一向に食いついてくれません。

 現地でもう一人、釣りのベテランの友人も合流して、三人で様々なやり方でトライアルをしましたが、全然ダメ。

 大のベテラン二人が首をかしげて「いやあ不思議だ。どうして食わないんだろ?」「うーん…」と思案顔です。

 フライを投げ入れた先のはるか手前で嫌味なライズをされるカチンときますがどうしようもありません。

 丹頂やキツツキなど多くの野鳥に囲まれてなんとものどかな春の一日。しまいにはオオワシまで現れましたが、こいつが現れると周りの鳥たちが一斉に逃げてゆきます。

 しまいにはカラスまでもが群れごと飛び立ってゆきました。恐るべしオオワシの威嚇力。



「ふーむ…、うーん…」

 三時間ほど手を変え品を変え、フライを放り込んでみましたが、やっぱり反応がありません。

「何か手立てはありませんか?」
「いやあ、いろいろなフライを手当たり次第に試してみましたがだめですねえ。すみません今日はこういう日みたいです」


    ※     ※     ※     ※     ※


 
 ベテラン二人はもう遠くですっかり休憩モードに入ってしまいました。

 私の方は、やっぱりアタリの一つもありませんが、どうせならキャストの練習でもいいや、という思いがあるので休むことなく黙々とフライキャストに没頭です。

 (どうせダメなら…)と、自作の出目金マラブーのフライを取り付けて遠くへ放り投げ少し引っ張って誘いをかけてみると…おお!見事にヒット!

 40センチくらいのそれなりのアメマスがかかりました。

 そこからは何かが変わったのか、引っ張るたびにアタリもついてぐんぐん釣れるようになり、連れて来てくれたMさんもガンガン釣りはじめました。


 【キター!】


 最初のうちはうれしくなって一匹ごとに写真を撮っていましたが、次々に来るのでしまいには写真も取らなくなりました。

「アメマスは重いので釣れすぎると腱鞘炎になりますよ」という釣りの師匠もいましたが、意味が想像できるようになりました。

 今日の最大は45センチというところですが、お昼頃にかけては短時間の間に十匹以上が遊んでくれて、とても楽しい釣りになりました。 


 【今日のマックスは45センチでした】


「いやあ、今日は小松さんの粘り勝ちですよ」とはMさんの感想。


 自作のフライも十分に通じたので嬉しさも二倍です。

 こんなに楽しいポイントでしたが、釣りをしていたのは我々三人だけという楽園の独り占め。道東の釣りの楽しさをさらに味わったのでした。

 
 連れて行ってくれた先輩によると、「川のアメマスも楽しいですが、実は海に出ているアメマスもいいんです。こうなるともう可能性のあるポイントが無限で、未踏査のポイントがいくつあるか想像もできません」


 道東の釣りの魅力は無限です。
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地区の子供たちの居場所づくり~「てらこや」始まる

2012-04-21 22:21:33 | Weblog
 市内鳥取地区で始まった「てらこや」を見学してきました。

 ここは友人のOさんが子供たちの居場所づくりを目的としてこの四月から始めたもので、地区の集会所を使って毎週土曜日の9時から12時まで活動をしています。


  【市営住宅団地の真中にあるのです】


 集会所は二階建てで一階は卓球台が置いてあるフリースペースで、二階は畳敷きが二間。

 もともと「八時と三時には地域の大人は外で子供たちを見守ろう」という「83運動」からくる、「83広場」として活動を続けていましたが、これをあらためて「てらこや」と名付けたのです。


  【83広場と書かれています】


 ここで、子供たちは思い思いに過ごしますが、見守る大人たちも適当で、子供たちが勉強を教えてほしがったときに教えられる大人がいれば勉強時間にもなるし、遊びたければ一緒に遊んでも良いという子供と大人の双方の関係性の中で運営されてゆく自由な空間になっています。



  【下手な卓球もまたよし】


 この動きにはマスコミさんが非常に注目していて、まだ始めてから二回目の先週にも取材に来て、いろいろなことを訊かれたそうです。

 特に、マスコミが注目しているのは釧路の子供たちの低い学力を向上させる起爆剤になるのではないか、という期待の面。


  【勉強をするシーンの取材にも熱が入ります】


 実際、学校のドリルを持ってきて勉強をする子供たちもいますが、主催者のOさんは、「決して勉強だけを意識したものではありません。大人と子供の適当な触れ合いの場として使ってもらえればよいし、大した難しいシステムでもないので、他の地域でもやろうと思えばできるはず」と語ります。

 行政サービスとしては児童館のようにしっかりと学校教育以外の子育て支援制度がありますが、施設が遠かったりプログラムが決まっていて利用が不便な場合もあります。

 そのため、そうした制度の隙間を埋めるような地域の活動は大いに歓迎したいところです。

 
 まだ制度も始まったばかりで地域の子供たちや保護者達にも浸透していないため来る子供の数はまだ少ないのですが、子供たちの口コミ効果に期待しているとも。

 人気が出ると良いですね。


    ※     ※     ※     ※     ※


 市内の子供たちを見ても、実は全員が健全な家庭で育っているわけではありません。

 一番かわいそうなのは、親が子育てを放棄してしまうネグレクトで、ご飯を満足に与えなかったり清潔や生活習慣などの保持が足りないケースが見られるのだと言います。

 この「てらこや」がそうした問題にすぐ対処できるわけではありませんが、子供たちが親や先生以外の大人と触れ合うことで、新しい関係性のチャンネルができ、それがなにがしかの効果をもたらすことも期待されます。

 今求められているのは、「できることは何でもやってみる」という姿勢でしょう。

 この動きがもっと広がってほしいものです。地域の大人たちよ、声を上げよう。



  【黒板への落書きも楽しいのです】


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