北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

釧路よ、ありがとう。わが心の故郷よ。

2013-03-31 23:45:11 | Weblog

 いよいよ釧路で最後の一日となりました。

 朝一番で、空港へ向かいエアドゥ初便のイベントに集まった関係者にご挨拶。空港はなかなか行けなかったのですが、最後に関係者が一堂に会しているところを訪ねられてよかったです。

 空港から再びホテルまで送ってもらった後は、荷物をいったん駅に預けて、厳島神社へご挨拶のお参りに行ってきました。

 釧路での生活は、着任当日に厳島さんにご挨拶してから始まったので、最後にご挨拶をすることができて、すがすがしい気持ちです。

 天気もからりと腫れ上がり、境内のお稲荷さんにもお礼のご挨拶をしておきました。最後まで良い天気にしてくださってありがとうございました。


 【厳島さん、お守りいただきありがとうございました】


   ◆   ◆   ◆


 10時半ころに生涯学習センター「まなぼっと」の2階の多目的ホールへ行くと、『キリンを動物園に贈ろう』というプロジェクトのチャイルズエンジェルの皆さんが 最後のバザーの準備を進めていました。

 バザーは、始まると同時にものすごい人だかりになり、市民の関心と何か協力してあげたいという思いが強いことが実によく分かります。

 女性たちのものすごいパワーを最後まで見られました。ここでも最後の挨拶ができて良かったです。


 【チャイルズエンジェルの皆さんと一緒に】


   ◆   ◆   ◆


 いよいよ釧路駅での別れが近づいてきました。

 2年9ヶ月にわたって仕事をともにした部課長の皆さんや秘書課の面々、そして海老名市長ご夫妻も駆けつけてくれました。

 さらに、仕事以外でも公私にわたってお付き合いのあった皆さんも来てくださり、総勢20名ほどになりました。

 秘書課では、在任期間の節目節目の写真を集めたフォトブックを作ってプレゼントしてくれました。
 よくこんなに写真を集めてくれたものです。

 皆さん入場券を買い求めて、駅構内で記念写真を撮りました。

 いつまでもこうしていたい気持ちは山々ですが、名残はつきません。

 車内からパノラマ写真を撮りました。汽車の車内からはこんな風景が見えました。

 いよいよ汽車がゆっくりと動き出しました。見送りに来てくれた皆さんが手を振るのが見えます。

 今生の別れではありませんが、副市長としてはこれでお別れです。

 なんとか泣かずにすみました。少しは成長したかな。

 次は一人のゲストとして釧路を訪問することでしょう。

 ありがとう、本当にお世話になりました。

 さようなら。

 

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釧路のバー文化~最後の夜に知ったこと

2013-03-30 23:45:04 | Weblog

 やっとのことで引っ越しを終えました。

 引っ越し業者さんの来るのが夕方6時近くなり、暗い中での荷物の積み込みとなり、大丈夫なのか心配でしたが、なんとか荷物を積み込むことができました。

 引っ越し単身パックというのがあって、決まったサイズの籠の中に荷物を詰め込んでいくら、という値段設定で、せいぜい二つあれば済むかなと思ったのが全く甘くて、よくぞ3つで済んだなあという量の荷物になっておりました。

 それでもなんとか荷物を積み込んでくれて一安心。あとは1日に荷物が届くのを待つばかりです。

 部屋を引き払うときには一抹の寂しさを感じましたが、これもまた人生。
 次の入居者が無事に入るとよいですね。今のアパートを借りたことで、職場にも末広にも、駅にも近い過ごしやすいまちでした。本当にありがとう。


   ◆   ◆   ◆


 引っ越しを終えた後で、妻と一緒に最後の釧路の歓楽街めぐりをしてきました。

 まずは赤ちょうちん横丁の馴染みのお店「みかさ」に行ってみました。

 ご店主には赤ちょうちん横丁には珍しく、目の前でつくる料理を出してもらいましたが、簡単な割にはおいしくて目を見張りました。

 ウズラのゆで卵の串焼きなんて、ちょっと食べられませんよね。 

   ◆   ◆   ◆


 赤ちょうちん横丁で一杯ひっかけて、次には釧路でも老舗となったカクテルバー、「笑の館」へ行きました。

 久々に立ち寄りましたが、すぐにマスターの森野友夫さんから「これはこれは、昨日の新聞でご退任の記事を読みました。お別れするのは残念ですね」と話しかけられました。

「お別れなので別れにふさわしいカクテルをお願いできますか?」と突然のオーダーを出すと、「なるほど、お別れですか…ならば、
”X・Y・Z”で参りましょう!」

 すっと客から振られたテーマに答えが出るあたりはさすがです。


     ◆   


 このバーにはこれまでも、釧路に大事な友達が来た時に利用させてもらっていたのですが、今日は特に、「バー文化とは何か」という話になりました。

 森野さんは、社団法人日本バーテンダー協会の常務理事で、北海道統括本部の本部長という肩書も持っています。

「バーテンダーって、全道で2000人くらいいますが、一番いるのは札幌じゃなくて以外にも旭川なんですよ」とのこと。

 札幌はバーやバーテンダーの力が落ちてきたので、業界を挙げてテコ入れをしなくていけない、ということになっているのだそう。
 案外知らないものですね。


     ◆  
  

 私はこれまで、バーテンダーというのはレシピが頭に入っていて、美味しいカクテルを作るのが仕事だ、と思っていたのですが、実はそうではなく、まさにホストとしてお客さんを楽しませることが一番の仕事なのです。

「ですからそんなこともあって、ちょっとしたカードマジックくらいはできますしね」
「ええ?それは初めて聞きました。せっかくだからちょっと見せてくださいよ」

「それじゃあちょっとだけ」

 そんなことから、森野さんによるカードマジックが始まりました。客が引いたカードを元に戻して当てるなど朝飯前、という感じで目の前で見ると本当に驚きです。


「ダイスなんかもよくやりましたね」

 今度は6個のサイコロをテーブルに置いて、これをダイスカップで次々にすくい取ったかと思うと、止めたカップを持ち上げると6個のサイコロが全部重なって立っています。

「おー!」カウンターにいた客全員が歓声をあげました。

「バーテンダーは皆手品ができるものなのですか?」と訊いてみると、「昔はそういう文化がありましたね。手品に限らず、いろいろな面白い技でお客さんをもてなすということはやれるように練習したものですが、今はどうでしょう、半分くらいでしょうかねえ」とのこと。

 札幌のお勧めのバーも教えていただき、バー文化について初めて知ることができました。

 釧路のレベルの高い文化の一つに最後に触れることができてよかったです。

 釧路へ帰って来る楽しみがまた一つ増えました。

 皆さんも、釧路の夜の大人の文化にもっと触れてみてはいかがでしょうか。

 

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マリモで地域を盛り上げ隊の設立

2013-03-29 23:48:45 | Weblog

 

釧路での最後のお仕事は、「マリモで釧路をもりあげ隊」の設立の集いでの挨拶でした。

 もうすでに退任辞令ももらい、議場での職員挨拶も終え、花束を手渡されて笑顔で釧路市役所を後にしたというのに、なお「ぜひ来てください」というオファーがあるというのは嬉しいことです。

 もう何を頼まれても釧路市役所の一員として期待に応えることのできない私ですが、「それでもいいから来てよ」とのこと。

 会合は夜7時半からキャッスルホテルで始まりました。

 会の趣旨は、マリモを地域の資源として捕えるとともに、新しいご当地ドリンクとして『まりもハイボール』を創作して、市民が楽しむのはもちろん、外からの観光客もマリモで迎えようというもの。

 会長である医師の浅野先生を中心としたメンバーがお酒を飲みながら盛り上がった話が、この「盛り上げ隊」を立ち上げるまでになりました。

 参加者は約80名で、ネットを中心として話が広がったと言います。

 私が見回しても、普段会ったことのないような方が多く、本当に組織として立ち上げたのとは違う、心の同志たちが集まったような不思議な会でした。


   ◆   ◆   ◆


 私には、来賓あいさつと言いながら、「とにかくマリモについて話をしてほしい」ということだったので、マリモを育む阿寒湖を世界自然遺産にしようという取り組みへの市の考え方やそのはいけい、そしてこれからのことについての期待を述べました。

 世界自然遺産登録にはまだまだ時間がかかると思いますし、決して阿寒湖畔にバブルな人気をもたらしたいということではありません。

 それよりも、先人が守り育んできたマリモと阿寒湖の素晴らしさをしっかりと伝えられるような、地に足の着いた心洗われる場所としての阿寒湖を目指しています。

 しかしまだ取り組みは始まったばかりで道や国の支援もいただかなくてはいけないので、今はそうしたことへの準備を進めているところ。

 そのような中にあって、これまでともすると、阿寒湖畔という限られた地域だけが盛り上がっている運動と見られがちなテーマでした。

 今回それを、こうして旧の釧路市でも釧路全体の資源として捕えてこの話題で盛り上がろうという、一体となった取り組みにしようという活動に心から敬意を表したいと思います。

 私の挨拶はそのような形で〆ましたが、こうした動きが澎湃(ほうはい)としてわき上がる市民意識に大きな期待を寄せたいと思います。

 これが釧路の最後の仕事になるとは実にうれしいですね。


   ◆   ◆   ◆

 
 イベントでは、私の挨拶の後に、阿寒湖畔のNPO阿寒観光協会から自然ガイドの仲平さんが
マリモの生態とその希少さについての説明を受けましたが、釧路市民でもこうした話を聞く機会はまだまだ多くないと思いますので、良かったと思います。

 さらにマリモハイボールの試飲も行われましたが、実はこの創作ご当地ドリンクはまだレシピもしっかり確立しておらず、ベースとなるウィスキーには何が良いと思うか、というアンケートをこの場で取るなど、まだまだ発展途上の企画です。

 しかしこうした話題を少しずつ振りまくことこそが地域の元気の源です。

 ますますの発展を心からお祈りします。


   ◆   ◆   ◆


 アトラクションには地元のデュオ「ヒートボイス」が駆け付けてくれて歌で会を盛り上げてくれました。

 最後の最後に生のヒートボイスが聴けて良かった。

 披露してくれた、ボランティア愛ランドのテーマソング"MOTHER(地球)"も素敵でした。


 「マリモで地域をもりあげ隊」という名前も良いですね。

 大いに盛り上げてくださいね。 


   ◆   ◆   ◆

 

 最後にお知らせ。拙著「釧路のマチのコト語り」は、来週4月2日から、釧路や札幌の書店「コーチャンフォー」で店頭に出してくださるそうです。

 コーチャンフォーが近くにない、という皆様、お問い合わせは、水公舎(株式会社藤プリント内/担当=水口さん)へ。

電話=0154-22-9311
FAX=0154-23-7466
e-mail=fuji@print946.jp です。

 

  

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振り向いてくれ愛しき者よ~辞令交付と退任挨拶

2013-03-29 23:28:25 | Weblog

 いよいよ辞令交付の日がやってきました。

 蝦名市長から手渡された辞令には、「願いにより本職を免ずる」とありました。

 正式には3月31日まで任期がありますが、様々な公式の予定は今日をもって終了です。

 事例をいただいた後に、拡大庁議として部長以上の集まる場で改めてのご挨拶。

 議会はもちろん、多くの政策課題をともに議論して解決に向けて努力した戦友ばかりです。

 今日を最後に退職する部長もいますが、これからも市政に詳しい見識ある市民として釧路市を陰から支え続けてほしいと思います。


   ◆   ◆   ◆


 いよいよ最後は、議場での退任挨拶です。

 居並ぶ幹部職員の顔を見ていると、一人ひとりと交わした会話や、共に苦労した思い出がよみがえります。

 市長からは、「好奇心で走り回り、本まで書いて情報発信をするのだ、と言い続けてくれた副市長でした。これまでの功績に心から感謝します」とありがたい言葉をいただきました。

 私の方は、直前まで何を話すか全く考えていませんでしたが、すでに議場などで話した思い出などはそれとして、角度を変えた釧路市へのエールを送ることに。

 ヨソ者として、(次はないかもしれない)という切迫感に追い立てられるような2年9ヶ月でしたが、振り返るとずいぶん多くの場面に立ち会えましたし、多くの人と出会うことができました。

 四月からは釧路を離れますが、釧路に対する片思いの恋をしているような気持ちです。

 かつて前東京都知事の石原慎太郎氏が「国家なる幻影」という本の中で、「ふりむいてくれ いとしきものよ」と書きました。

 いくら尽くしてもそれに応えてくれない日本という国に対して、片思いの女性に例えて述べた言葉ですが、私も同様の気持ちです。

 「釧路はもっと美しいはずだ。釧路はもっと美人のはずだ。釧路はもっと魅力があるはずだ」

 そんな願いをどうか果たしていただきたい。それがいつまでも果たされないのでいるようなら、私も釧路市に対して、「どうしたの」という思いと共に、期待と願いに応えてほしくて、「ふりむいてくれ いとしきものよ」と叫んでいるかもしれません。

 釧路が素晴らしいマチになればなるほど、「そう、僕はあのマチにいたんだよ」という自慢になるはずです。

 そうなろうと努力を重ねた私の人気もほぼ今日で終わりました。

 これからは職員そして市民一人一人の自覚と覚悟に委ねることにいたしましょう。

 職員の皆さんのご健勝とご活躍、併せて、これからの釧路がますます発展してゆきますようお祈りをして退任のご挨拶といたしました。

 
 本当にお世話になりました。ありがとうございました。


  

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やってきたことの証~阿寒方面への退任挨拶

2013-03-28 23:45:28 | Weblog

 朝から阿寒湖畔へ退任のあいさつ回り。

 まりむ館で職員にあいさつした後は、阿寒観光協会や旅館組合、前田一歩園さんなどにご挨拶。

 必要なところには本も配ることができて良かったです。

 湖畔からの帰り際に、まりも国道(国道240号線)沿いにある関係者も回りながら顔を見せて副市長としては最後の挨拶をして回りました。


    ◆    


 阿寒町行政センターでは各フロアの職員にも退任挨拶をしましたが、地域に根差して活性化や地域振興をしてくださる努力にこれからも期待をしています。

 阿寒本町での挨拶では、農協と商工会も挨拶に回ることにしました。

 阿寒町商工会の会長を訪ねたところ、ご主人は不在で、それならばと、奥さまに「副市長ですが退任のご挨拶に参りました」と伝えたところ、「あらー、私副市長に会ってますよ」という答えが返ってきました。

「え?どちらでお会いしましたっけ?」と聞き返すと、「丹頂千年祭ですいとんを作って売ってました」という返事。

「あー、なんだぁ、福島県流のすいとんのお母さんでしたか!」
「そう、私の横でお蕎麦を打ってたでしょ?」

「はいはい、いやあのときは寒かったけど、すいとんは美味しかったですよ」
「またきてくださいよ、蕎麦打ちでもなんでも」

「はいはい、今度は観光客としてきますが、また蕎麦は打っているかもしれませんね。お世話になりました。どうぞお元気で」
「はい、副市長さんもね」


 見知らぬ方への最後の挨拶だと思ったら、なんとイベントで隣同士で蕎麦とすいとんを出していた仲で、それが分かった瞬間にお互いに打ち解けることができました。

 特に見返りなど期待せずに、地域から求めに応じてイベントに参加していると、様々なつながりから嬉しい出来事が起きてくるもの。

 どこか、釧路でずっとやり続けてきたことの証のような最後の挨拶でした。

 これだから地域のイベントに参加することはやめられません。そう、これがいいんだなあ。


   ◆   ◆   ◆


 【阿寒岳神社へお参り】

 


  【阿寒神社にもお礼のお参りです】


 阿寒湖畔では阿寒岳神社に、また阿寒本町では阿寒神社にお礼のお参りをしてきました。

 気持ちが清々しくなりますね。


 さて、いよいよ明日は釧路での最後の仕事の一日。

 退職者を送り出した後に、午後には議場にて職員に対する退任の挨拶です。

 

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やっと本ができました!

2013-03-27 23:45:56 | Weblog

 やっとのことで本ができてきました。

 一時は年度内の製本が危ぶまれたほどでしたが、なんとか完成いたしました。いやあ、長い道のりでした。

 全体は六章立てで、第一章は「釧路の資源」として、釧路の風景や啄木のいたマチの資源性について語りました。

 第二章は「釧路はリゾート」。約3年の間に遊びまわった釧路、そして道東は毎日がリゾートでした。
 特に、後半はフライフィッシングに魅せられた私で、釣りも含めた日々の遊びの素晴らしさについて書きました。
 
 第三章は「釧路のまちづくり」です。釧路の水や、風景がお金になる話、石炭や紙に支えられた釧路の経済、観光や社会的包摂、そしてキリンの寄付にみる、釧路の人々のまちづくりについて書きました。
 ここに書いた、釧路の人たちの日々の営みの中に何を感じてくださるでしょうか。


    ◆   


 第四章は、「釧路市行政を中から見る」です。

 津波災害で迫られるこれからの避難対策とまちづくり、平時の際のまちづくりとしてのコンパクトシティ、さらにフィットネスセンターの廃止問題に見る、これからの様々な施設のあり方についての市民議論の必要性などを、まさに中から見た者として書きました。
 市の行政についても、もっと市民に関心を持ってほしいものです。


 第五章は、「まちづくりの力を磨こう」ということにしました。
 ここでは、情報発信をもっとしなくてはいけない、という感覚から、情報発信の必要性と、発信するときのコツなどについて普段から考えていることを述べさせていただきました。


 第六章は、釧路新聞に掲載していただいた「巷論(こうろん)」から十篇をセレクトし、この文字数では書ききれなかった背景や、思いを追加しました。
 自分の意見をブログだけではなく、釧路新聞のような場面で表現できたことは大変幸せでした。

 
 そのうえで番外編で「釧路のマチのコト語り」という一文を寄せました。これは今回の本のタイトルです。
 そこには、今回書いたような釧路のマチで起きている『出来事をもっと語ろう』という思いをこめました。

 私たちが自分たちのマチのことを、もっと知ることが我がマチへの愛着に繋がります。

 そんなマチを知るための方法としては、単なる事実としての情報を学ぶだけではなく、感動が心に響くものがたりに接するのが良いのではないか、と思うようになりました。

 私のブログもどこかそういう風なところがあるのですが、日々の物語の中にこそ感動のタネがあるものです。

 タイトルは、ものがたりではなく、「出来ゴト」を語る、「コト語り」にしてみましたが、ここにも「モノ」と「コト」の違いからちょっとしたひねりを加えてみたものです。


   ◆   ◆   ◆


 本の中には蝦名市長からも「発刊に寄せて」という一文をいただきました。

 真っ先に市長にも一冊謹呈して、一つの節目を迎えることができました。


 市内ではコーチャンフォーさんにおいてもらえることとなりましたが、店頭に並ぶのは4月には行ってからになります。

 もし機会がありましたらお手に取ってみていただければ幸いです。

 本当にお世話になりました。ありがとうございました。

 

 


 

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音別地区での退任挨拶

2013-03-26 23:45:29 | Weblog

 朝一番に白糠町で仕事があったことから、そのまえに白糠を通り越して音別行政センターへ向かって職員へ退任の挨拶。

 音別には、来た早々に蕎麦を打ったり、北のビーナス冬まつりで楽しんだりした思い出がよみがえります。

 また、何よりも釣りでは音別川へ何度も訪れ、たまに釣れてくれることで、印象深いものがありました。

 音別川で釣ったアメマスの手ごたえは忘れません。


    ◆   ◆ 


 いろいろと話を聞いていると、音別行政センターは今や地域の若者を供給する貴重な職場になっています。

 合併後に一時、センターの職員は消防団に入らないこと、ということになっていたそうです。

 しかしそれでは事実上消防団が成り立たないということから、その制度を変えて地域の消防団に参加するようになりました。

 地域の若者が減る中で、地域の安全や防災を実際に支えているのが行政の仕事というよりは行政の人そのものという現実をどう考えれば良いでしょう。

 行政改革で仕事を効率化して職員数もできるだけ減らすことが求められていますが、効率化の限界はどのあたりにあるでしょう。

 中心に近い人ほど、最前線で頑張っている人たちへのまなざしを忘れないでいただきたいと思います。


   ◆   ◆   ◆


 今日も職場の送別会。来釧中の妻も招いていただいて、釧路での2年9ヶ月を振り返りました。

 私のわがままも多かったのですが、受け止めてくれた周りの皆さんに感謝したいと思います。 

 見慣れた風景が、一つ一つ、(これが最後かもしれない)と思うようになりました。

 

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二月定例議会最終日で退任挨拶

2013-03-25 22:17:13 | Weblog

 今日は釧路市議会二月定例議会の最終日。

 予算案や請願、陳情に対する裁決が行われた後で、人事案件の採決が行われ、新しい副市長人事が認められ、自動的に私は3月31日付で退任ということになりました。

 議場での挨拶の機会をいただけたので、このような挨拶をいたしました。お世話になりました。

   ◆   ◆   ◆

 

【副市長退任挨拶全文】

敬愛する釧路市議会議員並びに市民の皆様、この度は提案の人事案をご承認いただきましたことに謹んで感謝申し上げます。

晴れて副市長を退任させていただくこととなり、併せて退任に当たりご挨拶の機会をいただきましたことに、重ねて心より感謝申し上げる次第です。

 省みますと蝦名市長から辞令をいただき、その後に、まさにこの議場で就任のご挨拶をしたのは3年前の平成22年7月1日のことで、今でもそのときのことがまざまざと思い出されます。

 その際は、釧路市の副市長としての職責、しかも初めての外部からの登用(とうよう)ということによる注目の大きさなど、責任の重さをひしひしと感じたのですが、そのわけは、釧路市が歴史、産業、観光などの各方面で名の通ったマチだからであります。

 人口18万2千人で道内四位。水産、港湾、空港をもち、阿寒、釧路湿原という二つの国立公園を抱え、さらに、行政、ビジネス、医療、商業の中心的な役割をもつ道東随一都市としての釧路市の風格は第一級のものであります。

 ここに縁とゆかりができ、知人が大勢いることを誇りにできるマチでありました。

 しかしながら、実際に仕事をしてみますと、地方都市の行政には様々な課題が降りかかってまいりました。

 私は以前、静岡県掛川市で三年間の助役経験がありましたが、釧路公立大学の小磯修二前学長にお会いした折に、「あなたは地方自治体勤務の経験がおありですが、掛川の経験は基礎問題。ここは単純な公式の当てはまらない応用問題ですからね」と言われたことを今でも思い出します。

 在任中で最も印象の強い出来事は何といっても、3.11の津波被害でありました。

 あの災害は、改めて釧路が長い歴史の目で見ると、日本有数の津波常襲地帯であることを想起させることとなりました。

 そして地震だけではなく、津波への避難対策、そして津波に強いまちづくり計画の重要さを感じることとなりました。


 また、地方財政を取り巻く環境も厳しいものがありました。

 着任早々には財政健全化の荒波が待ち構えており、各部各課との間でいかに内部経費を削るかという厳しい議論を連日交わし、その一方で市役所を代表して地域に入り込み、市財政の苦しい現状を説明に走るという経験も致しました。

 行財政が厳しさを増す中では、非効率な施設の統廃合なども俎上に上がりました。

 今後はこうした行財政や施設の在り方をいかに効率的な形にしてゆくかが将来の課題となってまいります。

 理事者側でも、公有資産マネジメントやコンパクトシティへなど、マチそのものの体質改善への取り組みを始めておりますが、こうした取り組みが成功するかどうかは、市民の理解と協力が得られて一体となって推進できるかどうかにかかっており、これからも継続した努力が必要でありましょう。

 しかし辛く苦しい話ばかりではありません。在任中には釧路の名を良い意味で高らしめる多くの喜ばしい出来事もありました。

 代表的なことは、タンチョウを台湾に贈ったことであります。台湾側からのたっての希望であったタンチョウを、ビッグとキカのペアで台北動物園に贈ることができたのは環境省を始めとする関係各位の協力の賜物でしたが、このことで結果として釧路は国際都市台北市と最も縁の深い都市の一つとなることができました。

 またマリモの生息する阿寒湖を、改めて世界自然遺産として登録しようという取り組みも始まっております。
 釧路はひとたび動けばその話題性は地域をはるかに飛び越えて、国際性豊かなものになる、そんな大きなポテンシャルを有しております。

 こうした天から与えられた可能性をさらに活かしてゆくことで、釧路には内外から多くの人を引き寄せる魅力が増してゆくことでしょう。

 現在日本中の地方都市が人口減少と経済低迷に苦しむ中にあって、釧路市だけはこうしたポテンシャルを活かし、そして今蝦名市長が提唱している政策プランを実践してゆくことで、乗り越えられる可能性があるのではないか、と思い始めています。

 釧路の実力と可能性はもっとずっと大きいはずなのです。


 さて、こうした市行政の体質改善や、持てる可能性の発揮のために、最も大切なことは、情報発信ということではないかと思っています。

 いくら良い情報があっても、発せられない声は聞こえません。また、いくら伝えたつもりでも受け手の心がここになければ、耳に入れども聞こえず、ということになります。

 悪い話も良い話も、それらを積極的に市民に伝え、市民の関心と共感を得て、進めるためには、そのことだけでもさまざまな情報発信の取り組みと工夫が必要になってきます。

 世の中を動かすためには、意思と能力が必要です。 

 まちづくりのための本気のやる気と、それを進めるための能力の開拓は当然ですが、さらに一級の情報を作り、それを発信するための意思と能力も大いに磨いていただきたいと思う次第です。

 
 さて、国の人事異動により、四月から私は再び国の職員に戻ります。

しかし、釧路で見聞した現場経験と、ここで得た多くの友人知人は一生の宝になるでしょう。

 そしてここで受けた数多くのご厚情とご鞭撻に感謝しつつ、これからもいつまでも心の故郷釧路の応援団であり続けるつもりです。

 離れている私にもいつまでも自慢ができるような釧路でいていただきたいと願うばかりです。

 結びに当たり、議員並びに市民の皆様のご健勝とご多幸、そして釧路市のこれからの発展を、心から、心から、心から、お祈り申し上げ、退任にあたってのご挨拶と致します。

 本当にお世話になりました。ありがとうございました。

 

   ◆   ◆   ◆

 このわずか2100文字に釧路のすべての思いを込めました。

 本当にありがとうございました。

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明日の市議会最終日で退任挨拶予定

2013-03-24 23:43:19 | Weblog

 木曜日から妻が来て、いよいよ引っ越しの準備を始めました。

「仮の住まいだというのにどうしてこんなに道具を増やすの?」というのが妻の言い分ですが、「日常をいかに豊かに過ごすかが僕の生き方よ」という意見とは、引っ越しにあたっては真っ向から対立。

 明日から毎晩飲み会が入っている私としては、日中に引っ越し荷物を作れるのは今日だけ。

 もう用のない本を段ボールに詰めて、本箱などの家具を分解してばらしてまとめます。

 冷蔵庫の中身では冷凍庫にある肉や魚などを必死に食べてしまおうと努力しているのですが、いざなくそうと思うと、人間って実に食べないものです。

 なかなか思うようには減って行きません。


     ◆   


 備蓄用の水も放出してご飯を炊きましょう。

 災害時用の備蓄で、まだ油断はできませんが少しずつ消費に回し始めています。


   ◆   ◆   ◆


 さて、いよいよ明日は2月議会最終日。

 午後開会予定の本会議で議案として副市長人事が提案されて、私の退任と共に後任の副市長就任が認められる予定です。

 議決の後に、退任にあたっての議会挨拶をさせていただけることになっています。

 平成22年7月1日に、同じ議場で緊張しながら就任の挨拶をしたことがつい昨日のようです。
 
 この間には、3.11災害と津波襲来があり、また財政再建やフィットネスセンターの廃止問題、タンチョウを台北市動物園へ贈ったりと実にいろいろな出来事がありました。

 自分自身の2年9ヶ月を思い起こしながら挨拶をさせていただきます。

 いよいよ慌ただしくなってきました。 
 

   

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釧路夕焼けフォーラム2013

2013-03-23 23:45:45 | Weblog

 夕焼けふぉーらむ2013が市内のホテル最上階のレストランで開催されました。

 改めて釧路の夕日と夕焼けの魅力について語り合おうというイベントで、今日は時間帯的にもホテルの会場的にも、夕焼けの大鑑賞会を行おうという趣向です。

 芳賀代表からは、「昨年は3.24で夕焼けを見るイベントがあったのですが、ひどい大雪だったという思い出があります。今年は天気が良くて良かった」という挨拶がありました。本当に今日は夕焼けがよく見えそうです。
 
 来賓の蝦名市長からは挨拶で、「青年会議所の3カ年にわたる取り組みの成果を称えつつ、また夕焼け切手の販売など、多くの場面で釧路の夕焼けと夕日が釧路からの情報として発信されている」と言っていました。

 

   ◆   ◆   ◆


 さて、トークセッションは四人のゲストスピーカーから、「世界三大夕日を語ろう」というテーマでのコメントです。

 まず釧路地方気象台の予報官である馬場さんからは、「なぜ釧路の夕日はきれいなのか」というお話。

 馬場さん釧路出身で、気象庁に入ってからの転勤生活で釧路は三回目。しかし釧路が世界三大夕日と知ったのは昨年のコトで恥ずかしい、といいます。うん、これはいかん。

 夕日がどうして赤いのかというと、日が傾いたときには日の光がより長く大気の中を通ることになり、そこで青に近い短い波長のものが減衰してゆき赤に近い色が残るからです。

 釧路では冬の間日照時間が多いが、冬の空気は乾燥して澄んでいる。この時の大気にはゴミが少ないので赤まで行く途中の黄色やオレンジに近い色が出る傾向にあります。

   ◆   ◆   ◆

 次は夕焼けおじさんこと、改めて芳賀久典さん。

 子供の時は外で遊んだもので、夜になって空が赤くなると家に帰る時間。つまり、夕焼けは腕時計代わりでした。

     ◆  

 10年位前に写真の幅を広げようと思っていたら、「釧路港は三大夕日と言われるけど夕焼けの写真はないの?」と言われました。

 そこで夕日を撮影していたら、知り合いになったカメラマンの中村さんは、夕日が沈んでも帰らずに、そこからさらに粘っていました。

 実は夕焼けは、夕日が落ちてからの色が変わる姿が美しいのに、みんなそれを知らないのだと思いました。

 やがてインターネットが普通になってから、インターネットで夕焼けのライブ発信ができるようになった。

 ネットで動画を配信していると、「グリーンフラッシュは見えますか?」という問い合わせが来るようになりました。

 それまでグリーンフラッシュなんて知らなかったのが、実は、「見えると幸福になる」という伝説があって、ハワイなどでの観測記録しかありませんでした。

 それをおととしの12月31日に緑に光ったのを自分が見たのです。

 そのときは写真を撮れなかったのが年が明けた、1月7日についにビデオと写真を撮ることができて、その話題が全国を駆け巡り、翌日にはスペインの国営放送で紹介もされた。

 空気が乾いたときには見えやすいのでぜひ見てほしい。

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 さて、夕日を写すライブカメラですが、昨年は全日空ホテルとまなぼっとの一番上のレストランにU-ストリームカメラをつけてもらいました。

 今度はプリンスホテルにもつけてもらう予定ですが、市のライブ動画配信カメラは不安定。

 こうしたカメラを増やしてゆけば、災害時の状況把握にもつながるし、防犯にもつながるに違いない。それはもちろん夕日と夕焼けを見るのにもつながってゆくわけで、これが私が考える『釧路ライブカメラ構想』です。

 夕焼けの思い出が今に繋がっている。釧路という副読本には、最後の一行に『世界三大夕日の釧路港』という文字があった記憶があるが、今の副読本にはないそうです。

 ぜひそれを入れていただきたいと思っています。


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 次にカメラマンの中村誠司さんからは、夕日の撮影にまつわるお話。

「きれいな夕焼けの時は案外雲が多いもので、そういうときにこそ驚くような色が出るものです。美しい夕焼けに出会うコツは、沈んだ後にちょっと待つことです。忍耐です(笑)」


 一通りのお話が終わったところで、カメラマンの中村さんに尋ねてみました。

「グリーンフラッシュを撮影されたときというのは、カメラは連写だったのですか?」
「するどいですね。グリーンフラッシュが現れる時間はせいぜい0.2秒程度という短さです。ですから、見えてからシャッターを押していたのでは間に合いません。頃合を見計らって、連写で撮影して一枚写るかどうか、というシビアな条件なんですよ」

 
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 話が終わったところで、沈みゆく夕日の大鑑賞会。

 釧路で見る最後の夕日と夕焼けかもしれません。

 良い思い出ができました。

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