北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

残り人生のスケール感

2005-06-30 23:28:29 | Weblog
 今日も雨なし。裏日本に属する地域は、少々雨が降らなくても雪解け水のおかげで渇水になる事は少ないのだ。雪様々である。

 一方西日本では空梅雨でかなりひどい渇水状態になっている。このときのためにダムがあるのだが、底辺で物事を支えている事柄というのは、危機になってみて始めてその活躍ぶりが分かる。

 そのありがたみが分かるという事は危機という事。ありがたみなど分からない方が良いのかも知れないし、やっぱりたまには分かってくれた方が良いのかも知れない。

  
 さて今日は、
■残り人生のスケール感 の1本です。

【残り人生のスケール感】
 お昼に知人から声がかかり、「小松さん、小松さん、この本をあげますよ」と言う。何かと思えば司馬遼太郎さんの「風塵抄」という随想集である。

 もちろん、司馬さんの本なので歴史はもちろん、日本文化や自分の子供の頃の思い出など多彩な題材を独特の文体で面白く読ませてくれる。

 「いいんですか?」と訊くと「いいですよ。古本屋で100円足す消費税の105円で買ったんだから」と言う。

 「この本が105円というのは安いですねえ」
 「そう、気が向いたら古本屋に行く事にしているのですが、最新刊を読まなくちゃ、という呪縛から解き放たれさえすれば、昔読みたかった本や今でもその価値を失わない本がたくさんありますよ。それが100円コーナーにはごろごろあって、十冊まとめて買っても1050円というわけですよ」

 「なあるほど。趣味として読書はやはり安いですね」
 「最近小松さんのブログを見ていると、ネタがないのか読書感想文が多いような気がして、これもネタに使ってください」

 「はあ…
 「これで来週から少しは文章が上手になりますかねえ…フフフ」

 確かに司馬遼太郎さんの文体には独特のものがあって、ともすると雰囲気くらい真似をしたくなるところがあるけれど、所詮それは真似なのであって、自分のオリジナルではないからやがてメッキは剥げてしまうに違いない。

 所詮地金が問題なのである。

 この知人からは以前も津本陽さんの「上杉鷹山」をもらっていて、今読んでいるところなのだが、この方は大事だと思うところにエンピツで線を引きながら読む癖がある。

 だから読んだときにどこの表現に惹かれたのか、ということが分かって楽しいのだが、同時に本というのはそれくらい自分のものにしないと、結局ひとときの快楽で終わってしまうものでもある。

 一冊の本を読むからには、何か一言でも諳んじて言える一節くらい心に残るようであった方が良いと思う。

 残りの人生を考えてみてごらんなさい。残り人生30年として、一週間で一冊の本を読むとして一年で50冊。普通はそれほどは読まないだろうけれど33冊とすれば1000冊である

 要するに自分の人生でひたすら読書三昧の生活を送ったとしても、あとせいぜい1000冊の本にしか出会えないということである。

 そういう風に考えて行くと、自分は後死ぬまでに何人の人と会えるのだろうか。ギターを弾いていて、あと死ぬまでに何曲覚える事ができるのだろうか。
 死ぬまでに何回蕎麦が打てるだろうか。

 そしてそれらの経験はいったいどれくらい、これからの社会に対して役に立って行くのだろうか。

 小市民的に「沈香も焚かず屁もひらず」で、可もなく不可もないほどほどの人生を歩む生き方を否定するつもりもないけれど、ほんの少しでも自分の余力を世の中に差し出す生き方を大勢がすれば、自分の事は自分でするという人がもう少し増えれば、世の中はもっと安上がりで済むはずである。

 一人一人の依存心を「社会化する」などという言葉に置き換えて、行政ニーズに転化するのではない、強い生き方をリーダーも裁判所もマスコミも行政も、支持しなくてはならず、決して「単純な弱者救済」精神ではない姿勢が求められるのに、と思うのだ。

    *   *   *   * 

 自分の余ったものを差し出せば安上がりになる。

 私が本をもらえたのもその方の余った本をもらって私の本代が浮いた、というわけなのだが、それは正しい例ではないので、念のため。

    
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光る海~、光る大空、光る大地~♪

2005-06-29 23:20:59 | Weblog
 今日は雨なし。気温が22~23℃というのは先週とはうってかわって清々しい陽気である。

 北陸地方は大雨の被害も出ている様子。被害が広がらないように祈るばかりです。

  
 さて今日は、
■雪氷輸送の打ち合わせ の1本です。

【雪氷輸送の打ち合わせ】
 今日は午前中から夕方までびっしりと雪氷輸送プロジェクトの打ち合わせに没頭する。

 第一回委員会を7月5日に迎えようとしていて、資料の打ち合わせやらプロジェクトの進捗管理などを打ち合わせたのである。

 今回の雪氷輸送プロジェクトとは、冬の間に苫小牧で氷をたくさん作っておき、それを何とか長期保存して、初夏からの東京が冷房を始める頃になると、北海道から空で帰るトラックにこの氷を東京まで持ち帰ってもらって、ビル冷房のエコアイスシステムに使おうというのである。

 電気も使わず、熱も発散させずに氷の冷たさでビルを冷房しようというこの壮大なプロジェクトだが、解決しなくてはならない問題・課題も多く、様々な分野の皆さんの知恵をお借りしなくては進まないのである。

 どうやって氷を安く大量に作れるか、帰りのトラックで運賃をどれくらいに下げられるか、東京での地域冷房システムに北海道の氷は使えるのか、といったことが検討の大きなポイントだろう。

 これが今年最大のミッションなのだ。

    *   *   *   * 

 今週末に我が家に光ケーブルが入ることになっているのだが、biglobeの6月中までのキャンペーンに入ろうかどうしようか迷っている。

 話を持ち込んできたのがNTTなので、プロバイダと回線屋さんとの間のはなしがごちゃごちゃして何がなんだか良く分からないけれど、まあそろそろ潮時かと思ったわけ。

 回線に応じてプロバイダの契約も変えなくちゃならないなんて、なんて面倒な。やっぱりお年寄りには難しい道理である。

    *   *   *   * 

 依頼された原稿がまだ一本書けていない。早く納めなくては…。   
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北大農学部で講義をする

2005-06-28 23:27:55 | Weblog
 今日は雨なし。自転車には格好の日和です。

  
 さて今日は、
■北大で講義をする の1本です。

【北大で講義をする】
 北大農学部の卒業した学科の先生からご依頼を受けて、3年生と院生のゼミの時間をお借りして、「まちづくりと緑の行政」と題して、造園学の行方について講義をしてきました。

 基本的な考えは、造園学の守備範囲をオープンスペース行政、都市公園、生態・環境保全、スポーツ・レクリエーション、アメニティ、文化などとしたうえで、これらを駆使して社会からの要請に対していかに応える事ができるのか、という視点である。

 その際に向かう対象はやはり「人」であるということ。人の感性や満足に働きかけて、人を相手に支持を取り付けて仕事をして行くということが大事なのである。

 懐かしい農学部の教室に向かうと、生徒たちは約40名ほど。一応造園設計という単位の中での講義なので、私が卒業した花卉・緑地研究室以外の講座からの学生も多く聴講している。

 「造園学の向かうべき方向」についてはパワーポイントのファイルを用いて説明。与えられた時間は1時間半と後半が1時間の合計2時間半で、用意した資料説明にどれくらい時間がかかるものかと思ったが、いざ話し始めると言いたい事が溢れて出てきて、前半のパワーポイント資料だけで1時間半を使ってしまった。

 休憩後に旧掛川市の総合計画からの抜粋資料を用いて、地方自治体の総合的な行政とそこにおける緑行政の位置づけについて説明をした。

 市行政ともなると、福祉から環境、建設、経済、行政改革など大変広範な行政課題を背負っているわけで、そこのなかで造園やオープンスペース行政がどういう形で市に対して求められている行政課題を解決する事につなげられると思うのか、が問題なのである。

 具体的に言えば、少子高齢化、人口減少、グローバルな環境の悪化、都市の防災、レクリエーションニーズ、観光・地域振興などの社会の風と、さらに言えば国と地方による財政悪化と健全化圧力、という条件の下で、どうやって市民の期待に応える行政ができるのだろうか、ということである。 

 造園学などというものがそれらすべてに対する答えを用意する事はできないのは当然だが、仮にも造園を学ぶのであれば、学問的な知識を詰め込むだけでなく、「それはどう社会に貢献するのか」というマインドを常に高めておいて欲しいと思うのである。

    *   *   *   * 

 講義の最後で質問を受けたときに、ある女子学生から「私は就職がコンサルタント会社に決まったのですが、コンサルタントとして働くときにどのようなことに気をつけたらよいですか?」という質問をされた。

 私の回答は「まず現場というものを徹底的に知り抜く事が一つ。そして、対象となる現場を愛するくらいに惚れ込んで、この土地や現場を心底何とかしてあげたい、と思うような熱意をこめる事が大事なのではないでしょうか。私も今まで何人か、共に苦労を分かち合って戦友と呼べるようなコンサルタントの方を知っていますが、やはりそう言う人たちは、苦労を共にできるだけ仕事を愛してくれた人だったように思いますよ」というものだった。

 いやな上司や気にくわない発注元もあるかもしれないけれど、そういうことにめげずに、高い志を貫いて欲しいものである。

    *   *   *   * 

 講義が終わった時間外で、後輩たちとビール片手に感想やさらに意見交換。こうして講座の後輩たちに社会経験のいくばくかを伝える事も先輩の務めだと思っていて、そういうことも実践して行かなくてはなるまい。

 最近はなかなか講座の先輩がこうして教室を訪ねてくる事も少ないようで、組織のつながりや人と人とのつながりというものが薄れている事を感じざるを得ない。

 つながりという関係性の資本は、放っておいたのでは目減りしてしまうので、心を尽くして維持管理とお手入れをしなくてはならないものだ。

 東京では最近ジンギスカンパーティが流行しているそうだが、本場のジンギスカンで盛り上がるとしましょうか。

 また誘ってくれる事を期待していますよ。 



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新聞に載るような人

2005-06-27 23:50:45 | Weblog
 天気がどんより。梅雨がないのは救いだが、一雨欲しくなる頃でもありますね。

  
 さて今日は、
■友遠方より来たる の1本です。

【友遠方より来たる】
 あろうことか、地元紙の北海道新聞の2面の「ひと」欄で、随分前に取材を受けた内容で私が紹介されていた。

 義父に言わせると「今までのなかで一番写真写りが良いんでないの?」ということだが、まあ事件の犯人のようだ。

 言っていた事は勝手な事ばかりなのでここでもう一度触れたくもないけれど、財政再建を始め、生活のレベルは変えたくないけれど負担はしたくないという身勝手なわがままがいつまでも続くわけはなく、そういう誰にでもある「楽をしたい」という気持ちをどこかで切り替えなくてはこのままの社会ももたないなあ、という気持ちでいたときである。

 だから誰もが「もっているものを進んで差し出すような推譲の精神でなくてはならず、公務員は特に世間様からそう言う目で見られていることを忘れてはいけません」的なことを言ったのだが、まあそういう風なトーンで書いてくださっておりました。

 「自宅で蕎麦を打ち、スローライフを実践している」ことになっているので、そろそろやらなくてはいけないね。少しさぼりすぎたのだが、こちらではなかなか鰹節のお店が見つからなくて苦労している。
 もっとも簡単に買いに行くのも難しいのだが。

    *   *   *   * 

 そんな新聞記事を見て、昔の知人の何人かから電話が来て「見ましたよ」と行ってくださった。さすがは天下の北海道新聞、購読者は多いね。

 同僚の職員が、私共々伺う打ち合わせを相手としていて、「今度うちの企画官の小松と行きますので…え?ご存じない?今日の新聞の2面に出ていますからご覧になってください」と冗談半分に言っているのが聞こえた。

 それは今日だけに通じる紹介の仕方だな。

    *   *   *   * 

 掛川でPFIの調査を行ったときに手伝ってくれたM総研のHさんが偶然訪ねてきて、旧交を温めあう。

 「個別の世界の中では正解で適正な『部分適合』の総和は全体で適合しないという事がよくあるんですよね」と言うので、
 「その通りですよ。合成の誤謬(ごびゅう)というやつですよね」と応えた。

 合成の誤謬とは、それ自体は合っている事でも全部足すと間違ってしまうと言う意味で、良質のミネラルとビタミンとタンパク質と脂肪を取る事で健康になろうとして結果食べ過ぎて太ってしまうようなもの。

 個々のことなら合っているのにね。

 日本の全体は誰が面倒を見ているのだろうか。小泉首相でもなさそうだし、国会でもなさそうだ。霞ヶ関の力学を調整しているのはだれなのか。

 同じくHさんが、「イギリスにいたときに、庶民が国政に全く関心を持っていないのに驚いて、『それで良いのですか?』と訊いた事があるんです」
 「へえ、その答えはなんだったのですか?」

 「それは、『政府が何か間違った事をしたときはマスコミが正してくれるから大丈夫』という答えでした。羨ましいと思いましたよ」とのこと。

 なんだか何もかもが正しい道筋を求めつつ、得られないような時代である。

 大体私の記事なんか書いていていいのかー!? …まあ、それくらいはご愛敬でいいか…。
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掛川から自転車を楽しんでいる知らせが届いた

2005-06-26 23:26:14 | Weblog
 今日は朝から資料づくりに没頭。お話をする準備も楽ではない。

  
 さて今日は、
■スロースタイルサイクリングin掛川 の1本です。

【スロースタイルサイクリングin掛川】
 掛川のNPO法人スローライフ掛川から、「昨日のスロースタイルサイクリングが無事成功しました」という連絡が入った。

 これは同法人が主催したもので、市内外から69名の参加と11名の案内スタッフの総勢80名が初夏の掛川43kmを走破したのだそうだ。

 この大会は、昨年度の都市再生モデル調査で行った「自転車を楽しむ町掛川」というコンセプトを発展させた形で、観光地として決して有名ではない町でも、コースの変化や沿道景観の美しさ、おもてなしなどで参加者の心に残るサイクリングを楽しむ事ができるのではないか、という発想のツアーである。

 自転車を楽しんでいるスタッフと、やはりおもてなしの心溢れるスタッフの活躍で、焼け付くような天気の元で楽しいサイクリングができた事が喜びである。

 あまりの暑さでおやつのチョコレートが融けた、といったエピソードもあるそうだが、こういう実績を積み重ねて行く中で、さらにホスピタリティ溢れるイベントに近づいて行く事だろう。

 北海道でもツール・ド・北海道の季節が近づいてきたが、これがいまいち地元での盛り上がりに欠けてしまっているのはなぜだろうか。やはりスタッフに自転車が好きで、楽しんでお世話をしていて、これが始まるといても立ってもいられない、という人が少ないように思える。

 人の情熱は伝染するから、広がらないという事はやはりこのイベントにかける情熱と熱意が少ないという事になるのではないだろうか。理屈でなく。


     *   *   *   * 

 そもそも自転車は団塊世代の2007年問題と言われる、団塊の世代がこぞってリタイアをする時には、趣味と健康を兼ね備えたレクリエーションメニューの最右翼と言われ、自分が乗るだけでなく、いかに乗る人を楽しませるガイドを養成するか、と言う事が課題になっているのである。

 団塊の世代や、その直下の皆さんは、リタイアしてから趣味を見つけるのではもう遅すぎる。今のうちから始めて人より一歩リードしたところでリタイア生活に突入して欲しいものだ。

 そうしないといつまでたっても指導される立場になってしまう事だろう。

 そうそう、最近ではご多分に漏れず、団塊世代の蕎麦打ちも流行っているそうだが、これとて同じ。三十代前半から始めていないと、リタイアしたときに先生にはなれないのである。

 長年の年月を経て始めて見えるものがある。これがまさにスローライフ。

 年を取ってからスローライフを始めるというのは間違い。スローライフは生き方そのものだから、そのことの価値に気づいて始めたものが一番遠くまで行くのだろう。

 さ、今日から始めましょ。実践あるのみですよ。 

  
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知恵は現場にあり~北海道は氷を楽しもう

2005-06-25 23:22:30 | Weblog
 旭川からの帰りに知人の実験場を見に行きました。北海道は氷の国なのです。

  
 さて今日は、
■氷で北海道を楽しもう の1本です。

【氷で北海道を楽しもう】
 夕べは旭川に泊まって、朝一番で帰ってくることに。

 帰ってくる途中で、知人が氷を使ってモニュメントを作っている現場を見せてもらう事にして、江別駅で下車して現場へ向かう。

 知人のKさんは、広告を作ったりホームページを作ったりする企画会社の社長さんなのだが、かつて滝野公園で氷のドームを作ろうと思ったときに企画を手伝ってくれた人である。

 滝野公園で氷の六角形と五角形の板を作り、それを組み合わせることでサッカーボールのように半球状のドームを作り、「クリスタルドーム」と名付けたのだが、これは非常にきれいなものだった。

 氷を組み立てるために先にコンパネで下地を作り、そこに氷を置いてゆけば安全で確実に作業ができるのだが、そうした仕掛けを「面白いから特許をとりましょう」と言って特許を申請したところ、特許を取ることもできた。

 Kさんはそんな付き合いから氷で何かを創るという世界を面白いと思い始め、氷での造形づくりをライフワークの一つとして取り組みを続けてくれている。
 作業現場では会社の職員の人たちも一緒になって氷の造形づくりに取り組んでいて、思考実験を繰り返しているのである。

    *   *   *   * 

 今日の写真は、そんな彼が今作っている氷で作ったパーツを4段重ねにして針葉樹のように積み上げたクリスタルツリーである。

 氷の造形の面白さもさることながら、Kさんお得意のエレクトロニクスを使って、氷の中に発光ダイオードを組み込む事で、七色に連続的に光が変化するような造形となっている。

 これらの他にも、ハート形や氷だるま、まりもをイメージした球体などをFRPというガラス繊維で強化した型を作って、冷凍庫で凍らせて研究努力を続けているのだ。
 
 氷という奴は一見きれいで美しく見えるが、実は大変重くて取り扱いが実にやっかいなのである。

 少しボリュームがあって見応えのするような氷ともなると、たちまち2~300kgは軽くいってしまうし、写真の一番大きなパーツでは600kgというから、人間で簡単に持ち上がるようなものではなく、現場でもチェーンブロックという滑車の原理で重いものを持ち上がる機材で作業をしていた。

 また氷なので暖かければ融けるのは当然だが、これだけ大きな固まりになると、真夏の外に出しておいても2~3日でなくなるという事はないのだそうだ。

 「上から融けてきてだんだん小さくなっていくんですけど、簡単になくなるということはないんですね。それと、氷は重さで接している面が融合してくっついてしまいますから、さわっても簡単にバラバラになって危ないという事もありませんよ」とはKさんの弁。

 「夏でもそうですから、北海道の冬に作って外に出しておけば、まずずっともちますよ。このクリスタルツリーがたくさんあって、夜は七色に光ってきれいな空間を北海道の人たちがもっと自分たちで楽しめば、道外から来る人たちも面白くて羨ましいと思うのではないでしょうか」とも。

 そう、北海道の人たちが自ら北海道の冬をもっと楽しんでいれば、外から来る人たちもうきうきするに違いない。孔子の論語には「近者悦び遠者来る」と言うではないか。雪と氷でもっと楽しむことが大事なのだ。

 「これを使いたいという道内の企業やイベントはないのですか?」と訊いてみると「まだ北海道にはないですね。でも台湾のスーパーマーケットの社長から『北海道フェアをやるのに客寄せでツリーを持ってきてくれないか』と先日声がかかって行ってきました。何とか話がまとまって、今度台湾で先行的にやりますよ」と嬉しそうだった。

 「へえ、それはすごいですね」
 「台湾は北海道というとすごいブランドなのだという事を改めて感じました。農産物などは日本ブランドではなくて、北海道ブランドなんですよ。一度行ってみてください。感じるところは大きいですよ」
 「それじゃ上手くいきそうですね」と言うと
 「それがね、税関で今引っかかってまして…」と言う。

 「なぜですか?」
 「税関の言うには、冷凍食品の詰め物としての氷を輸出した事は前例があるけれど、『氷だけを輸出する』というのは初めてらしいんです。何事も前例を作るときは慎重にならないといけないらしくって、『氷に麻薬を溶かしたらどうなるか』なんて言われてましてね」と苦笑する。

 何事も初めての道を歩むから苦労も多いし面白い。どこにでもないもので、二番煎じではないから面白い。
 
 必要なのは外に頼らずに生きて行こうとする、北海道の先祖が培った開拓魂なのではないか。 

 「いつか『NPO法人氷で北海道を元気にしよう』なんて作りませんか」と言うと「良いですね。せっかく戻ってこられたんですからよろしくお願いします」と言われた。

 さてさて、腰を痛めないようにしなくては。
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旭川で「生涯学習とまちづくり」を語る

2005-06-24 23:03:35 | Weblog
 今日は旭川へ講演に行きます。生涯学習とまちづくりについて、聞いてくださる人たちの心をひとくわひとくわ耕すのです。

  
 さて今日は、
■旭川のまちづくりセミナーで講演をする の1本です。

【旭川のまちづくりセミナーで講演をする】
 午後から旭川へ移動。今日はまちづくり団体として旭川で活動をしている「創造と改革」さんに招かれて、まちづくり講演会をしてくるのです。

 「創造と改革」さんは、旭川地域の40~50歳代の若手経営者を中心に将来のまちづくりのあり方を調査・提言している団体で、設立は1996年6月とのこと。

 会員数は34名との事で、会長は中川さんという会社社長の方。この方は地元の落語愛好家集団「旭笑長屋」の世話役も兼務しているという事で、地元の実力者である。

 この団体はすでに様々な活動をしていて、旭川空港活性化から「旭川にエア・ドゥを就航させたい」という意見から事が始まり、3年後にそれを実現させたという実績も持っている。

 現在は旭川空港アクセス高度化研究の一環で、DMVという線路と道路を両方は知る事のできるデュアル・モービル・ビークルの誘致も進めているところである。

 今日は私の講演会を随分宣伝してくださり、会場のターミナルホテルには約60名ほどの方が集まってくださいました。

 講演は「生涯学習とまちづくり」なのですが、生涯学習とはただ一生勉強するだけではなく、行政の工夫で地域との関わりをつなぎ、強化する事が必要なのだ、ということ。

 それを今個人主義の国アメリカがSocial Capital(ソーシャルキャピタル)という言い方で、関係性の資本を強化すべきだということを言っているということなどについて、約一時間ほど語りました。

 予定時間を少しオーバーしましたが、活発な質問や意見交換もできて楽しくお話しする事ができました。

 旭川は人口36万人という道北最大の市でありながら、なかなか町がひとつになりきらない悩みも抱えているようです。

 周辺からの期待は大きなものがあるのですから、まだまだがんばって欲しいものです。

    *   *   *   * 

 講演会の後は、中学校と高校の仲間が集まってくれてミニ同窓会を開いてくれました。

 私が訪ねる事で旧友が集まってくれるというのは嬉しいものです。なかには高校卒業以来全く会っていなかった友達もいて、お互いに28年間という時間を超えて青春にフラッシュバックしました。

 当時美人の誉れ高い女性陣も参加してくれましたが、「髪が異常に黒い…」という「黒い疑惑」をもたれてどっきり。

 そう言えば同い年の友人同士でも、頭の悩みは人それぞれであります。

 友達よありがとう。ひさびさに青春を味わう事ができましたよ。また縁がありますように読んでくださいね。また休暇を取ってアジ演説に行きますから。 

   

 
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人間ドックで社会の健康を考える

2005-06-23 23:42:38 | Weblog
 今日も札幌は夏日の予想。札幌は朝にはそれほどでもなくなって、エアコンなしで寝られるのが救いです。

  
 さて今日は、
■人間ドックへ行こう の1本です。

【人間ドックへ行こう】
 朝から人間ドックへ行きました。夕べは暑くて寝苦しかったのだが、「8時以降は飲み食いをしてはいけません」という指示で、水一杯飲めず辛い思いをする。
 なぜこういう日に限って暑いのか。 

 さて健康の話で恐縮ですが、若干視力の衰えはあるものの、血液その他に懸念される数字が一つもありませんでした。

 異常な数値があるのが一生懸命働いている証で、数値が正常というのはさぼっている証拠などという冗談はさておき、体が健康であるにこした事はありません。

 二宮尊徳の教えを漢語108文字にまとめた「報徳訓」というものがあります。いかにその読み下し文を書いておきますが、

 父母の根元は天地の令命にあり
 身体の根元は父母の生育にあり
 子孫の相続は夫婦の丹精にあり
 
 父母の富貴は祖先の勤功にあり
 我が身の富貴は父母の積善にあり
 子孫の富貴は自己の勤労にあり

 身命の長養は衣食住の三つにあり
 衣食住の三つは田畑山林にあり
 田畑山林は人民の勤耕にあり

 今年の衣食は昨年の産業にあり
 来年の衣食は今年の艱難にあり
 年々歳々報徳を忘るべからず

 …とあります。

 健康な体は親からの贈り物であり、それを今度は自分の子孫に対してプレゼントしなくてはいけません。先祖から親、そして自分、さらに子から子孫へという、前後五代以上にわたる命と生活の継続です。

 今の生活は自分だけで得られたものでもなく、自分だけで貪ってしまって良いわけでもない事を教えてくれています。こういうことを今は親も学校教育も語らなくなってしまったのです。

 「そうか、そうだったのか」と思った人が語り継がなくてはならない時代になったのです。その小さな実践をするかしないか。
 いくら良い事を勉強して自分の中に取り込んだとしても、その小さな実践をするかしないかが、良い社会づくりに自分が貢献しているかいないかの境目なのですね。

 尊徳先生は言いました。「我はただ実践あるのみ」であると。

    *   *   *   * 

 掛川でもそうでしたが、遠州地域にはまだ各集落に○○報徳社という会合があって、一ヶ月に一度「常会」と呼ばれる会合をして、地域の話題を語り合ったり、報徳の教えを勉強したりしています。私も何度か常会で講話をさせてもらいました。

 その集まりの最初に必ず全員で唱和するのがこの報徳訓です。
 この姿だけを見るとなにかの宗教的集まりにも見えますが、宗教ではなく地域作り思想、地域作り哲学に共鳴して集まって活動を続けているのです。

 常会の時は昔は女性たちがお昼を作って、それを食べて解散というものでしたが、最近ではお弁当を取ることも多いようです。参加者もお年寄りばかりになりました。

 われわれはお年寄りからまだまだ学ばねばなりません。 

 


 
 
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防災と携帯

2005-06-22 23:01:35 | Weblog
 今日の札幌は日中の最高気温が30℃を超えて、東京より早い夏日を観測。おいおい、ちょっと早すぎるんじゃないの?

  
 さて今日は、
■防災の心得「携帯を使えないものか?」 の1本です。

【防災の心得「携帯を使えないものか?」】
 知人と意見交換をしていて、「防災の意識として何が必要か?」という議論になった。

 私が兼ねてから考えていた事は、組織的に携帯電話と毛板電話のメールを防災のためのツールに組み込めないのか、という問題であった。

 災害時の初動体制としては、職場としてまず職員及びその家族の安否の確認を行う事としていて、その次には動ける職員は非常参集マニュアルに従って職場、または一番近い事務所等の出先施設に集合する事となっている。

 その際の職員への通信手段はいまだに家庭用電話のリレー形式による連絡網が用いられていて、これが防災訓練などでも使われる。

 電話という便利なものが出始めたときならいざ知らず、今日もっと便利な携帯電話というものが、若い職員ならばほぼ一人に一台普及していながら、それを使うということには体制が組まれていないのだ。

 一部の職員には防災用の携帯電話が貸与されているが、多くの職員はもちろん自腹で携帯電話を所有しているだろう。そのうえ、若い人ほど連絡には携帯メールを利用しているので、通信手段の認知は十分に確保されているだろう。

 メールの良さは、①一斉送信が可能なため、連絡網のようなリレーのための時間がいらない、②発信した時刻や発信内容が記録として残るので、後々の報告や管理記録作成の手間が必要なく、業務に専念できる、といったことで、通信記録が残る事だけでも通信の世界は進化している事を実感せずにはいられない。

 最近の携帯電話にはカメラが着いているものも多く、これなどは上手に活用すれば災害現場の記録などとしても有効で、多様な機能がごく手近な携帯機器一個に集約している事で、多くの能力を発揮できる事だろう。

 言いたい事は一つ。昨年までに決まっていた事柄を今年もそのまま墨守するのではなく、科学技術や社会環境の発展や変化に伴って、新たに使える技術として取り入れるという心構えに不足はないのだろうか、という問題意識である。

 昔のやり方が守旧的で悪で、新しいものが善と決めつける事も危険な事で、従来型と携帯による新しいものとを並行的に使う実験をしてみて、その上で検証をするのでもかまいはしない。
 常に進取の気質を保つマインドを持って事に当たるべきではなかろうか、という意識である。

 いくつか、そういう思いが簡単にいかない要素があるとすれば、まず組織が巨大であるという現実的な規模の問題である。そして次には、私的な携帯を使う事による公的な費用負担の問題であろうか。

 しかし、できない理由を並べ立てることよりも、どういう有効な初動体制、あるいは二重に安全が働くようなフェイルセーフのシステムを作る事ができるか、という事の方が重要だろう。

    *   *   *   * 

 しかし実は最大の問題で盲点だったのは、「携帯をもっていない、使えない人はどうする?」ということであった。

 そもそも防災時に枢要なポジションとなるような職員は、日頃からの防災意識と行動によって、いざというときにどういう準備と心構えが必要か、と言う事は徹底をしているはずだが、新しい技術と機械について行くという一点において、「それだけはどうも苦手」という人もいそうである。

 これもまた司司にいる職員の心構えの問題なのかも知れないが…。

 自分の周りにはそう言う事はありませんか?

 
 

 
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日本はなぜ敗れるのか~敗因21箇条

2005-06-21 23:54:54 | Weblog
 今日は一日東京出張。朝一番の飛行機で、帰りは最終便。絶対エア・ドゥ主義はいつまで続くでしょうか。
  
 今日は、
■山本七平「日本人はなぜ敗れるのか」を読む の1本です。

【山本七平「日本人はなぜ敗れるのか」を読む】
 朝一番の飛行機で出発して最終の飛行機で帰ってくる日帰り出張は体力的にはなかなか厳しいけれど、睡眠を上手に取ればあとは本が読めるので時間の使い方次第である。

 今日も山本七平(1921~1971年)さんの本のご紹介で、今日は「日本人はなぜ敗れるのか」(角川出版 角川oneテーマ21 本体お値段781円)です。

 新書版の本書の帯には「奥田碩会長が『ぜひ読むように』とトヨタ幹部に薦めた本」と書かれている。

 著者の山本七平氏が戦争中を極めて客観的かつ性格に書いた記録として見いだしたのが小松真一著「虜人日記」であり、そのなかの記述に山本氏自身の戦争体験を重ね、それらの記録と記憶の中から、負けるべくして負けた先の大戦の裏面を良く著しているのである。

 「虜人日記」の著者小松真一氏は軍人ではなく、陸軍専任嘱託として徴用されて、ブタノールを粗糖から製造する技術者として敗色が濃くなった昭和19年1月にフィリピンに派遣を命ぜられて、散々なる辛酸をなめて終戦を迎えたのである。

 小松氏は軍に所属していながらも、軍隊という組織に組み込まれていない特殊な立場の技術者であった。

 従って「組織への配慮、責任の回避、旧上官・旧部下・同期生・軍関係学校…の先輩後輩といった関係等への思惑、部下の戦死に対する釈明的虚偽や遺族のための『壮烈な戦死』という名の創作等々から全て解放されて」いる立場で書かれている。

 山本七平氏が指摘するのは、この「戦後」影響が皆無の、「戦後以前」に書かれた本であり、これを読めば「われわれの常識とそれを基礎づける基本的価値判断の基準が、戦前も戦後も変わっていないことを示している」ということである。

 戦前は特別な時代だったのではなく、今も全く当時と同じ物の考え方に支配されているのが我が国であるという真実なのである。

 山本氏が重ねて指摘するのは「なぜその常識を基準として国も社会も動かず、常に、”世論”という名の一つの大きな虚構に動かされるのかという問題である」ということだ。

 小松氏は日本軍の敗因を21箇条にまとめているが、それらは、
1、精兵主義の軍隊に精兵がいなかった事。しかるに作戦その他で兵に要求される事は、すべて精兵でなければできない仕事ばかりであった。武器も与えずに。冷えこくは物量に物言わせ、未訓練兵でもできる作戦をやってきた。

 …に始まり、
21、指導者に生物学的常識がなかったこと で終わる。

 兵は人間であり、人間は生き物である。そのことすら指導者には分かっていなかったという痛烈な体験が虜人日記、そして本書にはつづられている。

 これを読むと、まさに先の大戦とはいったい何だったのかを今の国民があまりに知らなさすぎ、断片的な回顧と美談や断片的な残酷物語だけでは語れない本質に迫ることができる思いである。

    *   *   *   * 

 実はこの大戦末期の様相と全く同じことには前例があって、実はそれは西郷隆盛による西南戦争だったのだという。

 薩摩軍が「西郷一度立たば」として何の戦略も持ち得ないまま戦争に突入し、最後は山にこもって組織的戦いとすれば何の意味のない山中彷徨を繰り返すという愚挙に及んだことを、当時の新聞記者は不合理と断じているのである。

 一体われわれは歴史から何を学ばねばならないのか。何を学んでいないのか。

 日本人が飢えと死の恐怖の極限におかれたときの様を見て小松氏が挙げた敗因は、
9、克己心の欠如
10、反省力なき事
11,個人としての修養をしていない事
13、一人よがりで同情心がない事
16,思想的に徹底したものがなかった事
18、日本文化の確立なき事
20、日ノン文化に普遍性なき事

 と厳しい日本人論になっている。もう一度その子孫であるわれわれはこのことを刮目して見なくてはならないだろう。

 「このままでは日本は(そして日本人は)再び敗れる」という帯の文字は決して買わせるための脅しではない。

 
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