北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

インスピレーションを感じるとき

2013-06-30 23:45:05 | Weblog

 昨日の映画の試写会を見るために上京中。今日は久しぶりにフリーで東京観光をしてから帰ります。

 まずはじめは都内で絵の個展を開いている画家の友人の個展会場を訪ねることに。

 さて、個展の会場は、四谷三丁目駅の近くの住宅地の一角にある、アートコンプレックスセンター・オブ・トウキョウ。

 とても不思議で芸術的な建物ですが、こじんまりとした外観に似合わず、地下の展示会場は敷地目いっぱいの広さを取っていて、都内のこの規模では珍しいほどの広さ。

 芸術家の個展は、芸術的な建物がよく似合います。


   ◆   ◆   ◆


 アクリル絵の具によるふんわりした表現で、花をモチーフにした絵を人生のテーマとしているのは、長野県在住の小山利枝子さん。

「こんにちは~」と訪ねると、「あれ、札幌にいるんじゃないの?」とびっくり顔。

「えへへ、実はこの週末はプライベートで東京旅行中なんです」というと、「偶然にしても来てくださってうれしいです」と喜んでくれました。

 小山さんとは私が長野県にいた時に知り合って今日に至りますが、東京と長野市でそれぞれ年に一度精力的に個展を開いています。

 小山さんとはもともとはダイビング仲間という珍妙な出会いでしたが、「ダイビングをして、水中のものを見た時に、色彩感覚にとてもインスピレーションを与えられたのよ」と以前言っていたのが印象的でした。

 小山さんの絵は、そのとおり波のような感じもするし風のような感じもするし、具象的には描いていないのにそこに花がある、という不思議な感じです。  

 絵を描く上での制作の苦労話や、作家の思いなどが直接聞けてとても勉強になりました。

 これだけ絵をたくさん描いている方でも、「90%くらいのところで、この絵に関わるのに飽きるというか、不安になったりすることがあるんです。そんなときは、(あ~、寝ている間に小人が来て絵を完成させてくれないかなあ)って、童話にあるようなことを思ってふて寝しちゃうこともあるんですよ(笑)」と言っていました。

 またその一方で、今回はリトグラフという技法との組み合わせによる小品もたくさん出されていて、「これは、これまでの世界からは考えられない絵のスタイルですね」と驚くと、「これは、リトグラフを知らない画家にリトグラフをやらせよう、という美術企画があって、それでやる羽目になったんですけど、やっているうちにいろいろとインスピレーションが湧いてきてとても面白い経験でしたね。まあいかに【出力するか】というスタイルの幅の問題だと思いますけど(笑)」

 画家さんが、作品を作るときに「出力」という単語を使うのは初めて聞いて、とても新鮮に感じました。

 だれでも何かクリエイティブな一面を持っているときに、その方法を固定するのではなく、「出力の仕方のバリエーション」と考えると良いのかもしれません。

 たまにはこうした一流の芸術家と話をする機会があると、自分自身もインスパイアされますね。


   ◆   ◆   ◆


 さて、小山さんと会うのと前後して、個展会場の近くの四谷左門町にある「お岩稲荷田宮神社」へお参りに行ってきました。

 後に「東海道四谷怪談」ですっかり有名になってしまった田宮家のお岩さんですが、この方は実在の女性で、本当は賢妻・賢母として知られた方。

 当時の田宮家の跡地に再建されたのが現在のお岩稲荷田宮神社というわけですが、今でも歌舞伎などで東海道四谷怪談を演じる際には演者がお参りに来るということでも知られています。

 その本当の姿にあやかりたいと、妻とともにお参りに来たのですが、今日の東京は気温もそれほど上がらず実にすごしやすい一日となりました。

 私の場合、旅をして「今日も良い天気になったなあ」と思った時には必ずと言ってよいほど、目の前に稲荷神社が現れます。これはきっと自然神お稲荷さんの導きに違いない、と思えて仕方がないのです。

 何かに守られているっていう感じ。これも一つのインスピレーションでしょうか。

 都会にはさまざまなインスピレーションのネタが転がっています。

 それを感じるかどうかは、「あなた次第」なんですけどね(笑)


 

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スタジオジブリ最新作「風立ちぬ」の試写会

2013-06-29 23:45:37 | Weblog

 いよいよ来月の7月20日に公開となる、スタジオジブリの映画「風立ちぬ」の試写会に参加する機会を得て、この映画を観てきました。

 飛行機好きな宮崎駿監督が満を持して自らとしては5年ぶりに作り上げた映画ですが、社内試写会では宮崎監督が映画を見て号泣したということが話題になっていました。

 舞台は戦争前の日本で、飛行機を作ることを夢見てゼロ戦を作ることに努力を傾ける少年堀越二郎の半世紀の物語。

 ネタバレにはならない程度の感想としては、確かに実に多くの飛行機が出てきます。宮崎監督は本当に飛行機が好きなんだなあ、と思わせます。

 飛行機にかける少年二郎は、周りに人々に支えられながら飛行機技術者として成長をしていきますが、やがて汽車の中で出会った少女「菜穂子」との交流が芽生え、飛行機作りに命を懸ける二郎の私生活の中で重要になっていきます。

 少年の半生を描く中で時の動きは速く、夢の中から現実へ、田舎から都会へ、日本から世界へとシーンはめまぐるしく変化します。

 全体で二時間の映画はあっという間に過ぎてゆきました。


   ◆   ◆   ◆


 私の場合、不覚にも後半で涙が出てきて号泣寸前。映画で泣いたのは何年振りでしょう。ちょっと感情移入しすぎたでしょうか。

 でも、直接的な表現をしなくても、こういう表現で言いたいことを伝えられるんだ、という「もって行き方」にはめられてしまいました。

 いよいよ公開迫る「風立ちぬ」。

 宮崎監督が号泣したというのは、本当に作りたかった作品だったからじゃないでしょうか。そんな気がしました。
 

【風立ちぬ】
http://kazetachinu.jp/

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人口減少下のまちづくり

2013-06-28 23:45:40 | Weblog

 技術士会の勉強会で、地方都市の都市経営について講演。

 人口減少下の社会状況で、都市経営をするうえでの障害はなにか、近未来における障害は何か、対策はどう考えたら良いか、について意見交換をしました。

 道路や公園などの公共インフラについては、延長、面積、人口などを基本根拠とした経費が試算されて、基準財政需要額に算入されます。

「それだけ施設があれば、これだけお金がかかるでしょう」というわけです。

 しかしそこで配布された交付金は、色がついているわけではないので、市行政の中で必要と思われるところに優先的に配分されてしまいます。

 必要な行政経費はあるものの、節約できればそれだけ使える予算の自由度は高まります。

 でもついつい、インフラ管理は後回しにされがちです。

 そのことは確かに問題なのですが、実はもっと大きな問題と思えるのが、管理費を受益者が賄っている施設で、その代表が上水道です。

 上水道は、維持管理のための補助金や交付金がほとんどないので、利用料金によって運営費と施設の改良費などを賄うひつようがあります。

 ところがいよいよこれから人口が減少して、利用料が伸びる余地はほとんどありません。

 利用料が不足すれば、一般会計から補てんするか利用料金を値上げするしかないのですが、そこには市民と一体となった議論が必要です。

 行政としてはそういう労を惜しむ者ではないと思いますが、市民の側の意識の方がついてくるかどうかが問題です。

 全てを市民の前にさらしだして、真剣に議論をしてもらうという風土が必要ですし、それがないのならそこから機運を醸成する必要があるでしょう。

 まちづくりは市民とともに行われなくてはならないのです。


   ◆   ◆   ◆


 意見交換の中で、「駅前などの中心市街地を活性化するためにはどうしたらよいか」という質問がありました。

 これは、駅の利用度にもよりますが、駅の利用度が少ない場合は、もう駅を人を引き付ける中心性があると思わないのが一つの手ではないか、と答えました。

 人々の集まる理由が、駅利用という交通結節点から買い物の場としての郊外ショッピングセンターに写ったのだとしたら、そちらに重点を置いたまちづくりもあると思います。

 問題は、駅前が中心的な魅力を持っているというノスタルジー感覚なのかもしれません。

 成功例や失敗例などを数多く見ることで目が肥えてきます。

 まちづくりにも目利きが必要ですね。

 
 技術士会の皆さん、お世話になりました。
 

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田舎の三年、京の昼寝

2013-06-27 22:38:50 | Weblog

 金融機関に勤める友人と久しぶりに会いました。

 彼は元々本州の企業の方ですが、なぜか北海道に縁が深くて、何度も北海道勤務をしています。

 その彼が、長年の北海道勤務を振り返っていかがですか、という私の問いにこう答えました。

「いやあ、住むには良いところですがね。仕事をするうえでは…、もう離れたいですね」

「ええ?それはいったいどういうことですか?」
「何よりも、判断が遅い!スピーディにやらないと勝てないような分野でも、平気でいつまでも内部調整に時間をかけているんです。前々から、そうは感じてはいましたが、そろそろ気持ちの限界が近づいてきましたよ(笑)」

 苦笑いをしていますが、本当にモチベーションがすっかり下がっている様子がうかがえます。

「それは官庁ですか、民間ですか?」
「はっきり言って、どっちもですね。ただ民間でも、金融機関系の人たちと話していると、『あ、それは面白そうじゃないですか、大いにやりましょうよ』となるのが、道内大手と呼ばれるような大企業の人たちと話すと、『関係者と調整はしましたか?』なんてことを平気で言い出すんですよ」

「官庁でも北海道から出た経験がないとか、少ない人が特にだめかなあ。そんなスピード感でいることになんの痛痒も感じていないようなんです。だんだんこちらの方がイライラしてきましてね」

 顔は苦笑いなのですが、なんだか北海道に対して絶望しているような感じがありありです。

「まあ、愚痴を言っても仕方がないので、そのうち一杯やりましょう、ははは!」

 そういって、そのうち飲もうということになりましたが、彼の言う北海道のスローな感覚に私も浸ってしまっているかもしれないと、ちょっと考え込んでしまいました。

 新聞も本も読まず、情報を仕入れることもなく、「なんもさ」、「いいっしょ、ねえ」と言っていることが許されるのが北海道だという印象で良いのか。

 「田舎の三年、京の昼寝」という諺があります。

 田舎で黙々と勉強をするよりも、京都で一流の人たちと交わっている方がはるかに勉強になるということのたとえです。

 少なくても、最前線で働いて地域社会をリードするべき立場の人は、もっとこれからのことを考えて、もっと素早い判断と行動を示さないといけないのかもしれませんね。 
 

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夏の公園、冬の公園

2013-06-26 23:48:57 | Weblog

 先日6月25日付の北海道新聞夕刊に、「ドカ雪下敷き 遊具泣く」というタイトルの記事が掲載されていました。

 記事の趣旨は、ドカ雪により地域の住民が公園に雪を捨てたことで、その雪の重みによって遊具が破損した事例が数多かった、というもの。

 札幌市では、当初予算で1億円しか計上していないのにもかかわらず、遊具以外のベンチも含めた公園施設の修繕費の試算として、5億9千万円がかかりそうだ、として、「多くが来年以降まで使用禁止のままとなる可能性が高い」と語ったとのことです。

 このことに対して記事では、「札幌市は、市民による公園への排雪を原則認めておらず、今回の事態を受け、遊具が破損した地元町内会に除雪マナーの徹底をあらためて要請する方針」とする一方、小樽市公園緑地課の、「雪捨て場がない狭い地域で、公園内への排雪の全面禁止は現実的ではない、と悩む」という声を紹介しています。

 さて、皆さんはどのように考えるでしょうか。

 かつて私が建設省(当時)の公園緑地課にいたときに、雪国で公園に雪を捨てることの是非を議論したことがありました。

 そのときのまわりの論調は、「道路に降った雪をかたづけるのは道路事業の予算でやるべきで、公園がそのために割を食う必要は無い」といったものでした。

 道路事業と公園事業のような縦割りの事業意識が強かった頃の話だと言ってしまえばそれまでですが、その頃から比べると現在は地方分権の考え方も進んできて、首長さんの意志がかなり反映されるようになりました。

 ところがそれでも、まだ役所の中自体にそうした縦割りの意識があるのかもしれません。


    ◆     ◆     ◆


 私としては、かねてより「雪国では公園に雪を捨てても良いような考え方に転換すべき」と主張してきました。

 ただしそれは、遊具が壊れてしまうようなことも仕方が無い、というものではなくて、最初から、雪を捨てる都市内インフラとしての公園のあり方を考えた上で、作り方、維持の仕方、予算の確保を行った上で、地域の雪捨て場とすべきだ、というものです。

 本来雪を捨ててはいけない、と考えているから、雪を防ぐ措置もやらないし、結果雪を捨てられた後始末もできないことになっているのではないでしょうか。

 私は、公園は都市に必要なオープンスペースなのであって、「都市に必要」とされるニーズは何かを考えたときに、夏の間は子供たちの運動や子育て、地域の憩いの場というニーズが高く、冬は遊ぶと言うよりは雪を置いておくスペースが求められているのだ、と考えています。

 だから、夏の憩いと、冬の雪置き場を兼ねられるような作り方や維持管理の仕方を最初から考えておかなくてはならないのです。

 たとえば、公園の周りに「車止め」と称して、大きな石を配置したりフェンスで囲ったりします。

 ところがそうした施設は冬に雪を運ぼうとすると大変邪魔になります。

 フェンスや車止めは冬の前に一部でも撤去できるような作りにあらかじめしておけばよいのです。

 今回の遊具も、冬になる前に撤去してどこかの倉庫に補完するような措置を講じれば良いのです。

 公園に雪を捨てれば、春先には溶けるのが遅くなったり融けた後にゴミが散乱していることもしばしばです。

 それならば春先には雪割りをして、清掃をすると言うことを前提にした維持管理が必要になります。

 そしてそのためには、公園を日頃使い、冬は雪捨て場として使いたいという地域の皆さんとの合意を果たした上で、地域の協力の下に経費負担や労働力負担をお願いして、地域の役に立つ公園になればよい。

 そうした役に立つ都市インフラであれば、「住宅地の中にはもっと公園が欲しい」という声だって強くなるはずです。公園はもっと求められる施設になり得るのです。

 公園利用について、このような地域の合意が得られれば雪捨て場として使うことを認め、逆に合意が得られなければ雪捨て場としては使わせない、という判断をすると言うことで良いのではないでしょうか。

 予算だって、道路事業で運搬排雪しなくてはならない雪の量が減った分を公園の管理費に回してもらえばよろしい。そうした柔軟な予算運用だって自治体の中ならばできるはずです。

 ここでのキーワードは、あくまでも「地域の合意」です。

 地域の合意がとれて、公園の使い方が地域の総意となってこそ、民主主義によって支えられる公共インフラの名にふさわしいのだと思います。


    ◆     ◆     ◆


 さて、もう一つの視点は、北国に生きる我々のライフスタイルについてです。

 私はかつて札幌市南区にある滝野すずらん丘陵公園の建設に携わっていましたが、この公園の特徴の一つは、夏の利用と冬の利用を全く分けて考えていることです。

 夏の管理用道路が冬は歩くスキーコースになり、夏の花畑は冬にスキーゲレンデに変わります。

 この公園のパンフレットを見ると、夏利用の案内図と冬利用の案内図があります。

 つまり、積雪寒冷地に住む私たちは、同じ施設でも夏の利用・管理と冬の利用・管理を違うものだとはっきり分けて考えなくてはいけないのです。

 私たちは『一年の間に、二つの異なる土地柄を持つ場所に住んでいる』のです。

 
     ◆     


 実はそうしたことは知らず知らずのうちに行われていて、たとえば自動車は夏タイヤと冬タイヤを履き替えて使います。

 夏のファッションと冬のファッションは全く違います。女性ならばはっきりした冬のファッションを楽しめることでしょう。

 今でこそなくなりましたが、家の中では秋になるとストーブを据え付けて、窓にビニールを貼りました。

 春にはそのビニールをはがして、煙突掃除をするのが風物詩とも言えました。

 北海道の道路は、歩道と車道の間が本州よりも広く作られています。これは冬に雪を置くためのスペースで、雪国に必要なスペースとして認められていますが、このスペースは夏には格好のサイクリングのための道になります。

 私の今いる機械課では、冬の除雪車のロータリー部分を夏は草刈り機に取り替えて、冬も夏も働けるような車を投入し始めています。

 北海道の夏と冬は全く違う国なのです。 

 東京が考える公園利用は、年中子供たちが遊具で遊ぶ公園ですが、北海道では夏は遊び、冬は地域の役に立つスペースで良いし、公園は夏の利用方法と冬の利用方法が異なっていても良いし、異なっていることを前提とした設計・施工・維持管理があるべきなのです。

 この考え方を、役所の公園担当部局だけではなく、北国に住む私たち全員があらためて自覚をした方が良いと思います。

 知らず知らずのうちの夏の過ごし方と冬の過ごし方を、一年で二つの国に生きていると思うこと。

 そのための備えは本州の二倍かかるかも知れませんが、それも含めて受け入れてライフスタイルの前提にしましょう。

 そこから北国で暮らすライフスタイルをあらためて考えようではありませんか。  

 

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阿寒湖のマリモ育成試験

2013-06-25 22:44:27 | Weblog

 先日テレビを見ていたら、NHKのニュースで、阿寒湖のマリモの育成試験について放映されていました。

 これは、昨年まとめられた「マリモ保護管理計画」に基づいて「阿寒湖のマリモ保全推進委員会」が行ったマリモ保護事業の一つです。

 テレビでは、子供たちがバラバラになったくずマリモを固めて、中にICチップを入れている姿が映し出されました。

 これは、どれがどのマリモかを後で判別できるようにするための仕掛けで、成長の記録も取れますし、名前を付けることで、より愛着を持てるようにもなるでしょう。

 天然のマリモ群落は、特別天然記念物として長らく採取はおろか見に行くことも事実上禁止となっていたために、人々の関心が失せてしまいました。

 このことは、保護を図ろうとする上では大きなマイナスと言わなくてはなりません。

 自分たちが可愛がって愛しているからこそ、保護しなくては、という機運も生まれるわけで、そうした土壌がやせ細っているのです。

 そこで特に地元である阿寒湖畔の子供たちには、マリモに触れる機会を多く持ってもらって愛情と関心を持ってもらいながら、保護・育成が果たされるような活動が求められており、今回もその流れに沿った活動が展開されたのです。

 
   ◆   ◆   ◆


 阿寒湖の中でも北西部にあたるシュリコマベツ湾は、かつてマリモ群落が生育していたという記録があるのですが、現在は絶滅してしまっています。

 それは、湾の周辺が森林開発された時期があってそのために湾に泥が流入したためではないか、と考えられています。

 現在は再び森林に戻っていることから、元々群落が成立していた条件を考えると、ここに新しいマリモを置くことで群落として増えないだろうか、というのが保護育成の大きなテーマとなっています。

 これがうまくいって新しい群落が形成されれば、観察会などの実施も、天然記念物の群落に比べるとやりやすいかもしれません。

 元々の群落も、なにかの出来事によって成立が危ぶまれるようなことがあった時には、離れたところで生育していることは、絶滅を避けるための保険になるとも言えるでしょう。

 様々な可能性を膨らませる、人口マリモの育成試験が始まりました。

 世界自然遺産に向けた動きも着実に進んでいるようです。

 阿寒湖が世界自然遺産としてその希少性と貴重さが世の中に伝わるように願っています。

 

   ◆   ◆   ◆

 

 さて、釧路で最後に書いておいてきた拙著、「釧路のマチのコト語り」がこのたび、amazonで販売されるようになりました。

 釧路の書店コーチャンフォーを中心においてもらっていましたが、遠くの方から「近くで売っていないのか?」というお問い合わせをときどきいただいていたこともあって、このたびアマゾンに掲載してもらったものです。

 もうそろそろ部数も残り少ないと思います。よろしければ手に取ってみてください。

 → http://amzn.to/1330aKA

 

 

 

 

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出会いの意味とタイミング

2013-06-24 23:45:38 | Weblog


 この週末は、美笛川で大いにフライフィッシングを楽しみましたが、そこには懐かしい友人たちが静岡県からも参加していて、さながら同窓会のよう。

 旧交を温めあいながら、お互いに歳を取った話で笑い合いました。

 静岡の友人のAさんは、私が掛川にいた時に盛んにフライフィッシングを勧めてくれた人なのですが、掛川ではとうとう一度も竿を振ることなく任期を終えました。

 その後も釣りとは縁がなくて、釧路へ赴任した際についに釣りと出会うことになったのですが、Aさんは、「掛川にいた時にはいくら誘ってもとうとうやらなかったのに、釧路ならすぐ始めたんですね。なんだか残念だなあ」と苦笑い。

 しかし多分思うに、人には出会うときのタイミングが用意されていて、それはただ目の前に登場するという意味での出会うだけでは駄目なのです。

 様々な経験を積んで、真にその意味が分かった時に目の前に現れることで初めて、今生の人生の中で出会ったことの意味が分かるということがあるものなのです。

 だからこそ人は、様々なことを真剣に考えなくてはならないし、読書をし、人に会って自分の経験を増やし、人間力を高めなくてはならないのだと思うのです。

 偶然の出会いを偶然と思わずに、そこに深淵なる意味や何か見えない力の意志が見出せるようになると、人生はもっと楽しく生きられるように思います。

 さあ、今生の人生で、人間力を大いに高めようではありませんか。

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たった一個のフライで~ワンフライフェスタ

2013-06-23 23:29:23 | Weblog

 美笛キャンプ場でのキャンプ。

 我が家は娘夫婦と孫も参加しての親子三大キャンプとなりました。

 孫は今回参加の最年少(笑)。今日が彼のアウトドア歴の始まりです。人生を自然の中で大らかに楽しんでほしいものです。

 さて、夜は快晴となりましたが、その分気温が下がって我が家のシュラフでは寒くてなかなか寝付けませんでした。

 もう6月下旬だというのに北海道では夜は一機に気温が下がります。やっぱりアウトドア道具となると、良いものが欲しいですね。


   ◆   ◆   ◆


 今日の日曜日は、GGアミーゴお楽しみの、「ワンフライフェスタ」です。

 これは、たった一つのフライだけを使ったフライフィッシングのコンテスト。

 フライは木に引っかけて無くしたらそれまでですし、選んだフライに食いつきが悪いと思っても、取り替えたらそれでコンテストの参加資格はなし、という厳しいものです。

 普通のフライフィッシングならば、「これでだめなら今度はこいつで…」といろいろと試すことも面白みの一つなのですが、このコンテストはそうはいきません。

 合わないフライを選んでしまったと思ってももう遅いのです。

 ただ、コンテストの参加を離れてただ釣りを楽しむのならば、それはそれで結構なので、初夏の釣りを大いに楽しむのも良いでしょう。


     ◆   


 私は、一匹釣り上げて意気揚々と「20センチのウグイ一匹です」と申告したところ、「残念、ウグイは認定外の魚でーす」と言われて、結局コンテスト上は無効とされました。本当に残念です。

 上手な人は、流れの速い瀬に投げ入れてちゃんと釣果をあげているので、こうした勘所もよく見ておいて勉強しなくては。

 上級者との会話も、自分の引き出しを増やすことに繋がりますし、一挙手一投足全てが勉強の材料。

 天気も良くて最高の一日となりました。

 GGアミーゴの皆さん、今日もお世話になりました。

 

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道南の渓流でフライフィッシング

2013-06-22 23:45:54 | Weblog

 土曜から日曜にかけて、道南~道央でフライフィッシングツアーに行ってきました。

 知人にガイドを頼み込んで、北桧山から長万部~支笏湖の美笛キャンプ場という一日コースは、北海道の渓流の豊かさを実感させてくれました。

 道東での釣りが多かった私ですが、道南の渓流は思うようにラインを流してくれるようなゆったりとした川ではありません。

 ごつごつとした岩の間を細い急流が流れ落ちますが、流れ落ちる直前がイワナのポイントなんだそう。

 これまでは川幅の広い川でゆったりとキャストする釣りばかりしていましたが、ショートリーダー、ショートティペットでポイントをつついて歩くような釣りは初めてでした。

 しかし、こういう釣りの仕方も覚えておかないと様々な渓流に対する引き出しが増えていかないということ。

 そういう意味では、目からウロコの落ちる思いで、とても勉強になりました。

 実際の釣りの方は、知人の上手なガイドで魚のいるところにフライを投げ入れて、食ってくれるところまでも行くのですが、そこから先の自分の実力が不足してなかなか釣り上げることができません。

 魚体も小さい魚が多かったので、フライが大きすぎて食ってくれなかったのかもしれません。

 そういう臨機応変さも必要ですね。

 
   ◆   ◆   ◆


 夕方には、支笏湖畔の美笛キャンプ場に到着してこちらでテントで一泊です。

 数年ぶりのテント設営でやや戸惑いもありましたが、なんとか形にはなりました。

 夜はこのキャンプ場で、GGアミーゴという釣りを中心とした仲間たちが集まって大宴会で大盛り上がり。

 懐かしい友人とは旧交を温めあい、初めて会った人とは語り合う中で、新密度が増してゆきます。 

 仕事も住まいもバラバラですが、友達の友達はみんな友達で、釣りとネットで繋がっていられるというのは素晴らしいことですね。

 

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アウトドア精神は大切

2013-06-21 22:26:03 | Weblog

 明日は支笏湖畔で、釣り仲間たちとのキャンプに参加します。

 単身赴任になってからはキャンプなどにちょっとご無沙汰だったのですが、古い道具などを取り出して、改めてキャンプ準備を始めましたl

 コールマン社製のツーバーナーやランプなどが点火して使えるかどうかが心配で、事前にチェックしてみました。

 ランプなどは、アウトドアショップで最新の機材を見ていると、明かりはほとんどLEDライトによるものに替わっています。

 もうガソリンやガスを使って明かりを得るというのは流行っていないというのでしょうか。

 試してみたらまだ十分に使えますが、それなりがメンテナンスが必要です・

 若い時はキャンプの度にお世話になった道具たちですが、改めて見ると思い出を作るのには随分と協力してもらったものです。

 道具に振り回されたくはない、と思いつつ、道具がなくては我々の日常生活は効率的なモノにはなりそうにもありません。

 道具との正しい付き合い方って、ある程度の訓練や仲間同士の情報共有があるとよいのかもしれません。


     ◆   ◆   ◆


 聞けば、アウトドアで使わなくなった道具が結構廃棄されているとも聞きます。

 釧路川では、沈んでしまって使えないカヌーが結構多いとも聞きます。

 アウトドアは人生を生きる上でとても大切な要素だと思いますが、その扱い方や哲学を十分に理解しないと、宝の持ち腐れになってしまいます。

 手段と目的をしっかりと田植えで考えて、豊かな人生を過ごしたいものですね。

 道具はどうぞお大事に。

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