北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

バックカントリー~利尻島の冬の魅力をガイドする

2015-09-30 23:43:24 | Weblog

 

 利尻富士には山頂に雪が見えますが、今日やっと稚内の気象台が利尻富士の初冠雪を認めたそうです。冬も近いかな。

 さて昨日からの利尻島出張、今日は利尻島で山岳ガイドをしながら利尻島の魅力を発信している渡辺敏哉さんを訪ねてお話を聞きました。

 渡辺さんは利尻島出身で、高校で旭川へ出てその後就職しましたがサーフィンがやりたくて神奈川県に住み、2003年に利尻へ戻ってきました。実家が民宿を始めていたということでそれをベースに山岳ガイドを始めます。

 冬山登山もやるなかでバックカントリーというアクティビティが面白いことに気がつきました。バックカントリーというのは直訳すれば「裏山」ですが、具体的には山岳斜面に自力で登ってスキーやスノボで滑り降りるという野性味あふれる冬の遊びのこと。

 もちろん雪さえ降れば北海道ならばどこでもできそうですが、利尻島は急峻な山が海に浮かぶ丸い島なので、北風ならば南斜面で、西風ならば東斜面でと天気や風向きが悪くてもどこかになんとか滑ることのできる斜面があるということや、どこから滑っても海に向かって滑り降りることになるという絶対的に珍しい条件が揃っていて、それが少数とはいえマニアには憧れのフィールドになりつつあるというのです。

「"りしりあ"という利尻島の水をペットボトルで売っていますがその写真を見て『ここは一体どこだ?ここで滑りたい!』と衝撃を受ける人がいるんです」と渡辺さん。


     【りしりあ】

「日本のスキーヤーはリフトのあるゲレンデで滑ることが常識ですが、ヨーロッパの人たちなどは『どうしてそんなところで滑るの?なぜ自然の中で滑らないのか?』とスキーを地球を歩く道具だと思っているような全く違ったマインドを持っています。かつてはそんなバックカントリーの楽しみは長野県の白馬が人気でしたがそれがニセコへ移ってきていよいよ利尻も増えてきました」

「その変化の要因は何ですか?」
「まずは雪質です。北海道のパウダースノーは圧倒的に人気で"Japan+powder"デ"Japow(ジャパウ)"で通じるほどになっています。そしてヨーロッパの人たちは混んでいるのが好きじゃないので空いていて面白そうなところ、というのでニセコからこちらに目が向いてきているんです」

「しかし余程の物好きですね(笑)」
「ええ確かに(笑)。でも相手にするのはごく一部のマニアックな人たちかもしれませんが、世界中にはそんな物好きが沢山いて、しかも『絶対利尻で滑りたい』と思ってくれる人がいるのですから、これからは冬の利尻を目当てに来る人が必ず増えると思います」

「来る人も増えていると」
「ここ五、六年で急に増え始めました。最初は誰も利尻島でバックカントリーができるなんて知らないので、まずは日本のスキーガイドの仲間に声をかけて利尻へ来てもらって実際に滑ってもらいました。そうしたところ、だんだんに仲間が仲間を呼んで来るという感じですね」

 そんな利尻の冬山のバックカントリーの楽しさを伝える動画がありますかと訊いてみると、ご自身がアップした動画とウェアメーカーのフェニックスが利尻島で撮影したビデオがあるとのこと。これは奇麗で魅力的に撮られています。


【NORTE RISHIRI TOUR 2013】https://vimeo.com/62685740

【Phoenix ウェブマガジン エピソード11 利尻】https://www.youtube.com/watch?v=dmRCaUWLWVU


       ◆ 


 渡辺さんに、ガイドの苦労や課題を訊いてみました。

「一人のガイドで案内できる数ってそう多くはないのでしょうね」
「ええ、一人のガイドで5人くらいまでですね。それで僕が一人でやる分には来たい日がかぶったりすることもあってそういうときは日をずらしてもらいます。本当はもっと案内してあげたいのですが、なにしろ利尻島はおろか日本にもまだ山岳ガイド、それもスキーガイド・ステージⅡという資格を持っている人はまだ少ないので、いかにガイドを増やしてあげるか、彼らがガイドをしながらちゃんと生活していけるか、というところが課題ですね」

 最初からガイドとして生活していけるというのはなかなかリスキーな生き方のようにも見えます。

 私はこうした過疎の地域が活性化のための人材を活用するためには、「多能工でなくてはならない」とずっと考えています。

 観光などで人を呼ぶためにはガイドが必要ですが、そのガイドだって公務員の土・日ガイドのような人材活用の仕方があるのではないかと思います。

 公務員は基本的にアルバイトは禁止ですが、アルバイトとしてではなくて地域活性化のための能力の限定的な活用という位置づけで、地方自治体などで認めてあげることはできないでしょうか。

 基本的な生活の糧は公務員として得つつ、週末や自分の時間の中で地域の観光振興などに寄与しいくばくかのガイド料は認めるということは行政や地域で認めれば可能なように思えます。

 人口減少に悩む地方にとっても人材活用方法として、地方創生の観点から幅広で多様な考えを柔軟に採用してほしいところです。

 
       ◆ 


 今のところ冬のバックカントリーガイドは、本州の他の地域のガイド仲間が自分でお客さんを連れてくるということが多いとのことですが、今後外国からピンポイントで『利尻でガイドしてほしい』というようなニーズが高まればなお一層ガイドの養成や交流が急がれることでしょう。

 丸い島利尻島の冬の魅力はますます磨かれつつあるようです。 

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船で酔わない寝方~上を向いて寝たらだめですよ

2015-09-30 00:17:18 | Weblog

 今日は夕方のフェリーで利尻島へ来ています。
 
 西風が強くなって、波の高さは3mとかなりのもの。船は前後左右にぐおんぐおんと揺れましたが、酔い止め薬を飲んで寝てしまうことでなんとかこらえました。

 島へ着いて船に詳しい地元の運転手さんと話していると、「船で酔わない方法を教えましょうか」ときました。

「おお、教えてください」
「寝るときは横を向いて猫のように丸まって寝るんです。すると内臓が動かないので酔わない。上を向いて寝たんじゃあだめですよ」

「頭の三半器官が揺れを感じるんじゃないんですか」
「いや、頭はなんとか耐えられるんだけど、内臓が揺れるともたないんです。横になって寝るときも足を壁に着けて体を安定させるとなお良いですよ」

 お年寄りの知恵でしょうか。明日の帰りの船も揺れそうなので試してみようかな。


 船が稚内港を出るときに、ものすごく太くてくっきりした虹が二重に見えました。こんなのは初めで、発着ロビーにいた人たちも盛んに写真を撮っていました。

 どうやら今週の道北は天候が荒れそうですぞ。

 

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猿払のホタテを海外へ輸出する意味とは

2015-09-28 23:04:13 | Weblog

 地域で活躍されている人たちのお話を伺う活動の一環で、猿払村の巽(たつみ)水産さんをお訪ねしました。

 巽水産では、猿払村で水揚げされるホタテの玉の冷凍品(玉冷)を作り、国内での販売はもちろん、ヨーロッパを相手にEUのHACCP(ハサップ)と呼ばれる衛生基準を満たした工場を作ってヨーロッパの国々にも輸出をしています。

 今策定中の第八期北海道総合開発計画のなかでは、北海道を巡る追い風として二つのことが挙げられています。その一つは海外からのインバウンド観光客の増加ですが、もう一つは食料供給基地北海道の産物が国内の需要だけではなく海外相手の輸出品目としても拡大傾向にあるということ。

 北海道の産物が安全で安心で美味しいということの評判は今や世界水準になりつつあるということの代表的事例として取り上げられているのが猿払村のホタテというわけです。

 そこで今回は巽水産の巽社長さんに、海外に販路を広げることの意味とご苦労を聞かせていただくのが目的の訪問です。

「そもそもヨーロッパではホタテを食べる習慣があるのですか?」
「ありますよ。まあ世界で一番ホタテを獲れるのは中国、続いて日本、米国、南米それからヨーロッパという順番ですが、ヨーロッパでは圏域内や北米産のホタテが届いていて様々な料理で食べられています」

「イメージとしては、乾燥ホタテにして中国相手に売るのが商売としては一番安定しているのかな、と思うのですがそうではないのですか?」
「乾燥ホタテにすると使い方は中華料理ということになって料理の幅が狭くなりますよね。玉冷であれば用途がずっと広がります。それにEUのHACCPは世界で一番厳しい衛生基準なので、これに適合する作り方ができていれば世界のどこへでも出せるということです。アメリカや中国ではそれほど厳しい基準を求められてはいないので、一番厳しい基準でいっておこうというわけです」

「巽水産では年間どれくらいを扱って、そのうち国内消費と輸出はどれくらいの比率なのでしょうか」
「猿払村では昨年で47千トン、今年では約40千トンくらいの水揚げがありますが殻付きで20千トンくらいの量でしょうか。殻付きの貝の約10%が玉冷の重さで、最終出荷で年間二千トンの玉冷を出しています。国内向けと輸出では七対三くらいですが海外から言われる値段が高くて良いので輸出向けが伸びています」

「実際にヨーロッパに輸出をしてみて、巽さんの玉冷に対する評価はいかがですか?」
「ヨーロッパでも一番舌が肥えているのは水産国であるノルウェーの人たちなんですが、その彼らが『お前のホタテは一番だ』と言ってくれました。それまでは一番おいしいのはカナダ産で次がヨーロッパ産、日本のモノは他国を経由した不思議な輸入のされかたをしていながら三番目だ、と言われていたんです。それがここのホタテを食べて初めてその本当の美味しさに気が付いたというんですから、評価は高いです」

「するとこれからどんどん輸出を増やすお考えですか?」
「そうした方が儲けは増えるという思いはありますし、他の地域のHACCP対応工場では全量を輸出にした、というところもあると聞いています。しかし『猿払産のホタテを使っています』とメニューに大きく書いて産地ごと売り込んでくれているお得意さんレストランチェーンがあってそこへは送らないといけないだろうな、という義理もあるんです(笑)」

 
 一度輸出に舵を切るとどんどん海外へ売り出せそうなものですが、あまりそれをやりすぎて国内で猿払のホタテが食べられなくなっても困ります。

 そんな中でヨーロッパへHACCP基準を取得して売ることの意味を訊ねると巽社長さんはこう教えてくれました。

「とにかく売る先を多様化しておきたいんです。今日本のホタテが売れているというのは美味しいということだけではなく、円安という為替条件や、実はアメリカやヨーロッパであまり獲れていないといった外的要因に負う面もあるんです。だからこうした条件が変わるとすぐに買ってもらえなくなったり値が下がったりすることだってありえるわけです。だから一つは売り先をより多様にして、ここがダメなら別なところに売るとということができるようにしておきたい」

「なるほど」
「そしてそれをするなら、一番厳しい衛生基準で作ることが当たり前である方が良い。作業をする女工さん達だってHACCPだったらこの作り方で、アメリカ向けだったらこうだなんて変えていたら混乱してしまいます。だから作り方は単純にしてしかも一番厳しい基準というのが一番良いのです」

 
 今や一大ブランドになった猿払のホタテですが、それを安定した販売に繋げるための一つの道が海外への輸出でした。

 いくら売れると言っても漁業生産物として獲れる量が二倍、三倍になるわけではありません。

「未来は本当に何が起こるかわからないんです」

 地元の産物を高値で安定的に売り続けるためには様々な努力がありました。


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稚内で芸術を味わえるカフェ~「あとりえ華」のひととき

2015-09-27 22:43:51 | Weblog

 先日稚内市の郊外にある喫茶のお店「あとりえ華」へ行ってきました。

 このお店は画家である高橋英生さんが、13年前に建てられた二階建てのお家。元々家があってそこに移られてきたのですが、平成18年に火事になってしまい今の形に建て直されたのだそう。

 高橋先生はここ稚内がご出身で、画家として東京やパリなどで活躍された後ついに地元に戻られて今はこの地域で野の花などをテーマにした絵を描かれています。

 お宅の一階は奥が高橋先生のアトリエになっていて、二階には西側に開かれた窓に向かって長いカウンターがある喫茶のコーナー。二階の奥には小部屋もあってそこここに先生の絵や版画が飾られています。

 室内は白壁に黒くて太い梁があり高い天井が部屋をなお一層広く感じさせます。



 我々が到着した時には喫茶コーナーには八席に六人が座っていましたが、われわれが入ると席を詰めてくれる優しい常連さんたち。この日はちょうどこちらのギャラリーで「二人展」を開いていてそれに画を出されているお一人がご夫婦で来られていました。

 美味しいコーヒーやハーブティーとスコーンにチョコケーキをいただきながら、奥様とそして客同士でも話の弾む素敵な時間が流れていきました。


 そうこうするうちに高橋先生も二階へあがってきて、カウンターの中で椅子を出し客とのおしゃべりに加わり始めました。「知人の紹介で、早く来よう早く来ようと思っていましたが、ようやく来られました」と言って知人の名前を出すと、「ああ、彼ですか。今は遠くへ移られましたが今でもときどき来てくれていますよ」と嬉しそうです。

 
 高橋先生は今度幌延町で教育に関する講演をすることになっているそうで、「何を話そうかと思うんだけど、今までの美術や芸術に関して思うことが沢山あるのでそれで行こうかと思っているんです」とおっしゃいます。

「最近の学校教育で憂うのは、美術とか音楽とか子供の時にこそ養っておくべき素養をおろそかにしていることですね。もっとやらせてあげてほしいな」

 思わぬ形で高橋先生の教育論を存分に聞くことができて、とても興味深く楽しい時間でした。稚内で芸術に浸れる数少ない場所の一つです。


       ◆ 


「ではそろそろ失礼します」そういうと「奥の座敷の絵も見ていってくださいね」と優しい奥様が声をかけてくれました。

 奥には洋風の絵柄の版画が飾られていました。

「この花瓶の版画が素敵ですねえ」
「それは主人の絵を摺り師さんが版画にしてくれたやつですね。でも今はその手のパリ風の画風の絵はもう描かなくなりました。今はこの地域の野の花ばかり描いていますよ」

 そんな高橋先生の水彩画展が今週末から二週間札幌で開催中です。札幌近くの方は宗谷の野の花の絵をお楽しみください。

【高橋英生 水彩画展 -自然と生きる-  於:ギャラリー創】
 http://artalert-sapporo.com/events/detail/519


 【おまけ】
  グーグルマップ上で検索すると、あとりえ華は国道40号から東に向かってすぐのところにあるように地図上に示されますが、本当は地図の場所よりもう少し西側の小高い丘の上にあります。

  グーグルマップ上の位置の違いを正すにはどうしたらよいのでしょうね。どなたか教えてくれませんか。



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秋サケに包まれた今日という一日~釣って良し食べて良し

2015-09-26 23:28:54 | Weblog

 朝三時に起床して枝幸での鮭釣りに向かいました。

 今年は定置網で獲れる鮭は順調だったのですが浜での釣りには良い群れが来ていなくてあまり釣れない、という話を聞いていたのですが、それが昨日から釣れ始めたという耳寄り情報が飛び込んできました。

 一か月ぶりの鮭釣りにテンションは上がり、朝五時半に現地で鮭釣り師匠と待ち合わせて磯へと降りて行きました。

 周りを見ているとそれなりに釣竿をしならせている人が続々いて、いやがうえにも期待が高まります。

 ところがなかなか私の竿には鮭がかかってくれません。ようやくかかったのは師匠のルアー竿で、「ちょっと持ってみますか?力強さだけでも味わってください」と持たせてくれた写真がこれ。


 確かに体全体で支えないと近くへ寄せられない強い引きは癖になりそうです。残念ながらまだ自力では鮭は一匹も釣れていないので、またリベンジに来なくてはなりますまい。鮭釣りの道は遠い…。



 釣り場付近を見ていると、小さな清水が注いでいるところめがけてもうほっちゃれた様な鮭ならぬ疲れ果てたカラフトマスが岩場のプールにうじゃうじゃ溜まっています。



「ああ、彼らはもうどこへも逃げないでずっとここにいますよ」というので、鮭釣りを諦めた後にフライでカラフトマスにちょっかいを出してみました。しかし川へ上ることで頭がいっぱいの彼らはもうフライも口にはしない状況になっているようで、まったく反応なし。

 ここでも嫌われて、どうも海釣りとは相性が良くないのか、と考え込んでしまいます。しかし無心で海に向かって竿を振り続けているのはストレス解消になって気持ちの良いものです。


       ◆ 


 さて釣りの合間を縫って、枝幸でも指折りの量を獲る鮭漁師をしている妻の親せきを訪問してきました。

 かねてより枝幸に遠いながらも親戚がいるとは聞いていたのですが、稚内にいながらなかなか訪ねられずにいました。今回は妻が稚内に来て釣りも見てみたいというので同行させた機会を捕えての親せき訪問でした。

「あら、一体どうしたのさ」
「いえ、目の前の海で釣りをしようということになったもので、丁度妻も来ているのでご挨拶に来ました」

「そうかい、それは嬉しいね。これからも寄ってくださいな」
「はい。ところで朝釣りをしながら海を見ていたら鮭を積んだ船が喫水ぎりぎりで沈まんばかりにして帰ってきました。相当たくさん鮭が獲れているんだなあ、と思いました」

「ははあ、それは内の船じゃないかな。でも今日まだ4,000匹くらいだからたいしたことないよ。最盛期はその倍くらいは積んで帰って来るからね」
「は~、それはすごい。想像もつきませんよ」

「で?釣りは釣れたのかい?どうせ釣れてないだろうと思って(笑)一匹鮭を持ってきておいたから持っていってね」

 そういって鮭漁師さんが定置網で獲ってきた最高級の鮭を一匹わけてもらいました。

 鮭釣り師匠に見せると、「うわあ、やっぱり綺麗で美しいですね。定置網だから獲れる鮭と釣りで獲れる鮭は全然違いますもんね」と感心することしきり。

 稚内の家に帰ってきてからネットにあるさばき方のサイトを見ながら妻がさばき、ホイル焼き、ハラス焼き…と鮭料理三昧の遅い夕食となりました。



 オホーツクで鮭釣りを楽しんで、しかも獲れたての鮭を味わうなんて贅沢は地元ならでは。

 みなさんは北海道の秋をちゃんと味わっていますか

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人口が少ないほどやりやすくて有利な事

2015-09-25 21:34:22 | Weblog

 現在策定中の第八期北海道総合開発計画は、中間とりまとめがまとまったことで地元の首長さんたちや経済界の意見を聞く説明行脚を実施中。各開発建設部では部長が中心となって市町村を訪ねて意見を聞いています。

 ある町を訪ねて、計画の中間とりまとめ説明後に意見交換をしたところ、人口が少ない故の苦労をいろいろと話してくださいました。

 その一つは「様々な観光素材を作りたいと思うけれども、人口が少ないとアイディアも凝り固まってしまってどれも中途半端なものにしかなりません」というもの。「何か良いアイディアはありませんかね」と言われたので、昔聞いた話をしてみました。

 それは2005年に新潟県上越市と合併した旧安塚町のまちづくりの取り組み。

 安塚町は冬に雪が多い町ですが雪しかない。しかしそれを逆手にとって昔の後楽園球場が東京ドームに変ろうとするときに大量の雪を東京に運んで、東京の子供たちに雪遊びをさせました。

 このことで「安塚町ってどこだ?」という話から一気に町の名が知られるようになったこと。当時の町長さんは眼光鋭い意志の強そうな矢野さんという町長さんでしたが、柔軟な発想で住民の暮らしを守ることに熱心でした。

「雪国の暮らしは雪下ろしと道路除雪が出来れば楽になります。だから私は町の補助で各戸に機械化を進めました。その結果安塚ではほぼ全戸が除雪機を有しています。そうしないと暮らしていけないと思いましたが今でも正しかったと思っています」と述べられた言葉が印象的でした。

 住民への個別の補助金などはなかなかできないことですが、雪との戦いに勝てなければ住民生活はありえない、という確固たる意思を行政として実現する姿勢に力強いものを感じたものです。


 そしてこの矢野さんが言った言葉を今でも覚えているのが、「私などは、『いいなあ、あんたのところは人口が少なくて。それくらいの町民だったら男はみんなちょんまげにしようって決めたら実現できるだろう』と言われたことがありますよ(笑)」という言葉。

 これだけ住民の支持を受けて、全町民が心を一つにして何かをしようと思えば、人口は少ない方が有利だというのです。実に面白い発想でした。

 確かに人口が多ければ何か提案しても意見が割れて全員が一つになるというのは難しいことです。それが人口が少なければそんな人たちが心を一つにして乾坤一擲(けんこんいってき)、のるかそるかの大勝負を挑むことがまだ出来そうに思います。

 人口の過多に関わらず、「町全体がこんな取り組みをしている」ということは大いに話題になりますし、地域の進む方向がぶれないということに繋がるでしょう。

 キーワードは「町全体が○○している」ということ。「全町まるごと○○」という取り組み姿勢。離島だったら「島民全員が○○」ってこと。そこでぶれてはいけません。

 町民全員が観光ガイド検定合格、町民全員が蕎麦を打てる、町民全員がカメラ小僧、町民全員が薪ストーブ、町民全員が養蜂家、町民全員が英語話せる、町民全員が…、さて何があるでしょう。

 名物料理とかゆるキャラとか小さなことをコツコツやってみてもなかなかメディアも取り上げてくれないし情報の波に飲みこまれてしまいがち。

 そんなときの町全体での取り組みに活路を求めるやり方はいかがでしょう。参考にならないでしょうか。

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トロッコに乗る美幸線の旅~羊をめぐる冒険の終わり

2015-09-24 23:44:19 | Weblog

 さて「羊をめぐる冒険」では、主人公は旭川から北へ向かいそこで東へ向かう汽車に乗り換えて終着駅に到着します。

 この線路がおそらく美幸線だろうというのがハルキストたちの推測ですが、この美幸線も悲しい鉄路。

 1964年というオリンピックが開かれた年に美深から仁宇布まで開通したものの、運行中は「日本一の赤字ローカル線」として全国にその名を知られ、わずか21年後の昭和60年にその歴史を閉じました。

 しかしその跡に平成10年から地元NPOによって「トロッコ王国」として人の乗れるエンジン付きトロッコが運行され、今では全国各地から多くの観光客が訪れる人気のアトラクションとなりました。

 走るのはかつて本物の汽車が走ったレールの上で、鉄橋やコンクリート橋もそのままいくつもの川をトコトコと渡って行きます。木々のトンネルをくぐり、国道と並行しながら草原を走るトロッコは年間約1万人以上の来場者を迎えています。

 私たちは滝見物の合間にここトロッコ王国を訪れて乗車の予約。申し込むと王国のパスポートと記念乗車券がもらえます。

 渓谷の合間や野原を風を切って走るエンジン付のトロッコ。往復10キロを約40分の間自らの運転で走ることができるテーマパークは、全国でもここだけ。
 普通自動車免許所持者が運転席で運転できるのです。

 いよいよ出発。線路が合流するところはゆっくり走ります。

【トロッコの出発】 https://youtu.be/ET9U3AjyF3w

 快晴の道北をトロッコで走るのは爽快です。

【帰路にカーブの橋を渡るトロッコ】 https://youtu.be/9mMtNREVWTE


 往復10kmの旅もおしまい。思った以上に楽しい旅でした。
【トロッコ列車の終点】 https://youtu.be/fB2jeQsG67c

 トロッコって単線なので、どうやって次に乗る人のために向きを変えるのかな、と思ったら人力の転車台でした。さすが!
【人力転車台】 www.youtube.com/watch?v=l-71HgDo9J0

 仁宇布からは美幸線の予定線に沿う形で道道を北東へ向かって歌登へと出て稚内へ戻ったのですが、途中に「羊をめぐる冒険」の中で登場する別荘のモデルなのではないか、というファームイントントさんを見て来ました。目の前の牧草地には羊がたくさんいて、羊をめぐる冒険にふさわしい。

 本当は宿泊したかったのですが、残念ながら連休中は満室とのこと。次の機会には泊まってみたいお宿です。
 
 終着駅と言いながら本当はまだ先に延ばしたかった鉄道の現実の姿と、たくましくそれを活かした観光のコンテンツ。開拓一世の悲願だった鉄道も地域の人たちが地元を去ってゆくための交通になってしまいました。いろいろなことを考えさせられた美深の旅。

 フランス人夫婦の一言に端を発した「羊をめぐる冒険」をめぐる私の冒険は良い旅となりました。ちょっとしたことが意外な旅のきっかけになるものですね。


 

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美深の滝を巡る冒険~続「羊をめぐる冒険」

2015-09-23 21:43:36 | Weblog

 旅をするにはまず宿だ、ということで美深周辺のホテルやペンションをさがしましたが大型連休ということでどこも満室。

 やっと取れたのが駅前の昔ながらの長期連泊宿。学生の頃にアルバイトで地方へ出張した時にお世話になったような、お弁当の三食付でお風呂と寝に帰って来るだけの様なお宿です。

 トイレも男女別じゃないし施設もサービスもとても最近流行の宿とは言えませんが、昔ながらの触れ合いのサービスがあります。

「こういうお宿が商売を続けていくというのはどういうお客さんが相手になるんですか」
「うちの夏は工事現場の下請けの運転手さんが多くて、冬はスキー合宿で満室って感じで、あとは観光客ですが自転車で来たとかバイクで来たお客さんですね。『雨が降ってきたんでどこか泊めてもらえますか』って観光協会に連絡が入ると、そこから『泊められる?』ってくるのはうちなんです」

「他のお宿へは行かないんですか?」
「最近このあたりのお宿は高齢化しているのと、休日は休みたいというので工事関係者と合宿しか受けないという宿が増えているんです。でも宿って泊まりたい人がいたら泊めるのが仕事だと僕は思っているものですから。でも眠いっス(笑)」

「眠い?」
「今泊まっているダンプの運転手さんに今日も朝5時半出発のために弁当を持たせて朝食を出しました。だから起きるのは朝2時半なんです。そして夜7時くらいに帰ってきたら夕食を食べて一杯飲みますからそれを片付けてってやると寝るのが十時くらいにはなっちゃうし。だから日中が眠たくて仕方ないんです(笑)」

「工事関係者は多いんですか?」
「今は多いです。音威子府の向こうでトンネル工事をしているので相当な数の業者さんが入っていますよ。こういう仕事も口コミが効いて、融通が効くとなると『誰それさんに教えられたんですけど泊まれますか』っていう問い合わせが結構来て、基本空いていれば受け入れてます」

 朝食付きで一人一泊5千円弱ですみました。面白い管理人の大将で楽しい旅になりました。


      ◆ 


 そうしていよいよ美深町内の探検の始まりでまずは滝めぐり。村上春樹は"十二滝町"という架空の町を登場させましたが、美深には全部で十六の滝があるのだそう。しかしそのうち簡単に車で行って見られるのは五つの滝であとは登山装備でなくてはいけないとのこと。真実に分け入るにはこちらもスキルが求められます。

 まずは美深駅から車を走らせて15分ほどで右に看板が出てくるのが「激流の滝」。岩の間が細くなったところを水が激流になっています。滝が良く見えるように物見台もできていてなかなか良かったです。

 なお滝の写真には動画をリンクさせていますのでどうぞご覧ください。



 ふと見ると下流のたまりのところでニジマスのペアが産卵間近でした。雌は産卵床を作ろうとし、雄は卵を狙う小魚を追い払っている様子が間近に見えました。秋を感じますね。
【ニジマスの産卵間近の様子 29秒】 



 続いては「高広の滝」です。激流の滝からもう十分ほど車を走らせると右側に高広パーキングという休憩所が出てきますが、そこから下を流れるペンケニウプ川の対岸に二条の滝が見えます。地図を見ても川には名前がありません。
 しかも右側が高広の滝で左の滝には正式な名前もないのだそう。ちょっと可哀想ですね。
 このパーキングの向かいにはトロッコ王国で走らせているトロッコの折り返し点があって、トロッコが続々と集まってきていました。


【美深町 高広の滝15秒】 


  道道からトロッコ軌道の踏切を超えて北へ向かう林道を走ります。川に架かる橋を渡って大きく左へ曲がったところでちょっとした駐車場があり車はそこにとめて川の上流へ100mほど歩くと大きな滝が見えます。これが「深緑の滝」。
 岩伝いにそろそろ行けば滝の真下まで行くことができて、飛沫もマイナスイオンもどっさりと浴びることができます。妻も私もテンションが上がって、動画撮影にちょっと失敗しました(笑) 
 滝から流れる渓流はイワナがいそうな感じですが、残念ながら竿を入れても反応はありませんでした。違う季節に来ようっと。


【美深町 深緑の滝25秒】 


 松山湿原へ向かう途中の道を右へ曲がって向かい林道を進むと出てくるのが「雨霧の滝」。この滝もかなり近くまで行くことができますよ。


【美深町 雨霧の滝15秒】 


 雨霧の滝から向かって左側の山道を100メートル、約十分ほど登ると見えるのが「乙女の滝」。垂直にドンと落ちるのではなく斜めの岩盤を滑るように流れ落ちてゆく姿はちょっと優しげな感じです。


【美深町 乙女の滝15秒】 


 お手軽にみられる五つの滝を見てから今度は道北三大秘境松山湿原へと向かいました。ちなみに三大秘境というのは、ここ松山湿原の外に雨竜沼湿原と浮島湿原の三つのこと。いずれも「高層湿原」というタイプの湿原です。
 高層湿原というのは、枯れた植物が腐らないままに泥炭化してそれが溜まりすぎて周りの水位よりも高くなってしまったために水からの栄養が取れなくなり貧栄養状態になった湿原の事。標高が高いところにある湿原のことではないので注意です。
 高層湿原になると栄養状態が貧しくなるために、低層湿原とは違って独自で栄養を取れる植物が登場します。その代表的なものがモウセンゴケでいわゆる虫を食べる食虫植物です。ミズゴケの中をよ~く見ると…ありました!掌に細かい毛がたくさん生えているような赤い葉がありました。ちょっと不気味ですが、必死に環境に耐えて生きる植物ですね。


【道北三大秘境の松山湿原に到着】 


  【モウセンゴケって不気味ですが必死で生きているんですね】



 「羊をめぐる冒険」の中には、十二滝町で山の上にある別荘を訪ねるシーンがあって、かなり高い山に登ったところでこんな描写があります。

  …我々はリュックを地面に置き、とくにこれといって話すこともないまま二人であたりの風景を眺めた。眼下の深い谷底には銀色の川がゆるやかな細い曲線を描き、その両側は厚い緑の林に覆われていた。谷を隔てた向こう側には紅葉に彩られた低い山なみが波うちながら連なり、そのかなたには平野部がぼんやりとかすんで見えた…

 途中の山道から見えた仁宇布一体の風景がそれなのかな、と考えながらの軽登山。村上春樹さんはこの風景を見たのでしょうか。



 「羊をめぐる冒険」をめぐる冒険はまだ続きます。


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「羊をめぐる冒険」をめぐる冒険

2015-09-22 23:53:49 | Weblog

 六月の末に毛ガニと焼肉パーティをしていたところ、フランス人の中年カップルがやってきてちょっとした会話になりました。

 そのときにそのカップルの旅行の目的地が美深町と聞いてそこへ行きたい理由が分からず再度聞き返すと、「十二滝、ハルキ・ムラカミの小説に出てくるところ、"A wild sheep chase"」という謎のような言葉を吐かれました。

 よくよく調べてみると、このフランス人が言っていた小説は村上春樹の三作目の小説である「羊をめぐる冒険」だということが分かりました。
 →【2015年6月28日ブログ記事】 「Where're you from? ~ビッグデータじゃない外国人観光データ」


 しかし私の頭は大混乱。

(私が知らない村上春樹の小説をフランス人が読んでいる)、(物語りの中に"十二滝町"という架空の地名が登場し、それは美深のことでハルキストの間では有名らしい)、(舞台は美深町の仁宇布(ニウプと読む)らしいがそれは物語りの中に「鉄道の終点」という表現があることから推測される)、(この鉄道の終点とはすでに廃線になった美幸線のことらしい…が美幸線ってなんだ?)

 …とまあ、海外の人がピンポイントで知っていても、同じ北海道に住む自分が知らないことは多いもの。特に美深町という町を知り観光を味わうなどということはこれまで考えもしませんでした。

 しかし! 「分からないことを放っておくから進歩しないのだ、知らないなら知れば良い」と常々思っている私には、それからというもの「美深」というところが気になって仕方のない地名になり、いつか行ってその町を味わわなくてはならない運命の土地になったのです。

 ところが中途半端に遠い美深には行けなかったところをこのシルバーウィーク。しかも上川町でのガーデンショーも見たいと思っていたところだったので、一泊で上川町~美深町~稚内という旅をすることにしました。で、滝が大好きという妻にこのことを話すと「それは行かなくちゃ」ということで一緒にドライブをすることになった次第。

 これは私にとっては「『羊をめぐる冒険』をめぐる冒険」というわけで、ややこしいけれど得るものの大きな旅となりました。

 
      ◆ 

【「羊をめぐる冒険」を読む】
 で、まずはなんと言っても「羊をめぐる冒険」を読まないことには話になりません。そこで稚内の通勤途中の古本屋に飛び込んで、一冊250円の前後編で合計500円でこの本を手に入れました。

 物語は、僕(主人公)が共同経営している広告会社が作成したPR誌に『載っている羊をさがせ、さもないとお前はおしまいだ』と右翼の大物の秘書から脅かされてしまう。

 僕はいろいろなつてをたどって羊博士という男にたどり着く。どうやら羊は人間に乗り移って人を操るらしいのだが、乗り移られたものの羊が離れたために死にそうな右翼の大物が探しているらしい。

 その羊は北海道の十二滝町というところにある牧場にいるらしいということが分かり、僕は北海道へと飛ぶ。十二滝町とは文字通り滝の多い土地柄、ということを表している。

 そのほかにも「開拓時代にアイヌ人に率いられた一行が、旭川から北へと行き、その後東へ向かったこと」、「主人公たちが、旭川から北へ向かう列車に乗りつぎ、塩狩峠を越え、東に走るローカル線に乗り替え、終点が終着駅であること。また全国三位の赤字線であること」、「大規模稲作北限地の看板があること」などがその特徴として書かれているのでした。

 これらは旭川から北にあってなお東に延びる赤字ローカル線として美幸線がそれらしく、その終着駅が舞台となっていること。また稲作もほぼ北限に近く、これらの条件を満たすのは仁宇布地区だと強く類推されるのだと。


 とにかく私としてはこの機会に美深町を訪ねて、自然をこの目で見て人との出会いからこの地を味わい理解することとしたいと思いました。

 そんなわけで今日は予告編。美深の旅は次回により詳しく書きますが、これは私にとって「『羊をめぐる冒険』をめぐる冒険」なんだと思いました。

 縁を辿った先にあったものは何か。北海道は深い!

 

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北海道ガーデンショー2015大雪~あと二週間ですよ

2015-09-21 21:39:28 | Weblog

 上川町の大雪森のガーデンで開催中の「北海道ガーデンショー2015大雪」を見てきました。

 今年の5月30日に開催してから早く来たかったのですが、なかなか機会を作ることができずにいました。今回は道北旅行の途中で立ち寄る形でやっと上川町の大雪森のガーデンへ来ることができました。

 しかし私の車の古いカーナビでは場所が特定できず、スマホのナビ機能をつかってようやく現地へ到着できました。場所が新しいだけに古い地図を頼りにするとアクセスにちょっと苦労するかもしれません。

 今日の上川地方は日差しが強くて外にいるとじりじりと焼けるほどでしたが、大雪の山並みは頂上が雲に隠れてちょっと残念でした。

 しかし秋には秋の花々が咲き誇っていて、ボリューム感もあって会場を歩く来園者たちは皆「これはすごいねー」と感心することしきり。花の名前は分からないけれど、背が高い植物や花びらの大きな花、もう実がついている花など、様々な花が見事に咲いていて"ガーデン"の風景を楽しみにする人が増えていることを感じます。

 植物を植えるだけではなく、造作とともに空間のあしらい方を創作したのがコンペティションガーデンでありデザイナーズガーデン。

 私は森英之さんの"Forest Table 森の食卓~Eatable Garden"が一番好きかな。


       ◆ 

 デザイナーズガーデンで人気があったのは、マレーシアのリム・イン・チョングさんの"Journey of Life"だったように思います。コンパクトな中に水や木材や石を使い、また高低も使いながら視点の変化を見事に誘導していて、来訪者の感動を呼んでいました。

 また大雪山連峰に向かって花のドレスをまとったようにみえる"Dress Garden KANTE"では写真を撮影してくれるサービスがあって、多くの来園者が写真待ちの長い列を作っていました。

 小山が一つ花に覆われているというのはスケール感もあって見ごたえがありました。


 これだけの植物を維持管理するのは大変だろうなあ、という裏方さんたちの苦労にも思いをはせながら、それでも笑顔で園内を回る人たちを見るのはとてもうれしいことでした。

 北海道ガーデンショーは10月4日まで。もう二週間しかなくなったんですね。

 どうぞお急ぎください。

【北海道ガーデンショー2015大雪】
 http://hgs.co.jp/ja/

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