北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

まずは顔を洗って髭を剃る

2022-04-28 23:29:02 | Weblog

 

 若い時から、休日となると人に会うこともないだろうと、髭を剃らないことが多くありました。

 そんな状態で実家の両親を訪ねると良く母親からは「なにさ、無精ひげでだらしない」と叱られたものですが、「はいはい」と受け流していたものです。

 それがあるとき鎌倉時代の高僧道元の著した「正法眼蔵(しょうほうげんぞう)」に触れた折に、「洗面」という項目があることがわかりました。

 そこには「インドや中国では洗面をするが歯磨きをせず、日本では歯磨きをするが洗面をしない」という一文がありました。

 歯磨きと言っても今のような歯ブラシがあるわけではないので、「嚼楊枝(しゃくようじ)」と言っていわゆる小指よりは細い枝を楊枝としてこれをよく噛んで歯の上や裏側などを研ぎ洗う、とあります。なるほど、昔はそうして歯を磨いていたのですね。

 一方、日本では顔を洗わないと言われますが、まったく洗わないという事でもなく、汚れたときや気持ちよくなるために洗うということはあったようで、ただ毎日顔を洗うという習慣がないのだと。

 そして仏教では、まず顔を洗うという事は汚れたから洗うのではなく、まず洗うという行為を行ってから仏さまにむかうのだ、と言うのです。

 いわゆる「顔を洗わないことは世間に対して失礼なのだ」ということです。

 私自身、これに触れて「ああ」と思ってからは休日にも髭を剃るようになりました。

 実にだらしない日常ですが、たまに古典に触れると心が現れる感じがします。

 さらには、ひねればきれいな水が出る生活環境のありがたみをさらに感じることにもなります。

 コロナ自宅療養中ですが、日常は保ちたいものです。

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映画「ドライブ・マイ・カー」の原作はこちら ~ 「お前はハルキ・ムラカミを読まないのか」からの冒険

2022-04-26 23:07:20 | Weblog

 

 4月の始めに映画「ドライブ・マイ・カー」を観に行きました。

 もちろんアカデミー賞国際長編映画賞を受賞したから、ということもありましたが、「流行物には乗っておけ」という自分なりの価値観もあって、(一度は観ておかなくてはと思っていたのです。

 私自身、村上春樹のファンではないのですが周りにいわゆるハルキストと呼ばれる村上春樹ファンがいたことで何らかの影響は受けていました。

 特に北海道はときどき彼の小説の舞台と思われる場所があることから、道民の知識として少しは彼の小説を知っておいた方が良いということもありました。

 その最初のきっかけは、稚内にいた数年前に居酒屋で飲んでいたときにひょっこり現れた外人さんに話しかけたことでした。

 彼は道内の大学に勤めるフランス人だとのことでしたが、「どこへ行くの?」と訊いたときに「十二滝町を見に来た」と言われて面食らったことを今でも思い出します。

「北海道には十二滝町なんて町はないよ」と言うと彼は「あなたはハルキ・ムラカミを読まないのか」と来たもんだ。

「読んだことはないよ」
「ふむ、"Chasing Wild Sheep"と言うんだがね」

 彼がその時に言った"Chasing Wild Sheep"を調べてみると、それが彼の「羊を巡る冒険」という小説だと知り、その中で展開する場面がどうやら道北の美深町と思われると知った時には、自分の不明を恥じました。

 世界から村上春樹を読んだ人たちが、小説の中の風景を求めて北海道を訪れるというのに、自分自身全く無頓着なのはとても残念だと思ったのです。

 その後に「羊をめぐる冒険」を読み、美深町を旅して山の上にある松山湿原にまで登り、それまでのあまりの"知らなさ"への贖罪を果たした気になっていました。


     ◆


 そしてそれに関連して単行本を買って読んだのが「ドライブ・マイ・カー」でした。

 家の中に当時買った本があったはずだと思って探してみましたが、ようやく出てきました。

 小説「ドライブ・マイ・カー」は思わぬ形で話題になった小説で、それはこの小説の中に登場する女性ドライバーがタバコを車外に捨てるシーンがあるのですが、元々は「それは(彼女の生まれた)〇〇町ではみんなが普通にやっていることなのだろう」という一文に実名の町の名前が入っていたところにクレームがついて、この単行本の段階でもすでに彼女の出身地は北海道の「上十二滝町」(映画では「上十二滝村」)という架空の名前になっているのでした。

 町の名前が実名の方が良かったのか、架空の町の方が良かったのかそれはよくわかりませんが、あまり風景に詳しい描写もなく、映画では赤平町でロケが行われたようです。

 また今回はロケ地としての広島市が注目される形となり北海道民としてはちょっと残念な気持ちもあります。

 個人的には、中頓別の知駒峠から見られる雲海や頓別川の川霧などはちょっと不思議な風景で気に入っているのですがね。

 
     ◆


 さて、映画のドライブ・マイ・カーは、村上春樹さんの短編集「女のいない男たち」に収録されている短編小説「ドライブ・マイ・カー」をベースにしつつ、同じくこの本に収録されている「シェラザード」、「木野」の中のシーンを紡ぎながら展開しています。

 私の場合はうすぼんやりした記憶を持ちながら映画を観て、そして改めてこの短編集をめくり直してみたもので、「ああ、そうだったかな」と思う事ばかり。

 何かを事前に知っていたら自慢できるか、と言えばそんなこともないし、所詮は小説の中の場所を追いかけてみても「るるぶ旅」みたいなものなので、まずは純粋に映画を楽しんでみてはいかがでしょうか。

 逆に広島に旅行に行きたくなりますなあ。

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コロナ濃厚接触者になりました

2022-04-22 22:04:59 | Weblog

 

 家人にコロナ陽性者が出てしまい濃厚接触者として自宅療養の身となりました。

 いつか来るかもしれないとは思いつつ、実際に自分や家族がコロナにり患したときにはどのような対応をすればよいかのシミュレーションができていませんでした。
 
 家族が発熱した場合どうしましょう。まずは発熱がコロナかどうかの診断をどうやって得るか、ですがまちなかのPCR検査所は「今日の今日」では予約が取れず、診断が不可能。

 発熱外来にかかるしかないか、と札幌市の開設しているホームページでフリーダイヤルに電話してみると、「添付の発熱外来受け入れ病院リストからあなたさまが選んでください」という始末。

 発熱外来にいくしかないかなあ、と思ったところで、はたと簡易検査キットがあることを思い出しました。

 さっそくそれで検査をしてみると、私は陰性でしたが発熱者は抗原検査が陽性。

(ああついに来たか)

 その後にリストから発熱外来を受けようとすると、「コロナ陽性の確定者は受け入れていないんです、すみません」と、受け入れてくれません。

 ホームページをよく見ると、今度は「コロナ陽性者の受け入れ病院リスト」というのもあり、こちらへ電話。

 すると「当院はオンライン診療のみになります」と言われて、スマホの病院診療アプリに登録して、そこからこの病院の予約をするよう指示されました。

 言われたままに氏名や生年月日、年齢、さらには支払いのカード情報までを登録して、ようやく今日中の診察の予約をすることができました。

 指定の時間を待っていると、病院から医師から診察の連絡が入りそこからはアプリによって双方向の会話ができます。

 事前にアプリを通じて検査キットの結果を撮影して送るように指示があり、それをやっておいたところ、のどの痛み、せき、発熱、そして抗原検査の結果からコロナ罹患と診断されました。

「当院から保健所に連絡しますので、おそらく明日以降に保健所から連絡が来ると思います。その指示に従ってください」という医師からの説明に、「家族は濃厚接触者になるのでしょうか?」と訊くと、「一応"マスクをせずに近距離で15分以上の会話をしたもの"などといった定義はあるのですが、患者さんとご家族で自ら自主的に判断して自宅療養をするようですね」とのこと。

 コロナ罹患の診断を受けて、会社にも連絡をして昨日から濃厚接触者として自宅療養に入りました。

 今のところの問題は、いつどのような条件が揃ったら患者と濃厚接触者が外出しても良いか、という基準が知りたいという事です。

 いろいろな週末の予定もキャンセルで残念。

 その身になってみないとわからないことって多いですね。

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ウクライナのアゾフ大隊は現代のレオニダスになるのか

2022-04-19 23:37:28 | Weblog

 

 ウクライナへのロシア侵攻。

 ウクライナ南東部の要衝マリウポリを手中に収めたいロシア軍は攻撃の手を強めているようですが、マリウポリを守備するアゾフ大隊は徹底抗戦の構えでロシア軍も苦戦を強いられているとのこと。

 補給のない中でなお徹底抗戦を貫くアゾフ守備隊への同情の念を禁じえません。

 このような姿を見せ続けることは敵に対する反骨心を募らせ、後に続く戦いにおける士気をますます高めるに違いありません。


 全く同じようなシーンが古代ギリシャの歴史にあります。

 それはバラバラな都市国家しかなかったギリシアがペルシアの大群に攻められた時のことです。

 ペルシアが初めてギリシアを攻めたのは紀元前490年のことで、これを第一次ペルシア戦役と呼びます。

 この年の春にペルシア軍がギリシアのマラトンの平原へ向けて進軍を開始し、夏にこれをアテネ軍とプラタイア群からなるギリシア軍が迎え撃ちギリシア軍は大勝します。

 この戦いの勝利を報告するためにマラトンからアテネまでを走った兵士は勝利の報告後に力尽きてしまいましたが、このマラトンからアテネまでの約40kmと言う距離は、後に第一回オリンピックで走ったマラソン競技に繋がっています。

 
 さて、この第一次ペルシア戦役の10年後に再びペルシアはギリシアの地を攻める第二次ペルシア戦役が始まります。

 このときのペルシアの軍勢は、陸上軍20万人、海上群800隻に及び、対するギリシア軍は陸上軍1万人、海上軍330隻と圧倒的な数的不利。

 ペルシアが北部ギリシアへ侵入しアテネを目指して南下したときスパルタの王レオニダスは300人の軍勢を率いてこれを迎撃するため国境のテルモピュレーの峠へと向かい「テルモピュレーの戦い」が始まりました。

 初戦はスパルタの重装歩兵の敢闘によりペルシア軍2万人が戦死し、二度まで退却。

 しかし三度目の総攻撃では、迎え撃つテーベ兵400人、テスピアイ兵700人が次々に壊滅、最後まで戦った300人のスパルタ兵はレオニダス王以下全員が玉砕し果てます。

 しかしここで時間を稼いでいる間にアテネ市民は全員強制疎開を果たし、ペルシア軍が入城したアテネは無人になることで人的被害を防ぐことができたのでした。

 その後秋の「サラミスの海戦」でギリシア軍は数的不利を覆して見事に勝利を得て陸上軍を残してペルシア軍を小アジアのサルディスまで撤退に追い込んだのでした。

 このときのスパルタ軍の戦いは後世まで語り継がれ、「300(スリーハンドレッド)」と言えばレオニダス率いるスパルタ軍と誰もが分かる存在になりました。

 テルモピュレーの戦いが始まる前にペルシア王はギリシアの本陣に特使を派遣し、「武器を差し出せば、各自の国への自由な帰還を許す」と伝えました。

 それに対するレオニダスの口から出た答えは「モロン・ラベ(Molon Labe)」(取りにきたらよかろう)でした。

 
     ◆


 「ギリシア人の物語」を書いた塩野七生さんは、「このペルシア戦役を乗り越えたことによって、ギリシア人の中に『持てる力全てを活用する精神』が芽生え、このギリシア文明が後のヨーロッパの母胎になってゆく過程を経て、ヨーロッパ精神を形成する有用な一要素になったのではないか」と記しています。

 また「勝負は『量』ではなく『活用』で決まるのだ」とも。

 
 マリウポリが象徴的な戦場になりつつありますが、私たちは力による一方的な現状の変更と言う行為を許してはならない、という意思をはっきりと持ち続けるべきだと思います。

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知恵や経験よりも情熱が一番

2022-04-17 22:28:59 | Weblog

 

 昨日の午前に3回目のコロナワクチン接種を受けてきました。

 心配された副反応も熱は出なかったし、注射した部位の痛みが今も続いてはいますがそれほどひどくもならずまずは一安心。

 ところで、副反応があるほど血液中の抗体量が多いという報道があったようで、そうなると副反応がないというのも不安な要素なのかも。

 まあごくごく普通の生活をしている限り、そうそうかからないという事もわかってきたので、不安に思いすぎないような日常でいたいと思います。


      ◆

 
 普段から私のブログを読んでくれている神奈川の友人から電話が来て、久しぶりに話し込みました。

 彼は私のいたときの掛川でも仕事をしたことがあり、故榛村純一元市長さんのことも良く知っていて話が合うのです。
  
 そんな彼が言う事には、「最近僕は人に会うときに、その人となりとして重要に思うのは、知識とか経験ではなくて"情熱"だと思うようになった」とのこと。

 それは言い得て妙だな、と思うのは、そんな情熱をもっていたのが榛村さんだったわけで、人生にはお手本が必要だな、と思うからです。

 知識や経験があるに越したことはないけれど、それを使って何をしたいのか、それをすることが全てだ、という熱を感じると人は感化されるのですが、不思議なのはそこで"感化される人"と"感化されない人"に分かれるというところ。

 ラジオのチューニングが合えば番組が聞けるのに、チューニングが合わないためにいくら楽しいことを言っても相手には伝わらないというようなことが、人と接するときにも起こることがあるのです。

 心の感性が豊かだからなのか、それとも相手に対する好き嫌いなのか、何がそれを分けるのかはよくわかりません。

 僕は(もしかしたら前世のご縁なのかもしれない)ということも感じています。

 どこかに今のこの世では見えない縁が潜んでいてそれが時折顔を出して不思議なつながりになることがあるわけで、自分自身そのことは随分と感じることが多いのです。

 
 さてそんな掛川ですが、今度の週末に久しぶりに定点観測に行ってこようと思います。

 当時の懐かしい人たちにはどれくらい会えるものでしょうか。

 みんなお互いに歳を食って私にびっくりしなければ良いのですが(笑)

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マイファーストシューズ ~ 人生で初めて履く靴

2022-04-16 22:28:30 | Weblog

 

 ちょっと気温は低いのですが外は抜けるような青空が広がる土曜日。

 近くの公園には地域の人たちが運び込んだ雪が多くてまだ少し残雪がありますが、小さな子供用の遊具は顔を出して遊ぼうと思えば遊べる状態になりました。

 散歩から帰って娘に「孫ちゃんを連れて遊ばせたら?緩い階段くらい登れるかもしれないよ」と言うと、「うーん、靴がないしね」と言い、「そうだ、天気もいいから靴を買いに外出しよう」と言う話に。

 まだ家の中の椅子や家具を使ってのつかまり立ちとつかまり歩きが関の山の孫ですが、外遊びには確かに靴が必要です。

 車を走らせて大きなショッピングセンターへ行きベビー用の靴を物色すると、「ファーストステップシューズ」と「セカンドステップシューズ」と言うコーナーがありました。

 ファーストシューズとは、赤ちゃんが初めて履く靴のことで、いろいろな願いやら言い伝えがあったりして、ちょっとした行事くらいな感じです。

 例えばヨーロッパには、「ファーストシューズを玄関に飾っておくと幸運が訪れる」とか、「ファーストシューズを叔父・叔母からもらうと幸運が訪れる」といった言い伝えがあるのだそう。


 セカンドシューズは、歩くのに慣れた赤ちゃんが少し足も大きくなったころに、もう少し歩きやすい靴を履かせるのだそう。

 今回は売っている中では一番小さい11.5㎝のサイズでマジックテープで履かせることができる靴にして、帰ってきてから家の中で履かせました。

 孫ちゃんは「脱ぎたい」とぐずることもなくニコニコ笑っていましたが、最初のうちは靴を履くとつま先が柔らかく曲がらないために上手につかまり立ちができなくて戸惑うシーンも。

 それでも少し経つうちに慣れて、家の中を靴で伝い歩きをし始めました。

 お外にデビューするのはいつかな、明日かな?

 たかが一足の靴ですが、生まれて初めて履く靴となるといろいろな親の願いや思いが込められているものなんですね。

 ゆっくり育ってちょうだいね。

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縁が繋がった ~ 亡くなった同級生の思い出

2022-04-15 23:14:09 | Weblog

 

 昨年高校の同級生が一人亡くなりました。

 彼とはお互いに大学受験に失敗した浪人時代を他の友人二人とともに四人でアパートの一室を借りた共同生活をした戦友のようなもの。

 彼は念願の医学部に合格し私もなんとか滑り込みで合格したものの、四人のうち一人が志を果たせず「全員サクラ咲く」とならなかったことで、皆で喜び合うこともなく共同生活はフェードアウトしてしまった形で終わってしまいました。

 その後の彼は医学の世界で功成り名を遂げて、同期の中では出世頭の一人となったのですが昨年志半ばにして天に召されました。

 その後そのことを嘆いていたら、なんと普段から接する機会の多い若手の知人が「実は僕はその方に家庭教師をしていただいていたんです。今でも奥様と繋がっています」ということで、不思議なご縁が繋がり、先日その彼と亡くなった友人の奥様と三人で故人を偲ぶ会食を行うことができました。

 
 大学に合格するまでを良く知っている私、大学生だった彼から勉強を指導してもらった知人、そして大学卒業の頃に結婚をして今日に至る奥様。

 この3人が揃うことで各人が持つ彼とのエピソードを足し合わせて故人の青春時代からの思い出と人となりが繋がり、心温まる時間でした。

 外から見た生前の彼は、医学の道を究めて各種学会でも頼りにされ、また大学内のポストでもトップを極め、さらにはオーケストラのフルート奏者、指揮者、そして裏方としても活躍するなど、「ほぼ完ぺきな人間」に見えました。

 しかしそんな彼も奥様からすると、「結構わがままでやんちゃでしたよ(笑)」とのこと。

 以外にも亭主関白な一面も伺えて、自由に生きた彼を懐かしみました。


     ◆


 ところでこのような会話を楽しむには場所の選定がとても大事です。

 今回は家の近くにある懐石料理の「雪峰」さんにお願いをしたのですが、三人用に個室にしてくださってコロナ対策はばっちり。

 品の良い女将さんに美味しい料理の品々、そしてなにより融通が利くのが良い。

 夕方の6時から始めた会食でしたが、話が弾んでいつの間にか時は過ぎ、はたと時計を見るともう22時半を回ってしまいました。

 話始めると思い出は尽きないものですが、お店のご配慮で素敵な時間が流れました。

 いつか同窓会で今日の話をネタにさせてもらいます。

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アポを受けてくれた女性の応対がスマートだった話

2022-04-14 23:06:35 | Weblog

 

 先日挨拶回りの途中で、ある会社の地方支店を訪ねようと思いました。

 前日に支店長に挨拶のアポを取ろうとしたところ電話に出てくれた女性は「〇〇は本日在宅勤務のため不在にしております」とのこと。

 ただ支店長の予定は自席のパソコンで見られるとのことだったので、本人は不在ながら訪問希望日時の予定を尋ねてみました。

 するとその女性は「その時間は特に予定が入っておりませんので大丈夫かと思います。後ほど本人に確認をして特段予定が入っているようであればご連絡差し上げますので、ご連絡先を頂戴したく存じます。連絡がなければそのままお越しください」とのこと。

 本人が不在でも相手の都合を優先して、それがかなわない時だけ連絡をするという対応は実にスマートです。

 なかには「本人が不在のため分かりません」と言って、相手の要望が叶っても叶わなくてもどうでもよいというような対応を受けたこともあるので、このように相手の要望を優先する対応は非常に美しく感じました。


 後日、こちらの希望の日時に無事支店長に会うことできて、「こんなことがあって実に対応がスマートでした」と言うと、「彼女自身がスマートなんですよ」とのこと。

 特に社内で「これこれこんなときはこんな対応をしてください」というようなマニュアルは無いそうであくまでも対応をしてくれた方のセンスに委ねられているようでしたが、それでも枢要な社員の予定をオフィス内で共有できている体制や、それを受けて適切な対応ができるというのは社員が鍛えられている証拠です。

 
 とまあ、一応組織がしっかりしているところは正規の手順を踏む方が失礼がないかな、と思う反面、最近はSNSが発達しているので、たとえ偉い人でも直接本人にメールをしてアポを取ってしまうことができる相手も多いわけで、このあたりの使い分けにはこちら側のセンスも問われそうです。

 あまりに友達感覚になりすぎても行けないし、あまりにも格式ばった対応をするのも手間がかかりすぎる。

 このあたりはお互いの距離感の感じ方や受け取り方が人によるところが大きいので正解はないでしょう。

 しかしちょっとした電話の応対に相手のきらりと光るセンスを感じて、今回はちょっと感心したのと嬉しくなった次第。

 こういう受け答えができる方がちゃんと評価されるような組織であってほしいものです。


 

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ネットショッピングでのトラブル ~ ちょっとしたことで物が届かない

2022-04-13 21:56:40 | Weblog

 

 Goproというアクションカメラの関係である部品を英語のGoproのホームページから注文しました。

 商品の番号を入れて、住所を書き込み、決済はクレジットカードで行って決済サイトでも無事に決済終了。

 Goproサイトからは「製品のご注文をいただきありがとうございました」という注文承りの自動メールが届き、さらに翌日には"
Your order *****(注文番号) has shipped"という発想された旨のメールも届いていました。

 あとは商品が届くの待つばかりだったのですが、今日になって、"Your Gopro order ****** encountered a delivery exception" というメールが届きました。

 "delivery exception" という、直訳は「配送の例外」という単語が良くわからなかったのですが、いろいろ調べると、とにかく配送上のトラブルで、荷物が予期せぬ理由で一時的に停止して、到着日が再設定されるということのよう。

 配送会社はUPSというところで、連絡先の電話番号があったので、そこへ電話してみました。

 オペレーターの女性に繋がれて、「deliver exceptionがあったとのことで電話しました」と伝えると、「住所の確認をさせてください」とのこと。

(住所は申し込みの際にちゃんと書き込んであるのになあ)と思いながら、言われた通り、私の住所を郵便番号から伝えました。

 オペレーターの反応は、「郵便番号も登録されていましたので正しく着くと思うのですが、予定より2日ほど後に到着すると思います」とのことで、何が悪かったのかもよくわからなかったのですが、とりあえず荷物は届きそうなのでホッとして電話を切りました。

 後から(何が問題だったのかな)ということが気になって、注文をした際の確認メールを読み返してみると…

 なんと、正しく書いていたつもりの住所から「西区」という住所表記が抜けていたのに気が付きました。

 なるほどそれが「郵便番号は登録されていたので正しく着くと思うけど…」という反応の正体でしたか。

 海外の注文サイトだと、住所を書く順番が日本とは逆になって、先に細かい住所を書いてそれから市町村、都道府県という風になります。

 そこで細かい町名を先に書くことに意識が向いた結果、西区を入れ忘れて正しい住所表記になっていなかったことが"a delivery exception"になった原因でした。

 この手のトラブルって、個人輸入なんかだと良くある話らしく、日本語のネットショッピングサービスを使えば、日本語の住所で届くのであまり問題にはなりません。

 私の場合、割引に目がくらんで(Goproのサブスク会員でもあるので)Goproのサイトに直接飛び込んで買い物をしたことでミスをしてしまったという笑い話でした。

 それにしても社会がグローバル化してくると、海外サイトでのショッピングや決済などが当たり前になって、トラブルメールも英語でバンバン来る時代になるのでしょうから、これからの子供たちには英語が必須になる道理です。

 ネットショッピングも慣れないと大変です、ふー。

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かつて練習したはずの「お早うございます」の挨拶

2022-04-12 23:07:22 | Weblog

 

 先日訪ねた某ビルディングの入り口にある吹き抜けのホール。

 朝早くに着いてちょっとの間、朝の出社の様子を見ていました。

 雇われているのであろう結構なお歳の警備のおじさんは入り口から職員が入ってくるのを見る度に大きな声で「お早うございます!」と挨拶の声を発します。

 しかし警備のおじさんよりはずっと年下に違いない行き交う人たちはほとんど声を出すことがありません。
 
 皆、(どうせ誰も聞いていないだろう)と思っているに違いありませんが、面白くなってどれくらいの割合で挨拶を返すものか見てみました。

 すると、おじさんの「お早うございます」に対して会釈など何らかの反応を示すのが4割、そして小さな声で「お早うございます」と返すのが1割くらいでした。

 皆、警備のおじさんの挨拶は業務の一環としてするように言われているだけのポーズだと思っているのでしょうか。

 たとえそうだとしても、朝自分に向かって「お早うございます」と言ってくれることはありがたいことだ、という気持ちも持てないのでしょうか。


     ◆


 春四月、小学校の入学式で新一年生がドキドキしながら毎日登校していることでしょう。

 新しい一年生がまず初めに習うのは朝に大きな声で「お早うございます」と挨拶をすることではなかったでしょうか。

 他人から「ちゃんと挨拶するんだよ」と言われて練習をした幼子は、やがて大人になって誰からも「挨拶をするように」と言われなければしないようになってしまったのでしょうか。

 練習というのは本番にちゃんとやれるようにするためにするのにね。

 さて、では自分自身は「お早うございます」と言われたときに本当にしっかりした声で挨拶を返していたでしょうか。

 誰も見ていないであろうときの自分が本当の自分なのかもしれません。
 
  

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